2018年11月30日金曜日

霜月尽

   先日来『記念樹』のことで頭を悩ませている。
 老人ホームの庭に『家族会創立10周年記念』の記念樹を植えようというのだが、一体何が良いだろう。
 桜は何本もある。カエデもある。ブラッシの木、姫リンゴ、・・・いろんな種類の木がある。

 私は植木屋さんにロウバイはどうかと提案したが、剪定が必要だと返された。
 ハナミズキ、ヤマボウシ、クロガネモチ、いろんな意見がある。
 いっそうセイヨウニンジンボク、ジャガランタはと提案しているが、市場にうまく出ているかどうか。

 花がきれいで紅葉がきれいで他の花と開花期等がずれているのが良いと思うのだが、そんなにうまくはいかない。
 渋柿が秋空に光っているのも良いなあと思うが、庭が汚れるかもしれない。
 だいたいがほとんどの紅葉する樹は花も葉っぱも落ちていて、半分は賭けのようなものである。

 街路樹もこざっぱりして霜月尽

2018年11月29日木曜日

原因はストレス?

 かかりつけ医で半年に1度の心電図を撮ったところ「問題なし」ということで帰ってきた。
   そしてその晩、何年ぶりかで頻脈・不整脈に襲われた。
 このときのために準備してあったカルベジロールの錠剤を服用し、横臥すると苦しいので一晩中ソファーで過ごした。
 翌日は、マーフィーの法則ではないが「上手くいかないときはついてないもの」で、かかりつけ医は休診だった。
 あまり慣れるのも良くないが、経験則上一命には関係なさそうなので、体調の悪いまま1日を過ごすと、その翌朝には心臓への電気信号が回復し、全身の強疲労感と強不快感が低減した。

 よく「健康診断は現状を伝えるだけで未来の保証ではない」と言われるが、ほんとうにそのとおりだなと再確認した。
 書店の店頭には「医者にかかるから病気になる」的なタイトルが並んでいるが、半分当たっているかもしれない。
 ただ、かかりつけ医から「そのときの」薬を貰っていたので対処できたのだから、医者とはほどほどに付き合っておくのが良い。
 ちなみに正反対の症状のときのためにニトロの錠剤も用意している。(これを取り違えると上手くない)

 ところで、そも頻脈の原因だが、いろいろな原因要素があげられているが、一番の有力候補はストレスだと言われている。
 入管法、水道民営化、政府答弁もそうだが、維新の府市政と安倍官邸が金や約束手形をバラまいて票を買収したカジノ万博あたりが病原であった気がする。
 この歳になってなんとナイーブなことであることよ。

 トルコのことわざらしいが『明日できることは今日するな』というのがあるし、マニャーナの法則とか言って経営学等にも載っている。
 だが、原稿を依頼していて締切直前に「風邪をひいたからごめん」というのには、何週間も前に約束してあったのにと楽しくない。
 やはり「今日できることは今日のうちにしておこう」が私の性分に合っている。
 明日は何があるかわからない。

   憤死という見出しちらつく不整脈

2018年11月28日水曜日

しろばんば

ネットから
   いうまでもないことだが、しろばんばは綿虫、雪虫の別名である。
 見かけている割にはその生態はほとんど知らない。
 ただ気のせいか、しろばんばの飛ぶ日には「喪中のため年賀状を控える」旨のハガキが多く来る気がする。
 私自身が歳をくったせいか高齢化社会のせいか知らないが、喪中欠礼のハガキがここ数年増えた気がするのは思い過ごしだろうか。
 
 数年前友人のSさんからは「その年いっぱいを喪中というのは民俗的・歴史的にも正しくないので欠礼しない」と届いた。
 その前に母が亡くなった年には私は母の思い出を書いて投函した。その前の義父のときもそうした。

 晩秋以後に亡くなるなど時間がない場合はいざ知らず、十分時間があっただろうと思われるケースでも印刷会社主導の味気ないハガキが多いのはどうしてだろうか。
 「そんなことを思うお前の方がおかしい」と言われそうだが、当たり障りのない対応に右へ倣え!という社会は戦前の匂いがして仕方がない。

 つい先日、香山リカさんが普通に講演する企画に右翼が主催者である南丹市を脅し、結局香山さんは排除された。
 誰だって矢面には立ちたくはない。しかし当たり障りのない対応は嫌な世の中の入口ではないだろうか。おかしいことはおかしいと言いたい。
 
   しろばんば喪中はがきのドサッと来

2018年11月27日火曜日

イルミネーションのダンドリ

 朝からわが家の玄関にサンタのイルミネーションを取り付けた。
 孫が来た時に喜んでくれるようにだ。
 それ以外の電飾は設置するのに些かクタビレて今年はパスをするつもりだ。
 屋外で「夕刻4時間」にセットするためにちょっとした電気工事をした。こういう作業は私の趣味の範疇でとても楽しい。こういうときのために、コード、プラグ、コンセント等を用意している。

 午後からは老人ホームのイルミネーションのセットを行った。イルミネーションのダブルヘッダーだ。
 これは立体的なトナカイが庭園に何頭もいるという相当本格的なものだった。
 何人もで「ここがいい」「あそこがいい」と大騒ぎをした。
 でも、夕食後何人が窓からでも見てくれるだろうか、と一瞬考える。

 ただ、介護の世界を「費用対効果」のような基準で考えるのはナンセンスだ。
 ほんの一瞬でも「わあ、きれい」というような話題が飛び交えばそれでいい。それで十分だと考えなければほとんどの取り組みが”無意味”になる。

 よく健康寿命という言葉が語られるが、食べて寝て排泄するだけが介護ではない。
 一瞬の感動を重ねてもらえればそれでいい。
 

2018年11月26日月曜日

小春日和

   今日のタイトルは老朗介護。
 さて、1年に数回、回線がびっくりするほど繋がるときがある。
 稲刈りは終わったやろうな!
 正月の前には餅つきや!
 誰々さんはどうしている? 等々とこちらが驚くほど饒舌になる。
 ただ、よく聞くとどうも場面は義母が実家にいる小さい頃。
 私も娘婿ではなく、同じ垣内(かいと)の近所の人になってしまった。

 それを違和感と思うか当然と思うか。
 その事実(認識)を訂正することに何の意味があろうか。
 私はもっぱら相槌を打って垣内の住人になる。
 
 一種の躁状態だろうか、夜中に引き出しの中を確認しまくったり電動ベッドのコントローラーが気になったりで大変だったようだ。
 それを、当然のこととして対処してくれる施設のスタッフは神様だ。
 外は寒かったが何となく小春日和のように感じた。 

 先日の音楽療法士による集いの後も、「いつまでも童謡では自分が入居した時にはちょっとねえ」と私は注文をつけたのだが、やっぱり最後は子どもの頃に帰るから正解なのかも知れない。
 『里の秋』も、場数を踏むと私自身郷愁と背中合わせになる。

   時空超え母は兄ちゃんと吾を呼ぶ

2018年11月25日日曜日

なら町の賑わい

 23日に、お歳暮の品の購入のために奈良町の酒蔵へ夫婦で行ってきた。
 用が済んでランチにしようとしたところ、ちょっと名の通った店は予約でいっぱい。あるいは店の前に行列ができていた。
 昔の奈良町を知っている者としては隔世の感がある。
 インバウンド以前からだが、よくここまで盛り返してきたものだと感心する。
 ただ、一方に閉店の店もあり、情報雑誌やネット情報が持っている力の強さ・怖さも感じた。

