安倍政権の「元号の令和は国書だ国書だ」というのも同じ種から咲いた花である。
これは何も目新しいものではなく、戦前の政府は「紀元は2600年」と言って、紀元前660年に建国した「ニッポンはすごい」と言ってきた。
悲しいかな当時の学問の水準はその程度で済んでいたのだが、今では殷は紀元前1600年代、夏は紀元前1900年代に成立していたことが判明している。はったりの紀元前660年は決してすごくない。
「国書だ国書だ」というのはひっくり返せば「ニッポン文化が中国の風下で培われてきた文化」である事実が悔しいという劣等感の表れである。
だから23日に書いたように、幢の三足烏を隠したりしたのである。
しかし、高御座の屋形の八角形は道教に基づくものであるし、天皇が衣冠束帯で持っていた笏も中華文明のものである(孝明天皇までの歴代天皇が中国風の服装で即位式を行ったことは既に述べた)。
なお、笏の起源は淮南子(前179-122)に記述があり、周(前1050頃)の武王が用いた説もあるし、中華を超えてはるか中央アジアのゾロアスター教にあるとの説もある。
それが21世紀の極東の即位式や日常の神社に生きているのもすこぶる面白い。
何も発祥が国内でなくても卑下することはない。インターナショナルを誇ればいい。
「国書だ国書だ」と言い「日本すごい」を言う方々には秋の奈良公園「正倉院展」に足を運んでもらいたい。
文化は国境を越え、かつ独自に変化し発展するのである。
その笏であるが、私の父の遺品の中に笏(しゃく)があり、兄弟は皆んな「捨てよう」と言ったのだが、それならと私が貰ってきた。
父は神職の資格を持っていたようだが詳細は不明である。
笏は平治元年(1159)、朝廷にその材料として飛騨一之宮水無神社神領から樫の木が献上され、以降、その山は位山(くらいやま)との名を賜り、その樹は一位の官位を賜ったという話がある。一位樫である。
そんなもので、他意はないが即位礼を真似て笏を持って写真を撮ってみた。
一位樫というと全国の中でも奈良公園が有名である。神鹿以前の森の王者であったが今では鹿に食べられて若い樹が育っていない。
難しいことであるが神鹿の増加は自然の摂理を壊している。
難しいことであるが神鹿の増加は自然の摂理を壊している。
そんなもので、奈良公園の有史以前からの森の王者を写真に撮ってきた。
奈良公園の一位の木、どうだ!
春日大社周辺には写真のようなイチイの巨木がたくさんあります。
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