ならば「体験しなかった人は語れないのか」とするとそんなことはなく、人は共感し理性で理解できる。紆余曲折はあろうが、社会はそうして進歩する。その出発は体験したこと、それを聞いたことなどを語ることだろう。
私は1995年(平成7年)1月17日は奈良市に住んでいたから、阪神間や北大阪に比べると揺れも弱かったが、関西の私鉄では近鉄だけが「運行しながら点検する」とかで動いていたので、京都線から西大寺を越えて一旦大阪から反対の奈良駅に出て、その後、走ったり止まったりする電車で大阪市中央区まで出勤した。
そこは古いビルの9階であったから窓は割れ、机や書類ロッカーは転倒したり大きく移動していた。ひどいものだった。
それらの「大掃除」のような片付けをしているうちに出先から「ガス、電気、水道の業者がボランティア?の要請?で出発するが、労働者が被災した場合どうなる?」という問い合わせが殺到し始めた。
話は全て要領を得ないもので、誰の要請で、どういう指揮系統で動くのかも解らないが、現実の事態は動いていた。
兵庫にはもちろん連絡が取れず、東京(行政電話)ともなかなか繋がらなかった。
我われの広い仕事では、私の業務が一番最初の判断を要する部署だったから「待ったなし」だった。
なので責任者3人ほどで決断し、「兵庫に提出できない届は大阪で仮受付をする」「指揮命令下での災害は補償される」「発注者、請負金額等不明な点はその旨記載し判明後補充して届ければよい」と徹底した。
100年に一度あるかないかの判断を数時間で決断したわけである。
これがスタートで、後はいろいろ公示をしたり官報掲載をしたり、この3月末までは忙しすぎて記憶も定かでない状態だった。
それ故に、後輩たちがこういう事態に困らないよう、一件書類はそのままファイリングして残してきたが、その後「文書保存年限の過ぎた文書は遅滞なく廃棄せよ」となったから、もう残っていないかもしれない。
「そんな徒弟制度みたいな記憶の継承は必要ない」という意見もあるかもしれないが、どうだろう。
写真は堀川戎の『福興戎』。1.17で倒壊した鳥居の柱(石材)を彫って作成されたもの。
今年の十日戎にお参りできたのも何かの縁かも。
BS7:30からの朝ドラは3.11のシーンで「7:38東北で地震」とのテロップが・・・。一瞬これはドラマか現実かと迷ったが、現実のテロップだった。
返信削除ほんとうに地震はいつ起こるかわからないものだ。