2024年7月31日水曜日

大先達の話を聞く

   大先達大塚知明師の『修験道に学ぶ生き方』という話を聞く機会があった。
 私は映画『剣岳 点の記』を思い出した。原作は新田次郎の小説。

 映画は明治後半に人跡未踏の剣岳初登頂を目指す感動的な映画であったが、ついに登頂した頂上には1000年も前に登頂した者による錫杖の頭と鉄剣が残されていた。
 登頂していたのは今で言う修験の僧であったに違いない。
 ことほど左様に、山岳修行は日本仏教の重要な原点のひとつであろう。

 昨今のキーワードの一つはSDGsであるが、そういう意味でも修験道は正に自然との共生の思想だと思う。
 ただ荒行によるそれは即身成仏(即身即仏)であまり馴染めないなあと思っていたが、大先達いわく「世間を離れて修行するが、目的は衆生の闇を除く」とか。
 私は、乱れた世を正そうと骨身を惜しまない「オールドマルキスト」とダブって見えた。

 「風のそよぎ、小鳥の声もお経になる」というのには同意する。
 慚愧、懺悔、六根清浄、(私はこれを唱えながら登ったことはないけれど)

2024年7月30日火曜日

レタス無惨

   テレビニュースが「宮城以北のホタテ、壊滅的被害」と報じていた。原因は海水温が23度Cの限界を超えた地球温暖化だという。
 
 「炭鉱のカナリア」ではないが、人類の近未来を教えているようだ。

 写真はわが家庭菜園のレタス。これも食用のレベルを超えて伸びきっている。
 猛暑という厳しい環境への防御反応として苦みも発生して、あとは「菜の花」として観賞しかない。

 異常気象は、黒潮の蛇行や偏西風の北上などいろいろあるが、決定的には地球全体の温暖化、特に北極の温暖化で、赤道と北極の温度差が縮まっていることにある。

 人間社会が放出したCO2による温室効果が決定的だし、それは考えようによっては人間の知恵で対処可能である。
 ましてや、原発で発生した熱エネルギーのうち発電に回されているのは約3分の1。残りの3分の2は熱として海に捨てられている。その量は1基あたり1秒間に70㌧。
 SDGsを説きながらこの原発に言及しないのは勉強不足か嘘かである。

 天の監督を仰がざれば凡人堕落。国民、監視を怠れば、治者盗を為す。・・田中正造の言葉である。

2024年7月29日月曜日

解除会(けじょえ)

   7月28日の朝に東大寺の解除会(けじょえ)に行ってきた。「除疫病」の茅の輪くぐりの法要である。

 それって神社の神事じゃないの?という疑問は半分当っているが、歴史でいえばホンの最近にあたる明治の神仏分離令までの日本のスタンダードは神仏混淆だから、明治の愚策に動じず仏の前で茅の輪くぐりをしたりする南都のお寺は好もしい。
   夏休み+日曜日のせいだろうか、朝から結構な人出であった。
 それでも、まだ朝ということもあり、大仏殿の柱くぐりは空いていた。
 もちろん孫の凜ちゃんはスイスイと潜り抜けたが、後に続いた祖母ちゃんは潜り抜けた後どこかの事件現場のような写真と相成った。
 それでもわがファミリー代表の二人は無事潜り抜け、世はコロナ11波とか、熱中症とか喧しいが、なんとか乗り越えられそうな気分になった。南無~。

 補足:神仏分離令にはいろんな要素があるが、結果的には圧倒的な神社が国家神道に収れんされ、戦時体制のための国民精神総動員の道具となった。
 そのことの反省もなく、戦前の特権的な立場をもう一度と画策している神社本庁の政治活動は軽視してはならない。
 ただ、素朴な村や氏の信仰はそれ以前からあったものであるから、そこは認めた上で私は批判するものである。


2024年7月28日日曜日

マイナ強要はダメだ

   政府は医療機関や薬局に「マイナ保険証の支援金」をばらまき、国民(病院や薬局)をして国民(患者)に利用を強要させている。

 義姉の場合、長年病院通いをしていて病院の前の薬局で薬を貰ってきているが、今般薬局で、まるでマイナ保険証にしないと今後は保険適用しないかのように強い口調でマイナ保険証を強要されたという。
 患者の立場は弱いから、保険証のためにマイナンバーカードをつくろうかと義姉は語っている。私なら「従来の保険証でなぜダメか」と問いただすが、普通の庶民としてはそんなものである。
 
 個人情報保護の大義に反するマイナ保険証の不当性がそもそもあるが、それを医療機関や薬局をして、相対的に精神的に弱いと感じる患者に強要するというこのやり方は、戦時中に国民同士で監視させ密告させた卑怯で精神的に下劣な策と同じ匂いがして気分が悪い。

 安倍内閣以後、例えば没論理的な言葉の持て遊びで言語などの学問が歪められたように、今の自公政権の下では政治以前の犯してはならない倫理が崩壊しつつないか。
 そもそもマイナンバーカードの取得は個人の自由であるのだから、医療機関や薬局が患者に強要するのは立法趣旨に反して不当である。

 先日、ウインドウズ関連のシステム障害で例えば航空機の運航が全てとまったように、重要な教訓は「リスクは分散せよ」である。リスクや情報の集中は時代遅れで危険なのである。
 万博が実はカジノ政策の露払いであるように、国民総背番号は徴兵制の露払いである。「まさか」と思われる方とは賭けても好いが、賭けはよくないのでしない。
 こういうニュースに、「嫌な世の中になったもんだ」と思わないならそれは政権の撒き散らす毒素のせいだろう。

2024年7月27日土曜日

オリンピックは「はて」

   7月26日付け朝日新聞の『天声人語』はおもしろかった。
 翻訳家の岸本佐知子さんの随筆集『ねにもつタイプ』からの引用がおもしろかった。
 だからこの記事はほぼ「孫引き」だけである。
 
 岸本さんは「オリンピックが嫌いだ」と次のような理由で書き綴っているという。
 「朝から晩までオリンピックオリンピックとそのことばかりになるから嫌いだ」
 「メダルの数に固執するから嫌いだ」
   ー金銀銅のメダルはやめて、どんぐり、煮干し、セミの抜け殻にしたらどうかー
 「メダルを取らなかった選手と種目は最初から存在しなかったことになるのが嫌いだ」
 「国別なのも嫌いだ」
 
