これ(卵)が当時の、投石などによるインティファーダ(反占領運動)を指すものであったことは明らかだ。
私は、今回のハマスによるロケット弾を含む抵抗行動を全面的に支持するものではないが、ウクライナの軍事的抵抗なども考えると、ジェノサイド政策ともいえるイスラエルによって「天井のない監獄」となったガザ地区住民の生きるが為の行動と理解したい。
さて先日から、能登の時国家のことを書いたりしているうちに、時国家文書の調査で有名な歴史学者網野善彦氏のことに思考が飛んで行った。
その網野善彦氏が提起した所論の中に「飛礫(つぶて)覚書」というのがある。
十分に理解できてはいないが、それは戦闘であり、遊戯であるとともに、古代以前からの神事であったという風に読んできた。
その論と、インティファーダ、そして「壁と卵」スピーチが頭の中で飛び交っている。
最後に、大河ドラマに出てくる権勢を一身に集めた左大臣藤原道長が叡山に登るとき、石が飛んで来て、「何をする。殿下がおのぼりだぞ」という前に法師が躍り出て「ここは檀那院ぞ、下馬所ぞ、大臣公卿は物故は知らぬものか」と、なおも飛礫十度ばかり。・・ときの座主はこれを「三宝の所為か」といい、むしろ石にあたったものは慎むべきだと語っている。飛礫の神聖性を示す一例と言える。
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