2024年2月29日木曜日

くるみ餅

   「ものの始まりみな堺」という言葉があるが、中世の国際貿易都市が、その後、壊滅的に廃れないまま今日の「政令指定都市」にまで引き継がれているわけだから、あながち「大ぼら」でもない。

 そういうものの一つが「くるみ餅」で、素朴な田舎の「餅」ではなく、貴重だった砂糖などを使った高級品だった。
 有名な「かん袋」という店の名は、秀吉が名付け親である。
 文禄2年、堺の納谷衆の一人であった店主が秀吉に招待された折、桃山城の天守の瓦葺き工事中であったのを手伝い、日頃の餅づくりで鍛えた腕力で瓦を次々と屋根へと放り投げたところ、「まるで紙袋(かん袋)が舞うようじゃ」と驚かれ、故に「かん袋」と名乗るよう命ぜられたという。
 
 戦後の堺では、普通の喫茶店でも夏には「氷くるみ」が食べられた。
 だから「かん袋」以外の店のそれがあっても何の不思議もないのだが、先日、百貨店に大寺餅河合堂のくるみ餅が出ていたので懐かしくて購入した。
 私の知っている頃は、当時はA小学校の近くで店を出していたが、店ではくるみ餅は作っていなかったと思うが、堺中でくるみ餅を盛り上げるのは応援したい。

 若い頃は「胡桃が入ってないのに何故くるみ餅?」と不思議だったが、これは国語のボキャブラリーの貧困のせいだった。

2024年2月28日水曜日

実にケチな話

   税務申告のことで実にケチなことを書く。
 昨年、浮世の義理で3時間弱の講演をさせていただいた。
 もう20年も離れている分野のことなので断り続けたのだが、たっての頼みでお受けした。
 受けた限りは空疎な講演は出来ないので、それからの資料収集や勉強が大変だった。
 そして原稿を何回も作り直して・・・

 相手先は公的な機関であったから講演料は低額だったが、金儲けのために引き受けたのではないからそれはそれでいい。
 結局、私の「労働時間」を一切除いても、いろいろな必要経費をほんとうに積み上げると考えられないような微々たる講演料が振り込まれた。重ねて言うがそれはいい。

 で、税務申告である。
 必要経費の領収証などはないし、面倒だから必要経費は鉄道料金の交通費だけで申告した。
 そうしたら、今はパソコンで税額がすぐに計算できるから、ちょうどある種の基準の上だったのだろう、この講演料のお陰で税額がポンとアップした。このほんのわずかの講演料を「収入」に乗せなければ税額は低くなる。
 といってもケチな額なのでそれはそれでいいのだが、例の自民党議員の裏金である。
 全国商工団体連合会の試算では、自民党が行なった聞き取り調査の不記載額5億7949万円を基にすべてが課税対象になった場合、重加算税を含めて総額1億3533万円に上ると報道されている。

 それに比べれば私の場合は実にケチな額であるが、その税額が他の保険料などに跳ね返るから年金生活者には無視できない。というか、感情が許せない。

 ということで、この国はいつの間にこんな不正義な国になったのだろうと怒っている。
 そして、さらなる悪人どもは話題がそれたことをよいことに、この機に憲法改正の作業突入を計っている。

2024年2月27日火曜日

沈丁花

   秋の日のつるべ落としに対して春は「春日遅遅」、日の暮れが遅い。
 そんな季節の先頭ランナーの植物は沈丁花で、年度末の世間の憂鬱を吹き飛ばす芳香は素晴らしい。

 沈丁花は植替えに弱く何回か失敗して枯れさせたことがあるが、反対に挿し木で増やすのも簡単で、いつの間にかわが庭の春のクリーンナップの一角を占めるようになった。
 ところが昨秋からこっち、その自慢の沈丁花が写真1のとおり枯れだした。真ん中がそれだし、左右も後を追いつつある。

 私の知識は主に主婦と生活社版「やさしい庭木事典」で、そこではこの理由が判らなかったが初版は昭和であった。
 そして今では、ノウハウものはネットの時代で、さくさくと検索をすると、「沈丁花の寿命は比較的短く20~30年」「強剪定をすると枯れる」とあった。「やさしい庭木事典」にはそれはなかった。

 そこでわが家の沈丁花だが、寿命は30年近くだし、昨秋樹形を整え通り道を大きく確保するため、思い切って強剪定を行なった。
 他の感染病でないとしたら、寿命近い木に強烈なパンチを食らわせたことになる。
 写真の中の左右の木が持ち直すかどうかは分からないが、真ん中は全くダメだろう。

   ただ妻は、「庭仕事の課題(目標)(仕事)が生まれて嬉しいでしょ」と私を揶揄。
 そう言われればそうだと、病気で土壌が汚染されているということがなければと、小さな黄色い沈丁花を先に伐った後に植えた。ホームセンターには、季節おくれで小さな株がひとつだけあった。
 寿命+強剪定だったのか、病気だったのかは1年経てばわかるだろう。

 「年年歳歳花相似たり」というのは正しくない。花もまた「同じからず」である。

2024年2月26日月曜日

レジゴー IT化

   21日にセルフレジ『レジゴー』のことを書いたが、その後、妻も「早く慣れておこう」と22日、朝早くの空いているうちにそのスーパーに行った。 その結果・・、

 ① 端末の文字が小さいので、目の悪い妻には少々使い勝手が悪かった。特にバーコードのない商品を買うとき・・。

 ② ビールのボックスにはいろんなバーコードがあって、どれをスキャンするのかわからず、それらしいバーコードはエラーになった。スキャンするのはボックスに直接印刷されているバーコードであった。

 ③ ほとんどの品物はマイバッグ(かご)に入れたのだが、イチゴなど傷の付きやすいものはスーパーのかごに入れて買い物をして、最後にそのままマイカーまで帰ってしまい。外見上は未精算の物を持って出たように映ってしまった。もちろんスキャン済みだから痛くもかゆくもないのだが、もし「もしもし」と尋ねられたら少し恥ずかしいミスだった。
 ・・・というように、妻もなんなくデビューした。