 天声人語は「半分ぐらい分かる気がする」と如何にも大商業新聞らしい感想をつけているが、それなら東京オリンピックの際に自分たちはどう立ち振る舞ったのかの反省をつけてほしい。

 夢洲のカジノのための万博にしても、この種の事業(政策)にメディア関係が事実上主催者の一翼を担うのは世論というか国民の意識の大きな誘導になる。「そんなのは嫌だ」となぜ言わない。
 スポーツだとか、ある場合にはフェアプレイだとか、友好だとか、魔法の言葉は恐ろしい。
 パリのセーヌ川をイスラエル国旗を掲げて選手団が「入場」した。

 岸本さんの随筆の「閉会式と開会式だけちょっと好きだ。あとはぜんぶ嫌いだ」で天声人語は締めているが、朝ドラ風に言えば「はて」。

2024年7月26日金曜日

夏は茗荷

   ミョウガは非常に育てやすい。そのことを言い換えるとそれくらい元気な植物なので直ぐに庭を占領してしまう。
 そんなもので広がらない場所に囲い込んで植えているというか放ったらかしにしている。
 放ったらかしということは肥料もやっていない。
 それでも毎夏花穂を出す。「花みょうが」である。
 私はミョウガが大好きなので歓迎しているが、そんなにパクパク食べるものでもないので、ほとんどは採らずに放ったらかしである。

 Wikipediaによると、食用として栽培しているのは日本だけで、英語もMyogaらしい。
 東京には茗荷谷という地名があるが、一面の茗荷畑だったとか。

 私は熱湯をくぐらせて即甘酢に漬け込むのが定番で、見る見るうちに美しいピンクになる。
 冷や奴にもお刺身にも合うし、炒め物に入れてもよい。特にカツオのたたきには欠かせない。
 以前スーパーでミョウガを買おうとしていたとき、「それはどのように食べるものですか?」と尋ねられたことがあるが、そういう食文化のなかった家庭ではそういうものだろう。
 祖母から「物忘れするから食べたらあかん」と言われていたのも懐かしい思い出だ。

2024年7月25日木曜日

夏ちゃんの一万尺

   木を見ると木から生命力を貰える、故に相という字には助けるという意味があるという。
 その伝で言えば、昔から高山にも神秘に似た生命力が発せられている。それが現代では、LINEを通じてわが家にも届くようになった。

 梅雨明け十日、孫の夏ちゃんファミリーは一万尺へ登り、スキー場のような寒さだとか、コマクサだとか、次々に映像を送ってくれ、それを見てわが夫婦も気分はアルピニストになり、スマホを見ながら元気が湧いてきた。

   写真の1はライチョウ=サンダーバード。その名のとおり荒天のときにあらわれるというのにラッキーだった。

 写真2は少しガスったおかげであらわれたブロッケンの妖怪。
 きっと夏ちゃんにも生命力が充填されたことだろう。
 わが夫婦は、冷房をガンガン効かせた部屋で拍手を送って返信している。

2024年7月24日水曜日

脳梗塞のリスク

   循環器の医師からは「心原性脳塞栓症 」のリスク管理を言われているが、
AIなんかなくても、年寄りの見ているであろうTVは「おしっこ」対策のCMがいっぱい流れるが、医師は、それで睡眠不足になるのもリスクだという。要するに脳梗塞予備軍である。

 先日の『勢多橋』の記事で22日に石山は唐橋近くまで行ったことを書いたが、ちょうど新幹線も在来線も事故が続いて京都駅は大混雑だった。
 私の場合はそれは冷房のないホームでの「20分遅れ」で何という問題もなかったが、猛烈な暑さが大変な日だった。
 琵琶湖の直ぐ近くだし、神社の森に囲まれてはいたが、それでも屋外で2時間程過ごしたので、その結果、日頃のトイレの近い問題はなんのその、朝7時半ごろ出発して、夕刻帰宅後4時半まで、水筒の水や直会の缶ビールを飲んだりしたのはどこに入ったのかというぐらいトイレがゼロだった。4時半のおしっこは濃厚な色だった。くわばらくわばら。

 おりしも、帰ると東京からのニュース(封書)が届いていて、神奈川の先輩のFさんの脳梗塞のニュースに驚いた。
 そんなもので、またちょっとした夏眠状態に入ることにする。

2024年7月23日火曜日

古代史を刻む

   1352年前の672年(天武元年)7月22日、近江大津宮の大友皇子と後の天武天皇が対決した古代史最大の内乱、壬申の乱で、両軍が雌雄を決した『勢多橋の戦い』があった。結果は天武軍の勝利に終わり、大友皇子は翌日自害した。 

 写真は現在の瀬田の唐橋だが、当時の勢多橋はここからおよそ80m下流にあった(という)。
 ところが、日本史の中でも特筆されるそういう歴史的な土地(橋)であるにもかかわらず、そのことを偲ぶ記念碑等が全くなく、歴史を学ぶ人々の間では静かな不満があった。

   そういう声に応えて、歴史学者小笠原好彦先生に学ぶ近江や奈良の有志があい寄り、『壬申の乱 勢多橋の戦い
跡』の石碑を建てようということで、勢多橋のふもと近くの御霊神社境内に建立することとなり、このちょうど22日、御霊神社宮司の進行で除幕式が厳かに挙行された。

 石碑の裏側には建立者の氏名の内の一人として私の名前も刻まれて、石碑であるから、よほどのことがない限り何百年以上は残ることだろう。

   近頃なら何千万円かの寄進をすると、寺社の参道などに「金何千万円 何の何某」という石柱が建てられるが、それとは違い、桁違いに少額の負担金だが勉学と志しをもって建立したというこの石碑はちょっと自慢である。

 願わくは、孫や曾孫やその孫が、こんな祖父ちゃんが居たということで、何らかの勉学の励みになってくれたらうれしい。
 唐橋西岸の御霊神社。通る機会があればクルマも止められるので覗いてみてほしい。
 こんな、普通には出くわさない機会に誘っていただいた小笠原好彦先生や奈良歴史遺産市民ネットワークの小宮みち江さんには感謝。

2024年7月22日月曜日

ヴァカンス

   フランスなどヨーロッパのヴァカンス(まあ夏休み)は2週間から4週間あるが、日本人がフランス人に「ヴァカンスが長くていいですね」と言った際、「勝手に長いヴァカンスが生まれたわけではなく、先輩労働者の闘いの結果ですから」と、やんわり諭されたという話がある。
 
