資本論は高校生のときに購入して読み始めたが「桐壺源氏」で終わっている。このテキストで最新版に挑戦したくなった。そういう気持ちにさせるほど刺激的だった。
さて、現状報告と今日の健康川柳
鏡には万物流転や福笑い
山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
MRIもビートと思って唄うたう
判らぬを特発性と医師は言い
もうあかんと言いつつ次の策を練る
遺骨収集活動は現在でも根気強く行われているが、収集活動を進めている人々に聞くと、沖縄県人の遺骨は小さな岩のくぼみや草原に多いという。つまり、大きなガマは軍が接収して沖縄県民はガマから追い出されたのだという。沖縄ですらこうであるから、日本軍が朝鮮で中国で東南アジアでどれだけ非道なふるまいをしたかは想像がつく。昨日の「終戦記念日」のニュースを見ていても、日本人の被害には言及しているものの加害の反省が少ないのが気になる。
例えばシンガポールでは、憲兵の戦友会「全国憲友会」が発行した『日本憲兵正史』に「シンガポール華僑粛清事件」と項を立て、「辻正信第25軍作戦主任参謀がシンガポールの人口を半分にするのだと発言して憲兵を驚かせた」「この事件は大東亜戦争史上一大汚点となった」と書かれている。杉田一次参謀は「5万人殺すことになっていた。全部殺すことは不可能とわかったがおよそ半分は処置した。そのときにやめるよう命令が出された」と後に証言している。
戦後親日家として有名であったリー・クアンユー元首相は回顧録の中で、「日本人は英国よりも残忍で常軌を逸し、悪意に満ちていることを示した。同じアジア人として我々は日本人に幻滅した」と記述している。
重ねて言うが、8月ぐらいは先の大戦での被害の諸々だけでなく、日本の行なった加害について十分勉強し考える必要があると思う。
夫の吉行エイスケはダダイズムの作家でありプロレタリア文学には批判的であったが、親密な作家仲間は次々に特高警察の弾圧を受けたり、それゆえの逃亡生活に入っていった。もちろん、エイスケ・あぐりの周辺にも特高の目が光り、不当な捜査もされていた。友人知人も次々に徴兵、戦死、子を宿した戦争未亡人等々になっていった。エイスケ自身は戦争とは直接関係のない心臓麻痺で急逝している。
あぐり自身は美容師の最先端にいたから、「パーマは敵だ」と攻撃され、パーマネントの機器は強制的に供出され、果ては建物疎開を命令され、結果的には空襲で美容室は灰燼に帰した。朝ドラでこれらの場面で「大活躍した」のは国防婦人会の町内のおばさんだった。
ファシズムの分析というとどうしても先の特高警察の弾圧がクローズアップされるが、日々の庶民の暮らしと思想を圧迫していたのは国防婦人会などの近所の普通の人々だった。(妹尾河童著『少年H』でもそういう相互監視の結果、親は酷い拷問や嫌がらせを受けている)国防婦人会のその負のパワーは、軍人の妻としての意識、戦争未亡人の復讐心、さらには子が戦死した母親の「不公平感」などもあったが、街中に成人男子がいなくなり、必然的に守備範囲が拡がった女性たちの生きがい、充実感もあっただろう。なにしろ選挙権もなく、一人前の人間扱いされていなかった女性が「お国のために」働き場を与えられたのであるから。
社会というものは一筋縄ではいかないものだ。現代でいえば、決して恵まれていない庶民が生活保護や福祉を受けている人々を攻撃するようなものである。コロナ下で自粛生活を守ってきた庶民が「強力な緊急事態法=改憲」を求めるようなものである。
8月15日、いわゆる終戦記念日、単純に一部軍人が悪かった的な話で「いいね!」とするのでなく、ファシズムに向かう小さな囁きを一つひとつ告発していかないと、知らないうちに幽霊は成長する。今日一日ぐらい「考えない罪」「行動しない罪」をあれこれ考え抜くのも悪くない。
15年戦争のアジアの人々と日本の人々に黙祷。
古希越えていつまで歌う高三生 (芳養虎)という川柳のこと。私が「学園広場」の替え歌をOB会の歌にしたことを皮肉られた。
毎週土曜日朝5時からのMBSラジオ「しあわせの五七五」から選抜された川柳が本になって3冊目。取り寄せをしてもらっていた本屋から連絡を受け、直ぐに読んだ。朝日や赤旗の川柳はどちらかというと時事川柳だが、このMBS&毎日新聞の川柳は「健康川柳」と銘打っている。
