2019年5月15日水曜日

ミロクのふるさと

 11日にNHK BSで『シルクロード美の回廊Ⅱ▽微笑みがきた道』を観た。タイトルに期待していたとおりの内容だった。
   奈良斑鳩中宮寺の半跏思惟像のアルカイックスマイルのルーツ探しで、4Kカメラは今回海外初公開の麦積山石窟をスタートして、シルクロード河西回廊の敦煌・莫高窟、楡林窟などの数々の仏像や仏画を紹介してくれた。
 それらの顔は、このテーマのために取捨選択されたのかもしれないが、いずれも微笑んでいた。

 そして私が一番期待していた”その先”にカメラは進んだ。アフガンのバーミアンである。
 この地はシルクロードの結節点、広義のガンダーラ地方と言っても大きな間違いではないだろう。
 インド東北部ガンジス川に起こった仏教は当初は仏像を持たなかったらしい。現在のイスラム教とよく似た論理だったらしい。
 それが西北に進んでこの地でより西側の文明と出会って、ギリシャ文明の象徴たる彫像という技術・文化を取り入れて仏像文化となって東漸して飛鳥文化にまでたどり着いた。

 同時にこの西アジアの地は古代アーリア人の文明の地でもあった。
 後にゾロアスターによって整理される以前の多神教の文明の地で、その中に有力な「ミスラ信仰」があった。仏教に取り入れられて「弥勒信仰」となった。西に行っては後にローマ帝国のミトラ教となった。
 ギリシャ彫刻の文化とミスラ信仰の東漸こそが微笑みの道だったのだ。

 奈良の地でシルクロードを語る場面では、多くは長安で終わりである。少し親切に言えば「国際都市長安」だから西域の文化も多少は含んでいる。
 しかし今般の中宮寺の(弥勒)菩薩半跏像(伝如意輪観音像)の故郷は、はるか西アジア~中央アジア~ギリシャ~ローマに通じている。

 私は法隆寺の柱の膨らみまでエンタシスという論には組しないが、何でもかんでも「ニッポン偉い」的な皇国史観に通じる狭隘な歴史感、文明感は夜郎自大だと思う。
 頭の中に世界地図を広げて世界史年表をめくって自国の歴史を語る方が何百倍も楽しいのに。

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