 その「豊かさ」を犠牲にして成し遂げた?GDPも、自公政権とりわけアベノミクスや竹中平蔵の新自由主義のお陰で見るも無残に凋落している・・が・・

 それでも、沸騰せる日本列島は夏季を迎え、凜ちゃんファミリーは海のリゾート地へ行ってきたし、夏ちゃんファミリーは梅雨明け十日に夏山に行く。

 その合間を縫って祖父ちゃん祖母ちゃんはファミリー大集合で、楽しいパーティーを行った。
 恒例の鏡開きも夏ちゃん凜ちゃんはお手のもの。酒樽からはライチョウやクマのセーフティーリフレクターが出てくるようにしておいた。
 祖父ちゃん祖母ちゃんの夏休みはこれで終わり。後は涼しくなるまで夏眠状態に入る。

 パーティーから帰って凜ちゃんは、わが家のベランダプールで二次会と相成った(写真)。
 世間ではコロナがまた広がっている。熱中症をとるかコロナをとるかという設問は蹴とばして、ファミリー全員が危険水準の夏を乗り切れますように。

2024年7月21日日曜日

大人がいない?

   孫の夏ちゃんにご褒美をあげるのに、今なら商品券よりも新紙幣がひと時の話題になるだろうからと、妻に、私が病院に行っている間にお金を降ろしてきておいてと頼んでいたところ、妻が銀行のカードを持参すると、新紙幣は窓口のみで対応になるので、そのためにはカードではなく通帳と印鑑を持ってくるようにと言われ、プンプンして帰ってきた。
 確かに、言われてみればそうではあるが、「今度からはそうしてくださいね」のレベルで数千円の新紙幣を降ろすという大人の対応はできないものだろうか。
 何百万、何千万という裏金のある国で、やたらに杓子定規な話である。

 閑話休題、私の循環器の病院では、症状が安定すればそろそろ近所の医院に移ろうかという話になり、主治医の知ってる街の医院のあれこれの話になった。
 あの医院とこの医院の先生は循環器で知っているとか勧められたので、『以前に罹っていた医院(の先生)はおおらかというか少しアバウトで、血圧が時々上がっても「生きてる証拠や」という具合です』と言うと、医師は「それは貴方に合っている」と推奨された。
 私の毎朝の血圧測定の結果の表とグラフを見て、「貴方は自分でコントロールできているからそれでいい」「おおらかな先生でよい」との説明だった。
 きっとその先生は大人ということだろうか。そうだろう。

2024年7月20日土曜日

いいかげんにしろ

   京都の中村和雄弁護士のフェイスブックに『
内閣府 アウト!』と題する大切な投稿があったので、以下に紹介する。

 🔳「所定労働時間後の残業時間の業務は、会社員に個人事業主になって貰い、委託する形式とすることにより残業代を支払わなくて良くなる」。こんな提案を内閣府が政策コンテストで優勝アイデアとして表彰していた。
 労働法規制や社会保険料の支払い義務を免れるための「脱法スキーム」を推奨するとんでもない内容だ。それを推奨するなんて、内閣府はまったく労働法を知らないことが判明した。役所として失格だ。

 内閣府のホームページ(6月14日付)によると「賃上げを幅広く実現するための政策アイデアコンテスト」として、出向者を含めた全職員を対象に募集。36件の応募があり、2件が優勝アイデアに選ばれた。
 その一つが「残業から副業へ。すべての会社員を個人事業主にする」。ホームページに掲載された資料によると、以前は残業でこなしていた業務を委託契約に切り替え、社員は残業していた時間は個人事業主として働くという。
 企業にとっては残業代や、それにひも付く社会保険料の支払いが減り、経費削減につながる。社員も社会保険料や所得税の支払いが減って収入アップになるとしている。

 とんでもない「脱法行為」だ。労働法の適用がある労働者か否かは、実際の働き方によって判断されるのであり、企業が指揮監督、拘束していれば、労働法の適用となる。
 残業代や社会保険料の支払い義務が発生するのは当たり前である。
 形式だけ変えて、労働の実態をごまかそうとするのは悪徳社労士と同じです。
 行政機関として許されるものではありません。抗議しましょう!🔳

 中村弁護士の意見に全く異議はない。
 昔は「彼は工場の機械を貸している下請けだ」という無茶を言う事業主が実際にいたが(もちろんそんな屁理屈は認められなかったが)、それと同レベルの暴論だ。
 言っておくが労働法は大前提が実態主義である。こんなインチキ契約?は無効に決まっている。

2024年7月19日金曜日

取り越し苦労

   プロ野球も前半戦がほぼ終了し特にセリーグ上位4球団の混戦はおもしろい。
 
 孫の夏ちゃんファミリーは夏休みに甲子園へ行くという。

 それはさておき、広島球場の試合をテレビで見ているとラッキーセブンにジェット風船が舞っているので驚いた。コロナ対策はどうなっているのだ!
 これでも広島地方の感染者数に有意性がないとすれば、疫学的にはマスクなんぞは全く意味がないことになる。

 そう思っていろいろ検索すると、広島ではジェット風船はポンプとセットで売られており、球場では手荷物検査でポンプなしのジェット風船は持ち込み禁止になっているという。なるほど、世の中は日々進化している。
 それとは別に、1回限りの風船が無駄だ、SDGsだとの議論は別にあるようだが、そこまで言うと全ての遊びは無駄で不道徳だとなってしまうから私は同意しない。要するに広島球場のジェット風船は私の取り越し苦労だった。

 それはそれとして、野球場では同じ方向に向いているとはいえ大声で声援がされているが、野球場がクラスターになって感染が拡大したというニュースはない。
 言いたいことは、この真夏に普通の買い物等の外出にマスクを着けたままの人のなんと多いことか。明らかに熱中症のリスクを高めていることは間違いない。

 同調圧力という言葉を聞いてから相当経つが、これが戦時中は「パーマは贅沢だ」「子を産まない女は非国民だ」となっていたものだ。
 統一協会(家庭連合)などの圧力で自民党や維新が『家庭教育』の条例化、法制化を進めているが、戦時中の笑い話が背後にまで近づいていないか。

 現実に、マスクの着用率が下がっても感染率の増加はなかったし、各国比較で日本だけがマスク着用率に応じた有意差は出ていない。
 私はマスクをしないことよりも、このなんとも重苦しい同調圧力を心配する。

