2016年11月29日火曜日

吊るし柿

 何日か前に渋柿を買ってきて「寒風が来るまでは」とそのままにしてあったが、21日にNHKの「あさイチ」が能登のころ柿づくりを紹介した。
 で、「そろそろわが家も作業をしたら」と妻に尻を叩かれた。
 テレビでは、独特の皮むき器(ヘタ取り器と言っていた)がとり上げられていたが、なかなか個性的なカーブのピーラーだった。
 もちろんわが家にそんなものはない。
 そこで、セラミック包丁で挑んでみたが上手くいかず、けっきょく鉄の包丁で皮むきをしたところ、真っ黒になってしまった。
 柿渋(カキタンニン)と鉄が反応(鉄媒染)したのだが、こんなに見事に反応するとは知らなかった。
 今までは妻が剥いていてくれていたし、今回は妻の外出中に作ったものでこうなった。
 少し熟しかけのものもあったから、上手くできるかどうかは分からないが、少なくとも晩秋から初冬の景色にはなった。
 吊るし柿は小春日和では上手くいかない。





      寒太郎歌う空に吊るし柿

      つむじ風落葉はみんなわが門(かど)
 
 「寒太郎」は「〽北風小僧の寒太郎」。
 季語は「吊るし柿」と「落葉」。
 「つむじ風」が夏の季語なんて無視してはいけないか?

2016年11月27日日曜日

圧巻の古代史学

   9月4日の「読むほどに古代は遠ざかる」に書いた「纒向発見と邪馬台国の全貌」の第2弾である「騎馬文化と古代のイノベーション」(KADOKAWA税別2,000円)を読んでから相当経つが全くブログ記事にまとめきれない。
 内容が豊富すぎる。

 時代は応神天皇からである。
 古事記では父の仲哀天皇が死亡してから10か月後に神功皇后が産んだ子で、あまりに疑わしいからか古事記は「新羅征伐中に生まれそうになったが腹に石をつけて遅らせた」と言い訳のような記事を載せている。
 住吉大社では「住吉の神が神功皇后と結ばれて応神が生まれた」といい、つまりは武内宿禰という論もある。
 そういう細部は置いておいても、常識的に考えて、古事記は政権交代、新王権を示唆しているように見える。

 そしてここからがこの本の内容になるのだが、これまで大和に限られていた宮(みや)が河内、摂津、和泉(併せて河内というが)に建設されたり、巨大な前方後円墳が河内(百舌鳥・古市)に造営された。
 その古墳周辺には、これまでの威信財に代わって馬具や兵器が大量に埋納された。
 それを河内王朝と呼ぶか呼ばないかは別にして、古代王朝の大転換があったことは誰も否定できない。
 そういう大激動の時代を東北アジアと韓半島の政治文化と照らしながら多角的に論じたのがこの本である。
 そんなすごいことをこのブログ記事で紹介など絶対にかなわないので、とにかく面白いので一読をお勧めするとしか書けない。

 面白いといえば、この本の冒頭には江上波夫氏の「騎馬民族による征服説」が特別収録されている。
 上野誠氏は、それは三つの点で不思議な学説だといって、第一に古代史でこれほど著名な学説はない。第二に提唱後70年経った今も再検討されるほど内容がある。第三に学説の一部に支持する学者はいるが学界において積極的支持者が皆無である・・・・と述べている。
 それは、それだけのスケールと魅力があるからだと。

 あとは本に譲るとして、古代の日本を語るとき、唐や隋や百済ばかりでなく、それ以前からの北東アジアの多くの政治文化が多くのルートで入ってきたことを精密な事実を積んで語られている。
 現代社会を考える上でも非常に参考になる。

       古代の朝貢復活させた大臣(おとど)あり

 川柳のつもり。卑弥呼や倭の五王が東夷北狄と競って中華の国に朝貢したのは何時のことか。その時倭の王は並ぶ順番などで大いに争った。先日、就任もしていない皇帝にイの一番に朝貢した首相あり。歴史は喜劇として繰り返すとは誰かの言葉。

2016年11月26日土曜日

グローバル化 やめにしないか

   11月23日朝日新聞のピケティ コラム(仏ルモンド紙からの抄訳)の標題は「米大統領選の教訓 グローバル化 変える時」で、その書き出しは「まずはっきりさせておこう。ドナルド・トランプ氏が勝った要因は、何をおいても経済格差と地域格差が爆発的に拡大したことにある」から始まっている。
 そして、「欧州が、そして世界が、今回の米大統領選の結果から学ぶべき最大の教訓は明らかだろう。一刻も早く、グローバリゼーションの方向性を根本的に変えることだ」とし、「関税その他の通商障壁を軽減するような国際合意は、もうやめにしないか」と訴え、EUとカナダの包括的経済・貿易協定に触れ「投資家の保護のためにはあらゆる手立てが講じられ、多国籍企業は国家を民間の仲裁機関に訴えられるようになる。開かれた公の法廷を回避できるわけだ」と「常軌を逸している」と断じている。
 そうして、「今こそ、グローバリゼーションの議論を政治が変えるべき時なのだ。貿易は善であろう。しかし、公正で持続可能な発展のためには、公共事業や社会基盤、教育や医療の制度もまた必要なので、公正な税制が欠かせない。それなしでは、トランピズムがいたるところで勝利するだろう」と結んでいる。
 
 この論文を、グローバリゼーション推進、TPP推進の朝日新聞首脳はどう読んだのだろうか。
 アメリカの著名な経済学者の指摘を真摯に受け止めるべきだろう。
 多国籍企業が国家さえも呑み込もうとしている局面で、「安い牛肉が食べられる」的な記事はもうやめにしないか。

 今後、トランプは露骨な日米関税・貿易協定を迫ってくるだろうが、TPP賛成と言ってしまった安倍自公(維)政権では「国益」は守れない。 


       木枯らしは耳から先に身に凍みる

 東京に雪が降った日、先に厚着をしたせいか京阪奈のわが家ではそれほど寒いとは感じなかったが、シャッターの戸袋がガタガタと寒波の到来を教えてくれた。
 その音を聞くと気温自体はたいしたことはないのだが、体中がこわばって布団から出られなくなった。

