2019年5月30日木曜日

勘違い

 関西のテレビやラジオにもよく出ている編集者で著述家の江 弘毅氏の文に「目から鱗」のことがあった。
   大阪のミナミがなぜ外国人、とりわけ中国人旅行客に人気なのかということで、氏が1980年代に来日し神戸の大学を出て大阪と上海を行き来しているビジネスマン、そして90年代から大阪で中国人客のインバウンド向けネット情報発信会社を経営する社長、この2人に話を聞いたことがそれだった。

 一昔前の日本の常識だと、地方の若者は東京にあこがれ、ディズニーランドに行きたがっていた。そして今では、大阪にもUSJが出来たし、グランフロント大阪もハルカスもできた。
 だからてっきり、中国の中産階級も日本にあこがれ大阪にあこがれてやってきたと思っているとしたら、それは大きな勘違いらしい。

 つまり、中国の大都市はここ20年で一気に近代化され、高層ビルに入った巨大ショッピングモールやグルメパークなどが増え、そういう大規模商業施設に慣れてしまった中国人客は、とりわけ大都市上海で生まれ育った50代以上の世代にとっては、大阪ミナミのごちゃごちゃした街場がとても懐かしいとやってくるのだという。

 井の中で「ウチらは先進国やからな」などと勘違いしているミナミを、中国東部では昔あったような古い鄙として中国人客は楽しんでいるという。
 
 なるほど、大きなビルにはグルメ街があり多くの店が入っているが、やはり昔ながらのミナミや曽根崎に足の向く私としてはその感情がよく解る。
 奈良がミナミみたいになるのは賛成しがたいが、奈良県知事が脱法行為の上に高級ホテルを建てようというのが全くトンチンカンなことだけは確かなようだ。

2019年5月29日水曜日

卯の花


〽卯の花の 匂う垣根に
  時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
   忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

   大きくなると持て余すので卯の花は植木鉢で育てている。より正確に言えばほったらかしにしている。
 それでも、季節がくれば花を咲かせる。

 とくれば、足らないのは忍び音である。過去の私のブログを見てももう来ても良いはずだが、今年はまだ聞いていない。 
 時鳥は托卵で有名だが、早く来ないと育ててくれる野鳥の子育てが終わってしまうのに。

 「夏は来ぬ」の作詞は佐佐木信綱氏だが、一般に「佐々木」であるのに何故「佐佐木」かというと、元々は「佐々木」であったが訪中した際向こうの学者から「々などという漢字はない」といわれて帰国後改めたとどこかの本で読んだ。

 明治~昭和の著名な国文学者だが、そのような知識人ほど中華文明に対するリスペクトがあったということだろうか。
 私は「佐々木である。日本人である」といっても良いような気もするが、ここは氏のリスペクトにリスペクトしておこう。

 実母が老人ホームに入居していた頃、母や同室の方々とよく歌を歌ったりした。
 そのとき私がこの歌の3番の「おこたり諌(いさ)むる って何を怠ったのですかね」というと、入居していた認知症の方が「(この歌詞は)蛍雪の功でしょう」と答えてくれて感心したことを覚えている。

 友人のフェースブックでは既に忍び音を聞いている。
 待遠しいが、昨秋の台風以後どうも野鳥が遠くなっている。

2019年5月28日火曜日

宗主国のプレジデント

 Wikipediaをコピペすると、傀儡政権(かいらいせいけん)とは、ある領域を統治する政権が、名目上には独立しているが、実態では事実上の支配者である外部の政権・国家によって管理・統制・指揮されている政権を指す。内政も外交も自己決定権が完全ではなく、支配者の利益のために支配者に操作・命令され統治される。傀儡国家(かいらいこっか)とも呼ばれる-とある。

 5月26日の大相撲中継を見ていて、しみじみと宗主国に従う属国の政権の卑屈さに情けなくなったがどうだろう。
 近隣諸国に対する尊大さは宗主国に対する劣等感の裏返しに過ぎないということも明々白々になった。

 素朴な感覚を言えば、具体的にはあとで述べるとおり、そういう自尊心にうるさいはずの右翼の皆さんが、安倍政権の横車に唯々諾々と従っているように感じるのも、結局は彼等の主張の薄っぺらさの表れではないだろうか。
 天皇でさえ貴賓席である国技館の升席の椅子とは何だ。
 貴賓席が嫌なら来るな!とどうして言わない。

 表彰式では土俵上にほゞ土足?で上がっていた。
 いや革靴の形をした上靴だった!というかもしれないが、それでいいのか。
 上履きにしても、土俵に対するリスペクトがあればもう少し違ったものになっていなかったか。
 もしあれを土俵にリスペクとした上履きだったというなら、その眼も心も相当に歪んでいよう。
 私は全くの白帯だが柔道着も持っているし道場に行ったこともある。若し道場にああいう土足(上履き?)で入ってきたら私なら叱りつけるが、大相撲関係者の根性のなさにはあきれ返る。

   退場の際トランプは一般市民と握手をしたとNHKは報じた。
 しかし、一般市民が握手できる??と思ったら・・・、
 案の定、一般市民なる人は櫻井よしこや金美鈴等安倍シンパの右翼の皆さんだった。
 シコミでも出来レースでもいいが、NHKは「日本会議の右翼の皆さんが喜んでトランプに握手を求めていた」と事実を正確に報道してもらいたい。

