2023年11月30日木曜日

奈良の鹿のニュース

   この秋、奈良公園の鹿がニュースになった。
 農作物を荒らす癖の付いた鹿やケガや病気の鹿を一般財団法人奈良の鹿愛護会が鹿苑(ろくえん)という特別柵の中で飼育しているのだが、そこの餌が十分でなく死亡する鹿も多く動物福祉に反すると同愛護会の獣医師が内部告発し、奈良市長や奈良県知事も「不適切だった」と認めたという一連のニュースである。

 私は奈良公園が好きな一市民以外の何ものでもないのだが、一連のニュース、特に市長や知事が「不適切だった」と発言していることに大きな違和感があった。

 餌が仮に不十分だったとすると、餌代である予算を流用などしていたというなら別だが、十分な手当てをしてこなかったのは市であり県ではないのか。
 スペースが過密であったというなら、施設拡充の措置をとってこなかったのは市であり県ではないのか。

 この問題は単純なものではなく、農作物を荒らす鹿は普通に村里に出てくれば駆除つまり場合によっては殺す対象である。
 駆除が良いというのではないが冷静な検討が必要な問題であろう。
 もっと格段に広い特別柵の施設をつくればよい。場合によっては奈良公園から少し離れてもよい。
 私は何の利害もない立場だが、印象としては同愛護会は少ない予算でよく働いているとの印象を持っている。
 鹿がカワイイ、死ぬ鹿がいるのはカワイソウ、そういう情緒で終わるニュースには違和感を覚えている。

2023年11月29日水曜日

利害の対立

   世の中ではしばしば立場によって利害が対立することがある。
 そんな諺(ことわざ)の一つが「鶫(ツグミ)喜べばケラが腹を立てる」で、かつて、魚釣りではないが鉤(ハリ)にミミズやケラを刺しておいてツグミを釣る「釣りツグミ猟」があったことに由来する。糸の先は釣り竿ではなく土に刺した棒などに結わえておくという。

 さて、いっぺんに寒くなってきてインフルエンザの流行が心配されているが、テレビからは養鶏場で「鳥インフルエンザによる何万羽という殺処分」が報じられている。
 ウイルスの侵入経路を深く知りたいものだが、その先に冬鳥の渡りがあることは常識とされていて、ツグミはそのうちの一種類である。

 ケッケッといって冬を告げるツグミは文字どおり風物詩だが、ツグミにとっても嫌な時代だろう。

 世界中で戦争が絶えず、」鶫喜べばケラが腹を立てる」状況だが、人間がツグミやケラと同じレベルで良いはずはない。

2023年11月28日火曜日

クロアチアのマグロ

   農林水産省の統計によると、日本の食料自給率(カロリーベース)は1965年には73%であったものが、2022年には38%になっていて、「食料安全保障」という観点からも大問題だと指摘されて久しい。
 その主な原因は米作の減反政策と片や小麦や肉類の輸入にあるとばかり思っていたが、食料自給率(カロリーベース)の統計を見ると、米(コメ)が約60%であるのに水産物が約50%とあるので驚いた。
 島国であり海洋民族といわれたりする日本の水産業がそういう酷い実態だとは知らなかった。

   そんなことを調べてみたきっかけは、近くのスーパーの安くて結構美味しいメバチマグロの産地が「クロアチア」になっていたからだ。

 エビがベトナムやインドネシアであっても驚かないし、ノルウェー産のサバが美味しいのもだいぶ前から知られていた。
 その後、チリやノルウェー産のサーモンは魚売り場の定番になったし、タコは圧倒的にモロッコ産になった。

 しかしクロアチアのマグロは浅学にして知らなかった。
 アドリア海に面したクロアチアが実際にはどこの海で獲ったのかは知らないが、アドリア海か地中海だろうか・・・と調べてみると、なんと、養殖だというし日本企業も参入しているようだ。
 それならヨーロッパの海域で乱獲しているわけではないので、遠慮なく戴いてもよさそうだ。ただ、この記事をしっかり学んで書いているわけではない。

 旧ユーゴスラビア、バルカン半島というと民族紛争、ヨーロッパの火薬庫として有名だが、マグロを通じて楽しい交流が深まればよいと思いながら夕飯をいただいた。

2023年11月27日月曜日

野鳥と家禽

   家禽というのは鶏舎など鳥小屋に飼われているものだけでなく、逃げ出したりして野生化していても家禽で、バードウォッチングの対象である野鳥とは言わない。
 なので、たまにホームの天井からお土産をくれる鳩はドバトといって野鳥にはカウントされていない。
 元々はカワラバトなどを飼育して伝書鳩に改良したものといわれている。見た目は千差万別で外見上の統一した特徴はない。

   一方、駅や公園で群れているドバトとは一線を画して単独または数羽で行動している鳩がいる。キジバトという。野鳥である。
 フィールドガイドによると、ドバトは人を怖れず近づいても逃げないがキジバトは人に馴れないと書いてある。

 わが庭には時々2羽の鳩がやってくる。番(ペア)のようだが・・・。
 フィールドガイドには「人には近づかない」と書いてあるが、私が近くにいても逃げたりはしない。それをスマホで撮影した。逃げないがキジバトである。

 ドバトと鑑別できる特徴その1は、キジバトのクチバシには「白い鼻こぶ」がない。
 その2、首に美しい縞模様がある(この美しい縞模様がキジのオスみたいと書いてある本もある)。
 その3,羽根にはっきりした鱗模様がある(フィールドガイドにはこの特徴がキジのメスのようだからと書いてある)。
 反対にいえば、ドバトには白い鼻こぶがあり、首の縞模様がなく、羽根の鱗模様もない。そしてドバトの色や模様には統一性がない。

   駅で電車を待っているときにドバトを見ていると、クックー クックーと鳴いているが、家の前の電線にとまっているキジバトは デデポポー と鳴いている。そういう意味では鳴いておればドバトとキジバトの違いは簡単に判る。

 【おまけ】近鉄奈良線の快速は鶴橋を出ると生駒まで止まらない。鶴橋で乗車したドバトがその間車両の中を飛び回り乗客が大騒ぎしていたことがある。私は何も大騒ぎしなければ鳩と一緒に珍しい「旅行」ができたのにと静観していた。

