2014年5月31日土曜日

宴の流儀

  週刊誌的には、空気を読めない人のことをKYと言って軽蔑するような「常識」があるが、その同調圧力は結局のところ個性や意見というものを否定して「長いものに巻かれろ」というツマラナイ風潮を助長しているようでいただけない。
 さわさりながら、その場その場を考えず、真面目な顔で真面目な発言しかできないのもどうかということもある。特に宴の場においてはそうである。
 その「頃合い」のところが難しく、私はいつもスベッている。
 形式的には私は主催者側でも何でもなかったが、広い意味で自分をホストと考えて行事に「奉仕」することが大切だと常々考えてきたので、職場OBの宴にクスダマと歌集を持参した。
 クスダマは準備にオタオタしたものの、いや予想外の準備のオタオタぶりがよかったのだろう、みんなに大いに笑っていただいた。
 歌集は、5月2日の「同世代」の記事に書いたが、年輪を重ねた熟年に相応しかろうと愛燦燦、花は咲く、人生いろいろ等を選曲した。
 目指したものはコーラスではなく、昔懐かしい宴会で手を叩きながら歌った合唱の雰囲気で、多くの参加者が私のバカバカしい呼びかけに答えて前に出てきてくれた。
 ただ、私の選曲のセンスが若干ずれていたのだろうか、「知らない」と言われる方もいた。
 といって、老人ホームの音楽療法でもあるまいし、童謡、唱歌、ただのヒット曲にはしたくなかった。
 花は咲くは、あのNHKの向こうを張って一区切りずつリレーで締めたかったが、その形は思いっきりスベッてしまった。そういう「真似事」が困難なほどに皆さんの日々の生活は疲れているのだろう。きっと。
 
 俳句のことは全く知らないが、その昔「芭蕉の句は軽み(かろみ)が良い」と聞かされて感心したことがある。
 わたくし的には、宴の席で侘び寂の高尚な話をするよりも、軽みに徹してピエロを極めたい。
 こんな年寄りの思いを、若い人たちがちょっとでも理解してくれたら、時代を切り開く新しい運動も芽生えて来ないかと思っている。(昔々の宴会で酒飲みの先輩が若手に理不尽な小間使いをさせていたようなことを言っているのではない。)

 先日から、上野誠先生の「万葉びとの宴」という本を読んでいる。
 万葉集の中の宴の歌を現代語に訳しその背景や心理を解説している。
 その中に、・・・・「宴会のスピーチは、宴会の雰囲気を読んで、楽しくが基本ですが、場に縛られているようでは、まだまだ未熟というもの。その場の雰囲気を作る側になってこそ、宴の達人になれるのです。」とあった。
 う~む、修行が足りないと反省の日々である。



  6月1日、左の写真を追加した。

2014年5月29日木曜日

里山資本主義

  去年からずーっと気になっていたが買わずにいた本である。
 最初は、よくある「町おこしの本」か、亜流の近代経済学程度かと思っていたが、著者がテレビで熱く語っていたり、紙上でアベノミクスを批判していたので「いつかは読もう」と思っていた。
 で、ようやく購入して読んでみた。
 要約など到底できないから、目次を写してみるとこうなる。

