50年ほど前、同窓会の折友人に「待望の男の子が生まれてよかったね」と言って、女性の友人に「なんで男の子でよかったん」と批判されたことがあった。
自分自身も結婚の際、妻の姓を採用するのは自分の親に申し訳ないような因習に囚われていた。
そして、恥ずかしながら、この記事を書いている今もほとんど変わりはない。
ただこの国の歴史や文化については興味があったので、夫婦別姓反対論者いうように「同姓が日本の伝統だ」というのは事実に反するとは思っていた。北条政子、日野富子の例を出すまでもないだろう。
そんな折、法務省のホームページに次のとおりの『我が国における氏の制度の変遷』を見つけた。
◆徳川時代
一般に、農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。
◆明治3年9月19日太政官布告
平民に氏の使用が許される。
◆明治8年2月13日太政官布告
氏の使用が義務化される。(兵籍取調べの必要上、軍から要求されたものといわれる)
◆明治9年3月17日太政官布告
妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)(明治政府は、妻の氏に関して、実家の氏を名乗らせることとし、「夫婦別氏」を国民すべてに適用することとした。なお、上記指令にもかかわらず、妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる)
◆明治31年民法(旧法)成立
夫婦は、家を同じくすることにより、同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)(旧民法は「家」の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した)
◆昭和22年改正民法成立
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称することとされる(夫婦同氏制)(改正民法は、旧民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ、男女平等の理念に沿って、夫婦は、その合意により、夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとした)
・・・注目は明治9年の太政官布告だ。
夫婦同姓は伝統どころか、旧民法以前の法制度では「別姓こそが原則」とうたわれていたのだ。
現行制度に浸かって思考停止していた身としては、親と子の氏が違ったり、場合によっては子供同士も氏が違ったりした場合の違和感が十分整理されているわけではないが、圧倒的な諸外国ではそれぞれ現実的な対処をしているから、「氏が異なれば家族の一体感が壊れる」みたいな安っぽい意見は問題にならないだろう。
家族の一体感に関わっては、妻から教えてもらった「女紋」のことがある。
典型的には留袖などに用いる「家紋」で、夫の家とは別に、祖母から母に、娘に孫娘に次がれる女性用の紋である。だから、留袖などを着る公式行事の場合、夫と妻は別の「家紋」で正しいという。関西などではこの風習の方が主流だという。
結婚後も「妻の財産」である証でもあるし、モノの本の中には「結婚しても離婚してもそのまま使える」という「利点」があげられているものもある。
商品経済が発達し女性の地位も高かった西日本で定着し、武士の江戸や都から遠い地方では広まっていない。
「家紋」なんて古臭い話だが、ルイ・ヴィトンのデザインが世界に広がっている時代でもあるから、娘や、息子の嫁には「女紋」を大事にさせてもよいと思っている。
そもそも「反対論者」は「家紋が異なると家族の一体感が壊れる」と言うだろうか。
そんなあれこれを少し考えた。今日はこれまで。
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