2023年9月30日土曜日

お月見団子

   この原稿は窓の外に名月を見ながら書いている。好いお月見だ。庭にはコオロギがと言いたいところだが、アオマツムシがうるさいくらいに鳴いている。

 さて、関西のお月見団子について考えた。と言って、何か文献を調べたわけでもなく、「〇〇〇やて。知らんけど」というギャグのレベルの話である。

 先日、「多くの夏祭りは疫病退散。多くの秋祭りは収穫感謝祭でないか」と書いたが、例の関西のお月見団子は、諸説あるが、やはり私は小芋の衣被(きぬかつぎ)をかたどったものだと思う。

 そこで想像するのだが、元々は芋名月というくらい収穫した小芋(里芋)をお供えしていたものが、生活がグレードアップして団子になったものの、それでも100%団子にしてしまうのは何処か寂しく、衣被の形にして、団子でもあるが芋名月つまり小芋でもあるとしたのではないか。
 団子屋が始めたというよりも各戸がそういう風に手作りしたことから需要が生まれ供給が生まれたのではないか。・・・知らんけど。

 しかしこの団子、東京風の白いままの丸い団子でなく、しかも外側に餡子が巻かれているので、三宝に盛り付けると、絵本のようには上手くは盛り付けられない。
 ということで、絵面(えづら)をとるか民俗をとるかで迷わなくもないが、そこは根っからの関西人、今年も例年どおり衣被型のお月見団子にした。

 学校帰りに少し寄った孫もボ~ノ!と言って齧って帰った。
 やっぱりお月見には衣被型のお月見団子ですね。どうですか。

2023年9月29日金曜日

積んどく

   25日の「サイラ」で、漫才師林田十郎のことに少し触れたが、これを読んだ妻が「よう直ぐにそんなこと(記録)が書けるなあ」というので、「常々捨てろ捨てろと言われている(古い)本を残していたからや」と答えて少し気分を良くした。
 
 もう50年以上前のことだが、とある書店で吉井清文氏と出会い、「月に一万円は本代に使うほうが好い」と助言を受けた。当時の一万円である。
 だからという訳ではないが、その後溜まった書籍を大処分したりもしたが、それでも相当な書架が数か所にあり、基本的に前後2段に今も詰まっている。

 確か内田樹氏の本だったかに、「本は持っているだけでもよい」というような記述があって、孫の夏ちゃんには「読まなくて飾っているだけでも賢くなるから」と読書を進めているが、祖父ちゃんの『積ん読』の勧めも、「古本屋爺さん」と軽く鼻で笑われている。

 本は新刊の広告や書評も面白いのでよく見ている。
 そんな中の一冊を書店で探したが見つからず、店員さんに検索をしてもらったら、「発行元の㈱ミシマ社は大手販売ルートには乗っていなくて注文しても入るかどうか」というので、こうなりゃアマゾンにでもするかと帰ってきた。そして別の本などを購入して、見えにくくなった眼でゆっくり読んだりしていたが、先日、先の書店にその本が入荷されていた。私の頼んだ検索も少しは本社の判断に寄与したかもしれない。

 そういう本は、購入できた段階から、まだ読んでない段階から気分を良くしてくれている。こういうのを趣味というのだろう。その本のことは気分が乗れば書くかもしれない。
 写真は、林田十郎のことを教えてくれた『なにわ難波のかやくめし』。序文も豪華。

2023年9月28日木曜日

視力のこと

   顔面神経麻痺を発症してから急速に細かい文字が読めなくなった。
 脳神経内科の医師は「閉じられなかった瞼が閉じられるようになったから治療は終わり」と言って、「あとは眼科に相談」と告げられた。

 ということで眼科に行って視力検査を受けたが、例のCのような輪っかだが、「はっきり判らなくてもそれらしいところを答えて」と言うのでそうしたら、「今の眼鏡で十分だ」と宣告された。えええ。
 「本が読めない」と相談しているのに、「読める」と言われても・・・。

 細かい文字が読めない。読んでいるうちに神経麻痺側の眼だけ涙が出る。エトセトラ。その辛さが伝わらない。
 「どうせ大した本など読んでいないだろう」と思われたのか知らん。
 ということで、天眼鏡を使って本やパソコン画面を読んでいるのだが、今般、「天眼鏡で一定是正されるなら」と思いつき、百均で老眼鏡を購入し、乱視+老眼(遠視)の元々の眼鏡の上にオーバーサングラスみたいに二重にかけると結構見えるようになった。

 専門家は「そんなことをするとますます悪化するぞ」と言うかもしれないが、片目をつぶって天眼鏡で読むことを思うとマシではないかと反論したくなる。
 それでも、読書のスピードは急速に低下して、ため息をついている。

2023年9月27日水曜日

床もみじ

   昔、「床(ゆか)もみじ」で有名な京都・岩倉の実相院門跡に行ったことがある。ポスター等宣伝どおりすばらしかった。
 しかし、庭全体を眺めようと前に出た途端、隣のコンクリート製の施設の建物が目に飛び込んできて驚いた。
 ポスターというか写真の怖ろしさ、そして勝手に庭全体を想像してしまう自分自身が怖かった。
 懐かしいというか非常に勉強になった思い出だ。

   先日、岸田首相が国連総会で演説を行ったが、NHKのニュースを見ていた限りカメラは首相ばかりを映していた。
 その様子を日テレニュースのライブが映した様子がFBにアップされていたが、それはまさしく、床もみじの襖の向こうの現実だった。

 NHKの絵面(えづら)の怖さ、人々に正確でないイメージを植えつける怖さは床もみじの比ではないだろう。

 それにしても、これほど世界中から軽視されている、もっと言えば馬鹿にされている首相を常々「ニッポンすごい」と宣伝されている人々は何と思っておられるのだろう。
 私は自公政権の政策は基本的には全く支持していないが、日本国の首相が、つまりはそういう首相を選んでいる日本人が、世界中で、端的に言えば「アメリカの属国に主体的な主張などない」と馬鹿にされているのには面白い気がしない。

 「ニッポンすごい」と言っておられる方々から「こんな恥さらしな政権は退場させよう」という声が出ないことも不思議だ。

2023年9月26日火曜日

ホシホウジャク

   星蜂雀(ホシホウジャク)。本には夏から秋と書かれているが、私の場合は真夏にはあまり見ていない。だからホウジャクやスカシバを見ると秋が来たと感じている。
 
 スズメガ、つまり蛾の一種だが、いわゆる蛾のイメージではない。
 非常に可愛いというか美しい。もっといえばカッコイイ。
 好きな昆虫のひとつである。

 しかしながら、彼奴の幼虫はでっかい芋虫で、食欲旺盛、その分糞も撒き散らす。
 カブトムシなどカッコイイ昆虫も幼虫は大体そんなものであるから、これは仕方がない。

 さて、昨日書いたが、電柱の上などでモズが「高鳴き」をしている。
 そのモズだが、モズといえば「モズの早贄(はやにえ)」が有名だが、ここ10年ほど私はモズの早贄を見つけていない。
 その理由は判らない。ご存知の方は教えてほしい。
 先日の『ダーウィンが来た』では、モズは冬場(2月頃?)に子育てをするので餌が重要なため、あるところでは幾らでも早贄があるようだったが。

