2022年6月30日木曜日

軍拡論に反対する

 私は以前に自衛隊の非常に地位の高い方とお付き合いする機会があった。
 その方のお宅の何人かでの酒席で、いきおい「○○さんはやっぱり9条改正論ですか」となったとき、きっぱりと「憲法は改正はしてはならん」と言い切られたので少し驚いたことがある。

 趣旨は、9条の縛りがあるから暴走の危険がないというような話だった。
 ミグ戦闘機事件というのがあったが、国民が知らない間に三沢基地の自衛隊は家族を皆帰郷させていたという。つまり、戦闘の一歩手前だったがシビリアンコントロールが効いていたらしい。

 昨今の、軍事費倍増、敵中枢部先制攻撃、NATOの会議への参加、憲法改正論議を聴いていて、戦前・戦中派の自然退場と共に、どこかタガの外れた議論が気にかかる。

 「軍事対軍事」というのは早い話がロシアや中国以上の軍事力を持てと言う話だが、ウクライナの現実のとおり、最後は兵隊=人間が赴いて占領しなければならない。
 現実の戦争はドローンやミサイルだけでは終わらず、必ず人間=兵隊が占領地を実効支配する必要がある。

 つまり、ロシアや中国の軍事パレードに匹敵する国民の徴発が必要だし、ロシアの現実が教えているように、戦争に賛成しない罪、徴兵拒否の罪、問答無用でそれらを裁く軍事法廷などなどが表裏一体にならなければならない。
 昨今の「軍事力強化論」は、そういう夫や息子や孫が徴兵される。挙句は「演習だ」と言って戦地に送られる、そして死亡する、そういう内実だと理解することが必要だ。近頃は女性兵士も埒外ではなくなっている。

 軍拡論者の修飾語は、「国を守る」「ウクライナのようにならないように」というのだが、論旨を直線的に延長すると、「ロシアのような国にしよう」である。ほんとうにそんなことでよいだろうか。

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