2016年2月29日月曜日

俳句ブーム

  朝日新聞夕刊に「キュー」という島﨑今日子さんの番組批評の連載コーナーがあり、その2月24日掲載号が「俳句の魅力 伝える工夫」というものだった。
 「ジムでテレビ付きのトレッドミルを歩いていたら、隣の人(さらに6人中2人)が〔俳句王国をゆく〕を熱心に見ていた」というところから話は始まり、「高齢化社会の日本に俳句ブームが来た?」で結ばれていた。

 今、一週間のテレビ番組で一番私が笑うのは「プレバト」の俳句コーナーだ。
 先生の夏井いつきさんの的確な「毒舌」が見事である。他のコーナーの先生には申し訳ないが、「ラベルが違う」(大昔のジョーク)。
 写真はネットから引っ張ったテレビ画面だが、満開の桜の写真を見て「桜色 学ぶ瞳に 夢開く」という句を「才能なしの典型的パターンだ」と一刀両断に斬り捨てているところだ。※
 だから、他のNHKなどの俳句の番組の先生方の批評には、夏井先生に比べてどうも生ぬるさを感じる。(ただの素人の感想)

 ところが、夏井先生の的確な指導を度々視聴してきた私だが、いざ「プレバト」のお題の写真を見せられても私の頭には一向に句は浮かばない。よくよく私の頭は散文的にできているらしい。で、俳句の代わりにこんな散文をブログに書いている。

 ただ、言い訳がましいが、質より量のブログを続けるのも結構難しい。
 俳句を捻る方々が俳句手帳を片手に風景を凝視されているように、私も常に「何かの発見がないか」と自然や社会問題を考えるようにしているが、そうやすやすとテーマは見つからないし、文章の料理方法も浮かんでこない。
 それでも、俳句のように芸術的でも高尚でもないが、この生活リズムがボケ防止にはいいのではないかと勝手に思っている。
 そして、俳句(投句)にも締切があるように、ブログを書くのにも自分で期限を切って「週に最低2本」と追い込むことが必要で、そこを外すと根が怠惰な私などはズルズルと安易に流れそうで、いわば日々宿題を自分に課している。

 さて、俳句に戻って、まず俳句を作るためには俳句手帳を持つ必要がありそうだが、そうすれば妻はきっと「いつも形から入ろうとばかりして」というに違いない。
 確かに、道具を揃えているうちに「やった」気になり結局しなかったことが山ほどある。
 手帳はないが、俳句の本も数冊はくだらない。ああ。


 ※ 才能ナシ6位は、真琴つばさ。35点。
    桜色 学ぶ瞳に 夢開く
 査定:選ぶ言葉が安易で、才能ナシの典型的パターン。
    「桜色」は色の種類を言ってるだけで、
      季語として機能していない。
    何かいったら「夢」「夢」、
      夢の句はもううんざり(怒)
    ただ、ちょっとだけ誉めたいのは、
      「学ぶ瞳」で人物が見えてくる。
 添削:桜咲く 学ぶ瞳に 開く明日 
 鉄則:安易に夢を使わない。

2016年2月28日日曜日

憲法9条 幣原喜重郎が提案

 安倍首相らは日本国憲法が連合国軍占領下で成立したとして毛嫌いをしているが、もっともっと重要なことは戦後70年間、日本国民がこの憲法を認め積極的に守ろうとしてきたことだと私は思っている。
 だから、憲法の成立過程だけをとって「押しつけだ」「そうではない」と語ること自体に大きな意味はないと考えるのだが、国立公文書館に保管されていた安倍氏の祖父である岸内閣当時の憲法調査会の録音テープによると、焦点である9条・・戦争放棄については当時の幣原総理が提案したと述べられていた。
 また同調査会へのマッカーサーの文書回答にも、幣原総理が提案してきて驚いたこと、結局マッカーサーがそれを受け入れたことが回答されている。
 なので「押しつけ憲法論」は明らかに誤りであり嘘である。(重ねていうが成立過程に拘ることにはさほどの意味はないのだが)
 安倍首相らに聞きたい。「押しつけ」がそんなに嫌なら、どうして日米安保を押し付けだと言わない!沖縄の米軍基地を移転ではなく撤去・返還と言わない!
 つまり「押しつけ憲法論」は広告のキャッチコピーのようなもので、彼らのホンネのところは大日本帝国憲法下で特権的地位や利益を享受してきて、日本国憲法によってそれを奪われた人々の復権(報復)こそが真のテーマであることがわかる。
 言い方を変えれば、内外の人々を殺し、塗炭の苦しみを負わせ、そしてその責任を取らなかった者たちの復権・・・、
 動画はそれを伝えた報道ステーション。

2016年2月27日土曜日

抜かるる前にと誘う娼婦ありぬ

  前回の記事で、ベトナムの母親が「今の若者は親たちの戦争(ベトナム南部民族解放戦争)の苦労を知らない」と語ったことにいささかのショックを受け、体験したり聴き学んだりした歴史を正しく継承することの難しさに触れてみた。
 そういう問題意識が頭の隅に残っていた頃、2月22日付け朝日歌壇永田和宏選に 『睾丸(こうがん)を抜かるる前にと吾を誘う娼婦のありぬ敗戦の夜(福島県)古川利意』というのがあったので、「何故これが朝日歌壇に選ばれたと思う?」と娘(一児の母)に問うたが、「解らん」との答えだった。
 それもそうだろう。ベトナムの母親ではないが、このギャップというか風化こそが現代ニッポンの、そして我々のテーマであるような気がする。

  古川さんの短歌に戻ると、蛇足ながら、敗戦時多くの街では「鬼畜米英が進駐してきたならば、日本男子はすべて去勢され女子はレイプされる」とのうわさがほんとうに信じられていた。※
 去勢つまり男子は睾丸を抜かれるのである。
 そのため、地域によっては「女子は下着を何枚も重ねて穿き、その上にしっかりとモンペで覆うこと」という回覧板が回ったところもあるという。

 これを「まさか?」「大げさな」と思うのは現代人の感覚で、兵隊の経験のない人であっても、戦地でレイプを重ねてきた日本兵の数々の「自慢話」をこれでもかと聞いてきた人々は本気の本気でそう思っていたのだった。
 解釈すれば、帝国軍人が公然の秘密のように犯してきた責任に対して受けなければならない日本国民共通の罰として、そういう仕返しは大いにあり得るという暗黙の共通認識があった。

 という歴史認識が前提にあってこそこの歌の哀しさが伝わるのである。
 写真の主婦の友の表紙に「アメリカ人をぶち殺せ!」とあるように、「戦局の危機の折りには神風が吹く」「米英は鬼畜の野蛮人である」「去勢やレイプをされたくなかったら国のいうことを聞け」、そういう言葉が本気で信じられ、「そんなはずはないだろう」と言えば「非国民!」と殴り倒される時代の最終ページの述懐の歌である。
 もちろん、それが秘密保護法や戦争法、そして緊急事態法を含む憲法改悪の現代の動きと二重写しで歌われていることはいうまでもない。
 だから若い人たちに、「この国に、そんなに旧くはない時代に、こんな敗戦の夜(時代)があったのだぞ」、「お伽噺のような宣伝を多くの国民が信じ込まされたのだぞ」と遺言のように歌ってくれたのだ。

 日系企業の進出した中東でテロが繰り返され、北朝鮮が事実上の「核」弾道ミサイル実験を行うというようなニュースにまみれていると、「軍事力が戦争抑止力になる」というような単純な主張に世論がなびき、戦争法や憲法改悪さえも「しかたがない」と是認するような世論の広がるのも故ないことではない。米国のトランプ現象は別世界のことではない。
 しかし、そういう素朴な「無批判」こそが、言いたいことも一切言えない軍国主義を完成させたというのが一番大事な歴史から汲みとるエキスだろう。
 ならば、戦争や戦後を知っている大人たちが、知っている限りの話を語るときだと私は思う。
 所轄の大臣が、気に入らないテレビ局は免許を取り消すと言い始めているのだ。
 
 ※ 『敵のほざく戦後日本処分案(主婦の友 昭和19年12月号の記事)
 働ける男は奴隷として全部ニューギニア、ボルネオ等の開拓に使ふのだ。女は黒人の妻にする。子供は去勢してしまふ。・・・ありとあらゆる形の不具を作るのだ。

