2010年12月26日日曜日

千本餅つきに民族の記憶をみた

 奈良市とは名ばかりの(すみません)田原地区の“千本餅つき”に参加してきた。
 河瀬直美監督“殯の森”のロケ地、太安萬侶の墓が約30年前に発見された地。静かな山里は雪化粧で待っていてくれた。
 地元の保存会の人々の歌う“餅つき唄”に合せて細い棒で搗く餅つきは、予想していた以上に合理的で出来栄えも立派に仕上がったのには驚いた。
 古老いわく、
 50年ぐらい前までは足で搗いていた。(シーソー式の装置が各家にあった。)
 祝い事の場合は一臼2升とか3升を搗き、葬式の時には端数のついた量や3升を超える量を搗く。・・・とのこと。・・・・こういう 「へ~」っという話もよかった。
 無理を頼んで、奈良県無形民俗文化財の“祭文”も少し語ってもらえた。♪♪ デレレン デレレン デレレン というそれは、江州音頭の祖先に違いない。
 無縁社会を実感する昨今、体の奥底に微かに思い出すような遠い故郷の感触を呼び起こしてくれるひと時だった。
 今日の行事は“奈良ひとまち大学”。スタッフの方々も親切で満足だった。
 27日追記
 「足踏み式の米搗き機なんて農家なら何処にでもあったよ」と妻の言。ただし、妻の記憶では「餅つきに使っていたのは知らん」とのこと。こういう話になると「町の子は何にも知らんのやな」と何時も妻に馬鹿にされています。

2010年12月22日水曜日

大阪の雑煮と奈良の雑煮

 入所している母が「正月の雑煮はどういうものか」と職員に尋ねまくっているので施設の中で大きな話題になっている。いわく「白味噌で、丸餅は焼かず、小芋と雑煮大根、金時人参に豆腐に花かつお」という厳密な希望らしい。さらに「二日目は澄ましで、焼いた丸餅と水菜と蒲鉾」とうるさい。いつの間にか入所者間で雑煮談義に花咲いているが、難聴と認知症で大騒動になっている。
 
 今日の朝日夕刊に奈良の雑煮が大きく載っていた。「味噌味に焼いた餅を入れ」までは普通だが、「その餅を小皿のきな粉にまぶして食べる」でオオーッとなる話が面白おかしく綴られている。  
 わが妻のルーツは大和。毎年「このきな粉雑煮が如何に美味しいか」という講釈を聞きながら食している。行事食としての伝承のことを除いて正直に言えば、きな粉雑煮は結構クールと言えよう。

 23日追記
 大正時代の堺の幼児に思い出してもらったわらべ歌は、
    ♪ 正月来たら 何うれし
     碁石みたいな あも 食べて
     割り木みたいな とと 食べて
     おこた に あたって ねんねこしょ ・・・でした。

 「お雪みたいな まま 食べて」については、「正月にご飯は食べないやろ」と一蹴されました。

2010年12月21日火曜日

冬至に柚子湯

 今日21日は東寺の終い弘法。
 四天王寺の大師会も同じ。
 友人のひげ親父は何れかの骨董市を渉猟しているに違いない。
 骨董市ではどう見てもゴミとしか見えないものも堂々と開陳されていて可笑しい。
 あの世界にのめり込むと底の無い怖さがあるが、もとより全く小遣いが無い身には取り越し苦労。

 四天王寺といえば、先日NHK BSの熱中スタジアムでタワーが論じられていたが、初代が1400年前に誕生、大都会のど真ん中でその最上階まで登ることの出来る四天王寺五重塔を忘れてはいませんかと言いたいが如何。

 明日は22日。天文年鑑2010年版によると
8時38分に太陽の黄径が270°になる由。
 幸い柚子はそこそこの出来。
 柚子湯だけは遠慮なく入れそう。

2010年12月17日金曜日

心は中世に(春日若宮御祭)

 奈良は一般に「大仏商法」(大仏様がいる限り何もしなくてもお客は来る)と言われ商売下手らしい。
 確かに今日は、三勅祭の内の一つであり、875年間欠けることなく(因みに葵祭は度々中断されている)継続されてきた春日若宮御祭(かすがわかみやおんまつり)(お渡り式等の日)であったが、(商売下手の)おかげで、その「松の下祭」(影向(ようごう)の松の前での儀式)を無料で至近距離数センチで堪能できた。
 このお祭りは貴族のというか国家のお祭りのため民俗的な面白みは少ないが、平安後期、お能成立前夜頃の細男(せいのお)や猿楽や田楽がそのまま奉納されるので心はたちまち中世に跳んでいった。大仏商法万歳。
 訂正!! 商売下手ではなく、子供たちと多くの大人はお渡り行列をチラッと見た後、縁日風のお祭りゾーンに群がり各種商売に相当貢献していた。そりゃ、中世の芸能よりも平成の刺激社会の方がパワーが違いますから仕方ないでしょう。



