2025年2月10日月曜日

ヒヨドリはグルマン

    1月22日に『花盗人』を書いたときの写真が上の写真。
 香りだけでも甘さが伝わってくるロウバイの蜜を吸ったり花を食べにくる。
 テキストに「ヒヨドリの大好物は花の蜜や果実」「甘いものを特に好む」と書いてあるとおりだ。

 さて、いま作業中の退職者会会報に投稿した私の川柳の柳号は「長谷皮蛋」。皮蛋(ピータン)は癖があるが食べれば美味しい。それはさておき・・

    ヒヨドリの中にもグルマンがいるようだ。
 あるいは季節は厳冬期。食糧事情が悪く背に腹は代えられぬというのだろうか。
 まさか鳥害などあるまいと思っていた菊菜(春菊)を食う野菜盗人がいるとは思わなかった。
 それが下の写真で、バックの菊菜と見分けが困難だが嘴に葉っぱを加えている。そして食べている。

 菊菜は各種鍋料理も引き締める。私は好みでもある。
 だから菊菜盗人には腹が立つが、それ以上に「事実はテキストよりも奇なり」と、グルメヒヨドリに感心している。

2025年2月9日日曜日

かかりつけ医

    薬も切れるので、かかりつけ医に行ってきた。
 妻も行っている近所の内科はいつも混んでいることもあり、私は少し離れた医院に行っている。
 アブレーション手術などもした病院からかかりつけ医に戻るとき、ドクターから「あなたの場合は元のかかりつけ医がいいでしょう」となったこともあるが、そもそもその話の前提となる情報は私がドクターに話したことにある。

 さて今回、看護師さんによる血圧測定をすると160を超えていたので「測りなおしてください」と言って測りなおしてもらったら170をさらに超えてきた。朝食後降圧薬を服用していたにもかかわらずだ。
 そこから医師と対面したのだが、その数字を見ても全く動じず、「今日は寒いからなあ」で終わり、問診で「近頃息切れがする」と言っても「歳やしなあ」で終了した。
 ほんとうは名医かもしれないし、そんなことを心配する方が体に悪い・・ということかもしれない。

 病院のドクターが「あなたにはその先生があっているでしょう」と言った思いもそこにあったのではないか。
 ドクターショッピングという言葉があるが、体の不調ばかりに注目して暮らしても辛いところがある。
 どこまで続くかわからないが、当面は「高齢者には不調があって当たり前」と居直って生きていこうと思う。

2025年2月8日土曜日

印綬と玉杖

    日本書紀崇神10年9月6日条「九月丙戌朔甲午、大彦命を以て北陸に遣し、武渟川別を東海に遣し、吉備津彦を西海に遣し、丹波道主命を丹波に遣したまふ。・・・既にして共に印綬(しるし)を授ひて将軍と為たまふ」・・いわゆる四道将軍のことで、桜井茶臼山古墳は大彦命の、メスリ山古墳はその子である武渟川別の古墳である・・というのが小笠原好彦先生の主張。
 その講義の折、時間がなく質問ができなかったが、その根拠をもっと知りたい。

 先生は両古墳から出土した玉杖こそレガリア(王権の象徴)であり、これまでの学者が「単なる儀仗用の杖」と解していたので被葬者にたどり着けなかった」と・・。
 だが、「しるし」とルビがあるが「印綬」は「印綬」ではないのか。
 書紀編纂時には印綬がレガリアとの理解が広まっていたからそう書いたのか。
 仮に水戸黄門の印籠にするには印璽の文字を相手側が読めずに効果を生じないからというのであれば、美しくはあるが「玉杖」であっても、相手側がそれを大王の将軍の身分証明書と理解できたのだろうか。

 四道将軍を派遣して国を広げたという崇神を事実上の初代大王(後の天皇)であり、書紀の記述が歴史を一定反映しているということに同意はするが、もう少し考古学的な証明が欲しいものだ。

2025年2月7日金曜日

日本書紀について

    戦後は「日本書紀は後の為政者が捏造した内容だから研究に値しない」との主張が広まった。・・しかし 、本当にそうか。
 「考古学などで一つひとつ検証するのが学問だろう」というのが小笠原先生のスタンス。
 先日の「富雄丸山古墳の被葬者は麛坂王」という提起もそういうことで、私も大いに納得している。
 先日の講義ではそのことに関連して私の名をあげて「麛坂王ではなかったが長谷やんの忍熊王でないかという意見は理論的には大いに的を射ている」と説明があって恥ずかしかった。

 さて、詳細は別にして、5世紀に「倭の五王」と呼ばれる大王がいたことに異論を唱える学者は一人もいない。
 それらの「天皇」の陵墓が主に百舌鳥古市古墳群にあるというのにも異論は少ない。
 その巨大古墳のどれかの被葬者が、第15代応神、16代仁徳、17代履中というのも同様。
 そして真の初代天皇と目されている崇神天皇が第10代だから、応神の時代からしてそれはほんの少し昔と言える。それらが日本書紀に記されている。

 どちらかと言えば「文献史学」は苦手だが、だからと言って「史料のない時代の歴史は語らない」というのもどこか逃げているように思う。
 少し宗旨替えをしようかと思っている。

2025年2月6日木曜日

この本自身がクイズ

    小川哲著『君のクイズ』という本を読んだ。
 
 推理小説なのか青春小説なのかジャンルは知らない。短編小説ではない。
 「息子が置いていったから」読んだだけのことで、途中いろんな本を読んだので読み終えるまでに長い間を要した。
 というように適当に読み進んだのだが、後半面白くなって、けっこうハマった。2023年本屋大賞ノミネート作品だ。
 
 テレビのクイズ番組は嫌いではないがそれほど見ない。
 それでも、自分がクイズをしているような気持になった。
 そして、対戦相手と出題者が不正=ヤラセではないかという推理に引き込まれていった。

 乱読バンザイ!

2025年2月5日水曜日

定額減税

    少し気が早いが住民税を申告する準備をした。
 収入は公的年金のみで、控除される医療費も幸いなことに一昨年以下であったから、国税の確定申告は不要で、住民税のみの申告となるだろうというのを前提に作業をした。

 その後、自分の勉強も兼ねて念のため国税の申告書を作ってみると、なんと還付が生じたではないか。
 放っておいてもよいぐらいのものだが、定額減税の影響でそうなった。これは想定外だった。
 こんなケースもあるから、私のような方々は、頭から「還付などないだろう」と決めつけず、国税庁HPの確定申告書作成フォームで一度計算されることをお勧めする。

2025年2月4日火曜日

3日は立春

    2日の節分の話はいくつか書いたが、その翌日の立春については目新しい話はない。
 写真は立春というよりも「節分の翌日」の風景で、庭にキジバトがやってきたという写真。お察しのとおり、豆まきの後始末をしてくれている。

 駅にいる鳩はドバトといって野鳥にはカウントされていないが、キジバトは野鳥とされている。
 野鳥とは、家禽(家畜の鳥版)やペットでないという概念だから、そういう意味ではドバトも野鳥としてやってもよいように思ったりするが、一旦は伝書鳩として人に飼われたところの、野良犬、野良猫並みの野良鳥とされている。そういう意味では学術的な定義ではなさそうだ。

 ドバトを見てどう思うかは人それぞれだろう。
 オリンピックや原爆慰霊祭などで放たれる鳩を思う人もあれば、糞公害に眉を顰める人もいる。私自身ターミナルで被害にあったことがある。
 なお、古い話で恐縮だが、アグネス・チャンが来日近くに語っていたが「日本の公園や駅前にたくさんいる鳩を見ると、どうしても≪美味しそう≫と思ってしまう」というのには「世界の多様性」をつくづくと感じさせられた。
  