   インバウンドでいえば、大阪のミナミ同様、百均やドラッグストアなども増えている。
 長い目で見た場合、奈良らしさという「観光資源」を自分たちで壊していかないかと心配する。

 結局、ちょっと贅沢なランチのはずがお好み焼きになってしまった。
 西欧人のペアが近くの席でお箸で食べていたから、「こんにちは」と席まで行ってあいさつをして、「ジャパニーズは͡テコで切ってそのままハフハフハフと食べるのだ!」とジェスチャーで教えてあげた。親切の押し売りであるが楽しい経験が一つ増えたに違いない??
 Oh!と笑顔で喜んでくれたが・・・大きなお世話だっただろうか。

   その帰り道、庚申堂には「申」から発展した「猿」がいた。屋根の上のは、見ざる聞かざる言わざるの三猿だったので、つい今しがた、お好み焼き店で「見て」「言いに行った」自分がおかしかった。

 金子兜太氏の本の中に、氏の故郷の秩父神社の三猿は「よく見る」「よく聞く」「よく話す」という彫刻になっていると読んだ。
 東照宮的な三猿の思想は「忖度」や「見て見ぬふり」の思想に繋がる。
 現代日本に大切なものは秩父的三猿だろう。
 帰宅してから調べてみると翌24日が「庚申(かのえ・さる)」だった。

   お好みを箸で食うかやジャパニーズ

2018年11月24日土曜日

餅つきのダンドリ

   先日の老人ホーム家族会10周年の式典では「水を飲むときは井戸を掘った人のことを忘れてはいけない」という趣旨のことを述べたが、どんな些細な行事でもダンドリする人がいて・・ものごとは成っている。

 12月に入るとお餅つきなので、自治会(町内会)に「杵を全部持ってきておいて」と言っておいた。
 到着した杵のいくつかは、やっぱりというか、相当ササクレだっていた。
 理由は単純で、お餅をつかずに臼(石)を打ったからである。その理由は2種類あり、ひとつは非力等によるふらつき、もう一つは周辺の米粒が気になって臼の端っこ(の石のところ)を打ったためである。
 「搗き手の鉄則は、ただひたすら同じリズムで臼の真ん中を搗くだけ」と口を酸っぱくして言うのだが、米粒を自分自身でどうにかしたい!と思うのも人情か。労働者は基本的に真面目なのである。

 ササクレの酷いところは鋸(ノコ)で削ったうえで鉋(カンナ)をかけた。
 出来るだけ大手術は控えたが、それでも杵のメンテナンスはけっこう大変だった。

 そのあとはホームセンターを「散歩」した。乳幼児用の(手作り)発泡スチロール製の杵をどうにかバージョンアップできないかというためだ。
 発泡スチロール製だと、一部が砕けてお餅に紛れ込む。
 アルコールで消毒すると溶けてしまう。
 なのでサランラップで包んで使用しているが些かイメージが崩れて不本意だった。
 これがバージョンアップしたい理由である。
 結局ホームセンターでは「帯に短しタスキに長し」で、何も買わずに帰ってきた。

   そしてその夜、食事中にキッチンの方に少し大きめの非常にシンプルなペットボトルが目についた。
 「これを杵に出来ないか!」
 内側に塗装して外側がそのままなら、綺麗に洗いながらお餅がつける。
 乳幼児や老人ホームで使っても怪我をするまでのことは起こらないだろう(発泡スチロールよりは固いけれど)。
 こうしてできたのが下の写真の杵である。発泡スチロールと遜色ないほどの軽さに出来た。乳幼児に持たせて写真を撮って喜んでもらえれば嬉しい。

   餅つきの講師は餅を口でつく
 いつの間にか私は餅つきの講師のようになっている。町内で18臼搗きあげる責任は重大だ。

   26日、写真を追加しました。

2018年11月23日金曜日

鷹の止まり木を知ってますか

   11月3日の『啄木鳥(きつつき)』の記事のとおり、源平盛衰記 巻の十に『聖徳太子に討たれた物部守屋の怨霊が太子建立の四天王寺の伽藍を壊そうと数千羽の啄木鳥となって襲ってきたとき、太子は鷹と変じてそれを降伏させた』とある。

 なので、四天王寺金堂の東側に立派な『(太子が変じた)鷹の止まり木』があるのを知ってますか。
 上の写真の矢印のところである。

 大師会(だいしえ)の21日、大阪高齢者運動連絡会の宣伝・署名行動と併せて四天王寺にお参りした。
 境内は老々男女でごった返していたが、この「鷹の止まり木」を見上げている者は皆目いなかった。
 その日は太子会(22日)でなく大師会だったからかも?

   このように源平盛衰記由来の珍しいといえば珍しい不思議もマスコミが宣伝しなければこういうことなのだろうか。
 それでいいのか浪速っ子!

 近頃は鷹が止まらずに鳩が止まるからだろうか、金網が貼ってあるのが見えたがご愛敬。

 11月3日にも書いたが、東南海地震は遠からず必ず来る。
 その前に、大嘘つきの府・市政の横暴によって庶民の暮らしと権利は壊される。
 大阪に縁のある方々は、四天王寺金堂の止まり木を見上げて、この地の安寧のために維新府市政ストップの努力を誓おう。合掌。

   冬晴れや鷹の止まり木ここにあり

2018年11月22日木曜日

過労死落語を知ってますか

   11月23日が大阪道修町(どしょうまち)少彦名(すくなひこな)神社の神農祭であることは昨日書いたが、近頃では勤労感謝の日に重ねて『過労死防止の日』となりつつある。
 厚労省も「毎年11月は過労死等防止啓発月間です」と後押ししている。
 掲載のポスターを駅等で見られた方も少なくないだろう。
 これは非常にいいことなので、どうか拡散していただきたい。

 桂福車、松井宏員著『過労死落語を知ってますか』(新日本出版社)が発刊された。私は発刊日に購入した。
 この過労死落語を最後に見たのは昨年の11月の奈良だった。
 そして今、当の福車師匠も、そして主催者側の中心であった「働く者の命と健康を守る奈良県センター」事務局長であった親友・谷山義博氏も半年もせず若くして鬼籍に入られた。なので表現のできない複雑な気持ちでこの本を読んだ。・・それはごく個人的な感情。

   落語は進んで・・過労自殺した青年の亡者に向かって閻魔の庁の青鬼が、「お前『黙示の指示』を知らんのか?」
 亡「なんです、モグリのすし屋?」
 青「終わるはずのない仕事のため残ってるのを、上司は見て見ぬふりをして『残業せずに帰れ』と指示しなかったら『黙示の指示』や」
 亡「何回か『休みください』と言いに行ったんですが・・」
 青「鬼やなー。労基法39条に『時季変更権』は確かにある。しかしなあ、それはタイガースがあと1勝で優勝いうときに、福留や鳥谷が『よみうりランドに家族連れて行くので休みください』言うたら金本監督キレるやろ。そういうときだけや」
 と落語は続く。

