正倉院の天平の甍 |
近代から現代の、とくに現代のこういう思想は現実的と言えばよいのかどうか、「屋根瓦などは30年ももてばよいだろう。」というもので、そういう思想は頭の半分で納得しつつ、あとの半分で釈然としないところがある。
というのも、奈良の街に漂う時間はそんなせっかちではないからで、先日ちょうど正倉院の整備工事の現場公開があったが、正倉屋根南面左右端に再利用される瓦は文字どおり『天平の甍』である。
正倉院の宝物は、天平勝宝8年(756年)に光明皇后が聖武天皇の四十九日に献納した品々が始まりであるから、正倉院はそれ以前に建てられている。その時の瓦が今回も更新されるのである。
ちなみに元興寺などは、588年に着工し596年に創立された我が国最古の本格寺院飛鳥寺(法興寺)が平城遷都に伴って移築されたものであるから、現存している屋根瓦の一部は天平の甍以前の「飛鳥瓦」である。
正倉院に話を戻せば、今回の工事で平瓦の24%、軒平瓦の50%が再利用であり、天平瓦から修繕工事ごとに、鎌倉瓦、室町・慶長瓦、江戸瓦、明治瓦、大正瓦とあるのだが、最も新しい大正瓦は焼があまいためほとんど再利用されない。
同じような話は法隆寺の工事現場公開でも聞いたことがあり、現代に近くなるほど瓦の質が落ちているらしい。
1300年、1400年以上を経過した瓦を見ながら「30年瓦」を考えると、現代人は古代人よりも精神性が豊かに進歩してきたのだろうかと首をひねりたい。
ついでに、写真の平瓦と平瓦の上にいわゆる丸瓦が乗るのだが、瓦の下に壁土がないのが意外だった。ほんとうに1300年前と同じように修繕するのだ。
余談ながら、正倉院の校倉造りは、「雨の日は木が膨らんで湿気を避け、晴れた日には隙間が開いて風を入れたので宝物が傷まなかった。」と昔、習ったと思うが、これは全く不正解らしい。
校倉造りの壁はツーバイフォーの壁のように壁自体が天井を支えており、隙間が開く余地など全くない。
そして、部分的に空いた隙間は銅や漆喰でその都度埋められており、今回も埋め木で閉じられる。(開いた隙間は次の工事までは基本的にはそのままだった。)
だから、こういうのを「見てきたような嘘」というのだろうが、しかし、ほんとうに学校で習ったように覚えている。もしかしたらテレビで信じ込まされた風説だったのだろうか。
そうですね、私の記憶では、毎日放送の紀行番組「真珠の小箱」で正倉院の歴史や校倉造りの利点を何回も聞いたように思います。当時は「なるほど!」と思っていましたが、、、でも、この校倉で1300年も宝物を護ってきたことは間違いないのでしょう。
返信削除パンフレットからの受売りでしかないのですが、それは校倉造のおかげではなく、勅封制度で開封がごく限られてきたこと、やや小高い場所に巨大な檜材を用いた高床式であったこと、庫内で辛櫃(からびつ)に納められていたことが良好な保存の原因で、とりわけ辛櫃の役割が大だということです。
返信削除そして、知っている人は知っていますが、現在、宝物は校倉造の正倉院にはなく、正倉院内部には不用の辛櫃だけが納められています。宝物は完全空調の鉄骨鉄筋コンクリートの西宝庫にあります。私は近年まで知らず、現在も校倉に守られているんだと思っていました。