時事通信が報じたところ、慶応大の浜岡豊教授(応用統計学)が各都道府県の新型コロナウイルスへの対応や影響を統計学的に分析した結果(論文は専門誌「科学」(岩波書店)5月号に掲載)、大阪府が最低・最悪だということが明らかになった。
その大阪府で、健康医療部医療監(次長級の幹部)が府内の保健所長あてにメールで、「年齢の高い方については入院順位を下げざるを得ない」「・・看取りも含めて対応を検討いただきたい」と求めていたことが明らかになった。この要請はその後撤回されたが、テレビなどで取り上げられたこともあり、世間には「いわばトリアージみたいなもので理解できる」という感想も耳に入って来た。はたして・・・
トリアージについては門外漢ではあるが、文字どおり想定外の大規模災害の際の治療の順位付けと理解している。それが、1年前から想定あるいは問題意識が議論されていた病床確保について無策であった当事者・大阪府が、それを言うかとまずは指摘しておきたい。
次にトリアージの順位付けは基本的には、次のとおりとされている。標準的トリアージタッグでは、
黒(black tag) - カテゴリー0(無呼吸群)
死亡、または生命徴候がなく、直ちに処置を行っても明らかに救命が不可能なもの。
赤(red tag) - カテゴリーI(最優先治療群)
生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置をすべきもの。
黄(yellow tag) - カテゴリーII(待機的治療群)
基本的にバイタルサインが安定しているものの、早期に処置をすべきもの。
一般に、今すぐ生命に関わる重篤な状態ではないが処置が必要であり、場合によって赤に変化する可能性があるもの。
緑(green tag) - カテゴリーIII(保留群)
歩行可能で、今すぐの処置や搬送の必要ないもの。完全に治療が不要なものも含む。
そして搬送・救命処置の優先順位は、I → II → IIIとなり、0は最後に救護所へ搬出される。ここには高齢者つまり患者の社会的な要因は斟酌されていない。これが原則だということを確認しておきたい。
これとは別に、患者によって優先順位をつける考え方もある。かつて米軍は、野戦病院で限られたペニシリンを、重篤な患者ではなく性病の兵士に優先して投与した。ペニシリンで性病が治った兵士は即前線に投入できるが、他の重症者は戦争目的に照らせば値打ちが低いということだった。これは戦争目的の活用度だとか、場合によっては一兵卒よりも上級将校の値打ちが高いというような順位付けになり、現代社会では首肯できない理屈ではないだろうか。
しかし株式会社的「成果主義」あるいは「投資効果」でいえばある種「合理的」に見えるところがあり、「社畜」と呼ばれるように飼いならされた「勝ち組」には結構浸透している考えかも知れない。
先のメールは、「高齢者施設の入所者で延命治療を望まない人」を例えにあげているが、私の場合親の介護の経験があるが、そのターミナルケアのあり方について、「手術や胃瘻措置を望まない」と決断、押印をした経験もあるが、それは文字どおり尊厳ある終末期の姿のためであり、決して、人間的価値が低下乃至無くなったと考えたためではなかった。
そういう崇高な断腸の思いの決断を、「だから治療はもういいではないか」とつまみ食いするようなことは医道というか人の道に反する行為だと私は思う。
私は以前に、入居している高齢者よりも施設のスタッフこそ優先的にワクチンを接種するべきだと書いたが、それは人間の順位ではなく、コロナ感染対策上の有効性を考えた場合の理屈であった。
最後に、「将来性のある一般成人に比べて高齢者へのワクチン投資はもったいない」という論は、病弱者、障害者は生きている値打ちがない、低いという論に流れ、上級国民と下層国民という論にも結び付く。つまり人によって命の重い軽いがあり、より救うべき人間と捨ててよい人間とに選別する。
日本国憲法のどこにそんなことが書いてあるか。非常事態を目前にすると正常な判断を困難にする人がいるように思う。