 そんな台本作者の小林康二氏も偉いし、過労死・過労自殺というような深刻な社会問題を『文化』=『落語』に仕上げた人々も偉い。

 私は自分の職業歴と重ねて少し重く読んだが、この本自身は楽しくて笑いも多い。
 憲法漫談で 小林「日本は兵力不足で戦争なんかとても無理とちゃいまっか」
 アベ「名案がある。65歳以上を徴兵する。年金財政も安定して一石二鳥や」 では「もしかしてそんな悪夢もありかも」と笑い転げた。

 11月は厚労省の推進する「過労死等防止啓発月間」だ。
 是非ともこの本を買い求めてお読みいただきたい。税別1300円。

 私自身はこの本で、「メッセージの伝え方」「心に届くメッセージ」について深く考えさせられた。自覚的な民主主義者必読のテキストだ。
 「むつかしいことを・・・・・ゆかいに」。井上ひさし氏も悶えていたのだろうな。きっと。

2018年11月21日水曜日

少彦名

若宮第2番
   親が大阪の船場で商売をしていたから、道修町(どしょうまち)の少彦名(すくなひこな)神社の神農(しんのう)さんの笹に吊るした張子の虎で有名な11月23日の神農祭は小さい頃から馴染んでいた。

 神農は中国古代の神話中の三皇の一人であり道教の神である。
 その名のとおり原初的には農業神であるが、前漢ごろから医薬の神になった。
 故に道修町の薬問屋の守り神になった。

 一方、少彦名命は大国主神とともに国づくりを行った異形の神であり、日本書紀の一書(あるふみ)によると「病を療(おさ)むる方(法)を定め」たといわれ、これも医薬の神である。
 なので、記紀神話の神と道教の神を一緒に祀ってパワーアップを図って今がある。

 さて、先日、奈良の春日大社の若宮15社をめぐっていると、第2番の御祭神が少彦名命であった。寡聞にして知らなかった。
 本来的には「三輪神社」というらしいが(このあたりの関係も知らないが)、それよりも大きく「一童社」とあった。
 少彦名命のキャラクターは一寸法師に引き継がれたという説もあるから、私は一童社の名前にも違和感がなかった。ただし、その連想が的を射ているかどうかもこれも不知。
 御神徳に「子どもの成長」とあったから、特別に面白くもないがそこから一童社というのが近いかもしれない。例祭は11月25日らしい。

 話は戻って大阪の神農祭といえば「笹に張子の虎」。
 縁起は文政5年(1822)大坂でコレラが大流行した際、「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を張子の神虎と一緒に神前祈願して後販売したことによるという。
 ところが張子の虎の職人の後継者がなく、今の形がいつまで続くかは判らない。
 パンデミックが心配される現代、現代人はますます危険水準に近づいている。

   大阪は日中友好神農祭

2018年11月20日火曜日

喪失感

 タイトルほど深刻な話ではない。
 「〇〇ロス」という感じの精神状況のことである。
 実は今年1年で一番おおきな仕事をやり終えた。
 老人ホーム家族会の10周年を祝う式と祝賀会が終わった。
 概ねつつがなく進行し、概ね「よかったよかった」とお世辞も含めて喜んでもらえた。
 いろんな準備をしてきたことが、一つひとつ結実した感がある。
 で、ある種の達成感でも湧いてくるのかと自分自身を見つめてみると、大きな目標が目の前からフ―ッと消えたような、ある種の喪失感を味わっている。おかしなものだ。
 まあ、そういいながら、「あれも上手くいったこれも上手くいった」と含み笑いをしているが。

 結局、人生、課題を背負ってダンドリにあくせくしているときが華かもしれない。
 「楽しいイベントに参加した時よりもそのイベントを主催した時の方が何倍も楽しい」というようなことを小さい子どもたちにも語ってきた。
 そのせいかどうかは知らないが、息子も火中のクリを拾ったようである。
 父は何も言う気はない。
 
 12月には大きなお餅つき大会を3つ控えている。
 それぞれ異なる性格だが、それなりのダンドリを期待されている。
 昔、「賃搗き」という商売があったが、その第一線はこなせないが「親方」ならできるかもしれない。

2018年11月19日月曜日

カジノ万博の末路

 大阪市がいわゆる都構想の経済効果の試算を外部に委託しようとしたところ、世間で知られているまともなシンクタンクは「無理だ」と入札には応じず、嘉悦学園が受注し、結果として経済効果ではなく「歳出削減効果」でお茶を濁した報告書を提出した。
 それを松井知事らが「10年間で最大1兆1千億円」と宣伝するので府・市議会野党が質問するとまともに答えられず、「専門家に聞いてくれ」という馬鹿なことをいうので、そんな非公式でええ加減な場にはいかないと野党は欠席した。

 だいたい政令指定都市(という権限)を失くして新しい産業が興ったり消費や雇用が増えるはずがない。
 吉村市長は「行政をより身近に」というが、嘉悦学園報告書は「行政サービスを削って歳出削減効果を出す」という。

   維新府市政の嘘と誇大広告は今に始まったことではないが、そういう手法が今でも一定通用しているのはメディアがきっちり総括しないことと、それに誘導された世論の弱さにある。

 もし、「そんなことはない」とおっしゃる向きは、2012年1月に府・市の特別顧問を務める堺屋太一氏が「4年以内に10大名物をつくる」といい、新聞テレビやマスコミで維新が鼻高々に語った『構想』を覚えておられるか?

(1)道頓堀に全長2キロのプールを作り、世界遠泳大会を開催。
(2)2015年に「大阪都発都記念博覧会」を開催し、巨大歩道橋を建設。
(3)御堂筋を美術デザインストリートに。
(4)大阪市か堺市に1万平方メートルの超大型ビジョンを作る。
(5)建設中の近鉄あべのタワーに「驚愕展望台」を設置。
(6)JR大阪駅大屋根下に「空中カフェ」を作る。
(7)うめきた2期地域に高層マンションと空中緑地。
(8)うめきた1期の「ナレッジ・キャピタル」を世界的名物に改善。
(9)南港に「エレクトロ・ゲームセンター」を設置。
(10)関西空港と舞洲を一体にして国際特区に。

 何がしたいのか訳の分からないものが多く、とにかく高度成長期の1960年代型大型開発でハコモノを作って客を呼び込もうという前時代的な発想であることは間違いがない。
 こういう頭で推進する「カジノ万博」で大阪府・市民が幸せになることは絶対ない。
 維新を支持するなら、この「10大名物」構想大失敗の総括を語ってから話を始めるべきだろう。

2018年11月18日日曜日

冬支度

   冬支度といってもエアコンのセットを冷房から暖房に切り替えるぐらいで近頃は何とも愛想がない。
 あまりに愛想がないので火鉢の「炭はじめ」をやってみた。
 私の日向ぼっこアイテムである。

 ちょっぴり自慢の信楽焼藍海鼠線輪立火鉢だが、体の弱い孫には微かな炭の煙も良くない。
 で、日向ぼっこアイテム、アウトドア用品に変身した。

 鉄製のストーブやチムニーも悪くはないが、ちょっと日本を意識してみた。
 
    立火鉢昔屋内にありしもの

2018年11月17日土曜日

NHKのFTAとまんじゅう蒸し

 13日にアメリカのペンス副大統領が来日した?
 来日というなら成田空港から入ってくるのが当然だが、米軍横田基地から日本の出入国ゲートを一切通らず問答無用で入って来た。
 それは常識的に見て独立国訪問ではなく植民地への入り方でしょう。
 そんなことをウンともスンとも抗議しない右翼や自称ナショナリストも変ですね。