2010年12月15日水曜日

ふたご座流星群にお願いしたこと

今夜感動したこと二題

1 深夜から真冬並みの寒波と予報されているにも拘らず、10時近くの帰り道に草むらで蟋蟀が大きな声で鳴いていたのには驚いた。地球温暖化の証左に嘆くべきか、生物の進化・順応性に感心すべきか、判断のつかぬまま自転車(電動アシスト・トホホ)の上で感動した。

2 帰宅して、天気予報に反して晴れ上がった夜空を眺めると、予想どおりのふたご座流星群が本当に現れた。
 これまでも少なくない流星群の予想がテレビや新聞で報じられたが、なかなか見事な流星群にはお目にかかれなかった。
 「本当に流れているで」と妻を誘い出し、二人で夜空を眺めながら、「流れた」「お願いしたか」「今度はあっちや」と、恥ずかしいほどはしゃいだ。
 我が家の此の頃のお願いのパターンは「大難小難、大難小難」だが、これは「難」は避けられないけれど、大難になるところをどうか小難でお願いします。大難になるところを小難で済んでありがとうございます・・といったところ。当事者としては、我が家も丸くなったものだと自分で自分を誉めている。ハッハッハ

2010年12月11日土曜日

古代にタイムスリップ

 10日は12:50から17:50まで百済文化国際シンポジウムに出席した。16:50終了予定であったものが会場の奈良教育大学を出たときには真っ暗な奈良公園であったという充実ぶりで、「熊津時代の百済と倭」など余程復習しないと消化不良になる程豊富な内容だった。

この行列、お笑いください。
 11日は大田皇女(おおたのひめみこ)の墓である可能性の高い越塚御門(こしつかごもん)古墳現地見学会と、折角の機会であるので再度自分の目で確認しておきたい幾つかの飛鳥の遺跡をじっくりと巡ってきた。
 それにしても飛鳥の懐は深く、あちらこちらに〇〇塚と伝えられている丘がいっぱいあり、もちろん未調査となっている。一方で、亀型石造物や今回の越塚御門古墳など、全くノーマークの場所を掘っていても大発見が度々あるというのであるから歩いていても背中がゾクゾクする。
 越塚御門古墳などは、つい3ヶ月前に八角墳確定で斉明天皇・間人皇女合葬陵だろうといわれた牽午子塚古墳の中ともいえるところにあったのだから、もちろん「先の大発見」のあった3ヶ月前には誰も予想もしていなかったのだから驚くばかりだ。

 以前に故網干善教先生宅の近所に住んでいたことがあり、先生から関大の学生を連れて高松塚の発掘作業を行い例の大発見をしたときの話を伺ったときも感動したが、そういえば、高校時分の歴史の故林先生が、通常の授業内容よりも山根徳太郎博士の難波の宮発掘調査の大極殿発見のエピソードを熱く熱く語っていた姿が昨日のように思い出される。
 概して歴史家は簡単にその時代にタイムスリップできるようだ。考古学の水野正好大先生などは、今しがた卑弥呼を見て来た様に話されるので大人気者である。
 
 なお、今回の越塚御門古墳の石槨のラインは牽午子塚古墳の石槨のラインと大きくズレていた。石槨と墓道のラインも少々ズレていた。これについて「慌てて作ったからか」と新聞で解説しているものがあったがそうだろうか。真実は細部に宿るというから軽々に被葬者を特定したり、日本書紀の記述内容を信用するのはどうかと思う。今夜もなかなか眠れそうにない。



2010年12月7日火曜日

照紅葉

(1) いつもは「こんなこともあろう」と見過ごしてきたが、モミジの木の天っ辺あたりが鮮やかな緑色でその下が紅葉している様は、立ち止まって眺めて見ると不思議でかつ美しい。
 普通には天っ辺から紅葉が始まり下にいくほど黄色、緑とグラデーションを描くのに、何かの理由で早々に天っ辺あたりが落葉し、その後出た新芽が大きくなったらしい。
 欧米人に比べて紅葉が好きだといわれている日本人のことだから、こういう(逆転の)現象にも粋な名前など与えて一句捻ったりしていないかと調べてみたが、浅学のため見つけられていない。
 どなたか、ご存知の方には御教示お願いします。
 写真は、少し盛りを過ぎてしまったためパッとしないが、実際には惚れ惚れするような紅葉の一形態です。