2016年11月25日金曜日

五齢幼虫

   だいぶ以前の流行語大賞ノミネートの中に「キモ可愛い」というのがあったが、そういう言葉はアゲハの幼虫のために使ってほしい。
 写真はナミアゲハの五齢幼虫だと思う。
 まあ、わが家のペットみたいなものである。

 アゲハの幼虫を捕まえて「山椒の匂いがする」という人がいるが、それは八割方正解で、幼虫は山椒の葉(木の芽)が大好物で四六時中山椒を食べているのだから当たり前である。
 ちなみにミカンの木が好きな幼虫はミカンの匂いがする。
 なので青虫の匂いでその蝶の食草食樹がだいたい判る。
 すぐにWikipediaを開くのは待った方が楽しい。

 五齢は終齢でこの後はサナギになり羽化をして蝶になる。
 本格的寒波の前に巣立ってほしいと見守ってきたが、先日から行方不明になった。
 山椒の木は九割方裸になっているから見落としたのではないし、どこにもサナギはない。
 で、一番の可能性というか、ほぼ間違いなくモズかヒヨドリに喰われたものと思われる。
 自然界はある意味残酷で、緑滴る季節には完璧な保護色も、晩秋の裸木では一も二もなく見つかってしまったのだろう。
 もちろん、野鳥はこの家の主のペットだったとは知る由もない。

     保護色のつもり青虫裸木に

2016年11月24日木曜日

我流歳時記離岸

   テレビ番組で待遠しいのはプレバトの俳句教室だが、毎回視聴しながら私は打ちのめされている。
 ある写真を見て芸能人達が俳句を作るのだが、私はというと全くと言ってよいほど俳句が浮かんでこない。
 そんな私の水準をはるかに超えた芸能人達の作品が夏井いつき先生によって批評・添削されるのだが、その切口が文字どおりバッサリで、しかも文句なしに説得力がある。
 で、それを聞きながら私は自分自身に絶望的になる。
 ああ、俳人の脳みそはどうなっているのだろう。

 ・・・・・ しかし、ビギナーズラックという言葉もないではないが、世の中、最初から上手くいくものなどないに違いない。と自分を慰め・・・
 中島みゆきの「ファイト」ではないが、闘わない者の嘲笑よりも、無様でも闘う道を選んで今日まで生きてきたつもりだ。
 と、一念発起して10月10日のブログから、できるだけ記事の尻尾に一句捻ってみることとした。

 読み返すと恥ずかしい。ただただ恥ずかしい。
 いつき先生の言う「ただの散文を五七五に切っただけで俳句を作った気になっている」のだとは判っているのだが、それを止揚できない。
 
 でも・・・・・、小学5年生の夏、私は突然泳げるようになった。遠泳が得意で無限に泳げるような気分にさえなった。運動には練習の積み重ねのうちにこんな飛躍の段階がある。
 いつか、「あれまでは恥ずかしげもなく酷い五七五を公表していたものだ」と言える時がくるだろうか。 「ファイト!」である。

 ただ、金子兜太氏の言葉の中に「虚子の唱えた花鳥諷詠の句ができなくなる時期の来ることを心配している」「季語が無いというので社会を語らないのは冷笑主義・シニシズムだ」というのがあり、大いに勇気づけられている。
 俳句に挑戦し始めたとまでは言えないが、わずかながら離岸したと思っている。
 23日、百均で手帳を買ってきた。

    末端冷え性十七文字が紡げない
            木と木の間に上手く糸を紡いでいる奴もいるのに

 今朝のテレビを観て
    首都の雪臨時ニュースと全国に

2016年11月23日水曜日

詩人には驚かされる

   全く偶然に、たまたま点けたテレビで永六輔の歌を特集していて、さだまさしによる「生きるものの歌」というのが流れてきた。
 六八コンビの歌らしいが全く知らない歌だった。
 メロディーは記憶に残らなかったが、その詩には驚いた。
 その歌詞というのが・・・こうだった。


 あなたがこの世に生れ あなたがこの世を去る
 わたしがこの世に生れ わたしがこの世を去る
 その時愛はあるか その時夢はあるか
 そこに幸せな別れがあるだろうか あるだろうか

  セリフ
  たとえ世界が平和に満ちていても
  悲しみは襲ってくる
  殺されなくても人は死に
  誰もが いつかは別れてゆく
  世界が平和でも悲しい夜はやってくる
  誰もが耐えて生きてゆき
  思い出と友達とそして歌が
  あなたを支えてゆくでしょう

 その時未来はある その時涙がある
 そこに生きるものの歌がある 歌がある
 そこに生きるものの歌がある 歌がある

 六輔さんはお坊さんらしいから、これは全くお経であり哲学書だと私は思った。
 そして、蓮如さんの(白骨の)御文(御文章)よりも私には素直に受け止められた。
 この世を去った人は、思い出してくれる人の記憶の中で生きていく。
 それ以外のことを私は知らない。
  
     悲しみの事実を見据えて生を説く詩人は逝けり
     真理とは悲しきものと六の歌詞(うた) 

 永六輔さんの「明日咲くつぼみに」は2012年10月30日に書いた。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2012/10/blog-post_30.html

2016年11月22日火曜日

な~んな~ん南海電車

南海特急ラピート
   先月のことだが南海電鉄の車掌が「本日は多数の外国のお客様が乗車されており、大変混雑しておりますので、日本人のお客様にはご不便をおかけしております」と車内放送した。
 「外国人が多くて邪魔」と大声で叫ぶ日本人客の声を聞き、トラブルを避けるために放送したと説明した。
 このニュースに私は日本人として恥ずかしい気持ちになった。
 
 今月には毎日放送テレビの「憤懣本舗」が、「南海の通勤客に憤懣の声がある」として、「大きなスーツケースを股の間に置くため横に人が座ることができない」「シートの上に荷物が置かれ、紙くずに車内電話まで」「そこに杖をついた女性が、だが誰も席を譲らない」等と報じた。
 キャスターはいくらか冷静だったが、お笑い芸人のコメンテーター?が「ミナミあたりの外国人は声がうるさい」などと発言するものだから、これも後味の悪いニュースに終わった。

