2013年6月30日日曜日

制服どうにかなりませんか

  5月18日に「法華堂 再び」の記事を書いて、そのコメントのやりとりの中で修学旅行や遠足の子供たちの制服について「もうちょっと臨機応変に対処できないのだろうか。」と呟いた。
  ・・・・同じことを重ねて言いたい・・・・。

ネットから
  6月の奈良は毎日30度を超えている。新聞記事では学校での熱中症が毎日のように報じられている。(6月下旬になると気温が下がったが、湿度の高さは変わらない。・・・ただし、28日は嘘のように涼しかった。)
  にも拘らず、東大寺や春日大社周辺ですれ違う女子中学生や高校生の中には相当な比率でベストやカーディガンを着ている子供たちがいるのだ。
  引率の先生方は何の疑問も持たないのだろうか。
  「夏の奈良修学旅行は軽装にしないか。」と言うような議論が学校で話されないのだろうか。
  そんな議論さえないのだとすると、教育現場の管理体制というよりも(それも大いにあるだろうが)一人一人の教員の感受性に問題がありはしないか。
  『でもしか先生』や『ことなかれ主義』という言葉が昔あったが、極まった感じを私は受ける。
  「学校の現場を知らない気楽な評論だ。」との反論を想像してみるが、どなたかご意見をいただけませんか。

  私は、明らかに不合理な制服で奈良を歩いている学校があると思う。
  そして、こんな不合理を不合理と言わさない教育からは、創造的な学問や芸術は生まれないように思う。
  制服の統制美にやたらに心酔するのは北方のそっくり返った変な歩き方を自慢げに眺めておられる将軍様と変わらないと言ったら言い過ぎだろうか。

 鑑真和上大遠忌法要の朝、どういういきさつかは知らないが、大仏殿中門正面前に並んで元気に大合唱をしている学校があった。観客がほとんど(いや全く)いないので、正面中央で観させてもらった。そして、思いっきり拍手を送っておいた。もちろん涼しそうな服装だった。「いい学校だなあ。」と思った。こんな学校もあり先生もいる。

  それはさておき、奈良公園には外国人旅行者も多い。そして、勝手に北欧だろうかと私は想像するのだが、冬季にノースリーブの女性も珍しくない。ほんとうである。奈良公園の散策レベルでも「世界は広い。」と感心することも少なくない。

 6月下旬は梅雨の季節と期末テストのせいだろうか、遠足や修学旅行がガクンと減っている。大仏殿の「鼻の穴」も「只今の待ち時間0分」だから、近隣のお方は今が奈良観光のお勧めである。
 中国人家族がいたので、ジェスチャーでその子供に「鼻の穴」を潜るように勧め、親に出口側から写真を撮るように勧めた。 お節介かと思ったが本人たちも喜んでいたし、出て来た時に私が拍手をしたら周辺の参拝者みんなが和やかな顔つきで一緒に拍手をしてくれた。
 だんだん自分が「変なお爺さん」になってきたような気がする。

2013年6月28日金曜日

ヤマモモの効用


  街路樹のヤマモモの実が稔り、ポタポタと道路を汚し始めた。
 熟れた木の実というか猿酒を連想させる濁り酒の香りが漂っている。
  世界では1分間に17人が飢餓で亡くなっているというのに、この街ではこの食べ物を誰も採ろうともしない。子供たちでさえ。
 正確に言えば、わが家族とほか数人は採取している。
 といっても「季節を味わう」程度にしか採らないからしれている。
 道を歩きながらポイっと口に入れて歩き続ける程度+αといったところ・・・。
 義姉が「これほど採られないということは、食べたら有害な毒素でもあるのと違うか。」と心配したが、ブドウ糖、クエン酸、アントシアン(ポリフェノール)が主成分で、エネルギー、特に脳のエネルギー補給、利尿、肩こり、ストレス、肝臓、精神安定、抗酸化力、過酸化脂質改善、健胃、整腸、唾液分泌、消化、口渇、疲労回復・・・・に効果ありとモノの本にあった。
 まあ、普通に果物類の効能を書けば大抵こうなるのだろうが、文字にしてみれば立派である。
 だから、健康食品や健康雑誌も推して知るべし・・・・・・。
 去年までは、生食、ジャム、ヤマモモ酒で楽しんだが、今年は塩漬けも作ってみた。
 保存食というほどの塩漬けではなく漬物(胡瓜の浅漬け)程度にした。非常に微妙な味だが私は結構気に入って病みつきになっている。(塩によって酸っぱさがグレードアップする。それを好むか好まないかは・・・・貴方次第。)
 読者の皆さん、ビタミン剤やサプリメントを飲むよりも、今すぐ街に出てヤマモモを摘んで口に入れよう。

