山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
2013年10月24日木曜日
浅葱斑がやって来た
人間がひねくれているせいか、権威ある書物でさえ自分で確認できていないものは直ぐには信じ難くなっている。
「アサギマダラはフジバカマ等に含まれる毒性のアルカロイドを摂取して敵から身を守っている。」などというのもそうであった。
「私を食べたらえらいことになるわよ!と、あえて目立つような色模様なんだ」と。
浅葱斑に聞いてきたような記述がある。ほんまかいな。
ところが、ふわりふわりと、ほんとうにふわりふわりと藤袴に浅葱斑がやって来たので、夫婦で「ほんとうに藤袴には浅葱斑がやってくるんだ!!」と感嘆の声を上げた。
浅葱斑は揚羽蝶のように大きいが、飛び方は文字どおりふわりふわりである。
鱗粉のない羽根が浅葱色(ごく薄い藍色)で、その美しさからオオムラサキと最後まで国蝶の地位を争ったと本にあった。
そして夏には八ヶ岳等のような標高1000メートル以上の高山で暮らし、これから台湾辺りまで越冬のため渡る途中らしい。
ただし、精確には中部から北方の平地にも居たり、本州内で越冬するものもあるという。
しかし、まあ、日本では唯一の長距離の渡りをする蝶として有名である。
それに、北上してきた蝶と南下する蝶は世代が異なる(親と子)ようだが、それならどうして方角や、中継地である島々や、目的地を知っているのだろう。わずか10数gの蝶が偏西風に抗って2000kmも南下するエネルギーはどのように得ているのだろう。“偉そうな人間”の知らない自然はいっぱいある。(我々はほんとうは何も解ってはしない。)
それにしても、その長旅の途中でどうして我が家の藤袴を見つけたのだろう。その能力の不思議さには言葉もないし、我が家を選んでくれた光栄を熱い胸で感じている。
正直に言えば藤袴という野草そのものはパッとしない見栄えである。その割に場所をとるので妻の評価は低い。「抜いたらどう?」と。
しかしこうなれば、浅葱斑の宿駅として絶対に途絶えさせることはできない。
「浅葱斑御用達」の看板でも上げようか。
このような珍しい自然界の訪問者を見つけると理屈抜きでワクワクして嬉しくなる。
という気持ち、解ってもらえるだろうか。
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こんな珍しい訪問者があったのも、20日の記事にある「8本足の蝶」にお参りしたおかげだろうか。感謝、感謝。
返信削除楽しいブログを有難うございます。しばらく家を離れていました。海を渡る蝶の話どこかで聞いたことがあるので探しましたら若い頃読んだ文庫本にありました。北杜夫の「どくとるまんぼう昆虫記」にアサギマダラが日本内地いる唯一種類の南方産のマダラチョウで大海原を高く低く移動してゆく光景を想像しただけで胸がときめくと書いています。
返信削除又、トンボも海を渡るのですね。小さな昆虫の生態に感動します。
それにしても長谷やんの周辺は自然界への神聖な入口のようですね。新築の蝙蝠のお宿にお客さんは御出でですか。
どくとるまんぼうも胸がときめいたのですか。・・・そうですか。
返信削除アサギマダラのご訪問は偶然だろうと思います。でも嬉しいかぎりです。
バットボックスは予想どおり未だ「空室あります」状態です。
スノウさんの隠居所の秋の様子はどうなのでしょう。お便りを楽しみにしています。
蝶つながりで書いてみると、『てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った』の詩で有名な安西冬衛は堺中学(現三国ヶ丘高校)の卒業生だが、私の小学校の校歌も氏の作詞によるものだということを、今日、古い友人に教えてもらった。高校の生徒歌もそうだった。友人が、「晶子ばかりを堺は言うが、冬衛ももっともっと堺の出身者として評価されるべきだ」と力説するのに視野の拡がる思いがした。
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