2016年8月30日火曜日

NHKの番組を日刊ゲンダイが評価

   「あのNHKが安倍政権の原発政策を一刀両断」と日刊ゲンダイが評価している。
 「ライブだったからか、NHKが26日(金)深夜に放送した討論番組「解説スタジアム」は衝撃だった」という。 
 NHKの解説委員7人が、「どこに向かう 日本の原子力政策」というタイトルで議論したのだが、日本の原発政策のデタラメと行き詰まりを赤裸々に語っているのだ・・と。
 残念ながら私は観ていなかったので、日刊ゲンダイデジタルから以下のとおり一部を引用する。

   ■日本の原発政策を完全否定
 ある解説委員は、「アメリカは、地震の多い西海岸には設置しないようにしている。日本は地震、津波、火山の原発リスク3原則が揃っている。原発に依存するのは問題だ」と日本の国土は原発に適さないと指摘。

 再稼働が進んでいることについても、「規制委員会が慎重に審査しているとしているが、審査の基準が甘い。アメリカの基準には周辺住民の避難計画も入っているのに、日本は自治体に丸投げだ。こんな甘い基準はない。安易な再稼働は認めるべきじゃない」と正面から批判した。

 「規制委員会は(再稼働にお墨付きを与えておきながら)『安全性を保障するものではない』としている。
 だったら地元住民はどうすればいいのか」「政府は責任を取ると口にしているが、(事故が起きた時)どうやって責任を取るのか。
 カネを渡せば責任を取ったことになるのか。
 災害関連死も起きている。
 責任を取れないのに、責任を取ると強弁することが問題だ」との批判も。

 さらに「もんじゅ」を中核とする核燃料サイクルについても、「破綻している」「やめるべきだ」とバッサリ斬り捨てた。

  そして、最後に解説委員長が「福島原発事故では、いまだに9万人近い方が避難生活を強いられている。安全神話は完全に否定され、事故を起こすと、いかに手に負えないかを知ることになった」と締めくくっている。

  「政治、経済、国際、科学……とさまざまな専門分野を持つ解説委員が、原発の危険性、核燃料サイクルの破綻、原発の高コスト、最終処分場が決まらないこと、さらに政府と官僚の無責任さなど、問題点を次々に明らかにする議論に引き込まれた。日本の原発政策がいかに矛盾しているか浮き彫りにしてくれた。よくぞ、放送したと思いました」との声も載せている。

 深夜23時55分~午前0時49分という視聴者が少ない時間帯だったから、自由に討論ができたのだろうか。
 あるいは、上層部は腐っていても番組を作る現場はジャーナリズムを失っていないのかも知れない。
  本来なら参院選の前に放送すべきだったのだろうが、いったん再稼働した高浜原発が裁判によって止まり、鹿児島県知事が川内原発の停止を九州電力に要請したタイミングで放送した意味は大きい・・とも。
  
    ■「即時ゼロ」でも困らない
  安倍首相さえ決断すれば、日本は簡単に「原発即時ゼロ」を実現できる。原発を全面的に廃止しても、まったく困らない。 
 この5年間、実質「原発ゼロ」でやってきたが、弊害はひとつもなかった。
  「3.11の後、原子力ムラは『原発を稼働させないと電力が不足する』『突然、停電したら医療機器がストップして死者が続出する』と散々、国民を脅してきた。
 でも、原発を稼働させなくても電力は十分に足りた。
 国民の節電意識が進み、省電力家電が増えたからだ。
 これから人口が減る日本は、さらに電力需要が減るだろう。
 その後、原子力ムラは『原発を稼働させないと電力料金が上がる』と新たな理屈を持ち出したが、その主張も説得力を失っている。
 原油価格が下落したために、火力発電のコストが大幅に下がっているからだ。
 それに、NHKの解説委員が指摘した通り、『原発はコストが安い』という電力会社の言い分にはマヤカシがある。
 確かに、短期的なランニングコストは安いが、建設から廃炉までトータルで考えたら、原発のコストは高い。
 イギリスでは、原発の建設に対して金融機関が融資しなくなっているほどだ」とも述べている。

 そもそも、いまだに福島原発事故の原因さえ解明されず、いつ廃炉できるのかメドさえ立っていないのに、危険な原発を再稼働させようという発想が間違っている。 
 福島原発は100年後も廃炉できないのではないか。 
 それでも、安倍政権と原子力ムラが世界を騙し、危険な原発ビジネスに血道を上げているのは、カネになるからだ。
 その正体がバクロされれば、安倍政権は窮地に陥り、さらに「原発即時ゼロ」に追い込まれていくだろう。

 NHKの解説委員長が番組の最後に語ったように、原発は人間の手に負えないモンスターである。
 NHKが正面切って批判したことで、原発という悪魔の退治が始まるのか。政府のデタラメがことごとく明らかになった以上、それを決めるのは世論の盛り上がりなのである・・と、記事は書いている。
 再放送があるとすれば是非とも視聴したいものだ。

2016年8月28日日曜日

テロ豪雨

   この記事をアップした「いま」は雨かも知れないが、先日来我が街では猛暑が続いていた。
 テレビでは生駒山の西側や奈良県南部の大雨洪水警報が度々報じられたが、どういう訳か我が街は上手く外れていた。

 この頃はゲリラ豪雨という言葉をあまり聞かなくなったが、報じられているところでは今年の豪雨はもっとピンポイントで発生している。テロ豪雨みたいだ。

 25日もそんな日だったから、庭の水やりをしてから孫をクルマで送って行った。
 すると、ちょうど奈良市街あたりにテロ豪雨が見てとれた。それが車内から窓ガラス越しに撮った写真で、ほんとうにピンポイントで雨が降っている。

 車内で「本当にピンポイントやね」と話しながら走ったが、道路は少々渋滞で、そのうちにフロントガラスに小さな雨粒が落ちてきた。
 そして、到着して駐車場から玄関まで行く段になって、一瞬にして大粒の豪雨になってしまった。ああ。
 テレビで報じられていたピンポイントもこうだったのだろう。
 それにしても何というタイミングだろう。ああ、あの渋滞がなかったなら・・・・・、

 そして、帰りしなには小雨になったので、家に向かって快適にクルマを走らせた。
 で、ご想像のとおり、ほとんど雨上がりのドライブを終了し、わが家に到着した途端、ドアからガレージ、ガレージから玄関まで走るのを躊躇わせるほどの豪雨になった。何ということだ。

 この日の雨は、地図上のピンポイントではなく、レーダーによる爆撃の如く、私を狙い撃ちにしたような感じがした。
 やっぱりテロ豪雨である。

 ただ、非常に汚れていた車体が綺麗になり、洗車の手間が省かれた。

2016年8月27日土曜日

負けて泣く

   オリンピックつながりで思ったことを書いてみたい。
 高校野球ともダブっている。
 「何時から日本人はこんなに〝負けたときに泣く”ようになったのだろう」という疑問である。
 「従来の〝負けて涙を見せてはいけない”的な社会規範こそがタテマエ社会の象徴なのであって、悔し泣きできる今の方が素直で自然なんだ」という意見もあるだろうが、個人的には「負けて泣くな!」とテレビのこっちで呟いている。

 どちらかというと私は涙もろい方である。映画やテレビで感動した場合には泣いてしまう。だから、金メダルであろうとなかろうと、勝ったときに泣く感情はよく分かる。そういう選手を見てこちらも感動して涙が出ることもある。
 しかし、負けたことで泣くメンタルが私には解らない。そんなときは〝心の中で泣いて”納めるべきではないのか。
 もしそれが、周りの重圧へのお詫びの涙だとしたら、一層鼻白む。

 妻に「面白いよ」と教えてもらった朝日新聞25日夕刊の三谷幸喜さんのコラムが愉快だった。
 マラソンの福士加代子さんの14位で終わった後のインタビューについてで、
 「金メタル獲れなかったああああああ」と笑いながら叫んだそれに、その態度が不真面目だとパッシングが起っていることに「これが目くじら立てることなのか」と反論している。
 福士さんは国内大会のときも「リオ決定だべ」と言ったが、これらを三谷さんは「照れ屋さんなのだろう。それに何か面白いこと言わなければ気が済まない性分が加わり、こうしたコメントになるのではないか」と分析し、当たり障りのない言葉に逃げない素晴らしさ、非難する人が出ることを分かった上で受けて立つ度胸と褒めたたえている。
 三谷評あっぱれ! このコラムにメダルをあげたい。

 それよりも、彼ら彼女らをして号泣させた歪んだ「周りの重圧」こそ分析し批判しなければならないのかもしれないが、それほどスポーツ界に詳しくないのでそれはおく。

 重ねて言うが、おじさんは思っている。 負けて泣くな! 勝って泣け! 

