2024年6月30日日曜日

水無月の祓

   安倍晋三的右翼の皆さんが、片手で神社本庁など日本会議と手を結び、もう片手で統一協会と手を結んでこられたロジックは高等過ぎて理解不能だが、その一方の雄、神社本庁の財産の不正取引が話題になっている。
 そんなこともあり、鶴岡八幡宮に続いて金刀比羅宮も神社本庁を離脱した。
 これで結構有名な神社が相当数離脱していることになる。

 神道は教義のない宗教と言われたりするが、本来非常に素朴な宗教であったはずだが、それをやたらに権威づけたのは明治から昭和前期までの皇国史観であった。
 その夢をもう一度と策動しているのが神社本庁ではないだろうか。

 古代史が好きな私は神社を避けて通れないし、素朴な宗教の儀式も嫌いではない。
 だいたいが神や信仰を避けて日本文化特に歴史は語れないから、宗教は観念だ、非合理的だと勉強もしないのでは話が薄っぺらくなる。

 そのため、遠くない式内社の夏越の祓式に参加したことも数回あったのだが、あるとき、神社本庁の推進する憲法改正の署名用紙が送られてきてからは、少し距離をとっている。
 「本来の素直な神道に帰れ」が私の願いである。

 今日は水無月の夏越の祓である。
 昨日の記事のとおり、茅の輪はある。
 夜にはシャワーの水でみそぎをする。(それはただの入浴だの声もあるが)

2024年6月29日土曜日

蘇民将来

   「後の世に疫気あらば蘇民将来の子孫と云ひて茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と詔り(みことのり)たまひき。
 6月30日は夏越の大祓、茅の輪くぐりの日である。
 簡単に言えば一年の半分が済み、この間にまとわりついた穢れの禊(みそぎ)という観念である。

 振り返ってみると毎年6月頃は体調を崩していた。季節がらビールの飲み過ぎが遠因であったかもしれないが、ここ数年を見ても、妻も孫の凜ちゃんもこの時期に何らかの不調を訴えている。
 今年も凜ちゃんは、先日来体調不良で学校を相当休んでいる。

 で、ずばり、年中行事には何らかの合理性が潜んでいるといえる。
 夏越の大祓で生活のリズムを反省もし、厳しい夏に備えるということになる。
 戸籍詐称の罪は横において、吾は云ふ蘇民将来之子孫也。
 〽 水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶと云うなり。


2024年6月28日金曜日

ジェンダーなこと

   例えば既婚者の相手をどう呼ぶかという問題がある。
 
 このブログの読者はお解りのとおり、私は普通に「妻」と書いている。しかし、実際に何処かの場所で妻を紹介するときには「家内です」と紹介する。また、知り合いに彼の妻の様子を尋ねる場合には「奥様は如何」などという。
 「家内」だとか「奥様」というのは女性蔑視だという「主張のある」のは知っているが、まだ「連れ合いです」とか「お連れ合いは」というような語彙は滑らかには出てこない。個人の感想だが「ツレ」などというのはいささか下品なイメージが拭えない。

 そもそも言葉というのは本来保守的なもので、漢字そのものにしても古代中国の思想を反映して作られたものであるし、語彙(熟語)もまた前近代の支配層の「常識」に色付けされているから、そこのところを突き詰めればジェンダーに限らず漢字表記をほぼ全面的に否定しなければならない。

 同時に言葉というのは時代によって大きく変化することもあるから、例えば漢字としては尊敬の意味さえある「貴様」が現代では喧嘩で使用されるということもある。
 だから「家内」とか「奥様」と言ったからといって「後方にいて主体性のない人間」だとは誰も思わないだろうし、さらにそういう意識はさらになくなっていくと思うのだが、それも所詮は「ご主人」の立場の人間の言い訳と捉えられるかもしれない。
 日本語というのは、文法はそのままで外来語をいくらでも取り入れられる言葉だから、相応しい造語を上手く作れば解決することもあろう。

 私の父母は明治生まれであったが、父は時どき母のことを「ワイフ」と言っていた。父は早死にしたからその所以は知らない。ただ、京都や大阪・船場にゆかりのある友人のSさんが「ワイフ」と語られたことがあるので、ある時期のそのあたりの旦那衆では広がっていたのかもしれないがよくは知らない。
 こういう風にスマートな新語を広める方が、漢字の形式にこだわって怒るよりも現実的な気もする。(この説は反発もあるだろうなあ)

 さて、あかたちかこさんの「人生相談」みたいなところに、『夫の方が大きい夫婦茶碗に腹が立つ』というのがあった。
 高級和食器などにはそういうものが今でもある。
 わが家の場合、お箸はやはり妻の方が短いが、これはちょうど体格と合っていてそれには女卑のイメージは感じていない。
 一方、塗りのお椀の方は大きくて黒漆塗りの男用に対して小さくて赤漆塗りの女用というのには古いジェンダー感覚そのもの以外の思想は感じられない。質問者の指摘どおりであろう。
 ただ、私は全くの嗜好の問題としてあまり汁物をたくさんいただく方ではないので、わが家では大きくて黒いお椀が妻用、小さくて赤いのが私用となっている。
 ちょっぴりはジェンダー平等を意識しているが、まあそんなところである。あまり偉そうな話ではない。

2024年6月27日木曜日

歴史は変わる

   映画『ちゃわんやのはなしー四百年の旅人」が上映されている。司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』がベースらしいが、新聞批評のトップに「420年前、豊臣秀吉による朝鮮侵略の際、大名らによって連行された朝鮮人陶工の末裔の苦難を追った・・」となると、一言だけ付言しておかなければならない。