2016年2月26日金曜日

リゾート地 ダナン

  見るともなくテレビを見ていると、海外旅行のCMでベトナムのダナンが素晴らしいリゾート地として紹介されていた。その映像はとても美しい。事実そうなのだろう。
 しかし私などは、どうもリゾート地ダナンという響きに心がざわつく。
 どうしてもダナンというと、大規模な米軍基地、そしてテト攻勢というような言葉が先に出てくる。蛇足ながらこれはベトナム戦争の時代の話である。若い方々のために念のため・・
 このテレビCMの世界と私のようなギャップは、私たちの親の世代と私たちにもきっとあったに違いない。そういうものだろう。

 見たというよりもテレビの前を横切ったら、NHK BSの「井浦 新のアジアハイウェイを行く」がベトナム編だった。
 ほんの瞬間しか見ていないが、そのとき我々世代のベトナムの女性が、「地下壕を掘って戦ったこと、B52から雨のように爆弾が降ってきたことを・・・・若い人々は知らないし信じられないという」と述懐していた。
 私には、ええ! という感じだが、それこそがリアルな真実の姿なのだろう。

 だから、強行採決された戦争法案も、次に着手する憲法改正も、まさかこの国がほんとうに戦争をし戦死者が出る国になるとは、若い人たちが想像できないというのが普通の感覚だろうと思う。
 ちょっと寄り道を許してもらえるなら、卒業式で口元をチェックし、連戦連敗であっても不当労働行為を繰り返す首長の扇動がファシズムに結びつくことも。
 しかし歴史を冷静に振り返ってみると、我が国でも、大正時代は大正デモクラシーと言われるような様相を持っていたのだし、「まさか、まさか」と思っているうちにわずか十数年で誰も真実を口に出来ないファシズム国家になっていたのである。前の記事の加藤翁の血を吐く様な経験のように。
  
 五木寛之氏がこう語っているのを聞いて私はが~んと頭を殴られたような気がしたことがある。
 氏は、あの戦争で、良心的な人々の多くは亡くなった。だから戦地はもちろん、外地からの引揚げにしても、きれいごとではすまない修羅場を経験してきた者(100%善人とは言いきれない者)だけが生き残ったのだ。戦争を生き残った者にはそういう人には言えない黒い過去があり、故に戦後人々は戦中の経験を語らなかったのだと・・・

 氏が、戦後70年近く経って初めて満州におけるあまりに悲惨な家族の体験を語ったことは有名だが、それを単純に「ソ連兵はひどい」という言葉に済ますことなく、同じことはアジアの各地で日本兵によって行われたことだろうと昇華させて語っていることに深い理性を教えられた気がした。

 歴史に学ぶとか、語り継ぐというような言葉を我々は簡単に言うことがあるが、それはそんなに易しいことではない。私は頭を抱える。

2016年2月25日木曜日

SATOUMI資本論

  2月8日の記事の最後の方で「里山資本主義」に触れたことで、バラやんから「里海資本論(角川新書)800円」を紹介するコメントを戴いた。
 「里山資本主義(角川oneテーマ21)781円」については2014年5月29日の記事で紹介はしていた。そしてこの「里海資本論」も書店の店頭ではその背表紙を何回も目にしていた。
 しかし、どうせ里山資本主義の漁業編だろうし、そうだとすれば大体は想像がつくと思って購入はしないでいた。
 それに、名著「森は海の恋人(文春文庫)629円」も読んでいたし、まあいいか!という感じだった。
 因みに「森は海の恋人」は、海の民が疲労困憊した海の蘇生を図るために、森の復活・再生で安全・安心な海の栄養を増やす取り組みの記録だった。
 
 そして「里海資本論」を読み始めたのだが、その書き出しは、富栄養化で瀕死の海を濾過する取り組みだったから、見た目は正反対のことで、えええっ!というように引きずり込まれた。
 こんなことわざが適当かどうかは分からないが、「水清ければ魚棲まず」という言葉もあるが、富栄養化の海も死の海になる。自然は単純ではない。
 だから日生(ひなせ)の人々はカキ筏を使い、アマモの種を蒔いて海を復活させたのだ。言うは易いが行うは大変だっただろう。
 この本の書評は私のガラではない。今までのブログの記事での本の紹介もそうしてきた。だからその奮戦記は実際にこの本を読んで味わってもらいたい。

 ただ、こういう SATOUMI の取り組みが、当初は欧米では全くウケなかったという話も面白い。
 執筆陣がそれを「一神教の世界観によるもの」だったと言っているのも面白い。
 一神教のロジックによるならば、絶対神の造った自然というものに人間が関与するのはアブノーマルということになるのに対して、八百万の神の感覚でいえば海もカキもアマモもそして人間までもが神の端くれ、その一部であるから、自然と人間が力を合せて自然を豊かに持続させようと素直に理解できるのだと。
 ちょっと寄り道をすれば、人間どおしが最大利益を追求すれば絶対神の造った市場は正しい答えを出すと考える市場原理主義=新自由主義が信じられる理由もそこ(一神教の常識?)にあると考えているのも面白い。

 今の南海本線堺駅の西には、かつて東洋一といわれた水族館があった。
 夏のレジャーの王道が海水浴であった頃、そのあたり、大浜は一大リゾート地であった。
 その浜の石ころにコールタールのようなシミが付きだしたのは高度成長が始まった頃だった。
 そして遊泳禁止になり、海は単なるタンカーの海路でしかなくなった。いや、工場排水の吐き出し口になった。大阪湾は「悲しい色」どころでなくなった。
 私の青春時代はそういう公害の時代であったが、当時、発想の大転換をして、どこの工場がどれだけ出したからこれだけの責任があるという現実には埒のあかない議論を止め、総量規制という大方針をすすめたのが大阪府の黒田革新府政だった。
 後に美濃部都政でも活躍した、四日市の公害Gメンとして有名な海上保安庁の田尻氏などの活躍もあり、日本の公害対策は大きく改善された。
 また寄り道になるが、その頃中国の鄧小平氏が松下電器茨木工場を見学したが、そのとき黒田知事は「日本の産業技術だけを取り入れるのでなく公害対策も忘れないよう」説いたという。昨今のPM2.5のニュースに接するたび、鄧小平氏の理解不足に思いが至る。

 原発反対をいうと「江戸時代の生活に戻っていいのか」という人がいる。
 しかし、地球誕生以後営々と蓄えられた地下資源をここ1~2百年の人間が使い切っていいのだろうか。
 大部分の自然が倒れ伏した地に健康な人間だけが生活できると考える方が異常でないか。
 この本は、非常に読んだ後の気分がいい本だった。それは、未来が見えてくるからだろうか。
 この本を紹介してくれたバラやん、ありがとう。

2016年2月24日水曜日

SNS時代

 有名人の不倫騒動でLINEの内容が暴露されて大騒ぎになっているようなことを論じるつもりはない。
 脛に傷を持つ身には恐ろしくもある?ツールであるが、真面目に向かえば大きな力を発揮するツールだということを言いたい。


 写真の記事は、朝日新聞「声」欄に掲載された京都府・加藤敦美氏の投稿で、予科練経験者の貴重な証言だ。
 朝日新聞の「声」欄は人気もあり、この投稿自身が大きな影響力を持っているが、基本的には朝日の読者でしかもその日の「声」欄を読んだ方だけだ。
 それが冒頭のLINE騒動ではないけれど、この記事がツイッター等で『拡散』され、その何百倍、何千倍という規模で人々に情報提供されている。そして人々は加藤さんの貴重な経験と「思い」を共有したのだ。
 そういう時代なのだと思う。

 加藤さんの「思い」は私などが繰り返して語る必要はない。少し読みにくいが写真をゆっくりと読んでもらいたい。写真上でクリックすると少しは大きくなる。

 人生には心からの笑いがあり、友情と恋があふれ咲いていることすら知らず、五体爆裂し肉片となって恨み死にした。16歳、18歳、20歳・・・・。
 今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ。
 ・・・・・と加藤さんは記述し、ツイッターで読んで泣いたというシールズの学生が訪問されたという後日談に繋がる。
 朝日の「声」欄もいい、SNSもいい。
 何よりも投稿に綴られた事実の重さと加藤さんの理性的な主張がいい。

2016年2月22日月曜日

「今」を大事にする 大竹しのぶさん

  2月21日付け赤旗日曜版第一面は、大竹しのぶさんの『ずっと「戦後」でいいんじゃない』と題したインタビュー記事で、朝日夕刊で連載中のエッセー『まあいいか』の出版を機に平和への思いなどを聞いたものだった。

 その冒頭、〈昨年9月、安保法案の審議がヤマ場を迎えていた日のエッセーでは、国会前の抗議集会に参加したことをつづりました。すでに違う原稿を出していたんですが、いきなり法案を採決しちゃうという動きになり、急きょ原稿を差し替えてもらいました〉とあったので、私はムラムラと当時のことを思い出した。