 はじめに―「里山資本主義」のススメ
 「経済100年の常識」を破る/発想の原点は「マネー資本主義」/「弱ってしまった国」がマネーの餌食になった/「マッチョな経済」からの解放/世の中の先端は、もはや田舎の方が走っている
 第1章 世界経済の最先端、中国山地 ―原価0円からの経済再生、地域復活
 21世紀の‟エネルギー革命”は山里から始まる/石油に代わる燃料がある/エネルギーを外から買うとグローバル化の影響は免れない/1960年代まで、エネルギーはみんな山から来ていた/山を中心に再びお金が回り、雇用と所得が生まれた/21世紀の新経済アイテム「エコストーブ」/「里山を食い物にする」/何もないとは、何でもやれる可能性があるということ/過疎を逆手にとる/「豊かな暮らし」をみせびらかす道具を手に入れた
 第2章 21世紀先進国はオーストリア ―ユーロ危機と無縁だった国の秘密
 知られざる超優良国家/林業が最先端の産業に生まれ変わっている/里山資本主義を最新技術が支える/合い言葉は「打倒!化石燃料」/独自技術は多くの雇用も生む/林業は「持続可能な豊かさ」を守る術/山に若者が殺到した/林業の哲学は「利子で生活する」ということ/里山資本主義は安全保障と地域経済の自立をもたらす/極貧から奇跡の復活を果たした町/エネルギー買い取り地域から自給地域へ転換する/雇用と税収を増加させ、経済を住民の手に取り戻す/ギュッシングモデルでつかむ「経済的安定」/「開かれた地域主義」こそ里山資本主義だ/鉄筋コンクリートから木造高層建築への移行が起きている/ロンドン、イタリアでも進む、木造高層建築/産業革命以来の革命が起きている/日本でもCLT産業が国を動かし始めた
 中間総括 「里山資本主義」の極意 ―マネーに依存しないサブシステム
 加工貿易立国モデルが、資源高によって逆ザヤ基調になってきている/マネーに依存しないサブシステムを再構築しよう/逆風が強かった中国山地/地域振興三種の神器でも経済はまったく発展しなかった/全国どこでも真似できる庄原モデル/日本でも進む木材利用の技術革新/オーストリアはエネルギーの地下資源から地上資源へのシフトを起こした/二刀流を認めない極論の誤り/「貨幣換算できない物々交換」の復権―マネー資本主義へのアンチテーゼ①/規模の利益への抵抗―マネー資本主義へのアンチテーゼ②/分業の原理への異議申し立て―マネー資本主義へのアンチテーゼ③/里山資本主義は気楽に都会でできる/あなたはお金では買えない
 第3章 グローバル経済からの奴隷解放 ―費用と人手をかけた田舎の商売の成功
 過疎の島こそ21世紀のフロンティアになっている/大手電力会社から「島のジャムやさんへ/自分も地域も利益をあげるジャム作り/売れる秘密は「原料を高く買う」「人手をかける」/島を目指す若者が増えている/「ニューノーマル」が時代を変える/52%、1.5年、39%の数字が語る事実/田舎には田舎の発展の仕方がある!/地域の赤字は「エネルギー」と「モノ」の購入代金/真庭モデルが高知で始まる/日本は「懐かしい未来」へ向かっている/「シェア」の意味が無意識に変化した社会に気づけ/「食料自給率39%」の国に広がる「耕作放棄地」/「毎日、牛乳の味が変わること」がブランドになっている/「耕作放棄地」は希望の条件がすべて揃った理想的な環境/耕作放棄地活用の肝は、楽しむことだ/「市場で売らなければいけない」という幻想/次々と収穫される市場‟外”の「副産物」
 第4章 ‟無縁社会”の克服 ―福祉先進国も学ぶ‟過疎の町”の知恵
 「税と社会保障の一体改革頼み」への反旗/「ハンデ」はマイナスではなく宝箱である/「腐らせている野菜」こそ宝物だった/「役立つ」「張り合い」が生き甲斐になる/地域で豊かさを回す仕組み、地域通貨を作る/地方でこそ作れる母子が暮らせる環境/お年寄りもお母さんも子どもも輝く装置/無縁社会の解決策、「お役立ち」のクロス/里山暮らしの達人/「手間返し」こそ里山の極意/21世紀の里山の知恵を福祉先進国が学んでいる
 第5章 「マッチョな20世紀」から「しなやかな21世紀」へ ―課題先進国を救う里山モデル
 報道ディレクターとして見た日本の20年/「都会の団地」と「里山」は相似形をしている/「里山資本主義への違和感」こそ「つくられた世論」/次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は「驚くほど一致」している/里山資本主義が競争力をより強化する/日本企業の強みはもともと「しなやかさ」と「きめ細かさ」/スマートシティが目指す「コミュニティー復活」/「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」が「車の両輪」になる
 最終総括 「里山資本主義」で不安・不満・不信に訣別を ―日本の本当の危機・少子化への解決策
 繁栄するほど「日本経済衰退」への不安が心の奥底に溜まる/マッチョな解決に走れば副作用が出る/「日本経済衰退説」への冷静な疑念/そう簡単には日本の経済的繁栄は終わらない/ゼロ成長と衰退との混同―「日本経済ダメダメ論の誤り①/絶対数を見ていない「国際競争力低下」論者―「日本経済ダメダメ論の誤り②/「近経のマル経化」を象徴する「デフレ脱却」論―「日本経済ダメダメ論の誤り③/真の構造改革は「賃上げできるビジネスモデルを確立する」こと/不安・不満・不信を乗り越え未来を生む「里山資本主義」/天災は「マネー資本主義」を機能停止させる/インフレになれば政府はさらなる借金の雪だるま状態となる/「マネー資本主義」が生んだ「刹那的行動」蔓延の病理/里山資本主義は保険。安心を買う別原理である/刹那的な繁栄の希求と心の奥底の不安が生んだ著しい少子化/里山資本主義こそ、少子化を食い止める解決策/「社会が高齢化するから日本は衰える」は誤っている/里山資本主義は「健康寿命」を延ばし、明るい高齢化社会を生み出す/里山資本主義は「金銭換算できない価値」を生み、明るい高齢化社会を生み出す
 おわりに ―里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、2060年の日本
 2060年の明るい未来/国債残高も目に見えて減らしていくことが可能になる/未来は、もう、里山の麓から始まっている
 あとがき
・・・・・・・・以上が目次なので、私が「要約できない」こともご理解いただけると思う。

 私は近頃、若者の右傾化と、そういう意識の土台だと思われる日本経済の閉塞感というものが気になって、革新的な学者等の経済政策をいくらか読んだり講義を聞いたりしてきた。
 しかし、いつもある種の物足りなさを感じていた。
 「恒産なくして恒心なし」、未来の想像できない失業と不安定雇用が、「すべてリセット」「何かやってくれそう」「きれいごとの前に就職したい」という意識を生んでいるのではないかと思うのだが、そういう核心部分で「そうや」という気分になれないでいた。
 アベノミクスが悪いことは解った。TPPの狙いも、国際金融資本や多国籍企業の横暴も解った。ルールなき大企業の自滅的な経営戦略も解った。派遣法改悪、残業させ放題の労働政策の不当性も、内部留保のほんの一部を賃上げに使うことで個人消費を広げることの正当性も、・・・・・・しかし、自動車や家電をはじめとする大工場が実際に閉鎖される下で現に存在している若者の就職難をどうするかということなど心にピタッと響く展望がなかなか感じられなかった。
 そんな中、この本は、ドンピシャっとはいかないけれど、久しぶりに気分の明るくなる経済の本だった。
 世の中の全システムを里山資本主義にすればよいと言っていないところが良い。サブシステムで良いと始めから言っているところが良い。
 私自身はこの提案から最も遠い位置にいるのかもしれないが、こんなことをライフワークに加えてもいいかとも思い始めている。
 全編に諸手を挙げているわけではないが、先ずはご一読をお勧めする。一読には十分に値する。

2014年5月27日火曜日

下野(しもつけ)

 
  若い頃東京で暮らしたことがあるので『U字工事』の栃木自虐ネタは非常に理解できる。
 関西の方には、あの南関東と北関東、そして北関東間の微妙な優越感・劣等感のニュアンスは十分には伝わらないと思う。
 というよりも、関西の少なくない方は栃木県の位置や形状をあまりご存知ではない。
 その栃木県は下野(しもつけ)の国である。

 写真の花のことを、何時からどうしてそうなったのかは知らないが、私は「シモツケソウ」とばかり信じてそう呼んできた。
 「この花は何という花ですか?」「下野草と言います」というように。
 そして、花の色といい葉っぱの色といい私は非常に気に入っている。他所の花はもっと濃い(きつい)色が多い。
 ところがこの写真をブログに載せるために本を当ったところ、この木の名前は「しもつけ」で、「しもつけそう」とは全く別種だということが解った。
 妻に語ると、『私も木やのに「しもつけ草」とはおかしいなあとは思っていた』とのこと。
 「小さい木やから草と言ったのやろう」と勝手に思っていた私の方が1ランクレベルが低かった。
 
 バラ科の落葉低木で、下野の国で最初に見つかったらしい。繍線菊(しもつけ)とも書く。
 ちょっとした高山植物、山野草であるシモツケソウに比べると、こちらの方がポピュラーで希少価値もないようだが、家主が気に入っているのだからそれでよい。

2014年5月25日日曜日

日暈(ひがさ)は吉兆?