 でも「冬場のための餌の保管」と言ってしまえば身も蓋もない。
 やはりあれは空の神様への贄、お供え物だろう。

2023年9月25日月曜日

さいら

   この原稿はお彼岸の中日におはぎを食べながら書いている。
 記録的な残暑の日々だが、空の方ではモズが高鳴き、地面には彼岸花が咲いている。彼らの「体内時計」の正確さには舌を巻く。

 さて、モズと彼岸花の次に秋の主役と言えばサンマだろうがこちらは記録的な不漁が続いている。
 海水温が上昇してサンマの回遊コースが日本列島から離れているからと聞く。
 外国漁船が先に獲ってしまっているという宣伝は統計数値などからは的外れらしい。
 それよりも内外を問わず「育てて獲る」漁業でなく「根こそぎ獲る」漁業の風潮は問題ではなかろうか。

 「育てて獲る」沿岸漁業は普通の漁師の漁業だが、まき網漁業などの「根こそぎ獲る」のは桁違いに大きな船による資本主義的漁業である。
 そういうものを「効率」などといって政府が推奨しているのは良いことだろうか。一概には言えないがマグロなども含めて「これでいいのだろうか」という疑問が湧くが、浅学のためそれ以上はよくは頭が整理できていない。
 なお、You Tube に小池晃氏が沿岸漁業の漁船に乗って実際の漁に出て学んでいるのがあるが、非常に好もしい。それはさておき・・

 その不漁のサンマだが、イオンの売り場で見るそれは値段が高い上に非常に小さい。
 私は生協で購入したが、イオンほどではないがやはりそれほど大きくはない。
 各国と友好的な外交を展開して、地球規模で「育てて獲る」漁業をしてもらいたいものだと感じているが・・・。

 さてさて、先日ラジオで比較的「言葉」に一家言あるパーソナリティーが、その日のゲストが「祖母?がサンマのことをサイラと言っていた」と言ったのに対し「その祖母?さんが聞き間違えて言っていたのではないか」と返して語ったのには少しあきれ返った。
 パーソナリティーは熊本出身ではあるが京都の大学に行き、そのまま大阪の放送局のアナウンサーとして働いてきて、全国的な言葉の「委員会」の委員でもあったらしいのに、「それはないやろ」と私は思った。

 全国方言辞典に、【サイラはサンマ。大阪、三重、奈良、和歌山、兵庫県佐用郡、淡路島、岡山県津山、香川、徳島】と、大阪ことば事典にある。【ひょろひょろとノッポの漫才師林田十郎のあだ名】ともあった。
 大阪高麗橋で生まれ船場で育った私の祖母もサイラと言っていた。だから私もサンマのことをサイラとも言うことは当然に知っていた。
 消えゆく大阪弁だから若い人が知らなくてもよいが、大阪の放送に携わるものなら、「・・と言っていた人がいた」と聞いたなら「聞き間違いだろう」などと切って捨てず、とりあえず調べてもらいたいものだ。

 なお、サイラこと林田十郎は、雁玉・十郎の十郎で戦前から戦後初期の文字どおり大御所だった。
 さすがに小学生だった私は、ラジオから街中に流れていた浪曲の広沢虎造の名前ぐらいは知っていたが、雁玉・十郎の漫才は記憶に残っていない。ただ、親たちが「雁玉・十郎」と世間話をしていたことは覚えている。
 十郎は昭和33年に脳出血に倒れているから、その頃のことで、つまり、その頃の大阪・JOBK周辺ではそのあだ名「サイラ」が「サンマのこと」というのは当たり前の共通認識だった。
 先のラジオを聴いていて、そんなことをチョット書いてみたくなった次第。
 カットのイラストは成瀬國晴著『なにわ難波のかやくめし』にあった成瀬画伯のもの、この本には林田十郎のことがいろいろ書かれているがそれはまた別の日に。

2023年9月24日日曜日

備えあれば憂いなし

   「備えあれば憂いなし」というほどの大袈裟なものではないが、例えばある日、私が重い脳血管疾患を発症する可能性や突然死する可能性もリアルに高くなっている。

 友人のお兄さんがそのようになったときの話だが、そのお兄さんは株取引をしていたのだが、その解約その他の手続きが「ご本人同伴でなければ処理できません」というような頑なな証券会社の対応で驚くほど困らされたという。ほんとうにひどい経験談を聞いたことがある。

 そんなもので、わが家の場合はそんな心配するほどの財産もないのだが、よく「葬儀費用を引き出そうとしたら本人の定期預金が封鎖されていた」という話も聞くので、とりあえず夫婦の普通預金はキャッシュカードを2枚作って互いに持つ、定期預金は相手を代理人として選任するという手続きを行った。

 そのうち代理人選任は銀行でもあまり行っていない手続きのようで、担当者もマニュアルを読み返しながら対応し、その時々で書類の書き直しなどが頻繁に起こったので、他の若干の手続きもあるにはあったが、なんと、およそ3時間弱を要してようやく手続きが完了して銀行を後にした。

 転ばぬ先の杖というか、プチ終活というか、ほんとうの「その後」までの繋ぎはどうにかこれでいけそうなイメージは画けた。

2023年9月23日土曜日

高齢者の使命

   「足を踏まれた者の痛みは踏まれた者にしかわからない」という論があるが、この論を一般化すると人々の連帯はありえないことになる。例えば原水爆禁止の運動は広島・長崎の被爆者しか行えないことになる。なので、この論は大いに問題がある。
 だが一方、一面ではある種の重要な指摘事項でもあり、田中角栄元首相が「戦争を知らない世代が政治の中枢になったときはとても危ない」と残した名言の重みはいよいよ増している。

 東大史料編纂所編『日本史の森をゆく』の中に次のような記述がある。
 🔳 過去の出来事の語り手として、その場に立ち会った生存者以上に重要な存在はいない。もちろん、生存者の記憶の不確かさや、語られる時のバイアスに注意する必要があることはいうまでもない。だが、そうした要素も含め、今、目の前に生きている人の発するものすべての中に、その人がいなくなった後では二度と他者の得ることができないものがある。
 ・・・だが当事者が一人もいなくなった瞬間から、様々な言質が大手を振って歩きだす可能性は、大いに考えられる。🔳