 このように、この程度のIT化はクリアした。
 というように、わが家は世のIT化に反対しているわけではないが、マイナカード、マイナ保険証は拒否している。
 その理由は、国家が国民の個人情報を把握できるシステムは人権尊重、民主主義の観点からよくないからである。そういうのを普通は独裁国家というのである。

 私の通院しているいくつかの医院では、写真のとおり「従来どおりの保険証を持参してくれ」と表示されている。それでいい。
 従来の保険証で何の支障も生じていないのに何故に政府は強要するのか。「これはおかしい」と思うのが普通ではないだろうか。

2024年2月25日日曜日

歴史の曲がり方

   22日のケンミンショーで粕汁を取り上げていて、これを京都発祥の料理のように語っていたのには少し疑問がある。
 確かに、酒かす自体が広くいきわたった地域で生まれ広まったのだろうが、そう考えれば京阪神全部が発祥地と言えるのではないだろうか。

 バラエティー番組のナレーションにいちいち引っかかるのも大人げないが、この番組は面白おかしくするためにけっこう事実を曲げてでも誇張することがある。
 この場合も、「室町時代からの酒どころ伏見なればこそ・・」的に京都発祥説を根拠づけていたが、これは少し歴史に関わる問題なのでひとこと言っておきたい。

 その1は、伏見は今でこそ京都市だが、そもそもは京都とは別の都市である。
 京都を御所を中心とする公家の文化というならば、伏見は秀吉が造営した伏見城の城下町が発展した都市である。それを「雅な公家の文化都市京都」と一括りに括って歴史を語るのは正しくない。

 その2は、伏見を「室町時代からの酒どころ」というのも大いに事実に反する。
 酒どころ伏見は、室町時代どころか江戸時代でも大したことはなく、答は明治末なのである。このように、なんとはなく広がっている宣伝文句のような「常識」は怖ろしい。
 ならば明治末に何が起こったか? 今も「師団街道」という名前が残っているとおり、この地が陸軍第16師団の本拠地として大きく展開されたからで、徴兵された兵士たちを饗応するために酒の需要が急増したからだった。(立命館大学木立雅朗教授論文)

 公家たちの京文化などからは程遠い、近代の軍都伏見が作り出した景観こそがあの酒蔵群といえる。
 歴史をロマンチックに語ることは楽しいけれど、あまり調子に乗って脚色しすぎるのは控えてもらいたい。
 庶民の家庭料理というものはけっこう保守的であったり閉鎖的なものだから、だからこそこの番組も楽しいのだが、そういう意味では、関西一円に広まっている粕汁は、京阪神で近代に広まった料理だろう。奈良も滋賀も含めての京阪神。
 わが家では、この冬、何回も粕汁は作っている。わが家の場合は、鮭のアラを入れている。

2024年2月24日土曜日

爺さんの独り言

   テレビもそうだが、リスナーとのやりとりが濃厚なラジオには特に、ごく身近な怒りや憤懣を投稿して、パーソナリティー等が一緒にその「どこかの小悪人」を罵倒するようなコーナーが結構ある。
 そしてその「常識の欠けた」批判されるべき小悪人は、爺さん(ジジイ)であることが多い。
 そんな「常識の欠けたジジイ」とひとくくりにされそうな私は、「もっとほんとうの社会の悪に怒れよ!」と言いたいが、それは面白いよりも悲しすぎるのだろうか取り上げられない。
 そんな折、上野誠著『折口信夫(おりくちしのぶ)「まれびと」の発見』という本に、『おじいちゃんの力』という章を見つけた。要約するとこうである。

🔳 古典の言葉でいえば「おじいちゃん」は「翁」です。おじいちゃんは年を取っていて働きません。働かないけどものごとはよく知っている。・・なぜ能楽に翁が登場するのか。なぜ大鏡などの物語の語り手の多くが翁なのか。・・折口が考察の対象としたのは・・第一線の仕事から身を引いた老人です。このことが極めて重要なのです。なぜならば、働いていて第一線にある人々には見えないものがあるからです。・・枯れることによってしか得られない知恵もあるからなのです。・・私たちは、そういうお年寄りの知恵で救われることもあるのです。折口が、日本文学における翁の力について考えたのは、以上のような理由があるからでした。🔳

 ・・・「こんなジジイの遠吠えみたいなブログがあった」と、そういうラジオで面白おかしく馬鹿にされそうだが、明後日(遠くないあさって)にはみんな年寄りになるのだよ。

2024年2月23日金曜日

左か右か

   もうすぐ雛祭りだが、それは古代中国の上巳の節句と日本古代の水辺における禊(みそぎ)や祓(はらえ)の思想にルーツを持つ。
 なので人形(ひとがた)に穢れを吸い取らせて川に流す作法が古式に近い。
 よく似たことは平城京の川辺(溝)でもされていたようで、木製の人形(ひとがた)などが出土しているが、多くは呪詛らしい文字が書かれていて、雛祭りとは少しイメージが遠く、おどろおどろしい。

 ところで、本日のテーマは雛人形飾りで男雛が右(向かって左)か左(向かって右)かというのがテーマで、昨今の雛飾りなどは右が多い。右が上位であるが・・・。
 なお、この話はジェンダー不平等や男尊女卑の問題とは次元の違うことであるので念のため。

 そもそも古代中国の漢の時代には、基本的に右が上位となり、漢語で右には「貴い」「大切な」などの意味が多くある。
 それが唐の時代には逆転して左上位となり、古代日本は唐の影響を強く受けたので、例えば、左大臣は右大臣よりも上席であり、文化面でも舞台の左(向かって右)が上手(かみて)となった。
 なので、ジェンダーの件は別にして、男雛は左(向かって右)が正しいと言えよう。

