「考古学などで一つひとつ検証するのが学問だろう」というのが小笠原先生のスタンス。
先日の「富雄丸山古墳の被葬者は麛坂王」という提起もそういうことで、私も大いに納得している。
先日の講義ではそのことに関連して私の名をあげて「麛坂王ではなかったが長谷やんの忍熊王でないかという意見は理論的には大いに的を射ている」と説明があって恥ずかしかった。
さて、詳細は別にして、5世紀に「倭の五王」と呼ばれる大王がいたことに異論を唱える学者は一人もいない。
それらの「天皇」の陵墓が主に百舌鳥古市古墳群にあるというのにも異論は少ない。
その巨大古墳のどれかの被葬者が、第15代応神、16代仁徳、17代履中というのも同様。
そして真の初代天皇と目されている崇神天皇が第10代だから、応神の時代からしてそれはほんの少し昔と言える。それらが日本書紀に記されている。
どちらかと言えば「文献史学」は苦手だが、だからと言って「史料のない時代の歴史は語らない」というのもどこか逃げているように思う。
少し宗旨替えをしようかと思っている。
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