2025年1月8日水曜日

何が立憲主義か

    正月に、石破首相をはじめ、立民の野田代表、維新の前原共同代表、国民の古川代表代行らはそれぞれ伊勢神宮を参拝した。
 個人が氏神様に初もうでに行ったという話ではないこのことを、赤旗以外の主要メディアはスルーした。

 戦前、アジア各国の人を殺し、ものを奪い、女性を凌辱した侵略戦争を精神的に支えたのは国家神道であったし、その頂点に置かれていたのが神宮(伊勢神宮)だった。
 戦後、日本国憲法は政教分離原則を打ち立て、表向きは他の神社と同レベルの一神社とされたが、戦前の政治や戦争を美化し、憲法改悪の先頭に立つ右翼団体・日本会議の顧問や代表委員に宮司が就任している。

 石破氏は報道されているところではキリスト教徒であるらしいから、明らかに信仰上の行動ではなかったことは明らかである。
 つまり、彼らの行動が、個人の信仰や民俗的な正月行事ではなく政治的な行動であることは明らかである。
 個人が個人としてどこの神社に参ろうが問題はないが、いやしくも憲法順守義務のある公人が、政教分離の原則を踏み外すことは見過ごせない。
 これらを、クリスマスを祝い、除夜の鐘を突き、初もうでに行く文化だと捉えるのは感度が悪すぎる。

 さて、よく「伝統だ」「昔から」と言われる話には気をつける必要がある。伊勢神宮・内宮の天照大神も例外ではない。
 以前に西宮神社に参ったとき神職が「東に蛭子(えびす)大神、中央に天照大神が祭られていますが昔は蛭子大神が中央でした。いつの間にか東に移ったのです」と説明した。帰宅してから昭和初期の本を当たってみると「天照大神」の名はなかった。推測すると紀元2600年(昭和15年)頃の皇国史観・国家神道絶頂期、つまり、つい先ごろ天照大神が中央に据えられたようだ。

 江戸後期に御師というツーリスト会社?方式が功を奏してお伊勢参りが流行した事実はあるが、明治以降の国家神道とゆめゆめ混同してはならない。
 日本書紀崇神天皇記の物語は別にして、宮中三殿が初めて設けられたのも近代1889年(明治22年)のことである。
 
 片岡伸行著『神々のルーツ』によると、そもそも正式名は「神宮」であるが、歴史上初めて「神宮」なる祭祀施設を表したのは新羅であった。江戸時代の地図には近くに「韓神山」があるが現在の地図にはその名が消されているとある。

 外宮のことなどもあるが話が長くなるので今日はここまで。

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