  3年前から我が家の初夏の指標は、卯の花(ウノハナ)と杜鵑(ホトトギス)に定まっている。
 その根拠は「夏は来ぬ」の歌にあり、この歌詞を現実に確認することでこの季節に誕生した孫の名前を再確認するからである。
 卯の花(空木の花)は非常に種類が多くて諸説あるが、写真の卯の花は我が家の庭で大きくなりすぎたのを思いっきり小さくして植木鉢に移したもので、比較的可憐な感じで気に入っている。
 杜鵑は夜明け頃に窓の向こうから聞こえているが、一度ばっちりと写真に撮りたくて、先日(5月18日)、大和郡山市の大和民俗公園に行ってみた。
 狙いどおり杜鵑が鳴いており、望遠レンズで狙ったが、新緑の奥からなかなか姿を現してくれず、突然飛び出してきて私の頭上を飛んだ時にはシャッターが下りず、絵に描いたような杜鵑の勇姿は網膜に焼き付けただけで終わった。 
 大和民俗公園に行ったのは、そこにある奈良県立民俗博物館の「国際博物館の日記念講演会」が主目的だったので、開会までに結局杜鵑は撮れなかった。
 ただ、杜鵑の飛び去った真昼の空には日暈(ひがさ)(白虹、halo)(太陽の周りに丸い虹)がかかっていた。
 その写真は帰って来た時には忘れてしまっていて、単純に「杜鵑を撮りそこなった空」と思い込んで瞬時に削除してしまった。
 日暈は吉兆ともいわれるが、この日の私にはそれらしい兆しは何もなかった。

 講演は、帝塚山大学名誉教授赤田光男先生による「奈良県の民俗」で、内容はいろいろ興味深かったがそれは置いておいて、話の脱線部分で、「浄土真宗の家は近代的合理主義なもので古臭い民俗が残っていないので面白くない」と呟かれたのが民俗学者の本音だろうと可笑しかった。
 しかし、戦後資本主義・拝金主義の方が、村をダムの底に沈め、後継者を村から追い出し、民俗行事や信仰の行事を村ごと消滅させつつあるように思う。
 多くの民俗行事に横たわる非科学的な迷信を是とするような思考方法は、結局為政者に騙され社会の発展を阻害するのだろうが、祖先が感じたり祈ったりした素朴な感性が闇の向こうに消えてしまうのも寂しい。
 また弥生時代等先史時代を解く鍵も民俗行事や信仰の欠片の中にあるような気が私にはしている。
 「年寄り一人は図書館一館に匹敵する」ということをどこかで読んだ気がするが、私たちは欠片を集めることを急がなければならない。

2014年5月24日土曜日

年々歳々

後ろのは冬毛、前のは夏毛
  5月に入ってから奈良公園の鹿が夏毛に生え変わり、それまでの茶色の単色から鹿の子模様に変身しつつある。
 こういう季節の巡りを見ると「年々歳々花相似たり」という言葉が思い出されるが、どっこい自然はそんなに一筋縄にはいかない。
 同じ時期、周囲は美しい藤色に染まっているはずだったが、今年の春日の藤は見事に不作であった。
 一方、豊作と裏作のはっきりしているドングリはというと、春日山はブロッコリーのようにシイの花が盛り上がり、栗と同じような異臭をまき散らせているから今秋は豊作だろう。

白っぽいモコモコが椎木
  12日の記事の続きのようになるが、谷幸三先生によると、1300頭以上いる奈良公園の鹿の適正規模は(ほんとうは)50頭から100頭ぐらいらしい。
 だから、慢性栄養不良、近親交配による劣性遺伝、食害、極端な植生という問題があり、無邪気に「カワイ~イ」とはしゃいでいる向こうでは深刻な事態も多いようだ。
 学者の中にはシベリアあたりの狼をもう一度日本の野山に放つべきだという主張もあるようだが、谷先生は沖縄のハブ対策にマングースを放った失敗同様に否定的だった。
 そんなことを考えると、私たちの周囲では百年の計が語られていないような気がする。原発しかり。
 ご同輩の皆さんが長寿を寿ぎ曾孫に「曾祖父ちゃんの頃は奈良公園は青々していて鹿がいっぱいいてたんやで」と語るのを、大台ケ原の枯れ木ロードのような奈良公園しか知らない曾孫が「どうしてそんな公園を残してくなかったん」という時代が来るようだ。(カシノナガキクイムシによる「ナラ枯れ」が広がる一方、シカの食害で世代交代できる若木が全く育っていないから、恐ろしく危機的状況が静かに進行しているらしい。)
 エネルギー革命だ、貿易の自由化だ、グローバル化だ、「乗り遅れたらひどいことになる」と脅かされ続けて辿り着いた半世紀の現状を高齢者こそ深い知恵で総括する必要があるように思う。
 大飯原発訴訟判決要旨の次のくだりは、「飼いならされ過ぎた」現代人への目覚まし時計のように私は感じた。
 ・・・・・・・・・・被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コスト低減につながると主張するが、当裁判所は、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的に許されないと考える。
 このコスト問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止で多額の貿易赤字が出るとしても、国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だと当裁判所は考える。
 また被告は、原発の稼働が二酸化炭素排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、ひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじい。福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原発の運転継続の根拠とするのは甚だしい筋違いだ。(5.22朝日)

2014年5月22日木曜日

ユマニチュードの感想

  5月12日にdyougoziさんから「第4コーナー」の記事にコメントを戴いて「ユマニチュード」という介護技術?を初めて知った。

 近頃のネット社会は便利なもので、すぐに文字や動画でその内容の輪郭を知ることができ、その理論で強調されている大切な指摘と現実の効果に目が覚まされた。
 そんな中、21日に、和道おっさんのブログ (http://wadou.seesaa.net/article/397522357.html) が正面からこの問題が取り上げようとされていて感心した。
 そんなお二人の問題提起に触発されて、上っ面だけではあるが感想を書いてみたくなった。
 (ユマニチュードについては解説を省くので文章なり動画なりを検索してもらいたい。)

 実母の介護を終え、現在進行形の義母の介護を振り返りながら考えるユマニチュード理論は、「ほんとうにそんなに即効があるの?」と少し疑いながらも基本において非常に納得させられた。
 一言でいえば、介護(看護)する者とされる者という立場上の関係ではなく、人間対人間としてのコミュニケーションが思わぬほど劇的な効果を上げる・・ということだろうか。