 日本会議と安倍内閣は、「押しつけ憲法」が屈辱的だから「自主憲法」に改定するといっていたのではないか。
 その口であの握手?? まあ、一言で言って「みっともない」。恥を知りなさい。
 私だって長い宮仕えで「偉いさん」の接待をしてきたこともある。ホストがゲストをもてなすのが悪いなどとは言わない。しかし、ものには限度というものがある。
 書いているうちにますます情けなくなるのでこれで終わる。

2019年5月27日月曜日

ベビーブーム

   2階の部屋の外がゲゲゲゲゲゲとうるさい。犯人は電線上のイソヒヨドリである。
 囀りのときは見事な美声なのに、その落差は何だ。
 それは威嚇の声だとか、警戒の声だとか本にはあるが、本人に確かめたわけではないので真偽は判らない。

 先日は虫を咥えたままゲゲゲゲゲゲと鳴いていた。
 さては求愛の為の給餌行為かと観察してみたが、どう見ても♀である。一般に求愛は♂の行為でないか。
 そのうちに近所の庭に飛んでいって、餌なしのくちばしで帰ってきた。
 子育てに違いない。だとすると、雛に対する何らかの教育の声だろうか。
 当分ゲゲゲゲゲゲと続くことだろう。
 私としては「この地には私の巣があるぞ。侵入して来たら闘うぞ!」という警告の雄叫びだと思う。

 子育てというと、孫の凜ちゃんの療育園のバスのステーションが少し離れた田畑の横にある。
 そこでこの頃騒がしいのはケリである。
 田畑に巣があるようだ。そして、その卵か雛をカラスが狙っているようだ。
 「もう少し見つからないところに巣をつくればいいのに」といつも思うのだが・・・
 
 その心配を克服しているのがケリの連帯心・団結で、カラスが近づくと何羽ものケリが集まって来て、文字どおりケリケリケリケリと大声で対抗する。
 ケリは声の大きさだけでなく、その戦闘心も実際の防衛力も相当なものである。
 関係ないかもしれないが、その目力も迫力がある。
 
 イソヒヨドリにしてもケリにしても子育て中の母は逞しい。

 ・・・・以上の原稿を書いてから数日が経過した。
 ゲゲゲゲゲゲが聞こえなくなった。
 雛がかえって巣立ちしたのか、誰かに巣が壊されたのか、それともあれは♀による♂に対する求愛給餌行為だったのだろうか。
 答は判らない。
 ただそういうことが観察されたのは事実である。

2019年5月26日日曜日

堺人の気概

   市長選挙告示を翌日に控えた5月25日に堺へ行ってきた。
 真夏のような炎天下のポスティングと駅頭宣伝はなかなかの苦行だったが、友人3人も駆けつけてくれて、その後の冷えたビールの美味しかったこと。

 野村ともあき氏は私の母校の後輩でもある。
 そんな情緒的なことはどうでもよいが、いろんな指標で見ても堺は大阪市の比ではなく素晴らしい。
 そんな政令指定都市を解体して大阪府に財源を吸い上げようとする維新政治は許せない。
 野村ともあきの名前はまだ十分に広がっていないが、だからこそ、義を見てせざるは勇無きなり!

 その晩、ブラタモリが堺だった。
 古墳時代、戦国時代、・・・そういう歴史的技術が今も製造業に生きていることを数々紹介していた。
 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録がほゞ決まった今、全国各地に「堺町」や「堺筋」などの名を残した政令指定都市堺を失くすわけにはいかない。

2019年5月25日土曜日

忍冬唐草文


   小笠原好彦先生の、定説に挑むかのような古代史の講義は面白い。興味があればご一読を!

 『日本書紀』天武天皇9年11月12日条に、病気になった皇后(鵜野讚良皇女、後の持統天皇)のために天武は誓願をたて、薬師寺を建立することとなり、百人の僧を得度(出家)させたところ、病気は平癒されたとある。今の奈良・西ノ京の薬師寺の前身の藤原京の元薬師寺のことである。

 その後こんどは天武が病気になってまた百人の僧を得度(出家)させたと書紀にある。それ以上は書かれていないが、発願は当然皇后で、その実務を担ったのはきっと藤原不比等だっただろう。ではその寺はどこに建立されたのか。

 元薬師寺は藤原京の宮に近い右京八条三坊にあったが、丁度対象となる左京八条二坊に廃寺(寺の跡)がある。小字キテラにあることから定説は紀氏(きし)の氏寺の紀寺(これも奈良の紀寺(地名)にあった紀寺の前身)とされている。
 小笠原先生はこの「定説」に異を唱えられている。

 書紀によると、紀寺は天智朝には既に建っていたが、この廃寺の伽藍の中軸線は藤原京の条坊と一致していて天智朝まで遡れない。
 瓦の文様が藤原宮や山背等の古代寺院まで広がっている。
 反対に紀氏の本拠地の紀ノ川周辺からはその文様の瓦は出土していない。
 よってこの廃寺は紀寺ではなく官寺である高市大寺ではないか。・・・というもので、私などは非常に説得力を感じている。

 先日、小笠原先生による興福寺の講義を聞いた。
 興福寺創建時の瓦の文様から遡っていくと、この藤原京の廃寺(高市大寺)、そして、持統の乳部(みぶべ)である河内馬飼(かわちのうまかい)の氏寺や、久米寺、藤原宮そのものまで繋がって、定説とされている紀寺廃寺が紀氏のものではなく藤原不比等の大いに関与した寺(国家の寺と藤原氏の寺)であることに話が及んで、「おさらい」をした感じだった。

