陳舜臣は博学の上に多作の作家であった。
その中の一つに『小説 十八史略』という大作もあり、少し調べものをするため書架から取り出した。
すると、そんなことは全く忘れていたが、陳舜臣はこの作品の冒頭に、正史『十八史略』にはない羿(げい)と嫦娥(じょうが)の神話を載せていた。
骨子だけ述べると、羿と嫦娥は元は天界の神であったが、天帝の命で下界に派遣された。
羿は些か人情(神情?)に通じない男であった。
下界では人民が10個の太陽に照らされて困っていた。
弓の名人(名神?)でもあった羿は人民の要請にこたえて9個の太陽を射落とした。
我が子でもある太陽を9個(9人)も殺された天帝は怒って夫婦の神籍を剥奪した。
そのため人並みに死ぬし地獄にも行くことになり、嫦娥は世間知らずの羿を責め夫婦喧嘩が絶えなかった。
羿はむしゃくしゃして河伯の妻と浮気をした。
さて、羿は到底行けない崑崙山の西王母が不死の薬を持っていることを知った。
神籍剥奪とはいえ羿には崑崙山に行くぐらいは簡単なことであった。
西王母は「あと2粒しか残っていない」「吉日に夫婦で1粒ずつ飲みなさい」「1粒飲めば不老不死となり、2粒飲めば神になれる」と説明してそれをくれた。
しかし嫦娥は、羿を裏切って2粒とも飲んだ。
で、嫦娥は天に昇っていくのだが、ほとぼりが冷めるまでと、天と地の間の月で一休みすることにした。
すると体がたちまち醜いガマガエルになってしまった。
なお、置いてけぼりにされた羿は弟子に殴り殺された。
陳舜臣はこう書いている。
それにしても、この人間臭さはどうだろう。
与えられた任務の遂行方法、人情の機微、男女の葛藤、欲望の渦、信義と裏切り、死に対する恐怖、師弟に代表される人間関係の厳しさ。——この神話の中に、それにつづく中国の歴史が、ぜんぶすっぽりとはめこまれている、といってよいだろう。
だから、これを劈頭に置くことにした。
この間から何回か嫦娥のことを書いてきたので、ついこのことを紹介したくなった。
夕暮れにポスティングしていると、足元にはチンチロリン・チンチロリンと(土着の)マツムシが鳴き、どこからともなく金木犀が漂ってき、そして東の空には嫦娥が輝いていた。日本の秋はいいね!
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