 実母が昼夜逆転していた時に、このことを知っていたらもう少し違った局面があっただろうかとも思う。それはもう解らない。当時私はその家族介護に疲れ果てていて、正反対の対応をしていたように憶えていてその記憶は辛い。
 
 義母は現在、ユマニチュードの動画等に出てくるほど深刻な状態ではないが全生活にわたって意欲は低下していて施設に入居しており、1~2週間に一度程度外泊に帰ってくる。妻がクルマで連れて帰ってくる。
 その時は私の顔を見ると抱きついてくるので、私も「ようお越し」と言ってしばしハグをする。そして、手を握ってゆっくり歩く。その時のそれは施設に行ったときに見ている状態よりも力強く感じる。
 ただ、そのあとはほとんど我が家でも寝たきりになってしまうのだが、私はできる限り日向ぼっこに引っ張り出して昔の生活を尋ねる。
 何回も何回も聞いたことだが、「足ふみの杵と臼」で米を搗いた話、それを「誰がなんぼ搗いた」と兄弟喧嘩になる話、遊びすぎて水車の米搗きをし過ぎたら(終了させに行くのに遅れたら)粉になってしまうこと、等等々、その時の顔には生気が返ってくる。
 そういう乏しい経験からもユマニチュードで述べられている話は肯ける。

 ほんとうに上っ面だけの感想だが、介護や看護に従事してみようと思った方は、ユマニチュード的な介護技術は聞いたこともあり、そういう初心はあるはずだと想像する。
 しかし、少なくない施設では人出が不足していて、かつ生活を賄うだけの十分な収入は得られていない。
 だから一言でいえば、体制に余裕がなく、職員に心の余裕を問うのも酷な気もする。
 輻輳するナースコールを思うと、丁寧なコミュニケーションは言うは易いが難しい。定員不足と成果主義では上手くいかない。
 でもこれ(ユマニチュード)はきっと正しいことだと信じられる。
 
 そして、ユマニチュードは介護職員だけでなく家族も実践することが大切な課題だと思う。
 そのためには、こんな私のような上っ面の話でなく、しっかりと学習することも必要だろう。
 同時に、結論を急ぎすぎるかもしれないが、ことあるごとに「福祉国家を」「軍事費を削って福祉の充実を」との声をあげることが大切なような気がする。
 明日は介護をされる側である。

2014年5月21日水曜日

WOOD JOB

  三浦しをん著「神去なあなあ日常」は、書評でも楽しそうだったから、文庫本発売即購入した。(その後、本屋大賞4位になったらしい)  
 ジャンルは青春小説?らしいが帯には「お仕事小説・自然編」とあった。三浦しをんらしく土台となる取材が行き届いていて大人も楽しめる読み応えのある小説だった。(いや大人の小説だろう)
 視力も悪くて「重い小説はしんどい」という妻にも「楽しかった」と好評だった。
 そういうことだったので、それを映画化したWOOD JOBを妻が「観に行こうか」というので気楽についていった。(何につけ「わしも連れてって」という「わしも族」みたいである。)
 私は相当な「活字派」で普通は小説の映画化されたものは好きではないが、これは、結構笑ったし、なんとなくホロリともした。
 青春コミック映画なのかもしれないが、原作が良くて、実力派俳優をそろえて、矢口史靖監督が撮るとこういう良質の娯楽映画になるということだろう。
 何よりも自然の風景がいい。チェーンソーの唸り声と伐採のダイナミズムがいい。
 大声で環境保護を訴えてはいないが、毎日の仕事(枝打ち等)の結果が100年後の曾孫ぐらいの時代に(先祖の枝打ちや間伐が丁寧だったと)評価されるという仕事を営々とこなしているのがいい。
 主人公がヤマヒルにやられた場面では、自分の大杉谷での経験がよみがえってきて同情した。(三浦しをんさんが取材したと思われる尾鷲の森林は大台ケ原・大杉谷の西側にあたる)

  さて、大都市に遠くないニュータウンなどに住みながらこんな感想を語るのはおこがましいが、舞台は限界集落と定義されているような村である。
 先日(5月8日?)発表された統計では2040年にはこの国で「消滅自治体」が続出するという。
 村には若者がいない。街の若者は非正規不安定雇用で希望が閉ざされている、常用雇用者は長時間過密労働でメンタルヘルスに陥り過労死予備軍となっている。この国の産業政策・労働政策・子育て政策・林業政策は根本のところが正常ではない。映画の明るさとは反対に現実は暗い。
 都会に出て、学歴を積んで、大きな企業に就職したら幸せになれるという幻想を親たちが吹っ切れていないことが問題ではないかと思ってはみても、自分の子供が携帯の繋がらない村のWOOD JOBに向かうと言ったら何と答えてしまうだろう。
 「少年よ大木を抱け」は良いキャッチコピーだと思うが答えは簡単ではない。

2014年5月19日月曜日

♪  レリゴー

  世の中の流行などということからは程遠い日々を過ごしている。
 だから、ディズニーの新しいアニメ映画が公開されたからといって右(の耳)から左で、全く他所の世界のことだった。
 しかし、夕刊とはいえど5月14日の朝日新聞夕刊のトップ記事は、「主題歌レット・イット・ゴー、この盛り上がりは何なのか」と大きく紙面を割き、5月18日の赤旗日曜版は「レット・イット・ゴー大ヒット」と音楽欄で報じていた。
 朝日の記事は、「みんなで歌おう上映会と、それをユーチューブにアップするというディズニーの新しい戦略が功を奏した」と解説しており、赤旗は、「プロのライターの書くことかとあきれられるかもしれないが、純粋に質の高い映画と歌だ」と誉めていた。
 
 さて、それらの新聞報道の前に、テレビのカラオケ選手権のような番組でこの歌が流れていたとき、なんと、来ていた孫の夏ちゃんが「レリゴーレリゴー」とサビの部分を一緒に歌うので、この歌を全く知らなかった祖父祖母はほんとうに驚いた。そうして初めて「アナと雪の女王」を知った。おかげで、その後の新聞報道もアウトラインは理解ができたから、夏ちゃんのおかげである。歌もユーチューブで何回か聞いた。
 朝日の記事のディズニーの戦略のように、時代は大きく動いていると思う。
 そういう現実を直視せずに、「もう歳やからパソコンは苦手や」と言っていたのでは社会の変革も後手後手に回ると思う。
 ご同輩の皆さん、ユーチューブで「♪ レリゴー、レリゴー」って練習してみませんか。
 私は、♪ ありの~ ままで~ だが・・・。