2024年7月18日木曜日

切り抜き動画

   京都・岩倉の実相院門跡は、初夏には板の間に映り込む「床みどり」が、晩秋には「床もみじ」がとても美しい。 
 その広告のポスターは、左右にも無限に広がる石庭を想像させるが、私が訪れた何年か昔には、実際には、撮影したであろうポイントから少し先に出てみると、隣接する無粋なコンクリート製の建物が散見され、人間というやつはこうも簡単に「印象操作」されるものかと反省したものだ

 これと同じことが大規模に、いくらか深刻に繰り広げられたのが東京都知事選挙の石丸候補の選挙戦であったような気がする。

 それはスマホなどで大規模に拡散された『切り抜き動画』で、実相院のポスターがある種の切り抜きであったように、若い市長が、古い田舎の小ボスに「恥を知れ」と言い放つなどの短い動画が大量に拡散された結果、まるで自民党的古い政治家に立ち向かう若きヒーローが、一瞬にして「誕生」したかのようだった。

 政策はほとんど語らず、実際には自民党に繋がる人々による選挙態勢であるにもかかわらず、イメージだけでこんなに「支持」が集まる時代が現実だと思うと悲しんでいるだけでは済まない。

 選挙後に、その論法が「石丸構文」と揶揄されるような、まるで「ああ言えばジョウユウ」みたいな論理のすり替えであったり、問いには答えず逆質問ではぐらかすものであったり、橋下徹氏や維新そっくりな「ディペート術」であることがはっきりしてきたが、選挙は既に終了している。

 以前に中野晃一上智大学教授が「革新勢力もメッセージの伝え方を大いに工夫する必要がある」との主旨の提起をされていたが、ほんとうに大切なことだと思っている。

2024年7月17日水曜日

地球沸騰の犯人はここにも

   いよいよ夏本番だが、「とっくの昔に夏本番だ」とわが家の蝉も鳴いている(写真)。
 
 「地球は寒冷期に入っている」との机上の主張もあるが、実際に直面している課題に答えずして何の学問か。騙されてはならない・・・というのも、

 岸田政権や電力会社は、GX(グリーントランスフォーメーション)を言っている(だいたいが日本語で語るべき課題をやたらに横文字で語るものには嘘があるが)。
 内容は化石燃料中心の産業構造・社会構造をクリーンエネルギー中心に転換すると謳い、原発こそ脱炭素社会の要請に沿うものだとの主張である。

 しかし、原発の建設までに膨大なCO²を排出すること、終了後も10万年の後処理が必要なこと、後処理とは膨大な人間の活動でそれはイコール膨大なCO²であることをあえて伏せている。

 以前に私は元京大総長松本先生の「宇宙太陽光発電所」の話を聞いたが、先生は「地球の資源を使い切ってはならぬ。そういう資源は未来の世代に残さなければならぬ」とおっしゃっていたのに共感を覚えたものだ。
 原発の「利益」を享受できるのはせいぜい3世代。その後の後始末の負担は3000世代以上に及ぶ。「わが亡きあとに洪水よ来れ」という精神の貧困につけ込んだ施策ではないか。

 そして、この短文ではあえて原発事故による全く桁違いの環境破壊を横において語っているのだが、原発で生み出されている熱エネルギーのうち発電に回されているのは約3分の1。残りの3分の2は熱のまま海に捨てられている。1基あたり1秒間に70㌧、海水を7度温めているといわれている。

 例の福井地裁判決は関電の「原発は環境によい」との主張に対して、「環境問題を原発運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである」と応えている。原発は地球温暖化の共犯者といえる。
 暑い夏に頭を冷やして考えてほしい。

2024年7月16日火曜日

紅しょうがの天ぷら

   鯛のかぶと煮が出たらどこから食べる。頬の肉、おでこの肉もあるがやはり唇がよい。というようにワイワイ言いながら食べるから美味い。
 あるとき、そう言って勧めた女性が小さい鯛の唇を食べて「普通の味ですね」と返ってきたが、それをいっちゃあ食は文化でもなんでもなくなる。
 同じく、「鯛の鯛」がきれいにとれようが二つに折れようが味に関係はないが、これもお皿にきれいな「鯛の鯛」を飾って初めて食の文化となる。そして「わあ折れてしまった」と笑うのもまた文化である。

 何年かにいっぺんは初詣に伏見稲荷に行くが、もちろんスズメの焼き鳥(丸焼き)を食べて初詣は完結する。
 「スズメを食べて今年も豊作」などと正月早々笑うからこれも食の文化。文化などどうでもよければフライドチキンでよい。

 このように笑うからこそ美味いというもののひとつに『紅しょうがの天ぷら』がある。
 いつも退職者会の世話人会が終わると居酒屋に寄るのだが、枝豆、冷やっこ、そして紅しょうがの天ぷらが先ず並ぶ。
 中でも紅しょうがの天ぷらは「どうだ」と言わんばかりに存在感があり、「こんなもん誰が考えついたんやろか」と半分馬鹿にしながら皆で笑い合って取り合う。
 ちなみに、昭和15年織田作之助の夫婦善哉には紅しょうがの天ぷらが登場しているから、昨日今日のグルメ情報など比べようもない。

 先日夫婦で買い物に行ったとき「久しぶりに買おうか」と言って紅しょうがの天ぷらを買って帰った。
 妻は「懐かしい」と言い、大いに笑って食べたので何十円かの値段以上の値うちがあった。(写真はネット上にあったもの)

2024年7月15日月曜日

千々に乱れる

   職場をリタイヤして困ったことのひとつはパソコンに強い若い人々から疎遠になったことである。
 今の私のパソコンは動きが無茶苦茶遅い上に、マイクロソフトオフィスをバージョンアップしようとしたら、ワードやエクセルが使えなくなった。アウトルックも。
 そのため、ワードやエクセルの代わりにアパッチのオープンオフィスを、アウトルックの代わりにサンダーバードを入れてどうにかしのいでいるが、操作のたびにため息をついている。

 そこで、ショッピングモールで催されていた再生パソコンの販売会に行っていろいろ質問して考えたが、マイクロソフトのオフィスでないことや、最新のアウトルックNEW(これは私のプロバイダでは対応不可)であることなどから、値段は新品の半値ぐらいだが二の足を踏んでいる。

 ついでだからと家電量販店に廻ると、どうしてもハイスペックに目が行くが、それには値段が比例しているので貧乏人の私は懐具合から躊躇する。なぜなら、使いにくいが動いているパソコンにプラスするするのにこれは贅沢かなあと思ったり。