2016年8月26日金曜日

君が代について

   オリンピックの感想に続いて「君が代」についての私見を書いてみたい。
 「君が代」の歌について、戦前は「君」とは天皇のことであるとされてきた。これは100%まぎれもない事実である。
 なので、新しい憲法下でそういう歌を踏襲するのは適当でないとの主張は至極妥当なことである。(先日の象徴天皇のお言葉を思い起こすだけでも理解できる)

 ただ、政府見解などは別にして、純粋に偏見なく学問的に検討すればどうだろうか。
 その一番の基となるのが古今集の「我が君は千代に八千代に・・・」だろうが、だとすれば、その古今の「君」は「あなた」であることは明らかだ。
 「我が君は・・」が「君が代は・・」に変形した鎌倉時代の和漢朗詠集の伝本(それ以前の和漢朗詠集は「我が君は」のまま)も、「君が齢」であり「あなた」であることを疑う必要はない。
 このため、この歌詞は後で述べる隆達節をはじめとする流行り歌・祝い唄としてその後も折々に一部変形したりしながら採用され歌われてきたと思われる。

 なお、中近世には、天皇の御代、将軍の治世の意味で「君が代」と歌われた和歌が皆無ではないが、圧倒的には「君が代は」と歌われた和歌は前者の「君が齢」として歌われてきている。

 さて、今日に繋がる「君が代」について、世間の通説では薩摩の大山巌が薩摩琵琶歌「蓬莱山」の中から採ったと言われているが、彼自身は「平素愛誦する君が代の歌を提出した」と言っているだけである(大山の副官林田芳太郎覚書)。
 「薩摩琵琶歌からだと思う」と言ったのは後の文部官僚和田信二郎で、「君が代と萬歳」に書かれているがあくまでも和田や大山周辺の想像の意見である。
 しかも、蓬莱山の歌詞を見ると、その中の一部に「君が代は・・」と出てくるが、「・・苔のむすまで命ながらへ・・」と続くので、和歌として独立していないから、この通説の信ぴょう性はないとは言わないが結構低いレベルと思われる。

 それにしても、戦前の国定の見解は「蓬莱山」から採ったというもので、「天皇の御代」であったことは間違いない。
 それを学校教育で徹底したことも間違いない。
 という事実を重視すれば、議論の余地はないかもしれない。・・・しかし、

   一呼吸おいて検討を進めれば、「蓬莱山説」よりも、今の「君が代」の歌詞にドンピシャなのは小唄等の基となった隆達節である。
 江戸初期に堺の僧高三隆達(たかさぶりゅうたつ)が始めた「隆達節」のいわばイの一番の歌詞がこれで、なのでその「君」が「あなた」であることは議論の余地がない。

 なお幕末頃には隆達節がリバイバルで流行ったと言われている。
 だから最も蓋然性の高い推測をすれば、大山たち薩摩の兵隊が江戸~薩摩の旅の要所要所の遊里で習い覚え歌っていた流行り歌(隆達節~小唄)こそが「君が代」の母であろう。

 もう少し想像の翼を拡げれば、当時の薩摩の海外(琉球)貿易の拠点は堺であって、その頃の堺は薩摩と非常に密接な地であった。
 隆達節の故郷堺の遊里で、薩摩武士がこの「君が代」に親しんでいなかったと想像することの方が難しい。

 別の角度から考えると、「蓬莱山説」だとしても、その中の古歌としての「君が代」は古今集~和漢朗詠集~隆達節等の種々の流行り歌の引用であるから、この古歌の「君」は何かと考えると、「あなた」だと言って大きな誤りはないのではないか。

 以上の諸事実を押さえると、非学問的な戦前の誤った解釈(「君」とは「天皇」)を「誤りである」と国民的規模で正しく理解するとすれば、この歌詞はそんなに悪い歌詞ではない。と、私は思うのだが・・・
 恋歌として流行った側面もあるが、基本は「あなたの長寿を願う」祝い唄だと思うのだ。
 ただし、戦前の歴史の垢が付きすぎていると思うか、古臭いと思うか、「遊里の恋歌の側面が強い」と思うか、旋律が嫌だと思うかという好みの問題はある。
 さらに、それを歌うことを強制し、罰するなどというのは三流の独裁国家のすることだし、してはならないと考える。

 また、現に教員等が「歌え」との強制に異議申し立てをしただけで各種処分がなされている等々の現状からみてそんな簡単に「偏見のない検討」などできないという意見も解らないわけではないが、権力者の非科学的非学術的見解に機械的に反発して検討を停止してはならないような気がしている。
 思いきってこんなことを書いてみたのも、日頃頭の中に「メッセージの伝え方」という問題意識があったからで、民主的な人々がもっと自由闊達に議論する必要があると考えて、小さい石ころを投げてみた次第である。

2016年8月25日木曜日

オリンピックと君が代

 「オリンピックの君が代は、ついて歌うこともできないほど無茶苦茶にスローテンポやった」と、友人から教えてもらった。
 興味のなかった私には初耳だったのでネットで調べてみると、それはJOCが用意したもので1分17秒とあった。
 NHKの番組終了時等に流れるのが57秒らしいからスローテンポであったことは間違いなさそうだ。
 ただ、法律にはテンポの定めがないということも知ったから、テンポは好みの問題かもしれない。

   23日に朝日新聞が「スポーツと国歌」を大きく取り上げていた。
 私には志田陽子氏の指摘が一番深い考えに裏打ちされているように思えた。
 氏の発言を読むと・・・

 オリンピック憲章第6条に「オリンピックは・・・選手間の競争であり、国家間の競争ではない」とあること、
 同憲章で国際オリンピック委員会と組織委員会が国別のランキング作成を禁止していることなどを指摘していて目から鱗の感がした。

 続けて、歴史を振り返れば、ナチスのようにスポーツや芸術が国威発揚や戦意高揚に動員されたため、五輪憲章も日本国憲法もその反省に立っているとの指摘も重要なことだろう。

 なので、東京の組織委員会会長森喜朗元首相が「国歌を歌えないような選手は日本の代表でない」発言を大変残念なことだと批判していることは当然のことだと私は思う。
 森喜朗氏はオリンピック憲章や日本国憲法の精神をわきまえておらず、その職責に相応しくない。

 なので、森発言をはじめ、NHKが番組でオリンピックの意義を「国威発揚」だと堂々と不適当に解説したことや、民放も含めてやたらに「日の丸を背負って」というような言い方を繰り返したり、メダル至上主義の放送を繰り返したことを、オリンピックの個々のシーンに感動した人々はやはり理性的に批判する必要があるだろう。

 自分の所属する集団や国や民族の活躍を喜ぶのは普通のことだろうが、過度にそれを強調するのは後進国(民族)だし田舎者だと私は思う。
 というよりも、全体主義やヘイトスピーチと紙一重になる危険性を現代人は噛みしめる必要がありはしないか。
 手放しのスポーツ礼賛、スポーツマンシップという言葉の多用の陰で、多くの種目で、勝利した日本人選手が、ともに闘った他国の選手に挨拶もせずにはしゃいでいた方が見苦しいし、その種の指摘がメディアから聞こえてこないのも悲しい。(一部の選手は試合後に互いの健闘を讃えていたが)
 
 今回は柔道の吉田選手が銀に終わったことで見ていられないほど落胆していた。
 過去には同じように期待されながらメダルが取れなかった選手が、国賊とまで批難され、ノイローゼになったという話も少なくない。
 テレビを見ながら、日本という国の程度は辺境の後進国のままだろうかと寂しくなった。
 「君が代」については明日に続く・・・

2016年8月24日水曜日

地蔵盆 夏の終わり

 フェースブックは「今日は〇〇さんのお誕生日です。お祝いのメッセージを送りましょう」と、私のフェースブック友達の誕生日を知らせてくるが、全く余計なお世話だと思って対応したことは一度もない。
   そのフェースブックに、見た覚えのある写真が掲載されていた。
 そういう「お世話」のひとつで、「貴方が3年前に投稿した写真です」という。
 大阪の街を歩いているときに撮った、典型的な町内の地蔵盆の写真だった。

