2021年8月14日土曜日

人のふり見て我がふり笑え

   「お父さんのこと書かれてるで」と妻が言った。

 古希越えていつまで歌う高三生 (芳養虎)という川柳のこと。私が「学園広場」の替え歌をOB会の歌にしたことを皮肉られた。

 毎週土曜日朝5時からのMBSラジオ「しあわせの五七五」から選抜された川柳が本になって3冊目。取り寄せをしてもらっていた本屋から連絡を受け、直ぐに読んだ。朝日や赤旗の川柳はどちらかというと時事川柳だが、このMBS&毎日新聞の川柳は「健康川柳」と銘打っている。

 私の感覚では、時事川柳が上で健康(日常)川柳が下というわけではない。この本の作者でありラジオの「師範」でもある毎日新聞の近藤勝重氏は次のように述べられている。

 ■ ところで、僕が健康川柳に求めてきたのは俳味です。俳味の「俳」に俳句を思い浮かべる方がいるかもしれませんが、室町時代から江戸時代にかけて盛んになった俳諧の「俳」です。手元の辞典には俳味は「俳諧のもっている情趣、軽妙、洒脱な味わい、俳諧味」とあります。また「俳」に「おもしろい。こっけい。おどけ」などの語釈をつけている辞典もあり、それらは川柳の三要素の「うがち。おかしみ。軽み」とどこか重なります。 俳諧は明治以降、俳句と川柳に分かれ、「俳」をより重んじているのは俳句よりも川柳というのも何だか妙な感じですが、川柳の俳味は「生き方再発見」につながります。■

 それはさておき、先日、孫の療育園のバスの運転手の爺さんに「おじいさん」と呼ばれてびっくりしたが、私は知らない間に立派な「おじいさん」になっていた。さて、「お爺ちゃん」呼ばれてるうちに慣れてきた(芝原茂)になるのだろうか。

 鏡なぜ写さぬオレの気の若さ(豊中のタカシ)に大共鳴だが、実際の日常では、 生きているだけでええのに悩んでる(板東純)方がぴったりかも。

 よし、本年後半の挑戦(課題)は決まった。

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