 それが何故、東京等で男雛が右(向かって左)の飾りが多いかといえば、これは脱亜入欧主義の明治政府が、明治7年から西洋式を採用し、天皇皇后のそういう写真が新聞に掲載されたからである。さらには昭和20年マッカーサーが雛人形の飾り方について西洋式にした上で女雛を右(向かって左:西洋式の上位)を指令したともいわれているが、これは歴史上は泡(あぶく)みたいなものだろう。
 日本文化の伝統でいえば左上位、明治からの西欧追随主義でいえば右上位だと思われる。

 世界中では宗教とも関わって左上位か右上位かは千差万別であるが、自国の歴史や伝統を一瞬にして打ち捨てて西欧に媚びたような日本での『右上位』には違和感がある。

2024年2月22日木曜日

水とりや

   お水取りが近づいてきた。東大寺でも着々と修二会の各種前段の行事が進んでおり、奈良国立博物館も恒例の特別展が開かれている。
 その東大寺二月堂には有名な黒板があって折々の言葉やイラストが描かれているが、先日見たところ芭蕉の有名な『水とりや籠りの僧の沓の音』が描かれていた。
 これは去年あたりにも書いたが、『籠りの僧』ではなく、最終的には『野ざらし紀行・芭蕉自筆本』のとおり『氷の僧』だろう。
 事実、昔の黒板の写真がネット上にあったが、そこには『氷の僧』とある。
 ただ『籠りの僧』は二月堂下の龍王の瀧のところの句碑にも彫られている。

 過去にも書いたが、深沢眞二著『芭蕉のあそび』によると、芭蕉晩年のいわゆる「芭風」を基準にして若き芭蕉の俳諧を解釈するのは誤っているという。

 私は雪のしんしんと降る中のお松明も見たことがあるから「新暦三月の行事に氷でもない」というような説は度外視するが、「行の凍りつくような厳しさ。魂を氷らせるような沓の音との解釈は穿ちすぎ」という説は理解できる。

 結局、芭風以前の俳諧の「しゃれ」を遊ぶことが必要で、水取り=水鳥、氷。=鴛(おしどり)。=沓(の形)。・・を重ねて芭蕉はふふふと笑ったのだろう。

2024年2月21日水曜日

オタオタとセルフレジ

   キャッシュレスのことではなく、それ以前の話のセルフレジのことだが、ジワジワとわが周辺に押し寄せてきている。

 近所の某スーパーにはだいぶ以前に導入されたが、普通の有人レジもたくさんある。しかし、近くの大手の百均や書店はすべてがセルフレジになった。ただし、モタモタしていると店員が跳んでくるので心配はいらない。
 その、セルフレジの進化系が一番近いスーパーで始まった。『レジゴー』と称している。

 もう大昔になってしまうが郵便番号制度の導入を思い出した。庶民、消費者にシワヨセした上での経営合理化だ。
 しかし、郵便番号も、世の中全体がIT化され検索すればすぐに判明するようになり確かにもう慣れたし、同様に、レジも少ない買い物でも長く待たされるのはうんざりだから、セルフレジもヨタヨタしながらもケースバイケースで利用している。

 その進化系というのが『レジゴー』というもので、スーパーの入口に専用のスマホがたくさん置いてある。それを使って買い物をするたびに商品のバーコードをスキャンしていき、最後に専用レジのQRコードをピッとして、指定された「〇番機」で電子マネーカード等で清算の後ゲート画面に端末画面をかざすとレシートが出てきて終了。

 私は自分のスマホに『レジゴー』を入れたので、それでもっても以上の作業が行なえる。
 レジの長い行列に待たされる不快感は解消されたが、これでは『消費弱者』とでも呼べそうな人々が出てこないだろうか。
 そんな他人の心配をしながら、明らかに私よりも歳をとられた方がスイスイとスマホでキャッシュレス決済をされているのに感心している。他人の心配をしている場合ではない。
 とはいえ私の周辺には未だにガラケーを誇っている強者もおられる。さて。
 (写真は私のスマホ)

2024年2月20日火曜日

命の祭だ

   〽飲んで飲みつぶれて眠るまで飲んで~ と歌うまでもなく、近頃は飲むと直ぐに眠ってしまうし、飲み続けると心臓が嫌なシグナルを送ってくる。情けない。

 月に一度は奈良公園近くに行くのだが、そんなときは河島英五のご家族経営のカフェで昼食をとることが多い。
 そこには、英五のギター、バイク、ゴールデンディスクなどが飾られているが、彼が急逝してから20数年経っているから、スタッフはきっと英五を知らないだろう。

 写真の「壁画」は英五が描いたものだが、元々は彼の妻が法善寺横丁で開いていたカフェの壁に直接描いたものだった。
 その店が、英五の死後の翌年、周辺一帯の大火災で被災したのだが、考古学、文化財学などで有名な奈良大学の西山要一教授(当時:文化財保存科学)らが遺物の修復技術で復活させてここにある。

 インバウンドの皆さん方は振り向きもされないが、私はいくたびにいくつかの「壁画」を楽しんで元気をもらっている。

2024年2月19日月曜日

春咲きコンサート

   奈良県下で一番大きな会館・なら100年会館の大ホール、中ホール、小ホール、エントランス等々、要するにまるまる使用して第24回春咲きコンサートが開かれたので行ってきた。
 こんな大規模なイベントを、主として障がいのある子どもたちと家族たちが手づくりで24回(年)も積み上げてきたことには頭が下がった。もちろん幅広いサポートのお陰でもある。

 そして、コロナのためここ4年ほどは開催がなかったらしいから、コロナそのものと医療崩壊のこの4年は、当該子どもたちにとっては残酷な事態だった。他の分野でも同じようなことはあるだろう。
   さらに、この行事が、とりあえずは今回をもって一旦中止(休止?)となるという厳しい情報もあった。よくは知らないが、担い手がないようだ。
 この行事に限らず、この国では「請われたなら一差し舞う」余裕が消えつつあるということだろうか。詳細は知らないが寂しい話だ。