2025年2月3日月曜日

続麛坂王説

    1月27日の『被葬者は麛坂王』のコメントに書いたとおり、1月31日に朝日新聞が奈良版で当該講演をけっこう大きく掲載した。
 そもそもだが、NHK出版新書『新・古代史』(2025年1月10日第1刷)でも「富雄丸山古墳に葬られたのは誰か」という小節が設けられているが、その結論は、奈良市埋蔵文化財センター職員の言葉を引用して「・・この時期の最高権力者である大王の墓のつくられた佐紀古墳群から離れており、なおかつ前方後円墳でないということは、佐紀古墳群の勢力と少し距離を置く人物の可能性がある」という「謎」で終わっている。
 そういう意味でも、小笠原先生の提起した説は画期的と言える。

2025年2月2日日曜日

焼かがし

焼かがし。
わが家の節分行事終了。



節分で一献

今夜使う『ぐい呑み』 
外は鬼。 内側には福の文字。
陶芸作家の作品だが、お名前は失念した。
刻印からブログを遡れば判明するかも?





戌亥の隅にどっさりこ

    2月2日(日)、今年は今日が節分で明日が立春。
 わが家では〽鬼は外、福は内 と豆をまき、最後には〽戌亥の隅にどっさりこ とまいて戸をガラガラビシャンと閉じる。
 これも「告朔の餼羊」だと考え、孫の凜ちゃんにも伝えている。ただ孫の凜ちゃんはそんな説明ができないから、先生の質問に「鬼は外、福は内、戌亥の隅にどっさりこ」と不明瞭な発音で答えて、先生は何のこっちゃ?と思ったことだろう。

 「戌亥の隅にどっさりこ」は古い大阪の習わしだが、絶滅危惧種の習わし。
 それだけに保存のために大いに広めたいとこのブログその他で語ってきたが、暖簾に腕押し、広がりはない。
 それどころか「豆まき」は保育園の行事という感覚で家庭では実施しない人も増えている。

 となると一層頑張りたい質なので、今夜は例年どおり、町内に響き渡る豆まきを夫婦でする。
 もちろん恵方巻も丸かぶりする。
 恵方巻も、わが家(実家)では世間にほとんど広まっていない昭和30年代から実施している。発端は漢籍の中にそれを見つけた大阪の海苔業界と寿司業界が仕掛けたキャンペーンだったが、60年以上経って定着してきた。継続は力である。
 恵方巻は、スーパー等の宣伝と、主婦(主夫)の「堂々と夕飯の手間が省ける」という感覚とが相まって近頃はブームになっている。善かれ悪しかれ情報戦の時代を感じている。

2025年2月1日土曜日

グランクラスの乗客は

    経済アナリストの森永卓郎氏の訃報を聞いたからではないが少しだけ経済の話。
 
 「文珍・小佐田の夜のひだまり」というラジオを聞くともなく聞いていたところ文珍が、「北陸新幹線に乗ったところ新幹線のファーストクラスと呼ばれる特別車両・グランクラスに乗っているのが全部外人」「飛行機でもそうや。日航のファーストクラスはほゞ外人、日本人は格安航空機LCCや」「どういうこっちゃ」「日本の国力の低下をしみじみ感じるわ」と実感を込めて語っていたので聞き耳を立てた。

 私がしみじみと感じたのは「みんなアベノミクスの結果やろ」ということで、その安倍派の面々が裏金を作り、統一協会を助け、先進国中唯一賃金の上がらない貧しい格差社会、日本経済の崩壊を起こしてきたということだった。

 SNSの中で「なぜ日本国民は貧しくなったのか」というのがあったが、あまりに単純に言いすぎると解りやすいがゆえにインパクトに欠けるが、「昔は金もうけをしたところの法人税で国の財源が支えられてきたが、消費税を導入し法人税を減税し、つまり大金持ちが社会的責務として担っていた税金を国民一人一人に「付替え」担わしたから庶民は貧乏になった」という、これは非常に本質を突いた話だろう。

 よく言われる「消費税は福祉のためだ」というインチキと同じだ。
 「消費税を福祉政策に充てるので、今まで福祉に充てていた財源は軍事費その他に充てる」。それでも「消費税は福祉に充てたからいいだろう」。・・・エエカゲンにしなさい。

 八潮町の道路陥没を考えても、庶民にとって大事なインフラ整備を放っておいて何が政治だろう。ニュースでは下水管の老朽化でワースト1は大阪市だと。間違っている。大いに間違っている。
 そういう根本的な姿勢を問わずに、自治体のせいみたいな議論をしてはならないと思う。

2025年1月31日金曜日

岸和田に理性を

    岸和田では、性加害問題で不信任となった市長が逆恨みかどうかは知らないが市議会を解散したため、2月2日投票の市議会議員選挙が行われている。
 兵庫の知事選挙と同じ構図は議会解散だけでなく、SNSの世界で「自分は被害者だ」「共産党の前市議の住所を募る」などというデマと脅迫の手段も似かよっている。
 前市議のフェイスブック繋がりだろうが私のところにもその通知があった。
 それもそのはず、今度の市議選挙には市長の妻や立花党首のN党候補も立候補している。
 今でも「SNSは苦手や」などと言うリベラリストがいるが、トランプや欧州の極右の台頭を見るまでもなく、ほんとうにすぐの隣(岸和田)でもこんなことが起こっている。
 岸和田に理性の声を届けたいと思う。

2025年1月30日木曜日

春節の奈良

    28日のテレビが「春節8連休はじまる」と、中国で混雑している駅を映していた。
 近日中に大阪市内に出かける用事があるので少しうんざりするニュースだ。
 アジア人差別でも何でもないが、大きな荷物を持った観光客で電車が混む。
 インフルエンザなどの感染が拡大しなければよいが。

 春節休暇以前から「世界遺産奈良」や関西のインバウンドは目立っていたが、その上にプラスされるのだ。
 よく言われることだが、インバウンドの観光客は奈良にはお金を落とさないという通説がある。
 大阪か京都に泊まって奈良はそのうちの一日の日中だけしか来ない。なので、拝観料、ランチ代、鹿せんべい代、中谷堂の草餅1個ぐらいだと奈良びとはため息をついている。
 だから夕方になるとザーッと大阪や京都に帰っていく。
 その頃、可哀そうに、駅のトイレはインバウンド組も含めて女性客が通路の外まで並んでいる。
 大阪の漫才で「今日だけ男」というフレーズを思い出すが、もちろん、そんな人は見当たらない。同情する。

 近鉄も旅行の宣伝をするならトイレを拡張しておくべきだ。トイレの近くの土産物売り場はリニューアルしたというのに。

※ 今年は1月29日が旧暦の元日だ。節分や立春と微妙に近いのであれれと思ったりするが、太陽暦(七十二候)の雨水の直前の朔(新月)が元日だからこうなる。アジアでは旧正月を祝う国が圧倒的で日本は例外のようである。感覚的には新暦の正月よりも旧暦の方が季節感に近い。そう「春は近い」。