 「当時」というのは2015年10月1日の『しのぶさんに見習いたい』というこのブログの記事を書いた「当時」である。
 その記事で私は、9月30日に朝日新聞大阪本社版に載ったその記事(大竹しのぶさんが「急きょ差し替えて」と提出した原稿)の最後に『東京本社版では18日に掲載されました』とあった断り書きは、大阪本社編集局の自責の念かも知れないが、ジャーナリストとしてのセンスがないし根性がない!と書いたのだが、今回の赤旗の記事で、当時の思いをさらに深くした(大阪本社は「急きょ差し替えて」との大竹しのぶさんのお願いを却下したようだ)。

 赤旗のインタビューに大竹しのぶさんは、〈あの時、日本中の一人ひとりが「今自分たちが動かなくてはいけない」・・と考えたと思います。私も、その「今」を大事にしないといけないと思いました」と続くのだが、当時の朝日新聞大阪本社はその「今」を決定的に軽んじた。
 まさか、この素晴らしいエッセー掲載のタイミングを遅らせることで権力に迎合したとは思いたくもないが、勘繰りたくもなる『結果』であった。

 私自身、大竹しのぶさんの勇気、そしてその「今」を大事にするセンスに大いに学ばなければならないと反省した。
 元のエッセーは10月1日の記事に写真として掲載している。
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2015/10/blog-post_1.html

2016年2月21日日曜日

時にあらずと声も立てず

 当たり前のことだが毎年同じ頃には同じようなことを考える。
 なので、この季節には『早春譜』を口ずさみたくなる。
 〽 春は名のみの風の寒さや
    谷の鶯 歌は思えど
     時にあらずと 声も立てず
      時にあらずと 声も立てず
 歌詞がいい。『夏の思い出』で有名な中田喜直の父の中田章の曲もいい。
 喜直は『早春譜』を作った父に敬意を払って春の歌は作らなかったらしい。
 その旋律を盗作したとは言わないが、森繁久彌の『知床旅情』はよく似ている。

  よく似ているといえば、鶯とメジロもよく似ている。
 ほんとうは相当違うが、普通「梅に鶯」といって描かれている絵はほとんどがメジロである。
 鶯の色はうぐいす色よりもずーっと地味である。だからウグイス餅も正しくはメジロ餅と称すべきだ。
 それに梅の季節の鶯は「笹鳴き」といって藪の中でチャッチャッと言っているだけで、ホーホケキョと鳴くのはタケノコの季節、桜の開花直前になることが多い。
 
 俳句の季語というのも門外漢には分かりにくい。
 鶯が春というのはセーフという気がするが、メジロが夏というのは私の実感からすると「?」で、冬の方が身近に感じる。
 写真のように椿に頭を突っ込み花粉まみれになっている愛嬌ある姿を考えると「春」もいい。
 
 お花見の桜を食い散らすときには困ってしまうが、ヒヨドリよりは姿が可愛いのでつい許してしまう。
 
 「鶯鳴かせたこともある」とは歳をとった女性の述懐の言葉である。
 この頃は宴会で手を叩いて唄を歌うことなど皆無になったが昔はそんな席で「真室川音頭」を歌う人がいた。
 〽 私しゃ真室川の梅の花 こーりゃ
    あなた又この街の鶯よ~
 早春譜から真室川音頭まで鶯の顔は広い。

 鶯は時にあらずと声も立てないが、安倍政権の危険性と反国民性は極まっている。
 5野党は 
 ①5野党として安保法制の廃止と集団的自衛権容認の閣議決定撤回を共通の目標とする
 ②安倍政権の打倒を目指す
 ③国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む
 ④国会における対応や国政選挙などのあらゆる場面でできる限りの協力を行う
 という4点の確認事項で選挙協力を行うこととなった。
 ここに至るまでの市民運動や学者たちの果たした役割は大きい。
 この上に、草の根とか裏方というような頑張りが合わさったならば、彼の地のサンダース現象以上の地殻変動も可能だろう。
 春は来ている。私はそう思う。

2016年2月20日土曜日

粉わさび 死語ですか

  ご近所に静岡出身の方がおられて、私がわさび好きだというので時々帰省の後わさび関連のお土産を頂くことがある。
 わさびが好きだといっても、日常のお刺身などはチューブのわさびである。余程のことがない限り本わさびを鮫皮の「わさびおろし」ですりおろしたりはしない。

 さて、チューブと言ったがその昔は缶入りの粉わさびだった。
 そして妻が娘に、「昔は粉わさびを練った」と話をしたら、娘はそんなことは覚えていないと言った。
 そういえば「粉わさびを練る」というのも死語辞典かも知れない。

 小さい時は私はよくこの仕事をさせられた。大人たちは私が涙を流すのを笑ったし、私の涙で練り具合を判定していた。
 練りが浅くツーンとこないのは論外だし、ゆっくりしていたら「気が抜ける」とか「風邪ひく」と叱られた。
 そんなとき、「わさびは〇〇に練らせろ」か「わさびは△△に練らせるな」というようなことわざを必ず聞いていたが、今は正しくは思い出せない。〇〇は短気者というような言葉、△△はその反対を連想させるものだったように思う。
 ご記憶の方は教えてほしい。

  小さな猪口のような器で一気に練り上げ、涙が出るようになったら間髪を入れず小皿に反対に向けて被せるのがセオリーだった。
 こうして香りの飛ぶのを防止し、一層香りだたせるのだった。
 妻の父親は晩酌をしない人で、比較的こういうことに頓着しない方だったから、結婚したての頃、私がわさびの練り方にこだわるのがある種カルチャーショックだったと妻が娘に話していた。
 粉わさび、今は一種のスパイスのように使用している。我が家ではまだ死語辞典には入れていない。

  チューブのわさびではあの粉わさびを練ったときのツーンとくる強烈な刺激がない。
 大多数の国民がそういうチューブになったせいだろうか、近頃のマスコミのツッコミは全く風邪をひいていてわさびが効いていない。
 ジャーナリズムに再び粉わさびを!

 そんな中、刺激的なニュースが飛び込んできた。共産党市田副委員長のFBから転載する。
 ・・・・19日、共産、民主、維新、社民、生活の5野党党首会談が行われた。
 会談では、5党が共同して、安保法制戦争法の廃止法案を提出することを確認し、執行された。
 これは、戦争法に不安と怒りを持つ多くの国民の思いに応えたものであり、国会の場で、国民の前で真剣に審議することが求められる。
 党首会談では、その上に立って、4点が確認された。
 ①5野党として安保法制の廃止と集団的自衛権容認の閣議決定撤回を共通の目標とする
 ②安倍政権の打倒を目指す
 ③国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む
 ④国会における対応や国政選挙などのあらゆる場面でできる限りの協力を行う
 この4点の具体化をはかるため5野党の幹事長・書記局長間で早急に協議を始める、ということも確認された。
 なお志位和夫委員長は党首会談の場で、政権の問題について次のような発言をした。
 「わが党としては、戦争法の廃止、集団的自衛権容認の閣議決定の撤回のためには、この二つの仕事を実行する政府私たちはこれを国民連合政府、と呼んでいるが、これが必要だと主張してきた。今もその立場は変わらない。ただ、この問題については、賛否さまざまなので、政権問題は横に置いて選挙協力の協議に入り、今後の協議の中でわが党の主張をしてゆく」
 「参議院の1人区の候補者調整にあたっては、安保法制廃止、立憲主義回復という大義の実現のために、思いきった対応をしたいと考えている」
 以上が党首会談の概要だが、「戦争法は廃止を」「野党は共闘を」という多くの国民の声に応えた画期的、歴史的合意だ。
 世論と運動の力、道理の力、各党の努力の結果だ。
 日本共産党としては、誠実かつ真剣に協議に臨み、できるだけ早く合意を得るようにするために全力をあげる決意である。
 ・・・・一人区の主として民主党の予定候補者が、この5野党確認を真剣に受け止めるなら、自公政治は今年中には消滅するだろう。
 ということが実現するよう、民主主義を守る人々の質的な飛躍が求められている。

2016年2月19日金曜日

アイオワ演説を聴く

 前の記事の続きとして、・・・ アイオワ州予備選で「クリントン候補とほぼ同率」という選挙結果が出た直後、サンダース氏は総括演説を行った。
 この総括演説には、彼の政策・主張、そして選挙手法がコンパクトにまとめられている。
 その演説をそのまま翻訳したものが ハーバー・ビジネス・オンライン にあったので転載したい。
 なお原文は、PBSYouTubeに公開した当該演説の動画” Watch Bernie Sanders’ full speech after Iowa caucuses”にある。 
 (以下サンダース氏の演説本文)