2013年6月26日水曜日

グリーンカーテン

 
  5月に同年輩どおしで一杯呑んだとき、何のグリーンカーテンが良いかと話題になった。
  どういうわけかゴーヤという者が多かった。
 私は「2週間に1個ぐらいの実成なら良いが、毎週何個もできたら手に余る。」と否定的に答えた。
 事実、毎年ご近所から成り過ぎたゴーヤが廻ってくる。
 それで、私が何(の植物)でグリーンカーテンを養生中かというと、定番中の定番というか、原点に返って朝顔である。
 すでに綺麗な模様入りの朝顔が咲き始めており、この選択に悔いはない。
 そして、去年以前からの宿根朝顔もいっぱい伸びてきており、この丈夫な(宿根)朝顔は、普通の朝顔が枯れた後も、大袈裟に言えば木枯らしが吹くまで青々と茂り、順番に花を咲かせる。難を言えば花そのものが単調といううらみがある。
 
 さて、ここ数年グリーンカーテンを作ってきた場所から、宿根朝顔以外にも蔓性の植物が生えている。しかも、朝顔に先行して元気に延びている。順に花を咲かしている。
 そして、間抜けな話だがこの植物がいったい何であるのかがわからない。
 去年、キワーノ等々何種類かを混植したうちのひとつなのだろうが名前の記憶がない。
 草の本をめくってみても判らない。「草藤」の一種だろうか。
 どなたか、この花の名前をご存知の方は教えてください。
 非常に元気でグリーンカーテンには適している。この上に朝顔を重ねて完成させたいと思っている。

 グリーンカーテンは、マスコミや種苗店、園芸店の口車かも知れないし、真夏の電力不足を心配する電力会社や政府の巧妙な誘導かも知れないが、「良いものは良い。」と踊ることにしている。

 皆様は、今年何を植えてグリーンカーテンに挑まれておられますか。
 
 

2013年6月23日日曜日

石流るとも


  「石流れ 木の葉沈むとも」とは、 あまりの理不尽の例えであるが、そんな題名の演劇を観てきた。
  ストーリーは、かのダイキンであった、・・そして現在も進行形のドキュメンタリーとでもいえばいいだろう。

 長い人で20年間も偽装請負、違法派遣で働かされてきた労働者が、労働基準行政の是正指導を逆手に取って一旦有期社員に「改善?」され、ただし、更新すれば「黙示の継続労働契約が推定され期待権の保護が必要になる。」ということで、203名が2年半の有期雇用契約期間満了雇い止めされ、別に240名が雇い入れされたものである。
 経営不振によるリストラでさえない。
 雇い止めされたのは部品ではない人である。配偶者もおれば子も親もいる人間であり家庭である。
 私は、これは間違っていると思う。

  そういう非正規労働者の雇い止めが劇のテーマであるが、考えようによっては現代社会に蔓延している出来事?・・ワーキングプアの問題を根源から問い直しているものといえる。

  日本の(戦後の)労働法は、精神的には、戦前の人身売買、タコ部屋的な環境の否定・・中間搾取の禁止からスタートした。
  しかし、世の中には常に法の裏をかく者たちが暗躍し、請負や外注や派遣など名前はいろいろだが、日本を代表するメーカーの工場の中には本社社員のヘルメットに混じって(あるいはそのヘルメットは見えずに)、重層的な下請けを露骨に示す各色のヘルメットたちが働いていたりした。(臨時的補助的業務でない。正社員の指示の下に基幹部分を担っていた。)
  そして、「それはおかしい」という声が当然起こり法規制の世論が起こったが、それ故に、例えば労働者派遣法の制定、改正等が焦点になったときがあるが、そのそれぞれの山場というか土壇場で、必ずと言って良いほど「(違法状態の)現実を無視できないから、まずは段階的に・・」という腰砕けというか裏切りが当時の社会党によってなされたことを私は忘れることはできない。
 その後私は異業種の方々と懇談する機会も多々あったが、その都度「この悪法は日本の労働現場を荒廃させるだろう」と言い続けてきたが、不幸なことに指摘どおりに時を経た。
 そういう中でも特筆すべきは、労働行政による偽装請負、違法派遣の告発であったが、それに対抗する脱法行為が有期雇用・雇い止めで、それが今回の劇の主題であった。
 雇い止めされたダイキンの有期間雇用労働者の提訴等のたたかいは同情の対象などではない。、勤労者の半数とも言われる非正規雇用労働者にとっては天草四郎のように私には見える。