 地蔵盆は、多くは町内の小さなお地蔵さん単位で行われるお祭りで、旧暦の7月24日に行われる。
 それを大阪では、月遅れの8月24日に行い、後に知ったことだが奈良市では新暦の7月24日に行うところが多い。
 多くは町内のお地蔵さんであるから境内などがあるわけがなく、お地蔵さんの前の道路上にいすを並べて、道路上に提灯を張るのである。道路交通法より上位の慣習法と言えるだろう。
 大人たちの短い読経があり、その後子どもたちは盆踊りをし、メーンは西瓜を食べたりジュースを飲んだりで、最後は花火をして、たくさんのお供えのお菓子を貰って帰るのが私の知っている地蔵盆だった。

 わが家には道路に向かって道祖神がある。
 友人の僧侶に開眼法要の読経もしてもらった。
 いつかこの「なかよし地蔵」で地蔵盆をしたいと思っていたが、しないままに今日に至っている。

 小さい頃、地蔵盆は夏休み最後のイベントだった。だから、半分は「もう夏休みが終わってしまう」という寂しい気分が背中に乗っていた。
 そんなことを思い出したのもフェースブックの余計なお世話のせいだから、「余計」ではなかったと言っておこう。


   スノウさんから、オオルリのヒナが成長して巣立ちしたという右の写真をいただいた。
  コメントは8月9日の「オオルリが孵った」の記事にいただいた。
 (http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2016/08/blog-post_9.html)
 スノウさんはオオルリの子育てのためにこの夏の別荘利用は相当遠慮したらしい。
 爽やかな山の風をいただいた。
 
 地蔵盆といい、巣立ちといい、気温は高いが確実に夏も終わりだという感じがする。

2016年8月23日火曜日

やはり8月

 先日から、ある会報の編集に係っていると、意外なほど、寄稿者から寄せられた原稿の多くが戦争や軍隊に関するものだったので、改めて少し驚いた。
 生活や福祉の課題よりもそうなるのは、それだけ戦争法の具体化や改憲の危険性が感じられているからだろうか、それとも、8月という月がそうさせるのだろうか。
 そんなことを思いながら22日付の朝日俳壇、朝日歌壇を読むと、戦争だけではないが・・・

 五七五の旅に出ようか風天忌 (津市)西 をさむ 
 かなかなや殺(あや)めざる人至高なる (高岡市)野尻徹治
 遅かりし玉音にして原爆忌 (三木市)酒井霞甫
等の句が目についた。そして、

 「石棺」は取り消されても語の陰の見えぬ廃墟の見えてくる夏 (福島市)青木崇郎
 水田にフレコンバッグが連なって避難解除は机上で進む (会津若松市)赤城昭子
 自衛隊は軍隊ならず隊員は戦争に行かずとお見合いしたり (松戸市)猪野富子
 障害を持つも老いるも一つこと排除の刃われへと向きぬ (長野市)栗平たかさ
等の歌も・・・

 もちろん、風刺だけに句や歌の意味があるわけでもないだろうし、
 扇風機似合ふ夫婦となりにけり (長野市)懸 展子
 夕立は来ぬと見切りて水を遣る (東かがわ市)桑島正樹
 ビーナスの誕生となり天花粉 (東京都)大網健治
等もクスッと笑えてよかった。

 触発されて川柳もどきの俳句を作ってみた。
 「どうやろか?」「恥をかいたらええのん違う」と妻が言ったので、先の会報の原稿の一つにした。
 二重投稿はあかんので、会報が発行されてから掲載したい。・・というほど大層なものではないのでこの話は忘れてもらいたい。

2016年8月22日月曜日

ツクツクホウシとギンヤンマ

 19日に奈良公園の吉城園を覗いた。
 いつもの池にオタマジャクシは泳いでいたが、子蛙は一匹も見つけられなかった。
 前々日に大雨があったから、それに乗じて森に帰って行ったのだろう。
 庭師の方に聞くと、昔は少し森の方の「茶花の庭」あたりの草原に親蛙がいくらもいたという。
 しかし、雑草は庭園に相応しくないと手入れを徹底し、挙句は除草剤まで使用してからめっきり見かけるのが減ったらしい。
 
   気を取り直して庭園を散策した。
 萩の花が美しく、季節は秋だと実感した。(立秋は過ぎた)
 蝉も選手交代らしく、昼間の代表はツクツクホウシに代わっていた。
 先日はヒグラシを書いたが、ツクツクホウシの鳴き声も味わい深い。
 ただ、昼間ということもあり、残暑とセットでイメージされるから、ヒグラシのようには寂しい気にはならない。

   大きな池をギンヤンマが悠々と旋回していた。
 子どもの頃、捕獲するのが非常に難しかった代表だ。
 オニヤンマほどではないが結構大きく、色はというとオニヤンマよりも格段に綺麗なヤンマだ。
 妻と話していたら、家の中でギンヤンマを糸で結んで飛ばして遊んでいたらしい。
 結構やるではないか。

 先週は吉城園に行かなかった。病院の都合で来週も行く予定がない。
 2016モリアオガエル日誌も、このように何となくフェードアウトしていくのだろうか。

2016年8月21日日曜日

メッシュベスト ピンからキリ

   天気予報では「今日の最高気温は38度でした」というようなニュースが近頃続いている。
 記憶違いかもしれないが、私が小さかった頃は暑い暑いと言っても33度までだったような気がするのだが・・・
 「地球温暖化」に異論を唱えている人もいるが、私は素朴に「温暖化している」と感じている。
 各種データも北極海の氷もそれを示している。

 そんな熱い夏に外出するときには、少なくとも財布、小銭入れ、免許証と各種カード入れ、スマホ、家や自動車のキー一式をどのように持つのかが悩ましい。
 場合によっては、ピタパの入った名刺入れ、自転車のキー、ペン、メモ帳も加わる。
 もっと加わるときには、バッグなりザックなりを利用するが、そうでない場合、ズボンのポケットでは溢れかえる。
 だからといってポケットのついた上着を着るのは暑過ぎる。

 なので私は、メッシュのベストを2着持っており、そのポケット機能を活用している。背中は全面的にメッシュである。
 今回、そのうちの1着に入れてあったボールペンのインクが染み出してベストを大きく汚してしまったので、買い替えることにした。

 先ず、格好のいいイメージがあったのでモンベルに行ってみた。
 結構多機能のかっこいいトレッキングメッシュベストがあったがその値段は12,500円+税だった。
 そこで、私の中の「大阪のおばちゃん的要素」に火がついた。
 お洒落着でもないからこれは何が何でも高すぎる。
 それに、背中(腰)の地図帳も入る大きなポケットは暑さ対策上は全く余計なお世話だ、と。

 さて、経験的にいうと、カラビナをはじめ登山道具と大工道具には大いに共通点がある。
 ならば、少々カッコは悪いがコーナンなら屋外工事従事者用のもっと安いのがあるはずだ。
 と考えて、数日後コーナンに寄ってみると、私を待ってましたとばかりに売れ残りが数点ぶら下げられていた。
 値段は680円+税だった。

 「安もん買いの銭失い」という諺があるが、失って後悔するほどの値段にも至らない。
 惜しむらくは肩の部分までメッシュであって欲しかったがしようがない。なにせ680円だ。
 東京のお方はこういう記事を「馬鹿じゃないの」と思うようだが、大阪人は何故か自慢したくなるのである。

2016年8月20日土曜日

核先制攻撃容認論

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   15日付けのワシントン・ポスト紙が報じたところでは、オバマ大統領の検討している核兵器先制不使用宣言に対し、安倍首相が「北朝鮮のような国々への抑止力が弱まる」と、米太平洋軍司令官に反対の意思を表明した。

 安倍首相の論理は、「そんなきれいごとでは相手に弱そうだと舐められる」というように肩をイカラセル中学生の不良グループの論理だと私は思う。

 一般的な自衛権のことを考えると、日本国内で日本国民の危険が現実のものとなった場合は、警察、海上保安庁、そして現状の自衛隊の自衛力で対処すべきだろう。
 だが現実は、周辺国との国境線をめぐる意見の対立はあるが、それ以上の危険が何処に生じているだろうか。
 冷静に考えて、国境線をめぐる対立は外交の力で粘り強く対応するしかない。
 
 次いで自衛権と核兵器の関係でいえば、先進各国や国連でも、地球を壊しかねない兵器、非人道的兵器は自衛権といえども容認できないというのが世界の趨勢だろう。
 毒ガス兵器の禁止などはそのひとつであり、その論の延長で核兵器の全面的禁止をどう展望するかというのがオバマ氏をはじめとする各国首脳の課題となっている。
 「悪い奴を懲らしめるための戦力ならすべてが許容される」というなら、毒ガス兵器禁止協定も不当なものということになる。