 そして先日、私は朝の南海電車の「関空急行」に難波から乗車した。
 これまでだと通勤客を吐き出した朝の難波発の電車はガラガラだったのだが、関空から帰国するための乗客で結構混んでいた。その荷物は土産物も加えて相当なものだった。
 なので、これが朝の難波行通勤電車だと、一触即発とまでは言わないが相当ストレスが溜まることだろうと想像できた。
 ニュースの火種は理解できた。

 ではあるが、やっぱり怒る先が違う、解決方法の先が違うと私は考える。
 南海はせめて通勤時間帯には、関空から新今宮あたりまでノンストップの急行を(つまり特急料金不要で)走らせて通勤客と分離すればよい。
 座席の周囲に広い荷物置き場を作ればよい。関空利用者の大きな荷物は外国人に限らない。
 ヨーロッパの先進的な観光地にもっと学ぶべきだろう。

 さらに言えば、「電車の中で大声を出してうるさい」とは、首都圏で大阪人が言われている言葉である。
 〇〇ツアーや〇〇パックという観光客のマナーが国際的に顰蹙を買ったのは少し前の日本人のことである。
 いや、日本人とひとくくりにしてよいものか、長野県人から登山者のザックが邪魔だとは聞いたことがない。
 国内にも観光地は外にも多い。

 在阪テレビ局のいわゆる情報番組のコメンテーターには大きな勘違いがないか。
 強きになびいてより弱い者を口撃するのを「本音で語っている」などと美化していないか。
 維新の府市政と合わさって、ますます大阪が三流の「大きな田舎者」にならないように願うばかりである。

 私は長い間南海沿線住人だった。〽 な~んな~ん南海電車 南の海を走ってく のCMソングは今でも耳に残っている。

    底冷えやニュースは都市格どおりなり

 おまけで、 おもてなしの国の電車は狭軌なり  (これは川柳のつもり。南海電車は広軌でなく狭軌である。心の狭さと掛けたつもり)

2016年11月21日月曜日

こんな紅葉も

   フェースブックなどを見ていると立派な紅葉のスナップが目白押しだ。
 なので、同じようにただ美しいだけの紅葉では味がない。
 そう思いながら所用の合間の小一時間、奈良公園を散歩した。

 すると、ご多分に漏れず奈良公園もそういう被写体を探す方々で溢れていた。
 一昨日は「奈良公園のナンキンハゼ」を書いたが、奈良公園の名誉のために追記しておけば、奈良公園は正当なモミジの紅葉も素晴らしい。

 そして、「彼の地」では近頃の流行りらしく、プロのカメラマン等を使って奈良公園で結婚記念の写真をとるカップルも少なくない。
 それにしても、モミジのトンネルの下の小川に入って、ウエディングドレスの裾を水に濡らしてまでの演出には脱帽するしかない。
 「レンタル料に加算されないだろうか」などというケチ臭い心配はいらぬお世話だろう。

 そこで元に戻って、写真のとおりちょっと変わった紅葉を見つけた。
 カシ?の木の股に着生したモミジの紅葉は如何だろう。
 スマホで撮ったのでイマイチかもしれないが、ちょっと健気な気がした。

     宿り木の紅葉は知らずカメラマン

 迷カメラマンは「シカのバトル」を撮影した。
   角切が終わった後の雄鹿だが、ガツン、ガツンと迫力満点。頭から出血したり、挙句は禿げることもある。
 雄鹿だけでなく女鹿も小さい子どもを突いたり押し倒したりすることがあるから注意が必要。
 といって、怖がってもらっては困る。
 小さい子どもには大人が付いていてほしい。
 基本的には奈良公園の鹿は可愛い。
 20日の赤旗の「すなっぷ」に掲載された。
 

2016年11月20日日曜日

木守柿

   「木守(きまもり)」を広辞苑で引くと、「来年もよく実るようにいうまじないで木に取り残しておく果実」とある。
 今回、そのことを知って大いに驚いた。そうとは知らなかった

 大和の先輩には、「柿の実は三つぐらいは残さなあかん。ひとつ二つは旅人のために、ひとつはカラスのために」と教えられた。
 十何年も前のことだが「大和では真顔でそう言い伝えられているのだ」と驚いたことを今も鮮明に覚えていて、その後はそれを守っている。それが私の木守柿の理解だった。
 で、やっぱり、「来年の豊作のまじない」説よりも大和の言い伝えの方が私は好きだ。

 そこで、カラスのために残したわが家の木守柿(こもりがき)だが、わが家ではヒヨドリが横取りしている。
 写真のは、ヒヨドリに突かれて中を大きく食われたので少し艶が落ちている。
 まあそれも風情だと思って大事に残している。
 柿も零余子(むかご)もあらかた収穫した。
 プチトマトと万願寺唐辛子は「どこが夏野菜か」というほどまだまだ成っているが、季節は確実に冬に移っている。
 冬と言えば、餅つき大会の打ち合わせ自体が季節の行事だろう。

     餅つきの打ち合わせ空に木守柿(こもりがき)

ひげ親父さんの絵
   ブログ友達のひげ親父さんが贈った柿を絵にしてくれたので掲載する。ありがとう。

2016年11月19日土曜日

自然保護は難しい

刻印から清澄窯(きよすみがま)杉原はるみさんの作品と思う
   先日「自然保護」に関する鼎談で、東大寺の上司永照教学執事が「ナンキンハゼは外来種だからと言って伐採つまり殺していいのか。鹿が増えすぎていると言って減少させていいのか。仏の教えの上からは悩ましい」と発言されたのが頭の奥に残っている。
 
 東大寺は、以前に大仏殿の北東で貴重な遺跡発掘調査をしたときに、その工事の濁水で一定の場所の源氏蛍を滅ぼしたという苦い経験もあるとのことだった。

浮雲園地
   自然保護というのは各論になるとほんとうに難しい。
 自然保護の鏡のような春日山原始林も、適切な駆除をしないと遠くなくナンキンハゼ等の外来種に取って代わられるとも言われている。
 そのナンキンハゼだが、東大寺境内に隣接する県所轄の浮雲園地(大仏殿前交差点の東北)や春日野園地には県等によって植栽されたナンキンハゼが大木になって紅葉している。
 奈良公園のメーンストリートである登大路も同様で、県庁前も大木となっている。