2025年1月29日水曜日

乱読も楽し

    息子ファミリーが花柚子を採りに来た時、「面白いから置いとくわ」と言ってこの本を置いて帰った。
 100分で名著の番外編のような本で、能楽師安田登氏が開成高校で行った司馬遷の史記に関する特別授業の講義録だった。
 中国の古典は嫌いな方ではなく、若い頃は十八史略をワクワクしながら読んだこともあったが、いつごろからかその種の本から遠ざかっていた。
 それに、常に読書中の本をソファーの横に置いた生活を続けてきているから、読みたい本に限りもないなか、今さら中国古典!という感じで手も伸びず、書店でも目にも留めずに来ていた。
 しかし、父親に対して、もっと徳を積め!ということなのだろうか、息子自身もエエ歳になって感ずるところがあったのだろうか、「面白いから置いとくわ」となったのだろう。

 内容は、史記の中のいくつかの件(くだり)を読んで、著者の見解を現代社会から未来社会に生きる高校生に訴えるもので、単なる歴史物の講談みたいなものでは全くなかった。

 近頃はどんな調べ物でもスマホで簡単に結果がでる?時代であるが、検索せずとも送られてくるニュースや知識?はフィルターバブルと言って選別されたうえで送られてくる。
 さらによく似た情報がコダマしあうエコチェンバーがうまれ、情報の大きな偏在は一種の洗脳状態を生み、兵庫知事問題での犠牲者等はそうした結果(加害によって)生まれたといわれている。
 そういう時代だからこそ、紙媒体が腰を落ち着けて提供する知識は重要になっている。そんなことを実感した読書の時間であった。けっこう面白かった。

2025年1月28日火曜日

奈良の大とんど

    25日の土曜日は若草山の山焼きの日で、日にちを合わせてだろう春日大社の『とんど』の日であった。 
 山焼きは何回か見に行ったことがあるが、それはもちろん夕刻から夜にかけてで、その昼前に奈良公園を歩いたことはなかったので、ふらふらととんどの会場の方に向かってみた。
 写真の左のテントが受付で、正月飾りなどを持参した人がとんどをお願いしていた。
 中央奥が焚き上げのために積まれた諸々で、さすが飛火野、こんなに大掛かりなものかと感心しながら作業中の関係者に尋ねると、持ち込みはまだまだこれからで、また昼前の量としては今年は少ないというので、これはなかなか一度は見てみたいものだと思いながら他用があるので後にした。

 世の中のニュースにも波があり、昔ダイオキシンが話題になっていた頃は、あれも外せこれも外せと確か話題になっていた。

 この手前は公道で、法被を着た職員がたくさん休憩して立ち話の風だったが、それは私の全くの勘違いで、広くない公道に駐停車して正月飾りなどを持ち込むと大渋滞を生じるので、次々にマイカーの窓からそれらを差し出し、そう、ドライブスルー方式で持ってきたものを素早く受け取る作業中だった。

 かつて奈良市内にも長い間住んでいたが、奈良公園でこんな大掛かりなとんどが行われていたことは知らなかった。もっと小規模だと思っていた。
 公園の広場だが、山焼きといい、お水取りといい、国宝や文化財だらけの周辺でこれほど大規模な火の行事が行われる奈良の「常識」にはタジタジする。
 そしてまた、奈良文化の古層には拝火教がデンと据わっているように思われた。

2025年1月27日月曜日

被葬者は麛坂王

    1月22日に「なんでやねん」を書いたが、その「なんでやねん」という番組の感じでいうと私の答は20点ぐらいは貰えそうだが、入学試験なら0点で不合格に違いない。

 1月25日「文化財保存全国協議会」の記念講演「富雄丸山古墳の被葬者を考える」の小笠原好彦先生の答?とは違っていた。
 私の答は忍熊皇子(おしくま王)であった。その考えは2017年12月2日「富雄丸山古墳その4」で開陳したとおりだが少し振り返っておくと・・

 第13代成務天皇は日本書紀では子がなかったということで、日本武尊(やまとたける)の子(甥にあたる)仲哀天皇に皇位が継がれた。この仲哀天皇と大中姫(おおなかつひめ)(成務天皇、日本武尊等と並ぶ兄弟であった彦人大兄・ひこひとのおおえの娘)との間に麛坂皇子(かごさか王)、忍熊皇子(おしくま王)がいた。
 そして仲哀は熊襲の反乱鎮圧のため出陣中の筑紫の香椎で急死し、神功皇后は乳児(後の応神天皇)を連れて大和を目指し。それによって神功(応神)と、「麛坂王、忍熊王」との間で跡目争いの戦となった。
 ただし麛坂王は戦の前の占いである祈狩(うけひがり)中に赤き猪に食い殺されたので、実際の戦は忍熊王が行い(忍熊王の反乱)、神功・応神側に忍熊王は殺された。
 なお、奈良北部の佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群の西方に今も押熊という集落があり、添の縣(朝廷の直轄地の添郡)周辺の勢力は富雄丸山古墳の富雄にも及んでいた。現在も富雄には添御縣坐神社がある。
 よって私の答は仲哀の皇子であり、次期天皇候補であったが、神功・応神側に敗れた忍熊王を忍んで奈良県北部の添周辺の勢力が築造した古墳だというものであった。

 それに対して小笠原先生は、時代が河内の百舌鳥古市古墳群直前というのは同じ。
 その時代に、全国最大の円墳を築造できるのは天皇家一族かそれに近い人物。となると麛坂王、忍熊王が候補となるというのも同じ。
 しかし、忍熊王は後の勝者からいわせると反乱者で敗北者とその勢力であるから古墳の築造は許されない。
 となると、戦以前に死亡していて、かつ仲哀の長男として周囲から有力な次期天皇候補と目されていた麛坂王の古墳だと推定される。
 死亡直後、もしくは生前から、忍熊王やその勢力によってふさわしい前方後円墳を目指して築造を始めていたものが、忍熊王の反乱の後は前方後円は許されず、後円部のみの大円墳となったものだろう。

 また、造出しから出土した「蛇行剣」は儀仗用のもの。「盾形銅鏡」は姿見。妃が追葬されたのだろう。…というもので、神功皇后の実在性、儀仗用の大きな盾と矛、神功側の主力となった大豪族葛城氏等について証明されていったが、ここでは割愛する。

 こうして私の答が、甘ければ30点を遠くに臨む0点というのも理解いただけるだろう。
 最後に、先生はこの論文?の再確認も兼ねて1月4日午後に押熊の集落にある『忍熊(おしくま)王子 麛坂(かごさか)王子 舊蹟(きゅうせき)地』を訪ねられたそうだが、このブログの1月5日の「忍熊王の旧跡」のとおり、その数時間前にわが夫婦もその地を訪れ、既述したように、私は忍熊王の方を富雄丸山古墳の被葬者としてイメージしていたものである。

 ※ 『忍熊(おしくま)王子 麛坂(かごさか)王子 舊蹟(きゅうせき)地』の写真を2枚追記する。


2025年1月26日日曜日

カラー印刷を安く

    B4の安価なカラー印刷をいろいろ検討している。
 以前には「印刷機を実費で使わせてあげるよ」というところがあり助かったが、インク代などの維持費が馬鹿にならんということでそこは今はできなくなっている。
 A4までのカラー印刷は普通に簡単だが、それも水性インク(インクジェット)であるところが難点だし、インク代も無視できない。それにB4可能のプリンターを持っている人は少ない。
 そこでネット上のカラー印刷を検索してみると、大量印刷でないとあまり安くならない。それに結構対応が面倒だ。
 で、とりあえずセブンイレブンのカラーコピーだと@60円で作業は簡単だ。
 そんな中、ダイソーのコピー機はB4片面フルカラーで@30円というのを見つけ、わが家から遠くないダイソー2軒で実際に試してみたが問題なかった。

 大阪市内中心部だともっと安価な店がありそうな気がするが、「そんな店を見つけたぞ」という情報は入ってこない。
 なので今はダイソーが第一候補だが、どなたか安いカラー印刷の店をご存じの方はメールで教えていただけないか?