2014年5月17日土曜日

憲法危篤

首相のパネル中央部分
  首相の身内を集めた『私的な』懇談会が「集団的自衛権は昔から認められていた」と現代史を否定する嘘を報告し、受取った首相が即刻「憲法解釈を変える」と宣言した。
 これが民主主義の基本中の基本である立憲主義を蹂躙するものであることは明白で、この国は途上国の独裁国家と同レベルのものになろうとしているし、戦前の轍を再び歩もうとしている。

ちくま文庫「神国日本のトンデモ決戦生活」より
  海外にいる者も含めて日本国民の安全を願う気持ちは全国民共通しているだろうが、この立憲主義の根本を覆した暴挙を不問に付して「自衛権」を云々する土俵に上がることは良識ある者の採るべき姿ではないと思う。
 過去の記事にも書いたことだが、1985年5月8日、第2次世界大戦40周年にあたって西ドイツ国会でヴァイツゼッカー大統領は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と演説したことを想起するときだと思う。視力障害の方には不愉快な引用かもしれないが主旨がそこにないことは解っていただけるだろう。
 さて、報道ステーションでは「あのパネルは首相が直々に書き直しを命じて出来た作品」だと解説していたが、私はそこのところに妙に納得した。
 というのは、過去に「聖母子像」のアイコンが記念絵葉書その他のグッズとして大量に頒布された歴史があるからで、その時代とあのパネルの中央の絵がダブって見えたからである。
 ズバリ靖国の聖母子像である。
 このパネルといい、首相の感情的な話しぶりとそのロジックといい、私は「軍事だとか法制度を情緒的に語る者こそ最も危険だ」と背筋が寒くなった。
 NGO「イラクの子どもを救う会」代表、フリージャーナリスト西谷文和氏は、集団的自衛権の名の下に自衛隊が中東に介入した場合は必ず「日本も都市を分担せよ」となる。最近の路肩爆弾は戦車も破壊するしそれを携帯で操作する。自爆テロもある。そういう恐怖の下で検問所で止まらない車があれば「悪気のない見落とし」も含めて発砲して殺してしまう。そして日本国自衛隊が地元住民からも恨まれ死者が出る。・・・のが確実な近未来だと言っている。
 私には、首相の巧言よりもこの方がよほど真実だと思う。
 過去を直視すれば、現在は「戦前」であろう。
 政党支持や信条の違いを超えて良識ある市民は声をあげて欲しい。
  立憲主義を守れ、参戦反対、と。

2014年5月16日金曜日

チベット仏教を覗く

龍谷大学がデジタル再現した石窟の壁画
(ミュージアムで、この回廊の中を通ることができる)
  ツイッターをしているときに『龍谷ミュージアム館長のつぶやき』というのに出会い、その内容が誠実なためにフォローをさせてもらっている。
 龍谷ミュージアムは浄土真宗の本山・西本願寺のミュージアムで、館長は龍谷大学の先生のようである。
 その館長のツイート(つぶやき)に誘われて龍谷ミュージアム春季特別展『チベットの仏教世界--もうひとつの大谷探検隊--』に出かけてみた。
 それは、私などが慣れ親しんできた(というほど慣れ親しんではいないが)中国経由の仏教と異なり、インド直輸入の色彩が濃いようで、「こんな仏教もあるのだ」と驚くだけで、頭の中のまとまりがついていない。
 「その仏像・仏画ってヒンドゥー教の神様でないの?」というような戸惑いをいくらも覚えた。
 私は勉強不足で密教というものが解っていないが、「まあなんと仏教とは幅の広いものか」というのが感想である。
 というか、感覚で言うのだが、日常生活上の宗教の占めるウエイト等々でいうと、仏教世界の中では日本の浄土系の仏教の方が少数派ではないのだろうか。その中の乏しい経験という針の穴から覗いたチベット仏教の世界は戸惑いの方が大きかった。
 あるいは、もしかしてこの(チベット仏教の)現状肯定観は、詭弁を弄せず堂々と妻帯した親鸞の思想の源流だったのか。・・解らない。
 これまでの理解では中国発祥の道教だとばかりに思っていたいくつかの概念が、実はここにあったのかもしれないという新たな宿題が頭の中に残った。

 さて、チベット仏教というとどうしてもダライラマを避けて通れないが、私の好みに合わない新興のお寺あたりによくダライラマとそこの教祖?が並んだ写真や品々が飾ってあったりして生理的に好きになれないでいる。
 ただしこれは、非常に個人的な印象の問題であり、それ以上に論じるだけの知識は私にはない。
 
  それはさておき、帰りに真宗大谷派の東本願寺にも寄ってみたところ、工事中の御影堂門の塀に脱原発と秘密保護法反対の声明が掲示されていた。
 全国の各寺院が門前にこういう掲示をすれば素晴らしいだろうと思いながらまぶしく眺めて帰った。

 家に帰ってから無性に渡辺一技さんのチベットの本を再読したくなったが、書架のどこにも見つけ出すことができなかった。
 確か渡辺一技さんは「私が死んだら鳥葬がいい」と書いていた気がする。
 代わりに色川大吉著の「雲表の国」が出てきた。
 こちらには、日本人調査隊員が鳥葬にされた経過が半ば怒りを込めて書かれていた。
 その一日、私の頭はチベット漬けでくらくらしたままだった。

2014年5月14日水曜日

ドールハウスに挑む

  先日は孫の夏ちゃんのお誕生日プレゼントにシーソーを作ったが、後日、妻が夏ちゃんの家から帰って来た時、『「この次はドールハウスを作って」って言ってたから「お祖父ちゃんにまかしとき」って答えておいたよ』と一方的に業務命令を私に発してきた。
 ドールハウスというと今からウン十年前、職場の同僚(若い女性)が作っていて、その作品を彼女のHPで見たことがある。
 その種の専門的なカテゴリなど私は知らないが、言ってみればそれは見事なジオラマの世界で、精巧な芸術作品だった。
 だから、と言うべきか、その素晴らしい作品を作っていた女性はその後退職し、今では絵画教室を主宰するなどプロの画家になっている。