 奈良公園の鹿も昭和20年には79頭だったものが自然保護のおかげで平成28年には1,455頭まで増えたのだが、そのため近親交配の弊害が増えているらしい。

 私の庭を見ても外来の樹木や花や野菜が少なくない。
 ナンキンハゼも自然に生えてきたのを西日除けのために大きくした。

 冗談ではなしに、人間だけは「多様性」の名の下に移住し、あるいは国際結婚・ハーフなどどちらかというともてはやされている。
 そういう時代に、動物や植物だけは「固有種を守れ」「外来種は駆除しろ」と言っている。
 そういう矛盾したような気分のまま、やっぱり私はこの土地に古くからいた在来種が生き残れるような自然保護活動に賛同する。
 そのためには、一定の駆除・殺処分も仕方がないと思っている。(読者には異論もあるに違いない)

 さて、自然環境の破壊で一番先に犠牲になるグループに蛙がいる。
 私がこの1年間追っかけたモリアオガエルも、昔は飛火野の池にもいたし春日大社参道白藤瀧茶屋の池にもいた。
 確実に減っているなという実感がある。

 なので、わが庭の外来種等の贖罪と自然保護支援の気分を込めて、我が家の玄関に写真の蛙の表札を掲げることにした。
 ポストマンが「ここは環境にやさしい家ということだな」と思うか、「ここの住人はこんな感じにだらけているようだ」と思うかは解らない。

    糞虫(ふんむし)を語る僧あり冬浅し

 余禄  自然破壊の最たるものに反対せずして何の環境保護か。テレビの「クールジャパン」で「日本のキノコ」を特集していたが、ウクライナのオルガさんが「ウクライナではキノコ狩りは禁止されています」にはびっくり。理由がチェルノブイリだというので悲しく納得。で「日本では除染されたので大丈夫」って大丈夫?

2016年11月17日木曜日

中世と出会った水間寺

   OB会の遠足で泉州・貝塚の水間寺に行き、思いもよらなかった「生きている中世」に出会って感激した。

 さて、テレビの「新日本風土記」などでとりあげられるテーマの一つに「宮座」がある。
 田舎の古社の運営を専門の神職ではなく氏子つまりは村人が力を合わせ当番などによって運営する、その組織のことである。その由来は古代末期まで遡ると言われたりしているが、役職の名称などから中世の匂いが濃いように私は思っている。
 これの寺院版、つまり「寺座」(座中)が水間寺に残っていた。

 立教大学蔵持教授(中世史)によると、寺座は鎌倉期等はそれが普通だったものが徳川幕府の宗教政策で壊滅したのだが、それが水間寺だけに残ったという。強固な観音信仰、人的・財政的基盤がしっかりしていた全く特異なケースだという。
 現在は、137軒?の家の子ども(男子?)が16歳?で座入りし、56歳?以上になると分担してお寺に勤める。12人衆という年寄役?が執行部?になる。(立ち話のように聞いたので不正確かもしれない)

 水間寺では、そういう地元の人々が僧として祈祷などもし、お寺を実際に営んでいるのである。
 この話を我がOB会会員でもあるガイドのTさんから伺った後、該当の寺僧に私が話しかけていたところ、その僧がTさんに「Tさん?」とおっしゃて、実はTさんの同級生であることがわかった。
 さらには、誰も、彼も、Tさんの同級生がたくさん寺僧になっていた。
 私としてはこんな歴史学・民俗学・宗教学上の「生きた化石」のような貴重な制度を肌で知って感激この上なかった。

 ここからは余談になるが、戦後の時期、こういうものが水間寺にあったことは今東光や司馬遼太郎の本で私は知っていたが、現在なお残っていたとは思ってもいなかった。
 知っていたのは今東光和尚による。いわば独立独歩の水間寺に天台宗本山側が「座中征伐」に送り込んだのが今東光だった。
 座中の寺僧は、今東光に言わせると「水間谷に巣くう白蟻みたいな奴」「ケチ臭い悪党ども」で、最後には地元派と今東光派の暴力事件まで起こった。
 その折、今東光は「悪名」で有名な八尾の朝吉親分を呼んで実力行使を計画したが、そのとき朝吉親分は「向こうが7人として、倍の14人はいりまっしゃろな」「相手は和泉だっせ」と言ったと司馬遼太郎の本にあった気がする。

 その話のメーンテーマは河内と和泉の人間はどちらがガラが悪いかというもので、答は格段に和泉だという結論の参考文章となっている。
 毎年のだんじり祭り等での救急車の出動回数からもおおむね妥当な評価であろう。

 そんな事件もあったが、どっこい水間寺の座中は生き残り、かつ寺は繁栄している。
 寺の繁栄については、西鶴の「日本永代蔵」(利生の銭〈初午は乗って来るし合〉)を参照されたい。年利100%の高利貸しとしても才覚があったようだ。


 17日夕 追記

       寺座の残る水間寺にて
       冬ぬくし村のならいと寺僧かな

2016年11月15日火曜日

音楽療法はすばらしい

60名を超える行事だった
   老人ホーム家族会の秋の行事は「想い出のコンサート」だった。
 今年の行事は入居者の体力のことを考えて1時間にと短くしたが、1時間では惜しいぐらいに盛り上がったと役員や施設のスタッフ皆が言ってくれた。
 義母もボンゴを叩いたりして日常よりも格段のご満悦だった。

 コンサートというよりも「みんなで歌おう会」で、その内容はほとんど音楽療法士に丸投げだったが、「さすが」と思わせる進行だった。
 家族会のメンバーもてきぱきと楽器を配るなど、すべてが気分よく運営された。

 職場のOB会の行事よりもみんなが文句なしに協力しようという雰囲気に満ち満ちているのはなんでだろうと少し考えた。(これはOB会の方の反省として)