 そもそも防衛白書さえ、北朝鮮の核開発は「米国の脅威に対抗する独自の核抑止力が必要」と考えているからだと、主には米朝間の不信の連鎖だと認め、核抑止力論では際限なく軍拡するしかないことを認めている。
 重ねて言うが、だから冷静な議論が大切だ。
 核不使用共同声明は国連加盟国の8割、155か国が賛同しているのだ。

 余談ながら、先日来尖閣諸島沖に中国漁船が大挙押しかけ中国公船も混じっているとNHKが大々的に報じていたが、その場所は日中漁業協定に基づく暫定措置水域で、禁漁期明けに中国漁船が押し寄せ、それを取り締まる中国公船が来ていることは全く持って不思議なことではない。
 この水域で中国漁船が漁をすることも中国公船が来ることも日本は認めて協定しているのである。
 それを、まるで中国船団が領土を侵略しに来ているかのように報じることは怖ろしい思想統制ではないか。

 18日付け朝日新聞にピーコさんのインタビュー記事があったが、そのくだりに・・・
 永六輔さんのNHKの追悼番組に出て、「永さんは戦争が嫌だと思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちの方向に向かっているので、それを言いたいんでしょうね」と言ったら、そこがばっさり抜かれていた・・・と書かれていた。

 現実にこの国がおかしくなっているのは、オバマ大統領の核兵器先制不使用宣言ではなく、安倍首相の憲法改悪の蠢動と、その提灯持ちをして国民を煽る「国営放送」だと私は考える。

2016年8月19日金曜日

掃除機の買い替え

   永年使用してきた掃除機のプラグ周辺が発火しそうなほど熱く感じるのが大分以前から気になっていた。
 ちょうどストックしてあった紙パックもなくなったし、そろそろ買い替え時かと思いネットで掃除機の品定めを始めた。
 しかし、ネット上の情報はどちらかというとイメージばかりで、大袈裟にいうと写真と値段の一覧のようなものだった。
 テレビのCMが記憶にあったジャパネットたかたもそうだったが、その中でまあまあ値段は安い方だと感じられた。

 そのため家電量販店に行き、「何故こんなにいろんな種類があり値段の幅があるのか教えてほしい」と尋ねてみた。
 その結果解ったことは、大きく分けて従来の紙パック式、サイクロン+フィルター式、二重サイクロン式があるということで、集塵力にはそれほど差がないということだった。
 あえて言えばサイクロン式には紙パックの購入の必要がないこと、後者に行くほど排気が綺麗であることぐらいで、後は布団掃除等の付属器具の多少であった。

 そこで単刀直入にスマホでジャパネットたかたの売れ筋クリーナーを見せ、このレベルで対抗できる品はどれかと聞いてみた。
 答は、ジャパネットたかたのは二重サイクロンの少しだけ古いタイプだが、付属器具を含めて対抗できる商品はないということだった。
 端的に言えば、家電量販店の店員が、ジャパネットたかたの方が安いと認めたのだ。
 店員の説明代としてよく似た商品を購入してやることも考えたが、後後の使い勝手も考えて家電量販店を後にした。

 帰宅してネットで購入したら翌日には到着した。
 ジャパネットたかたを初めて利用したが、この件に関しては不満はなかった。
 段ボール箱は凜ちゃんのベビーベッドに変身した。作品のオリジナリティーを尊重して修飾は控えている。
 量販店の丁寧に教えてくれたお兄さん、ありがとう。

2016年8月18日木曜日

朝日新聞にひと言

   17日付け朝日新聞大阪版夕刊にシリーズの「関西遺産」というコーナーがあり、関西弁で七を「ひち」と呼ぶことについて大きく取り上げられていた。
 大きな写真は天神橋筋七丁目商店街で、アーケード正面の大きな看板には「てんひち」と書かれていた。
 それに対して意外に思ったというか、半分腰を抜かしたのは本文中の京都の七条商店街振興組合理事長で、「ななじょう」との対応の話ではあるが、「しちじょうを守りたい」と答えていた。
 関連して、七条通り沿いの店10軒では、「しちじょう」が4軒、「ななじょう」が5軒、「ひちじょうかしちじょう」が1軒ということだった。
 
 大阪では、かつて質屋の看板は「ひち」と大きく書かれていたから、その感覚からすると京都の七条は「なんと矜持がないことよ」と思ってしまう。
 「ななじょう」のことは置いておく。

 こんな記事を書くのも、2011年のことを思い出したからである。
 当時、土曜か日曜の特別版に文芸かなんかの著名人の寄稿がシリーズとしてあった。
 その中で、上方唄(端唄)の「松づくし」が載っていた。
 先ずはその歌詞を書いてみる・・・
   一(いっ)本目には池(いけ)の松
   二(に)本目には庭(にわ)の松
   三(さん)本目には下(さ)がり松  四本目には志賀の松  五本目には五葉の松  六つ昔は・・  七本目には姫小松・・・・
 で、なんとその七本目に「しち」とルビが振ってあったのである。
 お気づきのとおり、「い」と「い」、「に」と「に」、「さ」と「さ」と掛けていくのであるから、姫小松に掛けるためには「ひち」でなければ成り立たない。事実、東京であってもこの歌は「ひちほんめ」と唄う。

 私はこれは筆者が付けたルビではなく、朝日新聞東京本社の校閲部あたりが付けた大失策だと考えた。
 想像だが、普通に大新聞が七にルビを振るだろうか。思うに、もしかしたら著者は正しく「ひち」とわざわざルビを振っていたのではないだろうか。だとすれば、至極当然で著者の心配りさえ感じる。
 それを、校閲部あたりの馬鹿者が、「こんな間違いは通せない」「標準語を教えてやらなければならない」「でないと朝日の権威が失墜する」などと思い違いをして、「しち」というルビになったのでは・・・などと想像するのは的外れだろうか。

 なので私は、朝日新聞大阪本社宛にファックスでその誤りを指摘し、電話もした。
 しかし、朝日新聞からは私あてに何ら回答もなかったし、そのシリーズの続編で訂正等の記述もなかった。
 なのでそのとき、朝日新聞には「誤りを素直に認めない傲慢さがある」と私は記憶した。
 
 「ひち」の話は、井上章一さんの「京都ぎらい」にもあったから、出版元の朝日新聞出版にもこの経緯(いきさつ)を読者の声欄にメールした。

 朝日新聞はもう少し謙虚になるべきだ。「七」という漢字が「しち」だというだけの理由なら、大阪の「十三(じゅうそう)」は「じゅうさん」とルビを振るのか。
 17(じゅうひち)日の記事を読んで、忘れていたそんなつまらないことを思い出した。

2016年8月17日水曜日

お盆の送り火

   京都五山の送り火は立派な行事だが、我々遠くの者からすると舞台の向こうで演じられている催しのような気がしないでもない。
 そんなものだから、観客ではなく主体的に、ささやかな送り火を庭先で焚いた。
 
 この間から、誰もが当然と思っている共通認識も50年~70年経つと歪んでしまう※ことがあると書いてきたから、ただただ記録だけのためにお盆の思い出を以下に書いておくと、(※日本史の森をゆく) 
 旧堺市街に住んでいた我が家では、お盆の最後には市(いち)小学校近くのお寺に参るのが決まり事だった。
 おぼろげな記憶を頼りに地図を探してみると、一光寺だろうか。私の記憶はもう飛んでしまっているので確定的ではない。

 絵を描いた燈籠が提灯のように飾られ、とても賑やかな行事だった。
 ここへ、家々からお盆のお供え物を持って行き、経木なんかと一緒に川に流してもらうのである。
 精霊流しの一形式だっただろうか。昭和30年代までのことだった。
 現代の地図でも、一光寺のすぐ近くに旧堺を取り巻く濠である土居川があり堺港への川筋があるからここであった可能性は高いと思う。

 なので、お盆明けの大浜海水浴場にはその種の漂着物が流れついていた。
 ということもあり、さらに土用波もあり、普通は海水浴はお盆で終了というのが一般的な了解事項だったような気がする。(ただし私は夏休みいっぱい泳いでいた)

 ゴミではないがその種の物を川から海へそのまま流すのは如何なものかということで、「精霊流し」はほどなくなくなった。
 なので堺で精霊流しがあったという、こんな話もそのうちに「なかったこと」になってしまうかも知れない。

 精霊流しといえば少し違うが、昔8月6日にヒロシマの太田川で原爆死没者を慰霊する燈籠流しに参加したことがある。
 送り火ではないが、こういう行事への参加を通じて世代の継承もできるような気がする。
 私も多感な時代に原水爆禁止を胸に刻んだ。