2023年11月26日日曜日

ブラックボックス

   ブラックボックスという言葉自体が死語ではないかと思われるほど遠い昔からそれは起こっていた。
 例えば真空管ラジオなら中を覗いてみて黒くなっている真空管を取り替えるとほとんど直ったが、今の電気製品は直ぐに「ハイ基盤ごと取り替えなければなりません」という。

 これがAI機器になると、仕組みどころか操作方法すら解らないことが多い。
 そんなため、若い人たちとの交流がなくなった高齢者は右往左往している。

 実は先日から、アンドロイドのスマホで撮影した動画にURLを付けようと努力しているのだがスッキリしない。
 パソコンで検索したら「方法」が出てくるのだが、わがスマホは書いてあるようには動かない。
 解らないまま触っているうちに最後は「出来た」のだが、何故できたのかも解らない。
 それをラインで共有してパソコンに送ったのだが、一定の時間が経過すると消えるかもしれない???と恐れている。
 とりあえずは「出来た」?のだが何もかも理解できていなくて気分が悪い。
 ブラックボックス・・・精神によくない時代になった。

2023年11月25日土曜日

共感革命を買う

   タイトルが「共感革命を読む」でないのは、この本の内容があまりに深すぎて、「読んだ」などとは恥ずかしくて言えないからである。

 私は本を買うのに十分検討したりせず、けっこう感覚的に買うものだから、時々は詰まらない本を買ってしまったりする。
 その延長線上で、この本は、第一に山極壽一という著者に魅かれて買った。
 コロナの真っ最中に「人は集い交流しなければならない」などと、あのタイミングで言うか!というような主張が新聞に載っていて、単なるゴリラの先生、元京大総長というような人ではなさそうだと思っていた。

 それでも、ゴリラ社会の分析から導き出した新しい進化論、あるいは新しい文化人類学みたいなものでないかと読み始めたのだが、結論からいえば、自然科学の実証主義的な言葉で語る、歴史観や哲学の本だと言えそうだ。
 後になって、本の表紙の帯に「共感が世界を破壊する」と書いてある意味も解ってきた。
 この本は一旦読み飛ばした後で机の端あたりに置いておいて、そしてゆっくり読み直すべき本だろう。

 大目次を掲載しておく。
序 章 「共感革命」とはなにか——「言葉」のまえに「音楽」があった
第1章 「社交」する人類——踊る身体、歌うコミュニケーション
第2章 「神殿」から始まった定住——死者を悼む心
第3章 人類は森の生活を忘れない——狩猟採集民という本能
第4章 弱い種族は集団を選択した——生存戦略としての家族システム
第5章 「戦争」はなぜ生まれたか―—人類進化における変異現象
第6章 「棲み分け」と多様性——今西錦司と西田幾多郎、平和への哲学
第7章 「共同体」の虚構をつくり直す―—自然とつながる身体の回復
終 章 人類の未来、新しい物語の始まり——「第二の遊動」時代

 ロシアのウクライナ侵略やイスラエルの「報復」(私はハマスのロケット弾も批判しているが)を見ていると、地球上で戦争は避けられないのかと考え込むし、究極の暴力(軍事力)でしか平和は達成できないのかと頭を抱え込むが、この本は決してそうでないという未来を提示している。
 心ある人は必ず購入しておいて、こういう話を語り合うべきだろうと思った。河出新書。

2023年11月24日金曜日

グローバル経済

   昔はアメリカ経済がクシャミをすると日本経済が風邪をひくと聞いたことがあるが、今や経済は文字どおりグローバル。‥というような大層な話を書くつもりもないし書けないが・・。

   ① 近くの大型スーパーで夕食の一品用にホタテ貝柱のお刺身を買ってきた。
 中国が日本の水産物の全面輸入禁止措置をとったからと思われるが、ここのスーパーで今まで出ていたものより格段に大きなものがお手軽価格で出ていた。

 一つひとつが大きいという結果だろうが、味が数ランク上のような気がした。
 中国のせいで産地は泣いているのだろうか。この味なら日本国内で十分需要はあると思うのだが。・・経済的な分析をした上での感想ではないが!

 ② この頃ラジオをよく聞いているのだが、この頃のラジオはCMというようなレベルを超えて、圧倒的に「〇千980円」的な通販の媒体になっている感じがしている。そのことに怒っているわけではないが。

 その中の一つに、「とってもお買い得です」「ロシア産ズワイガニ〇〇キロ、今なら〇千980円」と大きな声の宣伝があった。
 エエッ、「ウクライナ侵略に抗議してロシアに経済制裁だ」と言っていなかったか。
  
 「経済なんてそんなものだ」と訳知り顔をしたくない。
 しかし、現代日本の経済は何か美しくない。

 このタイトル、「グローバル経済」としたが、斎藤幸平著『人新世の資本論』ではないが、その発想は地球自身を破滅に向かわしているのではないかとの指摘もある。
 『共感革命』で山極壽一が広井良典の要旨次の言葉を紹介している。
 🔳 グローバル化の先にある社会は、「持続可能な福祉社会」であるべきで、地域の中でできる限り食料やエネルギー(特に自然エネルギー)を調達し、かつヒト・モノ・カネが地域内で循環するような経済をつくっていくことが必要だ。🔳

2023年11月23日木曜日

人間はミスをする

   労働災害防止活動の鉄則の一つに「人間はミスをするものだ」を前提にせよ! というものがある。
 人間は誰でも予期せぬミスをするものだから、それでもなお事故が起こらないように、例えば安全装置などを完全に装備すべきであるというもので、「想定外だった」は許されないのだ。

 そういう意味ではフクシマ第1原発に対策をとってこなかった政権には重大な責任がある(と、ちょっと横道)。

 それはさておき、私もイラチでミスが多いが、先輩からは「同じミスを繰り返すのはアホと言われるゾ」と忠告を受けたことがある。

 で話のレベルはだんだん低下するが、この初秋、ネットで小型のショルダーバッグを購入した。非常に値段が安かった。それもそのはず、荷物は中国から届いた。
 これは東京人ならプライドが許さないかもしれないが、もちろん根が大阪人、安くて上手い買い物だったと納得していた。