 司会の言葉にいちいち返事をする人、プロジェクターが歌詞を映すと途端に歌い出す人、もちろん眠る人・・・・、みんなみんな、それぞれが楽しい1時間のようだった。
 今日は行事の主催者だったが、10年後には会場の主人公になっているかもしれない。
 なので音楽療法士の方々に、その折の「想い出のコンサート」では、プレスリー、ニール・セダカ、ポール・アンカを選曲してねとお願いしておいた。

    小春日やボンゴ叩いて母歌う

2016年11月13日日曜日

これも錦秋



 
 絶好の行楽日和だというのに毎日所要があって何処にも出かけていない。
 なので、短い合間に家の近所で写真を撮った。
 初ツグミも見たがその撮影には失敗した。
 写真のとおり、少し妖しげな錦秋を見つけた。
 この雑木もみじの向こうには神隠しの国の入口があるかのように思えた。
 地上ではコオロギの声が弱々しかった。

     地虫鳴く先は異世界笠もみじ

2016年11月12日土曜日

焼き芋焼いた

   孫の夏ちゃん5歳が芋ほりをしてきたので「焼き芋を作ってほしい」とやってきた。
 お父さんとシルバーウィークにキャンプに行ったがなかなか薪に火が熾せなかったと夏ちゃんが報告した。
 よしよし、ならば隔世伝授しなければならない。

 BBQコンロを低く置いて、新聞紙半分と細く割った木切れをセットした。
 そして夏ちゃんにマッチで火を付けさせた。マッチは初めてだったようだ。
 一発で火がついて徐々に太い木を入れさせた。
 あまりに直ぐに完璧に焚火になったので夏ちゃんは火吹き竹を持って鼻高々になった。

 お芋は洗って新聞紙に包んで水で濡らしてアルミホイルで包ませた。
 これも大喜びでアルミホイル係をこなした。
 コンロ上の焚火に炭も入れ、その焚火の上にお芋入りのダッチオーブンを乗せ、途中からは蓋の上でも焚火をした。
 1時間ほどでいい香りが染み出してきて素晴らしい焼き芋が完成した。

 焚火の中の炭を取り出して、「かんてきテーブル」で焼きそばパーティーもした。
 粉末ソースを控えてケチャップをたっぷり使った「ナポリタン風焼きそば」には夏ちゃんも満足だった。
 孫の凜ちゃんがもう少し大きくなってこんな食事ができるまで此方が元気でいなければと、自分に気合を入れた。
 ホームの義母に「曾孫が焼き芋を上手に焼いたよ」と話すと、「埋めますねん」と言って芋を埋めるジェスチャーをした。
 義母の焼き芋というと、へっついさんの灰の中にそのまま埋めるものだった。
 熱々の皮をむいて美味しそうに食べる仕草をしてニコニコ笑った。

     焚火芋私が焼いたと五歳の児

 【人類が調理に火を使い始めたことで、社会的な結びつきが生まれやすくなったと英国の歴史学者が書いている。同じ時間にたき火を囲んで集団で食事をするので、そこが親交の場になったという(フェルナンデスアルメスト著「食べる人類誌」)11月11日付け朝日新聞「天声人語」

2016年11月11日金曜日

火焚きは死語

   北風のニュースにはジョウビタキがよく似合う。
 普通には「尉鶲」ではあるが「尉・火焚き」が名前の由来で、♂の成鳥は頭が白いから、つまり白髪だから「尉」。・・なので写真は白髪ではないので♀だと思う。

 「ヒーヒーヒー」の後に「カチカチカチ」と鳴く声が火打石で火を点ける音に似ているから「火焚き」というのだが、銭形平次的なテレビの時代劇もなくなった今では、火打石などと誰が連想するだろう。
 平次親分がいざ出かける時には奥さんが必ず「切り火」を打っていたものだったが。

 この鳥、けっこう早起きで、毎朝、仄暗い曙から窓の外で鳴き始める。
 〽 もう起きちゃいかがと郭公が鳴く というよりも、その忙しなく甲高いヒーヒーヒー カチカチカチこそ「もう起きなさい」というサザエさん的な迫力がある。
 布団の中でその声を聞くと「もうすぐ日の出だ」と時刻がわかる。

 鳥の渡りに一々驚いていられないが、それにしてもこの小さな鳥が数か月前にはバイカル湖畔のダーチャ(郊外の菜園付きセカンドハウス)でバカンスを楽しんでいたかと思うと、ちょっと感慨深い。
 セカンドハウス(ダーチャ)を楽しむ一般的ロシア人をテレビで見て「貧しくてかわいそうだ」と言うウサギ小屋の「小金持ち」を、このジョウビタキはどのように空の上で感じていただろう。
 豊かな人生ってなんだろう。
 先輩のスノウさんは「テレビを観ないことだ」と喝破されている。
 今さら万博だ!って叫ぶのも大きな勘違いだと思うのだが。
 この国の政治を高みから俯瞰することが大事な気がする。

       尉鶲(じょうびたき)その説法は鳥瞰図

2016年11月10日木曜日

トランプショック

 テレビでは「予想外だった」「先が見えない」と記者やコメンテーターや「専門家」が顔面蒼白だ。
 予想できなかった日本のマスコミジャーナリズムの正体見たりと言ったところだ。

 後出しじゃんけんではないが私はそれほど驚いていない。
 7月25日には「トランプとクリントンひとつの視点」という記事を書いていたから・・・
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2016/07/blog-post_25.html
 トランプを支持はしていなかったが当選の可能性を感じていた。
 その底流には1%の支配に対する異議申し立てがあることを堤未果氏に教えていただいていた。

 日本政府の宗主国アメリカの現実は日本のマスコミを見ていては解らない。
 堤未果氏の一連のレポート(著作)は現代人必見の本だろう。

 この頃流行らない言葉の一つに日和見主義という言葉がある。
 フランスやオーストリアでの極右の台頭やトランプ旋風の危険を指摘すると、「そんな主張が大きくなるはずがない」「そんな心配は社会の進歩を信じられない日和見主義だ」と議論を封じてしまうことがなかったか。
 国内では富山市議補選で維新の候補も当選した。
 「維新は関西以外では通じない」ということでもなくなった。
 社会はジグザグに「進歩」する。
 「現代の反知性主義」を大いに議論する必要があるように思う。