2025年1月25日土曜日

矛盾はそのままでは「進歩」に進まない

    若い頃「公務労働論(公務員労働組合運動論)」を大議論したことがある。
 日本共産党が「教師は労働者であることはもちろんだが聖職者でもある」「父母らと連帯した労働運動を」と主張したことに対して、当時の日教組主流派(社会党や総評主流派)は「労働者性を弱める」と大非難をしてきた。
 それは日教組だけでなく広く公務労働内にもあった議論でもあった。
 我々の労働組合が「行政研究活動」や「行政民主化」に取り組んでいたときも、他の組合から少し冷たい目で見られていたときもあった。
 その中に、「政府権力の末端で民主化などありえない」「政権の言う通り悪政を執行すればするほど国民と権力との矛盾は深まり政治の民主化を生むことになる」と、私なども面と向かって批判されたこともある。以上が前説である。

 今日のこのブログの話は公務労働論ではなく、「公務員も労働者以外の何物でもない」論に代表される教条主義、図式主義、つまり、「市民は抑圧され貧困が進むほど民主化に立ち上がる」論の軽さについてである。
 ずばり、トランプを熱狂的に生み出した貧しいアメリカの労働者、同種の西欧での右翼の伸長、そして日本での維新やその後のSNS依存層のことである。
 たしかマルクスの労働組合論の中に、「貧しい労働者はスト破りにもなり得る」というような指摘があったように覚えているが、社会の矛盾が深まれば深まるほど、社会進歩に向かう力が強まると同時に、反対に利己主義、反知性主義などのパワーも強まるのだ。
 
 そんなことをブログに書いているだけでは「屁のツッパリ」にもならないが、他のSNSを含めいろんなツールを使って声を上げることが重要になっている。
 私の好きな言葉は、「K・マルクスはジャーナリストでもあった」である。
 悪い意味でも良い意味でも時代は激動の渦を生むだろう。

2025年1月24日金曜日

晴読雨読

    23日は天気が好かったので家でずーっと本を読んでいた。
 途中で一度だけ食パンを買いに出かけ、書店の新書コーナーで背表紙ばかりを読んできた。
 2~3回訪れて、それでも購入しようかなと思った本に目星を付けてきた。
 そうしているうちに忘れてしまった本は購入しなくていい。
 ただ、こうした本で、いざ購入しようと思った時にはなくなっていた本も多い。
 読みたい本の数に比べると、人ひとりの人生は短い。
 そして整理整頓が追いつかない。

2025年1月23日木曜日

花盗人

    狂言では花盗人は風雅ゆえに罪にならないらしいが、足の先まで俗人である私は、ベランダから大きく手をパチンと叩いたりしてヒヨドリぬすっ人を追い払っている。
 と言いながら、それがジョウビタキ、ヤマガラ、メジロなどだと、手のひらを返して風流人に変身して愛でている。ええ加減なものである。



2025年1月22日水曜日

なんでやねん

    ABCテレビ夕方の「newsおかえり」という番組の中に「なんでやねん」というコーナーがあり21日のそれは「奈良の東生駒に謎の石碑があるのなんでやねん」であった。
 私には解答は思いつかなかったが、答えは、この地が「世界初の双方向テレビ放送サービス Hi-OVIS発祥の地」というものだった。
 近鉄東生駒駅の駅舎の一角にスタジオがあったような気がするが、そこから近鉄奈良線の一部がそのエリアに徐々に拡大されていった。
 そして何時ごろからかわが家もそれに参加していた。
 それがkinet-tvで、昨年まで(正確にはこの1月末まで)私のインターネットのアドレスは@kinet-tv.ne.jpであった。
 この放送を見て、「実はそんなにすごいことだったのか」と思ったぐらいで、働き盛りで忙しかったわが家では、双方向でクイズに参加していたことぐらいしか思い出はない。
 そしてkinet-tvもその内に終了して相当経過し、ついに@kinet-tv.ne.jp(ドメイン)も本年中に終了するというのでアドレスを変更したが、そんな歴史遺産みたいなものなら残しておいてほしかった。
 今は2つのアドレス(ドメイン)を持っているが、あと10日ほどで@kinet-tv.ne.jpは消滅する。この番組を見て、少々の消失感がある。

2025年1月21日火曜日

家内労働の日々

 多くの家事雑事の合間に家内労働(内職)。
 コツコツと重ねていけばそのうちに仕上がることだろう。
 裁断、パンチ、リボン取り付け・・先は長い。
 しかし、印刷が完了しただけでもホッ。
 屋外は3月下旬とか。

2025年1月20日月曜日

とんど

    とんど用に保管していた正月飾りなどを焚き上げた。
 「何事が起ったのか」というような感じでジョウビタキ、、メジロ、シジュウカラなどがやってくるのが可笑しい。野鳥はけっこう煙が好きである。
 水浴び、砂浴びならぬ煙浴びをしてダニをとるのだということだが、よくは知らない。

 橙(だいだい)は輪切りにして小鳥用に枝に吊るした。
 小鳥たちの正月は続いている。

 ・・・というように穏やかな風景を描いているが、ヒヨドリは綺麗に開花した蝋梅の花を啄ばんで捨ててしまうので、花に嵐ではないが、良い事ばかりが続くものでもない。

2025年1月19日日曜日

しおりを作る

    本に挟む栞(しおり)の制作をあれやこれやと考えている。
 会報の第100号発行記念の記念品である。
 普通のコピー用紙ではあまりにもチャチである。もちろん両面印刷は叶わない。
 ならばと写真用紙は高価である。
 そんなことを考えながらぶらぶらと散歩を重ね、思いもよらなかったが百均で画用紙A4×12枚というのを見つけた。安価なのでとりあえず4セット、A4×48枚近くを購入した。1枚で10個作れるとすると400個以上は十分製作可能にした。
 1穴パンチも百均にあった。リボンもあった。
 あとはデザインの確定が済めば制作にかかれる。
 写真は般若寺の重要文化財『十三重石宝塔』で美しいが、デザインとしては除外した。
  そろそろ第4コーナーへ突っ込みますか。

2025年1月18日土曜日

行基の供養塔

    先日、公立鳥取環境大学浅川滋男先生退任記念講演第3弾が堺市の土塔町公民館であったので出かけてきた。主題は『行基の建築考古学』で、奈良市疋田町(菅原町に隣接)で発掘された『菅原遺跡「円堂」の復元』だった。

 この疋田町にはけっこう有名な眼科病院があり、そこへ行くのに最初道に迷って新しい住宅街になっている丘のてっぺんに行ったことがあるが、後で考えるとそこが遺跡のあった場所である。
 行基が没した喜光寺(菅原寺)の西に当たる丘の上になる。反対に東を眺めると平城京の朱雀門、さらに終いには大僧正にまでなって大仏造立をなした東大寺。
 また、さらに振り返って西をもう一度眺めると、行基が火葬され埋葬された竹林寺を望むことができる。
 そんなことから『行基年譜』にいう「行基の供養堂」『長岡院』だろうと考えられる。行基の霊屋(たまや)、廟として菅原寺からよく見える丘陵上に建てられていた。
 そのような重要な遺跡であったので、文化財保存全国協議会や県や市の共産党の議員などが保存運動を行ったが、残念ながら住宅開発業者に忖度?した県や市は保存しなかった。