   それはさておき、ペンス氏は安倍首相と会談をして、共同記者発表で「bilateral trade agreement2国間の貿易協定)の交渉参加に感謝する」と述べた。
 ペンス氏は東京に到着した12日に自身のツイッターで、安倍首相と協議する中身について「negotiations for a free-trade agreement(自由貿易協定)FTA」と述べていたし、この記者発表を配信した米・ロイターも「ペンス副大統領は日本と二国間のFTA( free trade agreement)を要求」と見出しを建てている。
 内閣と自民党はFTAには一切参加しないと言って来たのに・・・、
 落語の『禁酒番屋』でいえば「この正直者めが!」といったところだ。

 だから記者会見でNHKの同時通訳は常識どおり、そのまま「首相がFTA協議に合意してくれたことに感謝する」と通訳した。当然である。

 ところがNHKの報道フロアが「FTAと訳しましたが「二国間による貿易協定」の間違いでした。お詫びします」と異常な態度で訂正した。
 「戦闘は衝突」で「墜落は不時着」のNHKのフロアが正しかったか同時通訳が正しかったは遠くない歴史が証明するだろう。
 問題は「言い換え」ではなく中身である。

   余談ながら・・・、BSの「にっぽん縦断こころ旅」の青森県「まんじゅう蒸(ふか)し(温泉)」で火野正平さんが、「ここいらの方言でまんじゅうとはお尻のことです」と言って温泉の上のベンチに座っていた。
 国益には関係なさそうだからあえて言う気もなかったが、これも如何にもNHK的な嘘である。

 民俗や言語に関わることなので一言注意をしておけば、青森で「お尻をまんじゅうと言う」ことはない。
 この温泉は子宝の温泉だ。松本修著『全国マン・チン分布考』(インターナショナル新書)を読むまでもなく明らかにNHKは「ウソ」をついた。

   言霊(ことだま)の国の大臣(おとど)の軽さかな
   言い換えは言霊にあらず冬は冬

2018年11月16日金曜日

年年歳歳花相似

   ブログに書く記事が思い浮かばないときがある。正確にはぼんやりとしたテーマはあるのだが、起承転結の結が頭の中で定まらない。
 そんなときは庭や散歩道に季節を探す。

 木々の紅葉も盛りを過ぎた頃、マユミの実が色づき始めた。晩春~初夏に花が咲いてからじっくりと実の季節を迎える木だ。

 木そのものは強くてしなやかなので弓の材料でもある。
 旺盛に枝を横に伸ばすので、少し剪定が過ぎて実の数が多くない。
 もう少し経つとこの小さな行燈のような実から赤い種が吊り下がってくる。

   毎日ほぼ同じ時間に電線に止まって挨拶をしてくれるのはジョウビタキ。
 尉といわれる通り白髪で、紋付を羽織っている。
 ヒタキ=火焚きの名のようにカチカチカチと火打石を打つ。

 ホトトギスの声を「早く田植えをせよ」と聴いたように、このカチカチカチは「冬支度を急げ」と聴こえてくる。

 「これといったブログ記事が書けなかった」と嘆くよりも、「年年歳歳花相似たり」と同じ季節を同じように感じることの方が深くはないかと自分自身を慰めている。

 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

2018年11月15日木曜日

壊れゆく国

 13日に衆議院本会議で審議入りした出入国管理法改正案を見ていると、この国は壊れかけていると感じる。
 タテマエ上は技能実習といいながら実態が人権無視の低賃金労働力であることは明らかだ。
 
   内閣は労働力不足というが、一方に若者の失業、不安定雇用がある。
 労働力は賃金・労働条件を改善すれば自ずと充足される。
 そういう土俵上で外国人労働者も受け入れるべきは当然だ。

 そんなことをすると競争力が落ちて会社がつぶれるというような、何十年も前から三流経営者が唱えていた理屈を言う者がいるが、そういう者は京都のバスの実態を見るべきだろう。

 京都市は「市バスの運転手の賃金が民間よりも高い」といってバス事業そのものを民営化した。
 その結果、バス運転手の成り手がないということで、京阪バスが受託を返上することになった。
 京阪バスは黒字路線だけ新たな路線認可を得て走らせようとしている。
 この一連の流れの中に欠けているのは公共交通という視点である。

 テレビのいわゆる情報番組程度の知識しかないが、現トルコ政府の政治姿勢とは関係なくトルコにおける親日感情は非常に好いといわれている。
 先日の安田純平氏の帰国の際も、通常は本人負担の飛行運賃をトルコ航空は受け取らなかったという。
 その大きな理由の一つが明治22年のエルトゥールル号遭難事件で、日本人の親切さが教科書にも載っているということを聞いた。

 反対にいえば、日本は非欧米系の人びとを低賃金労働者としか見ないのでなく、「私は若い時に日本で働いたから今日がある」と後あとまで語ってくれるような対応をすべきではないだろうか。
 それが、一番の外交であり「防衛政策」だと私は思う。

2018年11月14日水曜日

兎追いしかの山

 10月20日に書いたが秋の1日、OB会の遠足で万博公園に行った。
 モノレールまでは、往きは堺筋線(阪急千里線)で行き、帰りは御堂筋線(北大阪急行)で帰ってきた。
 帰りの千里中央駅は、新聞報道などでは千里セルシーが閉鎖されるなどという千里ニュータウンの斜陽現象(住民の少子高齢化 建物の老朽化 近隣センターの衰退)のようなものが報じられているが、山城地域在住の私などからすると目も眩むような賑わいぶりだった。

 千里ニュータウンは日本最初の大規模ニュータウンで、病を抱えながらも走り続けている巨人に見える。その後ろには堺泉北ニュータウンが付けている。
 私の住む街も時期も規模も違うが、住宅都市整備公団(当時)の開発したニュータウンであるから、千里ニュータウンの再生方向には大いに興味がある。住民の少子高齢化、建物の老朽化、近隣センターの衰退は全く同じである。

ネットにあった写真
   閑話休題、妻は小さい頃この千里丘陵の片隅に住んでいた。
 堺の海辺で育った私が「小学校の水泳の授業は海だった」と自慢すると、妻は「冬の行事は千里丘陵での兎狩りだった」と対抗した。〽兎追いしかの山~である。
 児童が手をつないで、音をたてながら兎を網へ追い立てたという。
 兎は学校の兎小屋に暫く飼われていたがそのうちに居なくなり、子どもたちは「先生が兎汁にして食べたらしい」とほぼ全員がそう言い合っていたという。

 過剰反応社会と言われ、出る杭は打たれるとばかりにびくびくする現代、大阪府下でこんな行事は残っているのだろうか。あるいは、イガから取り出した栗が撒かれた畑で「栗拾い」をして自然を学んだことにしているのだろうか。