 いっそうのこと「値段も安く操作も迅速なクロムブックにするか」と考えたりするが、友人たちとの共同作業が全くできなくなると元も子もない。

 と、心は千々に乱れている。誰か、適切なアドバイスをお願いしたい。(ため息)

2024年7月14日日曜日

酷暑に負けない

   異常気象という言葉が「日常」になり、感覚的にも命の危険を感じるときがある。
 60過ぎまで帽子というものをほとんど被らなかった私だが、近頃は帽子なしの炎天下が怖くなった。

 さて、孫の凜ちゃんは帽子を嫌がってあまり被らないのだが、凜ちゃんの夏の帽子には首筋に日除け布がついている。よく見る保育園や幼稚園のおそろいの帽子にもそういうのがある。

 そういうことから妻が「あんな帽子」が欲しい。ただし「如何にも農作業用のは嫌だ」と言う。
 そこで「ネックシェード」とか「日除け帽子」などと検索すると、特にレディースはあるあるで、ピンからキリまで目移りするが、機能性を追求するとどうしても農作業用に近づく。

 結局、持っているどんな帽子にも使える「シェード」だけを買おうということになり、写真の「クール キャップシェード」というのをモンベルで購入した。
 写真のように、私にも使えるので実用的でもある。

 そういえば昔の兵隊の帽子にもそんなのが付いていたから全く珍しいものでもないが、若い頃夏山に登っていた頃は皆そんな帽子は被っていなかったから、それだけ昨今の酷暑がひどくなったということだろう。 

2024年7月13日土曜日

マスコミ万歳

   12日の朝にテレビをつけると兵庫県斎藤知事のパワハラ問題で副知事が辞任と報じていたが、アナウンサーがコメンテーターにコメントを求めると「ウソ八百など最初の発言から問題だった」との答え。そのコメンテーターはパワハラと暴言で有名だった泉房穂氏だったから、朝から笑って健康に良かった。

 朝刊では連合の芳野会長が立民泉代表に「蓮舫候補の敗因は共産党と組んだことだ」と言ったことで共産党の小池書記局長が「連合は小池知事を支援しておいて文句を言われたくない」とピシャリと語ったと小気味がよかった。

 この日のトップニュースは旧統一協会の霊感商法に関わる最高裁判決で「念書は公序良俗に反して無効。統一協会勝訴の高裁判決を認めず差し戻し」で溜飲が下がった。

 朝ドラの『虎に翼』でも思うことだが、法律をいじくりまわすだけなら「署名した念書を認めない」のは極めて困難。そこを乗り越えさせた力は世論の高まり以外の何ものでもない。
 そういう意味で、困難な時代も運動を支えてきた弁護士などの運動家や政党でいえば共産党、そして立民の真面目な方々の努力こそ評価すべき。・・ところでマスコミにはその視点が欠けている。

 つまらぬことかもしれないが旧統一協会は「世界基督教統一神霊協会」でアソシエーション。だから当事者もマスコミも含めて普通に統一協会と呼ばれていたが、霊感商法などでカルトだと批判が高まると、如何にもキリスト教の一宗派であるかのように「統一教会」と称し、マスコミにも要請した。それが「統一教会」という現在のマスコミの表記に繋がっている。

 赤旗が「そんなあほな」と言ったかどうかは知らないが、今も「統一協会」と表記している頑固さというか原則性は私の多いに好むところ。
 マスコミの現状はいろいろ笑わしてくれて健康に良い。

2024年7月12日金曜日

浦島子ミナミへ帰る

   大阪という楕円の中心点はキタとミナミであるが、長い間南海を利用しその後は近鉄を利用してきた私は文句なくミナミの子であったが、リタイアの上にコロナ禍などもあり、久しぶりにミナミに行くとまるで浦島子であった。

 写真は御堂筋のミナミの到達点、高島屋前であるが、ニュースでは知っていたが歩行者天国?になっていた。・・が、その寂しいこと。
 キタの陸続たるニュースに比べて寂しい空地が広がっていた。

 関空からナンバに到着した外国人観光客もその寂しさに驚くのではないだろうか。
 カジノのための万博ばかりでなく、もう少し地に足の着いた街づくりをしたらどうかと思ったが、当の大阪市民はどう思っているのだろう。

 ただホッとしたのは高島屋で、デパート業界が斜陽といわれ、ショッピングモールみたいなデパートが増えている中で「うちはデパートでございます」というような矜持があちこちに残っていたように感じた。

 京都ではオーバーツーリズ(観光公害)が大問題になっている。その問題は世界各地の名所でも起こっている。
 大阪は先手を打って対応をとるべきだろうが、ただただ「カネが落ちればよい」みたいに思えてならない。
 殺風景な空間を見ながら、そんな寂しい気持ちが残った。


2024年7月11日木曜日

奈良に笑う

   朝ドラで最高裁大法廷が尊属殺人の重刑を合憲とした場面で桂場裁判官が「頭の古いお偉い方は法律と道徳の違いを解っていない」と批判していたが、先日、山形県議会が「一日一回は声を出して笑うように」という条例を自公の賛成で議決した。

 その内「二人以下の子どもしか生まない」女性に刑罰を科すだろう。
 世界平和統一家庭連合(統一協会)の手先の議員たちならやりかねない。
 法制度と道徳の違いや領分を解っていない。(子どもの数は道徳ですらないが)
 人間、人生、笑うことのできないときもある。そして、泣くことも大事な精神作用である。

 それはさておき、先日東大寺大仏殿に行ってきたが、ちょうど遠足等の端境期らしく、例の柱くぐりのところがガラガラだった。
 こんなグッドタイミングはないから私は、周囲の外国人観光客を捕まえては「ここをくぐれ」と誘いまくった。もちろん日本語。
 何をさせられるのかと驚いた人々も、最後は大感激してくれた。(お寺の中でこんなに笑ってもいいものかというほどみんな笑った)
 中には、「それなら写真を撮ってくれ」とカメラもカバン類一式も全て私に預けて挑む人もいた。好(よ)きかなニッポン、ニッポンジンと、信じてくれていることにこちらもうれしくなった。
 言いたいことは、条例でお説教なんかされなくても、みんな助け合えば勝手に笑いの渦は広がるということ。