 さて遺跡は、円堂を四角い回廊が囲んでいるもので、空海の平安密教の多宝塔のようでもあるが、行基の奈良時代では全く類例のないものだ。
 発掘を担当した元興寺文化財研究所は、宝塔、多宝塔として復元イメージを発表したが、浅川先生は、奈良時代に宝塔はあり得ないと建築考古学の立場から強く批判された。ここが
本講演の中心テーマである。
 そして、行基が造った十三重の土塔の地でこれが開催された意味でもある。

 インドからアジアの『塔』とその宗教観と年代なども詳細に検討され、結論的には、聖徳太子の供養堂である夢殿、藤原武智麻呂の供養堂である栄山寺八角堂、藤原不比等の供養堂である興福寺北円堂のような、行基の供養堂であろうとして浅川先生は復元されている。
 論文は冊子になっているものでこんなに簡単なものではないが、私は講演に大いに満足して帰ってきた。
 結論では、小笠原好彦著『奈良時代の大造営と遷都』と違いはない。

 おまけの話をすると、行基が誕生した地にある堺の家原寺(家原の文珠さん)は小学校の低学年で歩いて遠足に行った私たち堺の子どもたちにとっては馴染みのお寺。
 行基の墓のある生駒の竹林寺周辺は妻の親戚が多く、廃仏毀釈で荒れ果てていた竹林寺を平成9年までにコツコツと再建させたのも妻の親戚の叔父さん。
 そして浅川先生と私は子ども同士が親友でいうなれば「パパとも」みたいなもの。

 さて行基は続日本紀では「小僧行基」と糾弾されていたが後には大僧正となっている。それを「行基は日和った」とみる見方もあるが、そうではなく、行基と行基集団の知識と実行力を認めた(頼った)聖武天皇と、すでに74歳の行基亡き後も、行基が造った橋、寺院、道場などが接収もしくは破壊されるのを危惧した行基の「合意」によるものだろう。
 行基集団の知識と行動力は抜群で、その背景に私は「墨子」を感じているが、浅学のためそれ以上の理解は進んでいない。

2025年1月17日金曜日

今日は1.17

    1.17から30年。3.11から14年。昨年は元日に能登半島地震があり息子のファミリーは金沢で遭遇した。この列島で地震は避けられない。
 もう少し遡ると関東大震災から102年。東南海地震を考える安政東南海大地震から171年。この東南海地震の発生周期は100年から150年であるから、明日発生してもおかしくない。

 先人たちの偉いのはこのように「大地震・津波は避けられない」との認識で、四天王寺にはそのことを石に刻んだ『安政地震津波碑』が中之門を入った無縁仏の頂上にある。
 それに比べて変に技術が向上したせいか現代人は危機意識が薄くはないだろうか。心理学でいう正常性バイアスもある。

 安政東南海地震では『稲村の火』の伝承もあるが、四天王寺の石碑はもっと注目されてもよい。昨年四天王寺界隈街歩きをした際この石碑のことを少し話したが、正直皆の反応は低かった。
 今年は1.17の30年ということでテレビなども少し力が入っているようだが、30年と31年に変わりがないように、アニバーサリーで終わらせてはいけない。読者のみなさんの1.17をコメントなどでいただければ幸いだ。

 最後に、避難所などの各種設備も進歩がない。西欧先進国の避難所のテレビニュースを見て彼我の差をつくづく思う。
 日本人はアホなのか、日本国はそれほど貧乏なのか。そうではなく、予算の哲学、政治の基本姿勢の問題だと思われる。
 中学校の社会で習ったが、戦争の裏では死の商人が宴会を催している。
 やれミサイルだ、台湾有事だといって、軍事費という名でアメリカの中古兵器をつけ払いで底なしに購入している。
 そこを見ないで103万円の壁を語るから地方財政との天秤みたいな話で終わる。国民や維新の議論に全く欠落しているのはここだ。
 1.17を語るとき忘れてはならない観点だと思う。

2025年1月16日木曜日

1.17から30年

    昨年日本被団協がノーベル平和賞を受賞したが、その意味は『体験を草の根で語り続けてきたこと』が評価されてのことだと思う。
 ならば「体験しなかった人は語れないのか」とするとそんなことはなく、人は共感し理性で理解できる。紆余曲折はあろうが、社会はそうして進歩する。その出発は体験したこと、それを聞いたことなどを語ることだろう。

 私は1995年(平成7年)1月17日は奈良市に住んでいたから、阪神間や北大阪に比べると揺れも弱かったが、関西の私鉄では近鉄だけが「運行しながら点検する」とかで動いていたので、京都線から西大寺を越えて一旦大阪から反対の奈良駅に出て、その後、走ったり止まったりする電車で大阪市中央区まで出勤した。
 そこは古いビルの9階であったから窓は割れ、机や書類ロッカーは転倒したり大きく移動していた。ひどいものだった。

 それらの「大掃除」のような片付けをしているうちに出先から「ガス、電気、水道の業者がボランティア?の要請?で出発するが、労働者が被災した場合どうなる?」という問い合わせが殺到し始めた。
 話は全て要領を得ないもので、誰の要請で、どういう指揮系統で動くのかも解らないが、現実の事態は動いていた。
 兵庫にはもちろん連絡が取れず、東京(行政電話)ともなかなか繋がらなかった。
 我われの広い仕事では、私の業務が一番最初の判断を要する部署だったから「待ったなし」だった。

 なので責任者3人ほどで決断し、「兵庫に提出できない届は大阪で仮受付をする」「指揮命令下での災害は補償される」「発注者、請負金額等不明な点はその旨記載し判明後補充して届ければよい」と徹底した。
 100年に一度あるかないかの判断を数時間で決断したわけである。
 これがスタートで、後はいろいろ公示をしたり官報掲載をしたり、この3月末までは忙しすぎて記憶も定かでない状態だった。

 それ故に、後輩たちがこういう事態に困らないよう、一件書類はそのままファイリングして残してきたが、その後「文書保存年限の過ぎた文書は遅滞なく廃棄せよ」となったから、もう残っていないかもしれない。
 「そんな徒弟制度みたいな記憶の継承は必要ない」という意見もあるかもしれないが、どうだろう。

 写真は堀川戎の『福興戎』。1.17で倒壊した鳥居の柱(石材)を彫って作成されたもの。
 今年の十日戎にお参りできたのも何かの縁かも。

2025年1月15日水曜日

土塔

 どおとです市民は言えりどとう町

    ラジオを聴いていたら、パーソナリティーがリスナーの住所を「青森県みと郡」と言うので「どのあたりかなあ」「聞いたことがないなあ」と思ったが、すぐに「三戸(さんのへ)郡」と訂正が入って笑った。
 実際に住所や人名はややこしい。
 頭書の川柳?の堺市中区土塔町も、堺市民はズーっと「どおと」であり、南海バスの停留所のアナウンスも「どおと」だったが、727年(神亀4年)に行基が建立開始した土塔が国の史跡であるため、各地から訪れた人々が実際に迷うことも多かったというので、ついに南海バスも「どとう」と発音するようになった地名である。

 その土塔は、そこにある大野寺の十三重塔で、一辺53.1m(天平尺180尺)の瓦積基壇の上に粘土塊等で十二重に盛土をし、屋根瓦61,432枚、立瓦6,440枚で全体を葺き、十三重には小規模木造建築の塔?が建てられていたであろうもので、現在、十二重の半分が復元されている。

 少し似たものとしては、東大寺大仏殿の南方1キロ奈良市高畑町にある頭塔(ずとう)がある。

 写真の土塔になぜ私が行ってきたのかは後日記す。


2025年1月14日火曜日

新春散歩

    日曜日の朝は雪が舞っていたので家の中ですくんでいたが「これではイカン」と散歩に出た。
 
 正月明けの日曜日のせいか街中静まり返っていて「みなさん休暇疲れか正月ボケか」と想像したが、ショッピングモールのフードコートとスタバには人があふれかえっていた。私の行動パターンがズレていただけ。

 ショッピングモールのスピーカーからは恵方巻の予約が繰り返され、今年も新年早々から先へ先へと訳もなく急がされていくのだろうか。

 この1~2月には写真用紙で印刷する「工作」を予定しているので値段の下見をしたが、A4×20枚で1,800円ほどだった。予想外に高いと若干後悔して帰ってからアマゾンを調べると、A4の両面印刷×100枚で1,680円が見つかった。
 アマゾンの独走は好きではないが、予算不足の「会」のことを考えると安く買いたいので心は乱れる。

2025年1月13日月曜日

これもインバウンド?