  さて、総評解散、連合発足以降日本の労働運動が低迷したことは明らかだ。そして、広義の労働運動の水準を超える労働法や労働行政を期待するのは困難なものである。
 しかし、国公労連傘下の公務員労働者は行政研究や行政民主化の運動を続けている。希望はある。
 近頃の自民や維新のキャッチコピーは「既得権益の打破」であるが、結局その対象が正規労働者、年金受給者、福祉受給者で、庶民どおしで分断と足の引っ張り合いを煽るものであるが、その欺瞞が明らかになる中で、早晩新たな連帯の運動が発展するに違いない。現に連合傘下の労働組合でも非正規労働者の組織化や正規雇用の要求が取り上げられている。
 久しぶりに演劇を観ていろんなことを考えた。文章はまとまらない。
 「労働力は商品ではない。」 これは、小泉改革、民主の「仕分け」、安部ノミクス「規制緩和」政策に対して絶対に譲ることのできないアンチテーゼである。
 もう一度言おう。労働力は商品ではない。人間である。

2013年6月22日土曜日

七十二候

  私は机の横に『新暦・旧暦カレンダー』を懸けている。
  二十四節季と七十二候が書かれている。
 私自身はそれほどは旧暦を大事にしない商家の文化で育ってきたし、妻も農家の文化の周辺ではあるが、すでに都市生活者の文化の下で育ってきたので、どちらかというと二人とも旧暦が体に染みついたというようなものではない。
 基本的には新暦一本の(どちらかというと今の時代の平均的な人々よりも)合理的な現代っ子として育ってきた。
 それでも、今ではそれぞれが大きくなって家庭を築いている子供たちが、「小さい頃にいろんな年中行事をしてくれたことを覚えている。」と、肯定的に語ってくれる。そのように暮らしてきた。

 そんな雰囲気というか私の嗜好を知っていてくれて、父の日に娘(お嫁さん)から『日本の七十二候を楽しむ』という本をプレゼントしてもらった。
 実はこの本は、発刊直後から知っていて、本屋で立ち読みしたり、友人と語ったり、書評を読んだりしていたものだが、ちょっともったいなくてよう買わずにいたものだった。
 あまりに的確な選択なので驚いた。
 だから、この本は、知って全篇を読まずに、季節の移ろいに応じてページをめくっていこうと考えている。

 で、今の季節を開けてみると、芒種の初候に蟷螂生ずがあった。「七十二候にかまきりが登場するのはなぜでしょう?稲や野菜には手をつけず害虫を捕まえてくれるからかもしれません。」とあった。
 それにしても蟷螂の赤ちゃんはかわいい。孫も喜んで観察している。(蟷螂を大嫌いな友人がいるので小さな写真しか掲載できない。好きな人は写真上でクリックしてほしい。)
 芒種の末候には梅子黄なり(うめのみきなり)=梅の実が熟して色づくころ・・が出てきた。
 これは、唸るしかないほどドンピシャで、丁度我が家で梅干しを漬け込んだときだった。
 その次は夏至であるが、私の感覚でいえば夏至ほど中途半端な二十四節季はない。
 冬至は、極寒に向かうのではあるけれども確実に始まる「光の春」の始まりを感じさせる。
 立春や春分、秋分には確かな存在感がある。
 それに比べて夏至はどうだ。死にそうな猛暑はまだ先だ。関西のお盆は8月である。なのに日の出・日の入りはもう後半戦に向かうという。
 近頃は夏至にキャンドルナイトをという呼びかけもあるが、まだインパクトには欠けている。
 そんな悪態をつきながら季節に応じてページをめくるという方針を喜んでいる。私は「じょがべん派」である。好きな本は知ってゆっくり読むのである。

2013年6月20日木曜日

どて焼で居酒屋ごっこ

  牛すじのどて焼を知ったのは、およそ50年前のことで、森之宮のガード下の大御所という居酒屋だった。
 ここは、ほんとうに何も食べずにお米のジュースだけで生きているような大先輩に連れられて通った店だ。
  現店主がランドセルを背負って階段下でウロチョロしていたころで、お酒は伏見の清酒大御所が魔法瓶に入れられていて、正1合の大きなコップにあふれるように注がれる店だった。半合という注文もできた。
 私の限界はその1杯半までで、2合も飲むとひっくり返っていた。
 そこに丸々1日は煮込んだような串刺しのどて焼がいつもあり、四角い鍋?の縁はほんとうに土手のように味噌が盛り上がっていた。名物だった。

 そんなことを思い出したのは、妻の親友夫婦がどて焼が好きだということで、お家でちょくちょく造ると妻が聞いてきたからで、私が記憶の中の大御所の味(少し甘い目)を口頭で伝授して、妻がわざわざ白味噌を買ってきて家にあった信州味噌と合せて造ってみたからである。
 親友夫婦、とりわけ夫君は食に関しては有名な慎重居士で、我が夫婦などは食の野蛮人と思われていたくらいだから、どて焼が好物とは意外だったが、考えてみればどて焼は現代の居酒屋では定番中の定番だから何の不思議もないのだろう。