2016年11月9日水曜日

なるほど

   「目から鱗」という言葉があるが、高橋千鶴子議員のツイッターで「なるほど」と思ったことがある。
 そのまま引用すると、『厚労部会と全日本年金者組合が、年金カット法案について、要請と法案レクをやりました。年金総務課長が対応。高齢者の年金減らすと、現役世代が支えなきゃならない。現役世代のため、というのは違うぞ!という発言に、なるほど。その逆もある。おばあちゃんの年金に頼ってる孫もいるし』というものだった。

 「為政者は庶民どおしを分断して統治する」というのは中学教科書レベルの常識だが、実際に、「人数の多い老人の厚遇で現役世代が損をしている」という主張はマスコミで繰り返され、それ故そのように思いこまされている現役世代も多い。
 だから、軍事費や大企業優遇の膨大な予算の無駄遣いをスルーして、「老人など既得権益者を許すな」的な維新の主張が相当程度受け入れらている。
 しかし高橋議員のツイッターは「ちょっと違うぞ!」といい、私は個人的に全くそのとおりだと「目から鱗」の感を強くした。

 というのも、私の父は高度成長が始まる前・・いわゆる「戦後」に他界したが、戦時中は大いに国策に協力し、貴金属をはじめ金属は供出し、預金は戦時国債に換え、最後は空襲で焼け出された。
 その記憶から、預金だとか保険などというものを一切信用せず、他界したときには保険・年金その他一切がゼロだった。
 その反省から、残された母は滑り込みの国民年金に加入したが、それは当然、最低レベルでしかなかった。それでも母は感謝していた。

 だから、働き始めてからの私は、ずーっと母を金銭的に支えてきた。
 当時はそれがほとんどの家庭で当たり前のことだったと思う。
 そこで私の子どもたちだが・・・・、おかげさまで私たち夫婦は子どもたちからの金銭的支援を受けずに今は暮らしている。
 つまり私が担ってきた金銭的負担は今の子どもたちにはない。
 だから、そのツイッターに大いに共鳴したわけである。

 個人の実感を世間の全てというつもりはないが、同じような経験は広くあるだろう。
 話を膨らませすぎるといけないが、非正規雇用の現役世代を親や祖父母の年金が支えている場合もあるのはツイッターのとおり。
 「年金は高ければ高いほど良い」というほど単純には考えないが、税金を応能負担にする、大企業優遇の税制を止めさせる、軍事費や利権に絡む無駄遣いを止めさせる、そうすれば現役世代の賃金も上がり年金も福祉も充実させられる。
 そして、その購買力は景気を回復させるだろう。
 世代間のバトルだ的な宣伝に惑わされずに、勤労市民が連帯・団結する以外に未来は開けない。

         木枯らしや嘘つくひとの多かりき

2016年11月8日火曜日

Fawn


 ディズニー映画の『バンビ』は1951年(昭和26年)に日本で公開された。
 〽子鹿のバンビはかわいいな の歌が毎日のようにラジオから流れた。
 そのせいで私などは子鹿のことを英語ではBanbiというのだと長い間信じ切っていた。
 正しくはバンビは映画の主人公の固有名詞であって、子鹿はFawn(ファウン)であるが、今でも奈良公園ではご同輩が「バンビ、バンビ」と言っているのを聞く。
 「バンビシャス奈良」というプロバスケットボールチームがあるくらいだから、その誤解を笑うことはできない。

     曝涼(ばくりょう)や御物(ぎょぶつ)見る人見る子鹿

2016年11月7日月曜日

古都には似合わない

   私が時々バードウォッチングに行くのは平城宮跡の北側の佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群である。
 初期ヤマト政権の王墓などと言われている。
 4~5世紀のそれを想像すると、古墳築造当時は未曽有の環境破壊だっただろうが、それが、地球規模で環境破壊が進む現代では、この古墳が環境保護に果たしている割合は桁違いに大きい。このあたりの役柄の転換、諸行無常も可笑しい。

   ところがその古墳群の一角に航空自衛隊奈良基地(航空自衛隊幹部候補生学校)がある。
 そこが開設60周年とやらで6日にブルーインパルスのアクロバット飛行を行った。
 宮城県松島基地から超音速でやってきた?
 平城宮跡上空が主会場だというが、ジェット戦闘機であるから回転のために我が家の上まで飛んできた。
 新聞記事で知っていたから驚かなかったが、知らなかったならロシアで大きな隕石が落ちたときに住民が「戦争だ!」「ミサイルだ!」と仰天したのがよくわかる。
 音だけでも恐怖感を与えるに十分だ。
 ムクドリなども見たことのない集団で右往左往している。
 知らなかった病人がショック死していないかと本気で心配する。
 義母のホームのスタッフの方が「沖縄では毎日がこうなんやろねえ」と溜息をついた。

 沖縄の面積は日本国の1%未満だが米軍専用面積の74%が沖縄に押し付けられている。それも、戦後県民が強制収容されている間にブルトーザーで基地は造られた。
 その上に、「交換」という名目で名護市辺野古に米軍新基地を造ろうとし、東村高江に米軍ヘリパッド(着陸帯)=正しくはオスプレイパッドを造ろうとしている。
 翁長知事や住民が反対運動をするのは当然で、それを本土から機動隊を送り込んで弾圧している。
 大阪府警の機動隊員は反対する住民に「土人」「シナ人」と暴言を吐き、松井大阪府知事は「ごくろうさん」といった。
 沖縄県議会が抗議決議を採択したのは当然だ。

 沖縄の喜劇の定番に臨終間際の話がある。親族の見守る中で病人が最後の力を振り絞って何かを言おうとする。みんなも一言も聞き漏らすまいと近づく。そこにジェット機の飛び立つ轟音がとどろき渡り、轟音が消えたときには病人は亡くなっていたという喜劇である。
 こんな恐ろしい喜劇があるものかと思うのは本土の感覚で、沖縄県民は「あるある」と笑ってしまうのだという。