 ところが先日、ベルト(ストラップ)の取り付け部分が取れてしまいそうになった。今まで何十となくバッグを使ってきたが、こんなのは初めてだった。
 「欠陥品だ」と怒るのもよいが、まあ怒るエネルギーが馬鹿らしいほどの値段だったから、妻は「捨ててしまい」と言ったが、結果的には自分で針と糸で補修した。計画性もなく進めた作業だったので相当不細工な出来栄えだが用は足した。

 一言でいって「安物買いの銭失い」であり、その経験は多い。今回も妻にそう言われた。
 妻は「可哀相だから新しいカバンを買ってやる」と何度も言うが、私は全く可哀相とは思っていない。

 それにしても、「同じミスを繰り返すのはアホ」という言葉が頭の中を回転した。
 折々にこの不細工な修繕痕を見て安物買い防止の歯止めとしようと思う。

2023年11月22日水曜日

今年も しろばんば

   井上靖の小説の題名で有名な「しろばんば」は、この辺り(近畿中部)でいう「綿虫」のことだが、日本列島の少し北の方の地方では「雪虫」の方が通っている。

 いわゆる「言い伝え」にもけっこう納得することが少なくないが「雪虫が飛ぶと初雪が来る」というのも、今年については、北国でないこの辺りでも「上手く言ったものだ」と感心する。
 先週後半、わが庭にも「しろばんば」が漂っていたが、ニュースでは「金剛山にも初雪」と伝えていた。

 「yamashirodayori しろばんば」と検索してみると、これまでも数回11月下旬に書いている。初冬の標準木ならぬ標準虫みたいだ。

 しろばんば来て喪中のはがき来て


   上の写真は2020年に撮ったもの。
 下の写真は今回撮ったもの。普通に見た目はこんなもの。
 綿虫というか埃虫とでもいうようなもの。



【追記】
 22日の写真を追記。

2023年11月21日火曜日

蛇足ながら

   20日に高所恐怖症の所以について少し感想めいたものを書いてみたが、その前文で蛇について触れたところ、スノウ先輩から白龍弁財天についてコメントをいただいた。
 そこで、少し理解を深めようと南方熊楠の十二支考の「蛇に関する民俗と伝説」を読み返したが、熊楠の話はいつもどおり世界各国の膨大な事例に及んで、頭がクラクラしてまとまらなかった。
 なので、この国の、さらに古事記・日本書紀に限って1点だけピックアップしてみる。

 舞台は三輪山の麓、纏向の箸墓古墳周辺である。
 考古学的にはわが国最初の巨大前方後円墳である箸墓古墳は「古墳時代」の第1号とされていて、宮内庁は第7代孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓と治定しているが、少なくない歴史学者は卑弥呼の墓ではないかと指摘している。
 で、ここは記紀に沿って倭迹迹日百襲姫命として話を進めると、十十日で百で百回襲われた姫という名になるが、三輪山の大物主が毎夜(百日?)通ってきたが、姫が「お姿を見たい」と言うと「明日の朝、櫛笥の中を見なさい。ただし決して驚かないこと」と答えたため、翌朝櫛笥を開けてみると小さな蛇が入っていた。
 姫が約束に違えて、驚いて声をあげたところ、蛇(神)は麗しい男になり「恥をかかせた」と三輪山に帰ってしまった。
 そして、三輪の神に恥をかかせたと恥じた姫は、箸でホトを突いて死んでしまった。故に箸墓という。

 旧約聖書が蛇をサタンとしているのに対して、瑞穂の国の記紀神話は、国を造った神の正体が蛇だというのだから、その落差に驚きを禁じ得ない。
 瑞穂の国、つまり水稲稲作民族の国では水地帯を好む蛇は身近な存在であり、倉を荒らすネズミを喰ってくれる蛇は「益虫」(蛇は虫偏)と理解されていたのではないか。
 と言いながら、私は蛇は苦手である。私のDNAには樹上類人猿の記憶が残っている。

2023年11月20日月曜日

はるかな記憶説?

   よくある質問というかテーマに「人間はナゼ蛇が嫌いか」という問題がある。
 ヨーロッパでは毒蛇がほとんどいないのに、各種知識や情報蓄積がない乳幼児が蛇の絵に忌避反応を示したという論文があるらしい。
 その大学や京大の見解では、はるか以前ホモサピエンスの祖先が樹上生活をしていた時代の最大の脅威の一つが蛇だったので、その記憶が遺伝子に反映しているという。この話はけっこう広く知られている。

   さて私はよくBSの『こころ旅』を観ているが、火野正平が橋、特に高い橋を渡るのにめちゃくちゃ怖がるのを愉快に思っている。高所恐怖症だ。
 写真は、つり橋の途中で火野正平がへたりこんでいる。

 そこで私は考え込んだ。遺伝子レベルにまで擦り込まれた樹上生活なら、ホモサピエンスは高所を懐かしく快適に思うはずではないかと。
 事実、通天閣は言わず、日本でも世界各国でも、やたらに高い建築物を人は建てたがっている。
 ならば、「多様性」ではないが、樹上生活時代に落っこちた記憶を引きずっているグループがあるのだろうか。

 進化論もそうだが生物学など自然科学も解らないことばかりだ。
 社会科学もしかり。
 なのでこんなブログを書いて楽しんでいる。

 (おまけ)キリスト教文化では蛇は人間に原罪をもたらした悪の権化(聖書)であるから、知識の蓄積のない乳幼児でさえも蛇を忌避する先の理由はすんなり納得されているのではないか。
 しかし、蛇の脱皮に「不死や再生」を見、米穀の敵ネズミを食べてくれるため益虫のジャンルに加えている極東の先人は、「巳(みい)さん」だとか「宇賀神さん」として神にまで祭り上げたのだから、このギャップもまた楽しい。

2023年11月19日日曜日

近世も情報社会だった

   慶応生まれの私の祖母は、自身が狐に騙された経験談を幼い私に語ってくれていた。
 そんな狐を妖怪に加えてもいいのなら、妖怪は戦後も高度経済成長前まではこの国に「実在」していた。
 もちろんそれ以前にはそういう見聞はいっぱいあり、例えば兼好法師や多くの人々の筆にそれは記録されていた。