2018年11月13日火曜日

石原莞爾と2・26事件

 11月2日と6日に石原莞爾のことを書いた。昭和天皇が2・26事件の際に「一体石原といふ人間はどんな人間なのかよく判らない」と言ったということも書いた。
   そんなもので、澤地久枝著『昭和史の謎・2・26事件最後の秘録 雪はよごれていた』を読んでみた。
 結果は、249ページ中5箇所(5ページ)に石原はさらっと出てきただけだった。
 なので、2・26事件から石原莞爾の本質に迫ることは適わなかった。

 この本は、東京陸軍軍法会議主任検察官匂坂春平の遺品の中にあった片手では持てないほどの資料そのものといってもよい。
 そして、陸軍中央の犯罪に迫りながら、あと一歩のところで適わなかった「文官」の無念の記録である。

 2・26事件は陸軍中央が大いに関与した「クーデター計画」であったが、それ故に真相究明によっては陸軍が空中分解しかねないものであった。
 匂坂春平は陸軍高官の嘘やすっとぼけを追及するのだが、結局は現場の将校が死刑(口封じ)にされて一件落着となっていった。
 本を読みながら私は、何回「森友と同じだ!」※と思ったか知れない。

 反対にいえば、森友にも共通するこういう嘘を許せば、結局は国が破滅に向かうというのが教訓ではないかと心に響いた。
 それにこのときの叛乱軍の合い言葉は「昭和維新」であったから、嘘と無法をまき散らす同じような現代の政党の危険性にも悪寒が走った。

 結局石原莞爾のことは深められなかったが、非常に参考になる歴史の勉強になった。
 余談ながらこの本、昭和63年当時定価¥1200であったが、Amazonで価格¥74、送料¥256であった。

 ※ 森友では「知らない」「忘れた」「記録はない」「廃棄した」はては「部下が勝手に改竄した」という大嘘があった。

 そして2・26事件で陸軍幹部たちは「陸軍大臣告示」なるものを知った時刻、官邸に到着した時刻等について「時刻は判然(はっきり)いたしませぬが」「参謀であったと思いますが、あるいは違うかも知れません」などとのらりくらりと述べている。
 そも軍隊の作戦命令等で陣地を挟み撃ちにする場面であれば、1分以下の単位もおろそかにできない。時刻の指定や記録は絶対である。A部隊には〇時〇分に突入せよと言って、B部隊にはA部隊の反対側から『〇日の昼から合流・突入せよ』などということはあり得ない。軍隊にとって時刻は絶対で、曖昧さやニュアンスによって忖度せよという表現はありえない。
 それを揃いも揃って、口裏を合わせてむにゃむにゃむにゃと検察官に述べているということは口裏を合わせて重要事項を隠したということである。

 戦後レジームからの脱却を言い戦前回帰を露骨に表明している安倍内閣が、揃いも揃って大嘘を突く沿革は、なるほど昭和初期の軍隊にあったのかと妙に感心した。
 南スーダンの日誌問題これあり、時代は妙に再現ドラマに似てきている。

2018年11月12日月曜日

井上章一の問題提起

 国立国会図書館関西館であった「国会図書館開館70周年講演会」は、国際日本文化研究センター副所長・井上章一氏の『本でまなぶこと 街がおしえてくれること』であった。
 1時間半の講演を乱暴に一言でいえば、世に存在している「定説」のようなものが如何に「嘘」であるかということであった。

 曰く「阪神タイガースは昔から人気球団だったわけでない」「関西の人気球団は南海ホークスだった」

 「日本では、興福寺の阿修羅像のように三次元の造形では美的であるのに、二次元の絵画には約束事が多くて美人が残っていない」

 「明治の高等女学校の修身の教科書には『美人は勉強ができない』とあり醜いことが称揚されていた」
 
 「和服の女性もズロースを穿くきっかけになったという白木屋の火事で、和服の女性がそういう理由で多数亡くなったという事実は全くない」

 「法隆寺の柱の銅張が古代ギリシャのエンタシスだという証拠はない」「どちらかというと北方遊牧民(拓跋)の龍門石窟に起源があるだろうが、明治の脱亜入欧意識が前説を生んだ」

 「数寄屋造というのは花街に特徴があるという常識(であったもの)がいつのまにか『格式ばった書院造を克服した粋』とされてしまった」・・・等等々

 そして、「日本人は自己主張を控えて和を大事にする」「それに比べて欧米人は自己主張が強い」という「定説」に対して、それぞれの都市の景観を比べ、「ヨーロッパの都市では調和を乱す建築は許されない」「戦争や地震で壊滅した街はほんとうに元通り復元される」「それに対して日本の都市は全く無配慮で勝手に建てている」という指摘は面白い。
 それはテレビの「世界街歩き」や「鉄道の旅」でも実感するところだ。

 エンタシス関連でいえば、「正倉院の校倉造は湿度調節をはたしていたので宝物の保存が良かった」という「定説」があった。
 しかし、正倉院の大修理の際に見学したが、結構大きな隙間がいっぱい空いていて校倉の伸び縮みなどのレベルでは全くないことが一目で理解できた。
 本庶先生ではないが、「教科書はまず疑え」「定説はまず疑え」だと納得した。

2018年11月11日日曜日

少子化のこと

 私は団塊の世代のトップランナーの位置に居る。
 二部授業、プレハブ教室、講堂内を間仕切りした教室・・・各種の福祉的諸制度は「持ちこたえられない」として次々に改悪されていった世代である。(その一方で、団塊パワーで新しい時代を切り開きもしてきた。それはそうとして)

 だから、息子は団塊ジュニアである。
 景気の巡り会わせもあり、就職氷河期で苦労もあった。ミニ団塊の世代であった。
 ところがその子、つまり私の孫は団塊ジュニアのジュニアにはならなかった。で、やっぱり少子化なのだと実感された。

   小学1年生の孫の運動会があった。少し遅いがジュニアのジュニアである。
 子ども(つまり孫の父親)の運動会は父母がひしめいていたなあと思い出した。
 運動場の周囲では収まらないので父母は教室から眺めてくれといわれたこともあった。
 それが、今はガラガラとまでは言うほどではないが、余裕のある父母席だった。なので、やっぱり少子化なのだなあと感じた次第である。

 ただ、大阪中心部は、早期に少子化だということで学校を潰していって、建築規制を緩和してマンションを建て、その結果、今は学校不足、過密校が問題になっている。全く落語にもならないほど無策だと思う。

 そんな例外もあるが、それ以外の地域では学校の統廃合が進んでいる。
 それでいいのだろうかと私は思う。
 学校というのは建物をさす言葉だろうか。
 母校だとか、同窓だとか、そういう心の故郷を「子どもが減ったから」といって失くしていいものだろうか。

 教育だとか行政だとかを株式会社のスケール、経費の考え方(つまりは損得)で律していいのだろうか。
 宇沢弘文氏の「社会的共通資本」の考え方をじっくり学び直してみたい気がしている。

2018年11月10日土曜日

壊れゆく国

 カリフォルニア州サウザンドオークス市でまたまた銃乱射事件があり12人が死亡した。
 テレビは犯人を元海兵隊員でアフガン帰還兵でPTSD(心的外傷後ストレス障害)だったと報じている。
 遡る10月にはピッツバーグで11人が殺された。2月には高校生ら17人が殺された。昨年11月には26人が、10月には58人、一昨年6月には49人が殺された。唯単に西部劇の国だからだろうか。