2016年8月16日火曜日

蜩のカナカナカナカナ

 お盆の14日、甲子園の高校野球が雷で一時中断していた頃、珍しく我が家周辺でも少しばかりの夕立があった。
 一瞬だったが、ちょっとした突風が吹き周囲が結構暗くなった。
 そして、その分厚い雲が過ぎようとしたとき、わが家の庭でヒグラシが大きな声で鳴き出した。
   ひと雨のあとのかなかなしぐれかな 佐々木タ加子  ・・だった。

 ツクツクホウシもいいけれど、蝉の中でもヒグラシの声は別格だと思う。
 そんな気分を、先人はいったいどう感じていたのだろうとふと考え、幾つかの書籍をめくってみた。
 そうすると、鴨長明が方丈記の中で「方丈の庵」の環境を説明するくだりに、「秋は、ひぐらしの声、耳に満てり。うつせみの世を悲しむかと聞こゆ」とあった。
 私には、これが一番しっくりと理解できた。
 やはり、ヒグラシは寂しい夕暮れと重なる。
 西行にも、「ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは風よりほかに訪ふ人もなし」がある。

 だいぶ以前のことになるが、避暑地でヒグラシの大合唱を聞いたことがある。
 それが、もちろん夕暮れにも鳴くのだが、私が驚いたのは早朝にも大合唱をすることで、私はそれをそのとき初めて知った。(その後は我が家でも早朝に聞いている)
 そしてペンションのオーナーのいうのには、「朝方にヒグラシを聞くと、また暑い一日が始まるのかとうんざりする」というのだから、同じヒグラシの声でも時と場所・人によって感じ方はそれぞれだという感慨を深くした。
 寂しさや無常観の欠片もない話だった。
 だから、ものごとは固定観念(ステレオタイプ)で見てはならぬと反省させられた。

 それから随分時も経った。
 世の中を見ると若い頃信じていた「進歩」があまり実感できないというか、それどころか行く末に心配ばかりが気にかかる。
 なのでどうしても今の私は、あのカナカナカナカナが、やっぱり「うつせみの世を悲しむかと聞こゆ」に感じてしまっている。

2016年8月15日月曜日

今日8月15日

 先日来私は、東京大学史料編纂所編「日本史の森をゆく」(中公新書)を引いて、ある事実の共通認識が事件後70年を経ると大きく変化することがあるということを紹介してきた。
 そして今日が、敗戦後71年の節目になる。

 事実、稲田防衛大臣は日中戦争~太平洋戦争について、それが侵略であったかどうかは一概に言えないと、歴史を修正しつつある。
 蛇足ながら、ヨーロッパで歴史修正主義というのは、ナチスのホローコーストがなかったという主張と同義語であり、民主主義と相いれない幼稚で危険な主張というのが「共通認識」であることを付言しておく。

 さて、各自が自分自身の胸に手を当ててみれば容易に想像できるが、被害体験を語るのも辛いだろうが加害体験を語ることは何百倍も何千倍も辛いことだろう。
 そうして戦争体験者は口を閉ざしたまま墓場まで持って行ったに違いない。
 それをいいことに、日本会議の櫻井よしこなどは「日本人がそんな酷いことをするはずがない」というような非論理的でかつ苦しい加害体験を癒すオブラートで、侵略や加害の事実をなかったことにしようとしている。

 作家百田の「家族や愛する人の為に命をささげた」というストーリーも大局的にみれば歴史の修正だと思う。

 では事実はどうか。
 海外での事実は少なからず語られているのでここでは少し視点を変えて沖縄を見てみる。

 戦後が終わっていないといわれる沖縄では、今も辺野古や高江で暴力的に住民を排除して米軍基地を整備しつつあるが、宮古島での戦争体験を短歌にして発表してきている大正2年生れの高沢義人氏の戦争体験記にはこういうくだりがあった。
 『住民と兵士が同じ壕に避難しても壕の奥に兵士、手前に住民を追いやりました。・・・飢餓がひどくなると・・・兵隊は民家に徒党を組んで泥棒に入った。農民の貴重な財産である家畜を奪い、食糧を奪い。・・・極めて悪逆だった。軍は兵士の強盗を黙認しました』と。

 『元日本兵が語る「大東亜戦争」の真相』(しんぶん赤旗社会部取材班)には、それの何層倍もの人体実験、試し斬り、刺突訓練、強姦と証拠隠滅のための焼き殺し、大量虐殺と口止めの事実が実名で語られている。
 満州からの引揚げの様子では、「敵に居場所が分かるから」ということで親に子どもの殺害を命じたこと、一般居留民だけの列車を、「足手まといになるから」と日本軍が爆破したことなども証言している。

 また戦争体験記に共通して指摘されていることは強烈な悪臭であり、もしイラク戦争やシリアの空爆等のテレビが悪臭を発したならば、余程今とは違う世論が形成されていたことだろうと私は思う。
 
 だが人間には知恵がある。その実体験がなくても想像できる知恵がある。
 戦争を知らない世代はその知恵をフル回転するべきときにある。
 今日は8月15日。

2016年8月14日日曜日

迎え火

   11日の記事のとおり、昨夕、お盆の迎え火を焚いた。

 奈良ではいろんなお盆関連の行事があるが、そこへ出かける気力も体力もないので、ささやかに我が家でそれらしい行事を行なった次第。
 凡夫は、こういう「形」をなぞることによって、祖先や多くの神仏のお力に感謝したいと思っている。
  土俗の行事だと笑わないでほしい。

 先日は相模原で悲しい事件があった。
 優生思想が「税金の無駄遣い」という新しい?理屈まで背負って復活している。
 政権中枢やお維からも同様のヘイトスピーチが聞こえてくる。
 1日の圧倒的な時間を企業で過ごす現代人(庶民)には、そういう経済至上主義が残念なことだが一定程度受け入れられている。
 大阪・兵庫の参議院選挙結果や東京都知事選挙結果からそう学ぶことが大切だろう。
 
 こんなひどい世の中は早急に改善しなければと私は思う。
 私も努力するので、どうか力を貸してほしいなどと炎に向かってお願いをした。

2016年8月13日土曜日

象徴天皇のお気持ち

 日本国憲法を大事にしたい立場に立てば、憲法1条に定められた象徴天皇が「国民の理解を得られることを、切に願っています」と話されたお言葉であるので、一国民として率直に応答して感想を述べたい。

 天皇は生まれながらの身分で基本的には衣食住の心配がないとはいうものの、戸籍も姓もなく職業選択の自由もない。そして、現行のままだと死ぬまでその任務を負うこととなっている。
 そういう面から天皇制を深く考えたこともなかったが、考えてみれば当の本人にしてみればあまりに過酷な制度である。
 なので、天皇自身の高齢化と、制度としては次世代天皇以降も高齢化が続く可能性が高いことなどから、生前退位の方法を希望される気持ちは十分すぎるほど私には理解できる。
 ただ取越苦労かも知れないが、生前退位の制度ができた後に、為政者が意に沿わぬ天皇に陰に陽に圧力をかけて退位を迫り、そういうことで天皇制を政争の具にしないかとの心配はないことはない。
 その心配がないような形であれば、生前退位の制度を皇室典範に盛り込むべきだろう。
 寄り道ではあるが、皇室典範の改正を行うなら、「男子に限る」条項も改正すべきと私は考える。

 次いで、お言葉では「天皇の終焉」にまで言及されたが、その内容は、「過度の自粛はしてほしくない、葬送と代替わりの行事は簡素にしてほしい」というもので、確か2012年の4月には「火葬、合葬、簡素な葬礼」とも報じられたが、そういうものを希望されているのだろう。
 これも、近代国家のそれに準じて行うのがよく、あまりに華美なものは我が国の後進性を表明するようにも思われるから、できる限り意に沿うような簡素化が検討されてよいと思う。

 以上はお言葉の文字上の課題についてである。
 以下は、その行間についての私の理解を述べたい。
 そもそも、お言葉は「象徴としてのお努めについての天皇陛下お言葉」であり、日本国憲法下の象徴という「象徴」という言葉を8回も使用されている。
 それは、「憲法を改正して私を元首にすることだけは絶対に止めてほしい」という悲痛な訴えなのだと私は理解した。
 なぜなら、自民党の憲法改正案の第一条は天皇を元首にすると書いていて、今まさに安倍政権は数の暴力でそれを迫ろうとしているからである。
 
