人間界の為政者が、批判の発言や発信が弱まったのを見て「悪政は支持されている」と言い放つのとよく似ている。
なので、ツグミを見るたびに「発信の手を抜いたらあかん」と自省している。
山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
人間界の為政者が、批判の発言や発信が弱まったのを見て「悪政は支持されている」と言い放つのとよく似ている。
なので、ツグミを見るたびに「発信の手を抜いたらあかん」と自省している。
だから今年もそれでよいのだが、今年は写真のような壁掛型のデコレーションにした。今年のポイントはただ一つ、下のコードの先のスイッチを入れると鬼の目が光るようにした。凜ちゃんはスイッチを点けたり消したりするのが好きである。なのでゲームみたいに喜んでくれている。
T2さんは1月20日(木)の帰宅時にけっこう重い症状が出て、22日(土)の午前中に発熱外来のあるN病院を受診し、その夜遅く病院から『陽性』の連絡があった・・ところまでは以前に書いてある。
☐ 24日(月)の夜、保健所から電話があり、病状を聞かれ、明日保健師さんから改めて連絡しますと伝えられました。
その保健師さんからの連絡が27日(木)お昼にありました。病状や持病などについて聞かれ、出勤再開について確認したところ、体調に変化がなければ2月1日(火)からOKとのことでした。
自宅療養になるので、レトルト食品とパルスオキシメーターを送ってくれるらしいです。
濃厚接触者の妻が開き直って「来週いっぱいまで休む」と言っております。症状がないのはありがたいですが、だからと言って読書が進むわけではありませんね。
妻については、今の国の基準では、医療従事者の場合は、2月1日にPCR検査受けて陰性なら、その時点で待機は解除されることになっているようですが、妻の病院では、2月1日から6日経って検査、陰性なら翌日から出勤再開と言われているようで、なんか釈然としません。☐
以上がT2さんのお便り。 読者の皆さんご参考に!
前回の記事を補強して、なぜ日本は世界中で異常に検査数が少ないのか、さらに検査キッド不足が生じているのか、さらにさらに実情を無視した隔離(自宅待機)期間が長いのか、ネットで発信されている医療ガバナンス研究所理事長の上 昌広医師の提言の骨子(一部)を紹介する。
☐ オミクロン株検査不足問題が深刻だ。ナビタスクリニック新宿の濱木珠恵院長は「普段なら発注すると翌日に届く抗原検査キットが、1月18日に発注した分が未だ届いていません(1月25日現在)」という。検査キットが無くなれば、迅速診断はできなくなる。抗原検査ができなければ、PCR検査に頼るしかないからだ。多くのクリニックでは、PCR検査を外注しており、その結果が届くのは翌日だ。高齢者や持病を有するハイリスクの人は、早期に経口治療薬モルヌピラビルを服用することで、死亡率を3割程度減らすことができるが、PCR検査に頼れば、一日治療開始が遅れることになる。そのPCR検査すら、検査キットが不足しつつある。
海外はどうなのか。1月21日の経済協力開発機構(OECD)加盟国の人口1,000人あたりの検査数(1週間平均)を示す。日本は1.18件で、メキシコに次いで少ない。マレーシア(3.25件)やインド(1.27件)にも及ばない。多くの国は、オミクロン株の流行下でも、日本とは桁違いの検査を実施している。
なぜ、厚労省は検査を絞るのか。それは、感染症法で、法定の感染症患者に対して、知事は「入院させるべきことを勧告することができる」と規定されているからだ。この条文があるため、入院させずに自宅で死亡すれば、知事が責任を追及される。この結果、リスクを回避するため、知事は全感染者を入院させようとする。軽症であることが分かっていたオミクロン株でも、当初、全感染者を入院させたのはこのためだ。
感染症法は、コレラや結核を念頭において立法された。毎日数万人の感染者が出るコロナは想定外だ。感染症法の強制入院規定こそ、我が国の感染症対策の問題を象徴している。社会の防疫のために隔離を優先し、感染者の検査や治療体制の強化は軽視する。明治時代に内務省衛生警察が所管した、隔離ありきの伝染病予防法の影響を残している。
ここまで国家が医療を統制するなら、検査キットのロジは、厚労省が責任を負うべきだ。ところが、厚労省は都合が悪くなると、勝手に解釈を変更する。1月24日、厚労省は、濃厚接触者が発熱した場合など、自治体の判断で、検査を実施しなくても、医師がコロナ感染と診断出来るように方針を変更した。これは滅茶苦茶だ。コロナと診断するのは医師の仕事だ。自治体の判断は関係ない。麻疹や水痘のような特徴的な臨床所見がないコロナ感染は、検査なしでは他の風邪と区別できない。厚労省の言い分は、医学的合理性がない。
さらに、厚労省は、1月24日、若年者などリスクが低い人が、市販の検査で陽性と分かった場合、医療機関を受診せず、自宅療養を認めると方針を転換したが、これも問題だ。医療を受ける権利は、憲法で保障された基本的人権で、厚労省の許可など要らない。ところが、このことに誰も問題を感じない。朝日新聞は1月25日の朝刊一面で「受診せず自宅療養可」と、厚労省の言い分をそのまま報じている。
我が国のコロナ対応が、国民の意向を無視した、官僚主導の国家防疫であることがわかる。実は、このことが、コロナ対応で、我が国が一人負けの本当の理由だ。コロナは未知の感染症だ。実情に即し、合理的な対応をとるべきだ。海外は、国民の視点に立ち、試行錯誤を繰り返した。
