2018年9月30日日曜日

野分

   28日は、『蟄虫坯戸』蟄虫戸を坯す(ちっちゅうこをはいす)、七十二候秋分の次候で虫が隠れて戸をふさぐころ(巣ごもりの支度を始めるころ)などとのんびり構えていると、「ボーッと生きてんじゃぁねぇよ」という声が聞こえてきそうな空模様。

 野分は台風の古称。
 奈良民俗文化研究所の鹿谷勲所長の講義で知ったことだが、大和の田楽では小ぶりの太鼓や鼓を床に置いて扇でそれを仰ぐことが多々ある。
 横の人がその立っている太鼓をわざと転がしたりすると、主たる人がそれをきちんと立て直す。
 太鼓や鼓は稲の象徴で扇の風は野分。転んだ太鼓(稲)を元に戻して収穫の予祝をしていると。
 ことほど左様に昔から野分は大敵であった。

 野分と聞くと夜明けと語呂が似ているせいか優雅な語感があるが、今年近畿を直撃した台風はそんな生易しいものではない。
 写真は28日の東大寺大仏殿。提灯や幔幕等を取り外して台風対策に余念がなかった。
 さて、今日はどうなることやら。田楽の真似事でもして災厄を祓いましょうか。

   大和には野分を祓う舞いのあり

   以下、ネットにあった奈良の伝統行事の写真を追加する。
 扇で風を起こして野分を表わしているようだ。



2018年9月29日土曜日

秋は恋の季節?

   複雑なさえずりは恋の季節の特徴だと思うのだが・・・、
 本などではイソヒヨドリの恋の季節は5月と書いてあるが・・・、
 どうもこの2羽は縄張り争いをしているようでもないし・・・、
 わたし的にはラブコールの掛け合いにしか見えない。

   道路を隔てた左側で♀が鳴くと、右側で♂が鳴く。
   名前は似ているがヒヨドリのような濁った声でなく、綺麗で複雑なさえずりだ。
 これで秋にもほんとうに繁殖したら、ちょっとした大発見かも・・・、

 磯ヒヨドリを内陸といってもよいこの地で初めて見たときにはびっくりしたが、今では一番身近な野鳥のひとつになった。
 これは進化なのだろうか、それとも海辺の環境悪化を表わしているのだろうか。
 頭上では綺麗なさえずりが、地上ではどこからか知れないが濃厚な金木犀の香り。
 台風前の秋日和。

   磯恋し磯ひよどりの声哀し

2018年9月28日金曜日

スイスイ鉄道

   24日に南海電車の車両のことを書いたので、今日は”鉄道つながり”で水錘(すいすい?)鉄道のことを書く。すいすい?
 観るともなく観ていた『関口知宏のドイツ鉄道の旅』の再放送(原放送は2005年)で”水錘ケーブルカー”を初めて知って驚いた。世の中には知らないことがいっぱいある。

 鉄道の最新技術を知らなかったというのではない。
 ヨーロッパには19世紀からこんなケーブルカーがあったのだ。
 高度成長とともに育った極東の列島の小人の間では話題にならなかった??よな。(私が知らなかっただけ?)

 ケーブルカーの車両の下に水タンクが付いている。
 上の駅と下の駅で乗客数を確認し、上の駅で必要なだけタンクに水を入れる。
 上の車両は水の重さで下り、下の車両は連結されたケーブルで引き上げられる。
 下の駅に着いたらタンクから水を抜く。
 なんというエコカーだろう。
 テレビを観ながら理屈抜きで感動した。

 Wikipedia によると馬路村にもインクラインという観光用のものがあるらしい。へ~!
 ただ今修繕中の「高野山ケーブルカーを”スイスイ鉄道”にしよう」というのは夢物語ですか。
 それよりも、1年に366日雨が降るという大台ケ原ならスイスイでは!?

   夢に見る大師の山の水錘車

2018年9月27日木曜日

財務局OBの勇気

 7月19日に、近畿財務局を含む全国の財務局で国有財産管理等の勤務経験のあるOBたち18名が、「森友疑惑、公文書改ざん糾弾!国民本位の財務局職場の再建を!」というアピールを発表し麻生財務相と近畿財務局長に送付した。
 それを知った私は、7月22日に『勇気ある18人』というタイトルで記事を書いた。
 その記事に書いたが、財務局と連合傘下の全財務労働組合いう非常に厳しい環境の中で実名で森友問題を告発したOBたち18名の勇気に私は感じいった。

 その後8月6日に「大阪・国家公務員等退職者の会連絡会」は、連絡会会長と運輸きんりく、税関、裁判所、社会保険、全建労、全国税、法務、労働の各会会長連名で「財務局職場OB有志の声明に寄せて」を発表し、彼等を支援し、連帯して進むことを表明した。
 私はそこに、見た目は小さいかもしれないが実は力強い公務員労働者と公務労働運動の良心を見た。
 このアピールの取りまとめに東奔西走された方々のご苦労にも敬意を払いたい。

   そんな折、テレビ大阪とBSジャパン(キー局はテレビ東京)でOBたちが顔を出して出演する番組があり、私は25日の夕刻と夜の2回その放送を視聴した。
 また「放送があるそうだ」と連絡した少なくない友人からは「必ず観る」「観たよ」などというメールが届いた。

 放送は、自死した職員の父親のインタビューから始まった。遺書にはムリヤリ改ざんを命じられた苦悩が書いてあったという。
 言外に「きっちりした性分に育て過ぎたか」的な悔しさが漂っていて何とも言えない気分であった。

 そして6名のOBたちは実名も顔も出してインタビューに応じていた。
 「実際に政治的圧力はあった」「こんな改ざんは公務員レベルでできるものでない」「行政の底が抜けた感じだ」「今後は改ざんは無くなるだろうが記録の当初から嘘の公文書になるだろう」などなどの指摘は説得力のあるものだった。
 そして「2人の現役の後輩からも電話があったが、当該職員は無理な命令と長時間労働で誰もが”顔つきが変わっていった”と感じるほどだった」というくだりでは目頭が熱くなった。

 とまれ、森友問題は全く終わっていない。
 安倍首相は自民党総裁選挙で「その件は丁寧に説明をして総選挙で国民の理解を得た」旨発言したが、数々の文書の改ざんやその文書自体が明らかになったのは総選挙後のことである。つまり嘘である。
 御用評論家や大手メディアは「いつまで森友」というキャンペーンを張るだろうが、国会が始まれば徹底して試合再開だ。意図的な「いつまで森友」キャンペーンには多くの人々に反対してほしい。

 最後に、公務員の労災保険に当たる国家公務員災害補償法では被災した本人や遺族に請求権はない。当局が全てを行う仕組みである。
 民間労働者に適用される労災保険の認定基準に照らせば、今回の自死事案は業務上と認定される可能性が非常に高いが、さて近畿財務局内ではどのように進行しているのだろう。
 自死した職員を公務災害と認定させるために支援の声を上げていきたい。

