2019年10月22日火曜日

今日はお休み

 先日、運転免許証にかかる高齢者講習を受けてきた。
 講師が、次には認知症の検査もあると言って、リハーサルのように「今日は何年何月何日何曜日ですか?」と尋ね、私は最初だったので「令和元年」と答えたが、「何日、何曜日」になると一瞬戸惑う自分がいた。
 サンデー毎日の生活では、何日何曜日の影は薄い。

 昨日夜、育孫の終わりに妻が娘に「明日の通園もいつも通りか?」と尋ねたら「明日は祝日やで」と言われて驚いたが、実は私も同じだった。そういえばそんなニュース(今年だけ5月1日と10月22日が祝日(扱い?)になる)を聞いたことがあるが・・・・。

平城宮趾大極殿の高御座
   で、本日22日は即位礼の日である。
 それにしても安倍内閣は真実に対して不誠実だと思う。
 簡単に「前例どおり」というのだが、新憲法下の即位礼の例は平成の天皇(現上皇)のときしかない。
 そしてその際は昭和天皇の死去と一体のものであったから、正直に言って現憲法下の即位の儀式のありようを冷静に議論できる環境ではなかった。
 なので、その多くは、民主主義とは相いれない明治の帝国憲法の例に倣ったことが多かった。

 ということで、安倍政権は前例の言葉をもてあそんで、現憲法の精神と合致しない戦前の非民主主義社会の復活に大いに手を貸している。
 前例イコール伝統ということを言いたいのならば、衣冠束帯は平安以降のことであって、奈良時代の衣装は中国式だった。(注)

 浄土真宗本願寺派の僧侶で龍谷大学財団理事長を務めた松島善海師の残した言葉によると、明治天皇が亡くなられるとき「朕が一生に於いて心残りのことは、即位式を仏教の大元師の法によって出来なかったことである」と述べたと伝えられている。つまり、政教分離の問題を横に置いて語れば即位式の伝統は仏教式であった。
 そも聖徳太子の昔から天皇家の主要な宗教は仏教であり、中世の上皇は法皇つまりお坊さんであった。

 朝日新聞によると「旗類から八咫烏などの神武神話に基づくものは外した」というのだが、「こういう神話があった」と歴史的に語るのが正しい姿勢ではないのか。10月7日の記事に書いたように、朝廷の最重要儀式には、烏形幢、日像幢、月像幢が立てられたというのが伝統である。その烏形幢、日像幢には三足烏が、月像幢には兎とガマガエルが描かれている。

 それなら聞くが、剣璽等承継の儀の「天叢雲剣(形代)」や「八尺瓊勾玉」は神武神話以外の何ものでもないではないか。
 日本書紀によれば、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は素戔嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を斬ったときにその尾から出てきたものであるが、これは神話ではないのか。
 首相らは、神話を歴史的事実だと言うがために三足烏が恥ずかしくなって外しただけだろう。
 どこから見ても、真実に対して不誠実な態度だというのはそういうことである。


   (注) 訂正補足する。22日のABC「おはよう朝日です」で教えてもらったが、天皇即位の服装は、ずーっと明治天皇前の孝明天皇まで基本は中国風だった。

 冠は冕冠(べんかん)、衣は袞衣(こんえ・こんい)、合わせて袞冕(こんべん)ともいう。前例、伝統というなら(そうしろと言うわけではないが)これが正しい。
 ちなみに、袞衣の模様は、
 日:照臨無私を象徴。左肩に配され、日の中に烏が描かれている。
   月:照臨無私を象徴。右方に配され、月の中に兎と蟾蜍(ヒキガエル)が描かれている。
 星辰:照臨無私を象徴。北斗七星を背上部に配する。
 山:鎮定、雲の湧出、雨露の恵みの象徴。身の前後に配する。
 龍:神変不可思議の霊物。袖部前後に大型の巻龍、身の前後に小龍を配する。
 華虫:五色の羽毛を持つキジの雛。身の前後に配する。
 宗彝:祭器に描かれた虎(勇)、猿(智)で、祭器の象徴。身の前後下部に配する。
 火:明かりの意。
 裳 大袖と同じ赤地に、袞冕十二章のうち、藻、粉米、黼(ほ、斧の形)、黻(ふつ、「亜」字形)の四種の模様が付く。
 ・・・やっぱり、三足烏は外せない。以上追記する。

1 件のコメント:

  1.  袞衣を見てうれしくなった。中世を通り越して古代が息づいている。キトラ古墳、高松塚古墳の壁画の世界だ。それが幕末まで続いていたという。
     「袞衣で即位の儀式をするべきだ」とは言わないが、安倍政権の言う「前例・伝統による」というのが真っ赤な嘘だということだけは言っておきたい。
     戦前は、狂信的な神話が科学を封殺した。それが内外に悲惨な結果を生んだ戦争を支え、推進した。

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