ドクターショッピングではないがいろんな医者に掛かってみたが、これといった改善が見られず、果ては不眠にまで進んでいる。
そんなこともあり奈良市内に出たついでに某寺社で見つけた『足腰健全ぞうり』なるお守りを買って来た。「このぞうりを常に身に付けていると足腰が丈夫になり、健康で楽しい毎日が過ごせる」というのがセールスポイントのお守りだった。
ところが帰って来て妻に渡すと、ナント、写真のとおりバラバラに壊れていた。
「こんなお守り縁起でもない」と替えてもらいに行く手もないではないが、当分は奈良市内に行く予定もない。
妻は「その症状は心配するな」という「お告げと理解する」と言った。それは大正解だろう。
わが家のポリシーでは、元々医学の分野の事項をホンキで神仏に頼る気もなかったし、少し「こんなお守りがあった」と笑い合うためのチョッとした小道具として買って来たものだし、宗教心とは詰まるところ理性であり常識だと思っている。
「壊れたお守りなんて不吉でもない」と怒るのでなく、そこからチョットでも楽しい意味付けを引き出すのが宗教心ではなかろうか。そういう風に構えると少しでも心が明るくなる。
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