2019年10月18日金曜日

冷静な目でダムを考える

   物事が終わってから人を批判するのは慎みたい気もするが、教訓をはっきり導くために台風19号による河川の氾濫とダム運用の問題点を現時点で思いつくままに考えてみたい。
 実は友人たちと台風被害を語っていたとき、私は感覚のままに「防災のためにはダムも有用かも?」と語ったのだが、じっくり考えると「どうもおかしい」と思い直している。

 気象庁は周知のとおり「今まで経験したことのない」「100年に1度あるかないかの」災害が起こる可能性を繰り返し発表していた。
 「特別」警報や避難の指示を出すということは、近頃とみにその傾向を増している「空振りで終わった場合の批判」のリスクを伴うものだから、いわゆる「事なかれ主義」の人間だと発表するのに躊躇するものだが、さすが、気象庁は自然科学者の集団であった。
 鉄道各社も、昨年までは計画運休をしなかったり、その発表が遅れて反って混乱させた教訓から、今回の台風19号では早々に計画運休を発表して、結果として被害を一定程度未然に防いだ。

 そこでダムのことになる。
 気象庁の警告を真剣に受け止めれば、今般氾濫を招いた河川のダムは台風本体が近づいて来る前に事前に放流しておくべきだった。
 空っぽとまでは言わないが、相当減らしておけば台風本番でも相当流量を減らすことができた。
 もっと言えば、雨量が増えてきた段階でもダムの上流から流入してきた自然増の分ぐらいは放流を続けておいて、いよいよという段階で放流を止めて上流分の水量を遮断して台風の通過を待つこともできたはずだ。そうすべきであった。
 そういう運用をしてこそ防災用ダムである。防災という観点からはダムの運用が真逆でなかったか。

 そこで問題は、そういう普通に考えられる対応がなぜ執られなかったかである。
 私は行政機関を含む日本の企業全体を覆ている成果主義に原因があるように思う。
 成果主義とは「成果を上げれば相応に報いる」というものではなく、成果が上がらなければ減点する」というシステムであり、それに縛りつけられた人々は、信念に基づいて決断・実行するよりは、後の批判などの可能性(リスク)を含む判断は後回しにして上位からの指示を待つようになっている。(空振りだった場合、下流の農業用水、工業用水が不足するなどの大きなクレームが想像できた)。
 とすれば、今般の事態でいえば管理・指導責任は国交大臣にあるというべきだろう。

 最後に、そもそもダムやスーパー堤防は実際に災害を防いだのだろうかということがあるが、これについては字数のこともあり別に回したい。
 ただ、政治家の発言や素人コメンテーターの発言は別にして、専門家が語っているデータではダムもスーパー堤防もほとんど効果は発揮していない。
 反対に、ピーク時に放流するという馬鹿げた人為的原因が氾濫を発生させたという方が事実に近い。
 莫大な予算で利権を生むその種の政策を優先して、日常的に川床を適正な深さや横幅に掘削(浚渫)して維持する治水工事の原点のような事業を後回しにしてきたツケだというのが正しいかもしれない。
 東京新聞の記事の見出しを借りるならば、「八ッ場ダム、スーパー堤防。本当に役立った?」であり、「八ッ場、水位17㌢下げただけ」であり、「緊急放流で被害の可能性も」である。東京新聞の見出しは正しいだろう。

 終わりに触れておきたいことが少しある。
 ひとつはテレビのコメンテーターの中で、「今後少子化社会で予算は増えないのだから国に防災を求めるのには限界がある。国民自身が危険な地域から出ていく必要がある」的な発言があったのが気になる。
 いろんな切り口で批判できる意見だが、特にこの論には決定的な思考停止があるように思う。
 それは、2019年度防衛予算は5兆2600億円に対して、防災予算は国土強靭化対策を含んでも2兆4000億円という事実だ。
 これをひっくり返すだけでも国土は相当守られると思うのだがどうだろう。

 二つは、神奈川県山北町が約20キロ先の自衛隊に相談したら給水車が到着したが、神奈川県が県の給水車を出すから自衛隊の給水車は使用ならぬと使わせなかったと新聞が報道している。
 目前のテーマは「被災者にきれいな水を供給することだ」という認識に立てば、神奈川県のメンツも何もない。神奈川県政は明らかにおかしい。

 三つは、フクシマでフレコンバック(汚染ゴミの大きな袋)が流され、いくつかは行方不明だとこれも新聞が報じている。
 オリンピック招致の際「アンダーコントロール」と言った嘘が今さらながら明らかになった。余談ながらその際、「8月の東京は快適な気候だ」とも大ウソをついたが、これにはIOCが今さらながらではあるが「おかしい」「ひどい」と言い出している。これは余談。

 私も頭の中で試行錯誤を重ねている途中だ。できれば読者の皆様からの忌憚のないご意見をご教示いただければ幸いだ。

3 件のコメント:

  1.  usukuchimonndouにコメントしたものの主旨を転載する。
     夏王朝(紀元前2070年~1600年)初代の帝『禹』は治水に力を発揮し民生を豊かにした理想の古典君主の一人で、ことほど左様に治水は天下安定の基本である。
     だがしかし、安倍官邸周辺には、こういう大人が見受けられない。この国は病んでいる。

     さて、奈良周辺の古代史などを逍遥していると、原初の指導者、そして王、大王(後の天皇)誕生のいきさつが気になるが、その原点は弥生の稲作に絶対必要な河川管理、言い換えれば水争いに負けない仕組みであったように考える。
     故に、治水の能力に欠ける人物は国のリーダー失格だという結論は昔も今も変わらないと私は思う。

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  2. 私は以前からあちこちで行われるダム建設事業には疑問を感じていた。昨年の西日本豪雨災害といい今回の台風19号災害といい、ダムの緊急放流により被害が増大こそすれダムが災害に役立ったという話は聞いたことがない。おっしゃるとおり 「莫大な予算で利権を生むーーーーーーーーー後回しにしてきたツケ」 の部分に同感です。今、長崎県の石木ダム建設事業のためそこに住む住民たちが強制収用されようとしています。県の言い分は 「必要なダム」 というだけの説明。説明不能のダムありきです。納得できない!許せない!

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  3.  ケンタさんおっしゃる通り、ダムには大きな利権が付きまとっています。
     また、河床の浚渫を基本にして、例えば遊水地をつくることの方が本筋かもしれません。
     しかし、河川は氾濫するものだと言い切るのも良くないし、必要な堤防や例えば「信玄堤」のような土木工事も必要でしょう。
     その中に、巨大な地下貯水池や一定のダムも有効かもしれないと私はまだ整理がついていません。
     よって、ダムが全く不要かどうかについては保留で、さらに勉強したいと思います。
     本文で書きましたように、事前に放流しておいてピーク時に上流分を遮断することの有効性はあるかもしれません。今のところは、そういう考えです。

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