私の感覚では、時事川柳が上で健康(日常)川柳が下というわけではない。この本の作者でありラジオの「師範」でもある毎日新聞の近藤勝重氏は次のように述べられている。
■ ところで、僕が健康川柳に求めてきたのは俳味です。俳味の「俳」に俳句を思い浮かべる方がいるかもしれませんが、室町時代から江戸時代にかけて盛んになった俳諧の「俳」です。手元の辞典には俳味は「俳諧のもっている情趣、軽妙、洒脱な味わい、俳諧味」とあります。また「俳」に「おもしろい。こっけい。おどけ」などの語釈をつけている辞典もあり、それらは川柳の三要素の「うがち。おかしみ。軽み」とどこか重なります。 俳諧は明治以降、俳句と川柳に分かれ、「俳」をより重んじているのは俳句よりも川柳というのも何だか妙な感じですが、川柳の俳味は「生き方再発見」につながります。■
それはさておき、先日、孫の療育園のバスの運転手の爺さんに「おじいさん」と呼ばれてびっくりしたが、私は知らない間に立派な「おじいさん」になっていた。さて、「お爺ちゃん」呼ばれてるうちに慣れてきた(芝原茂)になるのだろうか。
鏡なぜ写さぬオレの気の若さ(豊中のタカシ)に大共鳴だが、実際の日常では、 生きているだけでええのに悩んでる(板東純)方がぴったりかも。
よし、本年後半の挑戦(課題)は決まった。
これは先輩のスノウさんから教えていただいたことだが、・・・子貢(しこう)、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去(さ)らんと欲(ほっす)。子(し)曰(いわく)、賜(し)や、爾(なんじ)は其(そ)の羊(ひつじ)を愛(お)しむ、我(われ)は其(そ)の礼(れい)を愛(お)しむ。(論語八佾)・・・と。
そも迎え火、送り火は親鸞の教えにはないようだが、そんな行事を通じてしかお盆さえ忘れてしまう凡夫の身、今年も楽しく迎え火を焚いた。孫の凜ちゃんは「焚火」「焼き芋」と思ったらしいが、そんな発言を大笑いできるお盆は幸せなお盆である(新盆の読者の方にはこんなノーテンキな記事を書いて申し訳ない)。
ほとんどの年中行事は古臭く合理的ではない。だからといってそれらを捨て去ってしまうとどうも人生が味気ない。現実的、合理的な話題しか話せないのは面白くない。どのように取捨選択して日々を楽しむかだろう。
迎え火を焚いた。
著者のすごいところは、資料の比較など(だけ)で執筆したのでなく、雲南の少数民族の村に長期間居住しながら学んだ実践に基づいて論を立てているところだ。詳細部分は門外漢の私には理解できないところもあるが、体で掴んだ論ほど強いものはない。
彼の地の歌垣を紹介しながら、文字をもつ以前の東アジアの民族の恋歌や挽歌のストーリーや死生観にまで論は及んでいる。内容は紹介し切れないから興味があれば自身で学んでもらいたい。
全くの寄り道の部分で思うところもあった。・・・古代の日本には人を恋しいと歌う文化があった・・・そういえば天皇も貴族も人を恋うる歌を歌っている。それこそが日本の文化だ伝統だとすると、西南戦争後の明治新政府が大元帥たる天皇に恋歌を詠むことを禁じ、その流れは大正、昭和天皇に引き継がれた。丸谷才一はそれを「日本文学の伝統を断ち切った明治政府の最大の文学的弾圧であった」と断じている。
となると、明治時代を賛美する日本会議や果ては維新の会の人々は、最も日本の伝統を軽んじる者たちである。
遅まきながら日々の生活に感動を見つけ、その感動を五七調の歌に詠う真似事をしてみたい。
孫に「ギャンブル依存症とアルコール中毒のただの爺さんで死んでいくのか」と尋ねられる主人公は他人ごととは思えなかった。
絶望の中で終わるわけでもなく、ハッピーエンドとまでも言えない「現代」は、非常にリアリティーがあった。そして約50年前の「過去」の活動屋たちの元気も生意気もどこかで自分の「過去」と共鳴した。世界は違うが同じような空気を吸いながら同じような時代を生きていたように思う。
コミックが原作の多くの楽しい映画で育ってきた若者にはこの共鳴感は無理だろうなあ。このダメ爺さんに共鳴できるにはそれなりの人生経験がいる。
私には見事な現代劇に見えた。