    少し前に大阪市内に出る用があったので(というのも少し不謹慎かもしれないが)一心寺に参ってきた。
 この寒波ならお年寄りは外出を控えるので空いているだろうと考えてのことでもある。
 狙いどおり、いつも待たされる受付堂はスイスイと進んでわが推理の的確さにほくそ笑んだが、本堂に入るとそこは満杯に近く、しょせん凡人の狙いなどこのように大甘でることを教えられた。
 それに、季節でいうと統計的にも冬季の死亡者数が多いようだから、祥月命日がこの混雑を生んでいるのかも。

 満杯のため1時間ほど経過して、トイレに行きたい頃に順番が廻って来たのにはマイッタが、これもヨミの悪さと不謹慎な動機のせいだろう。
 少し驚いたのは境内の外国人観光客と思しき人々の多さだった。きっと、その種のガイドブックに載っているのだろう。
 ただ考えてみると、四天王寺のような観光寺院(失礼)よりも、生きている?仏教が遠望できるといえるかもしれないから、これもアリかなと少し納得した。
 さすがに本堂には上がっては来ていないが、外国人向けに法要の観覧席があっても私は良いと思った。こんなのおかしいですか?

2025年1月12日日曜日

堀川戎余聞

    「冬至十日もすりゃアホでもわかる」は生前の義母の口癖みたいな言葉だったが「日の入り」に関してはいつも「ホンマや」と感心している。それはさておき・・・

    11日に書いた「堀川戎」の最寄り駅は『南森町』で、すぐ近くには天神橋筋商店街があるから一杯呑めるような店はいくらでも知っているが、ちょっと洒落たランチの店というとすぐには思い浮かばなかった。
 そしたら妻が娘に「ええ店を教えて」とLINEをし、折り返して「西天満の方に向かうと法律事務所街となり洒落た店もある」と、その中のとある店を教えてくれた。
 目立たない入口を地下に降りていく店で、娘の助言がなければ絶対に入ることのないような店だった。だが正解だった。

 昔なら、この種の相談は家族から私が受け、妻や娘にもキタならここ、ミナミならここはどう!と要望に応じて紹介するのが当然の流れであったが、それが今では全く反対になっているのが可笑しいものだった。
 老いては子に従え!の格言は名言だ。
 これからは、ネットやなんかで調べるよりも、子どもたちを頼るのが早道だろう。
 こうして立派な正真正銘の高貴高麗者になりつつある。

 福笹を持って入店すると、福の神が入ってきたように喜ばれた。めでたしめでたし。

2025年1月11日土曜日

今年も えべっさん

    十日戎なので今年は夫婦で堀川戎に詣でてきた。
 今宮戎に比べると境内の面積が格段に狭いので、詣でるまでに時間がかかったが、夜にはものすごく大渋滞することだろう。
 それでも「えべっさんは耳が遠い」と言われるから一番前まで徐々に進み、大きな声で「えべっさん!家内安全だけでええから頼んまっせ」とお賽銭を入れて、詣でた後は混雑から逃げるように外へ出た。
 福笹につける吉兆はここでは「小宝」と呼ばれ、江戸時代中期の唄に「十日戎の うりもの(売り物)は はぜぶくろ(袋)に とりばち(取鉢) 銭かます 小判に かね(金)箱 たてゑぼし(立烏帽子) ゆでばす(蓮) さいづち(才槌) たばねのし(束熨斗)  ささ(笹)をかたげて ちどりあし(千鳥足)」と歌われたものを集めたものである。
 その福笹だが、昔の福娘?は「大きい笹を・・」と差し出したが、「商売繁盛はエエから小さい笹にして」と言って授かってきた。
 写真は、関西演芸協会(会長桂福団治)の芸能人によるしころ(錣)。
 「しころ(錣)」とは、上方芝居芸能で正月興行の芝居終演の際、木戸口で太鼓と双盤を用いて囃したもので、男女が「ひょっとこ」「おたふく」の面を被って、「大入り」の字の形になるように踊っていたもの。上方芸能の保存を目的に毎年奉納されているという。この踊りの仕草が「大入り」の形なので、参拝者に「えべっさんの福」が懐に大きく入るとも言われている。
 笛、三味線、太鼓などの実際の演奏で演じられているもので、さすがキタの堀川戎という情緒が感じられた。

2025年1月10日金曜日

刀伊の入寇

    鎌倉期の蒙古襲来(元寇)以前、都は藤原道長の時代にこんな事件があったことはまったく知らなかった。東夷の来襲→刀伊の入寇。

 12月13日に渤海を書いたが、渤海は7世紀末に高句麗の遺民大祚栄がツングース系の靺鞨を統合した国だった。
 その渤海は10世紀初頭に南下してきた契丹族の遼に滅ぼされた。
 その契丹(遼)の支配下にあった女真(女直とも)は後に12世紀には契丹に代わって金を打ち立てるが、契丹支配下で特に朝鮮半島東北沿岸にいた東女真こそ日本が驚いた東夷(刀伊)であった。
 朝鮮半島では新羅を破って高麗が樹立されていた。
 ・・・ここまで記述するのに時間を要した。というほど私は無知だった。
 そんなもので中公新書『刀伊の入寇』、12月の初旬には読み始めていたのだが、年をまたいでようやく読み終えた。

 そこで感想をひとつだけ言うと、確かに王朝の兵(つわもの)たちもよく戦ったが、対馬、壱岐、博多湾周辺で略奪、殺害、捕虜生け捕りがされたにもかかわらず、時とともにそれは「刀伊を討ち従えた」という記憶に変わったということに驚く。

 寄り道だが、元寇のことについて東大寺の長老に教えてもらった話に、北ベトナム大越国の大勝利の話がある。日本に対して3度目の大侵略を計画していた元はその前にベトナムへ大戦争を繰り返したが、ベトナム側の「バクダン川の奇計」によって、艦船100隻沈没、400隻捕獲、兵は多数死亡、将軍、士官多数捕虜という決定的な大敗北を喫した。だから3度目の元寇がなかったのは鎌倉武士や神風に恐れたのではなく、ベトナムでの大敗北によって元が南や東への海戦をやめたからであるという話だった。

 つまり、元寇を神風とした後の歴史認識のようなものは「刀伊の入寇」からあったということ、もっと遡って新羅との戦争やいわゆる「神功皇后三韓征伐」も同じで、良い意味でも悪い意味でも島国ニッポンの外交その他の「観念論」の根は深いと思い知った。