 歴史の修正のような大問題ではないが、先日の「災害に関するシンポジウム」の一部を聞いていて、ふとそんなちょっとした違和感を感じた。
 講師が阪神淡路大震災を例にとって災害に強い政治課題を語る中で、いろいろな条件を説明しながらも、「自治体の要請がない段階での自衛隊の出動」や、はては理論上の問題として国会の議を経ない政令を法律とする「緊急事態条項」なども研究の対象だと語ったからである。

 私の違和感は、それらは、確かに大災害に限っては有効な一手段かもしれないが、憲法のシビリアンコントロール、人権侵害、ファシズム阻止という重大問題を検討したようには聞こえなかったことである。

 そこで冒頭の「世代」である。講師は准教授である。年齢は私の息子とほぼ同じである。
 そういう世代が大学の先生で、さらに若い世代が指導を受けて学んでいるのだ。

 阪神淡路大震災の折、私は大阪市内の中心で日々を過ごした。
 ほとんどつながらない電話であったが、「行政電話」を使って兵庫とも連絡を取り、マニュアルも先例もない出来事が当日正午頃から頻発する事態に無我夢中で「答」を出して対応した。
 消防も、電気も、ガスも、そして建設も、自治体も自治体などの労働組合も、関係する人々は誰もが「マニュアルがないから動けない」などとは言わずに対応した。
 救援物資も直ぐに動き出した。
 確かに情報、道路、その他多くの問題はあったが、官民を問わず日本人(労働者)は優秀だった。あえて言えば、その後の「公共」の衰退こそが気がかりだ。

 講義は、極めて短い時間であったからでもあったのだろうが、そんな私が1.17で感じた肌感覚が講師の話からは伝わってこなかった。
 思うに、『日本史の森をゆく』の指摘は「歴史の読み方」というような話ではなく、当事者つまり高齢者への指示事項である。
 「ボーっと生きてんじゃあねーよ」とチコちゃんに叱られなくても、語り伝える義務が高齢者にはある。
 当事者の経験は大学教授の勉強結果よりも大切なこともある。そんなことをふと考えた。

2023年9月22日金曜日

鬼手仏心

   19日の日に友人のLINEに ドクターに伝えられたし鬼手仏心 と川柳を送信した。
 お互い、皆いい歳になったからいつ何時予想外の病名を告知されるかは判らない。
 それでも、友人が心臓手術をするというのは平常心ではいられない。
 といって、心配だね 心配だよ と言う馬鹿もいないだろうから、私としては、精一杯のお見舞いのつもりだった。

 手術は20日の昼からだった。当然、事後の安静も必要なので眠らせられていただろうから、どうしようもなく待っていたが、21日の夕刻にお連れ合い(奥様)から「麻酔から覚めました」と電話をいただいた。
 「痛い」と言ったらしいから「順調」と思っておこう。
 お連れ合い(奥様)のご心配と疲れは如何ばかりだっただろう。

 知らない大病で実は大変だったという話も少なくないし、皆お互い、体を労わろう。

2023年9月21日木曜日

御器齧ぶり

   先日「方言」の講義の印象のことを書いたが、奈良県南部には「敬語がない」というのも知った。
 それは奈良県に限らず、三重県の伊勢南部、和歌山県沿岸、大阪府泉南の南、四国の南側などに共通している。

 一般に「敬語がない」イコール「田舎」というマイナスのイメージが強が、見方を変えると、都会、つまりコミュニティーの崩壊イコール「敬語の発達」だとの指摘は少し目から鱗であった。

 それはさておき「蝸牛論」のゴキブリである。
 私の小さい頃はアブラムシともよく言われていたから、バラの花などによくついてアリとの共生関係で有名な小さなアブラムシと「同姓同名」で混同することもあった。
 そういう風にアブラムシとも言ったが、同時にゴッカブリとも言っていた。
 この種の方言も急速に変化、消滅しつつあるから、ゴッカブリと言っていた年代と土地を記録しておきたいものだ。教えてほしい。

 千年の昔からの食器の古称「御器」に齧(かぶ)りつくから「ゴキカブリ」と松本修氏の本にもあった。氏の通信調査?では島根県東出雲町からだけ「ゴキカブリ」があったというが、大阪でも少し前までは「ゴッカブリがいたぞ」とここで叫んでおきたい。

 「ゴッカブリなんか知らん」という方も育った土地と年代を教えてほしい。
 松本氏の調査ではないが、声をあげなければ「ない」ことになる。
 という教訓は、方言のことだけでなく歴史の継承、歴史の修正問題にも通じるように思う。

2023年9月20日水曜日

防災方針と沈没船ジョーク

   あまりに有名でほとんどの方がご存知のジョークに「沈没船ジョーク(タイタニックジョーク)」があるが、各国の国民性や思考形態が笑いのネタである。蛇足ながら紹介すると・・・

 船の沈没が避けられない事態になったが救命ボートの乗員数には限りがある。女性と子供を優先して乗せたいがそのためには何人かの男性を海に飛び込ませなければならない。そこで船長は各国の男性にこう言った。
 アメリカ人には、「あなたが飛び込めば賞賛されてヒーローになれる」
 イギリス人には、「ここで飛び込むのは紳士としての当然のマナーです」
 ドイツ人には、「飛び込んでください。そういう規則です」
 イタリア人には、「ここで飛び込めば美人にもてますよ」
 そして日本人には、「ほら、他のみんなも飛び込んでいますよ」・・・・

 9月ということもあり、「災害」に関するとあるシンポジウムを聴講したが、その中の一つにこんなものがあった。
 防災意識を高めるための対応策の研究で、2006年(法施行)以前に建てられた住宅に火災報知器を設置させる対策で何が有効かという社会実験があった。
 罰則を作る案は上手くいかない。
 意義の教育も上手くいかなかった。
 リスクを明らかにするのも上手くいかなかった。
 結局、隣近所の設置状況を訴えて「ご近所は皆さん設置されてますよ」と示すのが効果的だった。
 講義はこんなに単純なものではなかったが、骨子だけをいえばこういう風に私は受け取った。
 事実、国の防災対策の方針の中にもこの精神は取り入れられているらしい。

 この話から沈没船ジョークを想起するのはそんなに難しいことではない。
 私はこの話を聞いていて、地震や津波の怖さとともに、為政者が展開する『同調圧力』の怖さに背中が震えた。
 『同調圧力』については今後も書いていきたい。
 先日は「マスク警察」を書いたが、コロナ以降のこの国の歪んだ同調圧力は看過できない。これでいいのかニッポン人。
 (イラストはネット上に公開されていたもの)

2023年9月19日火曜日

「蝸牛考」考

   「蝸牛考(かぎゅうこう)」は民俗学者であり高級官僚であった柳田國男(明治8年~昭和37年)の有名な著作で「方言周圏論」のことである。
 それを少し乱暴に要約すれば、「京(みやこ)の言葉が日本列島の南北(周圏)に徐々に広がっていったので、遠方の方言は古い時代の京言葉で、京に近い地域の言葉ほど新しい京言葉である」と指摘している。
 京にコンパスの針を置いて同心円を描くと、遠くが「ツブリ系」次が「ナメクジ系」次が「カタツムリ系」次が「マイマイ系」次が「デデムシ系」となったので「蝸牛考」なのである。