そして、漠然と台風に比べて温帯低気圧は危険性が格段に低いというイメージでいたところが、台風9号崩れの温帯低気圧はかなり離れたわが家周辺でも長期間強風が吹き、庭のハナモモのけっこう太い枝が折れ、少し小ぶりだが街路樹の銀杏の木は幹が折れてしまった。温帯低気圧畏るべし! 天気予報ではこんな台風並みの温帯低気圧には特別の名前を付けてほしいものである。
そんな予想外の強風に遭ったので少し調べたところ、台風や熱帯低気圧のエネルギー源は水蒸気が水滴に変わる際の潜熱であり、片や温帯低気圧のエネルギー源は暖かい空気と冷たい空気が上下に入れ替わる運動エネルギーだということが解った。
熱帯低気圧と温帯低気圧でそんな大きな違いがあるのかと感心したので、孫の小学生の夏ちゃんに解説したが、説明が下手で全く興味を引き出せなかった。夏ちゃんにはそっぽを向かれたが、この歳になって初めて熱帯低気圧と温帯低気圧の違いを知って、恥ずかしながら自分自身で知的満足感を感じた。
8月7日朝5時にわが家の庭で蜩(ヒグラシ)が鳴いた。(これまでは少し遠いところで鳴いているのが聞こえていたが)これは記録のために書いておく。
ヒグラシは夜明け前と夕刻に鳴く。夕立でいっぺんに暗くなった時も夕刻と間違えて泣くことがある。
ヒグラシの声はイメージとしては真夏のそれではなく、残暑から初秋の気分がする。できすぎた話だが8月7日は立秋であった。
マルクス・ガブリエルではないが、利益が物差しではない、倫理を原則とした経済の仕組みにならざるを得ないだろうし、そういう声を世界中の声にしていく必要がある。
未来の目から現在を振り返ると世界はある意味で革命期であったということになるだろう。そういう観点に立つと、そのうちにコロナも収束するだろうからその際は昔のように集会やデモで声をあげようという考えが如何に時代遅れで陳腐かということになる。しかし、SNSもしない、ネットも見ないという人は自分の歴史的立位置が見えていない気がする。
実際集合しての行事、早い話が酒など酌み交わして談論風発というのは当分困難かもしれない。そういう時に、思い切って集合しない交流の新機軸を打ち出さずに「収まるまで待ちましょう」では歴史のかなたに打ち捨てられはしないだろうか。
そういう議論をしたいが、なかなか議論は弾まない。これでいいのだろうか。
ナガサキというと、全労働省労働組合(全労働)元副委員長福田幸雄氏は被爆当時長崎に住んでいた。ただ、ほんとうに爆心地近くに住んでいたのだが2日前に疎開していた。紙一重というよりも「神一重」というのが相応しい気がする。
その上に、当日も爆心地に一番近い旧制中学校である県立瓊浦中学校で防空壕に逃げた後、警報解除で浦上駅にたまたま来た列車に乗り、少し離れた長与駅の列車の中で被爆された。
疎開していなかったら、防空壕の外だったら、下校しなかったら、列車が来ていなかったら、長与駅で列車の外に出ていたら、その内の一つでも外れていたら亡くなられていた可能性が高い。
そして本人は、証人がいないということで今も被爆者手帳をもらえていないという。
被爆者手帳というと、先日黒い雨裁判があったが、その根拠となった調査結果と見解をまとめられたのは気象学者増田善信氏だった。
私が全労働本部にいた頃、ほとんどの国公単組の本部は役所と共に霞が関にあったが、全労働本部と全気象本部は大手町にあった。その隣組である全気象本部委員長が増田氏だった。
戦争中天気予報は軍部の機密とされ公表されなかった。それゆえに台風その他の予防もできず、被災後の救援もできないケースが多かった。その痛恨の歴史から全気象や国公労連は行政民主化と平和運動を重視してきた歴史がある。
今コロナ禍を理由に改憲で緊急事態条項を目論む勢力が蠢動しているが、ノー モア ファシズム の声を忘れずにいたい。
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| 札幌競歩の沿道の密 |
岩田健太郎医師はこの傾向は5月に医療崩壊した大阪や神戸でもそんな感じであったと述べられている。感染症対策では、医学プロパーの問題の外に、こういう社会政策を真剣に考える必要があるだろう。