 孫の凜ちゃんは舞台上でもマイペースだったが、インタビューに脈絡なく「お肉!」と答えたのには吹き出した。
 写真はイメージで、凜ちゃんは写っていない。

2024年2月18日日曜日

やーごんぼ

   八尾(やお)の若ごぼうの季節がやってきた。早春だ。
 八尾出身の友人が「小さい頃はやーごんぼと言っていた」と教えてくれたときは、「やー」は八尾の「や」だと早飲み込みしていたが、正しくはその形状が「矢」みたいなので「矢ーごんぼ」という言い方があったようだ。

 何年か前に大型スーパーで「若ごぼうはありますか」と尋ねたら置いていなくて、新ごぼうに案内されたので、「関西で商売するなら葉ごぼうともいう若ごぼうを置くよう上司に伝えておいて」と言ったことがあるが、私の一声だけとは言わないが、数年後から八尾の若ごぼうが並ぶようになった。

 早春の山菜や野菜は揮発性に似た香りが特徴だが、レシピなどには「アクを抜くよう」書かれている。しかしアクが消えたら只の野菜だから私はアク抜きはあまり好まない。
 そういう独特の香りや苦みは多くの場合抗酸化成分(ポリフェノール)の素でもある。

 健康に特化した雑誌があったり、それを特集したテレビ番組が・・、納豆だ、カカオだ、きな粉だ、アマニ油だ・・・などと宣伝されるたびにスーパーの戸棚が空っぽになったりするが、何か一品で健康回復もないだろう。それよりも、昔からの旬の食材を美味しく戴くに限るように思っている。
 今夜も悪玉コレステロールが少し減ったような気がしている。そして七十五日寿命が延びたはず。

2024年2月17日土曜日

夏ちゃん画伯

   「如是我聞 釈迦の弟子にバレンタインなどいなかった」、と13日までは講釈を垂れていたが、夏ちゃんファミリー、凜ちゃんファミリーから美味しいチョコレート菓子をプレゼントされて、14日は1日だけ宗旨替えをした吾は軟弱な爺さんである。

 夏ちゃんからは、手作りのチョコレートクッキーが添えられていて感激したが、どういう訳かメッセージカードの外に別のカードも付いていた。(私は税金の申告のために外出していた)
 カードは、奈良市教育委員会の取り組んでいる『ストップ いじめ』の匿名での電話やメールの相談窓口のカードで、読むと奈良市の小6から中3の児童、生徒全員に配られたカードのようだった。

 で・・・よくよく見るとその原画は夏ちゃんの作品だった。
 この児は、わが家ではわが娘が置いていった漫画ばっかりを読みふけっているが、転んでもタダでは起きないその根性には脱帽だ。

 と、これ以上の爺ばか日誌はないブログ記事を許してもらおう。

2024年2月16日金曜日

網野史学

   令和6年元日に能登で大地震が発生した。そのことに関連して1月13日に『上時国家文書』を書き25日に『能登の時国家』を書いた。また、時国家文書に関わり深い網野善彦氏については2月1日の『飛礫(つぶて)の神性』で少しだけ触れた。

 私が網野史学とも称される網野善彦氏の多くの著作に触れたいきさつは特にはない。書店で面白そうなタイトルだと思ったぐらいが始まりで、目から鱗の問題提起や新説が次々に私を虜にしていった。
 そういう乱読の中で知ったことのひとつが能登の時国家で、平家物語のいう壇ノ浦の合戦後配流された平の時忠の子時国を家祖とする家に残された数々の文書が網野善彦氏らによって明らかにされた。

 その結果、近世以前の社会が士農工商という社会であったとかという「常識」が、大いに見直さなければならないという網野史学を大いに補強する事実が発掘されてきた。

 例えば、「常識」からいうと、能登という土地の少ない貧しい農村の庄屋程度の時国家だが、実際は北前船の大船を何艘も持ち、松前はおろか樺太とまで交易し、「下人」(農奴)と考えられてきたその船頭は自らの判断で千両にも及ぶ商いを行い、親戚筋の頭振(水吞)が何百両も融通したりしている。
 網野史学は、時国家は「豪農」というよりも「多角的企業家」であり、百姓=農民、水吞=貧農・小作人という教科書の定説は誤っていると断じている。

 こういう教科書的定説が次々に改められる問題提起を読み進むのはワクワクするほど面白い。
 写真の網野善彦著『古文書返却の旅』(中公新書)を読み返しながらもうなずいてばかりだ。

2024年2月15日木曜日

逆櫓(さかろ)

   一昨日は大阪市福島区などの「福島」という地名の由来(とされているもの)について書いたが、その福島には「逆櫓の松跡」という場所がある。
 平家物語や浄瑠璃では、この地の松の下で義経と梶原景時が屋島への出陣前に論争をしたことになっている。逆櫓の論争である。

 内容はというと、景時は「この度の戦いでは船に逆櫓をつけたい」と主張。 義経は「逆櫓とは何か?」と問う。 「馬は駆け引きが自由だが、船はそうはいかない。そこで船を後ろへも自由に漕ぎ進められるように、櫓を船の前部にも取り付けたい」と景時が説明すると義経は嘲笑いながら「はじめから逃げる事を考えては良い結果は得られない。義経の船にはそのようなものは不要。あなたの船には付けるがよろしい」と言い放ったので、景時は「よき大将軍とは進退を見極め、身の安全を考えながら敵を滅ぼすもの。 前後もわきまえずに突進するのは猪武者と申す」と述べると、義経は「猪だは鹿だか知らないが、戦はただ攻めに攻めて勝った方がよい」と言い放った。

 結果は、義経は平家軍を敗走させ、遅れて到着した景時は、平家物語では義経に「六日の菖蒲」と嘲笑されている。

 しかし私は、この論争の限りでは景時を支持したい。例えば労働災害防止という課題であれば、義経のような「生産第一」のリーダーは危なくて仕方がない。「人はミスをするものだ」というのを前提に、それでも事故にならないように考えるべきだろう。