 堤 未果著『アメリカ弱者革命』(新潮文庫)に帰還兵のインタビューがたくさんある。
 「イラク戦争のことはもちろん知っていたけど、テレビでは人が死ぬ映像も映されないし、フセインを倒して喜ばれて、いいことしてるんだくらいに思ってた。でも、実際体験してみたら、全然違ってたよ」

 「訓練期間中、俺たちは同じ言葉をリズムに乗せて何度も繰り返し叫ばされた。『その女を殺せ、その子どもを殺せ、殺せ、殺せ、全員殺せ!』 朝の点呼のとき、食事の前と後、訓練の最中、寝る直前まで、両手を背中の後ろで組んでその言葉を叫ばされるんだ」

 「声が小さいと、見せしめに、頭を固定させられて残酷な映像を何時間も見させられる」「あれをやられたやつは毎晩、悪夢で寝られなくなるぜ、それが怖くて、みんな顔を真っ赤にして絶叫してたよ」

 「あるビル内を捜索している途中に5,6人のイラク男性が入ってきて、アラビア語でなんかわめきはじめた。上官は一言『銃をとれ!』と叫んで・・・何がなんだかわからなかった。マシンガンの音がして、ビルを出るように言われ、出たところでミサイルが撃ち込まれ、そこらじゅうが血の海で、イラク人の家族の手足が散らばってて、さっき僕が目を合せて微笑んだ小さな女の子の体の一部を見たとき、・・僕はポケットからカメラを取り出して、その子のボディーパーツを写真に収めたんだ」

 帰還兵は全員必ずダメージを受けて帰ってくる。PTSDだ。2004年の陸軍の調査ではイラクのアメリカ兵6人に1人が重度の精神障害と発表されている。
 アメリカ兵100万人だから、いずれ治療が必要な者は10万人を超すだろう。

 兵士は兵役中は国防総省の傘下だが、帰還者はVA(退役軍人協会)の傘下となる。しかし、帰還兵用の病院のPTSDの予約は1年先の状況だ。ドラッグ依存症、アルコール依存症もだ。帰還兵のホームレスは全くもって珍しくない。

 ここには銃規制だけでも解決できない闇がある。
 日本に、アメリカ兵の代わりに海外派兵に踏み切って肩代わりしてくれという米為政者の切実さがよく判る。
 そしてその先には、壊れゆくアメリカ社会と同じ行く末がこの国で起こるであろうこともよく判る。
 銃乱射事件を見て、「ライフル協会が悪い」「広いアメリカのことは判らん」という感想だけでは足らないのではないだろうか。
 あまり記録が多くはないが、太平洋戦争後の日本でも現実に起こっていた。
 ドラマではあるが、朝ドラ・カーネーションの勘助の挿話は記憶している。
 最初は「戦争で余程怖い出来事があったのやろな」と思って見ていたが、後で母親がポロッと「あの子もやったんやろな」と呟いた。

   枯葉舞う乱射事件の超大国

2018年11月9日金曜日

原初の神

 平成も終わろうかとしているが、平成の初め頃『探偵ナイト・スクープ』に、各方面から激賞された『全国アホ・バカ分布考』があり、後にプロデューサーであった松本修氏が本にしたのは有名なことである。
 それは、遠く柳田國男の『蝸牛理論』を証明し、乱暴にまとめて言えば、日本列島の遠い地の言葉(方言)はそれだけ古い時代の京(みやこ)の言葉であったというものであった。

来訪神?パーントゥ
 先日、春日大社であったシンポジウムでパネラーが「琉球諸島の宗教は本土の宗教(神道)の原初の姿だ」と述べたのを聞いたとき、その「アホ・バカ分布考」を思い出して非常に納得した。

 シンポジウムでは沖縄の神々についてそれほど突っ込んで議論されなかったが、帰ってから折口信夫の『古代研究 民俗学篇』の「琉球の宗教」という一篇を読み、さらに納得した。

   ついでといえば失礼だが、窪 徳忠著『沖縄の民俗とそのルーツ』をめくってみると、「フィンブン」が出てきた。
 沖縄の家屋の入口の前の壁である。
 石積みやセメント製のものが私の記憶に強くあり、私は「さすがに沖縄は台風直撃の島である」「立派な強風除けの壁だろう」と今の今まで信じていた。
 それが本によると、悪鬼・悪霊を防ぐ影壁・照屛で、中国から東南アジアに広く広がる信仰だということが解って、少々目から鱗の気分である。

 当たり前といえば当たり前だが、世の中知らないことばかりである。
 そして戦前の国家神道が、如何に日本列島の宗教の伝統とは異質な、あだ花であったかということが再認識される。

2018年11月8日木曜日

サトウ・ハチローは偉いのかズルいのか

   もずが枯木で泣いている
 おいらはわらをたたいてる
 綿びき車はおばあさん
 コットン水車もまわってる
 みんな去年と同じだよ
 けれども足りねえものがある
 兄さの薪割る音がねえ
 バッサリ薪割る音がねえ
 兄さは満州へ行っただよ
 鉄砲が涙に光っただ
 もずよ寒くも泣くでねえ
 兄さはもっと寒いだぞ

 昭和10年、サトウ・ハチローの詞である。
 「貴様!この非常時に何たる軟弱な歌詞であるか!」と問われれば、「泣いているのはもずであります」「自分は兄さを思えば泣くでねえともずを叱ったのであります」(鉄砲が光ったのももずの涙?)とサトウ・ハチローは言ったのだろうかという趣旨の別所実氏の文章に接して、笑いながら感心した。

 そして、安倍首相をはじめ閣僚の全員が、聞かれたことに答えない、論点をすり替える、言い逃れを繰り返す、言葉尻を捕らえる等等々、はぐらかしと答弁拒否とご飯論法のことを思った。
 ただただ「寒い」というようなつまらない感情で泣いたとされたもずこそいい面の皮である。

 彼の名誉のために付言すれば、ドスを聞かせて縄張りを宣言し、侵入するものには容赦しないぞ!と鳴いているというのが定説とされている。
 わが庭で雀を襲っているのを見たこともある。
 決して泣いたりはしていない。
 泣いているのは兄さであり、おいらとおばあさんである。当たり前である。
 「いや、泣いているのはもずだ」というのは官邸周辺の論理であろう。

   猛禽の矜恃高鳴く朝の鵙

2018年11月7日水曜日

神は死んだか

 ニーチェの話ではない。
   11月月6日に『旅する神々』というシンポジウムが春日大社であった。
 花山院(かさんのいん)宮司の基調講演に続いて語った方々は、神崎宣武氏、安藤礼二氏、鹿谷勲氏らであった。コーディネーターは奈良新聞論説委員。

 いうまでもなく春日大社は神社神道の代表バッターの一人だし、花山院宮司は藤原氏そのものである。
 一方、神崎氏は由緒ある村社の宮司であるが宮本常一の弟子を任じておられる。
 安藤氏は多摩美大の先生だが折口信夫の思想的後裔とお見受けした。
 鹿谷氏は奈良民俗文化研究所所長である。
 