 自死事案の労災認定基準の要点については、このブログの3月21日の「すまじきものは宮仕え」という記事を参考にしていただきたい。

 なお、ひげ親父さんの次のブログも非常に参考になる。
 http://usukuchimonndou.blogspot.com/2018/09/blog-post_26.html

 見逃した皆さんは次の動画を視聴してください。You Tube にありました。

2018年9月26日水曜日

くす玉開き

   この秋に、老人ホームのイベントで『くす玉開き』をしようと考えている。
 そのため手持ちの少し不完全なくす玉の改良を考えて、この間から調整の試行錯誤を繰り返している。
 輸送・搬入、準備等の段階で開いたりしないこと、開いた後は玉が開いたままになっていること(元に戻らないこと)、垂れ幕は必ず正面を向くこと・・・そんな簡単な命題がなかなか解けない。
 一つ改良の作業をすると副作用が一つ発生する。

 本番以前に開いてしまわないようには、少し本格的なマグネットで半分の玉どおしを接着するようにした。しかし磁力が弱すぎると開いてしまうし強すぎると上手く開かない。そのマグネットの強さの加減が問題だ。
 少し本格的なマグネットを取り付けたので今度は一旦開いた玉がマグネットの重さのせいで元に戻って閉じてしまう。これには、元々玉の中に錘を入れておき、開くと同時に下に落ちその重さで玉の上部を引っ張るような仕掛けを考えた。この錘の重さも微妙である。
 そのほか、紐を取り付ける位置、紐の長さ、その角度、紐の結び目の微妙な差異等々によっても上手くいかないし、必ず正面を向く様には玉のさらに上の棒の仕掛けを抜本的に改良することが必要だ。
 誰かイグノーベル賞に推薦してくれないか。

   結局、改良を重ねるごとに性能がダウンしているようで滅入ってくる。
 22日には「知の体力」について書いたが、私のしていることは計算とか設計と縁遠く、知力ではなく思い付きと試行錯誤だけである。
 こういうときはホームセンターの材料売場をうろつくとアイデアが湧いてくる。錘は釣具店に行った。
 写真は単なるテストの一風景。まだまだ途上である。

   くす玉のテストにくれる夜長かな

2018年9月25日火曜日

名月や


    記紀神話によると、伊弉諾尊(イザナギノミコト)の左の目から天照大神(アマテラスオオミカミ)が生まれ、右の目からは月読命(ツクヨミノミコト)が生まれたが、月読命が保食神(ウケモチノカミ)を斬り殺したことに腹を立てた天照大神は月読命を夜の世界に追放し、姉妹?は昼と夜に分かれて住むこととなった。

 そのためか、極東の天照大神の末裔たちは昨今、月を軽んじて太陽暦に傾倒し、東方アジアの国々で太陰暦をこれほど抹殺しているのは日本だけらしい。
 だから台風のときに大潮と高潮が重なるなどというと途端に慌てたりする。
 釣り人を除く一般庶民は太陰暦どころか月の満ち欠けにすら関心を払っていないから。

   それでも、そういう人々ですら昨夜ぐらいは中秋の名月を仰いだだろう。
 といっても・・、前日、前々日には昴さえも見えていたぐらいだったが、昨夜は上の写真のとおりあいにくの薄曇りだった。

 で、わが家では「望月の虧たることもなしと思へば」みたいなものよりも「月に叢雲」の方が味わいがあるというものだと痩せ我慢を言いつつ、仮想名月で団子を食べた。 

   仲秋や月に叢雲明日は雨

2018年9月24日月曜日

SLよりも懐かしい緑の電車

   先日の土曜日18時からのABC「人生の楽園」という番組で、大井川鐡道沿線の人々が映っていた。
 大井川鐡道というとSLが目玉だが、小さい頃から私鉄沿線であった私などは、SLに乗ったことも幾らかはあるが、「懐かしい!」と叫びたくなるほどの感激は乏しい。
 それに反して妻は元国鉄沿線だったので、その音が懐かしいという。

 ところで、ボヤーっと見ていたテレビの画面に、なんとズームカーが出てきたではないか。
 これには瞬間、「南海電車や!」と私は妻に向かって叫んでいた。
 昭和30年代前半に南海電車が導入した車両で、今から思えば笑い話かも知れないが、当時の乗客は「走っているかどうかも分からない」というほど静かでスムースだと言い合っていた。

 早世した父親からもそんな話は度々聞いた。
 走り始めたときには、わざわざこの車両を目当てに乗りにいった記憶もある。
 だから単なる一電車ではない想い出が詰まっている。

 平地では速く、高野山近い山岳地帯をも力強く登っていく、大阪南部&和歌山住民自慢の車両だった。
 それが今も現役で走っているのだから些か胸キュンといった感じである。
 記憶は怪しいが、外国の田舎紹介のテレビ番組でこれと同じように走っているのを見たような記憶もある。ただし、ネットでも出てこない。ご存知の方は教えてほしい。

 南海電車の唄の後半は必ず次のフレーズだった。
 〽・・走る電車は緑の電車
     なーん なーん 南海電車 南の海を走ってく

 ズバリ、大井川鐡道でも緑色のまゝだった。
 補足すると、近鉄特急も走っていたぞ。
 行きは南海、帰りは近鉄、大井川鐡道、いいかも知れない。
 
   小学の同窓会に似た車両あり


 追記 スノウさん、コメントの阪神電車3011形はこれでしょうか。

2018年9月23日日曜日

曼珠沙華

   この赤を毒々しいと感じたこともあった。
 その裏には何となく誰かから聞き積っていた「常識」とされる評価もあったような気がする。

 死人花、幽霊花、捨子花、狐花・・・。
 しかし、そういうフィルターを外してみれば、徐々にその逞しさに私は引きつかれていった。

 曼殊沙華どれも腹出し秩父の子・・金子兜太・・の健康さに今は一番共鳴している。
 曼殊沙華は収穫の近い稲田によく似合う。
 それでも不吉だなどと言うのでしょうか。














 食欲を抱くは危険曼殊沙華

2018年9月22日土曜日

知の体力

   昨日に続いてラベルは『乱読積んどく』。永田和宏著 新潮新書。
 どうしてこの種の教養というか人生論に中学や高校時分に出会わなかったのだろうかとちょっと悔しい思いがした。
 その頃は、学問や社会や人生について、ただ方向性もないままむやみに悩むだけだった。
 まあ、「たら」「れば」の話ではある。
 また、今は既に大人になった子どもたちのそういう時代にも適切な助言もできぬまま今日に至った。親としても頼りない。
 エエカッコを言えば背中だけは見せてきたかな。

 ただ、この歳になってこの本に出合ったことを素直に喜んでいる。
 人生論(と言っていいのかどうか解らないが)は青春時代だけのものではない。
 読むほどに心は若返る。
 