 さて、瓦の文様では軒丸瓦の蓮華文がその日の主な話であったが、興福寺の軒平瓦のそれは忍冬唐草文(にんどうからくさもん)である。
 唐草文というのはサザエさんに度々登場する泥棒の風呂敷でお馴染みだが、その唐草に忍冬(すいかずら)の蕾のような文様が付いている。
 これのルーツがエジプト、アッシリアにあるというから、古代文化の旅路の巨大さに圧倒される。シルクロードである。

 わが家のすぐ出たところに忍冬(にんどう・すいかずら)がこの間から満開である。茱萸(ぐみ)同様野生で繁殖してきた。
 正確には文様の蕾が忍冬とは特定できないにせよ、この忍冬の花を見ながら私の頭の中でははるか昔の西アジアに想像が飛んでいく。
 誰が最初に汝を文様に採用したのだろう。
 「令和」で触れたとおり、万葉の時代の梅はある種バタ臭い大陸文化の象徴であったという。
 ならば古代の日本人はこの文様を見て、はるか西洋を感じていたに違いない。不思議なものである。いや、今見ても洋風でお洒落な花だと思う。

2019年5月24日金曜日

ディアラインの仕事人

   奈良公園の景観の美しさのひとつの理由はディアライン(deer line)※で、公園には多くの木々があるのに一定の高さ(deer line)よりも下が明るくて見通しがいい。その統一美は見事である。※(deer=鹿)

 もちろん人件費はかかっていない。写真のとおり、その景観は鹿が作ってくれている。
 奈良公園は芝や雑草の草刈費用も無料で、これらを人件費に換算すると数億円規模だといわれている。

 ディアラインでいうと馬酔木、アザミ、ワラビなど鹿が嫌がる木や草は残っている。なのでワラビ採りには絶好の場所もあちこちにあるのでわが妻は喜んでいる。

 さて、写真のとおり、立ち上がった鹿には迫力がある。
 これまでに、小さい子どもを突き飛ばす場面も何回も見た。
 大人の男性に写真のように立ち上がって叩きにいっているのも見たことがある。
 奈良公園の鹿はあくまでも野生である。

 さて、奈良県(知事)は率先して自然を破壊して超高級ホテルを建設しつつある。
 この時代(つまり現代)の奈良県民は知恵が浅かったなあ!と必ず歴史が笑う日が来るだろう。
 既存の宿泊施設を応援し、さらに高野山のように各種寺院が宿坊を開けるようにする方が長い目で見て奈良のためになるように思う。

 大阪府はほとんどの統計指標で劣化しているのに、インバウンドだけで見た目が賑わっている。
 しかし、ほんとうにミナミの情緒も何もなくなりつつある。
 そんな奈良にはなってほしくない。

2019年5月23日木曜日

スワロフスキーのブローチ

   私の夏の帽子を飾っているのはスワロフスキーのフクロウのブローチで、小学2年生の孫娘からのプレゼントだ。

 誰がどう見てもスワロフスキーだし、高価な光を発している。自慢である。

 どうだ!

 と言いたいところだが、小学2年生が祖父ちゃんにスワロフスキーをプレゼントするはずもなく、奈良のふくろうカフェに行ったらタダでくれた数十円のものだという。

 タダでもらったものでも祖父ちゃんにやろうという気持ちが嬉しいから、帽子につけていかにもスワロフスキーという顔で歩いている。
 スワロフスキーに営業妨害で訴えられるかもしれない。

2019年5月22日水曜日

奈良の五月

   奈良市内に出る機会があった。
 谷幸三先生のFBにあったが、春日奥山が椎の木の花で黄色くなっているのに、その前の御笠山はナギの木のために深緑のまゝで、はっきりと御笠山が区別ができた。
 ナギは春日大社のご神木だが、人間の手の入っていない原始林どおしでどうしてこうも異なる植生なのだろう。
 奥山も遠からずナギ林に代わっていくのだろうか。

   次に東大寺戒壇堂に寄った目的は楝(おうち)の花で、予想どおり満開だった。
 私の記憶ではわが家周辺でも昨年は「裏作」で花が少なかったが、その分今年の楝の花は素晴らしい。
 楝はセンダンの木の花である。
 そして「栴檀は双葉より芳し」のセンダンはビャクダンだから実物を知らないと混乱する。
 〽 楝(おうち)ちる 川べの宿の 門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ ・・・の歌詞を見た若いときは楝の読み方も意味も解らなかった。
 想像どおりの満開で戒壇堂の職員と一緒に楽しんだ。次は蓮を見に来てということだった。ここはいつも人が少なくていい。

 大仏殿は丁度昼食時だったからか、例の「鼻の穴くぐり」が空いていた。
 肩がつっかえていた外国人にバンザイで行くよう教えたら、くぐってから大いに感謝された。
 修学旅行生らしい中学生に「せっかくの機会だからくぐりなさい」と勧めたが、なかなか自分が先頭に立って挑戦しない。それに、か細い中学生が男も女もちょっと狭く感じると中止して止めてしまう。
 ああ、日本の未来はどうなる。
 「行けるからしっかり行きなさい!!」と、つい大声で指導してしまう。反省。

 吉城園(よしきえん)にも寄った。
 上の写真のとおり親ガエルは1匹いたがペアリングの相手がいなかった。
 樹上にも卵胞は一つもできていなかった。
 奈良県知事はモリアオガエルのことなど眼中にもなく開発政策を進めている。
 彼らの合コンも何時までできることやら。
 先日は蛙には少し残酷な「蛙のお供え」を書いて来た。
 今日の可愛い写真でチャラにしてもらおう。