 多くの場合、鬼や天狗や妖怪を誰も見たことがないのに知っていた。ではその情報はどのように生まれ伝わっていったのか。
 この本は、実証的な史料であり深いメディア論だった。読んで楽しかった。

 2023年6月1日付けの「あとがき」の最終部分には、次のような記述があった。
 史料からいっぺんに現代に跳んでいるが、メディア論として内容のある指摘だと感じた。 

 🔳 マスメディアを通じて「絆」「連帯」といった言葉が踊るが、時に「つながり」が相互監視や同調圧力を生むことで、「つながらない」という選択肢は失われている。夢中で「つながり」を求めて奔走しても、その行き着く先にあるのが全体主義でないとは限らない。
 ・・・穏やかな日常というものが、決して当たり前ではないということを、この数年で痛感することになった。戦争、災害、疫病——マスメディアでは、深刻なニュースが連日のように報じられている。だが、他者の死が数字に抽象化されて報道される日常に慣れるべきでない。誰も理不尽な暴力などで命を奪われていいはずはない。🔳



2023年11月18日土曜日

粉酒とは何ぞや

   先日、小笠原好彦先生の古代史の勉強会で『古代の図書寮(づしょれう)』について学んだが、いつもどおり大切な講義の中心部分はあまり勉強が進んだとはいえず、講義の脇道の枝葉部分が頭に残った。
 こういうのは「あるある」とでもいおうか、ある種の何か「法則」かも知れない。

 その記憶に残ったことというのは、図書寮が各部署に筆や紙などの費用を配るのだが、記録によると、国営事業であった石山寺の現場に粉酒4斗(分?)を1升9文で360文支給していることだった(正倉院文書)。

 問題は、粉酒とは何ぞやである。粉末の何かであれば通常は1斤(きん)2斤だが、ここでは1升であり4斗となっている。

 そこでヒントは写真の続日本紀・天平宝字2年2月20日条である。
 橘奈良麻呂のクーデター未遂事件に肝を冷やした孝謙天皇は、その種の謀議の出発点はそもそも酒席で起こるものだとして、この日、「濫(みだ)りに飲酒集会するを禁ずる」詔(みことのり)を発していたのだ。禁酒令(法)である。

 しかし、石山寺の造作現場などの各現場ではそんな奇麗ごとは通用しない。酒も出ない夕食で「明日も頑張って働いてくれ」などとは通らない。
 という流れの中で「公務員(中間管理職)はつらいよ!」となり、各現場では、酒ではなく薬代として支給・記録するようになった。
 それがだんだん、薬→薬酒→粉酒という記載に変化していったことが記録で判る。
 こういうホンネとタテマエの間に立って中間管理職が辛いのは古代も現代も変わらないものである。

 こんな図書寮の本筋でない講義のところが嫌に記憶に残ったのは、そういう名ばかり管理職のつまらない思い出とダブって私が共鳴したせいかもしれない。

2023年11月17日金曜日

時間は平等か

   ここ約1か月、少し遠い専門病院への通院など、看護の1か月だったが、ようやく日常を取り戻しつつあってホッとしている。
 1か月の間に夏空が冬空になっていた。
 時間ほど平等なものはないというが、お~い、ちょっとでいいから待ってくれ
 情状酌量という言葉もあるぞ。



2023年11月16日木曜日

蜜柑の歌

 そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせてさんまを食ふはその男がふる里のならひなり

   秋刀魚ではなく蜜柑のことである。
 1991年にオレンジの自由化が始まり、ミカン農家は壊滅しないかと心配したが、補助金や転作あるいは品質改良で、どっこい蜜柑は今も残っている。もちろん周囲には、ミカン農家の屍累々ではあるが。
 そこには何よりも、オレンジはオレンジで蜜柑ではないということがあったのではないかと私は思う。
 イメージを語れば、テーブルの真ん中に蜜柑が積まれていて、それぞれが手にとって皮をむきながら食べるイメージはオレンジでは似合わないように思う。

 さて、このことはこのブログで度々書いてきたところだが、テレビの中でタレントたちが何でもかんでも「あま~い」と叫んでいるのには閉口する。
 その影響かどうかは知らないけれど、私の感覚では多くの蜜柑が酸っぱくなくなっている。それにはオレンジ自由化の間違った対抗策という面もあったのではないかと思ったりする。要するに、柑橘類本来の強みを弱点だと勘違いした人間がいたのではないか。

 そんなもので近頃は出来るだけ酸っぱそうな蜜柑を探すのだが、外からではそれは判らない。
 孫の夏ちゃんではないが、花柚子を剥いて食べるしかないかも。もちろん、花柚子は堅い皮の部分を削ったりしてお料理に使うものだが、夏ちゃんを真似て蜜柑みたいに食べるのも結構いける。

2023年11月15日水曜日

飛切りの加賀名産

   世界中の珍しい食べ物を食べた人としてはこの人の右に出る人はいないのではないかという、発酵学の権威、食の実践的研究者小泉武夫先生が、『「この地球上で最も珍奇な食べ物は何か?」と問われることがよくあるが、私は迷わず「日本国石川県のフグの卵巣の糠漬け」と答えている』と著書に書かれている。

 大きなフグだと人間30人が死ぬという猛毒のフグの卵巣を、3から4年、手間暇かけて毒を抜いたもので、現代でもその毒抜きの正確なメカニズムは判らないけれど、江戸初期から経験的に確立してきた毒抜きの技術だという。
 微生物(発酵)おそるべし!(微生物ではないとの説もあるが)
 誰がこれを考えついたのか。
 確立されるまでに犠牲になった人は何人か。
 ものすごい民俗学のテーマだろう。(興味津々)

 息子ファミリーの旅の土産だが、これは美味しくて貴重なものだからと娘ファミリーと3家族で分け合った。
 万が一の時は、時が時でなくても、これで「家系は断絶。お家取り潰し」になるだろう。

 お味の方は全く珍奇なものではなく、白い美味しいご飯にぴったり合う。
 私の感想では、カラスミ以上だと思う。
 夫婦でこれを美味しく食べて、生まれ変わった気になって前向きに生きようと思う。