 今年の元日には能登半島で大地震があった。志賀原発のことは日を改めて書きたいが「あわや、危機一髪、フクシマの二の舞、大惨事」直前だった。
 そして実際、志賀原発に一大事が起こっていたならば、能登半島の半島という性格から住民の避難は絶望的だった。
 よく似た地形は愛媛県佐田岬半島の伊方原発にも言える。

 そこで原発ではないが大阪万博である。
 夢洲というこの人工島(埋立地)に、多い日には1日に20万人から30万人を集めると言っている。
 原発の避難ルートではないが、ここには橋が1本と地下鉄の地下トンネルが1本あるだけである。2018年の台風21号では大きなコンテナがころころと転がっていた場所である。
 結論をいえば、義経のスタンドプレイに似た夢洲万博は実施すべきでない。
 景時でなくても、少し冷静に考えればわかることではないか。

2024年2月14日水曜日

長閑な奈良

   このたびは ぬさもとりあへず 手向山(たむけやま) もみぢのにしき 神のまにまに
 百人一首でも有名な菅原道真(菅公)の歌。

 菅原道真のことは昨日も書いたが、13日、奈良の手向山八幡宮に寄ったので、境内にひっそりとある『菅公腰掛石』に座って、如何にも欧米人らしい観光客にスマホのシャッターを押してもらった。

 「スガワラミチザネ」と言ってももちろん通じなかったが、私の後、彼等同士代わりばんこに座って感激した様子で撮影したりしていたから、日本観光の思い出をひとつ足してあげることができたようだ。

 だいたいが、鳥居まである腰掛石にほんとうに座っても良いのかどうか知らないが、ただ見て帰っただけでなく深い思い出にはなっただろう。
 彼の欧米人には自慢の写真になったはず。
 「見てくれよ この写真。どうだ 如何にもジャパンだろ。鳥居の奥に座れと日本人の爺さんが教えてくれたんだ」と語るかどうかは知らんけど。

 なお、奈良公園の県庁前広場はいつも鹿が大勢集まっているところだが、13日は見事に集団で寝そべっていた。
 観光客が鹿煎餅を顔の前まで持って行っても知らん顔。
 春節スタートと日本の三連休の昨日までにたらふく食って食傷のご様子。
 花粉は嫌だが長閑な春到来の奈良。

2024年2月13日火曜日

梅、道真、福島

   梅といえば菅原道真だが、菅原氏(うじ)は元々は土師氏で、古墳や埴輪を含む葬送を職掌していたところ、
 巨大古墳も埴輪も全く斜陽産業になったので、桓武天皇の天応元年(781)古人が改姓を申し出て菅原古人となり、学問を職掌することとなった。その曾孫が菅原道真である。
 その菅原という名は大和国菅原邑に因み、わが孫の凜ちゃんはその近くで生まれ、お宮参りは菅原天満宮で行った。

 今春わが退職者会は大阪は福島区の『のだふじ巡り』を計画しているが、その地は、古く菅原道真が大宰府へ左遷のため瀬戸内海を下る際、風待ちのために淀川河口のその地に滞在したところ、土地の人達が失意の道真一行を丁重にもてなした。
 その折、道真が土地の人に当地の地名を尋ねたところ、『鹿鬼島(がきじま)』とも『葭原島(あしはらじま』とも呼んでいると答えがあったため、鹿鬼は餓鬼、葭は悪しに通じるので、良くない名前なので『福島』と改めるよう勧めたのが現在の福島(大阪市福島区)の地名の由来となっている。

 この話、どこかで読んだことがあるようなないような、何れにしても今回の計画段階で改めて再認識した。

2024年2月12日月曜日

誇るべき仮設トイレ

   先日「大阪湾に糞尿が投棄されなくなってから海が痩せ、海水が綺麗になりすぎて各種不漁の原因になった」というニュースのことを書いたが、その話に
友人が「万博の夢洲で処理しきれなくなった糞尿は汚わい船で大阪湾に投棄するから解決する」と冗談を語り、その夜「冗談にしても、し尿の海洋投棄は平成14年に全面禁止になっていた」と律儀にメールしてきた。

 それで『夢の大阪湾豊穣計画案』はポシャッタが、そもそもこの冗談には根拠があった。
 おおさか市民ネットワーク代表の藤永のぶよ氏らが大阪港湾局に情報公開を求めたところ、港湾局は「夢洲に上下水道を通して、上水は1日約8万人分、下水も約8万人(2万7千世帯)分対応すると答えている。
 ところで、大阪府知事や市長や維新の皆さんは「万博には3千万人やって来る」と度々宣伝してきた。だとすると、1日あたり約16万人、土日や3連休は約30万人となる。
 そのことを指摘すると港湾局は「超えた分は自家処理になります」と答えたという。

 早い話がシビアな事務方は「最高でも8万人分で十分」と考えているのに、維新などは出来もしない「3千万人」とのハッタリで「経済効果」云々と誇大広告をしていると思われる。
 それとも、「いのち輝く未来社会のデザイン」として、わが国が誇る最新の汚わいバキューム船と、誇るべき仮設トイレを世界にアピールするつもりだろうか。
 そうだとすると維新の皆さんは誰も嘘をついていないことになるが、世界中で笑い者になることだけは確かだろう。
 (写真はTBSテレビのもの)

2024年2月11日日曜日

日本語の一側面

   世界各地の戦争を考えると、もちろん政治経済のことはあるにしても、それだけでは割り切れない『民族』というものを無視して話を進めることができないと痛感している。
 そしてそのためには「民族とは‥」ということも避けて通れないし、そのことについてもほんとうに諸説あるのだが、大方の意見では「言語や宗教(文化)の一致」を同一民族の概念としている。

