2021年8月13日金曜日

迎え火

   これは先輩のスノウさんから教えていただいたことだが、・・・子貢(しこう)、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去(さ)らんと欲(ほっす)。子(し)曰(いわく)、賜(し)や、爾(なんじ)は其(そ)の羊(ひつじ)を愛(お)しむ、我(われ)は其(そ)の礼(れい)を愛(お)しむ。(論語八佾)・・・と。

 そも迎え火、送り火は親鸞の教えにはないようだが、そんな行事を通じてしかお盆さえ忘れてしまう凡夫の身、今年も楽しく迎え火を焚いた。孫の凜ちゃんは「焚火」「焼き芋」と思ったらしいが、そんな発言を大笑いできるお盆は幸せなお盆である(新盆の読者の方にはこんなノーテンキな記事を書いて申し訳ない)。

 ほとんどの年中行事は古臭く合理的ではない。だからといってそれらを捨て去ってしまうとどうも人生が味気ない。現実的、合理的な話題しか話せないのは面白くない。どのように取捨選択して日々を楽しむかだろう。

 迎え火を焚いた。

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