2023年11月14日火曜日

記憶は危険水位

   自分の現状が「年寄りあるある」の許容範囲なのか危険水位なのか判らないが、近頃物忘れがひどくなっている。
 妻には常に「この間言ったでしょ」と叱られている。(かなり危険水位)

 そんなもので日程などは二つのカレンダーに書き込んで、うっかり失念やダブルブッキングを防いでいるが、それでもポカで飛ばしてしまったり、直前にダブルブッキングが判ったりして各方面に謝ることも少なくない。

 そんな中、某月某日、カレンダーには某会館とシルシがあるのだが、いったいそれが何のことだか判らない。思い出せない。某会館だから誰かの講演会だと思うのだが、さて誰だったか思い出せない。
 古代史関係か、中東関係か、何かこれは!と思ってカレンダーに書いたには違いないのだが・・・。

 そこで、え~い、行ってみれば判るだろうと判らぬまま(忘れたまま)行ってみた。
 とすると、そこは古代史でもガザでもなく、講師・鈴木エイト氏の統一協会問題だった。
 (近頃は旧ジャニーズ事務所のNGリスト登載の方が話題だが・・・)
 全く記憶が飛んだままだったが、やってきてよかった。
 氏の体当たり取材の経験談など愉快であったし為になった。

 ということで、関係諸氏、ポカやダブルブッキングも大目に見てね。 
 まあ今日勉強したことも、先のカレンダーの日程メモのように忘れてしまうだろう危険水位だが。

2023年11月13日月曜日

アプリに翻弄

   ウスイエンドウの芽が伸びてきて移植が必要になってきた。
 先日来腰痛が酷いので動きたくないのだが、植物は待ってくれない。「農」というのには「年休取得時期の自由」はない。農民はエライ。

 そこで先ずはプランターなどを購入にホームセンターに行き、培養土(ようするに土)を購入しようとしたのだが、どう見ても割安の40ℓは今の自分には無理と判断し、20ℓ×〇にした。こんな判断は初めてで、今までなら文句なく40ℓ袋で購入していた。
 いよいよこんな選択をするようになったかと、己が年齢を再認識させられた。

 このホームセンターではスマホのアプリにポイントがつくのだが、ホームセンター側がそのシステムを変更したとして再度登録してくれという。
 しかし自分のスマホのアドレスさえおぼろげで、さらにパスワードとなると一々覚えていないから作業が進まない。わが家に電話をして確認しても今度は手順が上手く進まない。
 園芸売り場の会計の横で苦心惨憺している老人に、並んでいる人々の憐憫の目が痛い。

 さてパスワードだが皆さんはどうしておられるだろうか。各種アプリに同じパスワードを使うのは危険だと言われている。事実、妖しい詐欺メールは後を絶たない。でアプリごとにパスワードを替えていると、今回のようにいざパスワードはと尋ねられると出てこない。セキュリティーの上からはマイナ保険証を使用してパスワード入力などもってのほかだと思うのだが?

2023年11月12日日曜日

丹(に)のこと

   万葉集にある、あをによし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり の「あをによし」をただの枕詞と読み飛ばすのは惜しい気がする。
 「青丹よし」の「青丹」は「青い土」とするのが多数派のようだが、私は奈良の都の寺社などの「青(緑)や赤の塗装の豪華さ」と読みたい。赤い丹の多くは水銀朱・・。
 
 水銀朱は縄文時代の遺物からも検出されているし、魏志倭人伝にも「其山有丹」と記されている。古墳では最初期の大型古墳である桜井(外山)茶臼山古墳も石室に全面的に塗られていた。そのように多用されている。
 青銅にしても鉄にしても、そして丹である水銀にしても、古代の知識や技術の高さには舌を巻く。「はじめ人間ギャートルズ」は大きな誤解だ。

 丹は、奈良県でいえば宇陀や吉野で採掘されていたし、丹生と付く神社や地名が残っている。

 余談ながら、過日あるところで、職業病である脳・心臓疾患の労災認定について語った折、この国で最初の大規模な職業病は奈良の地で、大仏さまの金メッキの際に大規模な水銀中毒が発生していたはずだとマクラで振ったが反応はいまいちだった。

 余談その2、中学生の頃、町工場の前の道端に水銀温度計がいっぱい捨てられていて、悪ガキどもはそれを割って水銀を取り出し、帽子の校章に塗ってピカピカに光らせていた。もちろん、指そのもので磨くように塗っていたのだから、当時はこんな水銀といい、あるいは石綿といい、普通に子供のそばにあって遊んでいた。知らないということは恐ろしい。

 未来の人々は、原発を並べ立てた20世紀・21世紀の日本人のことを、やっぱり「知らないということは恐ろしい」と振り返ることだろう。

2023年11月11日土曜日

卑怯な脱法主義者

   雇用主と労働者は本来対等ではないという現実の大前提から労働法という概念が生まれている。
 もし対等平等ならば互いに契約したどんな条件ででも働けばいいだけだ。
 それでは実際には長時間労働も低賃金も野放しになり奴隷労働になるから労働法がある。

 そして対等平等に近づけるために団結権(労働組合をつくり加入する権利)、団体交渉権(協約締結権)(使用者は誠実に交渉に応じなければならない)、団体行動権(争議権)が労働者に認められている。
 こんな中学校教科書みたいなことを大声で言わなければならないほどこの国の労働の「常識」は昨今歪んでいるように思う。

 昔、ある工場で無茶苦茶な労働条件がまかり通っていた。
 そのときの雇用主の言い草は、「彼はあの機械を貸して働いている下請けだ」という屁理屈だった。早い話が使用者責任を煙にまこうとする卑怯な脱法行為だった。それはもちろん許されなかったが。
 近頃のギグワーカーを見ていると、こういう話は手を変え品を変え出てくるものだとため息が出る。
 私は労働者派遣法ができたのが悪の出発点だと思うが、今さら言っても・・と情けない。

 この話の先にはパワハラがある。
 雇用主をはじめ権限が上位の者が無理難題を押しつけるいじめである。
 だからそういう雇用上の優位者は厳しく己を律する責任がある。それが法の主旨である。使用者責任である。