 例えば、ガザでいえば、イスラエル人の多数はヘブライ語を話しユダヤ教徒である。一方パレスチナ人の多数はアラビア語を話しイスラム教徒である。

 ウクライナではそれほどではないにしても、首都の表記がキエフからキーウになったようにウクライナ語が強調され、宗教もロシア正教からキーウ正教に替わった教会も少なくなく、象徴的には、これまでクリスマスがロシアと同じ1月7日であったものが、12月25日に大きく変化している。

 そこで話は日本民族の使用している日本語に移ると、日本語というのはアジアの周辺諸国の言語ともけっこう変わっている。
 そこで、たまたま読んだ『てんまる』という本に思いもよらぬ傑作な指摘があった。『てんまる』であるから主には句読点のことだが、引用すれば長くなりすぎるので端折ると、句読点のつけ方について大先生方の間に多くの説があり、それは今もって統一されていないという。

 文章を読んだときに正確に理解されるようにそれ(句読点など)を打つ派。文を読むときに生じるリズムやテンポなどに応じて打つ派。長い文を息継ぎするのに応じる派。意味の誤解を防ぐのを重視して打つ派。分かち書きを進める派。文法の構造を重視する派などなど。

 そして、自国の言葉の表記方法について、こんなに決まりがない(正書法が確立していない)先進国は外にないと言ってもよいというのが著者の指摘である。
 それは句読点だけではなく、数字の位取りにピリオドを使うかコンマを使うかだとか、数え挙げればきりがないくらい正書法がないというのが日本語の大きな特徴だという。
 そんなように言われると今迄考えたこともなかったが、だいたいが自国の表記をニッポンでもニホンでもよいとしていることが世界標準からすると「ありえない」ことかも知れない。
 そしてその「ありえない」だらけの言語が日本語の最大の特徴だというのだから、考えれば不思議で愉快な気分になってくる。

 それでも日本語で学術論文が成立しているし、科学技術も成立しているのがさらに愉快である。
 ついては私のブログの読者の皆さん、私はどちらかというと聴覚をベースに文章のイメージを浮き出させるためにいろんな方法を適当に採用する派なので、文章の稚拙さや文法のおかしなところはどうか大目に見てほしい。

2024年2月10日土曜日

早咲きの梅は満開

   梅の花というと、元号「令和」の典拠(いわゆる出典)の「万葉集」の梅花の歌三十二首の序文のことが思い出される。

 安倍政権周辺の自称右翼の皆さんが「平成までの247の元号すべてが中国の古典を典拠としていたが、初めて日本の古典から引用された」と小躍りされていたことを・・
 それだけに皆さんは万葉集は熟読されてきたであろうとは思うが、その序文は『天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴会也。于時、初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香』という漢文であったのは皮肉である。

 それはさておき、初春の令月にして気淑(よ)く風和(やわら)か 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を被(ひら)き蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす。
 「時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は鏡の前で白粉をつけた美人のように白く咲き、蘭(藤袴)は身に帯びた匂い袋のように薫っている」
 悪くはない美文である。
 ただし、蘭(藤袴、アララギ)は秋の七草。ここは藤袴の匂い袋のことだろう。
 
 なお、梅の花は、当時、中国から渡ってきたばかりで一般には珍しかった。現代のイメージで例えれば南米の初夏を染め上げるジャカランダ??
 中国から渡ってきたばかりの、今風に言えばバター臭い「梅」を見ながらの宴席の歌の漢文の序文である。
 それが悪いと言っているのではないが、「日本原産の古典だ」と小躍りされていたのは少し恥ずかしい。

2024年2月9日金曜日

旧正月

   太陽のリズムで二十四節気を決めた上で、その立春から2番目である雨水の直前の朔日(新月)を正月の元日とする太陰太陽暦のいわゆる旧正月はなかなかの知恵だと私は思う。今年は2月10日が元日となる。

 気分的には冬の始まり頃に新年だ!春だ!という現行グレゴリオ暦よりも新春らしい。
 と言っても明治5年から新暦で来た日本ではこれまでほとんどピンとこなかったが、昨今の中国の春節のインバウンドで、テレビニュースにもなり、ある意味脚光を浴びている。
 ちなみに東アジア、東南アジア各国では旧正月の方がより重要な正月行事となっていて、日本は明らかに少数派である。

 余談ながら、ベトナムでは旧正月をテトといい、私などは旧正月というと昨今のインバウンドよりも1968年の『テト攻勢』という言葉が頭をよぎる。成功はしなかったが南ベトナム解放民族戦線がサイゴンのアメリカ大使館内部にまで突入した。

 インバウンドでいえば、専門家はそれが新型コロナ肺炎第10波(新変異株)を強く後押しするだろうと予想している。
 私は来週には奈良公園の旅行コースど真ん中を訪れるので、早々に逃げ帰ろうかと考えている。
 観光業関連の皆さんには申し訳ないが、インバウンドもほどほどで良いと思う。
 京都市内あたりでは土地代も急上昇して元々の住民が「普通の生活」を脅かされている。

2024年2月8日木曜日

盛山氏は更迭されるべき

   宗教法人を所管する盛山文科相(岸田派)は世界平和統一家庭連合(旧統一協会)の解散命令の当事者だが、それが前回の衆院選でその旧統一協会と「推薦確認書」を交わし、選挙運動も手伝ってもらっていた。
 そしてそのことを、自民党の「点検」でも、大臣就任時にも明らかにしてこなかった。
 今回の「推薦確認書」のことも、右の朝日新聞のスクープ写真が出るまでは認めてこなかった。
 こういう人を世間では「嘘つき」というのではないだろうか。
 さらに岸田首相は国会で、更迭を否定した。
 これはもう、与党支持、野党支持などの次元を超えて、民主主義、良識の危機だと思う。

 朝日新聞の7日付けの社説でも『文科相の任に堪えない』という大見出しが打たれているが、首相の態度・発言は、「国会で追及されても絶対多数の頭数はこちらにあり」という驕りだろう。
 それは選挙民=国民が次の選挙までには忘れているだろうという風になめられているということだ。
 途上国の独裁国家並の無茶である。
 少なくとも盛山文科相更迭の声はいろんな方法であげなければと私は思う。