 Ⅰ部
 1 答えがないことを前提として
 2 質問からすべては始まる
 3 想定外を乗り切る「知の体力」を
 4 なぜ読書は必要なのか
 5 活用されてこそ〈知〉は意味をもつ
 6 〈私〉は世界とつながっている
 Ⅱ部
 1 落ちこぼれ体験こそが大切だ
 2 多様性にこそ価値がある
 3 先生にあこがれる
 4 大学に質を求めるな
 5 親が子の自立を妨げる
 6 価値観の違いを大切に
 7 自分で自分を評価しない
 Ⅲ部
 1 二足のわらじには意味がある
 2 みんなが右を向いていたら、一度は左を向いてみる
 3 メールの功と罪
 4 ひたすら聞きつづける
 5 「輝いている自分」に出会うには

 以上が目次である。
 読後感がいい。
 まだ学生向けの本に感動できる自分の感性を褒めてやりたい。

   学んだは遅し蛍雪の功のこと

2018年9月21日金曜日

灯火親しむ

 先日ジャカルタでのアジア大会の女子マラソンをテレビ中継で見た。
 そのとき私はスポーツ及びスポーツ選手を讃えると同時に、やはりニッポンがんばれ!と声援していた。
 それは多くの庶民の感情でもあったと思う。
 しかし、そこに止まっていたのではいけないこともある。

 例えば、オリンピック憲章57条はIOC OCOG は国ごとの世界ランキングを作成してはならない。・・」とまで定めてオリンピックを政治利用することを禁じているが、日本政府やJOCやマスコミは素知らぬ顔で「目標は金30」などと喧伝し、NHKは「オリンピックの目的は国威発揚」などと堂々と述べている。
 ナチスヒットラーの歴史を述べるまでもなく、こういう「危険性」を常に意識しておくことが大切ではないだろうか。


   で本題の「クールジャパン」のことである。
 近頃のテレビ番組がやたらに「日本スゴイ」「日本人スゴイ」のオンパレードであることに違和感はないだろうか。
 「そりゃあほんとにスゴイのだから違和感などない」と言う前に先のオリンピックの諸事実を振り返る必要がある。

 テレビや雑誌が「自主的に」発信したらたまたまそうなった!と考えるのは余りに世間知らずだろう。
 内閣府が「クールジャパン戦略のねらい」を作成し、表向きは日本製品の売込みや外国人観光客の招来と言いつつも、強力にアベ政治の失策の数々を覆い隠し、大いなる情報操作、世論の誘導を行っていると見るのは考え過ぎだろうか。

 そんな日頃の問題意識があったので、この本を躊躇なく購入した。
 著者の谷本真由美氏は現在はロンドン在住で、国連専門機関や外資系金融会社や日本、イギリス、アメリカ、イタリアなどで就労経験があるらしい。
 本の内容は表紙ほどは過激でなく、日本のよいところも誉め、外国の痛いところも笑い飛ばし、日本のメディア等を覆っているフィルターを外せばこうなのだろうと説得力のあるものだ。
 内容はここには書かないが、楽しくてためになる。
 谷本真由美著 ワニブックス PLUS新書『世界でバカにされる日本人』
 秋の夜長にお勧めする。

2018年9月20日木曜日

まずは前座

   9月の花というイメージがある花虎の尾(ハナトラノオ)が咲き始めた。
 無茶苦茶に丈夫な宿根草なので、広がり過ぎないように退治しつつ放任している。

 一般に8月は暑すぎてタマムシなどの例外を除いては昆虫は少ないように感じている。
 それが9月になると、秋の花々が順番に咲き、そのためか可愛い昆虫もいっぺんに増える感じがしている。
 すべて私の感覚だけで書いているから正確にはどうかは解らない。

 これも全く個人的な連想だが、この花を私は夏の終わりごろから待っていた。
 この花が咲くと毎年やってくる昆虫がいるからだ。
 で、この間から「来ていないかな」と時々覘くのだが、今年はまだ見ていない。
 ということで、主役前の前座でクマバチの写真を撮った。

 待っているのはオオスカシバ。毎年この花にやってくる。昆虫エクスプローラーなどには「夏の日中に活動する」と出てくるが、私の狭い経験では9月で、ハナトラノオとセットになる。
 だが「6月から9月」というのが定説らしいから、もしかしたら今年は空振りだろうか。
 オオスカシバ や~~い。

 いつもの医院に行くとニホンバンマツリに水をやっている看護師(婦)さんがワーっと言って戻ってきた。
 「クマバチがいる」と言うので、「心配いらない。クマバチは花の蜜を好み基本的に優しい」「怖いのはスズメバチだから」と教えてあげた。
 この大誤解は絵本『みつばちマーヤ』にあるといわれている。クマバチがマーヤたちミツバチの巣を襲っている。絵本といって馬鹿にしてはいけない。それはスズメバチを描くべきだ。

 ただ、以前の記事に掲載したがホバリングしているクマバチの正面から見た顔は確かに獰猛だ。
 「優しい」とは思っていても一瞬たじろぐ。

   カレンダーどおり伸びする彼岸花

2018年9月19日水曜日

大阪弁「やから」

 朝日デジタルの記事を引用すると、自民党総裁選の安倍晋三首相、石破茂・元幹事長は17日夜のTBSの番組に出演し、司会のキャスターを交えてゴルフをめぐって応酬した。(この動画はネット上に幾らもアップされているから確かめられるといい)

 首相が友人の加計孝太郎・加計学園理事長とゴルフや会食を重ねていたことについて、星浩キャスターが「加計さんは、いずれ利害関係者になる可能性があった。まずかったという気持ちはあるか」などと質問。首相は「利害関係があったから親しくするというのではなくて、元々の友人」と述べ、問題ないとの認識を示した。

 星氏は「学生時代の友だちでも、金融庁幹部とメガバンクの頭取はゴルフをしてはいけない」と重ねて指摘。石破氏も「自分が権限を持ってる時はしない、少なくとも。あらぬ誤解を招いてはいけない。私もいますよ、そういう友人は。ですが、職務権限を持ってる間は接触しない」と首相の姿勢を問題視した。

 ところが首相は、「星さん、ゴルフに偏見を持っておられると思う。いまオリンピックの種目になっている。ゴルフが駄目で、テニスはいいのか、将棋はいいのか」などとだらだらと反論した。

 ・・・これが有名な安倍首相の『ご飯論法』だ。
 「貴方は朝ご飯を食べたでしょう」
 「いや朝ご飯は食は食べていないよ」(聞こえない声で「パンは食べたけどね」)
 「ご飯論法」の本名が「不誠実論法」「詐欺論法」であることは明らかだ。

 星氏や石破氏の言っている趣旨がゴルフの社会的評価にないことは明らかだ。綺麗な格言でいえば「李下に冠を正さずという倫理感が欠けていないか」という趣旨であることは中学生でも解る。

 平川克美氏に言わせれば、・・・その言い方もそうだし、「ゴルフはスポーツ」発言もそうだが、常に言い訳と反論のために、論点をずらしたり、はぐらかしたりすることだけを考えている。論理の整合性とか、話の辻褄ということに理解が及ばないし、興味もない。相当痛い人格であることがわかる。

 安倍晋三氏の反論を言い換えればこうとも言える。
 「李下に冠を正さず」というのは、スモモに対して偏見があるんじゃないですか? 柿だったらいいんですか?
 嗚呼!