(2) 昔々若かりし頃、盛岡に到着したときに、街路樹にビニール製のケバケバしい造花(葉)が着けられていたので「なんと風情の無いことよ」と感じたが、よくよく見ると本物のななかまどの紅葉だったので、東北の紅葉のスケールの大きさに本当に腰を抜かさんばかりに驚いた。(誤解した盛岡の皆様すみません。)
 この印象があるので庭にななかまどを植えてはみたが、小さな庭に昔の記憶を復活させられぬまま、鉄砲虫か何かのため枯らしてしまった。
 毎秋紅葉の季節になると古い盛岡での想い出がよみがえる。

2010年12月6日月曜日

會津八一の愛した古都

 和歌にも書にも全くの門外漢ながら奈良県立美術館の「會津八一(あいづ・やいち)のうたにのせて」を昨日覗きに行った。
 これまでに何回か會津八一を熱く語る浅田隆先生の講義を聴いた記憶と、南都(奈良)のそこかしこの御寺にあった會津八一の歌碑の記憶に誘われての散歩気分である。
 途中に30分程度のビデオ放映があり、そこでぐっすり午睡がとれたのに満足したなぞという本音を言えば主催者はうんざりするに違いないが・・・、誤解の無いように付け加えれば、展示内容が不満ではなく当方のレベルの問題である。
 と言うよりも、出口を出た折には十分満足して紅葉の奈良公園の散歩に移ったことを強調しておきたい。
 と言いながら、高速餅つきの中谷堂で草餅を一つだけ求め、それを夫婦で半分ずつ食べながらの散歩は、會津八一や和辻哲郎のそれとは程遠く、我ながらその軽薄さが恥ずかしい。

 秋篠寺にて(會津八一)
  あきしのの みてらをいでて かへりみる いこまがたけに ひはおちむとす

2010年12月4日土曜日

植木屋! 金返せ!!

これがレインボーメープルの紅葉??
 品のないタイトルで恐縮、恐縮。

 今年は紅葉の当たり年、どの地の紅葉もすばらしい。
 ハイキングの折の踏まれそうな道端に生えていた赤ん坊から成長した庭の片隅のモミジでさえ感心するぐらいです。
 ところが我が家のシンボルツリー(のはず)のトウ カエデ・・・
 ここ10年、毎秋ごとに標記のとおりの品のないタイトルを叫んでいます。

 貴方は確かに仰いましたよね。「日本の四季を敏感に感じとり、七色に葉色が移り変わり、芽吹きのときはピンク、そして白、少しずつ緑が濃くなり、秋には赤、橙、紫紅色と彩り豊かに紅葉が楽しめます。だからレインボー メープルと言うのです。」と・・・

 それが、チョッと チョッと、どんぐりの雑木でさえ、もう少し風情がありますよ。
 紅葉が楽しめないレインボー メープルなんて・・・

 こんな失敗ごとに・・、妻は「お父さんの何時もの事」と平然としています。

 追伸  庭の片隅のモミジのうしろでは、朧梅が選手
    交代のスタンバイをしています。
       朧(蝋)梅は、蝋細工のような光沢のある黄色
    い花ゆえ・・という説もありますが、やはり朧月に
    咲くから朧梅でしょう、・・にしては我が家の朧梅
    は毎年少し気が早すぎます。

2010年11月29日月曜日

カワラヒワはシロだ

柿の実を食べたのは誰だ
 「柿の実は全部採ったらあかん。二つは旅人のために、一つはカラスのために残さなあかん。」とはこの地の古老の言い伝えで、・・・・秋空に輝いている数個の“木守柿”は心地よいものです。

 と、言えるのもそこそこの実がなっておればこそで、昨年、豊作に油断してたくさんの実が熟すまで放っておいたのが祟ってか今年は大不作。そして、その中の一つが見事に齧られてしまいました。
  
カワラヒワはシロだ

 目の前の電線にカワラヒワが集団でヒリヒリヒリヒリ・・と鳴いていて、以前、コゲラ(キツツキ)が柿の実を食べているのを見て“事実は教科書よりも奇なり”と感じたことを思い出し、一瞬疑いましたが、横からバサバサとやってきて突いたのはヒヨドリでした。納得。