2019年5月21日火曜日

今年もくす玉

   先週、退職者会と労働組合共催で、元職場退職者のレセプションを行なったことは既に書いた。
 そのレセプションだが、ここ数年、くす玉開きでオープニングをしてきたのだが、一体みんなはほんとうに喜んでくれているのやら・・という気分で私はいた。

 そんなことを呟いたところ、メーデーの後の一杯の席で数年前に退職した仲間が「あれは嬉しかった」と返事してくれた。
 なかなかの皮肉屋でもある彼の毒舌とは思えない、思わぬ返事だった。
 そんなもので「また今年もやるか」と気を取り直して制作にかかった次第である。

 そして今年のパーティーも楽しくくす玉で幕を開けられた。
 『無事是名馬』のキャッチコピーもみんな笑ってくれた。

 そしてそして驚いたことがあった。
 会館会場係の人が「毎年見ていますがくす玉は毎年進化してますね」と小さな声で囁いてくれたのだ。
 へぇ~、こんなところに私のくす玉のファンがいたとは・・・
 
 そこで思うのだが、「〇〇工会の実務が無茶苦茶だから〇〇党の印象も良くない」に類するような話が世間にはある。
 〇〇党にとってはエライ迷惑な話だが、こういう側面のあることも大切な事実だろう。
 「高齢者は団結しよう」「生活防衛に頑張ろう」と高邁な理屈を言えば運動が勝手に進むわけではない。
 口は上手いが自分から一肌脱ごうとしない人もみんな知っている。
 とまれ、あほな準備をいっぱいやってそれでスベッテもいいではないか。
 みんな見ていて知っている。(こんなのを「天に唾する」というのだろう)

※ くす玉を簡単に割れるように作ると運搬の途中や取り付け作業中に割れてしまう。
  簡単に割れないように作ると、割れた後に再びふさがってしまう。
  それをどのように克服したか。誰も関心を示さなかったが、それは上手くいった証拠であろう。うふふふ。

2019年5月20日月曜日

纒向の蛙

 4月28日にゾロアスター教を念頭に『悪なる創造物 蛙』を書いたが、その後なんとなく消化不良のまゝ来ているので続きを書く。

 若干繰り返しになるが、奈良の纏向遺跡中枢部近くの穴から、人為的に傷つけられた可能性のある蛙の骨が12匹分見つかった。
 「縄文から弥生時代の土器や銅鐸に蛙が少なからず表現されているが、これは大地の象徴として神聖視されていて神饌(神への供え物)だったのではないか」という辰巳和弘・元同志社大学教授(古代学)の言葉で朝日新聞の記事はまとめられていた。
 
 確かに土器や銅鐸に蛙が表現されているものがある。
 冬の間土中に隠れていた蛙が春に一斉に鳴きだす姿を「再生」の象徴と感じたであろう推測には異議はない。
 また、古い道教の思想では不老不死の嫦娥が月で蛙になっている。
 古事記では、大阪で神農さんの祭りとして馴染みの少彦名神が現れたとき、大国主命がそばにいた蟇蛙(ガマガエル)(多邇具久・たにぐく)に「あれは誰だ」と尋ね、「久延毘古(くえびこ)(案山子)なら知っているでしょう」と答えたという。つまりここでは蟇蛙は肯定的に書かれている。

 と、ここまで言いながら「ほんとうに蛙がお供え物?」と私は心底からは納得できず、そこまで言うなら、冒頭に述べたとおり、様々な世界宗教の源流と思われ、紀元前12世紀ごろからまとめられたゾロアスター教の教義が「この世は善と悪の闘争の舞台であり、人間はこの闘争に参加する義務がある」と説き、そして例えば、犬は善なる創造物で蛙は悪なる創造物だと命じた事実の方が重くはないかと考え込んだりした。

   日本列島に話は戻るが、今に続く伝統でいえば、御柱祭りのように縄文の香りふんぷんたる古社の諏訪大社のお正月の大事な神事に蛙狩(かわずがり)神事がある。冬眠中の蛙を2匹掘り出して矢で射って神に供えるものだ。

 蛙に関わる古いところではそんなことしか私には思い浮かばない。
 なので単純に「故に蛙は神聖視されていた」と言い切るには少々消化不良の気分でいる。
 それに、「神聖なものを供えものにするの?」という素朴な疑問も解けていない。
 お供えは、美味しい料理や食材がよくはないのか?

 さて、そも纒向の地は大神(おおみわ)神社の聖域であり、和田萃氏の説くところ大神の神は原初は雷神であったとされている。雷神が龍になりさらには蛇になったという話は大いに肯ける。
 蛇といえば数々の縄文土器に表現されており、その脱皮する姿からそこに再生さらには不老不死をみた神話は地球上にこれもまた数多あるらしい。
 大神(おおみわ)に係る神話にも、活玉依姫(いくたまよりひめ)や倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の神話のように大物主の神が蛇体で現れる。
 現代でも蛇の信仰は「巳(みい)さん」といって広く親しまれている。

 もうお解かりのとおり、「神聖なものを供えものにした」という説明よりも、蛇神に蛙を供えたという理屈の方が文句なく納得できるがどうだろう。
 纒向の蛙の骨は、雷や雨の神の象徴たる巳(みい)さんに対するお供え物ではなかっただろうか。・・・今日はここまで。

2019年5月19日日曜日

国会もすなる

   身内だけでウケた話で恐縮だが、先日、退職者会の年次総会を行なった。
 あんまりなれ合うと金銭がルーズになったりするからそこはそこそこきっちりした議案をつくり審議するのだが、とは言っても気心の知れた仲間の総会である。
 なので、ともすればマンネリズムに陥りやすい。それを防ぐ知恵はないか?