  しかし、夏ちゃんの欲しいのはそんな美しいジオラマの世界ではないはずで、お人形遊び、ままごと遊びの夢が広がる舞台が欲しいのだろう。・・・・と、勝手に解釈した。
 そこで、例によってコーナンの木材売り場にとりあえず出かけた。
 そこの材料を見ているうちに何となくイメージが湧いてきた。
 繰り返すが、私のイメージは演劇の舞台上に作られたような家である。
 あまりリアルに作らず、夏ちゃんの想像力が広がれば好いと考えた。
 作り始めると、リアルに作ってみたい、いろんな家具を作ってみたい、照明器具も光らせてみたいという衝動が湧いてくるので、『作ったらあかん』『作ったらあかん』と必死になってそれを抑えた。
 既成概念に固まった大人の悪い癖である。
 ラワン材と接着剤だが丈夫に作ったつもりで・・・.、値段に糸目をつけないなら一枚板で丈夫に作れるが、廉価で強度を出すのが一番の工夫どころ。
 幅は110センチ程にもなってしまった。
 夏ちゃんの家に持っていくと、屋根がすべり台になったり、積み木で玄関を作ったり、すぐに想定外の遊び方もした。
 出来合いの人形ではなく、積み木の一片が動物になったり人形になっているようだ。これがいい。
 ドールハウスというよりもドリームハウスになってくれればいい。

2014年5月12日月曜日

原生林の伊達男


  世界遺産のコアゾーン春日大社から北に向かうと水谷川を渡り、同じく世界遺産のコアゾーン春日山原生林の帯があり、そしてバッファゾーンの若草山となる。その先はまたコアゾーンの二月堂になる。
 この若草山の南の端の木々を伐採してモノレールを作ろうとする計画がある。
 世界遺産の歴史的景観を損ない、貴重な自然環境を破壊するとして、多くの人々がこの計画に反対しているが、その反対行動の一環としてのイベントが5月11日(日)に若草山で開かれたので参加した。
 奈良県知事の主張は当初は「身体障碍者にも眺望を見せてあげたい」だったが、身体障碍者団体からも「私たちだって歴史的景観や自然環境は守りたい」「観光政策の隠れ蓑に障碍者を使ってほしくない」「眺望なら現存している頂上までの裏側のドライブウェイにシャトルバスを出してほしい」というような真っ当な主張にその説を半分引っ込め、次には「賑わいづくり」「観光客・・」と言い換えてきている。
 ところが、5月11日に若草山に行って驚いた。いくらGWあけだからと言って、こんな行楽シーズンの日曜日に麓の土産物屋が何件も店を閉じたままなのである。
 率直に言って、なら町方面の努力に比べて、ここの土産物店の努力は劣っている。
 そうしておいて、モノレールという公共事業で甘い汁が吸えないかというのだろう。言語道断だと思う。
 
 イベントの後半は何種類かの行動に分かれたが、私は谷幸三先生の案内で若草山一重目頂上まで登り、植物や昆虫の状況を学ぶ行動に参加した。
 登山道は春日山原生林に沿った道で、原生林の方向から盛んにキビタキの「泣き声」が聞こえてきた。
 さて、キビタキは夏山一の伊達男であり声楽家だと思う。
 それほどの主役級であるにもかかわらず、時々「ちょっとこ~い ちょっとこ~い」とコジュケイの物真似のような鳴き方をするのも『大物俳優のテンネンのトーク』のようにずっこける。
 声は大きいのになかなか姿を現さない。ほんの一瞬現れたのを撮影できただけで、今日の行動は全部満足だった。

2014年5月10日土曜日

葛城襲津彦は何処

「展望日本歴史4」の白石太一郎論文の図
  先日聴いた古市晃神戸大学准教授の「王宮からみた倭王権の成立過程」で先生は、「5世紀以前の倭王と王族の実力は遜色がなかった。」「中でも葛城族は、吉備、紀伊と婚姻関係で連合し、海人集団、渡来系集団を率いて対外関係を担う有力氏族だった。」と説かれたが、同時に「仁徳より前、応神の実在性には積極的根拠がない。」と述べられ、少し首をひねった。
 そんな問題意識があったから、大阪府立近つ飛鳥博物館春季特別展「ヤマト王権と葛城氏」を見に行き、その時代の出土品などをじっくり観察した。
 そして、以前に受講した小笠原好彦先生の「考古学からみた古事記と葛城氏Ⅰ」と「Ⅱ」を思い出しながら、平林章仁著「謎の古代豪族葛城氏」を読み返した。
 そこで感じたことを散文的に羅列してみると・・・、
 「応神の実在性については、埼玉・稲荷山の鉄剣の文字から、雄略に仕えた臣下でさえ8代にわたる系譜を所有していたのであるから、倭国王が同様の系譜を持っていなかったはずがない。
 神功の夫である仲哀は雄略から7代前で、世代ではわずか4世代前に過ぎない。
 だから、「古事記の素材となった「帝紀」「本辞」は天武当時存在していた。」との小笠原、平林両先生の意見に説得力を感じた。
 さらに小笠原先生は、「百済記等の記録からも古事記に書かれた「葛城襲津彦」は実在した。」と述べ、「それは今日的に言えば襲名する「屋号」のように、ソツヒコA、ソツヒコB、ソツヒコCだった。」と大胆に指摘され、馬見古墳群の大規模古墳である「築山古墳がソツヒコAの、室宮山古墳がソツヒコBの、新木山古墳がソツヒコCの墓である。」
 さらに、「巣山古墳はソツヒコAの父の武内宿禰の墓、島の山古墳は神功皇后の母葛城高ぬか姫の墓。」と、出土品等々から指摘される論は整然としていて納得した。
 ここで読者の皆さんは、皇国神話の主人公の一人である武内宿禰や神功皇后が実在??と驚かれるかもしれないが、私は記紀については、天武、持統、藤原不比等らの強烈なフィルターが懸っているが、骨格部分の要所要所には微妙な史実が反映されているように思っている。
 戦後民主主義の下で全く無視され鼻で笑われていた記紀を、考古学と照らし合わせながら科学的で民主主義的な目で捉えなおす必要があるのでないだろうか。
 記紀を右翼や改憲派の専売特許にしてはならないと思う。
 内容に噛み合って批判もせず鼻で笑うだけでは、金儲け(観光)と復古主義に乗っかって2020年に向けて繰り広げられるであろう『日本書紀編纂1300年』のキャンペーンに対抗できなくはなかろうか。