 元首の問題だけでなく、2013年80歳の会見では憲法について、「戦後の我が国の人々と知日派の米国人の協力によって作成されたもの」「よって守るべき大切なもの」と発言され、言うならば、自民党や日本会議のいう「押しつけ憲法」論を否定さている。

 横道ながら、自民党憲法改正案の「国旗・国歌の尊重」についても、園遊会の折の米長東京都教育委員の発言に、「強制になるということではないことが望ましいですね」と返されたことはあまりに有名だ。
 
 さらに付言すれば、サッカーWカップ日韓共同開催の折にも同趣旨で語られていたことだが、2010年平城遷都1300年祭の折には、「平城京に在位した光仁天皇と結ばれ、次の桓武天皇の生母となった高野新笠(たかののにいがさ)は、続日本紀によれば百済の武寧王を始祖とする渡来人の子孫だった」と自らの祖先に韓半島出身者のいたことを率直に述べられ、私はこの天皇の誠実さには一目置いていた。

 伝えられているところによれば、よって安倍首相や日本会議はお言葉とお言葉に至る経過に〝怒り心頭”とも言われている。
 ネットの世界ではその種のメンバーから「天皇は左翼になった」「生前退位など認めるな」的な言葉すら踊っている。
 ただし、そんなことで「安倍首相が弱っているらしい」などと笑っていてはいけない。彼らは「生前退位には憲法改正が必要だ」(実際には必要ない)と世論を逆手にとった暴挙をすら企んでいる。

 こういう状況下であるから、国民一人一人が素直に議論し発言すればよいと私は思う。
 「天皇問題に発言するのは難しい」などと躊躇していると、「現人神」にしたい面々の思う壺だろう。
 保守も革新も手を携えて現天皇を守り、戦前回帰を企む右翼を封じ込めなければならないと私は思う。
 ヨーロッパでは、ナチに対抗するために、〝神を信じる者も信じない者も”手を取り合ってレジスタンスを行なった。

2016年8月12日金曜日

堺の大道のこと

 中公新書「日本史の森をゆく」の中の小宮木代良著「歴史資料と言説」という論文に、「ところで、過去の出来事(事件)に関しての共通認識といえるものが、その社会内で存続しうる条件は、事件後70年目あたりを境目に大きく変化するのではないか」という指摘があったが、その指摘によく似た出来事が少し前にあった。

   それは、堺市の小松清生さんのFBに堺区の区民評議会の様子が書かれていて、「大道(だいどう)筋における場づくり」などのテーマで話し合われたことに触れて、
 「大道筋という言葉は最近(のこと)で、(だから)紀州街道と言う方がいい・・という発言があったが、どうなんでしょう」とあり、補足して「委員さんのお父さんが50年ほど前まで大道なんて言うてないと言われたとか」「それで会の雰囲気が変わりました」とあった。
 小松さんは泉大津で育ったので「どうなんでしょう」と呟かれたようだ。
 (注 : 大道筋とは阪堺線の通っている堺市の中心部を南北に走っている筋)

 と読み進んで、60年ほど前にその地に住んでいたものとしては、ムムッと息が詰まった。
 子どもの頃普通に「大道」と言っていたというその記憶は幻覚で、いよいよ認知症も深まったか?
 と、いささか自信が揺らいだので何人かの友人に「小学生の頃、大道と言っていたか?紀州街道と言っていたか?」とメールで問い合わせた。
 宿院町東4丁の調御寺の住職や同級生からはもちろん「大道」との答えが返ってきた。
 私一人の幻覚ではなかったようだ。

 そこで、そういうことをコメントに書いてみたところ、「私は東区に住んでいますが大道では通じません。他所の方には紀州街道とご案内します」とのコメントも寄せられた。
 なので考えてみると、これは大阪市が旧町名を集めて新町名にした暴挙のようなものではなく、現代的な公式な町名としては存在しなかったもので、それ以前の近代~近世の歴史的な町名であることが解った。
 だから、政令指定都市の規模にまで膨らみ、私などのように旧市民が流出し、人が大きく入れ替わる中でそういう筋の名前は「死語」になりつつあるようだった。
 ああ、ならば座して死を待つか。

 と、少し弱気になっていた頃、和田充弘氏の次のコメントが寄せられた。
 「『堺研究』37号に翻刻させていただいた、清学院の往来物のうち、『堺町名』には「大道筋」が、『堺町名あらまし』には「大道」が載ります。
 幕末・維新の寺子屋教育では必須の基礎知識といえます。
 有名な元禄、文久それぞれの絵図にも「大道筋」が確認できました。
 『堺市史』所収の「手鑑」「申唱之町名」にも登場し、江戸時代には公的私的に使用されていたことは明白です。
 私の世代の旧市内出身者であれば、大道筋はごく常識的な呼称です。
 またこの区間は、その意味は理解していても紀州街道とは呼びません。
 やはり市内の主要な街路である御堂筋や烏丸通を国道〇〇号線と言わないのと同じ理屈です。
 学校で習ったのではなく親や親戚を通じて、使用はネイティブどうしに限定しますが、中浜、六間筋、目口筋くらいは今でも使っています」というものだ。
 (山之口筋の名前は商店街のお陰で立派に残っている)

 私も手持ちの書籍等でそれらのことの多くは確認できた。
 だから、「大道筋というのが最近の言葉だ」というのは明らかに事実に相違する。
 しかし、多くの堺市民が知らない言葉で「場づくり」も始まらない。
 少なくとも、60年前の子どもたちが普通に大道と言っていた事実は工夫をして残してほしいと思う。

 以上のことは「事件・出来事」ではないが、当時当たり前とされていた共通認識がかくも短期間(論文では70年程)で変わるものかと感じ入ったという話。
 戦争や被爆からは71年経過した。政治の世界では歴史修正主義が目に余る。
 今回の話はそうではないが、考えるに昭和40年・1965年あたりを画期としてこの国の景色は大きく変化したように思う。それから50年は経過した。
 なので、これに類似する出来事は全国で起っているのではないかと想像する。
 しかし、その街の共通認識を継承する世代が故郷を離れ、それらが話題にさえなっていないかも知れない。
 というようなことを語っているうちに、日々膨大な共通認識が死語辞典に送られているのではないだろうか。

2016年8月11日木曜日

お盆の四天王寺

元三大師堂前の茅の輪
   お盆ということでお寺にお詣りに行ってきた。
 そこで、久しぶりに大阪に出たということでもあるので、お寺のダブルヘッダーで四天王寺にもお詣りした。
 四天王寺はちょうど「千日まいり」だったので、観音様に毎日×3年分ぐらい詣ったことになるらしい。
 その根拠は知らないが、「土用の丑の日」のような古い宣伝の成功例だろうか。などという無粋なことは言わずに単純に「ええ日に来たものだ」と喜んでおこう。

   根付というかストラップのお守りをいただいた。
 角大師(つのだいし)と呼ばれる元三大師独特のお守りだ。
 その元三大師堂の前には茅の輪があったので潜ってきた。
 今年は看護やなんかで水無月の大祓の茅の輪くぐりができていなかったので、これもラッキーだった。なんとなくやり残していた宿題を済ませた気分になった。

 さて、お盆やお彼岸の四天王寺といえば引導鐘とともに有名な亀井堂がある。
 ここの亀の池に経木を流すための「経木書き」が参道に並び、これも四天王寺の風物詩といえよう。
 で、写真を撮ったら「写真は撮らないでください」と言われた。なので、掲載は見送るが、落語にも有名なこのような世俗的な行事をどうしてそういうのかなという気持ちになった。
 私には、厳粛な宗教行事に土足で上がったような気はなかったが。
 
 地下にある亀の口から霊水が出ていて、その前の舟(池)に経木を流して読経を受ける。やっぱり宗教行事だったか?