 ということで、正統派神社神道と民俗的神々の話が飛び交って実に刺激的な半日だった。
 といって、ここで『旅する神々』のことを詳しく書く気はないが、そもそも神はどのように認識されていたか 御旅所へのお渡りの意味は? お祭りと芸能の関係? 野の神と神社の神? 等々私としては満腹感を感じたものだった。

 それよりも、パワポで紹介された行事の数々が、「これは何年前からされなくなった」「この行事も形を変えてしまった」という話があまりに多いことに驚いた。

 戦後と呼ばれた時期、高度成長といわれた時期でなく、ここ数十年から数年の間にも「粛々と」神々は退場していっている。
 村の神々、野の神々は死んだのか。

 医学や技術、政治や戦争や民族問題、ほんとうに哲学が必要とされているのに神々は退場していっている。神だけでなく仏も同様かもしれない。
 で、騒ぐ心を落ち着かせて、内侍道(ないしみち)を通って本殿に移り、全国的にみても非常に古い様式を伝えているという貴重な御神楽を受けさせていただいた。

   平安の神楽舞なり秋の暮

2018年11月6日火曜日

石原莞爾のドツボにはまる

 11月2日の「文字に酔う」のコメントに触れたように、「天子蒙塵」の小説の中で、永田鉄山は石原莞爾を呼び出して会談を行った。

   若い時分、上司に人の名前を説明するとき「石原莞爾の莞爾です」と言って通じなかったので少し驚いた記憶がある。
 満州事変の首謀者石原莞爾は、私たちの世代ならいざ知らず、戦前に青年期を迎えたインテリでもあった上司の世代なら絶対に知っていると思ったのに・・・という驚きだった。

 といって、私が知っているのは受験勉強並みの「満州事変(1931年昭和6年柳条湖事件)の企画・実行者」というぐらいのもので、私が読んだ少なくない近代史の本の中でもその程度の記述が多かった。
 ただその一方、「軍略の天才」「東條英機を容赦なく批判した豪傑」という文章も多々あり、真っ向から石原莞爾の欺瞞性を批判したといわれる佐高信著『石原莞爾』(講談社文庫)でも、著者の意図ではないかもしれないが、ある種「魅力的な人物」?の印象を受けていて複雑な感情を抱いたままであった。

 そのような「もやもや」があったのでコメントにも触れたのだが、コメントにそう書いたために更に「もやもや」が反って膨らんで、つい、保阪正康著『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)を購入してしまった。
 目次は、第一章 東條英機は何に脅えていたのか 第二章 石原莞爾は東條暗殺計画を知っていたのか 第三章 石原莞爾の「世界最終戦論」とは何だったのか 第四章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか 第五章 渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか 第六章 瀬島龍三は史実をどう改竄したのか 第七章 吉田茂はなぜ護憲にこだわったのか である。この目次を見て購入した。

 で、読後感だが、日本国を破滅の一歩手前まで追い込んだ東條英機のあまりに非知性的な精神主義が安倍政権と見事に重なり過ぎるという派生的な知的収穫はあったが、石原莞爾についてはますます判らなくなったというのが正直なところである。
 
 私は、太平洋戦争にかかわる戦記物などを得々と語るのを聞くのがあまり好きでなかったせいもあり、近代史、現代史の知識は園児並みである。そのことの勉強不足を嫌というほど痛感させられただけであった。
 つまり、石原莞爾のドツボにハマってしまった感がある。
 なので今は、石原莞爾を自分の中で整理できなければ、戦前の総括が十分叶わない気分になっている。

 全く異次元の本であるが、昭和天皇独白録の二・二六事件のところに、(昭和天皇)「参謀本部の石原莞爾からも町尻武官を通じ討伐命令を出して戴き度いと云って来た、一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく判らない、満州事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであった」とあったのには、自分の感情と少し似ていてクスッと笑った。
 それにしても、「天子蒙塵」はハタ迷惑な小説であった。

   秋寂ぶや明治150年を読み直す

2018年11月5日月曜日

イカルに逃げられる

 ミニコミ紙を送る「送り状」に私がしばしば野鳥の写真を付けるものだから、毎日カメラを提げて山野を歩き回っているように思われている節がある。
 年に一度のOB会の席で、そのような質問を何人かから受けた。

   しかし実際はわが家から数百メートル以内のものがほとんどである。

 そして・・・、パソコンにその日の血圧などを打ち込んでいるときに、窓の外から美しい声が聞こえてきた。なんやったかなあ、どの辺やろうなあ、そうやイカルや!というのでカメラをとって飛び出した。
 声の方、声の方に行くと、墓地の裏の小山のてっぺんから聞こえてきた。
 それを遠くから300㎜で撮ってトリミングしたのが上の写真である。
 イカルだといっても信じてもらえないほどの写真になった。

 集会所から出てきて「何ですか?」と尋ねられたので、「いい声でしょう」というと、「どこに?」・・・これが普通の会話で、その気でないと野鳥の美声も聞こえない。
 その後、よし、さらに! と山を登ったが、絶好の撮影ポイントまで着いた途端、空高く飛び去って行った。いつもこんなものである。これが私の野鳥写真のパターン。
 今日はボンヤリだが証拠が残せただけでヨシとするか。

   代わりに左の写真のとおり、木の実を啄ばんだカワラヒワを撮影した。
 先日は、わが家の紫蘇畑の紫蘇の実を食べているのを2階の窓から見つけた。
 通常は樹上のカワラヒワを下から撮影するものだから、下にいるカワラヒワの背中を上から眺めるのは新鮮だった。
 模様も色も鮮やかで一度撮影しておきたいと思っているが、スズメ同様ヒトの気配を感じるとサッと逃げるので適っていない。
 

2018年11月4日日曜日

孫とルリコガネ

   コガネムシ上科ーセンチコガネ科ーオオセンチコガネ属は世界一美しいセンチコガネである。
 おまけに地域によって、赤色、緑色、藍色に区分されていて、藍色はルリセンチコガネと呼ばれ、奈良を中心とする紀伊半島の特産である。

 先日、孫の夏ちゃんと二人で奈良公園に行った。
 すると早々に「コガネムシ見つけた!」と言ってルリセンチコガネを摘んで持ってきてくれた。この爺にしてこの孫ありだ。

 私が覗き込んで写真を撮っていると観光客が寄って来たので、① 糞虫であるが美しい。② ルリセンチコガネと呼ばれほゞ奈良公園の特産である。③ いざ見つけようと思うとなかなか見つからない。④ 折角だからよく観察してください。と説明会を行った。

 実際、「今日はルリセンチの写真を撮ろう!」などと思って奈良公園に行っても全く見つからない日もある。そういう日の方が多い。
 「説明会」は、少しでもコガネムシを知っている観光客には感謝・感激をしてもらった。

   そのあとは基本コースである大仏様の鼻の穴くぐりをし、東大寺福祉事業団のチャリティー展に廻った。

 いろんな焼き物が出品されていて、夏ちゃんに「好きなものを買ってあげる」と言っても、当然、夏ちゃんは焼き物などに興味はなくぶらぶらしていたが、そのうちに陶製のボタンをお母さんに買うと言った。