 この論は相当昔だが探偵ナイトスクープなどでも掘り下げられ、松本修氏の「アホ・バカ分布考」は専門家からも評価されたようだ。私もけっこう評価している。以上、前説(まえせつ)。

 先日、奈良大学岸江信介教授による「奈良県吉野地方における方言の特異性」という講義を受講したが、その中で、先ずは奈良県のアクセントの分布が話された。それは、
 ① 奈良県北部全域と下市町、五條市、吉野町、東吉野村は『京阪神アクセント』
 ② 天川村(洞川を除く)が『型の区別が少ない京阪神アクセント(垂井式)』
 ③ 五條市篠原(旧大塔村篠原)、天川村洞川、十津川村、上北山村、下北山村が『東京式アクセント』であり、学会の定説では、京阪神アクセントが古く、東京式アクセントが新しい・・というものだった。う~ん、となると蝸牛論とは反対だ。

 次に、ちょっと寄り道の話で京阪神の「来ない」という言葉について、京都の「来(き)やしない」が京都で「きいひん」になり、それが大阪で「けえへん」になり、さらに神戸で「こおへん」になったが、京都はあくまで大阪の変化を認めず「きいひん」のままだ‥と言う話があったが、この辺りも蝸牛論の外の「京都の意地」のように感じられた。

 3つ目には、イキヨル、ノミヨルの「ヨル」の話も興味深かった。
 奈良県北部などで「あのおっさん、また遊びにイキヨル」というと、「ヨル」は「ヤガル」ほど悪い言葉ではないが、軽くののしる意味が含まれる。
 しかし奈良南部(吉野地方)や近畿の周辺部では、例えば、
 「桜の花が散りヨルなあ」は「散りつつあるなあ」「~つつある」で軽くののしる意味はない。
 また、桜の花が地面に散っているのを見て、「桜の花が散っトルなあ」。桜の花が(既に散り終わり)地面に散っているなあ・・となる。
 例えば「来ヨル」は「来つつあるが、まだ着いていない。「来トル」は既に到着している。
 この区別は、奈良県北部を含む京阪神ではないと先生は指摘されたが、この話は微妙に私の中では理解(わかる)ようでもあり、?でもある。私は京阪神だが、その区別が判らないわけではない。
 大阪南部田尻町の先輩は、桜の花でいえばはっきりと、「散ってら」と「散っちゃーる」を使い分けていたように思う。

 このブログ記事は印象・エッセーだからこれぐらいにするが、蝸牛論的なものと蝸牛論では収まらないものが多々あった。
 そして、地域コミュニティーの解体、通勤その他での広域的な人間の移動、テレビの普及などで急速に方言が変化、消滅しつつある。
 それはしようがないことかもしれないが、大いに寂しくも感じられる。

2023年9月18日月曜日

今年は植物

   朝ドラは『らんまん』、退職者会の春の遠足は『長居植物園』、そして秋の遠足は『咲くやこの花館』を予定している。
 だからという訳ではないが、私は草木が結構好きである。

 近所に大手住宅メーカーの研究所があり、庭のイメージのためにいろんな草木が植えられている。その横が私の散歩道である。

 この春のことだが、見慣れない低木が植えられて、そこに見慣れないチョコレート色の花が咲いていた。
 植物の検索の本や、ネットでいろんなワードで検索しても判らなかった。
 今後の検討のために、7月7日に別掲の写真を撮ったが花は既に散っていた。

 と、月日を夏の終わりまで越してしまった先日、大阪市内に行くため自転車で通っていると何人かが作業をしていたので、「春に黒い花の咲いていたこの木は何ですか?」と尋ねて、その珍しい木の名前を教えてもらった。
 そしてその日は大阪で会議や作業を行ったのだが、その後、悲しいかな教えてもらった花の名前が出てこない。情けないがこれが今日この頃の私の現実。

 なにかキャリーパミュパミュみたいな名前であったがと朧げな記憶の断片でネット検索しても出てこない。

 その内に・・・たしか「クロローバイを知ってますか」「近くはないがクロローバイの仲間です」みたいなことを言っていたなというのを思い出し、クロローバイ、黒色蝋梅などをネットで繰っていくと、キャリーパミュパミュならぬ『カリカンサス(Caly canthus)』というのが出てきた。
 半年ぶりに胸のつかえがとれた気がする。それでも又すぐに忘れるだろうからこのブログを書いて記録しておく。カリカンサス、チョコレート色の変わった花の木。

 妻は「成人病の魔法使い」というワードで覚えたらしい。「成人病でカリュームの値が高くなったオズの魔法使いはカンザス州」と覚えたという。私なら余計に混乱しそうだ。
 カリカンサス。カリカンサス。

2023年9月17日日曜日

おさんぼうや

   仲秋の十五夜(9月29日)が近づいてきたので、孫の乳幼児向けの絵本『おつきみ おばけ』を引っ張り出した。
 気のいいお化けが兎ちゃんのためにお月見をしてあげるのだが、全文はひらがなで、読むうちに「おさんぼうや すすきを かざろうね」というところでグッと詰まってしまった。
 「おさん坊や??」
 このくだりは妻も詰まったそうだ。
 兎ちゃんの外に「おさん坊や」もいたのか? と。

 正解はどうも「お三宝 や」らしいが、私も妻も「お三宝」と言ったことはなかった。
 お+名詞は「美化語」というらしいが、そういえば、お茶碗、お皿、お盆があるから「お三宝」があってもおかしくはないようだが、使ったことのない言葉に突然出くわすと戸惑う。
 私も妻もあえて言えば「三宝さん」で一致した。

 大阪弁の特徴に「お豆さん」も「お芋さん」もあるからエエか! とも思うが、先の例で言えば「(お)茶碗さん」「(お)皿さん」「(お)盆さん」とは言わないから、「道具+さん」は一般的でもなさそうだ。

 もしかしたら三宝さんは、大阪でいう天神さん、えべっさん、住よっさんのように神さんにツキモノなので三宝さんが馴染むのだろうか。
 文法も大阪弁も一歩踏み込むと難しい。
 貴方は「お三宝」派ですか?