 そして我が家というとせっかちで、妻が半日も煮込まずにお膳に出したが、まあまあ許せる程度に柔らかくなっていて、夕食前に自前の居酒屋の雰囲気を味わえた。(だから、出したのはほんの一部にして、多くはさらに煮込みを継続した。)
 このごろはコーナンやダイソーにいろんな居酒屋の提灯も売っているから、そのうちに買うことになるかも知れない。こんなものは理性的に買うものではなく、発作的な気分で買うものだろう。チョッとそんな気にさせる味だった。あほかいな!
 親友夫婦のおかげで、楽しい居酒屋ごっこができたと喜んでいる。
 妻は出来栄えに酔って、姉やお嫁さんのところに配って歩いた。
 味は良かったがまだ少し硬かった・・は陰の声。大きな声では言えない。

2013年6月18日火曜日

証拠隠滅

  2013年6月17日付朝日新聞大阪本社版「声」欄に「今も忘れぬ証拠隠滅の光景」と題する四日市市の品川氏81歳の投稿があった。
 氏は、橋下市長の慰安婦問題の発言を引いて、戦時中の事柄に対し「証拠がない」という言葉をよく聞くと述べ、「そのたびに、敗戦直後の校庭で、教師が書類や木製の模擬銃などを焼却していた光景を思い出す。」「姉が勤めていた陸軍関連の出先事務所でも書類を焼却したと聞かされた。」「証拠隠滅は、全国の官民のあらゆる所で組織的に実施されたのだろうと思う。ただ、こうした記憶や証言も、「証拠がない」と片付けられてしまうのか。」と結んでいた。
 
 私の父は終戦時、松下飛行機㈱の管理職だった。
 木製ではあるがれっきとした爆撃機「明星」を製造していた工場で、軍(海軍?)が直接指図していたらしい。当然だろう。
 その父が晩年、終戦時にはありとあらゆる書類、ちょっとでも軍との関係のありそうなゴム印等々までも、何日も何日もかけて全て焼却したと語っていた。

 テレビドラマの松下幸之助伝のようなものでは、軍に無理やり頼まれて松下飛行機㈱を作ったおかげで、とんだとばっちりで公職追放?を受けたとか、社員が嘆願書を作ったと言う美談が喧伝されているが、それもこれも名もない人々の証拠隠滅のおかげの話だと松下政経塾出身のお偉方には思ってほしい。
 だが、「証拠隠滅の証拠がない」と彼らなら言いかねない。
 
 だから、品川氏の投稿は全く的を射たものだと私は思う。
 
 なお、慰安婦問題では思うことが2点ある。
 第1は、橋下市長に対して提訴も辞さないと述べている中央大学吉見教授の公開質問状のとおり、数々の証拠があるにもかかわらず、橋下氏がいろんな言葉の修飾を重ねて「証拠がないんだ」と思わせていることが問題だろう。証拠はある。
 第2は、この問題では安倍首相が先行して同趣旨の発言を繰り返しており、現在は米国の予想外の反発を受けて猫を被っているが、その点では、維新も自民も変わりがないことに注意が必要だろう。

 戦時体制の反省をすると「それは自虐史観だ。」と言うような声があるが、私は当時の指導者だけを非難してよしとしたり、多くの先輩たちの人生をけなすことではないと思う。
 澄んだ眼で歴史を見、記録の紙背を想像することが「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」(憲法前文)することだと思う。
 
 自民も維新も、その憲法を変えようと本気で言っている。
 「発議要件だけだ。」との言い方も胡散臭い。

2013年6月16日日曜日

夏は来ぬ

  2年前に孫の夏ちゃんが誕生した。
ネットから
  当時特養に入所していた私の実母(だから曾祖母・ひいばあちゃんにあたる)に報告をしたら、この曾孫の名前に連想して「夏は来ぬ」を口ずさんだ。驚いた。
 これが、私が母と母の周囲の方々といっしょに無手勝流の「音楽療法?」を始めたきっかけだった。
 母のテーブルの3人から5人程度に歌詞を渡して、適当にそれぞれが歌うというものだったが、明らかにそれまでよりも顔の表情が豊かになり、帰りには予想外だったが「ありがとう」とお礼を言われた。
 ということを実母の卒業まで続けることができた。

 この歌は、明治29年、佐佐木信綱作詞の歌で、時代を感じさせる美文だと思うが、全体に季節の風景を美しく描きながら、3番に「おこたり諌いさむる 夏は来ぬ」とちょっと道徳的な歌詞がある。
 で、教養のない私が「何を諌めるんでしょうね。」と呟いたところ、テーブルのお婆さんが小さな声で「蛍雪の功ではありませんか。」と教えてくれた。なるほど。
 体力の低下で見た目は子供に帰ってしまったように見える老人を、心して見直した一瞬でもあった。