 近頃、早い反抗期というか生意気な口の利き方を覚えたが、心根の優しいところを見せた。
 手芸の得意なお母さんが喜ぶだろうと考えたのだ。
 その心根に感心したので小さな狸の焼き物を買ってあげたが、「こんなンいらん」と横を向いた。無理矢理持って帰らせたがホンネはまんざらでもなさそうだった。
 鹿せんべいをかじりながら秋晴れの奈良公園を後にした。
 イクジイではなく、「孫が爺を見守る」イクマゴの一日だった。

2018年11月3日土曜日

啄木鳥(キツツキ)

   源平盛衰記 巻の十に、『昔聖徳太子の御時、守屋は仏法を背、太子は興之給。互に軍を起しかども、守屋遂被討けり。太子仏法最初の天王寺を建立し給たりけるに、守屋が怨霊彼伽藍を滅さんが為に、数千万羽の啄木鳥と成て、堂舎をつゝき亡さんとしけるに、太子は鷹と変じて、かれを降伏し給けり。されば今の世までも、天王寺には啄木鳥の来る事なしといへり。昔も今も怨霊はおそろしき事也。頼豪鼠とならば、猫と成て降伏する人もなかりけるやらん、神と祝も覚束(おぼつか)なし』とあり、四天王寺に啄木鳥来ることなしと言われているが、近頃コゲラは都市に進出してきている。
 幸か不幸か四天王寺には大木がないが、何年か後に現在の樹木が大木に育てばどうなることやら。

 キツツキの内のアカゲラのことであるが、こんな昔話がある。『釈迦の入滅の折りあらゆる生き物が集まってきた。雀はお歯黒の途中だったがすぐに飛んでいった。啄木鳥は知らせを受けてから赤い布を買いに行き、着物をあつらえそれを着て行った。雀は入滅に間に合い米を食べることが許されたが、間にあわなかった啄木鳥は赤い着物は着ても良いと言われたが、堅い木をつついて虫しか食べさせてもらえないことになった』と・・、

 しかし、キツツキのコゲラ(写真)はわが家の熟柿を食べにくる。「おいおい、お前は虫しか食べんのと違うんかい」と言っても後の祭り。
 都市鳥になりつつあることと併せて、事実は小説よりも奇なり。

 木鐸という言葉があるが、わが家周辺のコゲラ、「黙っていてもいいのか!」と触れて飛び回っていると解そうか。
 石川啄木はこの木鐸からペンネームを選んだのかと思ったが、通説では「故郷のキツツキを懐かしんで」とある。少し残念。若い頃から木鐸説を勝手に信じていた。

2018年11月2日金曜日

文字に酔う

   小説に引き込まれて夢の世界に酔っている。
 題名は『天子蒙塵』。
 浅田次郎氏の第1部『蒼穹の昴』、第2部『珍妃の井戸』、第3部『中原の虹』、第4部『マンチュリアン・リポート』に続く第5部に当たる。
 第4部まで楽しく読んできていたから、文句なしに購入した。

 近代とはどういうものであったのか。
 物語を追いながら深く考えさせられた。
 舞台は中国であるが、日本の物語でもある。

 ハッとしたのは七十一章、満州国皇帝即位前夜であった。
 日本の特務機関員が大動員され、それぞれが「南満州鉄道新京支店」「三井物産新京支店」「大倉商事新京支店」などと名乗るとの記述であった。

 私の祖父は父方も母方も私が生まれる以前に亡くなっていたが、母方の、つまり母の父は若死であった。
 その祖父は上海で「〇〇公司」という会社を経営していたが、そもそもは大倉喜七郎の片腕だったと聞いている。大倉商事である。
 そしてその妻、つまり私の祖母は上海で、汪兆銘政府の高官夫人らとダンスパーティーに興じていたと伝わっている。
 母は小さい頃フランス租界で迷子になって怖かったと私に昔語りをしていた。

 まさか、私の祖父は特務機関・スパイだったのでは???などと想像した。
 何の根拠もない夢物語である。文字に酔った妄想である。
 若死といっても暗殺されたらしい形跡はないし、猟銃が好きで江南の地で鴨の殺生が過ぎたので若死したと周りの者には言われていたらしい。

 ただ、小説の時代は遠い時代劇の時代ではなく、私の祖父の時代なのだと思うとこの小説がリアリティーを帯びてくる。(天子蒙塵の時代は昭和であるから、もう父母の時代の真直中)
 こうして小説に酔うのは楽しい。しかし酔いっぷりは少し尋常ではない。もしかして、私の中には大陸浪人の血が混ざっているかもしれない。

2018年11月1日木曜日

古代史を修正するな


1029日に衆議院本会議であった政権与党・自民党の代表質問(稲田朋美氏)によると、「歴史を遡れば、聖徳太子の『和を以て貴しとなす』という多数な意見の尊重と、徹底した議論による決定という民主主義の基本は、我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありません」らしい。

   TV番組のタイトルなら、さながら「飛鳥時代から民主主義だった日本はスゴイ!」だろう。
内田樹氏風にいえば、こういうのは「知性を欠いているのでなく、知性を憎んでいる」レベルの珍説だと私は思う。
   例えば敗戦後まで女性には参政権すらなかったが、民主主義国家だったのだと!!

   国民の大多数はあまりにバカバカし過ぎてそんな舞台に登らないだろうから、あえて私はその舞台に乗ってみよう。
さて、日本書紀に記された十七条憲法第一条は巷間「和を以て貴しとなす」という文言だけが独り歩きしている感があるが、正しくは「和を以て貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」と続き、さらに続いている。稲田さん、引用するなら条文は正確に述べましょう。

そして第三条の主文は「詔(みことのり)を承(うけたまわ)りては必ず謹(つつし)め」で、その意訳は「天皇の命令には必ず従いなさい」東野治之著『聖徳太子』(岩波ジュニア新書)である。

どちらかと言えば、豪族割拠の飛鳥時代の現実を超えて(それゆえに聖徳太子の作ではないという説もあるが)、当時としてはありえないような君主絶対の理念や体制が説かれている(書かれている)というのが特徴で、結論は稲田発言と真逆である。

稲田朋美氏は、大多数の国民は十七条憲法など読んでもいないだろうと、一部を摘んで曲解した珍説を国会の場で発言したのである。いや騙そうとしたという方が正確だろう。

現代社会の稲田朋美氏の数々の無責任や特異な右翼思想については多々批判されているが、古代史を学ぶ一市民としてこんな珍説は絶対に許せない。

 ということを声を大にして言いたいのは、戦前は、例えば美濃部達吉氏の見解も津田左右吉氏の見解もごく普通の学問であった。今から見ると現実の天皇(制)にも配慮したような極めて穏健な学説であった。
   それを、右翼思想に駆られた軍人らが「それでも不満」と攻撃し、狂信的な皇国を造っていったのである。

 当時もごく普通の常識人は「そんな馬鹿な」とは思っていたが、大きな声に出さぬまま「声の出せない」戦前が完成したのである。
   古代史を修正するものは実は近代史の修正を本丸としているのだ。そしてそれは現代に繋がっている。
   珍説・狂信を鼻で笑っているだけでは済まない所以である。タイトルはやはり「近代史を修正するな!」だったかな。
   (この記事は「聖徳太子」等世間一般の用語を用いて書いている)

   10月12日の教育勅語のときに書いたが、稲田論法は「山口組の綱領には善いことが書いてあるから山口組は立派な団体だ」と言っているのと全く変わらない。