 と、そこで考えた。「国会もすなるパネルといふものをしてみむ」と。
 国会中継を見ていると、近頃は発言者(質問者)の横でパネルを掲げているのが多くなった。
 確かに、発言の主旨が解りやすい。そも、世の中はヴィジュアル化の時代である。よし、あれをしよう!
 手始めに、活動報告を補完する写真などのパネル?を10数枚製作した。

 本番では、発言者の発言内容に沿ってそのパネルを掲示した。
 結果として、もちろん報告を耳で聴きながら居眠りする人も全くなく。
 お褒めの言葉もいただいた。
 来年もするかどうかは総括しだいだが、きっとやることになることだろう。
 自業自得というべきか。言いだしっぺが荷を担がなければならないのが世の常である。

 さて、広く世間を見ると、八法亭みややっこコト飯田弁護士は憲法の講演を正真正銘の落語でされている。
 法大の上西教授は国会パブリックビューイングを街頭でされている。
 京大の高山教授は憲法集会でナウシカのコスチュームで改憲案を批判・解説された。
 メッセージの伝え方の、そういう工夫や挑戦、そして情熱こそが世の中を変えるのだ。
 先日からFBに、エプソンの高輝度レーザープロジェクターの広告がよく出てくる。「明るい会議室でも鮮やかに投映!」がキャッチコピーである。これならパワポで何かが出来そうだ。でも老老介護中のただの年金生活者には高そうだ。

2019年5月18日土曜日

介護の決断

   私が要介護度の基準をつくる立場でいたらやはりこんな風に書くかもしれないと思いつつ、でも、これをつくった人は介護の経験のない医師や公務員や「専門家」だろうなあとしみじみ思うことがある。

 例えば、「歩行」に焦点を当ててみると要介護度の基準は次のようになっている。
 要介護1 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作に何らかの支えを必要とすることがある。
  要介護2 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作に何らかの支えを必要とする。
  要介護3 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作が自分でできないことがある。
  要介護4 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作が自分ひとりではできない。
  要介護5 ・歩行や両足での立位保持などの移動の動作ができない。

 もちろん要介護度は歩行のことだけで判断するものではないが、「多くの不安行動や全般的な理解の低下がみられることがある」認知症と重ね合わせると、介護するのに一番苦労するのは「どうにか歩行ができる」要介護者である。危なっかしくて目が離せない。
 つまり、介護に一番苦労する状態の評価が低く、反対に、もう車椅子生活になってしまって、ある意味「おとなしくなった」要介護者の評価が高くなっている。この矛盾の「感覚」は経験者でないと判らないかもしれない。

 百姓仕事で鍛えられた義母は、足腰が比較的丈夫である。そして一方で、自分が弱っているという自覚がない。
 そんなものだから、転倒して大腿骨骨折で入院したことがある。超高齢者が大腿骨骨折で入院すると急速に全身状態が悪化するともいわれているが、そういう常識に反して、おかげで退院できた。
 その後も、勝手に起き上がって転倒して顔面打撲で入れ歯が壊れたこともある。
 不謹慎かもしれないが、穏やかな生活のためには「立てなくなって欲しい」とも思ったこともある。

 ・・・老人ホームから電話があった。嫌な予感どおり、再び転倒して大腿骨を骨折した。
 病院へ跳んでいった妻は医師が「手術する」というのに、「100歳近い患者を手術してどうなるのか」と反論すると、医師も「それもそうだ」と簡単に方針を変更して、鎮痛剤服用でそのままにすることを決定したという。
 手術をしてギブス固定をして絶対安静を強力に強いるよりは「よりましな」選択を妻は決断したことになる。
 人生にはつらい決断を迫られる場面が避けられない。
 自分が介護されるときの教訓にしたいがそのとき此方の認知がどうなっているやら。
 夫婦で「お互いに延命治療に類することは一切避けよう」と何回も確認し合っている。

2019年5月17日金曜日

高歌放吟

 先ずは昔語りから。・・・カラオケ以前、宴会といえばアカペラで、誰かが歌えばみんなが手拍子で応え、ときには合唱になった。いろんな意味で誰もが座を盛り上げようという意思で歌をうたった。
   宴会外でも、日活青春映画のように、労働組合青年部の集会などでは腕を組んだり肩を組んだりして歌をうたった。

 カラオケ以後を十把一絡げに評する気はないが、歌う者はスクリーンに向かって歌い、他の者は自分の選曲の準備をするような場面が多々みられるようになった。
 そんなとき私は昔の宴会を懐かしく思ったりした。

 幸いにというか、私たちの労働運動の結果、元の職場は恣意的な人事を許さず、基本的には年功序列的な昇進を実現してきた。だから、私のように労働組合の役員経験者も順に中間管理職になったりした。
 なので私は、管理職というほどのことでなくっても、何がしかの企画を担当するようになったときには労働組合員の目で見て感じていた点を大いに仕事に取り入れたつもりだ。(多くのときはより上からの指揮に従わされてはきたが)
 実につまらぬ話だが、大きな仕事の区切りの懇親会では、そんなものでよく腕を組んで合唱したりした。おかしなことに、競争社会とカラオケ社会で育ってきた若い人にはある種の新鮮さもあったようだ。

 ・・・先日、元職場退職者を祝う集いが開かれた。
 わが退職者会はこのレセプションでここ数年「高歌放吟」するのを恒例にしてきた。
 歌は舟木一夫の歌で、毎年楽しい合唱になった。しかし、ここ数年「そんな歌知らんワ」という若い?人々が増えてきた。で私は悩んだ。
 
