そういうものの一つが「くるみ餅」で、素朴な田舎の「餅」ではなく、貴重だった砂糖などを使った高級品だった。
有名な「かん袋」という店の名は、秀吉が名付け親である。
文禄2年、堺の納谷衆の一人であった店主が秀吉に招待された折、桃山城の天守の瓦葺き工事中であったのを手伝い、日頃の餅づくりで鍛えた腕力で瓦を次々と屋根へと放り投げたところ、「まるで紙袋(かん袋)が舞うようじゃ」と驚かれ、故に「かん袋」と名乗るよう命ぜられたという。
戦後の堺では、普通の喫茶店でも夏には「氷くるみ」が食べられた。
だから「かん袋」以外の店のそれがあっても何の不思議もないのだが、先日、百貨店に大寺餅河合堂のくるみ餅が出ていたので懐かしくて購入した。
私の知っている頃は、当時はA小学校の近くで店を出していたが、店ではくるみ餅は作っていなかったと思うが、堺中でくるみ餅を盛り上げるのは応援したい。
若い頃は「胡桃が入ってないのに何故くるみ餅?」と不思議だったが、これは国語のボキャブラリーの貧困のせいだった。
懐かしいですね!くるみ餅はお店(「かん袋」)でしか食べれないと思っていましたが、、、夏場にお店でいただく「氷くるみ餅」の涼しくて甘い味は忘れられません。これなら家でも食べられそうですね、一度試してみます。因みに、くるみの謂れは仰せのとおりですが緑色の餡は青大豆をすりつぶしたもの、「ずんだ餅」で有名な「ずんだ」は枝豆をすりつぶした餡である事はご存知でしたか?私も今回調べて知りました。
返信削除ひげ親父さん、緑色の餡は緑色の段階の枝豆だと思っていました。ありがとうございました。ひとつ賢くなりました。
返信削除落語「茶の湯」で「青きな粉」を点てるというのもそれでしょうね。
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