ここのすぐ裏手には、『忍熊(おしくま)王子 麛坂(かごさか)王子 舊蹟(きゅうせき)地』があり、そのことは以前の(下記の)ブログで「墓」と書いたが、墓ではなく文字どおり「旧跡」であった。
https://yamashirokihachi.blogspot.com/2017/12/blog-post.html
で、その際のブログ記事では『富雄丸山古墳』は忍熊王の墓=古墳ではないかと想像したが、その想像はさらに膨らんでいった。
富雄丸山古墳については今月後半に文化財保存全国協議会の講座が予定されていて、今からワクワクしている。
旧跡の話に戻ると、鳥居の前に立派な門松が設えられていた。いわゆる神社でもないのに村の宮座のような人々によってこの旧跡が大事に守られてきたのだろうと想像された。
すぐ近くにはニュータウンや大型商業施設が迫っているのに、この一角だけは嘘のように農村風景が残っている。
下記のアドレスで以前に書いた歓喜天の常光寺もほんとうに静寂を保ってその中にあった。長閑な正月散歩であった。
https://yamashirokihachi.blogspot.com/2019/06/blog-post_7.html?m=0
冬空や討ち倒されし皇子の碑
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