 そこで、概ね70歳で二つに分け、70歳未満には「世界で一つだけの花」の歌詞と譜面を用意した。
 リードを頼んだTさんはカラオケ伴奏をCDに落とし込んで持ってきてくれた。
 少々真面目過ぎるTさんのリードで上手くいくだろうかという一抹の不安があったが、『念ずれば花ひらく』の言葉もあるように、彼の情熱が仲間に伝染したように私には見えた。
 来年はSMAPの手の振りをいれようか? もっと別の歌がいいか? 今年の成功を喜びながらもう来年の心配をしている。

2019年5月16日木曜日

ビー玉の取り出し方

   夏ちゃんファミリーがラムネ瓶を提げて「プライヤーレンチを貸して」と言ってやってきた。ビー玉を取り出そうといういう。
 少々のペンチでは歯が立たなかったらしい。
 プライヤーレンチはモンキーレンチ並みの力を発揮するから、ビニール部分を摘んで思いっきり剥がそうという。ところがこれがウンともスンとも動かない。
 最後に私が、廻してみて接着を剥がそうとしたところ、ついに瓶にひびが入ってしまった。これ以上は危険なので中止した。

 あとでネットで検索すると、この蓋の部分は二種類あるという。
 ひとつはねじ式で私が試みたように回せば取れる。
 もう一つは締め付け型で、蓋の下部がギュッと閉まっているので、この部分をニッパー等で切れば取れる。
 ところがこれはそのどちらでもなく、蓋全体が全面的に強力に接着されていた。
 金鋸等々いろんな道具で挑戦したが結局ダメだった。

 最初から昔ながらのガラス瓶の口そのものをすぼめたものなら「取り出そう」という気も起らなかったのに。ああ。
 ビー玉そのものは何個も詰めて百均で売っている。
 久々に敗北感に襲われている。

2019年5月15日水曜日

ミロクのふるさと

 11日にNHK BSで『シルクロード美の回廊Ⅱ▽微笑みがきた道』を観た。タイトルに期待していたとおりの内容だった。
   奈良斑鳩中宮寺の半跏思惟像のアルカイックスマイルのルーツ探しで、4Kカメラは今回海外初公開の麦積山石窟をスタートして、シルクロード河西回廊の敦煌・莫高窟、楡林窟などの数々の仏像や仏画を紹介してくれた。
 それらの顔は、このテーマのために取捨選択されたのかもしれないが、いずれも微笑んでいた。

 そして私が一番期待していた”その先”にカメラは進んだ。アフガンのバーミアンである。
 この地はシルクロードの結節点、広義のガンダーラ地方と言っても大きな間違いではないだろう。
 インド東北部ガンジス川に起こった仏教は当初は仏像を持たなかったらしい。現在のイスラム教とよく似た論理だったらしい。
 それが西北に進んでこの地でより西側の文明と出会って、ギリシャ文明の象徴たる彫像という技術・文化を取り入れて仏像文化となって東漸して飛鳥文化にまでたどり着いた。

 同時にこの西アジアの地は古代アーリア人の文明の地でもあった。
 後にゾロアスターによって整理される以前の多神教の文明の地で、その中に有力な「ミスラ信仰」があった。仏教に取り入れられて「弥勒信仰」となった。西に行っては後にローマ帝国のミトラ教となった。
 ギリシャ彫刻の文化とミスラ信仰の東漸こそが微笑みの道だったのだ。

 奈良の地でシルクロードを語る場面では、多くは長安で終わりである。少し親切に言えば「国際都市長安」だから西域の文化も多少は含んでいる。
 しかし今般の中宮寺の(弥勒)菩薩半跏像(伝如意輪観音像)の故郷は、はるか西アジア~中央アジア~ギリシャ~ローマに通じている。

 私は法隆寺の柱の膨らみまでエンタシスという論には組しないが、何でもかんでも「ニッポン偉い」的な皇国史観に通じる狭隘な歴史感、文明感は夜郎自大だと思う。
 頭の中に世界地図を広げて世界史年表をめくって自国の歴史を語る方が何百倍も楽しいのに。

2019年5月14日火曜日

五葷

   不許葷酒入山門(葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず)の葷は五つあり五葷という。五葷の一部には諸説あるが、基本形は、大蒜(ニンニク)・小蒜(ヒル)・興渠(ニラ)・慈葱(ネギ)・茖葱(ラッキョウ)とされている。
 植物であるのに精進料理にさえ忌避される理由はこれも諸説あるが、いずれもいわゆる精力材なので修行の妨げになるということだろう。

 ということは反対に言えばアンチエージングの推奨食材なので、在家の凡夫たる我々が避ける必要はない。

 山野草料理に詳しい田中澄江さんのエッセイの中に、「女から女へと精力的にわたり歩いた光源氏の君は何を食べていたかと市川崑監督と話し合ったとき、多分、鴨川の土手などのノビルを採って来させていただろうということになった」というくだりがあった。

 義母の入居している老人ホームの庭にその小蒜(ノビル)が出ている。
 去年も何本か採って戴いた。
 今年のは少し小さいからもう少し置いておこう。
 2週間後に家族会の行事があるから、みんなに酢味噌か田楽味噌で齧ってもらおうかと考えている。
 去年の会報に「庭にノビルがある」とその場所まで書いたから、それまでに誰かに摘まれてしまうかも知れない。