 ありがとう。アイオワ、ありがとう!
 9月前、私たちはこの美しい州にやってきました。地盤も鞄も看板も何もありませんでした。 そして、アメリカ合衆国最強の政治的組織を相手どったのです。
 そして、今夜。まだ結果ははっきりしませんが、どうやら、ほぼ互角という結果を収めました。
 そして、まだ
     (聴衆よりバーニー!バーニー!の連呼。演説中断)
 そして、まだ結果は全部出ていませんが、どうやら我々は、アイオワの代議員の半数を獲得したようです。
 この機に、クリントン元国務長官と、どなたか。  そう、極めて精力的な選挙活動を展開した彼女の選対に、祝意を申し上げたい。
 そして、オマリー知事にも感謝を申し上げたい。 敗北はいつも過酷なものです。 私も、一度ならず選挙に負けた経験があリます。 しかしオマリー知事は、議論に多大な貢献をし、政策議論中心の選挙戦を展開し、そしてそのことによってアメリカの人々からの尊敬を獲得したのです。
 今夜の出来事を考えると、アイオワの人々は、極めて明確なメッセージを、政界のエスタブリッシュメントたち、経済界のエスタブリッシュメントたち、そして、(ここで記者席を指差す)メディアのエスタブリッシュメントたちに叩きつけたのだと思うのです。
 この国が直面する巨大な危機を考え合わせると、もはや状況は政界のエスタブリッシュメントたちや経済界のエスタブリッシュメントたちでは間に合わないのです。 アメリカの人々が主張するのは、そしてこれは、何も進歩主義者からだけではなく、保守派からも中道派からも私は聞きました、もうこれ以上、壊れきった選挙資金制度に我慢できないということなんです。
 私は、以前、上院復員軍人委員会の委員長を務めました。そしてその職掌として、復員軍人の権益を守るために粉骨砕身しただけではなく、我々と我々の生活を守るために貢献した沢山の人々とお会いすることができました。 そうした軍人たちが守ってくれたアメリカの民主主義は、一人一票であって金持ちが選挙を買収することではないはずです!
 全国各地の人々が、350万人もの人々が、我々の選挙活動を支えてくれたという事実に、私は、圧倒され感動しています。 BernieSanders.comを訪れたそうした人々による献金額の平均をご存知でしょうか? なんと、平均27ドルなんです! 我々は、富裕層やウォールストリートや「アメリカ株式会社」の利益を代表しません。 彼らのお金なんていらないんです。
 誇りを持って申し上げますが、我々は民主党唯一のスーパーPAC (訳者注:特別政治活動委員会 各候補者の企業献金や個人献金の窓口となる組織。政治献金を無制限に集めることができることから近年、批判の的となっているを持たない陣営です。 そして、我々がアイオワで健闘し、おそらくはニューハンプシャーでもそれに続く各州でも健闘するであろう理由は、アメリカの人々が不正な経済にNOを叩きつけているからです。 もうこれ以上、平均的なアメリカ人が低賃金で長時間働いているにもかかわらず、新たに創造される富が富裕層の1%に集中するような経済を必要としていないのです。
 アメリカの人々は、この国が、公正さの上に築き上げられた国だと理解しています。 トップ1%の中のわずか1/10の人が、その他90%の人の合計よりも多くの富を所有しているのは公正ではありません。 この国最大の金持ち20人が、この国の底辺半分の人々の合計よりも多くの富を持っているのは、公正ではありません。
 「Enough is enough!(もうたくさんだ!)」
 みなさん。革命的なアイデアへの準備はいいでしょうね?
 その革命的なアイデアとは、我々が、富裕層だけでなく、勤労世帯にも機能する経済体制を作るということです。
 そして、数百万もの人々が貧困ライン賃金で働いている状況で、我々は、最低賃金を15ドルに引き上げるということこです!
 そして、そうです、女性にも同一賃金を支払うのです!
 アイオワ中を駆け巡りました。我々の陣営は集会に次ぐ集会で7万人近い人々とお話ししました。
 多くの人々が立ち上がってバーニーさん!大学行ったんだ、大学卒業したんだ、で、今、6万ドル、8万ドル、9万ドルの借金を抱えているとおっしゃるのを聞きました。
 狂ってる。これは狂ってる。 彼らはまともな教育を受けようとしただけです。罰せられるべきではない。 これこそが 2016年に、公立大学は学費無料になるべきだと信じる理由です。 この主張に対しては私の批判者たちはこういうでしょう「バーニーさんよ、そりゃいい考えだ。タダだってね。でもどうやって財源を確保するの?」と。 財源の確保をどうするか言いましょう。 ウオールストリートの投機筋に課税すりゃいいんですよ。 貪欲で無軌道で不法なウオールストリートの振る舞いは、この国の経済を無茶苦茶にしました。 国民はそのウォールストリートを助けたんです。 今度は、ウォールストリートが中流層を助ける番です。
 そして我々がアメリカの変革を語る時、どの国よりも沢山の人々を刑務所に入れているという不名誉な現実に行き当たります。 それもアフリカ系とラテンアメリカ系に偏って。 我々は、刑務所や拘束ではなく、雇用と教育を若者に提供します。
 ちょっと驚くべき話をしましょう。
 私は上院エネルギー委員会と上院環境委員会に所属しています。 世界中の科学者たちと話をしました。 議論の結果は明白。 気候変動は真実です。そして我々には、世界中の国々と共同して、我々のエネルギーシステムを化石燃料から省エネそして持続可能エネルギーに変えていくべき倫理的な責任があるのです。
 びっくりするのは、本当にびっくりするのは、共和党のどの候補者も、世界中の科学者が同意するこの話に触れないということです。 なんで彼らが触れないかわかりますか? 彼らが気候変動の現実を認め変革を主張した途端、何が起こるかわかりますか?  彼らはコーチ一族や (訳者注:カンザス州に拠点を置く全米第二位の規模を誇る私企業・コーチ工業の創業家一族) や化石燃料業界からの献金を失うんです。 選挙資金ばかり心配するな、自分たちの子や孫に残していくこの星の事を心配しろと、共和党の候補者には申し上げたい。
 この選挙期間中、私は、何度もなんども批判され続けてきました。 いいんです。大丈夫です。
 でも、私が信じていることを繰り返し申し上げましょう。 世界のすべての主要国が健康保険を国民の権利として提供しているのだから、アメリカ合衆国も同じようにすべきだと。 ウオールストリートジャーナルやワシントンポスト、そして、「アメリカ株式会社」とかにいる私の批判者には、健康保険は権利であって特権じゃない!とはっきり申し上げます!
 そしてそれが、公的医療保険制度こそがすべての人々に医療を提供し、医薬品によるぼったくりをなくし、中流世帯の年間数千ドルに上る医療コストを削減すると信じる理由です。
 他の大統領候補が言わないことで、この演説を締めくくりましょう。
 それは、どの大統領でも、バーニーサンダースでも、誰であれ、若年層や高齢者が必要とする変革をもたらすことはできないということです。 大統領一人の力は限られています。 次々と献金してくるウォールストリート、「アメリカ株式会社」のような大きな選挙資金提供者は強大なので、どの大統領も、やらねばならぬことを一人ではやれないのです。
 だからこそ、今夜アイオワがやったことは、政治革命なのです!
 もうすでに政治に興味を失った人々、ワシントンで行われていることに失望し不満を持っている人、これまで政治に興味を持っていなかった若者を含む数百万の人々が一緒に、若者や労働者や高齢者がともに立ち上がっり「もう沢山だ!」と、我々の政府は、この偉大な国の政府は、少数の金持ちではなく我々みんなの政府なのだ!と声をあげる政治革命。 この革命が起こるとき、我々は、この国を変えることができるのです。
 ありがとう!