 さて、ちょうど蛍の季節である。しかし、夜に出かけるのが億劫になり、ビールでも飲んで休みたいと思うようになっている。情けないことだとは判っているのだが・・・・。

 先日、義母に蛍の思い出を聞いてみた。
 「菜種の殻で捕りまんねん。」「ナンボでもいたから、家にも持って帰らなんだ。」と小さい頃の思い出を語ってくれたのだが、あまりに普通の風景だったらしく、現代の感覚で私が話の呼び水を注してみても、「草で編んだ籠に入れた。」とか「ホタルブクロに入れた。」とか「蚊帳の中に飛ばした。」というような話は一切なく、ただただ普通に「いっぱい飛んでました。」と語るだけだった。
 そして、 〽蛍の宿は川端柳~ と振ってみると、 〽こっちの水は甘いぞ~ と帰ってきた。

     夏は来ぬ

1 卯の花の 匂う垣根に           2 さみだれの そそぐ山田に
  時鳥 早も来鳴きて               早乙女が 裳裾ぬらして
  忍音もらす 夏は来ぬ             玉苗植うる 夏は来ぬ

3 橘の かおる軒端の            4 楝ちる 川辺の宿の
  窓近く 蛍とびかい               門遠く 水鶏声して
  おこたり諌むる 夏は来ぬ           夕月すずしき 夏は来ぬ

5 五月闇 蛍とびかい
  水鶏なき 卯の花さきて
  早苗植えわたす 夏は来ぬ

2013年6月14日金曜日

平城宮跡のオオヨシキリ

  平城宮跡の地中には国宝級の木簡等が埋まっている。
  それらは豊富な地下水によって守られている。
  慎重に時間をかけて発掘調査されることが良い。

  だが既報のとおり、奈良県知事や国交省はそんなことには全く興味がないようで、地下水の低下を招く舗装工事や樹木伐採工事を行って、ここを「テーマパーク」に作り替えたいようである。

  以前の記事で歴史的な建物の復元問題の複雑さを書いたが・・・・、
 例えば、平城宮の大極殿はご存じのとおり2階建てで復元されている。
 だから普通、「奈良の都はこんなんだったんだ。」と人々はイメージし理解しているはず。
 そしてご存知、平安宮の大極殿は平安神宮の外拝殿として1階建てで復元されている。
 ええ! 奈良時代から平安時代に移るなかで、大極殿は2階建てから1階建てになったの#$%&???
 ・・・・こんな問題もあるから、拙速なテーマパーク型復元は避けて歴史学者や考古学者の意見を十分聞いてもらいたいものだ。儲け(観光)のためや身贔屓からくる誇張・装飾のために学問を歪めてはならないと思う。
 
  また、平城宮跡は野鳥や小動物の貴重な生息地でもある。
 特に「燕のネグラ」は近畿で第2位の規模で、ここの「燕のネグラ入り」は圧巻である。
 8月の夕暮れ時に一見されることをお勧めする。感動する。
 その葦原の周囲がいま公園のように整備?され、樹木が切られ、丘が削られ、こじんまりと平坦な葦原に変わっていた。
 野鳥(燕)は案外逞しいから今年の夏もやってくるだろうが、生存し辛くなっていることは容易に想像がつく。
 炎天下、オオヨシキリが無謀な工事を告発するかのように仰々しく啼いていた。
 小さい頃、ラジオから「ギッチラコ、ギッチラコ」と田端義男の「親子舟歌」が良く流れていた。聞くともなく入ってきた「泣くなヨシキリ悲しじゃないか」という歌詞の記憶と重なって気分は沈む。
 野鳥の声のCDはヒーリングのコーナーに置かれたりしているが、どうもオオヨシキリだけは落ち着かない。

2013年6月12日水曜日

夏来るらし

  一番最初に断わっておくが私は和歌については何も知らない。100%無知である。
天の香具山・ネットから
  にも拘らず、万葉集巻一の二八 持統天皇の歌
     春過ぎて
    夏来るらし
    白たへの
    衣干したり
    天あめの香具山
を語ろうとするのは・・・、可愛い孫の夏ちゃんの名がこの歌に基づいていると、夏ちゃんのお父さんが話すからである。
 
 その一、白たへの衣
 よく思い出せないのだが、ずーっと以前にどこかの講義を聞いていたとき、「当時の白妙の衣というのは喪服のことだよ。」と言われたのが印象に残っており、心の奥に刺さったままでいた。(香具山宮の高市皇子の挽歌に「白たへの麻衣」がある話だったか?)
 そこであれこれ本を読み漁ってみたのだが、少なくともこの歌の裏の意味が実は挽歌であるというような説は全くないようである。正直なところホッとした。孫の名前の由来が挽歌では爺ちゃんの心は穏やかではない。