2019年5月13日月曜日

落語に花咲く仏教

   近鉄大阪線に俊徳道(しゅんとくみち)という駅がある。駅名は駅の横を通る街道・俊徳道に依る。
 街道・俊徳道は、河内国・高安に住んでいた俊徳丸が、高安から四天王寺へ通った道といわれ、沿道の広範囲に亘り『俊徳』と冠される施設・旧跡などが点在する。

 その俊徳丸だが、能、説教節、文楽、歌舞伎、河内音頭、そして落語に登場する主人公だが、早い話が物語上の人物である。それが実際の街道の名前にまでなっているには大阪の宗教性があると、著者の釈 撤宗(しゃくてっしゅう)は説く。
 『落語に花咲く仏教--宗教と芸能は共振する』(朝日選書)は非常に読みごたえのある本である。

 「伝統芸能はなんらかの宗教性をもっている。少なくともその芸能の源流をたどれば、宗教儀礼や宗教思想と無縁であることはない。五来 重(ごらいしげる)が指摘するように、芸能について考察する場合、芸能史や民俗学などのアプローチだけでは不十分である」と書いてあるのだが、なかなか、散楽、猿楽、田楽あたりから落語に至る第一級の芸能史になっている。

 このブログに書いたこともあるが、私は説教節もデロレン祭文も見聞した。俊徳丸であげた芸能だけでなく、講談、浪曲、江州音頭等々もこの範疇に含まれる。
 仏教を知れば伝統芸能が何倍も楽しくなるし、能のそれ等は仏教を抜きにしては理解さえできない演目も多い。
 この本は購入して損はない。

2019年5月12日日曜日

銅鐸を愛した弥生人

   5月8日の『土偶大好き1』でNHK BSの『英雄たちの選択▽追跡!土偶を愛した弥生人たち~縄文と弥生をつなぐミステリー』に触れ、「縄文時代の流れをくむ土偶を愛した(?)弥生人が、近畿地方にいた」ことを紹介したが、その放送では、弥生の先進地域九州北部の弥生時代早期(前10C~前8C)から前期(前7C~前4C半ば)の遺跡から、東北地方の亀ヶ岡系土器(縄文晩期)が出土することも大きな問題提起だった。

 ツイッターなどでは「弥生人と縄文人が雑居していただけではないのか」というような投稿もあるが、上記の事実はそんなものではないことを物語っている。
 もっと言えば、「西の方には新しい文化があるらしい」と、東北の縄文人が九州まで「国内留学?」や「移住」をしていたらしい。
 有名な姫川のヒスイの全国的出土状況からみても、縄文人の結構な流動性、あるいはネットワークは侮れない。
 それに比べると稲作弥生人は土地にへばりついて流動性は低下する。弥生~江戸時代の目で縄文を見ると間違う。

 時代は下って古墳時代の大和その他の古墳からゴホウラ貝の腕輪が大量に出土したりする。その場合、被葬者は女性が推定される。
 琉球諸島のゴホウラ貝の採取と流通をになった人々も縄文系文化の後継者であろう。
 つまり、稲作弥生人と、猟や漁に携わる縄文人は、雑居ではなく交流・交易し共存していたのだろう。古墳時代の一側面からもそのように想像できる。
 つまり、古く劣った縄文文化が終わり、新しい弥生文化が日本列島を席巻したと考えるのは単純すぎて正しくないと放送の出演者は口々に語り、私は大いに納得した。

   わが家の近くに銅鐸出土地がある。相楽山銅鐸(そうらくやまどうたく)と呼ばれている。
 高さ40㎝、重さ1.9㎏の中型のもので、三角形を連ねた鋸歯文(きょしもん)と袈裟に似た格子を縦横に組み合わせた袈裟襷文(けさたすきもん)で飾られた扁平紐(へんぺいちゅう)六区画袈裟襷文銅鐸で、この銅鐸は鳴らした痕がない弥生時代の謎の製品(一般には祭器)である。

 かつては畿内の銅鐸、九州の銅剣・銅矛と言われたが、九州でも銅鐸の鋳型が見つかった。
 弥生もまた一色でなく、いろんな人がいて共存し、果ては戦った(倭国大乱)。
 この銅鐸の所有者はどんな人だったのだろう。住宅地の路上に小さなプレートがあった。

2019年5月11日土曜日

2019年春のメディアを覚えておこう

 私はメディア評論家でもないから、一連の天皇代替わりに関わるテレビなどはほとんどと言っていいほど見ていない。
 専ら本の虫になっていたし、あえて言えばラジオの「子ども科学電話相談室」などを聞いていた。
 「録画に貯めていた番組を見ていた」「ツタヤからレンタルした映画等を見ていた」「旅行などでテレビは見ていない」という知人も多かった。
 それでも、テレビ番組欄のタイトルだけでも「そこまでするか」という感じはわかったし、ニュースの端々でも「お祭り騒ぎ」は理解できた。
 
   そういう状況なので、この間のメディアの分析など到底できないから、ホンの狭い範囲の感想を述べることにする。
 第一は、確かに憲法の精神よりも政権に忖度した報道が続いたが、30年前とは相当趣きが異なっていたように感じた。
 30年前の代替わりは、天皇という人の逝去と重なっており、市民社会の礼儀という感覚とも重なって、いろんな批判が自粛を余儀なくされる大きな同調圧力があったが、あのときの重苦しさほどは今回はなかったのでないか。