 だらだら多弁を費やして話の焦点をぼかしたりずらしたりしつつ、たまに断言や強いフレーズを散りばめて食いつかせる話法というのは、大阪の前の首長橋下徹氏がよくやっていたが、意図的・戦略的に見えた彼に比べ、現首相は本当にもうその話し方しかできず、自分でも何言ってるかわからん状態ではないか・・という論評もある。 

 安倍晋三氏はこのように論点をずらして星キャスターを恫喝したわけだが、そういうのを世間一般では「揚げ足をとる」ともいう。
 公務の窓口にはそういう論法の人物がまま押しかける。
 大阪弁でそういう人物を「やから」という。
 単なるクレーマーではなく、半分ヤクザの常套手段である。
 こんな人物が首相であることを良識人は許してはならないと思う。

 最後に付言しておくが安倍晋三氏よよ~く聞け! 国家公務員倫理規程の解説では明快にこう示しているぞ。「国家公務員倫理規程では、国家公務員が、許認可等の相手方、補助金等の交付を受ける者など、国家公務員の職務と利害関係を有する者(利害関係者)から金銭・物品の贈与や接待を受けたりすることなどを禁止しているほか、割り勘の場合でも利害関係者と共にゴルフや旅行などを行うことを禁止しています」と。
 (この記事はSNS上の人々の発言を大いに引用させていただいた)

2018年9月18日火曜日

ボケて幸せ?

 1階から2階へ急いで駆けあがって来て「はて私は何で急いで2階へ来たのか?」と思う時がある。

   そんなことをブログに書いてみようかと思って「確かペコロスの何とかという漫画に認知症と座敷童(ざしきわらし)の話があったはずだ」と何箇所かの書架を探してみても、題名も思い出さないしそのような本も見つからない。

 こういう症状を強力に助長もしながら、皮肉にもとりあえず現下の問題に即対応できるのがインターネットである。
 パソコンで「yamashirodayori ペコロス」と検索すると瞬時に「2015,11,24 ペコロスの親父に笑う」という自分の書いた記事が出てきた。
 本は漫画そのものではなく小学館新書で岡野雄一著『「ペコロスの母」に学ぶ ボケて幸せな生き方』というものだった。(しかし書架にはない)

 さて、記事にも書いた遠野の民話で有名な座敷童だが、東北で「座敷童の現われる家は栄える」と言われるその理由は・・・、長寿である・・認知症になる・・幻視が現れる・・それが座敷童で、つまりその家は長寿の家系で栄えてめでたい・・と言うことではないのかという話であった。

 さてさて、写真の本は小林青樹著『倭人の祭祀考古学』新泉社で、ほゞ読み終えた頃に「この話を何処かで聞いたことがあるぞ」と思い出し、書架を探すともう一冊出てきたものである。定価2500円+税だから年金生活者にしてはちょっと決断して買った本である。
 それが二冊もあるのだからきっと座敷童の仕業に違いない。
 そうでなければ、この事実を知った妻の機嫌が悪くなるだろう。
 17日は「敬老の日」であった。

   秋風や隣近所で庭木伐り
 夏の間に生い茂った樹々、わかっちゃいるがその気力も湧かなかったであろうご同輩が庭木の剪定を始めた連休だった。

2018年9月17日月曜日

オクラの花

   「花が綺麗な野菜」はいろいろあるが、オクラは3本の指(ベストスリー)に入るのではないだろうか。
 ハイビスカス、木槿(ムクゲ)、芙蓉、タチアオイ、綿花などと親戚だと聞くと納得できる。

 事実、わが家では今年は菜園ではなく花壇に植えた。
 今年植えた苗は背が小さく、実が大きいのが特徴の少し変わった種類のものであった。
   だから実も観賞用として採らずにおいてある。
 種類のせいか気候等のせいか判らないが、今年はオクラの天敵であるオトシブミも付かなかった。
 結果、庭の「花」として立派にその役割を果たしてくれた。エライ!

   といってもオクラであるから、その花(花びら)をサッと湯通ししてみた。
 結論的には文句なく美味しかった。
 オクラ特有のネバネバ感もある。
 レシピには「そのままサラダに」というのもある。それもいいかもしれない。

   食卓に話題供えしオクラ花

2018年9月16日日曜日

身弱き人

山法師
   8月中は孫の凜ちゃんと我われ祖父母がひと月中ウイルス性の風邪のうつし合いをしていた。

 わが家で楽しく遊んでいた日の夜に限って「熱を出した」というので声には出さなかったが些か申し訳なく落ち込んでいた。

 その8月も終わって、凜ちゃんは生まれて初めてキャンプ(といってもロッジのようなものだろうが)に、同様の病気の家族たちといく計画を立てていた。

 ところが、9月に入ってから孫の症状等がさらに酷くなり、結局1週間ほど前から大学病院に入院してしまっていた。もちろんキャンプから脱落。

 入院中は食欲もなく、体中にチューブやコードをはめられて、それでも座るのもしんどくすぐに寝ていたのだが、それがようやく好くなって昨日退院してきた。

 兼好法師は徒然草の中(第117段)で、「病なく身強き人」は友人に向かないと述べているが、そんなことは教えられなくても、友人たちと呑むとそれぞれ症状の近況報告となり、一昨日も別れ際には「お互い気を強く持とうぜ」などと励ましている。
 やたらに検査値が知れるのもいいことか悪いことかなどと思ったりもする。

 その徒然草にカスっていえば、体の弱い孫などは普通に元気でいることが祖父母の喜びだ。
 ただそれだけ、ただ退院しただけだが非常に嬉しいのだ。
 「身強き人」ばかりで暮らしていたならこの有難味が判らなかったかもしれない。

   台風に負けじ山法師の実の赤き

2018年9月15日土曜日

女塾で学んだ大和魂

   戦争の話は8月でおしまいと誰が決めた。
 ぐっと引っかかっていた8月27日の朝日新聞の記事を考えている。
 敗戦直後の(黒川)満蒙開拓団で団幹部が、17~21歳の未婚女性15人前後にソ連軍兵士の性接待を指示し「乙女ささげて数百の命守る」と暴行されていった歴史のことである。

 思いはぐるぐると巡る、自分があるいは自分の娘が当事者だったら許せない。
 自分が団幹部だったらどんな判断をしただろうか。
 戦争は全く理不尽なものである。
 日本の戦後は、そういう事実に口を噤んで、知らぬ顔で憲法9条を論じる社会に至っている。
 指示した幹部の謝罪の言葉は見当たらない。