2014年5月8日木曜日

第4コーナーを考える

 前回の記事では「老後は土いじりが好い」というようなノーテンキなことを書いたので、今日はノーテンキでないことを書いてみる。
 このテーマは「何時かは書かなければならない」とズーッと心の中で燻ぶっていたがよう書かなかったテーマだったが、私の愛読している『和道おっさんのブログ:今を仏教で生きる http://wadou.seesaa.net/ の4月28日付の「人が逝けない社会」や5月1日付の「老いと衰弱をどう生きるか」』に触発されて、ようやくほんの少しだけ書いてみることにする。
 
 1945年8月15日、狂信的に信じ込まされてきた社会の嘘がばれ催眠状態から解かれた多くの市民は、再び騙されないようにと皇国史観とともに古い宗教的な信仰心を捨て、その代わりに人生を幸せに彩ってくれる(筈の)自然科学を選択した。だから、そういう昭和人の子である私たちは小さい時から「科学の子」として育った。・・・と思ったりする。
 その「科学の子」達が人口構成上爆発的に高齢層を形成し、国家と財政の無駄の根源のように指弾され、濃淡はあっても死の影を感じ、絶対的な神もあの世も信じられず、科学の粋のように見える延命治療を施されて、「逝けない時をどう過ごすか」悩んでいる。・・・・・ような気がする。
 といって、真正面から考え抜く努力もせず、このテーマはあまりに心を重たくするからと横に置いておいて、健康管理によって「人に迷惑をかけない」期間を延し、根拠もなくポックリといきたいと信じ込み、刹那的な娯楽や安らぎや「再就職」に日々を過ごしている。・・・・・ような私たちである。
 
  先日・・・、右の写真に掲げた『平穏死のすすめ』を読んだ。
 以前には買う気にもならなかったタイトル名だし、あえて貴重な時間を憂鬱にすることもないと拒絶していたが、実母の老々介護、そこの施設での「看取り」に接した経験を経たせいか、非常に穏やかな気分で、内容の一つひとつに納得しながら読み終えることができた。
 書かれてある内容を飛び越えて私が思ったことは、現代のこの国では(私と読み替えてもよいが)、死ぬということは哲学の問題であるのに、そこの思考をサボって医療技術のようにすり替えて議論しているうちに、残酷極まりない延命治療(治療でも何でもない)という不幸が蔓延したのではないかということ。
 そういう外形上の「やることはやった」という偽りの「正義感覚」は、この国の各方面で見られる無責任と同じ構造であるということ。
 少なくとも私は、私の哲学と責任で対応し、虚飾の「できる限りの責任を果たした」というような道には逃げたくないということだった。

 しかし、宿題は二つ残っている。
 ひとつは、特別養護老人ホームを増やすとともに、終着駅に相応しい介護を実現する運動を大きく具体化しなければならないということ。
 このためには、保育園や学校が公共施設として当然であるように老人ホームも公共施設として必要なのだという世論をつくることが大切だ。
 さらに、職員の待遇に裏打ちされた数と質の向上も本気で議論されなくてはならないが、この本の中には貴重な経験が報告されている。
 さらにさらに、それらのためには、予算の抜本的な配分、つまり、この国をほんとうの福祉国家にするための政治の転換が必要だ。当たり前だ。

 もう一つは、私のような「ひねくれ者」は、第4コーナーを曲がったからといって、中世のお坊さんが考えたような仏も浄土も「あえて信じよ」と言われても信じられないから、そんな共同幻想というようなレベルでない心の平穏を悟らせてくれる仏教の教えを考え抜きたいこと。とすれば、「極楽浄土が近づいて来たからと言って喜びが湧き上がってこない」という弟子の質問を肯定した親鸞聖人の言葉が一番身近な気がする。・・・・・というのが私の現状。
 はっきり言えば、生の終了が怖いからと言ってあの世や浄土を信じるふりをするのは信仰としても邪道というかレベルが低いように感じて仕方がない。

 というほど私の話は、そして心は、「中途半端やなあ~」で進行形であるが、とりあえず、ご同輩諸侯にはこの本の一読をお勧めする。
 「大往生したけりゃ医療とかかわるな――自然死のすすめ――」(幻冬舎新書)という本もある。

2014年5月6日火曜日

土に帰る

 最初に断わっておくが、心臓が止まってから散骨されて土に帰るという話ではない。
 しかし、当たらずと言えども遠からずかもしれない。

 高齢化社会で商売をするならターゲットが高齢者であるのは当然で、書店に行けば「定年までにしておくべきこと」だとか「安心できる老後にはこれだけのお金がいる」という類の本が並んでいる。
 テレビでも「初老期うつにならないために」とか「こんな趣味を持とう」と親切だし、余裕のある高齢者向けには海外旅行のお勧めが目白押しだ。そして同時に、「団塊の世代は確実に介護浪人になるだろう」と脅し、介護付き老人マンションの広告が新聞紙面を日々覆っている。 
 そういう下で、最高の真理である寿命の有限性から逆算した期間をどう過ごすかについて少なくない人々が悩んでいる。 
 仕事ができる間は仕事を続けるというのも悪くはないし、体が動く間は旅行やゴルフをし続けたいというのも悪くはない。
 (要介護までの話であるが。)