 
 疑いの晴れたカワラヒワは、ヒリヒリヒリヒリ ビユ~~ンと鳴いた後、綺麗な羽の模様を見せながら飛び去りました。
 
 晩秋の山城はのどかです。

  なお、ヒヨドリ一派にはメジロも属しています。
 


2010年11月27日土曜日

チムニーはお父さんの玩具

 子供たちが帰ってくるときには魚介類やラム肉だけを買ってきてBBQにすれば準備が簡単だというのが近頃の我が夫婦の思考のパターンです。 
 でも、この手が使えるのは冬に限り、正確にいえば晩秋からGWまでに限ります。なぜなら、この外の季節の我が家は蚊があまりにうるさくて、BBQどころでないからです。
 しかし、冬のBBQの最大の難敵が寒さであるのは当然で、詰まるところしっかりと厚着する以外にないのですが、もうチョッと心持暖かくならないかと用意しているのが写真のメキシカンチムニーで、要するに屋外用の薪や炭使用の暖炉です。正直、目で暖をとる類のものですが、小春日和の庭先で晴耕雨読にふけるにはお気に入りの玩具です。妻は「お父さんの玩具」と鼻で笑っています・・・・・。
 この時期は、一晩で50㍑ゴミ袋×10袋は下らない欅の落葉を焚き火よろしく燃やしたい衝動に駆られますが、ご近所のクレームが怖くて我慢しています。
 もっと寒くなれば、本格的に薪をくべたいと思っています。本当の薪の匂いって何んともいえずいいものですから、これなら文句は来ないでしょう。
 下の写真は豆炭です。豆炭なんて、もう都会では購入さえできないでしょうが・・・・
 
 

 

2010年11月23日火曜日

神農さんの張子の虎

  大阪のお祭りは「えべっさん」に始まって「しんのうさん」に終わるといわれます。
  大阪市内のど真ん中、船場、道修町(どしょうまち)の「少彦名(すくなひこな)神社」は「神農さん」として親しまれ、神農祭の今日は、正倉院展なみの順番待ちでようやく参拝できました。

  五葉の笹に付けられた張子の虎を求めると、巫女さんが「無病息災、家内安全、ご利益がありますように! ようお参りいただきました。」と個別に鈴を振ってくれましたので、通常の寺社の縁起物よりも“ありがた~い”気に・・・・。

  現代社会の病巣は、コレラ退治の張子の虎をもってしても治療しがたいほど重篤ですが、「せめて親類縁者には大難小難、大難小難」と極めて小市民的にお願いしました。

2010年11月22日月曜日

姫林檎 リンゴが教えてくれたこと

 カナディアン メイプルの脇の「姫林檎」が豊作?ですが、もちろん観賞用のため何時までも晩秋の庭を飾っています。
 
 友人のブログに「昔?は緑茶に味の素が混ぜられていた」という嫌な話がありましたが、木村秋則氏著「リンゴが教えてくれたこと」(日経プレミアシリーズ)の序章の農薬のえげつなさには震えがきます。
 そして自殺寸前までの完全無農薬・無肥料栽培に至る苦闘また苦闘には、「こりゃ相当の変人だな」と感心しつつも、毎年イラガに刺されて、柿の木を坊主にさせられる身に置き換えて、頭が下がります。
 「リンゴが教えてくれたこと」は、文章の紙背に魂がこもっているという意味で名著です。
 
 
 

2010年11月20日土曜日

紅葉の奈良でいろいろ感心した

  紅葉といえば鹿でしょうが、角を切られた牡鹿はなんとなく間抜けなもので、なんとなく己が姿とダブって見えてブルブル。
 
 昨日は春日大社の花山院(かさんのいん)宮司の「春日の信仰」という講演を拝聴しましたが、正直に言えば「地元の中小企業の親父さん向き(失礼)の内容でした。ただ、脱線した話・・・「花山院家のいろんなご先祖の逸話」や「お能と春日大社の関連」等面白い話も少なくなく総じて満足しました。

 今日は、松本清張の『火の路』を巡る講義・・・・飛鳥の拝火教・・・を国文学の立場から・・を受講し、これも知的刺激の大きなものでした。
 私は近頃、故福永光司氏の著された日本文化の中の道教に興味があり、拝火教(祆教・ゾロアスター教)が直接ペルシャ人によって伝えられた(松本清張はそのように考えていた?)というよりも、一般的な仏教や陰陽道(これ自体道教)の中に包み込まれて渡来してきて日本の深層文化の一翼を担っているとの感想を抱いていますが、この勉強は先が長そうです。
 