 第二は、それにしてもこの報道姿勢は何だろうと考えると、過小評価してはならないが、「年が明けておめでとうございます」「新しい店が開店して行列ができている」「有名グループが解散する」とほゞ同じ土俵の出来事なのかと私は感じた。もっと言えば、「街はハロウィンで賑わっています」的な報道だった気がする。

 第三に、だから「令和の時代に期待したい」という発言者も安倍政権を支持するわけでなく、「一般参賀」に行った人々も憲法改正を支持するわけでもないと私は思う。
 メディアが作り出す「熱狂」の瞬間風速の恐ろしさは過小評価してはならないが、今般の代替わり報道を過大評価する必要もないのではないか。
 ただ、安倍首相や右翼勢力が若い天皇をいいことに「元号事前報告?」のような天皇の政治利用を強化していることは間違いなく、その危険性の注意喚起は大切だと思う。

 終わりに、そもそも現憲法の第2章以下の民主主義と第1章の天皇制は矛盾している。
 違う角度から言っても、一夫一婦制と男系男子も遠からず破綻する可能性がある。
 冷泉家のような元貴族や徳川家のような元幕府・大名は、財団等の法人となって歴史を残していることを想起したい。。
 芸の世界では家元、宗家、本山等が財団等の法人になっている。
 寺社は宗教法人としてその歴史を継承している。
 民主主義国家の中で天皇家をどう位置付けるのかは大いに議論すればいい。
 権威は自ずと滲み出るようなもので、外から権威付けをしようとするから無理が生じるのだ。

以上が「代替わり」に直接関係する私の感想であるが、なお、改元に関するテレビの歪みも非常に酷いという指摘がある。「指摘がある」と間接話法なのは前述のとおりその種のテレビも全く見ていなかったから・・・。

『リテラ』などの指摘によると、テレビ各局の“平成事件振り返り”から「福島原発事故」が見事に消えていたという。以下『リテラ』等の文章の要旨を引用する。

 4月6日に放送された『池上彰のニュース そうだったのか! 3時間スペシャル』(テレビ朝日)の内容は「平成30年大ニュース」と題し、平成の時代に起こった事件や出来事を「昭和」と比較し分析するというもので、ゆとり教育や消費税導入、テロの激増、そして「日本を大きく変えた自然災害」として西日本豪雨、雲仙・普賢岳などともに東日本大震災にも触れられていた。
ところが、その震災についても「SNSが普及」「LINEに既読機能が」といった災害対策がメインで、多くの国民に甚大かつ深刻な被害を与えた福島原発事故についてはクローズアップしなかった。

フジテレビが3月31日に放送した『報道スクープ映像 昭和・平成の衝撃事件!大追跡SP』も同様で、昭和のロス疑惑まで取り上げているのに、原発事故にフォーカスすることはなかった。

 NHKでも同じ現象が起きている。『NHKスペシャル』ではこの間、「平成史スクープドキュメント」と銘打った回顧シリーズを放送していたが、「大リーガーNOMO」「山一証券破綻」「小選挙区制導入」「安室奈美恵」などがテーマで、原発事故は結局、テーマにならなかった。

 情報番組やワイドショーも、この間、レギュラー枠の中で平成ふりかえり企画を放送したが、やはり原発事故をクローズアップした番組は皆無。

 とくに、平成最後の日の『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ系)は、「年表で振り返る30年間」として平成の事件を振り返り、小泉政権の誕生、高橋尚子のシドニー金メダル、ライブドア事件などはたっぷり映像で放送したのだが、2011年になると、「災害の多かった平成、なかでも東日本大震災、いまだに復興道半ば」という短いコメントとともに、津波で押し流された町の写真パネルが一瞬、映されただけで、すぐに「それから2012年、東京オリンピック開催決定、スカイツリー開業、えーそんな前になんの?」と、宮根がおちゃらけトークで別の話題に移してしまった。

この間、原発事故のことをきちんと取り上げていたのは『報ステ』やTBS、それも報道局が作った番組くらいで、他の民放も、NHKも明らかに原発事故を避けていた。

その理由のひとつは安倍政権に対する忖度
直接的な現場への圧力というのは不明だが、局の上層部には、『五輪を前に日本の安全をアピールする必要がある。協力してほしい』というプレッシャーがかかっているようだ。
そのためか、原発事故をクローズアップしようとすると、上から『風評被害を助長するのはどうか』とクレームがつく。振り返り企画でも、そういう空気を忖度したということらしい。

もう1つの理由は、電力会社による“原発広告”の復活。
 事故から3、4年が経った頃から、メディアでは“原発広告”が完全に復活。さらに、原発再稼働政策を推し進める安倍政権と歩調を合わせるように、電力業界は広告費を増やし、再びマスコミを“カネ”で漬け込んで“原発タブー”を作り出している。

 安倍政権への忖度、原子力ムラによる大量の広告出稿によって、マスコミは再び原発安全神話に加担し、原子力ムラと一体化しつつある。
平成の最大の人災でもあり、世界でも未曾有の原発事故を平成の終わりとともに「なかった」ことにされてしまうのだろうか。

ご存知のとおり、原発事故は、収束していない。
 メルトダウンして溶け落ちたデブリの全容は未だ把握出来てない。
 仮に取り出せたとしても、保管方法が決まってない。
 汚染水は溜まり続け、あと2年でタンクの設置場所がなくなる。
 放射能が怖くて避難してる人たちは、避難先の住まいから追い出されようとしている。
 子どもたちの甲状腺がん多発の原因を、調べようともせず放置している。

こんな状態を報道もせず、安全神話の時代に後戻りするテレビに蛙たちは茹でられていることも知らず温泉気分でいる。