2019年10月4日金曜日

南海本線堺駅のこと

   鉄ちゃんの友人Tさんから昔の阪堺電車の路線図をいただいた。「阪堺百年」誌の部分らしい。
 戦前のことであるから戦後生まれの私としては幼少のころの記憶などと照らし合わせるしかないのだが、私の記憶では南海本線の「龍神駅」が「堺駅」に移転し改名したはずだし、そもそも「堺駅」が大小路筋の先になったのはさらにその後の高架化工事が終わってからだから「この図はおかしい!」と友人にメールを送った。

 それにしても気分が悪いので、頭の底の底の片隅の記憶を訪ねてみたら、そうだ、「堺駅」は貨物駅としてそこにあった。たしか使われていないようなホームがあった。
 だから結局、戦前のこの図は間違いではなかった。

 判明したことを以下に書いてみると、「堺駅」は明治21年(1881)に現堺駅の少し北側に造られたから、大雑把に書かれたこの図は間違っていない。

 明治45年/大正元年(1912)に阪堺線の大浜支線が開通し、南海本線は交差するところ(フェニックス通りの南側)に「龍神駅」を造った。よって、この図は大正~昭和20年の間の路線図である。なお史料によると乗降客の断然多い「龍神駅」が特急・急行の停車駅で、「堺駅」はいわば二流の駅になった。

 そして堺大空襲があり、昭和20年(1945)敗戦となり、「龍神駅」は復活したが、「堺駅」は貨物駅に格下げにされた。そうそう、私の記憶はよみがえってきた。

 昭和30年(1955)、線形の改良工事に伴い、フェニックス通り南側の「龍神駅」からフェニックス通りを挟んで北向かいの位置に、堺駅と龍神駅を統合した新生「堺駅」が誕生した。私が最も乗降していたころの話である。重ねて言うがフェニックス通りの北側である。「龍神駅」はなくなった。

 そして昭和60年(1985)南海本線の高架化に伴い、再び大小路の西端に移転した。それは開業時の位置からはやや南寄りだが、大雑把に言えば元に戻ったことになる。
 で、フェニックス通りの「堺駅」に馴染んでいた私としては、すでに堺から転出していたこともあり、どこかよその町の駅ような気になった。

 つまり、一人で相撲を取って、友人の史料を再確認をしただけの話です。チャンチャン。

2 件のコメント:

  1. 堺駅の「?」、解決して私もほっとしました。次は、大浜公園へのトロリーバスですね。

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  2.  戦後、あの貨物駅の名前が「堺駅」だったなんて、どれほどの人が今も知っておられるでしょうか。このことはどこかにきちんと記録しておく必要があるように思います。
     昭和30年ごろ、旧大浜支線にトロリーバスが検討されたことがあるように思うのですが、どうか解明をお願いします。

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