 演説は以上である。私には何の無茶も言っていないように思える。
 私たちは、彼の国の地殻変動に驚くよりも、この国の「茹で蛙」的停滞を驚くべきだろう。

2016年2月17日水曜日

バーニー・サンダース

 20151018日日曜日に「米国の民主主義」というタイトルで次のように書いた。
  マルクスとリンカーンが心のこもった書簡のやりとりをしていたことは有名な話(アメリカ合衆国大統領エーブラハム・リンカンへ〈マルクスエンゲルス全集16巻〉ほか)だが、そのことを思い出させるような米国の民主主義に感心したことがある。
 14日の夜に見るともなくテレビニュースを見ていると、大統領選挙に向けた米国民主党のテレビ討論会が報じられていて、ヒラリー・クリントン氏とバーニー・サンダース氏が映っていた。
 私が感心したのはサンダース氏の発言で、「米国の下位90%の人たちが持つものと同じ富を上位0.1%が独占しているのは不道徳で間違っている」「一握りの億万長者から政府をとり戻す」と、ウォール街と大銀行の行き過ぎを規制する決意を述べていたことで、米国民主党の候補者選びの段階とはいえ、こんなまともな意見が全米にテレビ放映されるという米国の民主主義に敬意を感じた。(なおクリントンも基本方向を否定せず「私の方が上手くやる」と対応した)
 先日我が国では、政権与党の総裁選で首相に対抗する候補者潰しが行われて無投票となり、引き続く内閣と党役員改選では立候補しようとした野田氏所属の派閥が干されたというニュースがあったばかりである。

 世界の憲兵面(づら)をした米国を不問に付すつもりはさらさらないが、彼の国ではTPP反対の声も小さくなく、フクシマ型のピルグリム原発の廃炉を決め、ニューヨークにまで来た安倍首相にオバマ大統領が会見すらしなかったことに、米国民主主義とジャーナリズムの片鱗を垣間見た気がする。
 サンダース氏は現代を「カジノ資本主義だ」と述べているが、片やこの国では規制緩和、官から民へ、小さい政府という大合唱に大手マスコミが同調し、結局先に述べたような米国や先進諸国の真の姿を伝えもせず、日本を代表するような東芝、三井不動産、旭化成等々の不正問題を構造的に解明しようともせず、武器輸出、原発輸出を称賛し、勤労者のセーフティーネットの破壊を看過している。大阪をカジノで豊かに・・など論外だろう。
 そう考えると、この国には、民主主義革命、市民革命が喫緊の課題となっていないだろうか。
 
立憲主義をメーンテーマにした国民連合政府構想を本気で考える秋である。
(引用おわり)


 このとき私は、どうせ緒戦で消えるにしても画期的ではないかと感動しながらこの記事を書いていた。
 ところがご存知のとおり2月1日の中西部アイオワ州でクリントン氏49.9%、獲得代議員23人に対してサンダース氏49.6%同21人と互角に戦い、9日のニューハンプシャー州ではクリントン氏38.0%対サンダース氏60.4%と圧勝した。
 広いアメリカ大陸のことであるから予備選挙の行く末など私には解らないが、大企業や大富豪への課税の強化、最低賃金15ドル(1800円)、公立大学授業料無償化、国民皆保険等々の公約へのアメリカ国民の支持は、我が国自公政権の政策をみすぼらしくしている。凄いことではないだろうか。
 氏は、自ら「民主社会主義者」と名乗っているが、アメリカでの「社会主義者」という語調は日本のアカ攻撃以上と言われたりしているから、超大国の社会の土台のあたりで驚くような地殻変動が起っているようだ。
 お恥ずかしい話だがニューハンプシャー州といってもイメージが湧かず、地図帳を開いてみたら、ニューヨーク市やボストン市にも近い東部の州だった。
 サンダース氏の地盤の隣の州ということもあるようだが、それにしても、南部や西部の片田舎の州(失礼)でたまたま起こったハプニングではないようで、もう片方にはトランプ旋風というとんでもない現象を抱えてはいるが、興味がさらに深くなる。
 それにしても、格差社会に強烈なNOを突き付け始めているアメリカの変化を正しく報道もせず、トランプ氏と抱き合わせで「社会は両極化している」とか「理想主義だ」という程度の論評でお茶を濁し、相も変わらずウォール街のお先棒を担ぐアベノミクスを持ち上げようとするこの国のマスコミの劣化はひどい。

2016年2月15日月曜日

焼酎ボンボンに目を細める

  節分の記事の中で、「ハロウィンやクリスマスやバレンタインの行事はするのに節分の豆撒きをしないのは無国籍日本人だ」と毒づいたが、昨日のバレンタインデーに孫の夏ちゃんが手作りのクッキーと焼酎ボンボンを持ってきてくれたので、君子は豹変してにわか耶蘇教徒に宗旨替えをした。

 今年は日曜日で義理チョコが不要になったせいか、昨14日現在、ショッピングモールの特設売り場には商品がいっぱい売れ残っていた。
 売れ残ったものは翌日から在庫セールでもしてくれればいいのだが、何年も見ているがそういうセールは行われない。
 それも商売のセオリーなのだろうが、あの山積みされていたチョコレートは一体どこに行くのだろうかと常々疑問に思ったまま未だに解っていない。

 あと先になったが妻からは先にウィスキーボンボンをもらっていた。
 そのウィスキーボンボンの製造方法だが、それは2012年2月13日の「ボンボンは魔法の薬」 
http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2012/02/blog-post_13.html の記事に書いたが予想外のもので、ちょっと芸術的なその製造技術に驚いた。
 ウィスキーボンボンは母も祖母も大好きだったので、お裾分けをしてお供えをしておいた。
 そして此の度の焼酎ボンボン。これはそういうウィスキーボンボンの製造方法とは異なったものだったが、それはそれでいいだろう。

 夏ちゃんのお母さんから「自動車の運転前には食べないでね」と注意されたこともあり、夜にNHKスペシャル司馬遼太郎思索紀行を観ながら美味しく頂いた。
 その姿勢にいろいろ批判の多いNHKだが、今回のNHKスペシャルは司馬遼太郎が日露戦争以後の日本の社会(政治)を強く非難していたというように訴えたように素直な内容であった。
 安倍氏らが「この国のかたち」を牽強付会して戦前の政治を大いに称えたことに対する静かな反論のようにも思えた。
 管理というか統制というかそういう締め付けによって安倍自公政権に屈した感のあるNHKの中にもこういう良識が頑張っているように私には見えた。

2016年2月13日土曜日

コミュニティー意識

 前の記事で「自治会活動の大切な仕事はコミュニティー意識を高めることだ」という本が教訓的であることを紹介したが、そういうことなどに関わって友人たちと一杯やりながら語り合った。
 共通して語られたのはマンションの管理組合役員としての苦労話だった。
 そのひとつは、分譲マンションに本人が住んでおらず賃貸をしているケースで、実際の居住者はマンションの長期的な保守や維持管理に全く関心がないどころか、日本語も通じない中でどのようにコミュニティー意識を持ってもらうかということだった。
 もうひとつは、これはマンションであるかないかに拘わらず起こる問題だが、住民同士のトラブルの調整で、1階の営業と2階の騒音というようなものである。これは先日NHKの「朝いち」でもやっていたが、微妙かつ深刻な問題である。
 管理会社を入れていない管理組合や一般的な自治会ならより深刻だ。

 ところで、朝日新聞がシリーズで追いかけている自治会は、どちらかというと古い閉鎖的な自治会で、それを批判して退会するとゴミ収集などの自治体行政の対応が適正になされないというようなことに力点があるようだが、都市部の自治会では役員などの負担は一切嫌だというように加入しない住民の増えていることの方に問題点があるように思う。 
 つまり、人間が生活するうえでは、税を支払って自治体で対応させるべき問題と同時に、どうしても住民どおしのコミュニティーとして話し合いで解決しなければならない課題があることが理解できていない住民がいることであろう。

 生まれた時から貨幣経済と高度な分業システムという人工的な環境で育ち、それ故に自分自身を守るためには電気が止まったら電力会社にクレームをつけ、水が止まったら水道局にクレームをつけ、ゴミがたまったら自治体にクレームをつける。そういう対応こそが唯一正しい対応だというふうに飼いならされてきており、学校教育は受験教育が中心で、体育会系クラブ活動は縦の指示命令という現代人には、自分たちで話し合って解決しなければならない課題があることすらが理解できないという、そういう住民が増えてきていないだろうか。
 そういうことは、職場にあっても労働組合未加入者の増加という形で表れている。

 終の棲家と思って一世一代の買い物をしてマイホームと思ってもそういうトラブルがあると辛いだろう。
 大阪府知事はマンションの空き部屋でホテル業をすることを推進して自慢しているが、終の棲家という配慮やコミュニティー意識の醸成という感覚を欠いている。
 結局、前の記事でも今回の記事でも解決策らしい解決策はよう書いていない。
 私なども、地域の親睦行事というようなものにもっと長ける必要があるように反省した。

2016年2月11日木曜日

ゆりの木受難

  退職者会会報の書評欄に友人が「小学館新書:町内会は義務ですか―コミュニティーと自由の実践―」を採り上げていた。
 NHKのクローズアップ現代や朝日新聞でも度々議論されてきた古くて新しいテーマである。
 友人の書いた書評では、「基本はボランティア」「地域にとって必要なことは税金でやり、町内会はプラスアルファ」という原則が重要で、一番大事なことは親睦や交流によるコミュニティー(共同体)意識をつくりだすことだと述べ、「自助・自立」「共助」論で町内会を持ち上げて「公助」抑制ありきを見落としてはならないと指摘していた。