 東京大学史料編纂所編『日本史の森をゆく』にあるのだが、「同時期に連れてこられた数万人ともいわれる人々の中で、陶工であることを主たる理由として大名に連行されたことを、一次資料において確認できる例はない」とされ、18世紀から「鍋島家によって日本の宝とする目的で連れてこられた」と陶工が由緒を強調しはじめ、明治になってから「陶祖・李参平説」が広まったことを指摘している。
 現下の歴史修正主義者が戦争責任(加害責任)を逃れようと、「虐殺の事実はない」とか「慰安婦は商売女だった」というように歪めている事とは異なり、陶工側が自分たちの由緒を飾るために作り上げた物語というのが正確だという。

 誇張か善意かミスかは別にして、歴史の「定説」はこのように変化するらしい。
 そういえば以前、大阪の住吉大社の神輿が大和川の中を渡る祭事について某新聞が「太平洋戦争で中断していたが2005年(平成17年)に復活した」と書いていたことについて私が、「そんなことはない戦後高度成長期頃までは川の中の渡御があってそれを見物していた」と異議を申し立て、友人のK氏が住吉大社の宿院頓宮まで調査に赴いてくれた結果「昭和24年(1949年)から昭和35年(1960年)まで実施されていた」ことが判明したことがある。
 これは「神輿」について途絶えていた事実と錯綜して誤解した人の言説が広まったもののようだ。

   さて先日、土器のことを調べに大阪歴史博物館に行き、折角だからと見て回っていたら懐かしい『のぞきからくり』が展示されていて、そこの解説に「第二次世界大戦頃まで興行されていた」とあった。

 同博物館のHPなどでは異なる説明もあるが、これも私は、高度成長開始の1960年ぐらいまでは実際に興行していたのを知っている。だから「説明文は正確ではない」。
 私自身は「トラホームがうつるから覗いたらアカン」と言われていたので覗きはしなかったが、『不如帰』の 〽父は陸軍中将でえ~ というような口上などは聞いていた。
 もとい、歴史の定説というやつは、このように60年も経つと「堂々と」変るものだと変に感心したが、注意、注意。
 権威だとか、定説だとか、主流、多数、等々の説もまた同じ。

 なお、のぞきからくりの口上は、笠智衆の名口調がyou tube にあった。



2024年6月26日水曜日

生駒一揆

   近世・近代の生駒の歴史を学ぶ機会があり、幕末に「矢野騒動」と呼ばれる生駒の世直し一揆があったことを初めて知った。

 江戸時代、生駒の領主は複数入り組んで分割支配していたが、一番主たる領主は旗本松平氏(藤井松平氏の一族)5,000石で、代官は大庄屋の矢野氏が担っていた。
 どこの領主も江戸中期からは財政事情が悪化していたが、これといった特産品のない生駒はそれが顕著で、幕末には御用金の賦課、他地域への村人の徴発も加わり、開国後のインフレも相まって村人の暮らしはさらに困難になっていた。

 耐えかねた百姓たちは、新政府の有力藩の長州藩大阪役所に越訴することになり、首謀者が特定されないよう写真のような傘状連判状に署名捺印した。
 これを受け、長州藩兵50人が派遣され、領民数百人と合流して陣屋に向かい、代官矢野氏は身柄を拘束された。ただし、これまでの未払い代金は支払われたが、新政府も財政難で年貢は下げられなかった。
 このように不十分な結末ではあったが、自分たちで領主の悪政を告発し、あまり犠牲を出さずに領主を交代させたという、珍しい一揆の成功例であった。

 妻の実家は生駒であり、村の庄屋であったというからこの一揆には微妙な立場であっただろうが、村ごとに傘状連判状がまとめられたところを見ると、まとめ役として百姓の力になったのではないかと推測される。事実、代官派として追放されたりせず、マッカーサーの指令までは地主であった。(写真の連判状の村ではない)続きは追って・・・。

2024年6月25日火曜日

堺中心部の高低差

   ブラタモリが終わってだいぶ経つが、彼の「高低差から歴史を読み解く知識」には敬服する。
 確かに、等高線のない普通の地図によって生活している分には解らないことが、現地では一瞬に解ることもある。
 私の故郷堺のことを話すと、大阪市の中心部から南海堺東駅前を抜けて泉南まで通る幹線道路に大阪府道30号和泉泉南線がある。(地図の朱線)

 少し話を寄り道すると、昔はこの道路のことを市民はみんな(ほんとうにみんな)『13号線』と呼んでいた。誰もが国道13号線か府道13号線だと信じていたが、理由は結局不明で、昔『13間道路』と呼んでいたからではないかというのが一番「正解」に近いということになっている。それ以上のことは知らない。
 それにしても、旧称や愛称は大いに賛成だが13号と30号では紛らわしい。

   話を戻すと、平面の地図ではそういう南北を貫くひとつの幹線道路だが、大雑把に言うとこの道路から東側は丘陵になっていて、ここに高低差(段差・坂)がある。
 中世からの自治都市堺(旧市街地)は西側で、そこに住んでいたわが家あたりは土を掘ればすぐに砂地が顔を出した。だから、縄文に遡ればここが海岸線であっただろう。
 この段差の西側には弥生の遺跡があるからその頃にはもう平野であっただろう。

 ここからが本題だが、この東側の丘陵地帯に有名な百舌鳥古墳群があるのである。
 そのうちの巨大な古墳は大王墓(いわゆる天皇陵)であることを否定する学者はほとんどいない。
 だが、どの古墳が記紀のどの「天皇陵」と見るのかについては、いくつかの説がある。
 例えば、伝仁徳陵がその子の伝履中陵よりも新しそうだという重大な指摘がある。

   また、伝履中陵の南西の石津に巨大な乳岡(ちのおか)古墳があった(大きく破壊されている)が、この古墳がこの辺りでは一番古い巨大古墳だという指摘がある。この場合、ここが段差の西というのがポイントで、つまり百舌鳥の丘陵上ではない。(少し低い岡)