 今般、タイガース、バッファローズのパレードについて吉村大阪府知事が職員にボランティアとして参加を要請したが、ここで問題になるのは知事は行政官としての知事でもあるが、同時に職員に対しては雇用主・使用者であるということである。
 行政官の知事が府民にボランティアを募るのは行事の性格は別にして有り得ることだろう。
 しかし、使用者である知事が職員に要請すれば、それが勤務評価につながるのではないかという当然の心配、つまり圧力になり、忖度、つまり実質的な強制力を生むことは常識的に理解できる。

 それでも要請したい場合は、労使交渉に乗せて誤解を生まないように話し合い、労働組合の合意を得なければならない。それが労働法の精神である。
 そういう法の精神に目をつぶって、「いやいやボランティアを呼び掛けただけです」というのは卑怯千万、早い話が嘘である。
 このような「言いかえ」「言い逃れ」に類する脱法行為が不問に付されてよいものだろうか。
 ボランティアには通勤災害も業務上災害(労災)も適用されないぞ。
 「善意」を食い物にするような風潮を「美談」にしてはならない。

2023年11月10日金曜日

紅葉はトイレット

   植物には大腸がない。もちろんその先も。なのでざっといえば紅葉は光合成の末に残った老廃物である。
 なので人間様は植物のトイレットを見上げて愛でているのである。

 私もその一人だが、赤や黄色の紅葉を愛でながら落葉(らくよう)にはため息をついている。

 玄関先にヤマボウシを植えているのだが、これが丁度落葉の時期を迎えている。
 あまり大きくはない分、数の多い葉っぱがサラサラサラサラと舞ってくる。
 掃く前に幹を揺らして落としてから掃くのだが、掃いている頭の上に次の葉っぱが舞ってくる。

 そして一通り履き終わってホッとすると、「いつ掃いたの?」というように落ちている。
 地球環境のためとはいえ、足腰の痛みを抱えた高齢者には落葉樹は手に余る。

 常緑樹にしたらどうかという声も聞くが、常緑樹だって落葉する。秋に一斉に落葉しないだけである。
 こうして足腰の痛みを我慢しつつ、毎日「レレレおじさん」となっている。

2023年11月9日木曜日

チベット仏教に触れる

   タイトルほど大層なことを書くわけではないが、・・古代の日本はほとんどの政治制度を中華の帝国から学び導入してきたが、官僚機構における科挙、宦官、世襲制の禁止だけは導入しなかった。
 
 ただ世襲制でいえば、本家の中国では各地の王や封建領主などは当然のように世襲が当たり前だった。

 さて「チベットの歴史」を読んだが、ダライ・ラマについて少し新鮮な印象を受けた。
 チベット仏教でもっとも影響力を持つのはダライ・ラマで、現在のダライ・ラマは14世である。
 14世であるから、先のダライ・ラマが死去すれば次のダライ・ラマが就任してきたのだが、そこには世襲という概念が入る隙間がなかった。

 そもそも仏教の輪廻転生の根本教義に基づくと、先のダライ・ラマは何処かで生まれ変わったのである。
 だから、高僧たちが生まれ変わったダライ・ラマ少年を見つけるのである。そしていわば頭脳明晰な候補者を生まれ変わり・転生僧と認めるのであるから、どこかの国の政治家のように家柄だけのバカ息子がダライ・ラマになることはないのである。どこかの国の私にはそれが極めて近代的にも見えた。

 政教一致のこういう制度が現代的ではないにしても、各国で為政者が世襲されてきた事実を思えば、これはなかなか実力本位の合理的なシステムであったように思えた。
 奇しくもローマ教皇も世襲ではない。

 この本の主要テーマはそんなところではなかったが、妙に感心した。
 あえて主要テーマをいえば、チベットは歴史的にも文化的にも明らかに漢とは違う独立した民族であり国である。現状は漢である中国が明らかに征服した状態だ。
 確かに各国の内政不可侵の原則はあるが、大きな権力による人権侵害は目をつぶっていてよいものではない。

2023年11月8日水曜日

時代来たれり

   5日の朝日歌壇に次の歌があった。 
 兜虫の幼虫焼いて食べていた進叔父さんの時代来たれり (佐世保市 鴨川富子)で、馬場あき子選、佐佐木幸綱選だった。
 
   いうまでもなくSDGsにも繋がる時代の注目、昆虫食を踏まえている。
 そうか、最先端というか、ようやく時代が追い付きつつあるととらえて愉快な歌だ。

 私が愉快に思ったもう一つのポイントは、義母の思い出とダブったからで、山間部の農家の娘であった義母はおやつも自給自足で、その一つがアシナガバチの幼虫で、それを指でつまんで食べると甘くて美味しかったと介護の日々に聞いていた。

 長野の伊那谷などではスズメバチの子を捕る地蜂とり・スガレ追いが有名で、蜂の子の佃煮は土産品でもあるが、晩年の義母が老人ホームで語ってくれたのは、その手つきや私のデッサンではアシナガバチの巣で、幼虫は佃煮なんかにはせず、ただそのまま口に入れていた。

 もちろん、昆虫食が時代の要請などというレベルではなく、熟した木の実を摘むのと同じように、普通の子どもの普通の日常だった。
 ただ、義母のいた地域だけでもなく、広い地域でも、文献上では、子どもたちがアシナガバチの幼虫をそのまま食べていたというような記録は読んだことがないので、私のこのメモは民俗学上ではもしかしたら貴重な記録かも知れない。
 あるいは、田舎では当たり前すぎるほど当たり前のことで、それを驚いている現代人の私の方が記録すべき問題児なのかも。

2023年11月7日火曜日

苗代茱萸

   9月にダークダックスの最後のメンバー「ゾウさん」が亡くなった。全く「昭和は遠くなりにけり」だ。 
 ダークダックスのレパートリーには数多くのロシア民謡があり、『小さいグミの木』もその一つだった。

 こういう美しい民謡を持つ民族がウクライナ侵略とは・・と思ったりするが、どちらかといえばこんな穏やかな日本人もまたアジア各地で戦争以前ともいえる虐殺や強姦・強奪をしたのだから、民族の特徴なんかではなく、為政者による教育や宣伝、情報統制ほど怖ろしいものはないということだろう。