 さて、我が街の町内会はというと近年は未加入者も少なくないし、役員も輪番というか押し付け合いで活発ではないが、その分、変に寄付金の強制や自治体業務の下請けのようなものも少ない。
 結果として、良くも悪くも、コミュニティー意識も希薄になりがちな新興住宅街の典型的な町内会というような微妙な特徴を持っている。
 
 そんな折、自治体の議会だよりを読んでいたら、「なぜ街路樹を伐採したのか」という議員の批判に対して自治体当局が「地元自治会からの要望である」と答えているのが飛び込んできた。
 我が街よりもさらに新しいニュータウンのことである。
 
 他地域のことであるから真相は知らないが、地元自治会が要望したというのならどんな理由なのだろうと興味が湧いた。
 ゆりの木だというのだから最初に思いついたのは大量の落ち葉である。(プラタナスと負けず劣らずの大きな枯葉である)
 あるいは初夏の毛虫の発生か。
 あるいは見通しが悪いとか、日陰になりすぎる・・だろうか。
 私自身の経験からしても、大量の落ち葉も毛虫の大発生も嫌になる。
 それらを、「我が街は我が手で綺麗に!」と言われても、高齢者や共稼ぎ家族では手に負えない。
 しかし、せっかくの街路樹を伐採という選択肢しかなかったのだろうか。

 話は飛ぶが、日本の大きな企業には職場に民主主義がないと言われている。
 企業経営を民主主義でやっていたら会社がつぶれると言わんばかりのトップダウンである。
 その上に、本来民主主義の担い手になるべき労働組合も組織率が低下しており、オマケに会社の息のかかった御用組合が少なくない。
 だから、ああでもないこうでもないという議論を調整する一人一人の能力が極端に落ちている。それは町内会でも男性が発言すればよく判る。

 元に戻って、現代日本人は先に述べた企業生活の大いなる影響を受けて、異なる立場、異なる意見に心配りをする度量が狭くなっているように私は思う。
 相手の意見に耳を傾けてああでもないこうでもないと議論する中からコミュニティー意識もホンマものになるのではないだろうか。だからこのことは、ほんとうは大切な問題でもある。
 ゆりの木の伐採が絶対に良くないという気はないが、どんな議論があったのだろうか、それ以外の結論はなかったのだろうかと私は思う。
 と言えるのも私がリタイヤしてかつ比較的元気な高齢者だからで、共稼ぎの若い頃なら、行政が対応しきれない街路樹なら伐採してくれと言っていたかもしれない。
 一昔前ならもっとスッパリと竹を割ったように答えを出したかもしれないが、歳のせいかいろんな人の気分や言い分が解って答えるのに難儀する。
 緑豊かな街づくりという大義名分で、「地元自治会」の早急と思われる結論を批判することは容易いがそれだけでは済まない気もする。

2016年2月10日水曜日

建国記念の非

  建国記念の日が日本書紀の神武元年1月1日の記事に基づいて紀元前660年と逆算されて決められたことは1月17日の記事等、以前に書いた。
 そこでは神武から16代(神功皇后を含めると17代)仁徳までのうち12名の年齢が100歳を超えていることも書いた。
 だから、日本書紀を神話として語ることは良いが、記載内容を文字どおり史実として語ることは非常識である。
 1年(歳)を太陽暦の1年と勘定するならこのことに異論のある方はいないだろう。1歳を太陽暦1年としているからこそ紀元前660年となる。半年で1歳と数えるという説もあるが、その説でいくと100歳未満になるが紀元前660年まで遡らない。

 余談ながら、「紀元節派」の方々がそれほどまでに無理をして辿り着いた皇紀元年がようやく西暦紀元前660年である。
 因みに彼らが口汚く侮蔑する中国大陸で文字が作られたのは殷王朝で、今から「2,676年」をはるかに超えた3,000年以上前である。
 最新のニュースでは、イラク南部にあったバビロニアでは、紀元前660年ではないが、紀元前350年~50年と見られる粘土板によると、木星の位置を算術の方法ではなく幾何学的な計算で導き出していた。
 何も自虐することはないが、素直な眼で見れば日本列島の歴史はそういう位置にある。

 さはさりながら、その多くのフィクションの故をもって、記紀の記述の100%が机上で創作された物語だと津田左右吉的に掃いて捨てるのも如何かと私は思っている。
 考古学の成果で検証しながら記紀の隅々にある歴史の断片をつなぎ合わせる研究があってよいと思っている。

 だから私は、古事記の序文に書いてある諸家に伝わっていた帝紀や本辭は当時はあっただろうと考える方が素直だと考える。
 5世紀後半製作と言われている埼玉稲荷山鉄剣の銘文で「自分はヲワケで雄略天皇に仕え、8代前の祖先はオオヒコだ」というオオヒコは、書紀に書かれた崇仁天皇の将軍であったオオヒコであっただろう。
 ヲワケですらが8代前の祖先の伝承を持っていたのであるから、大王家には当然その種の記憶が引継がれていただろう。
 壬申の乱(672)の最中に大海人軍は神武天皇陵に馬や武器を奉納したとあるのは、少なくともその当時に、「神武天皇が皇祖であり、その御陵と称するもの」が信じられていた証拠だろう。
 なので、百済記の記す「沙至比跪」も記紀の葛城襲津彦のどれかと一緒だろう(襲津彦は数代襲名していたに違いない?)。
 第19代允恭天皇5年に天皇が葛城襲津彦の孫の玉田宿禰を殺そうとしたとき、玉田宿禰は武内宿禰の墓に逃げ込んだとの記述もあり、これも、武内宿禰の墓(古墳?)と言われているものが当時あったこと、そこがアジールであったことが認められるが、このことは、応神天皇の実父と推測される(母は神功皇后、応神は仲哀の死後10カ月以上経ってから誕生)武内宿禰や神功皇后の実在も想像させる(ここは異論も多いが私はそのように想像する)。
 いわゆる天皇陵が考古学的に調査できず立入禁止になっているため大きな障害があるが、古代史と書紀の記述は今後少しずつ解き明かされるに違いない。

 だから建国記念の日の問題の所在は古代史にあるのでない。
 問題は、多くのフィクションで装飾された神話を「史実である」として教え込み、批判を暴力で封じ込め、その上に「現人神」「神国」思想で裏打ちされた軍国主義を反省するのかしないのかという一点にあると考える。
 繰り返すがテーマは近代史なのである。古代史は議論し論争すればよい。私は何人もの天皇が100歳を大幅に超えて生きたとは信じないが・・・。

 今年の国会の始まりの始まりが自民党進藤議員の「今年は皇紀2676年」の発言からスタートし、安倍首相が非常事態法=戒厳令を含む憲法改正を公言した今日、今年の建国記念の日に何の意思表示もせずに拱手傍観していてはならないと私は思う。

 7月には参議院選挙、場合によっては同時選挙がある。
 政府は選挙前に3万円をばら撒き、政治の行き詰まりを全て官僚及び公務員労働者のせいにする大キャンペーンで世論を誘導するだろう。
 惑わされてはならない。争点は、「海外派兵容認の解釈改憲の閣議決定の撤回」、「戦争法案の廃止」である。
 そこを押さえたうえでアベノミクスの批判や積極的経済政策を語らなければならないと、建国記念の日を目前にして思う。

2016年2月9日火曜日

ツグミ喜べばケラが腹を立てる

家の前にやってきたツグミ
  「ツグミ喜べばケラが腹を立てる」は、野鳥に関する著作の多い国松俊英氏の本にあったもので、その本を読むまでは私は全く知らなかったことわざだった。
 意味は、利害の対立する関係のことで、一方の怒りが他方の喜びになること。
 そんなことは現代社会でゴマンとある。それはさておき。何故ツグミに対してケラなのか。

 由来は、「釣りツグミ猟」とある。
 おもに茨城県鹿島郡で行われていたが、ツグミを鉤で釣る猟法で、鉤に木綿糸を60センチくらいつけ、竹の棒に結び地面に固定する。鉤には餌としてケラやミミズを使った。熟した実のなった木の近くに仕掛けたとある。
 その本で読む限り、魚の釣りと同じように、ツグミが啄ばんで鉤を口や喉にひっかけたようだ。鉤というものが特別のものか釣り針のことかも判明しないが、まあそういうものだろう。
 現在はもちろん、カスミ網同様法律で禁止されている。
 鳥獣保護及狩猟に関スル法律施行規則に、禁止される猟法として「つりばり又はとりもちを使用する方法」という文言も見えるところからもその種の猟法のあったことが認められる。
 