2023年9月16日土曜日

活字離れに抗う

   7月下旬に退職者会会員あて、会報への原稿を依頼してから約一月半。特に締切後約10日間で編集から印刷までの作業はハードで、今その会報の発送が終了してホッとしている。

 「原稿は600字以内に」と依頼したが、それでもB4で8ページに及ぶ堂々たる?もので、元気な旅日記もあれば闘病記もあり、天下国家を憂えるものからウィットに富んだ近況報告まで、硬軟取り混ぜた互いの人生の交流会になった。

 毎日新聞特任編集委員近藤勝重さんの著書『60歳からの文章入門』のことは4月2日のブログに書いたが、いろんな意味で自分を殺して生きてきたタテ型社会を卒業した退職者生活は、自分のパーソナリティーを生かすヨコ型社会の人間への生まれ変わりで、それこそが本当の人生だと氏は述べられている。

 調査書や復命書ではない、自由な表現(ジャンルは問わない)こそ高齢者の生きている値打ちだとの指摘は胸に重い。

 編集、特にレイアウトは、腕のある後輩に大きな力を貸してもらったので、お陰で見た目も一級品になったと自画自賛している。

 願わくば、多くの会員が「1年に1本ぐらいは会報に投稿してそれが活字になるのが生き甲斐だ」と言ってもらえるよう発行を継続したい。そして、この編集等の作業に「片肌を脱いでやろう」という会員が増えるのを期待している。

2023年9月15日金曜日

敬老の日

   世界中で地震、山火事、洪水など天変地異が起こっているが「それでも地球は廻っている」ようで、町役場から心当たりのないレターパックが届いた。
 コロナの予防接種の通知は先日あったし、ほんとうに心当たりがなかった。

 入っていたのは極めて少額の商品券で、敬老の日に因んだ喜寿のお祝いだった。
 還暦も古希も過ぎ、次は傘寿ぐらいかと漠然と思っていたが、喜寿というのがあったのだ。

 古希などは杜甫の詩の一節だから微かに文化の薫もしないこともないが、喜寿は喜の略字が㐂というのだからと、発想が安直すぎないか。

 「人生五十年」といわれていた時代と遥かに様変わりしているが、それでも同年配や年下の友人で先に逝った者もいる。
 ならば、あまり毒づくのは止めて美味しいものでも食べようか。
 でも「お前は年寄りなんだぞ」とイエローカードを切られたようで変な気分でいる。

2023年9月14日木曜日

鶯塚古墳

   清少納言(せい しょうなごん)が枕草子で「みささぎは うぐひすのみささぎ・・」とした「うぐひすの陵」がどの古墳を指すかについては諸説あるが、大勢は奈良・若草山頂上の鶯塚古墳をそれとしている。
4世紀か5世紀前半に築造された前方後円墳で、全長103mの立派なものである。
 少し気温の下がった過日、避暑がてらに訪ねてきた。

 3世紀の後半にこれまでとは隔絶した巨大前方後円墳が三輪山麓に出現し、大王・王権の確立が見られたが、4世紀後半には大型古墳は奈良盆地北部に移動して築造された。
 この「佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群を造営した初期の豪族の古墳がこれだろうか。

 若草山から東を向くと生駒山が目の前に見え、少し南に目を移すと信貴山と二上山の間の、後の龍田越え奈良街道の向こうに河内の柏原まで見える。ここは大和川の河川であり、その先は難波津、もっと言えば大陸につながる。
 北は平城山、木津川で、すぐそこは山城の国。南には後に都となる飛鳥や藤原京の場所も見える。

 ここに立つと、文句なく「みささぎは うぐひすのみささぎ」と言いたくなる。
 そして、この辺りの平地では聞くことのないミンミンゼミが鳴いていて、耳からも涼しさが入ってくる。

2023年9月13日水曜日

林業の勉強で

   岡橋秀典広島大学名誉教授の森林や林業等に関する講義を聞いていて、「なるほど」と思ったことがある。
 テレビの『世界ふれあい街歩き』などを見ていると、特に西欧ではいわゆる農村でも草が少ない。
 日本のように道の両端が雑草に侵蝕されているようなことがあまりない。
 やはり徹底的に気候が違うということを再確認した。

 一時日本の林業が輸入材によって大打撃を被ったが、その原因の一つは値段で、日本は育林(下刈)に膨大なコストがかかるが、カナダなどではそれが殆どゼロだという。

 それは反対にいえば日本の土地の豊かさであるから、日本でも外国同様歴史的には大規模な伐採を繰り返してきた(特に都であった奈良や京都周辺)が、それでも国中が禿山になっていないというのは世界史的には異例中の異例だという。

 もう一つ、地球の砂漠化、砂漠の拡大が大問題になっているが、その原因の一つは牧畜、特に羊だという。近世まで羊の牧畜が殆どなかったことも日本の砂漠化が進まなかった要因らしい。ジンギスカンが好きな私としては複雑な感情。

 ウクライナの小麦輸出が困難になって世界中が大騒ぎになっている中で日本人が比較的冷静に観察できているのはズバリお米のせいだろう。
 そういう意味では、本来、最後に地球の食糧をを救うのは日本かも知れないのに、農業、林業は疲弊させ、漁業の故郷の海へは汚染水を放出し、この国の為政者には哲学が感じられない。

2023年9月12日火曜日

きっぱりと秋第2弾

    9月11日(月)、この先は判らないが、この日はガクンと気温が下がり、暑がりの私は前日まで冷水シャワーだったが、久しぶりに温水にした。
 この気温の変化に自然界はもっと敏感で、コオロギの声が判らないほど声の主役はアオマツムシにバトンタッチした。
 ただ、アオマツムシの声は大きすぎて、「秋の虫」には入れたくないほど情趣に掛ける。

   気温が下がるとビールもよいがワインもよく、息子ファミリーからも「余っているワインオープナーはないか」とメールがあった。

 ワインオープナーはいろいろ持っているが、瓶の口の大きささえ合えば写真のオープナーが面白いし非常に実用的だ。
 頭を回してスクリューを押し込み、反比例して上がる両手を下へ下げると非常に軽くコルクが抜ける。ただ瓶の口径によっては上手くいかない瓶もある。
 口径さえ合えばこのオープナーが楽だし楽しい。

 白玉の歯にしみとほる秋の夜 ばんざい!

2023年9月11日月曜日

外山(とび)茶臼山古墳

   つい最近、奈良の二つの古墳のニュースが話題になっている。
 話題の度合いは場所柄、法隆寺参道の舟塚古墳に分があるようだが、私は外山(とび)茶臼山古墳(桜井茶臼山古墳)に興味がある。
 そのニュースの内容は、過去に発掘されていた三角縁神獣鏡などの銅鏡の破片を精査したところ、全国最多の103面以上の銅鏡が副葬されていたというもので一見したところ地味ではあるが、古墳時代最初期の3世紀末で墳丘長204ⅿでこの銅鏡数だから夢が膨らむ。

 王墓(後のいわゆる天皇陵)について造詣の深い白石太一郎先生は、「外山茶臼山古墳とメスリ山古墳については、最初期の他の巨大古墳の地と少し離れていることや、古事記、日本書紀、延喜式などに陵墓としての伝承が伝えられていないが、この時期(古墳時代最初期~初期)(3世紀中葉~4世紀中葉)の王墓としては、箸墓→西殿塚→外山茶臼山→メスリ山→行燈山→渋谷向山の順に築造された巨大王墓であることはほぼ間違いない」と述べられている。