 私はすぐに明日香の亀形石の遺跡を思い出した。
 その構造は全くそっくりだ。
 明日香のそれを庭園のオブジェだという意見があるが、やはり斉明天皇の行なった宗教(道教?)行事で、21世紀の大阪と同じような祈りが行われていたと想像する。
 いや、21世紀の大阪に7世紀の明日香の記憶が息づいているという方が精確だろう。

 こうしてお盆の行事をひとつ済ませた。
 そして、親鸞の教えにはないようだが、麻がら(おがら)はすでに用意している。
 それで迎え火を焚くといよいよお盆の雰囲気になる。

2016年8月10日水曜日

キューちゃん漬

   胡瓜はいっときに大きくなる。
 家庭菜園をしている人々が同時期にそういう事態に直面するものだから、例えば息子ファミリーに胡瓜をやろうと思って電話をすると「隣近所の皆さんから既に十分頂いている」という。

 都会の子どもは胡瓜というと長さ20センチぐらいのものだと信じているが、あれは「かしわ」でいうと若鶏、羊でいえばマトンでなくラム肉である。

 20センチの胡瓜を「今日は食べきれないから」と採らずに放っておくと翌日か翌々日には30センチになり、太さも5センチを超える。
 そういうお化け胡瓜を退治するためには、「冷し餡かけ」がよいということは7月12日に書いた。
 事実、その後も何回か食したし、孫を連れてやって来た娘夫婦にも好評だった。

 そんな中、妻がキューちゃん漬のレシピをもらってきた。
 漬け汁は、醤油、味醂、酢、砂糖、土生姜、唐辛子。
 胡瓜を丸ごと茹で、刻んで水気を絞る。
 漬け汁に入れて沸騰させ、自然に冷えたら保存容器に入れて冷蔵庫へ。それだけ・・・

 好みでいえば市販のキューちゃん漬よりも美味いのが出来上がった。
 そして、香の物としてパクパク食べられる。
 新鮮さがウリの夏野菜を加工するのは邪道かと思っていたが決してそうではない。

 今こんな「胡瓜の採れ過ぎ」というような記事を書いているが、あと2週間もすると収穫期は終了する。
 そして、「ああ、あの頃はもったいないことをしていたなあ」という気持ちになる。
 毎年そんなことを繰り返している。

2016年8月9日火曜日

オオルリが孵った

   7月28日に写真をアップさせていただいたスノウさんから送られてきた写真の続報だ。

 スノウさんの山荘の玄関に野鳥が巣を作り卵が収まっていたのが前回の写真。

 それが、8月6日には孵っていたのが右の写真。

 追いかけて、「少し前にオオルリの番を見ていること」「オオルリは苔を好んで巣を作ること」から、きっとオオルリだと思われるとの意見もいただいた。
 その意見は説得力がある。私もネットなどで確認して「その可能性は高い」と考える。

 1時間ほど少し離れた車の中ででも待機しておれば、餌を運ぶ親鳥が撮影できるかもしれない。
 自動車の中で待つというのは野鳥を安心させる上でなかなか巧い方法の気がする。

 余談ながら、オオルリの巣にはカッコウ等が托卵するらしいが、7月28日アップの卵の写真ではそれはなかったようだ。
 托卵された野鳥は可哀相な気がするが、それも含めてリアルな自然界と言えよう。
 オオルリは、その声も姿かたちも美しい。
 こんな自然豊かな山荘が羨ましいが、手入れが大変だろうなあとも思ってしまう。

2016年8月8日月曜日

青くない青蛙の子

   写真の撮影日は8月5日、奈良公園内の吉城園。
 モリアオガエルの子蛙を10匹ほど見つけた。
 その小ささを感じていただくために、あえて拡大はしないでおく。
 体調10ミリを実感していただけるだろう。

 庭師の方も、馴染になった受付の方も「居ますか?」と私に尋ねてこられたので、「こことここにも」と言って教えてあげた。
 ただこの大きさの段階では緑色のが見つからない。
 蝋色とでもいうのだろうか、艶のある濃い鼠色に見える。
 鮮やかな緑の葉っぱの上にもいたのがいるがやっぱり体色は緑でなかった。
 事実は小説よりも奇なり。青蛙が青くない。

 私がいた数10分の間に、結局日本人は一人も来なかった。
 西欧系が多く、中国人、韓国人も来た。
 『「おたまじゃくし」が孵ってこうなった』とほゞジェスチャーで説明すると、「OH!」「あは」「ありがと」と大げさに喜んでくれた。

 想像では、もう少し大きくなって緑色になって森の中に戻って行くと思うのだが、そういう「帰省旅行」直前の緑の子蛙は未だ見つけられていない。

2016年8月7日日曜日

情報番組のPR枠

   殿村美樹著「ブームをつくる」(集英社新書)で知ったことだが、私たちがテレビで普通に情報だと理解している事項が実は隠れCMだというので少し驚いた。
 次の例えが当っているかどうかは知らないが、情報番組の1コーナーで「〇〇デパートで今までにない北海道展が開かれ人気の為人々が押し寄せている」というようなルポが、実はその部分は最初からCM枠(PR枠という)だという。
 『「ちょっとすごいことが起こっている」という、そういうニュースなのだ』と思って記憶にインプットされたそれが、実は元々仕組まれた隠れCMだったという。
 他愛ない話のように見えて、これって少し怖ろしくないですか。

 そういえば、少しよく似たことはラジオが以前からしていたことだ。
 アナウンサーがCM原稿を演じている振りを一切感じさせないで、100%自分の感想のようなコメントをして商品をCMする手法だ。
 テレビの通販よりも何十倍も妙な説得力を感じたのは私だけだろうか。
 読者のご感想は如何だろう。

 オレオレ詐欺とCMは別問題ではあるが、人々を騙す科学(心理学)という意味ではよく似ている。そしてそれは日々急速に進化している。
 以前の記事で、ビューティフルサンデーの歌に乗せて懐かしい画面が入れ替わる素晴らしいCMが実は不誠実に原発再開を企む関西電力のそれであることを指摘したとおりである。
 とまれ、CMが怪しからんと言っても始まらないように私は思う。
 それよりも、電波の許認可権を政府権力が握っていること、民報も新聞も基本は大企業の広告料でもっていることを常に振り返ってみて、一人ひとりが情報を吟味することが大切だろうということを本気で考える。

 「NHK朝ドラだけは平和主義」という記事を書いたことがあるが、少し前の「とと姉ちゃん」の花山伊佐次は「あなたの暮し」に広告は取ってはならないと常子と大喧嘩をした。
 広告に依存したなら広告主の圧力は避けられないという。至極正論だ。
  実際の「暮らしの手帖」はその際の一度を除いて一切広告を取らずに矜持を守った。

 情報番組のPR枠のように、巨大な情報操作で現代社会は成り立っている。
 そのことをほとんどの国民は認識しないで、自分は正しい情報に基づいて的確な判断をしたと信じている。
 それをある意味で「戦争前夜」だと怖れるのは心配性だろうか。
 イラク戦争前夜に私は「フセインは原爆の卵ぐらいは作っているだろう」と信じてしまったが、読者の皆さんはどうだった。

 因みに、日本で発行されている日刊新聞の中で唯一「赤旗」だけが大企業の広告を一切断っている。
 その一事だけでも、「赤旗」をセカンドオピニオン並に購読することには大きな意味があるように思う。

 「甘いよ・・・・常子さん!」という花山の言葉は、現代の国民全部が噛みしめるべき言葉であるような気がする。

2016年8月6日土曜日

想像して行動する意味

 今日はヒロシマに原爆が投下された日である。
 ヒロシマの地では平和祈念式典も催されるが、原水爆禁止世界大会も開かれる。
 原水禁運動は日本人が世界に誇れる運動のひとつである。

 さて、遠い昔のことであるが、仕事つながりで広島や長崎の方々と話していたときに、原水禁大会のことについて「お客さんたちが集まってきて集会をしている感じ」と少し冷めた感想を聞いたことがある。
 「ピカッの恐怖など被爆者以外には解らない」とも聞いた。
 そういうことについては、大会参加者側にも努力が必要かもしれないが、「この当事者にしか解らない」「当事者以外の者が行う運動は嘘くさい」という言い方は、原水禁運動だけでなくいろんな場面で聞く。
 だがはたしてそうだろうか。

 そうだとすると、沖縄の辺野古基地や高江ヘリパットは沖縄県民しか抗議できないのだろうか。
 先日はヘイトスピーチを具現化した障害者大量殺傷事件が起こったが、それを批判するのは障害者運動関係者だけだろうか。もちろんそんなことはない。
 否、あの事件に関して障害者の家族がSNS等で「悲しいことだ」というと、「嘘をつけ。ホッとしているのだろう」的なヘイトスピーチが浴びせられているらしい。

 で、元に戻ると、ヒロシマに縁もゆかりもなかったが勉強をして原水禁運動に参加する若者は素晴らしい。沖縄に知人はいないが「基地をなくせ」と連帯する人々は素晴らしい。
 例の事件に関して言えば、当事者が口を開くには幾つかの心の壁がある。であるなら、健常者とその家族こそが先頭を切って声をあげるべきではないか。
 そのことを声を大にして言いたい。
 「踏まれた痛みは踏まれた者しか解らない」というのは誤りである。
 人間は、自身が踏まれなかっても踏まれた人の痛さを共感できる知恵がある。
 もっと言えば、いま自身が踏まれていなくても、想像して行動することが大人であろう。