 伏見稲荷の門前町ではスズメの丸焼きが有名だが、以前はツグミの丸焼きも売っていた。
 近頃なくなり、代わりに養殖と思われるウズラの丸焼きが売られているのは、ツグミの密猟が減ったためだろう。
 毎年400万羽ほど獲られていたというから、捕獲禁止もやむを得ないと思っている。
 それに、軽々に判断はできないが、私の感覚でもここ数年ツグミの数は減っている。
 冬鳥のシベリヤや夏鳥の東南アジアの開発、工業化で環境が悪化したためでなければよいのだが。それともやっぱり国内のカスミ網による密猟?
 自然を克服した人工的な街が文明の象徴であるかのような馬鹿な誤解があるが、自然を大事にする思想こそが文明だというのは自明のことだ。

2016年2月8日月曜日

こいつぁ 春から

  先週の日曜日に入江泰吉記念奈良市写真美術館に行ったら、ナント、その日に限って、そんなに度々あるわけでもない展示替えのための休館だった。ああ、
 昨日の日曜日に、まだ居るか居ないかは分からないがと思いつつも、ニュースで飛来が報じられていたコウノトリがいる可能性のある広大寺池に行ってみたら、住民総出で池の水を抜いて池さらいをしていて、コウノトリどころか水鳥はただの1羽も居なかった。ああ、ああ、
 こいつぁ 春から~、見事にツイていないWパンチだった。
 
 このあいだ節分のことをいろいろ書いたが、大陸由来の思想(道教・陰陽道)であったとしても、それが宮中だけでなく庶民レベルで受け入れられたのには、それだけの土台・風土があったためで、具体的なイメージは、1年で一番厳しい季節にインフルエンザのような邪鬼を怖れ、それに打ち勝とうと考えた感情と合わさった行事だろうと考えた。

 しかし、この時期の広大寺池とその周辺の水路の住民総出の大掃除を見て、そして、手向山八幡宮の豆撒き行事が『御田植え神事』であること、我が国の年中行事の多くが農耕儀礼であることなどを考え合わせると、節分行事も、いよいよ始まる春の農耕の開会式でもあるのだ、少なくともプレ・オープニングセレモニーのファンファーレの気分と重なっていないかと思い当たった。
 ひとりひとりが節分をそう理解するかしないかは別にして、いよいよ節分だ!と行事をしたくなるのではなかっただろうか。
 だからやっぱり、豆まきの「まき」は種蒔き(種播き)の「まき」で、向かう1年の農耕の予祝なのだと思い当たったのだがどうだろう。

 里山資本主義という本がベストセラーになっているし、亡・貝原兵庫県知事が「大都市は大地震に対応できない」「対応できるのは中都市農村だ」と実感を込めて語った言葉を思い出すが、我が国は農の力をもう一度見直すべきではないだろうか。
 なので農耕儀礼と重なった年中行事も大切にしたいと思うのだが如何だろう。

 節分の日は風邪をひいて来れなかった孫の夏ちゃんがやって来て、方相氏になってくれて、残しておいた豆を大きな声で庭に撒いてくれた。
 これで今春も、縁起がいいわぇ!と変わることだろう。

2016年2月6日土曜日

アフガンの真実

  1月30日付け朝日新聞に、NGO「ペシャワール会」現地代表中村哲医師のインタビューが掲載された。
 米軍が「対テロ戦」を掲げてアフガンの空爆を始めてから15年。氏は「私たちのいる東部は、旧ソ連が侵攻したアフガン戦争や、国民の1割にあたる200万人が死んだとされる内戦の頃より悪い。この30年で最悪です」と述べている。意外だった。
 遅々とした歩みであるが復興しつつあったのではなかったのか。また、タリバーン時代よりはましではないのか。

 それらについて氏は「タリバーンは海外からは悪の権化のように言われますが、地元の受け止めはかなり違う。各地に割拠していた軍閥は暴力で支配し賄賂を取り放題。それを宗教的に厳格なタリバーンが押さえ、住民は当時大歓迎しました。この国の伝統である地域の長老による自治を大幅に認めた土着性の高い政権でした。そうでなければ、たった15,000人の兵士で全土を治められない。治安も良く医療支援が最も円滑に進んだのもタリバーン時代です」と。やはり意外な現地報告だった。私はタリバーンの仏教遺跡破壊に良い印象を持っていないが。

干ばつでこんなであった地が

灌漑でこうなった
  氏らは1980年代90年代は医療支援だったが、今は灌漑事業を中心に行っている。
 その理由を氏は「2000年からの記録的な干ばつで何百万という農民が村を捨てました。栄養失調になった子が泥水をすすり、下痢でいとも簡単に死ぬ。診療待ちの間に母親の腕の中で次々に冷たくなるのです。彼らの唯一にして最大の望みは『故郷で家族と3度のメシを食べる』です」と語り、7年かけ27キロの用水路を掘り、3千ヘクタールが農地になり15万人が地元に戻ったらしい。 20年までに16,500ヘクタールを潤し65万人が生活できるメドが立っている。
 その工事は、日本の募金活動により、毎日数百人の地元民が約450~630円の賃金で作業しているのだと。
 驚いたのは、「元傭兵もゴロゴロいます。『湾岸戦争も戦った』と言うから『米軍相手か』と聞くと『米軍に雇われていた』」というくだりで、父親が家族のために命をかけて出稼ぎに行くリアルを教えられた。(あんまり宗教戦争・宗派争いと見るのは正しくないのかもしれない)

 それにしても、あの戦争と混乱の中でよく30年間も活動ができたもので、それについて氏は「日本人がしているという信頼が大きいのは間違いありません。アフガンで日露戦争とヒロシマ・ナガサキを知らない人はいません。3度も大英帝国の侵攻をはねのけ、ソ連にも屈しなかったアフガンだから、アジアの小国だった日本が大国ロシアに勝った歴史に共鳴し尊敬してくれる。
 戦後は廃墟から復興し、一度も他国に軍事介入したことがない姿を称賛する。言ってみれば、憲法9条を具現化してきた国のあり方が信頼の源になっているのです」と・・・
 どこかでトルコの人々も親日的で、その理由の一つが日露戦争であったような話を思い出して複雑な感情が湧かないわけではないが、大国の横暴を見つめてきた諸民族の素朴な感情なのだろう。

 ただ注目すべき氏の言葉は、「90年代までの圧倒的な親日の雰囲気はなくなりかけている。嫌われるところまではいっていないかな。欧米人が街中を歩けば狙撃される可能性があるけれど、日本人はまだ安心。漫画でハートが破れた絵が出てきますが、あれに近いかもしれない。愛するニッポンよ、お前も我々を苦しめる側に回るのか、と」とあった。

 そういう現地のナマの声の続きとして、「日本人が嫌われるところまで行っていない理由のひとつは「自衛隊が軍服姿を見せていないところだ」というこれも私には意外な答えで、「米軍とともに兵士が駐留した韓国への嫌悪感は強いですよ」とも。(これも初めて知った指摘事項だ)

 最後に、「自衛隊にNGOの警護はできません。アフガンでは現地の作業員に『武器を持って集まれ』と号令すれば、すぐに1個中隊ができる。兵農未分離で全員が潜在的な準武装勢力です。アフガン人ですら敵と味方が分からないのに、外国の部隊がどうやって敵を見分けるのですか?机上の空論です」
 「軍隊に守られながら道路工事をしていたトルコやインドの会社は、狙撃されて殉職者を出しました。私たちも残念ながら1人倒れました。それでも、政治的野心を持たず、見返りを求めず、軍事力に頼らない民生支援に徹する。これが最良の結果を生むと、30年の経験から断言します」と結ばれていた。

 読みごたえがあり、考えさせられるインタビューだった。世の中、知らないことばかりだ。
 このインタビューは大いに勉強になった。
 で、集英社新書、中田考著「イスラーム 生と死と聖戦」を読み返したが、タリバーンにしてもISにしても手持ちの材料が少なすぎて頭の整理が追いつかない。評論できるだけの意見はない。

2016年2月4日木曜日

鬼の話、豆撒きの話

神門の守護神
  前の記事の続きになる。

 我が国の公式歴史書?である続日本紀には文武天皇3年(699)に役小角のことが書かれていて、そこには「鬼神を使役していた」とある。
 歴史書ではないが史料として侮りがたい日本霊異記第28にも詳しい。