   考古学と記紀などの史料や伝承との検討・突き合わせは非常に困難であるが、仮によく言われる「箸墓が卑弥呼の墓」だと仮定すれば、西殿塚は「台与の墓」、外山茶臼山は初代の天皇陵などということもできる。荒っぽい話の一つだが、外山茶臼山の地はイワレの地であるからイワレビコこと神武の墓と推定する主張もある。

 そんな議論が飛び交うほど、ヤマト王権の出現期の貴重な古墳である。
 そもそもが、メスリ山古墳が築造された時点では北に箸墓と西殿塚の二つの巨大古墳があっただけだから、外山茶臼山とメスリ山が「離れている」というのもおかしくないか。

 古墳の被葬者の推定については、墓誌の埋納のないわが国では特定が非常に困難であり、白石太一郎説は有力ではあるが、すべてについて私も納得している訳でないが、今回の外山茶臼山の大量の銅鏡は、白石説を大きく補強していると考えられる。

2023年9月10日日曜日

「しつらい」という文化

   炎帝もようやく退場の気配が漂ってきて、秋まつりのニュースも聞こえてきた。
 夏祭りはどちらかというと都市の疫病退散的要素が目につくが、四季の国の秋まつりとなると断然「収穫(感謝)祭」の色合いが濃くなる。

 キリスト教圏から来た人は、年がら年中どこかでお祭りのあるこの国の文化に驚くらしいが、元来は、春から夏にかけて重労働の続いた稲作農民にとっては「秋祭でもなければやってられない」と思ったのではないか。

 さて、そんな農耕民族の文化としての「しつらい」(しつらえ)(設い)(室礼)のことだが、松岡正剛氏は「しつらい、もてなし、ふるまい が日本の生活文化の基本だ」と述べておられるが、私は「もてなし、ふるまい」にあえて結び付けなくとも、農耕民族の四季を生活に取り込む文化というのが基層ではないかと思う。
 ここ数年の「地球沸騰」ではそうとも言っておられないが、元々は久隅守景筆国宝「納涼図屏風」ではないが、わが国の生活文化の基本は「風雨順時」だと思う。

 また、仏壇に「お花」が欠かせないように、幕末に来日した西洋人が貧しい庶民の家の前にも花が植えられているのに驚いたように、四季あるいは自然を生活に取り入れることはこの国では「当たり前」のことだった。

   そこで現代社会だが、土から離れた企業社会には四季も祭も希薄になり(少し前まではそれでも新年会、暑気払い、忘年会や慰安旅行があったが‥それの当否は別にして)、大都市では庭も遠ざかり、ニュータウンには祭もない。朝ドラ「舞い上がれ」でいえば現代人の多くはデラシネ(根無し草)になりつつある。

 そこで私は、せめて季節に応じた「しつらい」を大事にしたいと思う。それは年中行事にも通じる。
 孫たちが大きくなったとき、「じいちゃんはあんなしつらいをしていたな」とふと思い出してくれたらいい。
 そんな蘊蓄を垂れながら、稲穂に蝗(いなご)に名月をしつらった。

2023年9月9日土曜日

歴史への誠実さ

 
   戦前の皇国史観(国粋主義)の第一人者であった平泉澄(ひらいずみきよし)教授に学生が「卒業論文のテーマを農民の歴史にしたい」と相談したところ、平泉が「豚に歴史がありますか」「豚に歴史がないように農民に歴史などあるはずがない」と一喝したと言う話はあまりに有名な伝説と言われている。

 これは単に農民を馬鹿にしたというのでなく、国民の歴史などというものには意味がない。支配者の「文字に残した」歴史だけが歴史として意味があるのだという彼の信念によったものだった。時代はそういう時代だった。
 先日書いた松野官房長官の「朝鮮人虐殺の記録はない」発言を聞いて、この国はとうに「戦前」に辿り着いていると愕然とした。
 
 敗戦時GHQの命令で皇国史観に繋がる大学や神社が追放されようとしたとき、あえて火中の栗を拾った国文学、宗教学、民俗学者である折口信夫(おりくちしのぶ)(掲載の似顔絵)がいた。余談ながら大阪は木津の生まれの歌人でもある。それはさておき・・
 つまり彼は、いやしくも神道や天皇を語る場合に避けて通れない、民族派の人々にとっては「大恩人」である筈の学者である。

 先日の関東大震災の記事の折、流言蜚語による朝鮮人、中国人の大虐殺があったが、関西の未開放部落の人や聴覚障碍者も同じく虐殺されたことを書いたが、方言という意味では、沖縄や秋田や三重の人も同じように虐殺された人もいたと言われている(毎日新聞9月1日:記者の目)。

 さて折口だが、そのとき折口は南方へ学術調査に行っていて、4日の正午に横浜に着き、東京下谷の自宅へ向かって歩いていた。
 折口は自宅は東京だが生粋の大阪人である。その上に少々「おねえ言葉」だったと言われている。
 それゆえに自身も何度も自警団に尋問もされ、その過程で朝鮮人大虐殺を直視したのだった。

 折口はその経験を「砂けぶり」という詩に詠ったが、その初出では、・・・おん身らは、誰を殺したと思ふ  陛下のみ名においてー。  おそろしい呪文だ。  陛下万歳 ばあんざあい   と・・・
 「陛下の赤子である日本国民ともあろうものが・・というように表現されてはいるが、他の部分では「朝鮮人になっちまひたい 気がします」とも詠んでいる。

 私は思う。保守だとか右派だとかを自称するならば、最低限この大先輩、大恩人の「告発」を真摯に受け止めよと。
 そういう意味でいえば、官房長官や小池東京都知事は、見解の相違ではなく、歴史に対して不誠実、人格に大問題がありはしないか。

 折口信夫のことについては多数の著作があるが、私は新潮選書:上野誠著『魂の古代学』が好きだ。

 ちなみに、折口信夫は釈迢空(しゃくちょうくう)という号を持つ歌人であり、年に一度短歌界で最高の業績を上げた歌集には「迢空賞」が贈られている。

 〔余談〕「潮干狩り」を「しおひがり」と言う関西人の皆さん。江戸っ子はこれを「ひおしがり」と呼ぶから、貴男は異邦人として虐殺されていたかもしれない。これは余談。

2023年9月8日金曜日

きっぱりと秋が来た

 
   9月7日朝、秋があいさつに訪れた。
 木枯らし1号とか春一番とかの言葉があるが、「秋の初日」ほどはっきりしたものがあるだろうか。
 高村光太郎の詩をもじれば、9月7日の朝「きっぱりと秋がきた」。

 こうなれば「熱中症予防のため」という言い訳も通じず草刈りに重い腰をあげたが、人様が快適な気温の低下は、真夏日に音を上げていた(と解説されている)蚊たちにとっても快適らしく、集中砲火の戦場もかくやというありさまとなった。
 もちろん、虫よけスプレーをたっぷりの上に腰には蚊取線香という戦闘態勢だが彼奴らは一番無防備な顔を狙ってくる。

   もちろんもちろん、当方の対策は怠りなく、そこにはデンと「オニヤンマ君」を待機させていたのだが、この「オニヤンマ君」はサボリの常習犯。
 売っていたホームセンター! カネ返せ!