 では、その「白たへの衣」は喪服でなければ何なのか。「白たへ」という言葉自体が意味を持たない単なる枕詞と書いてある本もある。ごく普通には衣替えの夏服と多くの書物に書かれている。なかには「乙女の肌着」というような艶っぽい解説もある。しかし、その時代(飛鳥~藤原京時代)の日本国の中で最も神聖な神の山である・・・・。??? 衣替えの夏服も肌着も納得できない。
 上野誠先生は、「神聖な香具山に、初夏に衣を干したように見えるのは、年中行事の一つの儀式に伴う、その当時知られた光景だった・・・・はず。」「だから、誰もがその光景を見たらああ夏がやって来たと実感できたのだ。」と指摘されている。なるほど説得力がある。お祀りの前に装束である白たへの衣を干すように並べて準備をするようなイメージだろうか。
 先生は、『「らし」というのは非常に強い言い方で、推量ではなく根拠のある推定を示す助動詞である。示されるその根拠は、「白たへの衣が干してあるから」ということになる。』と述べておられる。
 
 その二、百人一首
 言うまでもないことを言うが、この歌は、万葉集よりも新古今=百人一首の方が有名である。
 そして、そこでは・・・、春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣乾すてふ 天あまの香具山 となっていて微妙にニュアンスが異なっている。
 この差について犬養孝先生は、「平安から後になると歌のゴツゴツしたのを嫌うようになる。その結果、実感が殺されてしまう。ところが万葉は実感本位だから、春過ぎて夏来るらしでピシッと切れて、白たへの衣干したりでまた切れて、天の香具山とどっしりと地名をすえて、季節のうつりかわりを訴える女の人らしい清新な響きをみごとに表している。」と解説されている。

 それでいい。ドライにピシッと決まった万葉歌は、大和三山トライアングルの内側で生まれた孫娘の名にふさわしい。
 以上、この記事は文学論ではなく100%爺ばか日誌であるので、念のため。

 ついでに、先日「鯛の鯛」の記事を書いたので、『こんな万葉歌も見つけた』というものを・・・おまけに。
   醤酢に           ひしはすに
   蒜搗き合てて       ひるつきかてて
   鯛ねがふ          鯛ねがふ 
   我にな見えそ       我になみえそ
   水葱の羹          なぎのあつもの

  上野誠先生の解説は・・・、
   もろみに酢
   蒜を搗き加えた
   鯛を食べたい!
   わたしには見せて欲しくない・・・・・・・、
   水葱が入った安物のスープは。

2013年6月9日日曜日

街を明るく

  以前に、玄関にバカデカ郵便箱を作ったときに取り付けたのだが、『パネル分離式で3灯のソーラーライト(コーナンで1980円)』は値段の割には優れものだと思う。
 太陽光発電ブームのおこぼれ(パネルの値崩れ?の影響?)かも知れない。
 なので、今回、ガーデンライトの節電を兼ねて2つ目を購入した。
 パネル部分は庭に木を建てて、地上2メートルちょっとのところに取り付けた。

  そして、2つのライトで、これも以前に書いた自家製(と言っても加工したのはプロの石屋だが)の道標をライトアップすることにした。(道標には「これより〇〇」と町名を書いている。)(自治会長に「自治体が建てたのですか?」と尋ねられたことがあるように・・・・そのように誤解されている方も多い。)
 以前の記事の繰返しになるが、我が家は駅から曲がりながらも1本の遊歩道でつながっている。
 しかも、1kmちょっとであるから、無茶苦茶遠くはないが少し(結構?)疲れる距離である。
 そして、2つの他所の自治体を通過しての我が自治体入り口に当たっている。(要するに「村の入口」。)
 という位置関係から、1日の労働に疲れて家路を急ぐ退勤者が、「(もうすぐ我が家だと)この道標を見るとホッとします。」と語りかけてこられたと妻に聞いた。
 なら、節電のために消灯することの多かったガーデンライトに代えて、毎夕自動的に点灯されるこれにすればどうだ!と思った次第。

  そして、3灯中のもう1灯は・・・・、
 この道は丁度陸橋の下り口に当たるので、「スピード落とせ」等のあふれんばかりの表示にかかわらず、自転車と歩行者の出会い頭の事故が心配される場所でもある。
 住民要求としてカーブミラーを要望しているが、今のところは自治会が「飛び出し注意」の看板を立ててくれている。
 場所は我が家に沿った歩道の植込みのところである。
 ・・・で、お察しのとおり、もう1灯は、この看板を照らすことにした。

