10月10日の朝日新聞に『胸に乳房, 弥生の絵画土器』との見出しで、奈良県の清水風(しみず かぜ)遺跡で紀元前1世紀頃の土器片が発掘されたとの記事が掲載された。
それを見た私の第一印象は「これは縄文土偶と同じモチーフやないか」だった。
唐古・鍵遺跡近くの北側で、弥生中期の川跡からの出土である。
「弥生は縄文とは別の人種による別の文化」といった旧来の通説は覆りつつあり、弥生人と縄文人が共存し混血し、弥生の文化の中に縄文文化を愛した痕跡があるということは2019年5月8日『土偶大好き1』で書いたところだが、このニュースを見て、さらに一歩理解と確信が深まった感じがする。
https://yamashirokihachi.blogspot.com/2019/05/blog-post_8.html
さて、弥生と言えば卑弥呼が連想されるが、この記事のサブタイトルは『豊作祈る霊能者?』で、「両手を広げる(挙げた)姿は魂に活力を与えて再生させる「魂(たま)ふり」のポーズの巫女だろう」と記事は述べている。
それは唐古・鍵遺跡出土の絵画土器(写真)で文句なく肯定されている考えでもあり、私もそう思う。
天理、田原本、桜井のこの地方は、このような弥生の文化、とりわけ女性が祭祀で活躍する文化が確認され、弥生晩期の帆立貝型墳墓も見つかっており、纏向の大型建物、そして古墳時代最初期の箸墓古墳へとつながっている地である。
そういう意味で、この日本列島で最初に王権が誕生した土地であることは疑いようがない。
近くのメスリ山古墳からは玉杖が出土している。
メスリ山古墳出土の円筒埴輪の大きさは最後の写真のとおりである。
唐古・鍵考古学ミュージアムと桜井市立埋蔵文化財センターを廻って見学してきたが、弥生時代と言えどもしっかりした鉄製品が使用されている。石製品の精巧さは現代の工業製品だと言われてもわからない。
木製品などは「昭和30年ごろまで使っていました」と言われても信じてしまうだろう。
文字の記録の無いのが残念だが、古代といってもほんとうに馬鹿にできない。私は展示物の前でただただ頭を垂れるだけであった。
(写真の上でクリックすると拡大されて絵画もよくわかると思う)
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