 その鬼を捕まえたところが現奈良県生駒市鬼取町の鬼取寺(現鶴林寺)で、前鬼(ぜんき)はその後現奈良県吉野郡下北山村前鬼に、後鬼(ごき)は現吉野郡天川村洞川に住んだという。
 役小角は前鬼、後鬼以外にも諸々の鬼を使ったというから、鬼取町近くの暗峠沿いの街道で、秘伝の和薬を旅人に施していたと生駒市史に載っている妻の曽祖父は諸鬼の後裔だろうと以前に書いた。

 この限りでは、その昔の生駒山中の鬼は里の水稲文化と異なる山人だっただろうと推測できる(曽祖父は普通の水田農家だったが)。要するに、多数派、主流派が、異なる文化に属する人々を差別した思想ではないだろうか。
 弥生文化と縄文文化というほど単純なものではないが、古代の国家が成立していく過程で多くの戦があり、その結果、まつろわぬ民、敗れた民も鬼とされたことは間違いない。
 さらには、権力闘争の犠牲になり非業の死を得た者も怨霊となり鬼とされたのはいうまでもない。

  そういうものが、風水害や疫病等をもたらしたと観念された素朴な鬼とないまぜになって今日があるように思う。
 前者の鬼に関わって言えば、総じて、「勝ち組」の方が鬼よりも悪人であることが多い。

 ただ世の中が単純でないことは、孫の父親つまり娘の婿の氏名は源頼光の四天王の一人である。テレビでは、その名を聞くだけで鬼は近寄らないから豆撒きすら不要という。
 ああ、鬼の末裔の子(娘)が鬼退治の後裔と結婚したわけで愉快である。
 というように整理したうえで、後者の素朴な鬼にだけ向かって昨夜「鬼は外」と豆撒きをした。
 1歳にも満たない孫は持ちやすいのか矛を握りしめて、別の手で豆を一粒一粒打ってくれた。
 世の中には、クリスマスやバレンタインはするが節分はしないという無国籍日本人が増えている。そんなことを毒づきながら楽しい節分行事を滞りなく執行した。

 次いで「戌亥の隅」についていえば、ここを清浄に保つことによって福を招くという考えが、この国では終戦直後までは一般的であった。それを鬼門ならぬ「神門」という。
 我が家ではこの神門を、18世紀フランスのアレグランによる水浴の女神が守っていてくれている(ただし、建ててからそこが神門にあたると解っただけのアトヅケである)。
 ただし、「その像は何ですか」と人に聞かれたら、私は神門の守り神とは言わずに「妻です」と答えている。

  さて、イクジイは図書館にも行けず勉強は進まないが、概要程度を学ぶにはネットの力は素晴らしい(そんなことを「学ぶ」などというとおこがましいが)。
 たまたま書棚の大森志郎著「歴史と民俗学」という古い本を引っ張り出して読んでみると、豆撒きの最も古い文献は花営三代記(足利義満から3代の記録)とあった。
 そこからネットで追いかけると、応永32(1425)年1月8日に「節分大豆打役(の)照心(が)カチクリ(を)打(った)」とあり、同じことは看聞御記にも「抑鬼豆打事近年」とあり、臥雲日件録の文安4(1447)年12月22日に「明日立春故及昏景家毎室散放豆」「因唱鬼外服内」と出てきた。花営三代記は原本の写真で読むことができた。
 これで、少なくとも室町時代には各家で「鬼は外、福は内」と唱えて豆撒きをしていたことが解った。
 ちょっとだけスッキリした。

2016年2月2日火曜日

方相氏 顕わる

戈と盾を持った方相氏 顕わる
  明日は節分。
 鬼追いのルーツは追儺(ついな)式であるが、福永光司、千田稔、高橋徹著「日本の道教遺跡」によると、追儺式は儒教の経典「周礼(しゅらい)」に書かれた中国の古い(紀元前の)儀式で、日本(宮中)が忠実に見習った行事である。
 日本書紀には慶雲3年(706)に文部天皇が「はじめて大儺(つまり追儺)を行なった」とある。

 「延喜式(平安中期(927)に編纂された律令の施行細則)」や「江家次第(~1111)(平安後期に大江匡房が著した有職故実書)」によれば大舎人寮の舎人が鬼の役を務め、大舎人長が方相氏(ほうそうし)になった。
 方相氏とは周代(紀元前1046頃~紀元前256)に鬼を追う役職だったが、後に疫病を払う神となった。
 方相氏は黄金の四つの目玉をもつ仮面をかぶり、黒の衣に赤の袴をつけ、戈と盾を持っている。
 「江家次第」によれば、大晦日の夜に方相氏が大声を出して、戈で盾を三度打つ。群臣がそれに呼応して桃の弓、葦の矢、桃の杖をもって鬼を追う。鬼は四方の各門を回り、清涼殿東北の滝口の戸から逃げ出すが、方相氏は終始先頭になって追う。

 ・・・と読んできて「オイ オイ オイ」と言いたくなった。豆を撒かないのか???
 結論を急いで言えば、古くにはこのとおり豆撒きがなかったが、道教の経典「神農本草経」に豆が鬼毒を殺すとあり、「延喜式」の祭文等には道教用語が続々と出てくるし、翌元旦の「四方拝」が道教の儀式そのものであるところからも、道教の呪術である豆撒きと一体となって今日のように「進化」したらしい。日にちも大晦日から節分に移動した(立春正月としてなら移動していない)。
 宇多天皇(890~897)の時代に鞍馬寺毘沙門天の託宣で鬼に豆を打って追い払ったとある。
 そういう中で、病気や不幸は(邪)鬼のせいだと考え、その侵入が予想される出口の向こうの仮想敵に豆を打ちつければそれが防げそうだという、非常に解りやすいロジック=信仰が庶民に受けて広がったのだろう。

 ということで、今年は孫のために方相氏のお面と戈と盾を制作した。
 ただ、9世紀には方相氏が鬼を追う役から鬼とともに追われる側に代わったらしい(というか方相氏が鬼の原型になったりした)からここは判断が難しいのだが、我が家では古式に戻って追う方とした。
 写真のとおり、この凛々しい方相氏が今年我が家に侵入を計る邪鬼を祓ってくれることは100%間違いない。

 明日の節分にはもう一人の方相氏が家族そろって我が家に来てくれる。
 恵方巻を食べて豆撒きをしてみんなで節分のパーティーをする予定だ。
 今年は寺社の行事には出かけられないが、我が家で鬼になれるのが一番嬉しい。
 さあ、隣近所が驚くほど大きな声で豆撒きをするぞ。

 なお、我が家では節分に「鬼は外 福は内 戌亥の隅にどっさりこ」と言って豆を撒く。
 その我が家に伝わる「戌亥の隅・・」の言葉の意味について考察した結果については、2013.2.15「戌亥の隅にどっさりこ 考」http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2013/02/blog-post_15.html、
2013.2.23「続 戌亥の隅にどっさりこ 考」http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2013/02/blog-post_23.html に私見を書いているので、興味のあるお方はご笑覧頂きたい。
 オマケとして、2011.12.18の「鬼の末裔」http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2011/12/blog-post_18.html で妻が鬼の末裔であることも書いておいた。

2016年2月1日月曜日

冬晴れの日曜日

  31日は穏やかな冬晴れになったので、珍しく夫婦で奈良公園を散歩した。
 鳴き声を聞いて妻が「イカルだ」と叫んだので、よく見たら枯れ木に留まっていた。
 法隆寺のある斑鳩(イカルガ)にたくさんいたからイカルという説とイカルがたくさんいたから斑鳩という説がある。
 声もよいし姿もよい。残念ながらこの程度の写真しか撮れなかった。

 浮見堂の池でカワセミを見つけた。
 遠くであったのとシャッタースピードが甘かったのでこれも満足できない写真になったが、上の写真は水中の魚めがけてダイビングしているところだ。












 家に帰ってきたら我が家の餌台にヤマガラがいた。
 いつも見なれている友人だが可愛い奴である。
 いつもは家の中からガラス越しに楽しんでいる。
 餌はハムスター用の大きなヒマワリの種である。









   おまけでピンボケのシロハラも紹介させていただこう。
 目の前の枝に止まったりするのだがそんな時はカメラを持っておらず、たまに撮れたらこの程度のものである。
 ジャッジャ ジャッジャと藪の中で鳴いたりするのでウグイスの笹鳴きかと近づくと飛び出してきたりする。
  おまけのおまけでモズも紹介させていただこう。
 見た目はぬいぐるみになりそうな可愛らしさだが、小なりと言えども猛禽類で凜としている。