2023年9月7日木曜日

マスク警察

   かかりつけ医(開業医)とマスクについて雑談を交わした。
 私の、「国際的に見て圧倒的にマスクをしている日本(人)とそうでない諸外国との間に罹患率に有意差は認められないのではないか」という質問に、医師は次のとおり話してくれた。
 ● 屋外では全くマスクをする必要はない。
 ● ショッピングモールでも必要はない。
 ● 必要なのは会話をする食事時だ。
 ● 狭い空間で会話をするときはマスクをする方がよい。

 食事時が一番感染しやすいから・・と言うが、マスクをして食事ができないし・・・
 となると、満員のバスや電車ぐらいかも・・・

 医師は、「僕は屋外では一切マスクを着けないが、白い目で見られている」と笑った。なんと日本的な! マスク警察の白い目よ。
 朝ドラ「カーネーション」で国防婦人会(隣組)がミシンを供出せよと押し寄せてきた白い目だ。 

 以上の雑談を、一応はマスク越しだが、医師と顔を突き合わせて語らった。
 医師の話は、お盆休みに外国に行ってきた感想でもあったようだ。
 そして、ウイルスの侵入は避けがたいが、発症するかしないかは体力との兼ね合いだから体力を維持するようにという(これは私の持論とも合致する)結論を確認して雑談を終えた。

 私と妻はかかりつけ医が別である。「お父さんはあの大雑把な先生と相性がええ」と評している。そのとおり。

2023年9月6日水曜日

オンブバッタの怪

   写真はわが家の紫蘇畑。畑というほど人工的なものでなく、昨年の種から自生してきたものを、この一角だけそのままにしてあるだけ。

 毎年最後の1本だけ十分実を稔らせて、それを適当にパラパラパラと叩いてから捨てると、翌年にはこのように紫蘇畑が生まれる。
 そして毎年、この紫蘇(青じそ=大葉)は人間(私)とオンブバッタの取り合いになる。写真でいえば真ん中あたりにオンブバッタに食べられた穴があるが、毎年全面的にこのように食い荒らされる。

 ただ紫蘇は生命力旺盛だからそれでも次から次へと若葉を出すから、そういうオンブバッタの食べ残しを人間がいただく。最後は、喰われて穴が空いていても刻めば同じだからオンブバッタと私は共生している。

 ところが今年は、オンブバッタが非常に少ない。なので私はやすやすと楽しく摘んでは料理に添えている。

 テレビなどでは「日々高温すぎて蚊が少ない」というような説明がされているが、もしかしたらオンブバッタにも棲み辛い「地球沸騰」なのだろうか。
 殺虫剤は使っていない。土は特に耕していない。周囲の雑草の量も変わらない。私としては去年と比べて今年がオンブバッタの発生に影響を与えたと推測される理由が見当たらない。

   ネットで「オンブバッタ 少ない」と検索してもヒットしない。

 わが家だけの特殊事情は考えられないが、どなたかこの怪を教えてくれませんか。

2023年9月5日火曜日

中央構造線

   関東大震災から100年ということもあり、東南海地震も気になるところだが、少し違う角度からは中央構造線が気にかかる。

 中央構造線についてはイコールで活断層ということではないようだが、奈良県との県境に住んでいる私は奈良県を南北真っ二つにに分けている中央構造線が気にかかる。・・ので、そこのあたりのことについて Wikipediaでは・・

 🔳 活断層としての中央構造線は、高見峠より東の三重県側はあまり活発な活動をしていないが、奈良県以西は1,000年間に5 m程度動いている非常に活発なA級活断層である。
 活断層上に古くから有名な根来寺があるが大地震の記録は無く、前回の地震発生からかなりの時間が経過し、地震を発生するエネルギーが蓄積されていると思われる。
 政府の地震調査研究推進本部によれば、金剛山地東縁から和泉山脈南縁の和歌山市付近に至る区間が活動すると、内陸型地震としては最大級となるマグニチュード(以下M8.0程度の地震が発生する可能性がある。発生確率は今後30年以内でほぼ0 - 5%とされていることから、日本の活断層の中では地震の発生確率が(相対的に)高いグループに属している。
 2011年(平成23年)218日の発表で、今後30年以内の巨大地震発生確率が、これまでの“M 8.0程度で0 - 5%”から、“7.6 - 7.7程度で0.5 - 14%”と修正された。これは、国内で地震の発生が予測されている活断層帯の中では3番目に高い数値であり(現在活断層型地震の中で最も発生確率が高いと予測されているのは神奈川県内にある活断層帯で16%)、西日本だけに限定すれば最も高い数値である。
 予測されている巨大地震が発生した場合、和歌山市や大阪府の南部などで震度7、また、大阪府の中南部を中心とした広い範囲と奈良県の橿原市、和歌山県の大阪府との県境沿いなどで震度6強に達するとされている。なお、活断層の露出は和歌山県内だが、活断層自体が大阪府側へ傾いているため、地震のエネルギーのほとんどが大阪府側へ流れると予測されている。🔳と書いている。

 勉強不足だが、中央構造線は日本列島がまだ大陸の一部であった頃からのもので、北側(内帯)に対して南側(外帯)が新しい土地という。
 奈良県は、それが一つの県の真ん中で真っ二つに分けている珍しい県である。確かに、私のような県の北の端(のさらに北)の人間が南の吉野地方に行くと別世界と感じるのはそういうことだったのか。ブラタモリででももっと深追いしてもらいたい。
 ちょっと勉強を続けたい。

 ・・以上の記事は、吉野に関する講演会の奈良大学土平教授講演を聞いたことから興味が膨らんだもの。
 その講演会、奈良新聞が報道し、どういう訳かそのネット記事を妻が読んで、「お父さん、ここへ行ってきたの?後姿が写ってる」と言ってきた。

2023年9月4日月曜日

ツチバッタ イボバッタ

   この種のバッタは綺麗でもないから、小さい頃から「ツチバッタ」と呼んで見向きもしなかったが、
 もしかしたらツチバッタではなくイボバッタかもしれないということをこの歳で初めて知った。

 スマホで撮ったもので、見返してみても解り辛い。

 歩いていたら足下に少し大きい目のこのバッタが跳んできた。
 すると、その前の方に、向かい合うように小さなバッタが跳んできてた。
 少し珍しいのでスマホで撮ろうと思ったところ、小さなバッタがツツツーと大きなバッタに近づいてきた。
 大きな方は嫌がる様子もなくそれを見ていた。