 そこで、昨日の記事「戦争中の暮しの記録」である。
 ブルーインパルスを見上げた子どもたちは「かっこいいなあ」と思っただろう。
 ゲーム機の中の戦争もかっこいい。
 少し斜めからの話では、将来に夢が抱けない青年には「戦争でも起こって世の中がガラガラポンとされた方がいい」という意見も増えている。
 今年7月の参議院選挙比例区の朝日新聞の出口調査では、18,19歳の40%、20代の43%が自民党に投票した。
 親でなければ祖父母こそ、知っている限りの戦争や戦後の話を若者たちに語らなばならない。
 かっこいいブルーインパルスを見ながらつくづくそう思った。
  伝えることは一言でもいい。「ほんとうの戦争は全くもってかっこいいものではないんだ」と。

 「記録」にはこんな手記がある。母親が実家の老母のもとに疎開した。街に空襲のあったある翌日娘3人が逃げてきた。しかし老母の眉宇に浮かんだ苦衷の色。言葉にならない言葉に私はハッとした。娘たちも同じ思いであったらしく、翌朝、恐怖の街へ帰って行った。手記は「老母は決して鬼ではなかったが」と書かれていた。

    臨終も爆笑にするウチナンチュ

2016年11月6日日曜日

後世に残してください

   1年以上前になるが、ある古書店で「暮しの手帖」の「戦争中の暮しの記録」(古書)を見つけたがどういうわけか値札がなかった。アルバイトらしい店員に聞くと店長に電話をして2,500円という。
 最初からその値札だったら買っていたかもしれないが、店員のやりとりが頼りなさそうだったので買わずに帰った。(この次店長のいる時に尋ねたらもう少し安い値であるような気がした)

 その後、何回か覗いたがいつも店長がおらず、同じように店員に聞くと同じように店長に電話をして2,500円という。
 そのやりとりが何回かあって、なんとなく気分が乗らず買わないまま、いつの間にかこの本はその古書店からなくなっていた。

 その後、例の「とと姉ちゃん」が始まり、ドラマの終盤にはこの「戦争中の暮しの記録」がちょっとしたテーマになったから、どうしてあのとき買っておかなかったのだろうと2,500円をケチった自分に自己嫌悪に似た悔しさを感じていた。

 そして10月初め、もしかしたらAmazonに中古本が出ていないかと検索してみると、「保存版」(2,200円+税)という新刊があったので、すぐにクリックした。
 到着したのが10月の末だったので、なんと遅いことかと思っていたら、平成28年10月15日 第21刷の予約注文ということだったらしい。

 とと姉ちゃんでも紹介されていたが、ほぼ100%その内容は読者の投稿である。
 保存版ということで、附録1『「戦争中の暮しの記録」を若い世代はどう読んだか』という第2の投稿と、附録2『戦争を体験した大人から戦争を知らない若いひとへ』という第3の投稿も付いている。

 15年戦争の記録やその下での庶民の生活が書かれた本は何冊か持っていたが、どういうわけかこの本はそれらの本以上に私の心を打った。
 「暮し」というので投稿者は女性が多いし、投稿するのは少し教養のある人が多かったような気がする。
 だから、この雑誌を読むこともなく、投稿など及びもつかない庶民の暮らしの方がもっとひどかったかもしれない。きっとそうだろう。いわゆる弱者は発刊までの24年の間に亡くなったかもしれない。
 さらに、自分たちの暮しの辛さの向こうに侵略先であった(例えば中国人の)庶民の倍する悲惨な出来事があったことへの言及や想像も少ない。
 それでも私はこれまで読んできた本以上に感動した。

 奥付を見ると、昭和44年8月15日初版第1刷とあったが、当時の私はこの本のことをまったく知らなかった。戦争中の暮しの「感想」を読む意義もあまり感じていなかった。戦争は二度と起こるまいとも漠然と思っていた。しかし・・・
 初版は今から47年も前のことだが、その当時の多くの投稿者が感じていた「再びの戦前」の危惧は現在もっと強まっている。
 「NHK朝ドラだけが平和主義」という川柳があるが、ドラマがこの第21刷の遠因だったとしたらタイムリーヒットだった。
 我々夫婦の親から聞いた話などと重ねて思うところは多いが、そこへ踏み込むとこのブログでは紙数が足りないのでそれは割愛する。

 なので、重ねて言うが私は感動した。
 Amazonなり近所の書店に申し込めば入手可能だろう。
 『あとがき』の最後はこう結ばれている。 『編集者として、お願いしたいことがある。この号だけは、なんとか保存して下さって、この後の世代のためにのこしていただきたい、ということである。ご同意を得ることができたら、冥利これにすぎるはありません。(花森安治)』

     「戦争中の暮しの記録」を読んで
     虫の音やふすま噛(は)むよな記録集
 
 投稿の中にも食料がなくなり小麦の糠である不味い「ふすま」を食べた話は多い。そして私の読後感想も、実際には食べたことはないのだが「ふすま」を食したようにざわざわと落ち着かない。その原因が現在の政治にあることは確かだ。

2016年11月5日土曜日

ボルシチに挑む

   私の尊敬する友人であり後輩であるAさんはロシア文学評論家として有名である。
 そんな彼にこの記事を読まれると恥ずかしいが・・・、

 少し前から近くのスーパーにビーツ(テーブルビート)のパック詰めが出ていた。
 そのビーツが私に「買ってちょうだい」と訴えかけるので一二の三で買い物かごに入れた。
 もちろん、目的はボルシチだが、レシピはほとんど頭に入っていない。
 まあ、京都祇園のキエフで食べたイメージから逆算したらなんとなくレシピらしきものは浮かんできた。
 妻はあきれて「私はレシピを知らんから作ってや!」と横を向いた。

 小さいときに父親が亡くなり母親が働きに出ていた我が家では、中学生のときから基本的には晩御飯は私の担当だった。
 そんなときボルシチに挑戦したことがある。
 ただし、当時はビーツを知らなかったから、ケチャップでそれらしい色にした。
 そういうスープ(シチュー?)はその後も何回か作ったことがあったが、今回は本格的に再挑戦である。
 結局、ここに記事を書くほど難しいものではなく、言っちゃあ悪いがロシアの田舎料理だと思って取り組んだ。
 サワークリームなどというオシャレなものもなかったが、妻と娘からは「美味しい」と合格点をもらった。