 ということを繋ぎ合わせると、弥生以降栄えてきた和泉の海岸線近くの豪族の完成形が乳岡古墳で、いよいよ従来の大和の王権をしのいで河内王朝を樹立した、後の大王墓(天皇陵)が伝履中陵以降の百舌鳥の丘陵上の巨大古墳でないかというのが故石部正志先生の説のように思われる。
 13号線もとい府道30号線の東西の高低差を身をもって知っている私は、こうして石部説に大いに魅かれているのである。(ただし、これは学界の定説ではない)

2024年6月24日月曜日

すし食いねえ

   6月16日の『退院祝い』に書いたとおり、孫の凜ちゃんはおすしが大好き。
 で、祖父ちゃんはこんな靴下を見つけると、つい買ってしまう。
 ただそれだけの爺ばか日誌。

 追記
 記録のために6月23日のわが庭

 1 タマムシ 今年の初見。
   だいたい7月だろうと思っていたのが6月中に飛んでいるので感激。

 2 電気トンボ(腰空とんぼ・コシアキトンボ)が何回も何回も旋回。それだけ蚊がいる?

2024年6月23日日曜日

理想は高く

   「民主主義とは邪魔くさいものだ。
 先の衆院東京15区補欠選挙でえげつない選挙妨害をした某党は、その動画をアップすることで金儲けをしたらしい。
 今般の一人を選ぶ都知事選でも大量の候補者を立て、公の「掲示板」を変な話題に使用しようとしているらしい。
 どちらも、映える(ばえる)というか、炎上することを目的にしているように見える。
 時代が閉塞感に包まれたときにエログロナンセンスが流行るに似た現象で、ネット社会が生んだ歪みに思える。

 もっと広い世界でも、EUの選挙では右翼の大幅な伸張が報じられている。
 EU諸国を十把一絡げに論じるのは正しくないだろうが、「連帯よりも己の利益」を優先する主張が広がっている。
 それを進めているツールとしてネットの果たしている役割が大きい。
 そういう風潮に眉をひそめている人々の一部に、「だからネットを制限すべきだ」とか極端なのは「ネットを禁止すべきだ」と語る人もいる。だが果たしてそうか。

 また、冒頭の選挙妨害を見て、「厳格に取り締まって立候補を制限すべきだ」という意見も、例えば酒席などでは「そうだそうだ」となる。
 となると、結局一番正義が実現するのは厳格な「警察国家」「取り締まり国家」ということでよいのだろうか。
 究極の「小さな政府」はファシズムでもある。

 それにリアルな話でも、国家公安委員長が某カルト集団とズブズブであったという現実から、「厳格に取り締まれ」という善意の主張が、民主主義弾圧の有効な武器になる恐れは非常に大きい。
 民主主義とは邪魔くさいものだ。
 
 先日「虎に翼」で憲法12条が紹介されていたが、第12条は、 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のために、これを利用する責任を負ふ。と言っている。
 つまり民主主義を守る責任は、私でありあなたである「一人一人の国民」であり、その責任を「ネット」に押し付けて「正論」のように語るのは責任転嫁ともいえる。

 私はどこかで読んだ、「カールマルクスはジャーナリストであった」という言葉が好きである。
 ネット社会は、規模は違っても国民人一人がジャーナリストになれる社会でもある。
 そこでの努力を逃げて、「ネットは悪い」というような酒席での議論みたいな話を繰り返しても何も解決はしないだろう。
 大いにネットで「普通の声」の発信を広げよう。

2024年6月22日土曜日

よみがえった思い出

   桂ざこばさんの訃報を聞いて、彼がTV出演していた昔の『そこまで言って委員会』を思い出した。
 昨今のそれは観ていないので知らないが、昔は安倍晋三応援団みたいな自称学者や評論家が集まって、ある意味「歯切れよく」民主派を罵倒して、その徹底ぶりが「人気」だったような気がするが、当時の皆さんが今どんな顔をして暮らしておられるか見てみたい気がしないでもない。

 例えば、当時日本共産党が「大企業は過剰な内部留保の一部を賃上げに回して、国民(消費者)の購買力をあげて経済を巡回させるべきだ」と主張したことを捉えて、「政治(家)が企業の賃上げに口出しすべきでない」と出演者の多数は大合唱したものだが、現在、内閣自体が賃上げの必要性を説き、マスコミもこぞって賃上げの必要性を語っているのを、どんな顔をしてみておられるのかと興味がある。

 ふたつ目には、日本共産党の小池書記局長が「極端な大企業優遇税制を民主的に是正して財政の健全化を図るべきだ」と語ったのに対して、皆さんが揃って「そんなことをしたら企業は外国に出ていって日本経済は疲弊する」とこれも大合唱したが、その時は小池書記局長が半分笑いながら「大企業には愛国心がないのですか」と返して、皆さんが苦笑いするだけということで、その時は瞬時に勝負があった。

 で、ざこば師匠のことだが、例によって皆さんが口汚く朝日新聞を「口撃」してざこばさんに同意を求めた際、ざこばさんは「師の米朝が『朝日新聞はええ新聞だから読んでおきなさい』と言っていたので私はとってます」と雰囲気に流されずに言い切ったことに私は漢(女も含む)を感じた。

 同世代の訃報はしんどい。

2024年6月21日金曜日

雨読

   認知症になると昔のことは覚えているのに直近のことは思い出せないと聞くが、その伝でいくと昔のことも忘れてしまえばどうなるの。
 晴耕雨読の言葉があるが、梅雨の楽しみは雨読に限る。
 で、新刊ばかり手を出すと出費も痛いので、書架の奥から昔の本を引っ張り出す。
 そして冒頭の話になるが、読んだはずの内容がすっぽりリセットされていて、「もしかしたら購入したまま読まずになおしていたのでは」と思うほど新鮮で感動する本が幾つもある。

 写真の本は執筆陣のお名前からして「古典」に分類されそうだが、その執筆時と現代のタイムラグを超えてなお新鮮な内容だ。
 色川大吉氏によると、現代(執筆時は高度成長期)の日本人はなぜシルクロードにあこがれるのか、それは、日本人はどこか大陸のほうからやってきて、わが内なる原始人が騒ぎだして荒涼たる空間を、ひと一人いない森閑といた曠野をみんな夢見始める・・というのも愉快だ。