結局、政府から発せられた「人流は減ってきている」「ワクチン接種は進んでいる」「オリンピックはバブルの中に包み込む」「安全安心のオリンピックを決行する」というメッセージを若者たちは自ら検討し、「緊急事態はタテマエだ」と想像力を働かせたのではないだろうか。そのベースには正常性バイアスがあっただろう。つまり、想像力が欠けていたのでなく、そういう風にバイアスがかかるような発信がなされていたのである。
その後修正(撤回)されたとはいえ政府は「中等症は自宅療養」という指示を全国の自治体に発出した。言うまでもなく、自宅療養にしろということは入院させるなということであるから、入院拒絶、棄民政策である。8月5日20時15分現在のデータの東京都の自宅療養者は16,913人である。
岩田健太郎医師流に言えば、「地震が東京を襲い、瓦礫の下で16,913人が怪我をして閉じ込められていて病院に行けなくなっている状態と同じ」・・・だとすると、政府も政府だがメディアもメディアだということになる。16,913人の安否が心配な事態でテレビをつければ、やれ金メダルだ、やれ何個になったというテレビ画面ばかりである。本来なら16,913人で埋め尽くされていてもおかしくないのだ。これでは主に若者が人流を作っても不思議でない。
やはり、少しまともな考えをもっともっと多くの人々が発信しなければならない。その際、前述の若者の心に届くように発信しなくてはならない。菅、小池、吉村があかんと言うだけでは言葉は届かない。
先日ミニコミ紙を送付してお礼の便り等をいただいたが、やはりそこでの言葉は「送付状」についてが多かった。紙面でさんざん社会の批評をしていて、その上で送付状で同じようなことを重ねても「またか」になってしまう。自覚的民主勢力の人々にはもっと個性的に発信してほしい。
私はというとその頃、1954年(昭和29年)からビキニ環礁等で水爆実験が繰り返され、日本国中に放射能雨が降り注ぎ、「雨に濡れたらあかん」「放射能雨を被ると禿になる」と学校や親から注意されたが、何処からとも聞こえてきた「放射能ぐらいに負けたら元気に生きていかれへん」というヤンキー的な言葉に粋がって、知って濡れて歩いたりしていた。私が本格的に原爆のことを知り平和運動のことを知ったのは高校生になってからだった。
さて全労働省労働組合(全労働)が核廃絶・被爆者援護の国民平和行進に本格的に参加したのは1976年のことで、正直に言って力の波はいろいろあるが今年まで継続して取り組んできた。その中で職場では「歩くだけで核廃絶が可能だろうか」「抑止力としての核兵器は無くならないだろう」という素朴な意見を死ぬほど聞いてきた。で、そのことについてほんの少し考えてみる。
先日来、好きな歴史の本を適当に読み進めてきたが、世界の歴史を見ると、1945年以降76年間、本格的な戦争や兵役を知らずに生きてきた現代日本人はほんとうに例外ではないかと思うようになった。その力の根源が平和憲法にあることは間違いない。
その歴史の俯瞰から、私は「現代日本76年が例外で、世界中はやがてさらに強力な兵器で殺し合うだろうと」諦めるのでなく、反対に、ぬるま湯的日本では見えにくかった世界の進歩を見たいと思う。
歴史の物差しでは、たかだか76年前、ヒロシマ、ナガサキに原爆が落とされた時の日本には言論の自由はなく、思想警察が殺生与奪の力をもち、女性には選挙権すらなかった。
また例えばアメリカで、キング牧師が暗殺されたのは1968年、その元となった公民権運動の出発点は日本では民主教育が進んでいた戦後でも、黒人は白人にバスの座席を譲らなければならないとか、スクールバスが白人と黒人で別々だというようなことだった。今でもBlack Lives Matter 運動があるが、当時から見ると時代は大きく進歩しつつある。
お隣の韓国は、1980年に光州事件があったりして、軍事政権が本格的な民政に移管したのは1987年のことである。
そうして1955年に発足した原水禁運動やその後取り組まれた国民平和行進は世界中に声を広げ、そしてついに、2017年7月7日核兵器禁止条約が国連総会で採択され、今年2021年1月22日に条約は発効した。問題は未だ批准しようとしない日本政府の姿勢であり、政権交代によって批准をさせたいものである。
長々と書いたが、何も行動せずに「核兵器は無くならへんやろ」的に語る事への返書のつもりでこの記事を書いた。