 「公道上に勝手にライトをつけるな」とお叱りを受けるだろうか。
 そのときは「住民参加の明るい街づくり」と笑って答えることにしよう。
 

2013年6月7日金曜日

錦上 花を添える

  好きな言葉は『創意工夫』という言葉だが、その結果は?というといつもスベッている。
 いや『創意』というほど大層なものでもなく、このブログのコメントでも、よく「おもてなしの心」が大切だとの上方文化論をいただくが、そのような精神(工夫)のことと言ってもいいかもしれない。
 先日、元の職場の『退職者を送りOB会へ歓迎する』宴があった。
 私は思う。現職の主催者やOB会員にとっては何年も続けている毎年の行事だが、ゲストにとってはほとんど一生に一度のセレモニーの日でもあるはずだ。
 そういう『心配り』がホスト側に大切ではないだろうか。
 で、大した『創意』でもないのだが、歌の上手い友人にマイクのことはお願いをしておいて、『花は咲く』の歌詞を用意して会場に赴いた。(「前振りを大上段に振りかざしておいて結果はそれかい。」「スミマセンそれだけなんです。」)
 『錦上 花を添える』というほど自惚れはしていないが、スピーチの代わりに「みんなで歌いませんか」と呼びかけ壇上にお誘いしたところ、大先輩のSさんをはじめOBの何人かが気持ちよく参加してくれた。
 「宴席の歌と言えばお座敷小唄しか知らない」というOBもおられたが、会場全体で見事な大合唱だったと・・・、誰も褒めてくれないから自讃しておく。
 ただ現職の若い人たちには「年寄りたちがようやるわ」という風景に映っただけだったかもしれない。
 近頃は「スベリ芸」というジャンルさえ確立されたようだから、これに懲りず年寄りは次の行事でも何か『工夫』してスベッていきたい。ご同輩の皆様よろしく。
 

2013年6月5日水曜日

松嶋尚美には笑った

 
  テレビの『きらきらアフロ』の松嶋尚美が鶴瓶に向かって「こんなんどう思う?」と言って繰り広げたトーク。
  松嶋夫婦が車で右折しようとしたとき、対向車線のパトカーの左折を待って後ろについて曲がったら、「この時間は右折禁止」と言って捕まったらしい。松嶋の言い分は、「交差点で指示器を出して頭を突き合わせていたときに、「この時間、右折禁止ですよ」と一言言ってくれればいいやん。」と言うもの。
 至極当然の感情で、私は共鳴の大笑いをした。
 松嶋の暴走トークはこの後ブレーキが利かず、「結局は摘発が目的なんや。」「(過去に)罰金は警察の飲み会の予算やと思ってた。」とまで・・・・・。
 
 さて、警察に限らず公務には桁違いに大きな権限が付与されている。
 しかし、その権限は、立法趣旨、行政目的に基づいて運用されるべきで、条文の片言隻句を切り離して紋切り型に適用するとこのようにギクシャクしておかしなことになる。
 「交通安全を実現するのが警察違うん」と言う松嶋の疑問は正しい。

 その一方、一人一人の公務員が裁量権を拡大してルーズになると社会の公平・公正の担保ができなくなる側面も事実。
 テレビの前の大勢は大笑いしているだろうが、実際にはこの兼ね合いが難しい。
 今の話題でいえば、生活保護を不正受給している暴力団員等がいることも事実だろう。しかし、そのこと以上に、本来セーフティーネットで守られるべき人々が、悩み、苦しみ、果ては餓死事件まで起こっているのに、国会(衆院)では日本共産党と社民党を除く各派が週刊誌レベルの議論で法律を改悪した。(※最終的には参議院の内閣問責決議で廃案になった。)
  現場の職員はクタクタだろうと思う。
 テレビのコメンテーターが、悲惨な事件が起こったときに「市は何をしていたのか。」と叱責するが、この間まで「職員を減らせ、職員を減らせ。」と繰り返していたメディアは責任をどうとるのか。
 
 病院に入院してみれば判るが、どんなに最新の機器があっても結局は人だとつくづく思う。
 一定の人員が確保されて初めて肌理の細かい優しい対応が確保されるのである。
 みんなの党などが相も変わらず「定員削減」を叫ぶが、その対象に自衛官や国税関係は入っていない。結局は福祉等のセーフティーネットの目が粗くなるだけだろう。
 「小さな政府は高くつく」はけだし名言である。
 一定の人員と、行政組織内の民主主義があってこそ初めて松嶋の怒りは報われる。