 フクシマから遠く離れた人が仮設の人を思う。
 福祉の問題、介護の問題、保育の問題等等々、直接ぶつかっていない者こそ声をあげるべきでないだろうか。
 逆説的かもしれないが、大人というのは他人の不幸を共感でき行動できる人のことだろう。

2016年8月5日金曜日

字源の俗説

 金八先生演じる武田鉄矢が「人という字は人と人が支え合っている字」という名セリフは、文字学的には全くの的外れであるが、社会・倫理の話としては上手くできている。

 匡(ただす)という字にも少しそれによく似た話がある。
 最初に正しい文字学を紹介すると次のようである。

   「匡(ただす)」には「王」の字形が含まれてる。
 これは「匸」と「王」を合わせた字形。
 「匸」は見てのとおり、囲われた場所、秘密の場所。
 「王」は「旺」と同様に「王」の上に「止」(之)をのせた形で、王位の象徴である鉞の刃の上に足をのせ、その強い霊力を身につける字形。
   なので「匡」は王の鉞の刃の上に足をのせて霊力を身につける儀式(ぎしき)を秘密の場所で行い、それで得た霊力で、敵を征服(せいふく)して正し、王の命令をあきらかにする文字。
 だから「匡」に「ただす」の意味があり、また「まさし」の読みや「はこ」の読みもある。(引用おわり)

 私が若い頃、職場に匡という名の大先輩がいた。
 「この字を知ってるか」と言って説明してくれたのは、「王さまを正しく諫めるには四方八方から論破してしまってはあかんのや」「王様がプライドを保って方針変更できる一方向は開けておいてあげるのや」「そやから四角に囲まずに一方向だけ開けてあるんや」というものだった。
 俗説ながら金八先生のそれに似て味があった。

 そしてそれは、労働組合の若い役員として大先輩である管理者とやりあうときに時々思い出したものでもあった。

 そんな大層な話でなくても、親しくない人々と社会や政治の話をするときに、論争をして論破しても心から理解してもらうことは難しい局面はいっぱいある。
 その人の頭の中で、心の中で納得してもらうことは難しいが、それが一番大事なことだ。
 匡の俗説ではないが、メッセージの伝え方について反省することは多い。

2016年8月4日木曜日

月見草

   厳密にいうと、月見草とは白い花のをいい、黄色い花のは正しくは待宵草というらしいが、私などは小さい時から月見草で来ているので許していただこう。
 早朝に散歩をしていたら咲いていたので嬉しくなった。我が家周辺では珍しい。

 この月見草(待宵草)は典型的なパイオニア植物で、荒地・痩せ地に咲く。
 そして、他の植物が育つほどに土が肥えてきたら姿を消す。
 それ故に、夜間にひっそり咲くという侘しさにプラスして二重にはかない花である。

 私の小さい頃の堺の街の中心部は、ある種の日本の原風景あるいは都市の典型のような「住宅と田畑と里山」というような風景は全くなく、「住宅と焼け跡」の街だった。
 だから普通に、街というのは「住宅と焼け跡」で成り立っているものだと小さい私は思い込んでいた。
 そして、そういうタイルの欠片などが散らばった焼け跡の空き地には、この月見草(待宵草)がいっぱい咲いていた。
 だから、「パイオニア植物である」という解説が実感としてよくわかる。

 といっても、パイオニア植物であるはかなさを知ったのはズーッと後のことであり、当時は空き地を飾る元気で綺麗な花だと思っていた。

 もとい、一見元気で園芸植物並に綺麗だが、そもそも月見草は大空襲の落とし子なのだった。 
 だから堺の戦争の記録集でも作るなら、月見草というタイトルも悪くない。
 焼け跡の花であり、復興の花だった。

 そんなわけで、南海ホークスの野村克也が「俺は月見草」と言ったときも、それほど屈折した感情が共感できなかった。
 月見草で何が悪いんや!と。

2016年8月3日水曜日

殉職者が出そうな予感

 3日に行われる内閣改造で、稲田朋美・現自民党政調会長の防衛相起用が確実となった。
 安倍改造内閣の目玉と言われている。人材難などではなく安倍首相の固い意思を感じる。

 稲田氏といえば、自民党きっての極右議員。しかも、“命を捨てて国を守れ”と繰り返し口にしてきた人物だ。

 「国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです!」(講演会での発言)

 「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」(「WiLL20069月号/ワック)

 「祖国のために命を捧げても、尊敬も感謝もされない国にモラルもないし、安全保障もあるわけがない。そんな国をこれから誰が命を懸けて守るんですか」(「致知」20127月号/致知出版社)
・・・・と公言もしてきている。

 戦争法案が議論されていた頃、「まさかほんとうに戦闘行為を始めはすまい」という人もいたが、この人事が安倍戦争法の正体だろう。

 言霊など信じないからはっきり言うが、稲田新大臣は安全地帯への「転戦」を認めないから遠からず自衛隊員に殉職者が出ることだろう。
 もっとはっきり言えば、安倍にしろ稲田にせよ、殉職者を出したいのだと私は推測する。
 そのことで憲法改正の機運はある種の熱狂に変化するだろうと彼らは熱望している。
 そう言うのをショックドクトリンという。

 「憲法の改正は必要ないが景気のために自民党に投票した」方々や、「とりあえず新しいことをやってくれそうだからとお維に投票した」方々も、もう一度冷静に考え直してもらいたい。

 相模原でひどい事件があったが、犯人は安倍サイトの右翼ツイッターの一人だった。
 同じような優性思想と「医療費が無駄」という観点から曽野綾子が野田聖子議員を批難していた。
 子どもが障害者である野田聖子議員(自民党)が、現状の広い意味でのこういうヘイトスピーチ的政治状況を悲しんで「このままではこの子を残して親は死ねない」と発言しているが、同じような文脈で、子や孫を持つ大人は、稲田大臣の戦争法下で子や孫を残して先に死ねない気持ちになっていくだろう。

2016年8月2日火曜日

吉丁虫

 吉丁虫(きっちょうむし)とは玉虫(たまむし)の異称。
 玉虫の羽のみどりは推古より  山口青邨 にいう「推古」が法隆寺の玉虫厨子を指していることはいうまでもない。
 昔から螺鈿細工のように用いられてきた。


   先日から窓の外の街路樹のケヤキにやって来るのだが、なかなか撮影できなかった。
 ようやく撮れたので見てもらいたい。

 キラキラ輝く昆虫はいくつもいるのだが、やはりタマムシと聞くと気持ちが昂る。

 奈良公園のルリコガネも綺麗だが、こちらは動物のフンに寄ってくる。
 悪いけれどタマムシの方が上品な感じがする。
 「センチコガネの厨子」ではちょっとねえ~。

 吉丁虫の名のとおり縁起の良い虫と言われている。
 タンスに入れておけば着物やお金が増える、帯に挟んでおけば恋愛成就とか。
 ちょっと来てくれるのが遅かった。

2016年8月1日月曜日

ちょっと見てよと赤とんぼ

   7月30日が土用の丑の日だった。
 少し前からコープやイオンの水産コーナーは鰻一色だった。
 その7月が過ぎ、8月葉月になった。
 「土用」で思い出すのは、海に行くのが日課だった小さい頃は「土用波に気をつけろ」と言われていた。
 このように、気温などでは夏真っ盛りなのだが、どこか奥の方から秋の足音が聞こえてくるのが8月だ。
 
   8月は紅染月(べにそめづき)ともいうらしい。
 だからかどうか、紅色のトンボがよく似合う。

 写真は7月29日に撮ったものだが、全く気合を入れては撮っていない。
 なぜなら、その日はモリアオガエルの子蛙をジーッと探していたので、トンボどころではなかった。
 それでも、「私を撮って」と言わんばかりに目の前で止まっていたので、お付き合いで撮ったようなものだった。

 ただ「ナツアカネ・アキアカネとはちょっと違うな」という印象であったので、帰ってから調べてみたらノシメトンボ(熨斗目とんぼ)かコノシメトンボのようだ。赤い方が♂で広義の赤とんぼであることは間違いない。
 翅の先の模様と、止まったときの翅の角度に特徴があり、アキアカネらとは大いに異なる。

 歳時記などでは赤とんぼというと少し寂しい句が目につくのは何故だろう。
 夏に涼しい高原などに行くと、顔にぶつからんばかりに赤とんぼの群舞が見られるのに・・・。