 で、モンスーン地帯の雨天の下で、一滴の水もない、トイレのできる小さな凸凹すらない砂漠の話を読んで楽しんでいる。

2024年6月20日木曜日

入梅近し

   象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉
 芭蕉は、象潟は松島に似て美しいが松島が笑うようであるのに対して象潟は恨むようだと述べている。
 遠い昔訪れたことがあるが、季節や気候が好過ぎたのか、きっと若すぎたからだろうが、私にはそんなインプットはなかった。
 ただ、梅雨時にまるで花壇の園芸種の花のような近所の合歓の木を見るたびに、確かに美女の趣だとこの句を思い出して毎年感慨深い。

   この季節のもう一つの楽しみはヤマモモだが、今年は出遅れたので、手で採れるようなところには全くなく、高い樹上で熟れてポタポタ落ちていた。
 道路上には汚れていない大きな実もたくさん転がっているのだが、どうも落ちた実は食べる気がしない。
 そんなもったいないヤマモモでこの季節の道路はけっこう汚れている。その道を横目で通り過ごしている。

 散歩先で、ようやく見つけた1本の木で、小ぶりの実だが採取した。
 購入した果物でも甘くもなく酸っぱくもない果物にあたることがあるが、それに比べてヤマモモの甘さと酸っぱさは個性的で立派な果物だ。実際ネットを開けるとヤマモモのネット通販があった。

   採ったヤマモモは朝食のフルーツの一部になっている。
 

2024年6月19日水曜日

平和行進近づく

   2024年第67回原水爆禁止国民平和大行進の東京→広島コースが7月には大阪にやって来る。
 2017年に国連総会で採択され2021年1月に発効した『核兵器禁止条約』は地球の未来に一縷の光を与えたが、2022年以降の世界では、ロシアのプーチンが「核の使用も辞さず」、イスラエルの閣僚が「ガザへの核投下も選択肢」、イランの高官が「核での報復もある」と発言するなど緊張は急速に高まり、通常兵器による紛争が、ちょっとしたボタンの掛け違いからでも予期せぬ事態に発展する可能性は低くない。

 そういう国際情勢に日本の一市民が何をできるかと問われても特効薬はないだろうが、「微力ではあっても無力ではない」の言葉のとおり、被爆者と入れ替わることはできないにしても、その思いを共有し一緒に歩くことぐらいはできる。損得ではない、そういう微力が人間として大切ではないかと思う。

 7月4日(木)大阪城教育塔前(馬場町の角、府警本部を東に入ったところ)で13:00~13:20に午後の出発式を行ったのち、大阪地方裁判所前公園14:10~14:25までなら高齢者でも参加できそうだ。
 途中、なんならカズーで「原爆許すまじ」の合奏も可能かも。(笑)

 写真は本年度の原水禁大会記念のピンバッチ。300円。要望があれば組合書記局に用意してもらえるかも。

2024年6月18日火曜日

行政買収

   東京の神宮外苑再開発に伴う樹木伐採については昨日書いたが、16日の赤旗1面を見て「やっぱり」というため息が出た。
 上記の件をはじめ東京都の大型再開発を主導している三井不動産グループに都の都市計画局の幹部が「天下り」をしていたのだ。
 「天下り」というのは形式的に議論すると公務員は全く再就職が叶わないような話になるが、常識的に言って、都市計画局の幹部が事業を実施する不動産グループに移るのは実質的な「癒着」「行政買収」ではないだろうか。

 さて、伐採女王をストップさせようとする蓮舫前議員だが、連合東京、国民民主党が、あの裏金・統一協会萩生田自民と手を組む女王を支持すると報じられている。

 女王は、2017年の総選挙時も、前原誠司や連合会長とともに会談を繰り返し、「排除いたします」の名言で民進党を分裂・壊滅させた実績があるから、連合東京や国民民主党が蓮舫氏と対立してもなにも驚かないが、先の東京15区補欠選挙はそういう構図の下に勝ち抜いたのだから、ここは是非とも蓮舫氏を勝利させたいものだ。

2024年6月17日月曜日

神を恐れぬ自然破壊

   奈良県生駒郡平群(へぐり)町は亡義母の故郷であり今もその実家がある。
 晩年には、小さい頃からその野山で遊んだり働いたりした思い出話をたくさん聞いた。
 先日、所要があって生駒市の南部に行って平群のあたりを遠望して腰を抜かさんばかりに驚いた。ナンダコレハ⁉

 大規模な太陽光パネル設置工事が強行され、大きな住民運動が起こっていることは知っていたが、まさかこんなに大規模な自然破壊が進行していたとは想像の外だった。
 熱海の土砂崩れの原因であった違法工事どころではない。
 カネの亡者は自然破壊の怖さを知らないか、知ろうとしない。罰当たりメが。

 そういえば東京都でも神宮外苑再開発ということで多くの大木の伐採計画が進んでいる。
 坂本龍一さんが亡くなる約1か月前までそれに反対して都知事あてに手紙まで出されていたそれである。
 故に現職都知事は「伐採女王」と呼ばれたりしている。
 坂本さんの言葉でいえば私たちは未来の子どもたちに環境を手渡す義務がある。

 当然のように蓮舫さんは、公約の発表はまだだが、伐採反対で計画の見直しを述べているように感じている。
 目先の利益のために自然を踏みにじっていけば中長期的には国土が疲弊する。
 現職知事は、裏金問題、統一協会問題の自民党萩生田都連会長と手を組んだと報じられている。
 清潔で美しい環境を未来の子どもたちに。
 平群と東京にできる支援を!。