 隣の食パンはオリジナルの「揚げないピロシキ」だ。
 こちらの方は父親が高島屋地下の食品街で働いていたことがあったので、初期のテレビCMで超有名なパルナスのピロシキで味は覚えている。
 クミンで香りを付けたら、気分は一気にステンカラージンの世界に飛んでいった。
 手前味噌ながら、妻にも、やってきていた娘にも美味しいとの評価をもらった。

 ボルシチは味も味だが、ボルシチといえばあの赤い色である。
 その元がビーツであり、感心するほど綺麗な色がドドッと出てきた。
 見た目で食べる料理だとも思う。
 ただ、ほんの少しづつだが隠し味を足しているうちに少し濁ったのは残念だった。

 テレビから、「千島列島の領有権を放棄して2島返還の感触だけで経済援助をする」という政府のニュースが流れる中だが、それとは関係なしに私のボルシチは美味しかった。

 ボルシチの本家はロシアだウクライナだと言い争いがあるようだが、この類の話は世界中に多い。
 多数意見はウクライナが本家だという。ウクライナというと私はチェルノブイリを思ってしまう。
 スベトラーナ・アレクシェービッチの名著『チェルノブイリの祈り』に登場した人々もボルシチを日常的に食べていたことだろうと思考する。
 それがあの事故で、即死よりも残酷な死の渕に突き落とされたのだ。
 という記憶がついてくるので、ウクライナ料理というルーツを知ってしまってからは、一層ボルシチの味は深まった。

    ボルシチはウクライナ未来の物語    
     (※「未来の物語」は「チェルノブイリの祈り」の副題)

2016年11月3日木曜日

続 インダス文明論

   10月29日のインダス文明論で、「定説・通説が当てにならん」と書いたが、長友奈良教育大学前学長によると、そもそも「世界の四大文明」などという概念を教科書で教えているのは日本ぐらいだという。
 「世界の四大文明論」というのは、清の政治家梁啓超(1873-1929)が唱えた「東洋(黄河文明)にも西洋に負けない文明があったのだぞ」という一種の政治論であって、歴史学の概念でも何でもない。
 それを日本では今でも歴史の教科書に載せているのだという。
 歴史的には長江文明が結構古いし、内容的にはインカ文明やマヤ文明の中身は濃い。
 なので、この国の歴史教育は、皇国史観の時代とあまり変わりなく閉鎖的で独善的なようだ。

 『気候と文明』でE・ハンチントンは、「1年中暑い熱帯、あるいは1年中寒い寒帯といったところは気候があまり変わらない。そこでは、人間は環境の変化からは影響を受けず、愚鈍で放縦な生活をするようになり、文明は発展しなかったのだ」と述べ、・・
 名著『風土』で和辻哲郎は、「暑熱と結合せる湿潤は、しばしば大雨、暴風、洪水、旱魃というごとき荒々しい力となって人間に襲いかかる。それは人間をして対抗を断念させるほどに巨大な力であり、従って人間をただ忍従的たらしめる」と指摘した。

 何れも、20世紀の一瞬の光景で歴史を解釈し、異なる文明・文化を蔑視している。よくないことだ。

 教科書ではないが日本のマスコミは毎日毎日「日本はこんなに素晴らしい」と発信し、「外国(人)はこんなにおかしい」と笑っている。
 こうして、四大文明論を完璧に信じてきた庶民は、知らぬ間に「愉快な」ナショナリズムに酔うていくのだろう。
 もう一度言おう。通説・定説を疑え! 心地よい言葉には気を付けよう! 
 先人は言った巧言令色鮮仁。
 義母曰く、毒キノコは綺麗ねん。(「毒キノコの見分け方」について答えて)

 『環境と文明の世界史』(歴史新書)で石弘之氏は、「インカはやさしい文明で奴隷を持たなかった」「身体障碍者も〈神のお使い〉として大切にされた」と述べているが、この国の現代社会の殺伐とした経済至上主義を思うと、古代が未開で人間はその後進歩してきたなどと軽々しく言えないと私は頭を抱えている。

 最後に、インダス文明の主人公はドラヴィダ人でその言語はタミル語だったといわれている。
 かの有名な大野晋博士の「日本語タミル語起源説」(と言ってしまうほど先生の説は単純ではないが)のドラヴィダ人・タミル語である。
 それを思うだけで私は興奮して眠れないのだが、そこへ踏み込むと紙数が圧倒的に足りないので、今日はここまで。

    刺激ある論に眠れぬ夜長かな

2016年11月1日火曜日

続 むしりまんねん

   10月27日に書いた「むしりまんねん」の続き・・・・・。
 元の記事で、何事に付け記憶が薄らいでいる義母が、楽しそうに誇らしげに、小さい頃に蜂の子を食べたことを私に話してくれたと書いた。
 その表情にはいわゆるゲテモノ食いの暗いイメージは一切なかった。
 山国の動物性たんぱく資源が乏しい村の貧しい人々が「仕方なく食べた」というものでも全くなかった。
 ズバリ、美味しいから食べたという、子どもたちの楽しいおやつの思い出だった・・・と私は感じた。

 だいたいが、魚や海老の「活け造り」や「踊り」を嬉々として食べている人々が「昆虫なんて」と言うのは偏見以外の何ものでもないような気がする。
 経験した文化のちょっとした違いでしかないのではないのか。
 戦前などは「米英では女までもが血の滴るような肉を食べるが故に貪婪・淫乱の鬼畜だ」と『主婦の友』は扇動したが、この話と五十歩百歩だろう。

 私は国連食糧農業機関FAOなどが唱える「食料資源」論としての昆虫食にはあまり興味はない。
 それよりも、この国の先人が「美味しい」と言って食べてきたという文化の方に心が惹かれる。
 外国には、美味しい昆虫は家畜の肉よりも高価だという国もいっぱいあるという。
 この国でも、蜂の子を食べるのは文化だったのだ。

 一昔前は「日本人は魚臭い(キッシンジャー回顧録)」と言われたり、「魚を生で食べるなんて」と言われていたが、今やSUSIやSASIMIは西欧でもトレンドになっている。
 だから、「蜂の子食」がそうなる日が遠くなく来るかもしれない。

    秋の蜂おいしかったと母はいい