2024年2月7日水曜日

確定申告の季節

   国税の確定申告の準備を始めたがトドの詰まり「申告の要なし」のゾーンになった。となると反転して住民税の申告となるが、結局作業量は国税の確定申告とほぼ変わらない。
 一番大量なものは医療費関係で高額療養費のマイナスなどいろいろある。
 1年に1回のものだから、そのほかにもいろいろ手引きを読み返したりすると一日仕事でも終わらない。・・といいながら考えた。
 何千万円という裏金を使っていた自民党議員たち。彼らにこんな庶民の実務の大変さは解らないだろうなあ。

 さて、国税でも住民税でも説明書にはマイナカードが書かれている。
 しかし法律があっても裏をかく与党議員たち。こんな政府が「個人情報は絶対に守る」と言ってもほんとうに信用できるだろうか。
 常識のある人間なら「これは危ない」と考えて当然だ。
 私は書かない。というかカードを持っていない。

 先日の朝日新聞はそれらについて警鐘を鳴らす訳でもなく、政府発表の提灯記事で「マイナ保険証利用率。国家公務員で低調」と書いたが、別けてもおひざ元の厚労省共済組合(健保のこと)が低調だと書いていたのは逆に愉快だった。

 「この制度は好くない」と、制度をよく知る者ほど実感しているのではないか。

2024年2月6日火曜日

木鐸

   「社会の木鐸(ぼくたく)」というようにこの言葉は使われるが、木鐸とは古代中国で法令などを民衆に知らせる際に鳴らした「舌が木でできた鈴」のことで、転じて新聞などメディアが社会に向かって警鐘を打ち、行く手を指し示す場合などに使用される。近頃では「それでも社会の木鐸か*」と批判的にも使われたりする。

 ところで黄檗宗満福寺には吊り下げられた「木魚の元祖」がある。開梆(かいぱん)、魚梆(ぎょほう)、魚板(ぎょばん)、魚鼓(ぎょこ)などといわれるらしいが、同じような叩いて音を出す板などを木鐸と書いてある本もある。
 だから長い間私は、この種の小型の板を叩いて民衆に周知していたと勘違いしていた。

 そこからの連想で、石川啄木の「啄木」はキツツキのドラミングを木鐸の乱打に掛けているのだと誤解していた。

 ものの本によると啄木は、故郷渋谷村で療養中にキツツキの声に慰められたからといわれているので、とんだ勘違いだったが、それでも私はキツツキのドラミングを聞くと、歪んだ社会に対するキツツキの木鐸だという連想が働くのだった。

 実際は囀りをしないキツツキは、ドラミングによって恋の歌を歌っているらしい。
 とんでもない勘違いで、実におめでたい事柄であった。
 通常は、コツコツ、コツコツと木を叩くが、ドラミングのときはドドドドドド・・・という感じである。やはり木鐸に聞こえる。

2024年2月5日月曜日

変らぬ伊予柑

   お米の新種のことは以前に書いたが、気候変動(沸騰化)に対応して強くて美味しいお米が各地で作られている。
 越後は魚沼でもコシヒカリから「新之助」に転換しつつあり、昨秋にその新米をいただいたが冷めても美味しかった。 

 次いでテレビで知ったことだが、奈良のイチゴの輸出が海外で好評で、赤、ピンク、ホワイト36粒ほどのパックが約90米ドル(約12,000円)、中には10万円の卸値がついたこともあったそうだ。
 古都姫(ことひめ)というような名であったが、実際、近頃の古都華(ことか)は大きくて美味しく、孫たちが来た時もこれを用意しておけば文句がない。

 というように農作物の品種改良は目まぐるしく、その成果も素晴らしいが、中には変わらなくて美味しいものがある。

 妻の先輩から頂いたのが伊予柑(いよかん)で、先輩の故郷の畑は手入れをしていないので酸っぱいというのだが、手入れはしていなくても味については謙遜のように思えるほど、外の皮をむいているときから果汁がしたたり、すばらしい香りが部屋中に充満する。
 伊予柑は明治19年に「偶発実生」で誕生し、昭和5年に「伊予柑」という名がついたそうだから、その後の品種改良はあっただろうが、よくは知らないが、今回いただいたものは、そこへ向けて先祖返りしたのではないかと思うような野性味もある。

 たびたび書いたが、孫の夏ちゃんは「花柚子」を温州ミカンのように食べるほど酸っぱい柑橘類が好きだから、すぐにお裾分けした。
 もちろん、わが夫婦も喜んで美味しく戴いた。世の中「甘い~!」だけが美味ではない。
 もし外の皮がポンカンのようにもう少し剥きやすかったら・・惜しいが許そう。

2024年2月4日日曜日

立春大吉

   「立春大吉」とは厄除け等のお札の文字の一種で、「立春大吉日急急如律令」というのもある。
 現代でも公文書の施行通達などには「・・遺漏なきよう万全を期されたい」というような末尾の決まり文句があるが、中国漢代の公文書には「急急如律令」(主旨を心得て急いで律令(法律)の如くせよ)というのがあって、現代日本の公文書も基本的に変わってないものだとヘンに感心したりする。

 この決まり文句が道教のお札に取り入れられ、例えば天帝や悪鬼に対して「この願い事のようにせよ」という決まり文句になり、果ては「急急如律令」という言葉だけで除災招福のありがたいお札になった。
 中世のそういう発掘された木簡が奈良の元興寺の法輪館などでは多数展示されている。

 つまり「立春大吉日急急如律令」は年の初めにあたって向こう一年間の除災招福を祈念、あるいは保証する万能薬のようなお札であった。
 このように、日本の神道や仏教の中には濃厚に道教が取り込まれているので、道教の知識を排除して歴史を語ることはできない。

   孫の凜ちゃんは学校で豆まきがあったようだが、きっと祖父ちゃんが教えたとおり「戌亥の隅にどっさりこ」と言ったことだろう。そして先生方は「この児は何を言っているのだろう」と首を傾げたに違いない。