2013年6月3日月曜日

大阪人のレッテル

  東京都区内の電車の中で、あえて下卑た大きな関西弁で語る人がいる。私は好まない。
 若い頃東京で働き、その間もズーッと関西弁で通してきたが、私が言いたいのは「あえて言う人」である。
 圧倒的には大阪人である。
 その多くの人は「東京がナンボのモンじゃい」と言い、標準語に迎合しない己が姿に胸を張るのだが、私にはその意識自体が標準語に屈服した、精神的な意味で田舎者ではないかと思う。
 さらには「人間の本音は下卑たものであり、タテマエ社会の東京人には真似できんやろ」という言い方もする。
 が、果たしてそうだろうか。
 結論を急げば、庶民的、ホンネ、反権力的、どぎつい、あくどい、俗悪、猥雑という大阪のイメージはマスコミが発信元である。これは断言できる。
 東京本社から左遷?されてきた人や、東京キー局に採用されず意に反して大阪に就職したマスコミ人が、自らの微妙な劣等感の吐きどころとして作り上げてきたレッテルである。・・と、井上章一氏が指摘されていることに同意する。
 同時にそれは、東京のマスコミにとってもありがたいことで、そういう大阪のイメージを前提として、街頭インタビューを行い、大阪弁で「選挙でどうなっても何も変わらへんのとちゃう」とか「憲法改正言うても庶民の生活とは関係ないやろ」というのを編集して流すと妙に説得力を持つような見事な『予定調和』システムが出来上がっている。そう思いません???

 そして、過去の栄光以外何もなくなった?大阪人には、実は軽蔑を込めたこれらのレッテルが、被虐的に気持ちがいいというのが悲しいけれど現実なのだと思う。
 (大阪が東京型の開発や企業誘致政策をとってみても東京を追い抜くことは全くあり得ないことは誰もが判っているので被虐的になるしかない。)

 橋下市長や維新という、何とも下品なグループが一時支持を得た原因を単純には言えないが、こういうマスコミが腹の底で嘲笑いながら完成させたレッテルに当の大阪人が踊らされた(被虐的に踊ってみた?)という側面は軽視できないと私は思う。

 私も指でピストルを作って「パン」と言われりゃ「ウッ」というぐらいのサービスはするが、マスコミ原産の県民性なるものもエエカゲンにしないといけない。

 少なくない先進国では「マスメディアの独占的状態は民主主義にとって良くない。」という法理が承認されていて、同一資本が新聞業とテレビ業を併せて行うことを禁じているらしい。
 この国の民主主義の先行きを考えるとき、支配層を形成する大資本や政党から独立しているべきジャーナリズムの危機をもっと議論し指摘しなければならないようにつくづく思う。
 3.11を忘れてはならない。『1億総マインドコントロール』などというと「そら大袈裟な」と思いますか?

2013年6月1日土曜日

鯛の鯛

  桜の花が散ったころ、お江戸では初ガツオだが関西では桜鯛が旬である。
  江戸っ子・其角は、津の国のナニ五両せん桜鯛 と詠んでいる。
  江戸っ子というのは、あはは である。(今も昔も江戸のお方は高く買ったことを喜ぶのだ)
  其角は力を入れて自慢しているが、摂津の住人でこの句に怒る人はいないだろう。

鯛の鯛
  桜鯛という名は、桜の開花時期の鯛という意ではなく、鯛の婚姻色によるとも言われている。
  そのころ、瀬戸内の浅瀬には鯛の魚島ができるそうだが、釣り人なら実見しているかも知れないが、私は文字の世界でしか知らない。
  この時期になると、上本町一丁目の割烹には「大坂に魚島の鯛あつまれり」だったか、そのような句が掲げられる。(正確には友人が詳しいだろう。)

  先日、桜鯛の兜と切り身を併せて塩焼きにした。
  兜は兜煮もすまし汁も美味しいが塩焼きも美味しい。当たり前である。
  2歳の孫娘は父親に教わって既に味を知っているらしく、美味しそうに鯛の目玉を食べて上手に白い玉だけを口から出した。(なお、白い玉も食べるという人もいるが私は食べない。白い玉は私は美味しいとは思わない。)
  白い玉の周りの目玉全体はコラーゲンの塊だから孫はお肌美人になるに違いない。
  美味しい上に栄養満点なのだから申し分がないのだが、この目玉、世間では不当に「親父の食べ物」扱いされ蔑まれている。
  娘が女友達や会社の女性などと食事に行ったとき、鯛の目玉を食べて皆に「ひかれた」と言っていた。もちろん娘は、こんなおいしいものを食べない人がいるなんてことを想像すらせず育っている。

  鯛の兜を食べるとき、これはどこの家庭でも同じだろうが、カマの部分の「鯛の鯛」を綺麗に出して見せ合うのが我が家でも暗黙のルールである。
  孫娘も知っているらしく、お父さんやお爺ちゃんの「鯛の鯛」を手に取って喜んだ。
  やはり、鯛の兜があると、何となく食卓がめでたくなる。
 こういうつまらぬ話も味付けのひとつだろう。

  PS  街で旧い友人と会った。「ブログを読んだで。御馳走を食べてるねんな。」との誤解・・・。
 あの『玉子丼』。280円程のチヌの卵で夫婦が夕食をとったという話なのに・・・。
 そして、今日の話もそれとほとんど変わらない。
 そういう誤解を与えたなら、書き手としては、うふふふふふ