 虐殺も従軍慰安婦もなかったという人々は、記事のとおりの団幹部の指示もなかったと言い切るのだろうか。
 もちろん、問答無用のレイプもあっただろうが、だから皇軍のレイプや虐殺が帳消しにされるわけでもない。
 戦争は理不尽なものである。

2018年9月14日金曜日

二刀流

 直接的にはオオタニサ~ンのことではないが、ちょっとかすめているかも知れないリーダー論のことである。
 スポーツ界のリーダーたちの醜聞に似た出来事を聞くにつけ、実績や人脈などではない人格というか全人的な人間性が問われているように感じている。
 リーダーは情が判ってかつ論理的に指導できる二刀流である必要がある。

 これがスポーツ界以外だと、売らんがための数々の不正問題だろうし、我が亡きあとに洪水よ来たれの原発政策になる。
 大学が予算欲しさに軍事研究に手を貸すのも同じだろう。
 理系の人びとが専門馬鹿と揶揄されることがあるが、人文系の教養を欠いた技術の「進歩」は危なっかしいところがある。

 反対に文系と呼ばれる人々の中には理系的な論理的思考が欠けている人がいて、これも結局精神論か経験主義になる。

 先日の台風21号と北海道胆振東部地震でも安倍首相や世耕経産相が、総裁選のためだろうが矢鱈にテレビに出て、「関空の早期の開港を指示した」だとか「停電の早期復旧を指示した」と言っていて、それらを批判的に報じないメディアに私は怒りさえ覚えた。
 私が何を怒ったかというと、「関空を早期に開港するため努力せよ」だとか「停電の早期復旧に努力せよ」などというのは指示でも指導でも、いわんや援助でもないからである。

 現場の人間は言われなくても必死で対応している、自分や家族は二の次にして努力しているはずである。
 そんな折、大切なことは大所高所からの現状分析と具体的な支援体制であるはずのところが、アリバイ工作のように「ハイ私は指示しておきましたよ」というのはじゃまにこそなれ支援・指導にも何もならない。
 こういう人間はリーダー失格、三流四流の「上司」になる。

 そういう人物(首相や大阪府知事)はそろいもそろって「指示しておきましたからね」と言って海外に「逃亡」した。

 現役時代、現場の名ばかり管理職をしていた人間の溜息を聴いてもらえただろうか。

         秋告げる小声は紫式部の実

   
 

2018年9月13日木曜日

明日は我が身

奈良公園浮見堂の北側にて
   台風にしても地震にしても、ほんのちょっと離れた街では嘘のように状況が異なる。
 無事だった街でも「明日は我が身」と省みることが大切だ。

 私ごとだが、30歳台半ばに、当時の少し前のインフレを恐れてマイホームの土地を探したことがある。あれよあれよという内に現金や預金の価値が減っていった時代だ。
 そのとき、結局我われ庶民が手の届く土地というと崖下のような造成地だった。
 それでも手が届かなかったから今日があるのだが、テレビで土砂崩れなどのニュースを見るたびに、あのときローンででも購入していたら・・・・と背筋が寒くなる。

 余談ながら、毎日ケーブルカーで通勤するのもいいじゃないか・・・と思った土地があったが、数年後にケーブルカーは廃線になってしまった。悲しむべきか、購入せずにいて喜ぶべきか。

 北海道胆振東部地震の震源も、どちらかというと想定外の地であったようだ。
 泊原発の外部電源全喪失も想定外という。
 だとすると、全国の原発の安全性もほんとうに想定内で済むと信じる方がおかしい。

 今後急速に人口が減少するのは確実だ。
 戦後経済成長の夢に賭けるのは狂気の沙汰だろう。

   空港閉じ奈良公園は落ち着けり

2018年9月12日水曜日

奈良公園にリゾートホテル?

   奈良県が開発業者に格安で貸そうとしている現地を歩いてみた。
 浮見堂の南(奥の森のような樹々)の結構広い土地だった。
 確かに、このまゝ何もしないというのももったいない気がする(いや浮見堂の借景だけでも意義は大きいか)が「何で高級ホテル?」と疑問は深まる。
 
 都市公園法施行令第8条の4は、「都市公園に宿泊施設を設ける場合においては、当該都市公園の効用を全うするため特に必要があると認められる場合のほかこれを設けてはならない」と定めている。

右側が予定地
   つまり「市街地から相当の距離があって周辺に宿泊施設がないところ」なら市民が公園を十分楽しむために例外的に認めよう」というのが法律の主旨である。では奈良公園はどうか。

 奈良公園に接する市街地には宿泊施設は多数あり稼働率にも余裕がある。
 キャパシティーをもう少し増やしたいなら、既存の宿泊施設が現行法の下で増改築できるよう援助すべきだろう。
 とまれ、言われている高級ホテルは約30室である。?????話にならぬ。

 全室温泉(露天風呂)付きというが、その温泉は毎日タンクローリーあたりで運び込むという。話にならぬ。

 その上に、民間会社に貸し出す前に、奈良県が2億5千万円出して整備するという。ここまでくると話は無茶苦茶だ。

 帰りに近鉄電車から若草山を見ると、北の方に若草温泉郷が画龍点睛を欠くように汚らしい。今般のリゾートホテルの将来を示しているように私は思った。
 若草温泉郷は当時の奈良市長らがごり押しで推進したもの。

   台風一過そしらぬ顔の虫の声

2018年9月11日火曜日

それは個人攻撃だ

   自民党総裁選挙で石破元幹事長が「正直、公正」をスローガンにしたら、「それは個人攻撃だ」と批判されて引っ込めた。 
 それって「アベ政治は不正直、非公正だ」という共通認識が大前提だと自民党自身が「自供」したようなもので「語るに落ちる」とはこういうことだろう。

   ところが、大手メディアも歩調をそろえて「正直、公正」を言わなくなった。
 このことも考えれば恐ろしい。

 大阪でいえば、台風21号での関空の被害状況をみて、常識人ならカジノ万博用地である舞洲は大丈夫か?と心配したが、不思議なことにメディアはこれを報じない。

   ただ、西谷文和氏がシェアした陣内恒治氏のFBには「台風翌日、港湾労働者が撮影した」舞洲の写真が掲載されていた。

 維新の松井知事は停電中の府民を放っておいて沖縄やヨーロッパに出かけた。
 府内に居ると何かヤバいことがあるのだろう。

 そういう一つひとつをつなぎ合わせると、この国は今、民主主義とはほど遠いところに来てはいないかと心配だ。

 心配ばかりしていると心臓に悪いので最後に山口二郎氏のツイッター上での妄想(ギャグ)を紹介する。
 (山口氏)の妄想。
 安倍首相の下で開催される東京オリンピックでは選手宣誓は行われない。
 正々堂々、フェアプレーという言葉はホスト国の最高責任者に対する個人攻撃だと日本政府が反発したからである。
 うふふふふ。