 「道教が日本文化の深層を構成している」との論は、天皇や神道の神聖性維持の上からは許し難いとお考えの人から圧力を受けているようですが、それ故に避けて通ってはいけない問題だと思います。
 素直に見れば、日本の年中行事って、その多くが道教に由来しています。


 閑話休題
 紅葉といえば、・・・・今秋、平成中村座に行きました。大阪城の文字どおりの芝の上、その「紅葉狩」のクライマックスで、アッという大仕掛けが・・・・・・
 中村勘三郎はただ者ではないですね。
 観劇の女性陣も紅葉に負けず劣らず艶やか。それに比べて男性の総じてくすんでいること。平均寿命の圧倒的差異が納得、納得。
 やっぱり 紅葉はいいものですね。 

2010年11月19日金曜日

藤原宮、平城宮、恭仁宮

 今朝、毎日新聞ほか新聞各社が、「大嘗宮 藤原宮跡で建物跡発見は誤り 奈良文研が訂正」と・・いかにも“なにをしてんねん”というような雰囲気の記事を掲載しました。
 奈良文化財研究所が、7月に調査の中間段階で発表したものを、より検証したところ“そうではなかった”と訂正・謝罪したもので、冷静に報道すればよいだけのものだと思いますが、何か大新聞の“上から目線”が気になります。
 
 そうであれば、少し嫌みになりますが、10月23日の毎日の記事(右の写真)は何でしょう。
 「柱跡発見で、恭仁宮の大極殿院は平城宮と酷似・・・」と、、!!!
 
 あれれ、平城宮第一次大極殿院の柱跡なんて、そもそもあったのですか? 平城宮大極殿はたしか基壇跡は発掘されたが、基壇の上の柱跡は、礎石も全部移築されたため不明のはず。
 ですから、平城遷都1300年祭で有名になった“復元された大極殿”は、平城宮から移築された恭仁宮の柱跡(礎石)を基に復元されたものですよね。
 
 それを、ひっくり返して酷似と言ったり、続日本紀の「平城宮の大極殿を恭仁宮に移築した」との記事が裏付けられた・・などという記事はおかしくないですか。
 奈良文研に倣って「あの記事は誤り・・毎日新聞が訂正」という記事を掲載しないのでしょうか。
  

2010年11月15日月曜日

お茶の花が可哀相

 友人が「茶ヤマト」というブログを立ち上げたことに連想して近所の「お茶の研究所」に行ってみた。
 およそ80種類のお茶の木が植えてある。
 宇治茶、静岡茶、八女茶などを遙かに超えてアジア大陸のお茶の木々が壮観。
 中にはお茶の花が満開の種類もある。(写真)
 しかし、茶畑の宿命か満開であろうとなかろうと、綺麗な蒲鉾型に刈り揃えられている。
 花を愛でたい当方としては何か可哀相な気持ちになる。

 ・・・・・・「生産者というのはそんな甘いもんやおまへんで!」
 ハイ そのとおり ただの散歩人の感想 感想

2010年11月14日日曜日

帰ってきた雀々

わが家の雀
 刈り入れが終わると、ご無沙汰だった雀の大集団が帰ってきました。
 朝夕にわが家の前の電線に留まり「早く食事の用意をして」とせわしなく叫びます。
 そのうちにご近所から「朝早くから雀がうるさい」というクレームがないかと夫婦で心配しています。
 こんな苦労も知らず、彼ら彼女らは、ちょっとカーテンを開けただけで一斉に餌台から飛び立ち可愛いげがありません。
 ロンドンの雀は人なつっこく「ヨーロッパイエスズメは別種だ」と書いてある本もありますが、日比谷公園松本楼の雀はテーブルまでやってきますから、種類の問題ではないようです。
松本楼の雀・ネットから頂いた
 京阪奈の雀は、そりゃ、つい最近まで田圃で追い回されていたのですから仕方ないかもしれません。





2010年11月12日金曜日

自家製の葉唐辛子はクール

 収穫祭も済んだというのに、近頃の苗はよくできているので、木枯らしが吹いても夏野菜が元気です。
 しかし、いつまでも夏野菜の畑では気分が乗らないので、ようやくトマトと唐辛子を引っこ抜きました。
 
 そして、唐辛子(の実)を収穫したあとの葉っぱがあまりに綺麗なので「葉唐辛子」を作ってみたところ、これが大成功。最初は馬鹿にしていた妻から珍しく褒められました。

 レシピは、とりあえず水で洗う、火を止めた熱湯で少しだけしんなりさせる、酒・濃い口醤油・出汁の素少々・砂糖少々だけで煎るように焚き上げる・・・だけという、いたってシンプルなもの。褒められるほどの技術は不要です。