 条例がなくても、奈良公園で鹿煎餅を買えば笑いは止まらない。
 写真の、ミストの下を動こうとしない鹿さんにも笑った笑った。

2024年7月10日水曜日

風船爆弾と突殺訓練

   小林エリカさんの長編小説『女の子たち風船爆弾をつくる』は史実を丹念に描いた作品といわれている。
 主な舞台は東京宝塚劇場。そこへ動員された雙葉(ふたば)女学校の卒業生に作家が会ったとき「戦後40年間、自分が何をつくっていたのか知らなかった」と答えたことに作家は驚いたという。
 もちろん、自分が作ったかもしれない風船爆弾で太平洋の向こうの普通の住民や子供が被爆していたかもしれないという心の呵責もなかっただろう。

 戦争の体験記では、例えば東京都小平市の画家宮本弘康氏の「命令だ。やれっ」の中隊長の怒声で中国兵の首に日本刀を振りおろした体験などを読むと、銃剣で捕虜を突き殺す「訓練」も頻繁に行われ、中隊長は「日本兵に度胸をつけるため」で「兵隊の訓練にはこれが一番良い」というものだった。
 この狂気に馴れない兵隊は自分が狂ってしまうのが戦争のリアルだった。強姦もまた同じ。
 そんな、まともな顔で家族に語れない体験には口を閉じたまま戦争体験者の多くは彼岸に行った。
 戦争のリアルはそこにあったのに、女学生たちは何も知らずに風船爆弾をつくっていた。

 7月8日の朝日新聞の「オピニオン」は『無人兵器で変わる戦争』だったが、それはウクライナでもガザでも今では普通のニュースで、そこに驚きはない。
 ガザ以前に見たテレビ番組だが、イスラエルの女性兵士がイスラエル国内の「操縦室?」でほんとうにゲーム感覚で標的を定め、後はボタンを押すと誘導弾が標的を追跡して爆殺するだけというのを見たが、きっとそこには標的周辺で殺された民間人の苦しみなど返ってくるはずもない。

 突殺の訓練も怖ろしいが、この殺人の感覚のない戦争も怖ろしい。
 この感覚の向こうに、「核兵器を使う方が話が早い」という議論が大手を振って歩かないかと私は心配する。

2024年7月9日火曜日

住吉神社の謎

   一昨日書いた武内神社には、末社として「住吉神社」も祀ってあったが、このことにも私は少し驚いたというか感動した。
 つまり、実は大阪の住吉大社にも大きな謎があるのである。
 住吉大社神代記には「住吉の神と神功皇后に「密事」があり俗に夫婦の間柄になった」と書いている。
 この「神」が誰かについては諸説あるが、素直に読めば武内宿禰でなかろうかと私は思っている。
 住吉大社神代記そのものも、まるで武内宿禰と神功皇后の伝記の様相もある。

 ともあれ、書紀を基にすると、神功の妊娠期間は1年3か月余り、夫の仲哀天皇が亡くなってからでも10か月余りとなる。
 そして武内と神功は、後の応神天皇となる子を擁して、出兵先の穴門(山口県)から大和に攻め上り、仲哀天皇の子忍熊王(おしくまおう)等を制圧したのだから、河内王朝論は俄然有力な説となってくる。
 河内でそれを支えたのは、大和から河内にすでに進出していて最新の渡来人の技術を手中にしていた葛城の一派ではなかったか。

 「渡来人」とさらっと書いたが、例えば今の大阪市周辺には百済川、百済郡、百済寺、百済州、新羅州、新羅池などの地名が平安時代の浪華上古図にある。
 古事記によれば、神功皇后の始祖は新羅の王子アメノヒボコとされている。
 後の書であるが「八幡宇佐宮御託宣集」には「辛国・・に天降り、日本の神となり・・我は誉田(応神)天皇なり」とある。
 そもそも百舌鳥・古市の古墳時代には馬具や実戦的な兵器が急増している。
 権威としてのこれまでの大和の王権の後継者を名乗りながら、その実は劇的な変化があったと見る方が素直な気がする。
 こうして私は、河内王朝説(王朝交代論)に加えて、騎馬民族征服王朝説にまで心が魅かれるのである。

2024年7月8日月曜日

ニュースと ことの本質

   少し昔のことになるが、京都岩倉の実相院の「床もみじ」を見たときに、宣伝広告のスポットから少し間に進むと隣の施設のコンクリート製の建物があり興ざめしたことがあって、宣伝や写真に惑わされて勝手に想像することの「怖さ」を噛み締めたことがある。

 さて7月1日の朝、奈良県北西部に大雨洪水警報が発令され学校が休校になったので、この日は孫のイクジイの日であったからいろいろてんやわんやであった。
 そのことは置いておいて、実際には大した雨でなかった。その天気予報のはずれも問わない。
 思うに、その2日前の6月28日の夜に生駒市で土砂崩れが発生し近鉄けいはんな線が一部ストップしていたから、警報の発令はなんとなくわからなくもない。

 生駒市は文字どおり生駒山の東側山麓の街だから、「土砂崩れ」というニュースを聞いたとき、「あそこだろうか、それともあそこだろうか」と自分の記憶と照らして考えた場所は少なくない。しかし実際は、生駒山でもない、近鉄奈良線東生駒駅の北側だった。
 細かな話は置いておくと、私は「ああ、やっぱり」と納得した。
 電車の中からいつも見えるその風景を眺めていて、相当無茶な開発というか、近鉄けいはんな線の施設(擁壁)で、「実に危なそうな土地だなあ」といつも思っていたからである。

 警報級の大雨のせいではなく、無茶な開発こそが原因だったと私は直感的に思っている。
 悪意はなくてもマスコミはセンセーショナルな語り口を好む。
 きっと奈良県北西部以外の人は、生駒でものすごい豪雨があったのだろうと思っておられるだろう。
 確かに連日の降雨もあり大雨ではあったが、私には無茶な開発こそが原因に思えている。
 だから、各地のニュースも、単純に報じられたままではないのだろうということが気になる。

プール開き

   週明けがイクジイの日程であったから、その前の週末は休息の予定だったが、「暑いのでプールに行ってよいか」とSOSみたいな要請が入ったので、祖父ちゃんは再起動となった。
 

 まず、竹林に笹を採りに行き、色紙で短冊やいろんな飾りを作り、七夕行事の用意をした。
 それからが本番だが、ベランダに大きな日除けを張り、そして今年購入した特大ビニールプールなどをセットした。
 凜ちゃんは潜水泳法みたいに潜って喜んだ。