2018年9月10日月曜日

奈良公園に国蝶を

 9日付け朝日新聞の朝日歌壇・馬場あき子選に おおむらさきの食樹でありし蝦夷榎(えぞえのき)伐られてさびし故郷の寺 (仙台市)沼沢修 というのがあった。

こういうのを見ると奈良っていいなあと思う
幹線道路の中央分離帯
   その前日、8日の『奈良公園の環境を考えるシンポジウム』でもちょっと新鮮で印象に残った問題提起があった。

 パネリストの一人、日本の国蝶オオムラサキ研究所・林太郎氏は、現在は橿原市昆虫館でオオムラサキを大量飼育し放蝶するなどしてその季節にはテレビでも取り上げられるので有名な人だった。

 実は、奈良公園の高級リゾートホテルが計画されている土地は、奈良公園では貴重な110年間鹿が入っていない土地である。
 そして奈良県の調査ではオオムラサキの食樹として有名な榎が40本以上ある。樹齢400年の樹もある。
 奈良公園には現在もオオムラサキが生息しているが、この地を活用すれば「国蝶オオムラサキが舞う公園として世界中にアピールできて観光資源にもなる」というのが氏の提起だった。

 パネリストの一人、谷幸三氏からも「奈良県は自然史博物館を持っていない唯一の県である」「自然保護の観点からも奈良公園と当該予定地を活かしたい」とエールがあった。

 ともすれば「拝金教徒」による自然破壊に対して私たちは「開発反対」という言葉を多用しがちだが、「このように奈良公園の価値を高めよう」という提案は私には新鮮だった。

 難しい話だが、奈良公園の鹿は許容量を超えているという。
 その鹿のおかげで、独特というか、少し歪な?自然環境でもあるらしい。
 当該土地はそれをリカバーできる貴重な土地だろう。
 ちなみに榎は、オオムラサキ以外にも多様な蝶が生育し、タマムシも生育する樹である。う~ん、宝の樹に見えてきた。

 補足をすると、南米コスタリカはモルフォチョウが大きな観光資源になり、外国人観光客向けのツアーもあるとか。
 50㎜~55㎜のオオムラサキはモルフォチョウにも引けを取らない美しさと迫力を持っている。
 迫力でいうと、この蝶は縄張りを持っていて、スズメ、ツバメ、スズメバチでも追っ払うらしい。林氏に聞いた。これはすごい。

 この話に私は愉快になってきた。ルーミスシジミ、ルリコガネ、そしてオオムラサキでキラキラ輝く奈良公園の未来が見えてきた。
 奈良公園高畑町の榎を守りたい。
 その地に高級ホテルはいらない。

2018年9月9日日曜日

拝金教

 8日(土)、第3回目の『奈良公園の環境を考えるシンポジウム』があった。
 会場の奈良文化会館小ホールは「要:事前申込み」であったのに、立見が出るほどの盛況だった。
 司会:河島あみる、主催者あいさつ:辰野勇、講演1:夢枕獏、講演2:椎名誠、パネルディスカッションモデレーター:辰野勇、パネリスト1:林太郎・谷幸三・辻村千尋、パネリスト2:高畑町住民・中島晃・寮美千子、法的問題について:兒玉修一、まとめ:田中幹夫という豪華なラインアップで、非常に充実した内容だった。

   その中で、夢枕獏氏の演題は『縄文の歴史と自然』で、ここ半年ほど縄文にハマっている私としては節々で”我が意を得たり”という気持ちになった。
 氏曰く、縄文の宗教はありとあらゆるものに神の存在を見ていて(多神教)、その後の日本民族の宗教意識によい意味で引き継がれていった。ところが、近頃拝金主義という一神教に席巻され、世の中が狂い始めている・・・と。

 奈良県が内外に大嘘をついて浮見堂南の旧裁判官官舎跡に高級リゾートホテルを建設しようとしていることなどはその拝金主義の骨頂だろう。

 元々歴史的風土特別保存地区という非常に厳しい規制のかかった同地区は平成17年に奈良公園に編入されたが、常識的には奈良公園そのものになったのでさらに厳しい規制がかかると思われるところ、「公園の便益施設である」などという大嘘をついて、大手開発業者に二束三文で貸すという。

 ああこれは、規制緩和でお友達に利益を施す森友・加計と同じ構図だと私は感じた。
 椎名誠氏は数々の自然保護運動に関わってきた思い出を語り、地元以外の人々の関心の薄さを指摘されていたが、この問題も、奈良公園周辺の住民の問題に終わらせてはならないと大いに反省した。

 ※ 拝火教をもじって拝金教と書いてみた。
 

2018年9月8日土曜日

国公共済

 台風被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
 さて、国公共済会の火災保険加入者は多くの場合給付金が受けられます。
 用紙や説明書は最寄りの労働組合の「国公共済担当者」に連絡すれば送付されるでしょう。
 
 なお、住宅災害状況報告書はご自身で被災状況を報告していただく書類となっており、被災から30日以内に報告が必要です。
 詳しくは、国公共済会(電話0120-88-9031、携帯からは03-3580-2881 )へご連絡ください。平日9時~1730分まで

寸鉄人を刺す

 9月6日付け朝日新聞夕刊の池澤夏樹氏の連載コラムの冒頭に次のようにあった。
 「誰も何も言わないから言っておく。
 官公庁がこぞって身体障害者の雇用数をごまかすような国にパラリンピックを開催する資格はない」
 けだし名言である。

   蛇足を言えば、フェアプレイの精神からほど遠いJOC傘下の各種体育団体のパワハラその他の歪んだ実態にも嫌になる。
 名詞を変えれば財務省森友事件等とロジックは全くよく似ている。

 スポーツ本来の発展のためにも社会の民主主義が重要だとつくづく思う。

2018年9月7日金曜日

音羽流れ

 地震、豪雨、台風、また地震と悲しいニュースが続いています。
 被害に遭われた皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
 近く『国公共済会』の手続き案内を送付すべく作業をしています。

   さて、私の好きなテレビ番組に『やまと尼寺 精進日記』があるが、融通念佛宗の機関紙『大念佛』№82に、写真のとおりその紹介記事があった。

 ところは奈良県桜井市にある音羽山観音寺。創建は奈良時代。音羽百坊と呼ばれるほど多くの堂宇が軒を連ねていたが、貞観18年(867)の「音羽流れ」という豪雨による山津波でことごとく崩壊し、この観音寺だけが残ったとのこと。

 貞観年間というと富士山をはじめとする各地での噴火や地震が有名だが、こんな大災害もあったらしい。私は知らなかった。

 台風21号や北海道の地震で苦労されている方々には申し訳ないが、この災害列島の歴史の重みのようなものに、心の沈む思いが広がっている。
 そして、日本人はもっと憶病になるべきでないか、自然の偉大さに頭を垂れるべきではないかなどという反省をしたくなる。