2010年11月11日木曜日

磯鴫

 「ちんちん千鳥のなく声は」(山口仲美著講談社学術文庫)という名著がありますが、駅前の大規模ショッピングセンター建設の初期、造成地が川原に思えたのか、大型車両の側で巣づくりをしていた千鳥は、ちん ちん ではなく、ピョ ピョ ピョ ピョ と鳴きながら出勤する人たちの頭の上を飛んでいました。
 
 そして、ご推察のとおりスィートホームと子供たち(卵)は、人間様の勝手で、程なく抹殺されてしまいました。

 そして、そして、ほとんどの企業戦士は、(出勤
時の)自分の頭の上の鳴き声に関心を寄せる余
裕もなく、この事実を知らないまま今日もショッピングを楽しんでいます・・・・・・

 今日、川辺を歩いていた折り、ああハクセキレイだな・・とあっさり通り過ぎるところでしたが、何か違うぞ!と感じて凝視をすると写真のとおりのイソシギでした。
 後に飛び立った様も、全くセキレイではなく、シギ・チドリのそれでした。
 シギのやってくる京阪奈の自然はエラい・・と再確認をしたところです。

 ♪ ちんちん千鳥の啼く夜さは 啼く夜さは 硝子戸しめてもまだ寒い まだ寒い

 名著は、「日本人は可憐なチドリが、大好きだった。」と結んでいます。

2010年11月9日火曜日

私は木津川市を支持する

手前が奈良市。向こうは木津川市
 この道は元々旧住都公団が造成した一本の道です。
 田舎道ではない、大規模な住宅地の中の幹線的な道路です。
 この季節はナンキンハゼが赤、黄、緑それぞれに眩しく輝いて素晴らしい「紅葉ロード」です。
 しかし、毎年その紅葉前に奈良市は必ずナンキンハゼの剪定を終えます。必ず。(写真の手前の木々)
 確かめたわけではありませんが(この推定が間違っていたらごめんなさい)、きっと、「落ち葉で道が汚れる前に行政の責任で対処してほしい」という「住民の声」に奈良市は忠実に対応しているのだと考えます。
 「わが家の前に(勝手に)市の(植えた)街路樹の落ち葉が散らかっているじゃないか」という強い意見(クレーム)の前には、「せっかくの紅葉を愛でたかったのに」というような軟弱な住民の声なき声は、木枯らしとともに吹き飛ばされたのでしょう。
 市役所も、「紅葉あってのナンキンハゼでしょう!」「気になるなら、暫くの間ぐらい自分達で掃いてね!」とは口が裂けても言えないのでしょうね。きっと。
 人間の感受性は様々ですから、私などは家の前のケヤキの落ち葉がクルクル回っているのを風情だと感じますが、ご近所のお方は「たまりませんな~」と嘆かれます。本当に世の中には正解のない問題は多いのです。だから、自分と違う考えの方もおられるという観点から眺めると、どうであれ一つの答え(剪定するかしないか)を出さなければならない公務員は大変です。
 なお、私は、落ち葉のリスクを負いながらも紅葉を提供している(写真の中の向こう側の)木津川市を支持します。
 落ち葉をゴミとして潔癖な道路を維持するために紅葉前のナンキンハゼを丸坊主にする奈良市は、歴史、文化、自然を大切にする街らしくありません。
 さて、皆さんが市の責任ある役職者ならどうします?

2010年11月7日日曜日

カナディアン メイプル

 ひと月前には緑だったと思います。
 今は裾の方にかけての黄色から緑のグラデーションが見事です。
 小春日和の日には、この素晴らしいカナディアン メイプルの下で車椅子の母に日光浴を提供します。
 燦々と降りそそぐ光を浴びて「♪燦々と~って美空ひばりが唄うてたな」と言ったのは意外でした。
 へ~ そんな唄知ってたん・・・・
 
 この季節になると山口百恵の秋桜がよくラジオから流れてきます。




 