2024年6月16日日曜日

退院祝い

   孫の凜ちやんの退院祝い、・・というほど大層な入院ではなかったが、日々感謝。
 病院からの帰り、年金支給日だったかどうか知らないが「にぎり長次郎」は人生の先輩達で賑わっていた。
 その先輩たちが、凜ちゃんの鏡開きの様子に興味津々だったが・・。
 そんなことは全く気にせず、凜ちゃんは祖父ちゃん製作の鏡を見事に開いてバンザ~イ。
   凜ちゃんは元々あまり好き嫌いは言わない方だが、「何が食べたい?」と聞くと「おすし」と返ってくる。
 
 中でもマグロは、握りでも鉄火でも目がない。
 この日も、祖母ちゃんよりもたくさん食べて満足満足。

 ただ、学校か学童かで「ししゃも」という言葉を覚えてきて、「マグロの次に好きなものは?」と聞くと、「ししゃも!」と答えるのには少しまいっている。
 もっと高級魚を答えてよ・・・。

   次の写真は夏ちゃんファミリーがやってきて貰った古都華のワインで、父の日プレゼント。
 どちらかというと母の日的かもと思うが、その心が嬉しい。

 山あり谷ありこそ人生だ。谷底もあって山が楽しい。
 夏ちゃんが夏休みにファミリーで登山というので私の中型のザックを持って帰った。
 山行を語ってもらう楽しみが増えたこの夏。

2024年6月15日土曜日

再エネを主力電源に

   再生可能エネルギー(再エネ)の電力の受け入れを大手電力会社が一時停止するなど出力抑制が激増しているようだ。 
 テレビのニュースの限りでは「再エネ電力が増えすぎて皮肉なもんだ」というような論調だったが、6月13日付け赤旗の「焦点・論点」で京大諸富教授が23年の出力抑制について事実を精査した結果を述べているが、22年から23年にかけて再エネ自体はむしろ停滞していた。

 だから原因は反対で、原発再稼働と電力会社相互の電力の融通(連係)の停止・抑制にこそ原因があるという。
 政府は口では「再エネの主力電源化」を言っているが、やっている事実は、さらなる原発依存、もっと言えば再エネいじめを進めている。
 東芝のように原発に手を出した「家電」会社が大きく衰退したように、このままだと日本が世界に取り残されていく。
 岸田内閣は安倍に劣らず嘘が多い。

 その原発だが、プーチンはザポリージャ原発を攻撃目標にした。
 原発は、原子炉にミサイルが命中しなくても、配電や配管が損傷するだけで過酷な重大事故が起きる。
 だからウクライナは、従業員が逃げ出すこともできず、ヨーロッパ最大といわれるこの原発をあっさりとロシアに引き渡した。これが明々白々な現実だ。

 福島第一原発の事故の際は、太平洋側で基本的に西風であったから奇跡的に規模は縮小した。
 しかし、日本海側の原発に事故があった場合、北風や西風の季節であれば、日本列島壊滅は「心配」の域を超えるだろう。

 8月の広島・長崎に向けて平和行進が進んでいるが、歳相応の短さでもよいから参加する意義は大きい。核兵器はもとより、「原発もなくせ」と訴えたいものだ。

2024年6月14日金曜日

今年もモリアオガエル

   6月11日、奈良公園の吉城園に、樹上で産卵するモリアオガエルの定点観測に行き、親ガエルを1匹見つけたが卵塊はひとつもなかった。私の乏しい経験からすると、異常も異常、大異常である。毎年なら、親ガエルは何匹もいて、卵塊はいくつもあるはずだ。

 桜の開花で有名な気象庁の生物季節観測というものがある。
 観察対象は23生物あったが、令和3年からは植物6種9現象に縮小され、その他の生物の季節観測は廃止された。
 観測環境の変化など気象庁の言い分も判らなくはないが、ほんとうにそれでよいのだろうか。
 もとよりモリアオガエルは対象ではなかったが、トノサマガエルもニホンアマガエルも廃止された。

 大阪市中央区でトノサマガエルもないだろうが、工夫の余地はなかっただろうか。例えば大阪なら狭山池を場所に決めてボランティアの調査員が報告する方法とか・・・。
 
 「調査なくして発言なし」は私などは往年の世界労連書記長ルイ・サイヤンの言葉として記憶に残っているが巷間では毛沢東の言葉として流布している。現在ネットを検索すると、公明党が多用しているというのも少しおかしい。
 それはさておき「調査なくして対策方針なし」は的を射ている。

 「公から民へ」などと言って公共部門の人員削減を繰り返した挙句「観測を止めた」というのは、自然界から遠からずしっぺ返しを食うだろう。何が地球環境だ。SDGsだ。
 気象環境の変化か奈良公園の環境悪化か、非常に明快なメルクマール(指標)だと私は考える。モリアオガエルは危機を必死に訴えていないか。

2024年6月13日木曜日

石部正志「百舌鳥三陵への疑義」

   先日、文化財保存全国協議会の「石部正志さん追悼」の講座を受講した。講師は今尾文昭関大非常勤講師 、テーマは「石部正志著・百舌鳥三陵への疑義・に学ぶこと」であった。

 「百舌鳥三陵への疑義」は、「陵墓」への疑義を学界に堂々と問うことを考古学分野ではほゞなかった1968年に発表されたもので、 その内容をここに記すにはあまりにスペースが足らないが、百舌鳥・古市の巨大な古墳を検討すると、墳丘の企画、側面観の発達、使用尺、古墳の向き、大きさ、等から現状の宮内庁の治定は矛盾が多すぎると説明されている。

 今尾講師は、例えば4世紀末から5世紀初頭に始まった須恵器生産はそれまでの土師器とは大幅に異なる「産業革命」であったが、伝仁徳陵の埴輪が須恵器であるのに対して、その子の伝履中陵のそれが土師器であるという決定的な矛盾も指摘されている。(5世紀以降も煮沸用の土器は土師器であったものの)

 ただ、古事記、日本書紀や延喜式の史料と突合すれば「あっちを立てればこっちが立たず」で、講師は文献史料を疑う必要性を示唆された。(いわゆる天皇陵をしのぐ無名の豪族の墓とか? 後の史料で抹殺された大王(天皇)陵とか?)