   この原稿は11月1日に書き始めているが、いつもの散歩道に強い香りが漂っている。
 金木犀は既に終わっているし、この時期いったい何だろうと思いながら歩いたら、上の写真のとおり満開のグミの木だった。こんな満開は近所では見たことがなかった。春に実のなるナワシログミ(苗代茱萸)である。

 野鳥がどこかで啄ばんで、飛んで来て、そして糞をして・・他の植栽の中から大きく育っている。

 写真を撮っていると別々にご婦人から「何を撮っておられるのですか」と声を掛けられた。
 「グミが満開で匂っていますので」と言うと、「この芳香は何かしらと不思議でしたがこれだったのですか」「食べられるグミはこれですか」と同じような話になった。
 「来春田植え時には実るかもしれませんから摘んでください」と教えてあげた。
 自然を知らない現代人があちこちで自然の逆襲を受けている。先ずは知ることだ。
 お節介爺さんのおしゃべりも無駄ではないと信じる。

2023年11月6日月曜日

朝三暮四

   目前の違いにとらわれて同じ結果となるのに気がつかないこと。

 それにしても私は、「なんぼ猿でもそれくらい解るやろ」といえるほど、その例えが不思議であった。
 そこで、ネット時代は便利になったもので、直ぐに荘子・斉物論も列子・黄帝ぐらい検索できたが、漢文の弱点でもあるが、微妙なニュアンスは読み手に任されるので考え込んだ。

 だいたいが儒教の流れはエリートの教養や倫理観について語っているから、悪く読めば「為政者は言葉巧みに治めよ」と読めなくもない。
 とはいえ素直に読めば、「猿なみのバカ者は為政者の口先三寸に騙される」で違わないだろう。
 
 本日言いたいことは、選挙目当てに「単年度の税収が好調だったから減税するか給付にするか」という岸田政権の話である。首相は軍拡予算をGDP比2%に倍増する方針は取り消していない。
 つまり、目先の一時金で自公政権に投票すれば後ろには大増税が控えている。倫理観の崩壊した政党の「身を切る」言葉でも飾り切れない。

 それらのことを深堀りしないマスコミは、”言葉巧みに治めようとする権力者”に手を貸しているのか、それとも朝四暮三に喜んだ猿なみなのか。

 マスコミの腰が吹っ切れないなら庶民が大きな声をあげるべきだろう。実質の購買力低下を補填しろ、未来に向けての大増税は許さない。私たちは朝三暮四の猿ではない。(写真はネットにあった光和精鉱ユニオンさんのもの)

2023年11月5日日曜日

戦争PTSD

   少し前だが朝日新聞が、先の戦争から帰還した父親が「人が変わって」暴力的になったり腑抜けのようになったPTSD(心的外傷後ストレス障害)のこと、そういう家族(子供)が「家族会を作って交流や記録等の活動している」ことを報じていた。

   私自身仕事柄、フラッシュバックの酷い辛さは文字では嫌というほど読んできたが、私は広島の被爆者である先輩が「昼間に原爆の話をした夜には必ず夜にうなされる」とおっしゃり、事実、夜に断末魔のように叫ばれたことを実際に目撃してきたから、それが私の理解などをはるかに超える地獄であっただろうと不完全ながら理解している。

 ただし、広島の話は言葉足らずに誤解を恐れずに言えば被害者の恐怖「だけ」であったが、戦争帰還者の内には殺されそうな恐怖と共に「殺した恐怖」「犯した恐怖」・・恐怖=拭うことのできない自責があった。
 日本軍の戦争犯罪については、とりあえず昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁(たかひと)殿下の証言をあげておく。 

 三笠宮殿下は「支那派遣軍総参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任したときに、日本軍の残虐行為を知らされました」「ごくわずかしか例があげられませんが、それはまことに氷山の一角にすぎないものとお考え下さい」と前置きして次のとおり書いている。 

 🔳「ある青年将校―私の陸士時代の同期生だったからショックも強かったのです―から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている(日本軍の)映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿(きょう)の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかったと語っていました」(『古代オリエント史と私』学生社、84年6月刊)🔳 

 旧西ドイツの場合、学生が戦後、親世代に対して「そのとき父はどうしていたのか」と鋭く問う運動を展開し、そのことがドイツの戦後民主主義を確固としたものにしたが、その話を聞いて私は日本のその種の運動の弱さを嘆いていたのだが、ほんとうに戦争PTSDを理解しようとするほど、当事者に語らせる残酷さに躊躇する感情が高まった。
 私なら親や叔父たちにほんとうに問い質せただろうか。
 
 とすれば、次の世代、次の次の世代が、それでも残されたわずかな史料の行間を深く読み取り、その教訓を後世に残す努力をする重要性を感じるのだ。なので、反対に、史料の少ないことをよいことに、侵略はなかった、植民地解放の戦争だった、非人道的な戦はなかった、従軍慰安婦もいなかったと言うような歴史修正主義とはしっかり論争する必要性を感じるところだ。
 11月3日、憲法公布の日に。

2023年11月4日土曜日

即時停戦を働きかけよ

   「ルールを守って戦争をしろ」という命題が正しいのかどうかということについては根本的な疑問があるが、限定的にはその命題を黙認するととしてガザの現状を見ると、イスラエル建国の大問題は横においておいて、

① 今般のことの発端であるロケット砲撃を始めたハマスは非難されるべきである。

② それに対したものであるにしても、難民キャンプや病院をはじめ一般国民(非戦闘員)の大量虐殺を進めているイスラエルも許されるものではない。

③ 故にというほど単純なことではないにしても、喫緊の課題は「ハマスもイスラエルも先ずは停戦しろ」と言うしかないし、そう言うのが正しいと私は思う。
 ところが、そういう国連決議に棄権した岸田内閣には幻滅以外に何もない。

 パレスチナ問題を頭の中で整理するために先日から世界史を読み返したりしているが、旧約聖書から此の方、主に大陸の世界史は戦争の歴史であり、「正しい国境」を求めようとすると頭がクラクラする。
 「正当な報復」「正当な復讐」には終わりがない。
 また「民族とは何か」「民族と国家とは」という基本的な定義も自分自身ぐらついてくる。もっと中学校ぐらいで勉強しておくべきだった。