2025年1月9日木曜日

インフォデミック

    インフォデミックとは情報(インフォメーション)と感染症大流行(パンデミック)を合わせた造語である。
 やたら横文字を使いたがる風潮には苦虫を噛みつぶしていたがこれは解り易いと少し認めている。
 と言っても1月4日付け赤旗の記事で初めて知ったもの。本年の初勉強は「赤旗」の「経済キーワード」だった。

 ついでにインフォデミックに関連する大切な横文字を拾ってみると・・・
 アルゴリズム・・・アルゴリズムとは、一般に、問題を解決するための手順やルールのこと。
 SNSでは、「いいね」や「リプライ」などのユーザー行動データに基づいて、どのようにコンテンツを配信するか決定するルールのことを指すらしい。
 一度ある情報を閲覧すると同じ傾向の情報が次々と出てくる。あるいは、そういう情報を検索している人を狙ってCMを流すことも可能だ。これは日々のスマホで実感している。

 フィルターバブル・・・同じ傾向の情報を次々とみていると、「フィルターバブル」といわれる空間に包まれ、それをみている人があたかも多数であるかの感覚に陥るといわれている。自分の見解と異なるような情報は流れてこない。ここが問題だ。

 エコチェンバー・・・よく似た現象にエコチェンバーがある。
 自分と似た意見や思想を持った人々の集まる空間(電子掲示板やSNSなど)内でコミュニケーションが繰り返され、自分の意見や思想が肯定されることによって、それらが世の中一般においても正しく、間違いないものであると信じ込んでしまう現象のことをいう。
 トランプ信者もこういう風にできたといわれている。
 遠い外国のことではない。現に東京や兵庫の知事選挙でもこの現象が現実世界に影響を与えている。
 「必要な情報はスマホで見るから新聞はいらない」ということの恐ろしさ。


 それだけに、いろいろな情報が「一覧」できる紙の新聞の重要性はネット時代だからこそ求められる。
 紙の媒体=紙の新聞のもつ一番の強みは、ニュースの「一覧性」にある。つまり、自分の知らないことでも、あるいは興味のないことでも、何がその日のニュースかをひと目でみることができるということだ。
 紙の新聞では、主要なニュースは1面で掲載するほか、政治面、経済面、国際面、社会面、スポーツ面といったニュース面で、その日の主なニュースがひと目でわかるようになっている。あるいは企画面では、最近の話題、情報などがその新聞なりの視点でとりあげられている。
 このことは、ネットで情報を検索する場合と大いに違う点だ。
 もちろん、紙媒体にもいろいろあるのでそこを見極める力,判断力が必要なことはいうまでもない。まさに「知は力」だ。

 なお、以上で述べたようなSNSの負の部分をSNS利用者に「知」として理解してもらうためには、そういう発信を彼らの読まない「オールドメディア」で語っているだけでは不十分で、アウェイ感があってもSNSの舞台に登らなければならないだろう。

2025年1月8日水曜日

何が立憲主義か

    正月に、石破首相をはじめ、立民の野田代表、維新の前原共同代表、国民の古川代表代行らはそれぞれ伊勢神宮を参拝した。
 個人が氏神様に初もうでに行ったという話ではないこのことを、赤旗以外の主要メディアはスルーした。

 戦前、アジア各国の人を殺し、ものを奪い、女性を凌辱した侵略戦争を精神的に支えたのは国家神道であったし、その頂点に置かれていたのが神宮(伊勢神宮)だった。
 戦後、日本国憲法は政教分離原則を打ち立て、表向きは他の神社と同レベルの一神社とされたが、戦前の政治や戦争を美化し、憲法改悪の先頭に立つ右翼団体・日本会議の顧問や代表委員に宮司が就任している。

 石破氏は報道されているところではキリスト教徒であるらしいから、明らかに信仰上の行動ではなかったことは明らかである。
 つまり、彼らの行動が、個人の信仰や民俗的な正月行事ではなく政治的な行動であることは明らかである。
 個人が個人としてどこの神社に参ろうが問題はないが、いやしくも憲法順守義務のある公人が、政教分離の原則を踏み外すことは見過ごせない。
 これらを、クリスマスを祝い、除夜の鐘を突き、初もうでに行く文化だと捉えるのは感度が悪すぎる。

 さて、よく「伝統だ」「昔から」と言われる話には気をつける必要がある。伊勢神宮・内宮の天照大神も例外ではない。
 以前に西宮神社に参ったとき神職が「東に蛭子(えびす)大神、中央に天照大神が祭られていますが昔は蛭子大神が中央でした。いつの間にか東に移ったのです」と説明した。帰宅してから昭和初期の本を当たってみると「天照大神」の名はなかった。推測すると紀元2600年(昭和15年)頃の皇国史観・国家神道絶頂期、つまり、つい先ごろ天照大神が中央に据えられたようだ。

 江戸後期に御師というツーリスト会社?方式が功を奏してお伊勢参りが流行した事実はあるが、明治以降の国家神道とゆめゆめ混同してはならない。
 日本書紀崇神天皇記の物語は別にして、宮中三殿が初めて設けられたのも近代1889年(明治22年)のことである。
 
 片岡伸行著『神々のルーツ』によると、そもそも正式名は「神宮」であるが、歴史上初めて「神宮」なる祭祀施設を表したのは新羅であった。江戸時代の地図には近くに「韓神山」があるが現在の地図にはその名が消されているとある。

 外宮のことなどもあるが話が長くなるので今日はここまで。

2025年1月7日火曜日

金色の落ち葉

金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いてふ)ちるなり岡の夕日に 晶子

    今年のわが家の蝋梅の開花はだいぶ遅れた。
 例年だと近所の蝋梅に先駆けて12月(臘月)にはけっこう咲いていたのに・・・
 きっと、夏日のような残暑が続いていたせいだろう。
 桜などは気温を積算していって開花すると聞くから、積算した気温が低くなるのが遅かったのか、それとも、開花準備のスイッチの入る低温の訪れが遅かったのだろう。
 写真は5日に撮影したものだが、ユズリハではないが開花とバトンタッチするように葉が散っていく。音もなく散っていく。
 落ち葉は茶色くはならず黄色いままなのがいい。そういえば銀杏もそうだと連想し、冒頭の与謝野晶子の歌を思い出した。
 蝋梅の花は蝋細工のような艶がある。その上に、爽やかな香りがする。
 受粉を助ける虫たちも来ない寒空に、誰に向けてなにゆえにこの芳香を放っているのだろう。

2025年1月6日月曜日

歳月 人を待たず

    お正月だからパーッといこう!と言いながら、お正月だからこそ「歳月人を待たず」などというちょっぴり深刻な詩が思い出される。
 写真の巳さんは奈良一刀彫のもので「なら工藝館」の公開講座の際私が絵付けしたものだ。…ということは、それは12年前のことになる。

 感覚的には数年前の出来事のようにしか感じないが、実際にはアッという間に12年経ったという”年月”をこの一刀彫を見ながら恐怖感をもって噛みしめている。
 つまり、この先の12年も、これに倍する速度で過ぎ去っていくことだろうし、そもそもこれからは次の干支に自分がいるかどうかもわからない。

 さて、蛇がなぜ干支の巳となったかについてはよく知らない(古代中国の星座の名前との説もあるようだ)が、中国の古くからの民間信仰であり当時の先進科学であった道教や陰陽五行説は、どちらかというと黄河ではなく長江、つまりは南の稲作地帯で発展したため、稲作や水辺の蛇は身近であったのではなかろうか。
 そこで脱皮を見た古人が再生、長寿のシンボルと見たのではないだろうか。

 蛇というと「こころ旅」の火野正平さんが動物が好きで、自転車走行中見つけた蛇を捕まえようとしたりして、怖がるスタッフが逃げ回るということもあったという思い出も2024年の思い出に貼り付けておこうと思う。