 以上のような話は知らなかったものではなかったが、考古学の大先生の著作などを読むと、伝応神陵以降はほゞ現治定を肯定されていたので、「陵墓発掘」が叶わない下では、「そういうものか」と半分は自分自身を「納得」させていたものだったが、メラメラと真相探求の学習意欲が湧いてきた。
 5世紀の史料は馬鹿にできないと考えてきたので、何か振り出しに戻された気がする。

 石部説は、いきおい「河内王朝説」「王朝交代説」つまりは「万世一系の否定」に繋がるようだから、そういう面でも刺激的である。感覚的には乗っかりたい魅力があるにはあるが。
 こんな短い「感想」だが、このようにまとめるだけでも何日も文献を読み返して疲れたのでおしまい。

2024年6月12日水曜日

謎の八角堂

   日本史というと中学校でサラッと習っただけだが、高校のときの社会科の一先生が授業内容から少し横道にそれて、教え子(つまり私達の先輩)が和泉黄金塚古墳で景初三年銘の三角縁の銅鏡を見つけた話と、山根徳太郎博士が難波宮を見つけた話は、いやに熱っぽく語っていたのを印象深く覚えている。
 その難波宮の大極殿周辺が今も大阪城の南西、法円坂に公園として残っている。
 こんな大都会の中心地でこのように史跡保存されているのは奇跡も奇跡ということは、平安京の大極殿などがこのようには全く保存されていないことからも理解いただけるだろう。

 この難波宮跡公園の東に隣接して大阪市教育会館があり、そこで先日、文化財保存全国協議会の講座があった。
 遠方から来られた方が窓からのぞいて「これが難波宮跡ですか」と感慨深く呟かれたが、この感動を大阪近辺の人が無視されているのはあまりにもったいない。
 「あれが内裏の基壇です」「実際に行ってみると謎の八角堂もありますよ」と教えてあげた。
 その八角形の建物跡は内裏の左右にあり、これはいったい何であるかが謎なのである。

 今春、退職者会でノダフジ見学の遠足に行ったが、西側の八角堂跡には大きな八角形の藤棚が作られている。これを単なる立派な公園の藤棚だと見過ごしてもらっては困る。これは、藤棚の立派さに意味があるのでなく、八角形の建物跡を「見える化」しているところに意味があるのである。
 この建物については、大きくは、① 東楼、西楼 ② 鐘台(鼓楼、鐘楼) ③ 仏殿(夢殿みたい) ④ 宗廟・社稷 などの説があるが、小笠原好彦先生は、長安城太極殿の鼓楼、鐘楼を参考にしたのではないかと示唆されている。

 時間があれば一度尋ねられては如何。近辺には国の各官庁、府警本部、家庭裁判所、府庁などがある。古代にも、鐘が打ち鳴らされ、それを合図に官人たちが内裏の前に整列した様子が浮かび上がってくると思う。

 (追記)八角形というと、真の斉明天皇陵といわれる牽牛子塚古墳と道教を思い浮かべるが、そういう角度からの新説はないのだろうか?(独り言)

2024年6月11日火曜日

上本町6丁目南

   イオンにレジゴーなるセルフレジシステムがあるが、これに取り残されないよう必死になって努力していて、そのほか、年齢の割にはそこそこIT(情報技術)にも頑張ってついていっている方ではないかと自身で思ったりしているが、大阪メトロ森ノ宮駅で『顔パス改札口』を見つけたときには一瞬驚いたというか戸惑った。

 通勤というものを卒業したのでこのシステムを利用することは今後も100%ないと思うが、顔認証ではなくカバンなどの中のICカードがこのゲート(改札)で瞬時に読み取られるようになれば、今のタッチシステムよりは格段に便利になるだろう。少し怖いような気もするが・・。
 今はショルダーバッグごとタッチしている。

 森ノ宮駅は大阪メトロ中央線だから、このシステムの導入も万博に向けての広告塔だという下心は見えているが、顔パスは各所で増えるかもしれない。
 広告塔ということでいえば、この線の新型車両400系は確かに斬新だが、テレビでは首都圏などでは見慣れたデザインのような気がする。たまたまだがその車両に乗車したが、『撮り鉄』でもないので写真は撮っていない。
 市長や知事はこんなことも今後誇大広告に使うだろうが、まあ、そんなものである。繰り返すが新型といっても首都圏の車両の二番煎じでないか。

   さて、大阪メトロというと大阪シティバスの方は、ビルドアンドスクラップのスクラップで、停留所の接近情報システムも壊れたままのところが多い。HPでは「スマホで見よ」となっている。

 それにネット上の大阪シティバスの時刻表案内で、写真のとおり「上本町6丁目南」と検索しても「該当する停留所がありません」と出てこず、「上本町丁目南」でないと見ることができないという一世代前のようなお粗末さだが、実際にその停留所に行ってみるとナント上の写真のとおり「上本町6丁目南」とあるではないか。
 少し腹が立ったので証拠写真をパチリとした。え~い 控えおろう、この証拠写真が目に入らぬか!

