著者のすごいところは、資料の比較など(だけ)で執筆したのでなく、雲南の少数民族の村に長期間居住しながら学んだ実践に基づいて論を立てているところだ。詳細部分は門外漢の私には理解できないところもあるが、体で掴んだ論ほど強いものはない。
彼の地の歌垣を紹介しながら、文字をもつ以前の東アジアの民族の恋歌や挽歌のストーリーや死生観にまで論は及んでいる。内容は紹介し切れないから興味があれば自身で学んでもらいたい。
全くの寄り道の部分で思うところもあった。・・・古代の日本には人を恋しいと歌う文化があった・・・そういえば天皇も貴族も人を恋うる歌を歌っている。それこそが日本の文化だ伝統だとすると、西南戦争後の明治新政府が大元帥たる天皇に恋歌を詠むことを禁じ、その流れは大正、昭和天皇に引き継がれた。丸谷才一はそれを「日本文学の伝統を断ち切った明治政府の最大の文学的弾圧であった」と断じている。
となると、明治時代を賛美する日本会議や果ては維新の会の人々は、最も日本の伝統を軽んじる者たちである。
遅まきながら日々の生活に感動を見つけ、その感動を五七調の歌に詠う真似事をしてみたい。
祭典の狂騒止みて夢の痕 病床は自助と服膺せよ
返信削除菅首相はこの上まだ「パラリンピック」をやるのでしょうか、政府が何を言っても国民は聞きません!恐ろしい世の中になっています。
返信削除あれはあれ これはこれだと 言い募る コロナ禍の中 オリンピック