ハンナ・アーレントが問題提起した、一人ひとりの個人の「見てみぬふり」「思考停止」の罪である。先日逝かれた益川敏英先生の言葉でいえば「科学者(ここをそれぞれ会社員とか公務員とかに読み替えて)である前に人間たれ」である。先生はこうもおっしゃっておられる。「私は(思う)、あと200年経ったら戦争はなくなる」と。
最後に重ねて言おう。政権交代で核兵器禁止条約を批准させよう! 2021年8月6日
TOKYO2020なのだから、日本国中で国民が首を垂れている日にスルーするという決定の方が異常だと私は思う。
穿った見方をすれば、大スポンサー米国が気を悪くしないかという忖度だと私は思う。しかし、テーマは人類共通の倫理的テーマである。もし私の想像通りであるとすれば、それは、ジェンダーその他の差別を公然と認めている国がある、よってオリンピックでは「人種やジェンダーの平等」を主張しないということと同じだと思う。違うのは忖度の対象が大スポンサーだということだけであろう。
さて、以前に私は原水禁世界大会に参加したことがある。平和祈念式典にも参加した。広島と長崎のそれぞれの原爆資料館も訪れた。しかし何度も書くが、私の一番の体験はヒロシマの先輩と宿舎の一室で泊まった時のことである。その夜、先輩は大声をあげてうなされた。その尋常でない苦しみ様は文字では伝えられない。昼間被爆のことを語った夜はいつもこのようにうなされるのだと翌朝聞いた。
後に私は精神障害の労災認定に携わったが、フラッシュバックの怖ろしさが文句なく理解できた。
戦後生まれの人に「ヒロシマ・ナガサキを体験してみろ」と言われても不可能なことである。そこでお願いだが、二次体験でよいから語り伝えてほしい。二次体験もなければ「知り合いに被爆者のフラッシュバックに腰を抜かした男がいる」ことでも語り伝えてほしい。
どんなことでもよいから、貴方のヒロシマ・ナガサキをネット上に書いて欲しい。「いいね!」のボタンで済まさないでほしい。
アベといいスガといい、政府与党は嘘つき政治家ばかりかと思ったが、中にはこんな正直者もいた。
■ 自民党の河村建夫元官房長官は31日、「五輪で日本選手が頑張っていることは、われわれにとっても大きな力になる」「五輪がなかったら、国民の不満はどんどんわれわれ政権が相手となる。厳しい選挙を戦わないといけなくなる」と語り、東京五輪で日本代表選手が活躍すれば、秋までにある次期衆院選に向けて政権与党に追い風となるとの認識を示したと報じられている。■
落語「禁酒番屋」ではないけれど、この正直者めが・・・・。
このように、政権が国民の批判をかわす手段としてスポーツを利用するのを「スポーツウォッシング」(スポーツの喧騒で洗い流す)という。そういう概念(言葉)が存在していることを先日知った。河村発言と併せて忘れないでおこう。感動や熱狂の裏にはこんなこともある。
問題は、彼らの意識の中には、入院できずにたらいまわしにされている庶民、他の重病でも手術等が延期されている庶民、不幸にして亡くなった庶民の声が届いていないということだ。自宅療養だと? 入院拒絶でないか。
さて、アインシュタイン博士の特殊相対性理論では時間は平等ではないが、そういう高邁な議論をするつもりはない。普通には、金持ちも、権力者も同じ時間を過ごし、大抵は100年も生きられない。だから「時間は平等である」と言われている。しかし先日も書いたが、小中高校生の1年は成人の1年以上に貴重なような気がするがどうだろう。老人施設に入居されている方々がご家族と触れ合う時間もそんな気がする。
この1年半でいうと、ご家族と手を擦りあう機会もないまま逝かれた方々も多い。そういう人々の心を思うと、オリンピック施設内の感染者数は「想定内だ」とか、全国から看護師を動員して反省がないということに怒りを覚える。
ただ一昨日書いたように、金持ち国の「有力競技団体」の選手は最初から選手村に入らずホテルを使用しているからバランスはとれているのだろうか。上記の選手は見せしめに祭り上げられただけということはないだろうか。
そのプレーブックだが、応援は拍手だけで声援はダメとされているが、山下JOC会長はマスクを外して声援していたらしいし、テレビの場面では選手と関係者がやたらに握手をしたりハグをしているが、誰もメダルを剥奪されていない。不思議である。
