2024年7月3日水曜日

軽登山部発足

   以前に、息子の嫁が私のアルバムを見て、「Wow お義父さん、若い!」と驚きの声をあげたのには苦笑したが、考えれば人生の出会いなど「そういうもの」だろう。
 私だって、妻の父母の若い頃の写真を見たならそう言うだろう。
 ・・・というように、次々の世代に思われていくのも人生の真理である。

 わが退職者会も世話人会に少し若い世代が加わった。
 その影響もあり、これまでの「遠足」以外に、「軽登山部」を発足させてさらに交流を深めることとなった。
 そして、会議の続きを居酒屋に移して、「あの山はキツ過ぎる」「この山はたよりない」と話が弾んだが、私自身は半歩引いて話に加わった。というのも、「途中で不整脈が発症したら」などという一抹の恐怖感のようなものが頭の底から覗いてくるからである。

 ここでも、「槍の先では」だとか「風雨の宝剣では」と語っても、ただただギャップに驚かれるだけである。
 記念すべき初回山行には「枯れ木も山の賑わい」で参加したい気持ちもあるが、正直なところ逡巡している。これが「老化」というものなのか。

2024年7月2日火曜日

八角形の思想

   6月12日の『謎の八角堂』の続きである。(写真は大阪歴史博物館の復元展示)
 (スマホなどの場合、一番下の「ウエブバージョンを表示」にして、その下の「前の投稿」をタッチすると幾らでも以前の古い記事が読める) 

 記紀によると、舒明天皇のあと即位したのが皇后宝皇女(皇極天皇)で、皇極天皇の下で、中大兄皇子と中臣の鎌子が蘇我蝦夷、入鹿親子を葬った皇極3年(645年)6月の乙巳の変(俗にいう大化の改新)というクーデターを起こした。(次の写真は遺跡上の藤棚で、八角堂の柱に基づいている)
 
   クーデターの翌日、皇極天皇は譲位の意思を発表し、中大兄皇子(後の天智天皇)は一旦身をひそめ、皇極天皇の同母弟が即位した。孝徳天皇である。
 この孝徳天皇が、日本で初めて天皇の住居を宮とするのを取りやめ、中国に倣って日本で初めての首都を大阪に築いたのが、難波長柄豊碕宮で、現在法円坂に史跡公園とされているいわゆる前期難波宮である。白雉3年(652年)。
 しかし翌年には孝徳天皇と中大兄皇子が対立し、先帝皇極、中大兄、皇后である先帝の妹間人皇后など群臣が飛鳥に戻ってしまい、一人残された孝徳は翌654年に憤死した。
 こうして、絶大な力を持っていた皇極が重祚して斉明天皇となった。
 元天皇であり、中大兄の母であり先帝の皇后の母である斉明天皇は、後に「狂心(たぶれごころ)」と記録される大工事を次々と行い、多武峰に道教の楼観と考えられる両槻宮を造ったり、水の祭祀場と考えられる亀型石造物などなどを造った。飛鳥の謎の石造物なども斉明の工事によるものかもしれない。
 そして百済の滅亡を受けて朝鮮半島へ出陣する途中、九州で死亡し、遺体は飛鳥に運ばれた。最終的に葬られたのは飛鳥の牽牛子塚古墳で、見事な八角形の古墳である。(3枚目の写真は牽牛子塚古墳)


   戦前の軍国主義の中心的なスローガンに「八紘一宇」というものがあった。全世界をひとつの家とするというもので、八紘とは、四方と四隅でこの世界全部となる。
 八角形古墳はこの時期の天皇に許された王の中の王の古墳にふさわしい。
 いわゆる三種の神器の八咫鏡も八角形の銅鏡と言われているし、天皇即位の重大行事、大嘗祭も八角形の高御座(たかみくら)で行われる。
 大嘗祭の際は、その前方に幡が並ぶが、太陽には三本足の烏、月には蛙が描かれている。つまり、これらは全て古代中国の道教の思想である。

 これ以上続けると「本」になってしまうからこれぐらいで置くが、言いたいことはこの時代に中国の思想、特に道教の思想が日本の朝廷に大きな影響をもたらしたということが言える。
 そこで、前期難波宮の謎の八角堂だが、性格は鼓楼、鐘楼というのが有力であるが、それが八角堂であるのは道教に基づく思想であろう。
 いろんな歴史書を読んでも、古代日本史における道教の思想をあまり本格的に論じているものに出会わないのが不満でこの記事を書いた。

2024年7月1日月曜日

怠りを諫める

   佐保山に何おか諫むる子規の声

 全くの駄句を恥もわきまえず捻ってみました。
 子規はホトトギスのことで夏の季語。
 佐保山は平城京の北東で、歴代天皇などの奥津城(墓域)。
 多くの言い伝えや民話などでは、ホトトギスは田植えの頃にあの世からやってきて、農作業(田植え)を怠(おこた)っていないかと諫(いさ)めて、けたたましく鳴いているという。

 佐保山の方向から今日もホトトギスのけたたましい声が聞こえてくる。
 さて田植えの季節も終わっているし、ホトトギスは何を諫めているのだろう。
 沖縄では米兵による性犯罪がまたしても複数発生した。
 それを知った政府つまり与党は、沖縄県議選があるのを考慮したのだろう、沖縄県やマスコミ、国民には隠蔽していた。
 いつまでこんな理不尽な犯罪が続くのだろう。そして売国的な政治が。
 沖縄県で起こった日本人被害者事件であっても米兵の裁判権は日本国にはない。
 沖縄はウクライナやガザの被占領地と変わらない。
 それを見てみぬふりをして、為替相場に文句をつけているだけでよいのか。

 「それでよいのか」、きっとホトトギスはそういう我々を諫めているのだろう。
 「夏は来ぬ」の3番は 〽 橘の かおる軒端の 窓近く 蛍とびかい おこたり諫むる 夏は来ぬ  と歌っている。
 (写真はネットの「鳴いて血を吐くホトトギス」にあったもの)