2025年1月5日日曜日

忍熊王の旧跡

    正月に、静かな集落、奈良市押熊の里にある八幡さんに初もうでに行ってきた。天満宮や稲荷社ほかにもいろいろの神社がまとまっているので、効率のよい?初もうでであった。
 
 ここのすぐ裏手には、『忍熊(おしくま)王子 麛坂(かごさか)王子 舊蹟(きゅうせき)地』があり、そのことは以前の(下記の)ブログで「墓」と書いたが、墓ではなく文字どおり「旧跡」であった。
 https://yamashirokihachi.blogspot.com/2017/12/blog-post.html

 で、その際のブログ記事では『富雄丸山古墳』は忍熊王の墓=古墳ではないかと想像したが、その想像はさらに膨らんでいった。
 富雄丸山古墳については今月後半に文化財保存全国協議会の講座が予定されていて、今からワクワクしている。

 旧跡の話に戻ると、鳥居の前に立派な門松が設えられていた。いわゆる神社でもないのに村の宮座のような人々によってこの旧跡が大事に守られてきたのだろうと想像された。
 すぐ近くにはニュータウンや大型商業施設が迫っているのに、この一角だけは嘘のように農村風景が残っている。
 下記のアドレスで以前に書いた歓喜天の常光寺もほんとうに静寂を保ってその中にあった。長閑な正月散歩であった。
 https://yamashirokihachi.blogspot.com/2019/06/blog-post_7.html?m=0

万博チケットの恐怖

公取法は企業が守らなければならないルールを定めている。
労基法は雇用関係上の使用者のルールを定めている。
社会的ルールを守ってこその社会的存在であるはずだ。
しかし今、大阪のサラリーマンは万博チケット購入の強制が始まるだろうと心配している。

 1221日のYAHOOニュース(日刊ゲンダイDIGITAL)は、「大阪万博チケットさっぱり売れず」とのタイトルで、目標1400万枚のうち経済界に割り当てた700万枚を超えた途端、売り上げペースが急失速。販売不振は赤字に直結する。埋め合わせに税金が投入される可能性も否めない・・と報じていたが、大阪のサラリーマンは今、「売れた」とされている700万枚について、企業ぐるみ選挙のようなルールを外れた圧力によってチケット購入が強制されるだろうとおびえている。

つまり大手の会社に割り当てられ販売されたという700万枚は、これから子会社、系列会社、取引等で嫌と言えない取引先に購入を「強制」され、それは玉突きのように社員に「強制」されるだろうと心配している。もちろんそれらはルール違反である。厳密にいえば違法である。

逆説的な話だが、子どもたちは学校から強制的に行くことになるから「一度ぐらいは子どもに見せてやろう」という必要もない。義務教育ぐらいの子どものいない大人にはわざわざ行く気も出てこない。
カジノ万博のことやガス爆発の危険を横に置いても高額のチケット購入を強制するのは理不尽だ。

大手企業は、本来の商取引でない万博チケットの「購入圧力」をかけるな! 企業は労働者に万博チケットの購入を強制するな! そういう当たり前の声が広がることを望む。

2025年1月4日土曜日

初焚火

    息子ファミリー、娘ファミリーと、3ファミリー合同新年宴会を行った。
 今年のメーンの料理は馬刺しで、山のようなそれをみんなで平らげた。
 行事?としては、孫の凜ちゃんの希望で初釜ならぬ初焚火を行った。
 近頃は焚火は物語か歌の世界のものになっているから、道行く子どもたちが「焚火や」と声を上げて通って行った。
 薪は庭の木の剪定したものだが量は十分だった。そんなもので最後には焼き芋を作ったが完璧な出来栄えだった。
 みんなだんだん焚火名人に近づきつつある。

 さて、これまでも書いてきたが、お雑煮は私の中の大阪文化と妻の中の大和の文化を融合して、白みそ雑煮の横にきな粉を用意してお餅はきな粉をまぶして食べるのをわがファミリーの基本としている。

 今年もつつがなく正月行事を催行できた。
 友人のKさんから元日に、「何となく今年は良い事あるごとし 元日の朝晴れて風なし 啄木」とのLINEがあった。異議はない。

2025年1月3日金曜日

弦楽八重奏

    年末年始のテレビはほとんど見ていないが、元日の『芸能人格付けチェック』は録画しておいたのを観た。
 例年その中に『演奏』の問題があり、今年のそれは弦楽八重奏の聞き比べであった。片や79億5千万円の名器による演奏で、片や500万円の楽器の演奏、しかも不正解の2つのチェロには弦が各1本ずつ抜かれていた。

 自慢ではないがこの種の問題はここ数年私は「正解」していて、今年も「79億5千万円の名器による演奏はAだ」と正解した。ちなみに妻は「わからん」だった。

 私のここ数年の判断の基準は明快で、「綺麗にまとまったハーモニーはバツ」「まとまらず時々キーキーと雑音めいて聞こえるのが名器」という経験知による。早い話が「名演奏に聞こえなかった方が名器による名演奏」とひっくり返して当てている。
 つまりは毎年、クイズには勝っているが耳の奥で聞き分けた音楽(演奏)はいつも負けている。一言で言えば音痴ということになるのだろう。

 それが今年も「当たった」と喜んでいるのだから、嬉しいやら悲しいやら。何事によらず、今年もこんな勘違いを引きずって歩んでいくしかない。

2025年1月2日木曜日

会者定離

    「会者定離(えしゃじょうり)」は、少し前の朝日新聞の漢字パズルで私が手こずった答えだが、仏教の無常観であるというか、紛うことなきこの世の真理である。
 「正月早々に会者定離ですか?」と言われそうだが、年末ぎりぎりに思いがけない訃報があったので少し許していただきたい。
 そんなもので、漢詩(勧酒)の一節に「人生足別離」があり、井伏鱒二の訳が「サヨナラダケガ人生ダ」というのが有名で頭の底に残っていたのを思い出した。

 お正月なので少し横道にそれて、よく似たフレーズに、〽逢うが別れのはじめとは~というのがあった(別れの磯千鳥)。
 昭和27年~の歌で、当時のラジオでよく流れていたから、小学生の坊主でも覚えてしまっていた。これこそ懐メロ?
 
 近頃の紅白を席巻したかのような超高速早口言葉みたいな歌も、そのうちに懐メロになるのだろうか?



2025年1月1日水曜日

元日

去年今年(こぞことし)特番という作り置き
元日やいつも通りの尉鶲(じょうびたき)

あけましておめでとうございます
 皆様にとって好い一年でありますように!

 さて、新年だからといって特段心躍るわけでもない歳だが、だからこそあれこれ行事の設えを自分に課して反省なり目標なりを考えようと努めている。
 そういう「強制」がないと、そのままズルズルと怠惰に流されそうな気がする。

 今年の課題は「明るい話題」としたい。
 たしかに世界中を見ても国内を見ても暗い話、心配事は数知れないが、よく見ればその中にも人間のまんざらでもない善さ、きらりと光る未来の展望があるはずで、今年はそれらを拾い集めて、いいね!いいね!を反芻していきたい。

 老驥(ろうき)(れき)に伏すとも志(こころざし)千里に在り という故事ことわざがある。魏の曹操の言葉で「名馬は老いの身を厩に横たえながらも千里を駆け巡る志を捨てない」との意だという。
 お正月だからとちょっと大きく出すぎたかな。
 まあ、この一年、あれもできない、それも無理というような言い訳に逃げたくない。