 立春大吉、立春大吉、読者の皆様にも除災招福。
 そんな気持ちで昨夜は「鬼は外、福は内、戌亥の隅にどっさりこ」と豆をまいて恵方巻を丸かぶりして焼嗅がしを玄関にぶら下げた。
 
 上の方の写真はプレ豆まきで撮ったもの。昨は夫婦二人だけで大きな声で「挙行」したが、隣近所からは聞こえてこなかった。そんなことでニッポンどうする。民俗行事ぐらいで世の中が変わらないにしても・・・。ふふふ。

2024年2月3日土曜日

暗澹たるインタビュー

   「暗澹たる気持ち」という言葉が世間にはあるが、私はこれまで使った記憶はない。しかし1月28日、NHKスペシャル『衝突の根源に何が~記者が見たイスラエルとパレスチナ』を観て、そんな言葉が頭をよぎった。
 
 それは記者がイスラエルのニル・バルカト経済産業相にインタビューをした場面だった。
 彼(大臣)はこう言った。「ここにはパレスチナ人の土地など一切ない。ここは全てユダヤ人の土地だ。2000年、3000年前から・・」
 旧約聖書だろう。これではパレスチナ側の降伏以外停戦も共存もない。発言者は政府の大臣である。

 世界中には国家を持てない民族がいることを思うとこういう理屈を一笑に付すことはできないが、これでは理性的、平和的に国際秩序を保つことはできない。
 日本国内でこの理屈を支持するためには北海道のほとんどをアイヌ民族に返してから語らなければならない。アメリカはネイティブアメリカンに。
 ユーラシア大陸でも各民族の本籍地を確定などできるはずがない。

 放送では殺人を含む暴力的な「入植」の実体も記録されていた。
 ハマスのロケット弾を含む抵抗と人質作戦は全く支持しないが、村上春樹の『壁と卵』ではないけれど、現代の『壁と卵』の『壁』の暴力は言語に絶する。

 是非ともNHK+の見逃し配信あたりで一度視聴されることをお勧めする。
 最後の方に、ガザに住んで住民の福祉などに努力しているイスラエル人もいて、微かな希望も残されたが・・・・・。

2024年2月2日金曜日

一休寺納豆

   わが家は京都府の南の端にある。そして奈良県の県庁所在地の奈良市は奈良県の北の端にある。だから天気予報では京都の天気予報よりも奈良の天気予報を参考にすることが多いが、とりあえずは警報、注意報などは京都の山城地方ということになる。その山城地方の天気予報上の名称は『京田辺』である。

 京田辺の旧薪村には酬恩庵(一休寺)がある。一休禅師(とんちの一休さん)が晩年を過ごし亡くなった寺である。
 晩年、一休禅師は大徳寺の住持となりここ酬恩庵から大徳寺へ通ったという。
 その大徳寺には有名な大徳寺納豆がある。私も買い求めて食べたことがある。乾燥した粘り気のない納豆である。

 そしてそして一休寺にも『一休寺納豆』がある。当然に大徳寺納豆と全く同じものだと思っていた。長い間そう思っていた。見た目も味も変わったものとは思っていなかった。
 今回念のため調べてみて、大徳寺納豆は最初に大豆を煮るのに対して一休寺納豆は最初に納豆を蒸すというように微妙に違うことを初めて知った。

 そもそもは応仁の乱後から500~600年の歴史のある一休寺納豆だが、こんな独特の納豆であったとは・・・、
 この納豆、実際にこのお寺で作っている。蒸した大豆を麹菌で発酵させた後およそ10カ月天日干しで乾燥させ、さらに1年熟成というから貴重この上ない。
 お寺の玄関で売っているし、これだけ買いたいときは入山料(拝観料)なしで入れてもらったことがある。

 その一休寺へ孫の夏ちゃんが行ってきたらしく、お土産に一休寺納豆を買ってきてくれた。
 お寺のものよりも柔らかく塩も控えめだったから、普通にはこの方が何倍も食べやすい。
 東北や北陸の方々がお漬物でお茶をいただくように、そのままでお菓子代わりのお茶うけにもなる。
 繰り返すが、一休寺納豆が大徳寺納豆ともちょっと違うことをこの歳になって初めて知った。

2024年2月1日木曜日

飛礫(つぶて)の神性

   1月11日に村上春樹氏が2009年2月15日にイスラエルのエルサレムに赴き、エルサレム賞受賞記念スピーチで「壁と卵」という有名なスピーチを行ったことを書いた。
 これ(卵)が当時の、投石などによるインティファーダ(反占領運動)を指すものであったことは明らかだ。
 
 私は、今回のハマスによるロケット弾を含む抵抗行動を全面的に支持するものではないが、ウクライナの軍事的抵抗なども考えると、ジェノサイド政策ともいえるイスラエルによって「天井のない監獄」となったガザ地区住民の生きるが為の行動と理解したい。

 さて先日から、能登の時国家のことを書いたりしているうちに、時国家文書の調査で有名な歴史学者網野善彦氏のことに思考が飛んで行った。
 その網野善彦氏が提起した所論の中に「飛礫(つぶて)覚書」というのがある。
 十分に理解できてはいないが、それは戦闘であり、遊戯であるとともに、古代以前からの神事であったという風に読んできた。
 その論と、インティファーダ、そして「壁と卵」スピーチが頭の中で飛び交っている。

 最後に、大河ドラマに出てくる権勢を一身に集めた左大臣藤原道長が叡山に登るとき、石が飛んで来て、「何をする。殿下がおのぼりだぞ」という前に法師が躍り出て「ここは檀那院ぞ、下馬所ぞ、大臣公卿は物故は知らぬものか」と、なおも飛礫十度ばかり。・・ときの座主はこれを「三宝の所為か」といい、むしろ石にあたったものは慎むべきだと語っている。飛礫の神聖性を示す一例と言える。