真っ赤なパプリカ
  ただ私は、体が付いていかないので偉そうなことは言えないが、歳をとってからの土いじりもなかなかいいものだと思っている。ここでいう「土いじり」というのはプランターでもいっこうに構わない。
 ということを「土に帰ろう」と言っている。
 ほんとうの農家の方には「バカにするな」と言われそうだが、私の対象面積は謙遜ではなくて猫の額みたいなものである。一坪農園、家庭菜園という規模にも及ばない。 
 そこの草刈りを中腰がしんどいので地面にお尻をつけているという体たらくであるから、ほんとうに偉そうなことは言えない。
 それでも言えば、植物を相手にすると少し頭で考えることのスパンが長くなる。
 秋に撒いたスナップエンドウはこれからがようやく収穫本番である。
 予想外だったのは、この鞘ごと食べるスナップエンドウを孫の夏ちゃんが大好きだったことで、あまり火を通しすぎないシャキシャキしたのをポリポリと食べてくれる。
 その傍らで夏野菜を始めているが、その多くの収穫時期は夏から秋になる。
 農作業は、ネットで調べたらすぐに答えが返ってくるようなコピペ的作業とは対極にある。
 連作障害や害虫被害にあえば、それもフイになり、対策の結果が出るのは1年先2年先になる。
 夏の日陰のためにと落葉樹を植えると、それが本格的に日陰を作ってくれるのは15年くらい先である。(5千円までの樹を自分で植えるから)
 成果主義のような殺伐とした宮仕えを卒業した身にはこれが良い。

 同時に、そういう行いを冷ややかに客観的に眺めると、寿命からの逆算で、私はあと何回夏野菜の収穫ができるのだろうということになる(せいぜい十数回もない)から、時間というものが貴重であると感じられる。

 一方、スパンが長いと言いながら、日々の作業には待ったなしのことも多い。日照りが続いた時に「あと1日はいいか」と放っておくと枯れてしまう。虫が付いたら1日のうちに全滅することもある。
 そういう風に、スパンは長いが結構日時に追われるというのも、怠け心から蘇生させてくれるようでよい。農は人の道の基本だと思う。

 以前にスーパーに行ったとき、孫が真っ赤なパプリカを籠に入れた。その晩は自分で買ったという意識があるのだろう、パプリカをパクパク食べた。
 そんなことがあったから、先日は毎年の万願寺唐辛子にプラスしてパプリカを1本植えつけた。
 これの収穫が可能になったとき、同じように食べてくれるだろうか。
 そんな心配をしながら向かう半年間世話をする。

2014年5月4日日曜日

鳴子百合ではありません

(1)  我が家には、いつ、誰が購入してきたのか判らない草木が幾つかある。
 写真1の花もその一つで、道を通る人が「可愛いナルコユリですね」と言うものだから私もそうとばかり思っていたが、今回、本と照らし合わせてみるとアマドコロであることが解った。と言っても、近い親戚のようだから目くじらを立てるようなこともない。
 美味しい山野草のひとつと言うから、そういう角度から考えると私が買ってきた可能性も否定できないが、どう考えても買った記憶はない。

  写真2のキエビネもそうで、全く記憶がない。
 もう一つ、ギボシも同じように買った記憶がないが今では我が家で大きな顔をしている。
 いずれも山野草というか盆栽系統のものなので、かつて実母が老人会等で貰って来たものかもしれない。
 あるいは、転居前の家に住んでいた頃、私の草花好きは近所で有名だったから「こんな珍しい花をもらったから」とお裾分けされることも多かった。きっとそんなところだろう。
 それで結局、洋風の草木、和風の草木、実のなる木、野菜畑が混線してまとまりのない最悪のガーデニングとなっている。
 この癖は小さい時から一貫しており、「これこれはこういうものだ」と言われる定石のようなものが大嫌いで、結局いつも自我流を選択してきたから、何をやっても失敗ばかりしてきた。
 それに対し、妻は「大方針をはっきり建てて要らんもんを捨てたら」というのだが、貧乏性のためにそれもできていない。
 一言でいえば時代遅れなのだろうなあとは解っている。

(2) 5月3日、・・2日早いが端午の節句ということで、曾祖母ちゃんから曾孫まで四世代揃って恒例の菖蒲の鉢巻をした。
 夏ちゃんは、おどけて顔に巻いたり腰に巻いたりした。
 どこに巻こうが菖蒲の香りは同じで確実に邪気を払っている。
 読者の皆さん、端午の節句には菖蒲の鉢巻をしませんか。
 ニュースを見ると頭の痛いことが目白押しですが、とりあえずは頭痛が治って清々しい気分になること請け合いです。
 清少納言も、「節(せち)は五月にしく月はなし。菖蒲・蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし。」と述べておられる。

2014年5月2日金曜日

同世代

  同世代というのは、もちろん同じような年齢という外形を持っているが、私はそれよりも、共通する体験や想い出を持っている者どおしといった方が適切だろうと思う。
 となると、私は1歳年上の方とは同世代ではないということになるかもしれないが、私のイメージする同世代人とは、プレハブ校舎、二部授業、そして経済成長以前の戦後日本の貧しさを共有している者ということになる。
 さらに近年でいえば、現在および過去に親の介護に心の多くを費やした者ともいえるわけで、先日、そのような同世代人の酒席があった。
 それは、実母がお世話になった老人ホームの家族会の役員会で、定期総会が無事終了した夜の懇親会だった。
 つまり、実年齢にはちょっとした幅があるのだろうが、おおむね戦後早々の生まれで、何よりも近年親の介護に従事している(いた)者どおしだった。

 そしてこの世代は、もうひとつの別の物差しで語ってみれば、この世にカラオケが登場する以前の酒席を知っている者で、当時は、普通には宴が弾めば民謡などが跳び出し、おおむね全員が合唱したり手を叩いたものだった。
 だから、カラオケ以前の小洒落た料亭では、歌詞の詰まった豆本が配られた。
 私は、カラオケは決して嫌いではないが、カラオケの場合は往々にして一人が画面に向かい、その他の人々は自分の曲の選定のために本(や機械)を探すようなことが多く、それは、本来の酒席の趣旨からすると後退しているように感じている。
 そういうことを日頃から思っているものだから、私がホスト側に位置するような歓迎会や送別会などなど、そういう酒席に時々歌詞カードなどを印刷して持参したりしていたのだが、若い人々にはそれが反って新鮮なように思われたようだ。(実際はお愛想だったかも)

 そしてその日(家族会の懇親会)、私は『愛燦燦』を持っていった。
 参加者の最大公約数は親の介護である。この詩が胸に響かないわけがないと私は読んでいた。
 思ったとおり、何の異議もなく全員の大きな合唱になり、みんな「よかったねえ」と喜んでくれた。
 同世代のご同輩の皆さん。何らかの懇親会の折りには歌詞カードを持参しませんか。
 「そんなんは遠い昔のことやった」と、判ったような顔をして結局何もしない年寄りを返上しませんか。