2024年6月10日月曜日

姫女苑(ヒメジョオン)

   同じ植物でも高山に生えていると高山植物と呼ばれて大事にされるのに、街中だとただの雑草と思われているものも少なくない。キスゲだって、ワタスゲだって・・・・。
 ヒメジョオンも、高原あたりでこれを見ると「Wow 素晴らしい」とならないか。

 この花、「春紫苑(ハルジオン)」にそっくりさんで少しだけ小振りである。
 だから素直にいけば「姫紫苑(ヒメジオン)」となるべきところが既に「姫紫苑(ヒメジオン)」があったので「姫女苑(ヒメジョオン)」になったという。

 ホンに、歩きながら見ている分には「そっくりさん」の違いが判らないが、葉っぱの茎への付き方で明瞭に区別できる。ハルジオンの葉っぱは茎を巻くように付いている。
 中公新書『雑草のはなし』にはもっといろいろな見分け方が書かれている。 

2024年6月9日日曜日

やっぱり蚊遣り

   シン〇〇というネーミングが流行っている。
 
 広告業界では有名?なキンチョーが今年売り出したのは『シンカトリ』だ。桂二葉ちゃんの「なんかわからんけどすごいやん」のテレビCMも如何にもそれらしい。

 部屋に置くだけで蚊が落ちる。電源不要。次世代の非加熱式蚊取り器らしい。

 その季節になったので、『虫コナーズ』と一緒に『シンカトリ』も購入した。
 『虫コナーズ』もそうだが、ほんとうに効いているかどうかは知らない。事実、庭作業のあと体にまとわりついたまま侵入する奴には敗けている。

 伝染病の運び屋であるから「善人」でないことは明らかだが、彼らも自然界循環の住人であることは間違いない。早い話が蚊が絶滅すればコオモリもツバメも大いに困る。
 サステナブル(持続可能性)な社会が謳われているが、そういう意味では「カトリ」ではなく「カヨケ」が好いとの立派な主張もある。

 という正論は正論として、体の弱い孫には彼奴等は困る。
 で、これからは電撃ラケットの出番になる。電撃殺虫ラケットは効果が一目瞭然だから気分がよい。バチッとやっつけると快感が走る。
 その上に写真の蚊遣り(かやり)を置いて情趣を味わいながらこの夏を乗り切って行こうと思う。

2024年6月8日土曜日

第12条

   裏金に関してはザルであるばかりか「合法化」を謀ろうとするインチキ規制法が衆院通過した翌日、新聞は衆院憲法審懇談会に自民党が憲法改正原案を提出したと報じたが、その朝、朝ドラでは、
寅子はしみじみと頭の中である条文を読み返した。

 「憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。・・」

 自公維や国民が憲法改正を急いでいる。特に維新と国民が前のめりだ。
 政権が危機に近づくと、破れかぶれというか一か八かというか悪法が成立する傾向がないだろうか。
 こういう時こそ、寅子のように憲法12条を読み返してほしい。裏金など法を守らない者たちが叫ぶ憲法改正ほど恐ろしいものはない。
 「不断の努力を怠っていないか」今一度自分自身に問いかけているところだ。
 民主主義だって当然のようにあるものではない。多くの先人の努力の上にある。
 それを思い、なかなかの朝ドラに拍手を送っている。

2024年6月7日金曜日

だめだこりゃ

   木曜日に行った病院では、受付開始前に来院していた患者には受付開始前に保険証確認をしてくれる。その分、スタートダッシュの受付がスムーズに流れ、イラチの関西人には好評と思われる。 
 その中の一人であった私が注目していると、見事にマイナ保険証は0件だった。少し驚いたが痛快でもあった。
 高齢者が多いからかもしれないが、従来の保険証で何の支障も生じていない。
 それに推測だが、マイナ保険証の「尻叩き」には何か胡散臭いものを広く共有しているせいではないだろうか。

 「権力」が国民の個人情報を根こそぎ持つのは民主主義国家では良くないことである。
 「裏金」であれほど嘘をつきまくっている与党・ゆ党が、マイナ保険証だけは正論を吐いていると信じるのは社会人として失格ではないだろうか。
 河野大臣は早々に「だめだこりゃ」と反省すべきである。
 それを反対に、「マイナ保険証を積極的に進めていない医療機関を探れ」などというのは本末転倒も甚だしいし、彼等の怖ろしい強権的性格を物語っている。
 マイナ保険証システムやその情報で莫大な大儲けを企んでいる者がいる。そのことを忘れてはならない。
 そして貴方の個人情報は素っ裸にされる。

 その病院では会計を機関処理できるようになっていて、会計窓口に並ぶ必要もないから、私はサッサと支払って家に帰ってきた。
 そして、やけにスムーズに終わったと思ったら、薬を貰うのを忘れて帰ってきたことに気がついた。
 ブログに「ドジ3連発」を書くためにヤラセをしたわけではない。
 だめだこりゃ!

2024年6月6日木曜日

通販には気をつけろ

   先日ふたつの物をネットで注文した。 
 ひとつは拍子木。
 行事の締めくくりに「大阪締め」などをするときに チョンチョン チョンチョン チョチョンがチョン で場が盛り上がらないかという趣向のため注文。
 そんなものだから本格的なものでなくていいと子供用の安価なものを注文した。
 と、・・・そのはずが、子どもを超えて幼児向けの玩具のようなものが届いた。長さ8センチ、鉛筆程度の太さだった。これでは締まらない。

   二つめは、去年処分した孫の凜ちゃん用のビニールプールの更新。
 凜ちゃんも少し大きくなってきたので、これはあまり小さくないものを注文した。
 が、・・・届いたのはアメリカの郊外の住宅の芝生の庭が似合いそうなサイズのものだった。
 こちらの方は「大は小を兼ねる」から使用に問題はないが、妻は「水道代が・・・」と眉をひそめた。

 昨日書いた駐車場の件といい、後に振り返ってみれば「あの頃から少しおかしかった」となるだろうか。想像力、判断力のピントがこの頃少しズレてきている。
 大怪我をしないように、大きな買い物には慎重にならなければ。と反省。

2024年6月5日水曜日

忘れ物は何ですか

   某病院へ行ってきた。
 「なんか抜本的に改善する薬か治療法はありませんか?」にDr「年齢によるものですから何もありません」
 そのように正論を吐かれても・・・・。

 終わってから駐車場でさらに弱った。
 この頃、各所の駐車場のシステムがみんな異なるので考えてみて「ここは確か診察券を入れたらOKのはず」とやってみたが上手くいかない。
 後続の車も増えて困ったので、ついにバーを手で開けて外へ出たが、帰ってから、診察券の前に入れるべき駐車券が出てきた。