私は、決して皆を処罰せよと言っているのではない。そうではなく、最初からできもしないことが分っていながら、ルールは作った、厳密に従ってもらう、だから安全な大会だ、と言う空虚さ、それを全く批判もしないマスコミに、私はある種の疲労感を覚えているだけだ。
この種のことは昨日今日のことではないし、オリンピックだけのことではない。現職時分にこんなこともあった。
封書を誤って違う人に送付した事件があった。個人情報漏洩問題である。その再発防止策が『今後は発送前に宛先と中身を上司と複数人で再確認する』というものだった。郵送する量は膨大だし、上司は上司で業務が山積みで、そんなことは出来っこない。早い話が人を増やさない限り解決はなく、誰もが嘘臭いと思う「防止策」なるものが「出来上がり」、その後の再発事案は「決まった要領を踏まなかった担当と上司の怠慢」として処分されるだけだった。できもしない「防止策」をつくった者は不問である。
また、不正を行った職員の機械処理(業務はほとんど機械処理される)の再発防止策も、上司が正しい処理かどうかをリアルタイムで確認するという「防止策」が出た。そのままいえば、上司は四六時中部下の機械処理を監視しておかなければならない。そんな要領で業務が遂行されるはずもないが、それで終わりである。
人員の確保、合理的なチェック体制、本気で議論すべき課題は全てそんな虚しい「防止策」の後ろに追いやられた。プレーブックのニュースに接して、この国はひとつも進歩していないなあとため息が出た。
コロナがなくても、嘘にまみれたオリンピックの精神は大いに議論される必要があるだろう。
■ (維新が一定支持されていることについて)主要には、これまでの政治に対する不満を、言葉巧みにに期待を抱かせ幻想を抱かせてきたもので、ヨシモトや在阪メディアの露出のお陰でしょう。同時に、子育て世代への実利もすすめていることも事実です。一方で、公務員や高齢者等を「敵」に祭り上げて攻撃する分断の戦略が一定程度功を奏しています。■
この「子育て世代への実利もすすめてきた」という文言について、よく似た文脈でSNS上で、「トータルでは子育て等の政策は後退しており、そんな風に語ることは維新への幻想を広める」「評価が甘い」的な清水さんへの批判が見られた。
そんなこともあり「編集後記」では、状況をリアルに直視し、■ これまで維新が何をしてきたのかを具体的事実をもって丁寧に説明することで「引きはがせる支持」だ。・・・反対の押し付けではなく、提案型の『ご一緒に考えましょう』と丁寧に対話することで「引きはがせる支持」だ■ と清水さんの発言を補足した。
言いたいことは、トータルとしての維新の嘘や横暴に辟易していても、実際に投票した人に紋切型に「維新はあかん」と言っても「引きはがせない」わけで、リアルな現実と人々の感情に耳を傾けて、語り続けることの重要性を再認識しようと私は聞いた。
一昨日にこのブログで益川敏英さんの『必要な原子力研究の継続』を紹介したが、よく似た問題提起でもある。複雑な問題をそのままリアルに検討することなく、問答無用と一刀両断に斬り捨てるほど『確信的で正しい』かのような弱点、語る側の自省と私は読んだ。複雑な問題は複雑なまま検討し、やたらに単純化することはよくない事もある。
ミニコミ紙も私のブログも、わが能力が及ばず明瞭ではなかったかもしれないが、どうかそのような行間を読み取ってほしい。
「やったー金メダルだ」「メダルが幾つだ」と、聞こえてくる此方が恥ずかしくなるようなテンションでテレビが絶叫している。
そう、親切なマスコミは心得違いをしている国民に感動と熱狂を善導してくれている。
そういう風にスポーツを悪政のイチジクの葉っぱに使うことをスポーツウォッシング(スポーツの喧騒で洗い流す)と言うのだということを知った。
「7.8月の東京は温暖だ」「汚染水はコントロールされている」等々の嘘と、莫大な裏金で実現したオリンピックに今さら驚かないが、メダルに近い日本の競技団体や金持ちの国の選手団は別途快適なホテル等を使用し、貧しい国々や競技団体はコロナ下で窮屈な選手村生活らしい。それが公平か、フェアプレイか、スポーツを好きな方もオリンピックはこれでいいのかという問いを忘れないでほしい。そこで、わがイクジイコンビは顔に蝉のおしっこを浴びながら、正しい夏休みを実践した。場所はわが家とそれに隣接する歩道だが、そこは蝉の歩行者天国でもある。