 全道の停電というと、広さでいえば東京から大阪までの広さらしいが、そこの電気をコンピューターで制御できているという考えに驕りはなかったか。
 病院が停電で入院をうけられない、実際に犠牲者も出ている、泊原発は非常用発電で冷却というが、メルトダウンを引き起こす直前、紙一重で防いでいる。

 ゆっくり研究したいが、戦後高度成長の神話が日本人の常識を狂わせてしまったような気がする。
 あれは、生産人口の急増、朝鮮戦争、スエズ動乱、ベトナム戦争という歪な需要の上に咲いたあだ花ではなかったか。
 古い仏像の前で長い歴史を冷静に振り返ることが大切な気がしている。

2018年9月6日木曜日

折々のことば

 朝日新聞に連載されている『折々のことば』鷲田清一#1219 2018.9.5
 【これはきれいごとかもしれないけれど、そういうことを言うのをやめたらもう全部終わっちゃうんだよ 平川克美】
 正直だとか相互扶助だとか「きれいごと」は永遠に実現しないかもしれない。でも誰だって胸張って「きれいごと」を言っているわけではない。その裏にはうしろめたさや羞じらいが貼りついている。それが文化というものだと、文筆家は言う。「この自覚が自らの欲望の歯止めになり、生活に規矩を与える」と。『21世紀の楕円幻想論』から。

 台風21号は新聞テレビの報じている以上何倍も被害が大きいようだ。
 それは庶民の捕らえたツイッターでよく解る。
 知人にメールをすると「クーラーやシャワーが使えないのが辛い」と泣いていた。

 ところが、このように大規模な停電や断水で弱っている庶民や関空に取り残された内外の人びとを尻目に、この国の防災の最高責任者は私用で新潟へ出かけて行った。
 安倍晋三氏の頭の中の優先順位は完全に狂っている。
 関空にしても、大大阪の知事がテキパキと手を打っているようには全く見えない。
 ニュース画面を通じて、なんとお粗末で不親切な国かと全世界に発信されたことだろう。

 そこで、「きれいごと」とも思わないが大きな声で私は言いたい。
 政治にかかわる人々の最重要課題は人命であり生活ではないですか。

 また大阪府が防災拠点にしたいという「咲州庁舎」周辺では自動車が何台も転がっている。エレベーターも午後6時ごろまで止まっている。
 ああ、地震にも台風にも弱い庁舎であることは明々白々だ。橋下徹氏の尻拭いに汲々とするのももう止しにしませんか。
 松井知事さん吉村市長さん、カジノだ万博だという前に安全な街づくりじゃないですか。

   これは大阪だけの課題ではないが、インバウンドだなどと浮かれる前に、空港や各県主要ターミナル周辺に外国人観光客を安心して保護できる快適なシェルターを早急に作りましょう。
 イージスアショアやオスプレイに使う金があればすぐにでも出来はしませんか。

 最後に、弱者を批判するつもりはさらさらないがひとこと・・・。
 関空は海の上に造るので、タンカーの衝突は横に置いても、津波や高潮の危険はないのか? という疑問は常識人100人中100人にあった。事実、共産党は執拗に問ってきた。
 それに対して大丈夫だと言った専門家、識者、行政官はとりあえずマスコミの前に出頭してほしい。
 そして、自分がなぜ間違ったのかについて説明してほしい。
 何が「想定外」ですか。
 これが想定外なら、東南海トラフ地震や津波の想定もみんな信用ならんということだ。

   ほんとうに、安倍政権や維新の大阪府市政では生活も命も危険極まりない。
 それでもこういう政治を放っておきますか。

【おまけ】 台風でタマムシが飛ばされてきて、わが家のバケツの中で死んでいた。
 辛い台風の中のホッとしたヒトコマ!

2018年9月5日水曜日

想定よりも奇なり

 臨時休校になった孫が避難してきたこともあり、結局一日中テレビの台風状況を観ていた。
 テレビの画面と窓の外の樹木を見比べて、昨今の進路等の予想技術の精度には感心ばかりしていた。

   さてその台風対策だが、野菜や秋の花々が風で倒れないようになどいろいろ手は打った。
 しかし、結果は想定よりも奇なりで、まさか移動させるのに腰を痛めるほどの植木鉢が倒れるとは思わなかったし、重い土製品のバードテーブル(野鳥の餌場)が倒れて壊れるとは想定外だった。ヤマボウシの幹も1本やられてしまった。
 木賊(トクサ)が大量に倒されたのはまあまあ想定内だった。

 倒れた植木鉢は茗荷畑でそれ自体は惜しくもないが、倒れ掛かられた方のシラタマミズキの幼木が心配だった。
 思い入れを込めて今春植えたものだ。
 花木以外では、アーチ型サンシェードもやられてしまった。

   山の遭難も、険しい岩峰よりも”何ということのない峰”の方が多いというあれである。
 弱々しいものは全て助かったが”少々の風などでは何ということもなかろう”と思いこんだ部分でしっぺ返しを喰らった。反省しきりである。
 周辺道路の清掃も馬鹿にならない規模である。後始末には全日かかりそうな気がする。

 台風で被害を受けられた皆様にお見舞い申し上げます。



2018年9月4日火曜日

ロシアンルーレット

   今年は家庭菜園の万願寺唐辛子の出来が良い。
 ただ去年もそうだったが、たまに先祖返りをして「自分は唐辛子だったんだ」とアイデンティティを主張するのが出て来て困った。

 料理の途中から結構それらしい匂いがするので今日のその中にそれが混じっていることは判るのだが、それがどれだかは特定できない。
 いかにも唐辛子だぞ!と言わんばかりの真っ赤な奴や、非常に悪人顔の茶色いものがあるが、それが犯人でないところも奥深い。

 結局、妻とカワリバンコに口に入れ、当たらなかったら「セーフ」と言って両手を広げている。
 まったくロシアンルーレットだ。
 最後の三つになって「匂いからして、この中の1~3個が当たりに間違いない」ということになり、結局「捨てようか」ということに意見が一致した。
 3個ぐらい捨てても、次の万願寺がいくらも収穫を待っている。

   涙目や先祖返りの万願寺

 追伸 去年は万願寺の近くに七色唐辛子を植えたため、辛い万願寺がいっぱい出来て失敗だった。
 大阪の居酒屋で万願寺を注文したところ獅子唐並みの辛いのにあたって泣いたことがある。

2018年9月3日月曜日

山岡俊介氏の不審な事故

 8月30日の記事の続報になる。
 冨田宏治氏の8月31日のFBから要旨を転載する。出典はNIKKAN-GENDAI.COMの記事らしい。

記事とはリンクしていない
   《国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団(RSF)」が28日付で〈日本は、首相とヤクザの関係を調査するジャーナリストの不審な転落事故を捜査しなければならない〉との声明を出した。
 過去の山口県下関市長選を巡る安倍事務所の“火炎瓶騒動”を取材するジャーナリスト・山岡俊介氏が遭った不審な転落事故について、当局による捜査を要請。安倍首相の過去の重大疑惑は、いよいよ世界の知るところとなった。