2010年11月6日土曜日

蝙蝠は貴方の側にいる

 夏の話題ですが、ABCドキハキ金曜の土屋多恵子さんが「京都市内にコウモリは飛んでない」と言っていましたが、絶対にそんなことはありません。興味を持って観察していないだけです。わが妻も昔からあれは雀か蝶ぐらいに考え「コウモリなんか余程の田舎か山にいるものと思いこんでいた」と言っていましたが、「あれはコウモリやで」と教えてからは、毎夕、同じ時刻に同じ方向に出勤する ものすごい数のコウモリを認識できるようになりました。見えていることと認識していることとは全然違うことなのですね。
 それからは、「わが家の上空を出勤するコウモリの自宅と勤務先はいったい何処やろう」と語り合っていましたが、実地調査には踏み出さないまま晩秋を迎えました。

 今日、お向かいのお家に屋根屋さんが来て瓦を剥がしているので尋ねたところ、コウモリが巣を作っていたということで、屋根屋さんが瓦を剥がすとおとなしく眠っていたとのこと。
 お向かいの、それもわが家に向いた屋根の庇にコウモリが棲んでいたことを知らなかったなんて、何という三文ナチュラリスト。土屋多恵子さんを笑うことなどできません。
 生物多様性、自然との共生。
 お向かいには悪いが、もうちょっとそのまま見守ってやってほしかった。
 わが家の換気扇の出口やテントの格納スペースに雀が巣を作ったときには「駆除」してしまいましたが・・・・・・・!!!! アッハッハ

 12月23日追記
 12月23日夕刻、我が家の上空で飛翔しているのを確認。気温10数度なら冬眠から目を覚ますのだろうか。それとも地球温暖化?

2010年11月3日水曜日

ネクタイきりりの四十雀

 ジョウビタキにコメントを頂いた「ひげ親父」さん。野鳥が来るか来ないかは、庭木ではなく、近くに林があるかどうかだと思います。
 ベランダでも、傷んだ果物などを吊しておくと結構来るものです。
 写真は本日訪問してくれたシジュウカラ。ネクタイきりりと美形ですが、これもあまりに日常的すぎて日頃は無視されてかわいそうなものです。
 時々「カラの混群」としてやってくるときがあります。
 「カラの混群」は、エナガ、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロ、コゲラ等が群になってやってくるもので、その賑やかさに心が楽しくなります。
 「カラの混群」の時は、「がんばれ! 雀の小便たんご=イラガ(強烈な毛虫)の繭)をやっつけろ」と応援しています。

呆れ果てられたオキザリス

 夏眠していたオキザリスが満開です。
 何年か前、農家の叔母に「うちらが目の敵にして除草している雑草を庭に植えてるの?」と呆れ果てられた。
 確かに丈夫が取り得のカタバミに違いない。
 あまりに丈夫すぎて可愛いげがなくなったが、夏の草花と交替して庭をカバーしてくれるので除草する気になれない。
 しかし、妻は度々こっそりと引っこ抜いて捨てている。
 

2010年11月2日火曜日

ジョウビタキ今秋初到来

写真はネットから頂いた
 天気図は北風を描いている。
 今朝、庭先でカチカチカチという声?がした。
 ジョウビタキの今秋初めてのご訪問である。
 昨シーズンからのお馴染みの個体だろうか。

 白髪に紋付きを着ているから『尉』、カチカチカチと火打ち石を打つから『火焚』・・でジョウビタキ。よくできた命名なのに近頃の鳥の名はカタカナ表記でかえって特徴が解りにくくなっている。

 ジョウビタキは、毎日同じ時刻に同じ場所にやってくるから、これからの楽しみである。
 ジョウビタキは人家にまでやってくるので見過ごされやすいが、なかなか美しい鳥である。 
 

2010年10月31日日曜日

法隆寺で鐘を聞いた

 (1)法隆寺の国宝大講堂屋根葺替工事の説明会に参加してきた。
 天平の瓦が幾つも残っていて今回も再使用するというのが感激だ。
 それに、室町時代(修理)の瓦が一番質がよくて、江戸、昭和の瓦の方が質が落ちるというのも、特権的に使用した時代と瓦が普及した時代の反映らしいが、歴史の細部は決して直線的に「進歩」しないことを物語っていて教訓的だ。
 国宝のあちこちを素手で触って歴史を感じさせてもらえて幸せだった。
 
 (2)奈良のお寺はガラスの向こうの観光寺院に止まらず、今も息づいているのがよい。
 法隆寺でも、寺女?が最新の(携帯の)時計を確認しながら2時間ごとに時刻の数だけ鐘を衝いている。
 この鐘の音を聞きながら、「柿食えば~ の子規が聞いた鐘の音は東大寺の鐘の音であった可能性が高い」という説を具体的な史料を挙げて講義をされた浅田隆氏の授業を思い出した。
 でも、俳句の絵としては、柿は奈良公園よりも斑鳩の里の方が似合いますね。