 すると小さなバッタが半回転して大きなバッタの背に乗った。オンブ状態(上の写真)。常識的には、大きい方が♀。背中に飛び乗った小さい方が♂と思う。
 オンブバッタではないけれど交尾に違いない。
 とそのとき、無粋な自転車が走ってきてバッタは一緒に跳んで行ってしまった。
 で、この解りにくい写真が残っただけ。
 このバッタ、何ですか? ご存知のお方は教えてください。

2023年9月3日日曜日

ああマスコミ

   ジャニー喜多川の性犯罪、少年への人権蹂躙について,
「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査報告書が、「マスメディアの沈黙」と題した項目を立て、マスコミに対して「報道機関として極めて不自然な対応をしてきた」「正面から取り上げてこなかった」と指摘したのは正鵠を射ている。

 マスコミがジャニーズを批判しないのは、元SMAP3人に対する妨害について公取委がジャニーズ事務所に「注意処分」した後もそうだった。
 
 私は朝にABCの「おはよう朝日です」をよく観ているが、ABCのエリートらしい岩本アナが「証拠がつかめないので報道できなかった」と居直ったのはいただけない。ジャニーズ事務所を批判するとタレントの出演を止められそうだという「長い物には巻かれろ」という姿勢に違いない。

 マスコミのこういう歪みは、ひとりジャニーズ事務所だけのことだろうか。
 矛盾だらけの大阪・関西万博で底なしの税金が消えようとしていることを十分報じないのも同じ「病気」だろう。
 東京オリンピックのように、そもそもマスコミが国や自治体のプロジェクトに参画するのがおかしい。それでは根本的な批判ができないのが当たり前だ。
 読売新聞大阪本社と大阪府の包括連携協定など論外でジャーナリズムの自殺行為である。

 笑い話で、「真実は週刊文春と赤旗を読まなければ解らない」というのも全くの的外れではない。「マスメディアは強い者には弱い」「弱い者には強いが・・」。

 話は少し外れるが、ジャニー喜多川の性犯罪、少年の人権侵害については、その赤旗も徹底しては追究できていなかった。
 こちらの方は「タレント出場に関わる忖度」ではないだろうが、問題意識の低さ、弱さがあったと私は思う。
 9月1日に赤旗編集局の反省の弁が載っていたが、正直に言ってもっと強く反省すべきでないか。
 姿勢は好いが力が弱いでは情けない。ただこれは記者だけでなく、支持者全員が投稿するなどして育てるなどする姿勢も大切かも。

2023年9月2日土曜日

関東大震災 虐殺 100年

   9月1日、関東大震災100年にあたるため、「関東大震災100年ー奈良県理事官が見た帝都ー」という展示を見に、奈良県立図書情報館へ行ってきた。奈良県立図書情報館はいわば奈良県中央図書館だが、他府県に勝るとも劣らない立派な図書館である。館長は著名な歴史学者千田稔先生である。

 遡る8月30日、私はテレビのニュースで松野官房長官が関東大震災時の朝鮮人虐殺について、「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」とスピーチしているのを見て、三国志的に言うと「極まれり!」(ここまで来たか!)と心で叫んだ。

 従来から自民党内には右翼的な主張があったが、「日本列島をアメリカ合衆国の不沈空母にする」と公言した中曽根康弘にしても、それは『論争の対象たる論のひとつ』であった。
 それが安倍晋三(安倍派)以後の自民党は、「多数を制すれば黒い鴉も白い鷺だ」ばりの虚偽と没論理で、「募ったが募集はしていない」的な暴論で、理性への挑戦を繰り返してきた。
 それを笑っていてはならない。
 政治的には、「政治の世界は無茶苦茶だ」と庶民が冷笑すればするほど彼らの思う壺である。

 奈良県立図書情報館のコーナーには、関東大震災時の朝鮮人や中国人虐殺に関する書籍がいっぱいあった。奈良県にしてこうである。
 官房長官が歴史に学んで未来の人権を考えようと思うなら、この種の記録は関東には山のようにあるだろう。
 それを彼は、「記録はない」と言い放ったのである。

 ちなみに私の父は先の敗戦時「松下飛行機」のそこそこの幹部社員であったが、敗戦時にそれこそ山のように、「軍と名の付くもの」は文書からゴム印まで徹底して焼却したことを子どもである私に語っていた。
 ならば、記録がないから松下飛行機は軍と関係なかったのか。そんな馬鹿なことはない。それを「なかった」かのように言うのは理性への挑戦である。官房長官の論もそうである。

 平成20年3月に内閣府の中央防災会議の専門調査会がまとめた「過去の災害教訓」の報告でも、朝鮮人らへの虐殺は記録されている。官房長官こそ歴史修正主義者と言わなければならない。

 冒頭の奈良県立図書情報館の展示のメーンは、直ぐに帝都に派遣された奈良県土居章平理事官(後には各県の官選知事)の報告である。以下に関係部分を記載する。
 🔳 鮮人とさへ見れば市民之をなぐり殺し 軍隊迄之を銃殺する有様にて 警視庁は之を保護旁々収容致し折り候。🔳

 写真の絵画は教員画家大原彌一の作品で、「この震災を経験しなかった人々に省慮の念を促したい」と記していた。(赤旗9月1日号から転載)

 繰り返すが、いろんなレベルの違いはあるだろうが、普通の庶民が寄ってたかって罪のない人々を虐殺したのである。
 コロナなどで見た同調圧力の向こうにこの光景を想像するのは心配しすぎだろうか。東日本大震災でも流言蜚語はあった。
 
 朝日新聞の小薗崇明(公益財団法人政治経済研究所研究員)の小論の中に、朝鮮人を特定するのに「15円50銭」の言葉が使われ、流暢に発音できなかったならば朝鮮人として殺されたことが書かれ、日本人でも聴覚障碍者が犠牲になったという。
 もし、明日にでも大災害が起こったならば、私の孫も犠牲になる可能性がある。
 かくして私は松野官房長官や同様の主張をしている小池東京都知事を許すことができない。

2023年9月1日金曜日

小休止

   8月31日は先ずは早朝から病院へ行って定期診断。
 血液検査(採血)、心電図そして問診。その一つ一つの間に待たされ時間があり、病院に行くと体力が弱るのはどうにかならないものか。結果はまあまあ。
 ただ真夏に血圧の値がよくなるのは毎年のことで、薬や療養態度とは次元が違うことなのだが医師は自分の処方の結果と言いたいらしい。

 次いで、この31日は原稿締切日のため予想以上に仕事が輻輳。
 その中には原因不明で開封できないファイルもあり、それをあれこれいじっているうちにパソコンがフリーズに。
 で、疲労困憊でブログに辿り着けない。
 写真は何の関係もないキンカンの花。。美しい。