 火炎瓶騒動とは、1999年の市長選で、安倍事務所が支援候補を当選させるため、暴力団に対立候補の中傷ビラまきを依頼し、500万円の報酬を300万円に値切ったため、自宅に火炎瓶を投げ込まれたとされる事件だ。国会でも指摘され、「#ケチって火炎瓶」のツイートが話題を呼び大炎上している。

 この事件を長年追及する山岡氏は8月7日夜9時ごろ、東京・新宿アルタから地下鉄駅に通じる階段上から転落。肩を骨折し、額を7針縫う全治1カ月の大ケガを負った。山岡氏に当時の状況を聞いた。

 「後ろから押された感覚はありませんが、当時、私は酔っていたわけでも、体調が悪かったわけでもありません。体力には自信がある方ですから、普通なら踏ん張ったり何かにつかまろうとするはず。ところが、救急車を呼んでくれた方によると、前転するように上から下まで真っ逆さまに転げ落ちたといいます。私は過去に脅迫状を自宅に送り付けられたこともありますから、今回の一件も何かしらの力が働いたと疑わざるを得ません」

 RSFは声明で〈(山岡氏が)取材していた対象を考慮すると、このような不自然な転落は本格的な捜査に値するが、現在行われていない〉と指摘。〈日本のジャーナリストは、安倍首相が12年に政権を取って以来、自分たちに対する不信と敵意の雰囲気があると不満を抱いている〉と、安倍政権の報道に対する姿勢まで批判している。世界に拡散しつつある「#ケチって火炎瓶」疑惑。このまま放置していいのか。

   「『報道の自由度ランキング』を年1回、公表するRSFは、第2次安倍政権の発足以降、日本のランク急落を憂慮しているのでしょう。十数年前の事件とはいえ、安倍首相はキチンと釈明しなければ、国際社会に不信感を与えるだけです」(高千穂大教授の五野井郁夫氏=国際政治学)
 総裁選前だからと、ダンマリは許されまい》

   夏休み最後の夜の庭花火

2018年9月2日日曜日

世間知らず

 大阪維新の大阪府市政が「カジノで外国人観光客が増えて大阪の景気は良くなる」と言っているが、ほんとうだろうか。
 その論の根拠・お手本はシンガポールだが、観光庁資料等によると、2011年から2016年の外国人観光客の増加率は、大阪が595%に対してシンガポールは124%となっており、数字は維新の嘘を白日の下にさらしている。

   次に、大阪市の想定でも外国人観光客は入場者の約2割だが、その2割であっても大金持ちがカジノのついでに戎橋筋や日本橋で買い物をしてくれれば・・という意見があるが、そんな言葉を信じているのは世間知らずの貧乏人だけである。ちょっと私の見聞きしたことを書いておく。

 20数年前であるから今より大阪経済が格段に元気だった頃である。
   某会社は全国規模ながら小さな会社であった。
 その某会社の大阪支社に本社(東京)の偉いさんがやってきた。
 昼間の用が済んで懇親を兼ねた夕食が済んで、大阪支社長は二次会を奮発して今まで行ったこともないような北新地にセットした。
 清水の舞台から飛び降りた気持ちで北新地にセットしたのだ。
 ところがこれが本社の偉いさんには大いに不評であったので、私はその後、この支社長の恨み節を幾たび聞いたことだろう。
 本社の偉いさん曰く「二次会はなぜ祇園でないの」ということだったらしい。
 Oh my God !!!!
 
 大金持ちはミナミや日本橋どころか北新地さえ見向きもしない。
 京阪神で接待をするなら祇園でしょ! これが世間の常識らしい。この感覚は私だって知らなかった。
 四天王寺が法隆寺や東大寺に勝てないように、キンキラキンの飲食店は世界中にゴマンとある。大阪人にとっては不本意ながらミナミもキタも祇園の「格」には勝てない。

 とまれ、大富豪がカジノのついでにミナミで飲んで炊飯器を土産に買って帰るなど、世間知らずの妄想である。馬鹿も休み休みに言え!
 一時でも信じた者は目を覚ますべきだろう。
 これは北新地の悪口を言っているのではない。私の見聞した体験談である。

   恥知らぬ夜郎自大の白昼夢

2018年9月1日土曜日

教養を憎む

   8月26日安倍晋三氏が鹿児島県において自民党総裁選に立候補を表明した。それをNHKが生中継をした。
 安倍晋三氏は観ているこちらが恥ずかしくなるようなカメラ目線と芝居に終始し、『西郷どん』の人気におもねて桜島を背景に薩長同盟と明治維新に重ねて己を「勤王の志士」的に演出した。
 朝日新聞も見かねて「大河ドラマを意識」「インスタ映えを意識」と評している。

 それに被せて安倍晋三氏はツイッターで、「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山――筑前の志士平野国臣の短歌です。・・日本の明日を切り拓いて参ります」と表明した。えっえっえっえっ・・・。

 そこで・・・、私は、歌人であり国文学者である上野誠先生の講義を思い出した。
 「万葉集の、大君は神としませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ・・を読んで、藤原京は元は沼地だったというような解釈をしてはならない。その意は人智を超える能力の持ち主と称賛しているところにあるのだ」ということだった。
 
 そこで安倍晋三氏のツイッターに戻ろう。氏のツイッターを善意に解釈すれば「我が志の高さに比べれば桜島の煙は薄いものだ」となろう。
 これでは「藤原京は元は沼地だった」と同レベルの解釈になる。

 平野国臣は薩摩に入ろうとしたが伊集院の地で追い返され、そのときにこの歌を詠んだのだ。
 なのでこの歌は「薩摩の勤王の志の低さよ」と皮肉を込めて失望した歌というのが常識とされている。国文学上はほんとうにこれが常識だ。
 それを「桜島の煙の薄さよ」と解して、得々として薩長同盟や明治維新につなげるのは内閣総理大臣としてあまりに恥ずかしい。ほんとうに恥ずかしい。

 なので、世間では安倍政権周辺のあまりの教養の無さにあきれているが、思想家の内田樹先生は「どうせライターの原稿だろうが、安倍政権周辺は教養がないというよりも教養を憎んでいる」と喝破されている。
 同感である。

   誤読され筑紫恋しと蝉の泣く

 ※ 勤王だとか志士だとかの文字を使用しているが、私の明治維新の評価はそうではない。
  ツクツクボーシの「聞きなし」の一つに「筑紫恋し」がある。
  MBSラジオ毎週土曜日朝5時半から『上野誠の万葉歌ごよみ』が放送されている。首相周辺の皆さん。お勉強なさい。