 初めてのビニールプールだったのでいろいろテストをしてみたが、水を抜くのもたいへんで、祖父ちゃんはけっこうへとへとになったが、妻は私が、休息の日曜日よりも楽しそうだったと笑った。

 夜は七夕本番だ。よくは望まないから、この孫が楽しい毎日を暮らしてくれればいい。星に願った。

2024年7月7日日曜日

紙幣と肖像

   7月3日は新紙幣発行のニュースが何度も流れたこともあり、以前から梅雨の雨が止んだら一度覗いてみたいと思っていた精華町北稲八間の武内神社に行ってきた。

 そのニュースとこの神社が何の関係があるのかといえば、祭神の武内宿禰(たけのうちのすくね)は明治22年(1889)に紙幣の肖像となり、昭和33(1958)に発行停止になるまで史上一番長く使用されていて、その紙幣は法律上は現在でも使用可能という繋がりによる。
 さらにいえば、武内宿禰と同時代と記紀がいう神功皇后(じんぐうこうごう)は明治14年(1881)に「政府紙幣」の肖像になっている。
 なお、武内神社はここ以外にも各地にある。
 
 「神功皇后と武内宿禰だって? それは神話の世界でしょ」との声もないことはないが、埼玉(さきたま)稲荷山古墳出土鉄剣には、雄略天皇(ワカタケル)に仕えた被葬者が大彦に仕えた8代前からの系譜を述べて名乗っている。
 臣下でさえそれくらいの系譜を述べるのに、古事記の素材となった「帝紀」「本辞」が残っていた当時、雄略から7代前の仲哀天皇、そのあとの応神天皇が全くの物語であるはずがない。
 さらには、武内宿禰の父とされる葛城襲津彦は外国の歴史書である百済記等の記録にも書かれている。

 しかし、記紀では葛城襲津彦も武内宿禰も200何歳とされている。
 これを合理的に解するとすれば、歌舞伎役者や落語家の襲名ではないが、初代、二代目、三代目あたりの実績を、記紀が一人の英雄にまとめたからだろう。

 百舌鳥・古市古墳群の大王(天皇)を、従来の大和の王権とは系譜の異なった「河内王朝」と考えた場合、応神天皇の母である神功皇后、皇后に表裏一体であった武内宿禰の検討無くして古代史は語れないのではないか。
 と、話が佳境に入ってきたところで、今日はこれまで。明日に続く。

2024年7月6日土曜日

法律と道徳など

   旧優生保護法が憲法違反であるとの最高裁大法廷判決のニュースと前後して、戦後のその時代、尊属殺人の規定は合憲とされていたという朝ドラ「虎に翼」にはいやに現代性を感じる。
 ドラマの中で、穂高を偲ぶ場で桂場が酔っぱらって、権力にすり寄る守旧派をなじり、司法の独立を叫び、尊属殺人に関わって「法と道徳の分離」を語るのも新鮮だった。
 
 そこで統一協会問題を想起した。
 世界基督教統一神霊協会(統一協会)は合同結婚式や霊感商法で世間から批判を受けていた90年代後半、看板だけ変えて生き残ろうと「世界平和統一家庭連合」に名称変更を画策し、下村博文文科相がそれを認めた。
 2000年を越えてからは、その家庭連合(統一協会)が「家庭教育」なる主張で社会への浸透を企て、その結果自民党や維新の議員が手足になり、地方自治体では少なからず「家庭教育支援条例」なるものが制定され、2006年には安倍政権が教育基本法を改定して家庭教育」を新設した。

 伝統的家族観が崩壊したから非行や不登校が生まれたとするその主張は、男尊女卑の家父長制の復活であり、強権力で道徳、ひいては思想を取り締まろうというもので、寅子や桂場や多岐川が唾棄した権力に群がる者どもの主張と同じだ。

 朝ドラを見ながら、統一協会やその手先になった政治家の主張が、ドラマの時代、何十年も前に克服された法制度の「引き戻し」・・「戦後レジームからの脱却」であることが浮かび上がった気がした。

2024年7月5日金曜日

気分は爽快

   7月4日、原水爆禁止平和行進に行ってきた。
 近年まれにみる好天(雨でもなしカンカン照りでもなし)で、例年よりも体へのダメージは少なかった。

 私のブログを読んでいたTさん「例のものは持ってきやはりましたん?」
 私「もちろん」と・・・カズーのこと。

 ところが宣伝カー等からの歌は(私には)新しいものばかりで、結局出番もなく帰ってきた。
 しかし、この「知らない」歌というのは私の責任に帰するもので、私自身が克服しなければ・・・。
 だいたい、メーデーのときに、何十年一日の如き古い歌ばかりだったことには私は大いに不満であったから、カズーの出番のなかったことには少し寂しかったが、基本的には大拍手を送っている。

 行進参加は、教育塔から鉾流橋までだったが、体調は「軽登山もけっこういけるかも」といえるようなものだった。
 ところが、解散をして鉾流橋から地下鉄淀屋橋駅に帰ろうとすると、途端に膝や腰が痛んできた。行進中は気力が張っていたのだろうか。
 それでも、気分は爽快だった。

 通し行進者は被爆二世の方だった。家族、親類、そして自分自身にも大変な現実があったそうだ。
 私には、被爆者に代って「苦しみ」を肩代わりすることはできないが、せめて少しでも一緒に歩くことはできる。
 「そんなのマゾや」と嘲笑する者もいるが、そういう微力が集まって歴史は進んできたのではなかろうか。虎に翼でもそのことを思い知らされる。
 もう一度言うが、体は別として、気分は爽快だった。

2024年7月4日木曜日

雨の止み間

   退職者会の世話人会で『フレイル予防の学習会』を具体化しようと話が進んだが、既に中等度のフレイル状態にある私は少し小さくなって話の進展を聞いていた。
 実際、先日来の雨天の日には一歩も外出しない日も多く、たまに外出すると脚の衰えをひしひしと感じていた。
 なので、他愛ない買い物もクルマを使わず歩いてみることにしている。
 必需品はカメラ代わりのスマホで、遠くは無理だが近くの花や虫を探しながら歩くことにしている。

 写真は、そんなときの1枚で、クロアゲハの♀だと思われる。
 「おお、おお、お前も雨の止み間を待ちかねて出かけてきたのか」と声をかけながら撮影した。
 蝶は飛んでいるうちに翅の一部が欠けたりするものだが、察するにまだ生まれたてのように美しかった。