 おお創造主 God なるヤハウェ、エホバ、アッラーよ、全知全能の御身はなぜこのように不完全な世界を創造されたのか。

 嘆いていても始まらない。ハマスもイスラエルも即時停戦して市民大虐殺を防げ。日本政府は当事者と世界に向けてホンキで停戦を働きかけよ。

2023年11月3日金曜日

百均マクロ

   テレビの『道草さんぽ』の再放送のようなものを見ていたら、スマホに簡単に撮りつける『百均マクロ』を付けて、いろんな花の奥の方や石垣の中にヤマガラが隠したカヤの実などを写していた。
 マクロレンズとは接写レンズともいい、被写体にぐんと近づいて大きく写すレンズで、スマホのレンズの前に簡単に着ければそれができるというのが『百均マクロ』だ。
 その記憶があったので、たまたま百均の前を通ったとき思いだし、「スマホのカメラレンズに付けてマクロ撮影ができるものはありますか」と聞くと、ハイハイと出してくれた。

   そこで帰ってから庭のヒメツルソバを撮ってみたが一向にピント(フォーカス)が合わず、反対に、余程の接写でない限りスマホのズーム機能だけで接写のような写真は十分撮れた。
 百均だから惜しくもないが、『百均マクロ』で上手く撮れている方はコツを教えてほしい。
 もしかしたら『百均マクロ』は宣伝ほどではないのだろうか。
   そういえば、なんば(千日前)のビッグカメラで以前にこの種のレンズを尋ねたとき、「以前は置いていましたが今は置いていません」と言われ、”もひとつ”な品物かなあと思った記憶もある。

 写真の上はヒメツルソバを普通にそのまま撮ったもの。その下は『百均マクロ』は使わずスマホカメラのズームアップだけで撮ったもの。
 小さいまま普通に見ていると『金平糖の花』という愛称もほほえましい。
 このヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)の故郷はヒマラヤらしく、非常に丈夫でコンクリートの隙間であろうがお構いなしで広がっていく。
 放っておけばあっという間に庭中に拡がるから、園芸的には少し要注意植物でもある。

2023年11月2日木曜日

どうなる技術力

   昔は、日本人が韓国やアジア諸国に海外旅行をして「安いお金で楽しく遊んできた」と喜んでいたが、今は海外から「日本は安い」と喜び勇んで旅行に来ている。

 円安は相場の要素もないことはないが、基本的には日本の経済力が大幅ダウンしているためだ。アベノミクスなどという不当表示に踊らされた結果だ。

 そもそも第三次産業が悪いわけではないが、国の礎は農と製造業におくべきで、万博で景気浮揚というのは陳腐な古典だし、カジノに至っては国民は大損をするだけだ。

 そんなことでこの国の将来の技術力も惨憺たるニュースばかりだが、たまたま手にした新500円硬貨を見て少しはこの国の技術力に安心した。
 最初はゲームセンターのコインかと心配したがそうではない。財務省の説明による新技術は次のとおり。

 1 旧硬貨はニッケル黄銅だったが新硬貨はニッケル黄銅、白銅、銅の3種類をサンドイッチにしている。(写真でも中と外の色の違いが判る)
 2 側面の斜めギザギザが4箇所異なっている。(写真のとおり)
 3 天井に小さくJAPANN  500YEN (これは写真では判りづらい)
 4 500の00の0の中に、上から見たらJAPAN  下から見たら500YEN ある種の透かし彫りのような効果(写真のとおり)
 5 その他微細な穴などがある・・・・らしい。

 技術を後押しする産業政策によって労働者の収入が増え、それが消費の循環を生むというのが経済の王道でないか。そんな真っ当な声を大きくしたいものだ。
 新硬貨を手にしてそんなことを考えた。

2023年11月1日水曜日

なにかあったら病

    「日本語が消滅する」みたいなタイトルの本があったが、近年の政権側政治家の言葉を聞いていると、ほんとうにそうかもと思ってくる。
 世間に蔓延している原因はいろいろあるが、企業社会の「成果主義」という言葉も一因ではないかと思わなくもない。
 「目標を定めてどれだけ成果をあげたか、あげられなかったかで勤務評定をして賃金に反映する」と謳う仕組みだが、基本的には成果主義ではなく「減点主義」だろう。
 それが世の中に蔓延しているものだから、誰もが失敗を恐れて創造することや気配りをすることを避けていないか。
 決められた守備範囲、言われたことしかしない方が失敗のリスクは減る。
 早い話が「親切も仇」と考える。ああ。

 コロナの折は、「なにかあったらどうすんねん」病もコロナと一緒に流行した。
 気をつけていても感染した人を極悪人のように指弾する。いろんな企画を「なにかあったらどうすんねん」と、それが思慮深い正義のような論調で否定する。結局何も生産しない…。
 自分が行動しない正当性を見事に論立てするが、結局は責任が怖い、減点が怖い。

 先日スマホを触っていたらフェイスブックの「全文を読む」への移行が上手くいかなくなった。いろいろ考えたが勉強不足で判らない。ただ、私の場合はパソコンでも読めるから深刻ではなかったが面白くない状態が続いていた。

 で、散歩がてらにスマホを買ったショップに飛び込んで、「悪いが教えてくれないか」と相談した。
 その答えは予想どおり「フェイスブックは各自が入れたもので当店では対応できない」だった。
 そんな原則は言われなくともわかっている。だから優しく尋ねている。そうであってもこれだけ普及しているフェイスブックだから多くの相談もありノウハウも知っているだろう。
 私は大の大人だから反論も怒りもしないが、私は担当の青年の向こうの現代社会の形式主義に怒りが湧いた。

 「はい自分で対応します」と帰り際、「この種のことで何の経験もなかったのか」と尋ねると青年は、「スマホを再起動すると直ったこともあります」とポツンと言った。
 で、その場でスマホを再起動すると見事に直った。
 私は青年にお礼を言ったが、わが家の半径1キロぐらいで生活をしている老人には辛いIT社会である。
 フェイスブックはヤフーに吸収されて「連携」してくれという通知が入った。幸いわが家では対応できたがご同輩は苦労されていないだろうか。