傀儡とは、1,あやつり人形、くぐつ、でく、2,人の手先となって思いのままに使われる者・・のことであるが、先に結論をいえば、宏池会岸田政権は結局安倍派の傀儡だということを言いたい。
岸田首相は「新自由主義を脱却して新しい資本主義で成長と分配の好循環」を唱えているが、国会答弁ではアベノミクスを脱却どころか反省も総括も出来ず、ただただアベ政治に辟易していた人心に「何か変化」という目くらましを振りまいただけであることが明らかになっている。
日本共産党小池書記局長の論戦の極々一部だけを見ても、首相は、凄まじい値上げラッシュにも拘わらず年金を減額するのを「賃金が下落しているから当然」との態度でいる。そもそも先進国中でも例外的に最低の賃金上昇(下落)は、アベノミクスの結果であり、そのアベノミクスで空前の蓄積を果たした大企業の内部留保に手をつけずに循環(賃上げ)も年金へのスライドもあり得ないではないか。
小池書記局長の指摘で印象深かったのは、年金が家計最終消費支出、いうなれば地域経済を大きく支えているという指摘だった。
年金が地域経済の20%を超えている県が13県、10%以上だと東京都以外の46道府県。結局、年金減額→地域経済の冷え込み→賃金減額→年金減額・・・・という負のスパイラルとなっている。
大企業の内部留保を賃上げに還元させる誘引剤となる内部留保への課税など実効ある賃上げ政策が必要なことは明らかだろう。
岸田派は宏池会で元は池田勇人氏が旗揚げしたものだが、その池田勇人氏の経済ブレーンとして高度経済政策をリードした下村治氏の『日本は悪くない悪いのはアメリカだ』(文春文庫)という著書にこうある。「ほんとうの意味での国民経済とは何であろうか。それは日本で言うとこの日本列島で生活している1億2千万人が、どうやって食べどうやって生きていくかという問題である」「その1億2千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である」と。そして「それぞれの国には生きていくために維持すべき最低の条件がある。これを無視した自由貿易は百害あって一利なしと言ってよい」と。
岸田首相は宏池会の大先輩に学ぶべきである。
日本共産党は経済成長を否定していないどころか、アベノミクスの対極ともいえる『やさしく強い経済」への5大改革を提言している。破綻したアベノミクス=新自由主義に固執している自公・維新には考えも及ばないものだろう。
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