 なお、この日の診察は認知症の診察ではなかったが、診療科を増やさなければならないかもと大反省。

 一番のテーマであった某腫瘍マーカーはセーフだったので、こんな馬鹿話を書いていられる。

2024年6月4日火曜日

観光公害

 「どこへ初詣に行こうか」と妻と相談したとき、「大混雑している有名な神社は嫌やな、けど、あまりに閑散としている神社ももひとつやな」と意見が一致したが、客観的に見ると虫の良い意見かも知れない。
 ことほど左様に、人間というやつは・・・と考えるときがある。

   テレビで、京都祇園の花見小路の一部私道で「観光客進入禁止、罰金徴収」との看板が立てられたことが報じられた。
 その前は、山梨県富士河口湖町で、コンビニ越しの富士山の撮影ができないように「目隠し幕」を設置したことも報じられた。
 つい最近までは、コロナの影響で観光業が悲鳴を上げているという論調だったテレビも考えようによっては節操がない。

 関空からの大きなカバンの観光客が通勤電車に乗っていて通勤客の乗り降りが困難だとか、大阪ミナミの大混雑を見てきた立場からすると当地の困惑も分からないわけではないが、昔JALパックと言われた時代に日本人ツアーがステテコ姿で飛行機に座っていたとか、世界の有名観光地の落ち着きを壊して歩いていたのは知らぬという風情で「外国人観光客は」と眉をひそめているのもどうか。

 渦中から離れたところでモノを言うのも憚られるが、もう少し議論を重ねて大人の対応ができないものかとテレビを見ながら呟いている。答は単純ではない。

2024年6月3日月曜日

七夕に新しい都知事を

   「東京都知事選挙(6月20日告示7月7日投開票)が近づいているのに候補者は?」とこの間までスッキリしない気分でいたが、5月27日、先の衆院東京15区選挙で都民ファーストや維新を押さえて勝利した市民と野党の共闘チームが蓮舫参議院議員擁立で一致し、蓮舫氏も決意を表明した。

 その発表が唐突みたいであったことや、テレビ報道などでは共闘の話が全く触れられなかったことで、ニュースを見たときは「個人プレイか?」と一瞬腑に落ちなかったが、翌朝、宇都宮氏や市民連合の方々、そして小池共産党書記局長らが参加しての「決意表明」であることがわかり安心したというのが正直な感情だ。

 東京都政のことは日を改めて書くとして、小池知事の「反自民」は選挙用のコマーシャルで、当選した数か月後には自民政治に先祖返りしていた。その本家は自民の中でも右翼差別主義のグループで、歴代知事が行なってきた関東大震災時の朝鮮人虐殺事件の慰霊祭への追悼文すら拒絶した。

 学歴詐称事件では、それは駐日大使館を巻き込んでの違法行為であり、客観的に見て外国に弱みを握られた格好になり、首都の顔にふさわしくないどころか、一切の公職にふさわしくない嘘つきと言わなければならない。

 国民民主党の榛葉幹事長はそれでも「共産と連携する人が東京都知事では困る」と言い、連合芳野会長は「小池知事との関係性は良い」と早速共闘破壊の発言をしているが、自民党の裏金問題といい、円安物価高騰問題といい、今こそ自公政治を退場させなければというのは広く国民の良識ある声だろう。その重要な第一歩だ。

 久しぶりにワクワクする夏を迎えている。

2024年6月2日日曜日

終末時計はあと90秒

   プーチンが核兵器の使用に言及する中、それに単純に反発する側は「先制攻撃論」を煽っている。
 「戦争は止めよ」「核兵器は全廃せよ」の声を今あげなければ何時それを語るのか。
 子や孫に「お祖父ちゃんはなぜ止めてくれなかったの」と叱られないように。
 7月早々には原水爆禁止平和行進が大阪にやって来る。
 8月には原水爆禁止世界大会が広島、長崎で開催される。
 そこへ向けての意思表示のピンバッジを原水協が作成した。
 広島の原爆ドームと長崎の平和祈念像のバックにあるのは世界終末時計である。

 世界終末時計とは、 核戦争などによる人類の絶滅を午前0時に設定した場合の残り時間を「あと何分」と象徴的に示すもので、絶対的な時間ではなく、その歴史的経過と現在地に意味がある。
 アメリカの学者たちが始めた1947年は「あと7分」であったが、冷戦が終結した1991年には「あと17分」にまで前進したものの、2023年と2024年は「あと90秒」にまで悪化している。

 1個300円で意思表示をしたい。今までにない「強い」デザインだ。
 NO NUKES

2024年6月1日土曜日

ホトトギス

   先日孫の夏ちゃんが来てジューンベリーの収穫をしていたとき、林の方から特許許可局! 特許許可局! の声が聞こえてきた。
 ジューンベリーといい、傍らで満開の卯の花といい、あまりにぴったりの季節の取り合わせに歳時記を見ているようだった。
 ホトトギスについては5月22日の『夏は来ぬ』にも書いたが、その声は少し陰鬱で妖しい気分を乗せている。
 そのためか、その声を愛でる話と同時に「不吉な知らせ」という言い習わしも多い。

 枕草子で清少納言は、ホトトギスの初音を聞くためにわざわざ出かけたりしているが、また、「ある時点で鳴き声がきっぱり途絶えるのが潔い」と褒めている。
 清少納言のこの感性にはほとほと感心する。それに比べて現代人たる私の感性のなんと薄っぺらいことよ。

 実際、産卵が終わると、特許許可局!と鳴かなくなるのか、6月も下旬になると高原に行ってしまうのか、その原因を私は知らない。
 ただ毎年、特許許可局!を聞くと、環境破壊も今年もどうにか持ち堪えているという安心感が湧いてくる。
 (写真はネットにあった千葉日報のもの)