 一挙両得という言葉があるが、今日は原水爆禁止の平和行進を少しだが歩くことにしている。
 主要な目的は当然、核戦争の恐怖を廃絶するるために力を合わそうというアピールだが、副次的にはフレイル防止にもなろう。そして、フレイルとも重なる話だが、世の中の動きに注目しそれにふさわしく反応するということは精神衛生上も悪くはなかろう。

 「学びて行わざるは・・」とは孔子先生の時代からの人の道の教え。
 出番があるかどうかは解らないが、カズーを持って行ってやれ。ふふふ。

2024年7月3日水曜日

軽登山部発足

   以前に、息子の嫁が私のアルバムを見て、「Wow お義父さん、若い!」と驚きの声をあげたのには苦笑したが、考えれば人生の出会いなど「そういうもの」だろう。
 私だって、妻の父母の若い頃の写真を見たならそう言うだろう。
 ・・・というように、次々の世代に思われていくのも人生の真理である。

 わが退職者会も世話人会に少し若い世代が加わった。
 その影響もあり、これまでの「遠足」以外に、「軽登山部」を発足させてさらに交流を深めることとなった。
 そして、会議の続きを居酒屋に移して、「あの山はキツ過ぎる」「この山はたよりない」と話が弾んだが、私自身は半歩引いて話に加わった。というのも、「途中で不整脈が発症したら」などという一抹の恐怖感のようなものが頭の底から覗いてくるからである。

 ここでも、「槍の先では」だとか「風雨の宝剣では」と語っても、ただただギャップに驚かれるだけである。
 記念すべき初回山行には「枯れ木も山の賑わい」で参加したい気持ちもあるが、正直なところ逡巡している。これが「老化」というものなのか。

2024年7月2日火曜日

八角形の思想

   6月12日の『謎の八角堂』の続きである。(写真は大阪歴史博物館の復元展示)
 (スマホなどの場合、一番下の「ウエブバージョンを表示」にして、その下の「前の投稿」をタッチすると幾らでも以前の古い記事が読める) 

 記紀によると、舒明天皇のあと即位したのが皇后宝皇女(皇極天皇)で、皇極天皇の下で、中大兄皇子と中臣の鎌子が蘇我蝦夷、入鹿親子を葬った皇極3年(645年)6月の乙巳の変(俗にいう大化の改新)というクーデターを起こした。(次の写真は遺跡上の藤棚で、八角堂の柱に基づいている)
 
   クーデターの翌日、皇極天皇は譲位の意思を発表し、中大兄皇子(後の天智天皇)は一旦身をひそめ、皇極天皇の同母弟が即位した。孝徳天皇である。
 この孝徳天皇が、日本で初めて天皇の住居を宮とするのを取りやめ、中国に倣って日本で初めての首都を大阪に築いたのが、難波長柄豊碕宮で、現在法円坂に史跡公園とされているいわゆる前期難波宮である。白雉3年(652年)。
 しかし翌年には孝徳天皇と中大兄皇子が対立し、先帝皇極、中大兄、皇后である先帝の妹間人皇后など群臣が飛鳥に戻ってしまい、一人残された孝徳は翌654年に憤死した。
 こうして、絶大な力を持っていた皇極が重祚して斉明天皇となった。
 元天皇であり、中大兄の母であり先帝の皇后の母である斉明天皇は、後に「狂心(たぶれごころ)」と記録される大工事を次々と行い、多武峰に道教の楼観と考えられる両槻宮を造ったり、水の祭祀場と考えられる亀型石造物などなどを造った。飛鳥の謎の石造物なども斉明の工事によるものかもしれない。
 そして百済の滅亡を受けて朝鮮半島へ出陣する途中、九州で死亡し、遺体は飛鳥に運ばれた。最終的に葬られたのは飛鳥の牽牛子塚古墳で、見事な八角形の古墳である。(3枚目の写真は牽牛子塚古墳)


   戦前の軍国主義の中心的なスローガンに「八紘一宇」というものがあった。全世界をひとつの家とするというもので、八紘とは、四方と四隅でこの世界全部となる。
 八角形古墳はこの時期の天皇に許された王の中の王の古墳にふさわしい。
 いわゆる三種の神器の八咫鏡も八角形の銅鏡と言われているし、天皇即位の重大行事、大嘗祭も八角形の高御座(たかみくら)で行われる。
 大嘗祭の際は、その前方に幡が並ぶが、太陽には三本足の烏、月には蛙が描かれている。つまり、これらは全て古代中国の道教の思想である。

 これ以上続けると「本」になってしまうからこれぐらいで置くが、言いたいことはこの時代に中国の思想、特に道教の思想が日本の朝廷に大きな影響をもたらしたということが言える。
 そこで、前期難波宮の謎の八角堂だが、性格は鼓楼、鐘楼というのが有力であるが、それが八角堂であるのは道教に基づく思想であろう。
 いろんな歴史書を読んでも、古代日本史における道教の思想をあまり本格的に論じているものに出会わないのが不満でこの記事を書いた。

2024年7月1日月曜日

怠りを諫める

   佐保山に何おか諫むる子規の声

 全くの駄句を恥もわきまえず捻ってみました。
 子規はホトトギスのことで夏の季語。
 佐保山は平城京の北東で、歴代天皇などの奥津城(墓域)。
 多くの言い伝えや民話などでは、ホトトギスは田植えの頃にあの世からやってきて、農作業(田植え)を怠(おこた)っていないかと諫(いさ)めて、けたたましく鳴いているという。

 佐保山の方向から今日もホトトギスのけたたましい声が聞こえてくる。
 さて田植えの季節も終わっているし、ホトトギスは何を諫めているのだろう。
 沖縄では米兵による性犯罪がまたしても複数発生した。
 それを知った政府つまり与党は、沖縄県議選があるのを考慮したのだろう、沖縄県やマスコミ、国民には隠蔽していた。
 いつまでこんな理不尽な犯罪が続くのだろう。そして売国的な政治が。
 沖縄県で起こった日本人被害者事件であっても米兵の裁判権は日本国にはない。
 沖縄はウクライナやガザの被占領地と変わらない。
 それを見てみぬふりをして、為替相場に文句をつけているだけでよいのか。

 「それでよいのか」、きっとホトトギスはそういう我々を諫めているのだろう。
 「夏は来ぬ」の3番は 〽 橘の かおる軒端の 窓近く 蛍とびかい おこたり諫むる 夏は来ぬ  と歌っている。
 (写真はネットの「鳴いて血を吐くホトトギス」にあったもの)