2010年10月29日金曜日

堺の国道上の謎の井戸

 中世に宣教師によって「ベニスの如く執政官によって治められた自治都市」 と驚かれた堺は、医者と薬屋と坊主の町とも言われたらしい。
 その名残を示す文久3(1863)年の堺絵図には、堺の中心部に調御寺(じょうごじ)という大きな寺が記されている。法華宗(真門流)の由緒ある寺である。
 しかし、宿院町の北半分は、今は大阪中央環状線・国道310号線の、片側だけでも4車線に立派な分離帯もついたフェニックス大通りになっていて、調御寺は余程探さないと見つけにくくなっている。
 ただ、調御寺境内にあった井戸だけは今も国道上に堂々と残っていてなにやらホッとする。
 「こんな井戸枠、歩くのにじゃまだ」とばかりに撤去されないでほしいが、願わくば、「黄金の日々、この地にあった調御寺の井戸枠である」ぐらいの説明板がほしいと思っている。
 また、その碑文も、今のうちに解読しておかないと、こんなに凄い排気ガスに晒されると石といえども急速に劣化する。
 堺の国道上の謎の井戸、がんばれ!


2010年10月25日月曜日

藤袴

 ふじばかま 秋の七草のひとつ。
 派手ではないが、その姿、いかにも秋らしい風情があって優雅・・・・とある。
 しかし、茎の細さに似ず丈があるので、多くは雨や風にだらしなく倒れてしまう。
 正直にいって、小さな庭には丈は高すぎるし、花もそれほどパッとしないが、藤袴というインプットされた諸々の情報のせいで「秋だな~」と感じさせてくれる。
 ラジオは、この秋雨のすぐ後ろに初冬の風の待機していることを何度も告げている。
 そういえば、一昨日が「霜降」だった。

2010年10月22日金曜日

帰り花

 染井吉野の返り咲きは美しいけれど少し寂しい。

 これも猛暑のせいでしょうか。

 普通返り咲きといってももう少し晩秋のことではないでしょうか。

公園の手品師

 「街路の手品師」はカードを撒く前に銀杏を落としてくれる。
 その臭いに誰も文句を言わないのは、田舎道ゆえか、それとも美味しい収穫物になるためか。

 昔、浪速筋の銀杏を家で処理したが、相当な臭いがした。
 そのためか、銀杏はおつな食べ物だが、子供たちは賛同しなかった。


2010年10月21日木曜日

トキワマンサクは立派、立派

 東北の山々が全山眠ったような早春、一足先に黄色い花だけが春の訪れを教えてくれる。
 このため「先ず咲く」が訛ってマンサクという。
 ・・この俗説。あまりによくできているので好きである。

 ところで、この紅花常磐満作(ベニバナトキワマンサク)。 落葉しないは、花は赤いは、春だけでなく秋にも咲くは、・・徹底して俗説に抗い可愛いげがないが、しかし、この時期に咲く木が少ない中で、名誉ある少数派を貫き通しているのは立派、立派。
 スカシバなどは喜んでころこんでいる。

2010年10月19日火曜日

災害原因不明の雀の子

 小さいけれど飛び立てないほどの雛でなし。
 落ちた雛ならチイチイチイチイうるさいほど鳴くのに鳴きもせず。
 とりたててココというような外傷もないが、フロントガラスにぶつかったと考えるのが順当か。しかし車といっても落ち着いたスピードしか出せない田舎道。不思議不思議???
 もみ殻の山にそっと置いてきたが、あとは君の幸運を祈るのみ。
 食物連鎖は厳粛な自然の掟です。

 PS  なお、基本的には「ヒナは拾わないで」(野鳥の会等のキャンペーン)が原則です。

大器晩成の鬼灯(ほほずき)

「いよいよ夏の訪れを告げる浅草寺のほおずき市が始まった」というのがテレビの決まり文句ですが、わが家の鬼灯は大器晩成なのか暑がりなのか、今頃花を咲かして実をつけ始めた。
これほどまでに季節感をずらされると、なんだかアリガタミが薄れるように感じるのは人間様の勝手でしょうが、本来なら、今頃は2枚目3枚目の写真(ネットからの写真)のようになっているはず。
・・と、鬼灯の悪口を言ったが、真相はトマトの痕に植えた連作障害らしい。やっぱりおかしいのは人間の方。
 
221019わが家の花と実

こうなるのは何時の日やら