コロナパンデミックで、世界は非接触を希望した。この結果、在宅検査が急成長した。例えば、昨年3月、米食品医薬品局(FDA)は、米キュアヘルス社が開発した自宅で検査できる簡易核酸検査に緊急使用許可(EUA)を与えた。医師の処方箋が不要で、所用時間は約20分で、PCR検査との陽性一致率は97%だ。
我々は、もっと世界から学ぶべきだ。欧米は、検査をフル活用し、オミクロン株の流行下でも社会活動を継続している。1月12日、米バイデン大統領は、対面授業を継続させるために、学校向けに配付する検査キットを毎月1,000万回分追加すると発表しているし、英国政府は、1月17日、コロナ感染後の自主隔離を、検査陰性の場合に限り、従来の7日から5日間に短縮した。1月20日、イスラエルではコロナ感染者と接触した小児は、週に2回、抗原検査を受け、陰性を確認するという条件つきで、隔離を中止した。
我が国のコロナ対策の基本的姿勢は間違っている。岸田総理は早急に感染症法を改正すべきだ。その際のポイントは、国家の権限を強化し、民間病院に無理矢理感染者を押し付けることではない。検査、治療、さらに隔離を受ける権利を感染症法で保障することだ。いまこそ、世界から学ぶべきである。☐
以上の主張のあれこれを批評できるほどの知識はないが、いろいろ参考になる提言だと思う。読者のみなさんの経験やご意見を乞う。
1月上旬も大雪だったが、日本列島の日本海側で大雪が続いた要因は、偏西風(寒帯前線ジェット気流)が蛇行して日本列島近辺で南下したこと、北極海上空の寒気を伴う低気圧(極渦・きょくうず)が分裂して南下したこと、日本列島の南側の偏西風(亜熱帯ジェット気流)が日本付近で南に蛇行したことなどが要因だと気象庁が発表した。
南側偏西風蛇行の背景にはラニーニャ現象(南米沖の海面水温が平年よりも低くなる)があったという。
さらに、日本海北部では海面水温が平年よりも高く、そのため水蒸気が多くなり降雪量が増えた可能性もあるらしい。
トンガの火山の空振による津波もあったように、広義の気象を考えると世界は狭い。そういう目でいろいろ考えていると、口ばっかりの政府の怠慢等に怒るのも「小さなことだ」とあほらしくなるが、いかんいかん、それとこれとは別だと思いなおしている。
その理由は、皇室典範が「皇統に属する男系の男子」である皇族が皇位を継承すること、非嫡出子は皇族としない、皇族は養子をすることができない、皇族以外の者およびその子孫は女子が皇后となる場合・皇族男子と婚姻する場合を除いて皇族となることがない、皇族女子は天皇および皇族以外の者と婚姻したときは皇族の身分を離れると定めているからである。
なお「男系」とは、父方のみをたどることによって天皇と血統がつながることをいい、一方、母方を通じてしか天皇とつながらないことを「女系」いう。
つまり、日本国憲法第1条で天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされているにもかかわらず、日本国民のおおむね半分を占める女性や多様な性を排除している現状を必死に固執している報告になっている。日本国民の半分以下の象徴でしかないことにならないか。
国会の代表質問では、共産党志位委員長のジェンダー平等の提案に対して岸田首相は男女賃金格差の是正などを答弁したが、ほんとうに原則を踏まえてジェンダー平等に取り組むとすれば、女性天皇、女系天皇の議論は避けるべきでない。もちろん憲法にもとづいて女性・女系天皇を認めるべきだろう。
相撲部屋の親方は娘が誕生すれば有能な力士と結婚して部屋が繋げると喜ぶと言われているが、大阪の船場の商家でも、「養子筋」の商家はぼんくら息子よりも有能な番頭に継がせて安泰だと言われてきた。こういうのを智慧というのではないか。
だいたい「万世一系」論は横においても、「男系男子」論の大前提は事実上の「一夫多妻」制であろう。男系男子を伝統だと主張するなら一夫多妻を主張しなければ論理は完結しない。その場合、現代の「仁徳天皇皇后磐之媛」が怒り狂う事態が生じても私は知らない。
読者の皆さんの参考のために、以下にT2さんからのお便りを掲載します。
PCR検査をやたらにするから無症状の感染者まで発見され、その人の濃厚接触者が爆発的に把握され、そのために保健所や医療体制が大変なことになっている。 オミクロン株は重症化リスクが低いからインフルエンザ同等と考え、PCR検査の受付などはやめて、発症して治療が必要な者に絞って医療資源を集中すべきだ。 社会の経済的損失を斟酌すれば入国管理も撤廃すべきだ‥というような声である。
しかし私は次のような点で違和感を感じている。
① 私がPCR検査会場に並んだときの印象だが、暇な老人がやたらに並んで濫用している印象はなく、奈良市、木津川市、精華町から近くて、急行停車駅から直ぐの会場にも拘らず人数はそれほど多くなく、それでも1日3人程度という絶対数が少ない枠のため私は受けられなかったが、結局、この検査によって不必要な者まで感染者数等が増えているという事実認識は正しいだろうか。
② オミクロン株は重症化リスクが低くインフルエンザ並みの第5類に引き下げよということだが、現状は母数である若年層の急拡大という条件下での統計数字ではないだろうか。高齢者の重症化リスクも低下しているだろうか。さらに、すべてがオミクロン株に置き換わったわけでもないし、この次の変異株が起こりえないこともないだろう。それに、統計数字で「低い」「少ない」「小さい」ということで命に係わる対応を論じるのも賛成できない。事実、私の孫も私自身も心臓に障害を持っている。もう第5類だ。罹った者が運が悪いと言わんばかりの論調は怖い。
③ 以上のことから、PCR検査が医療を崩壊させているなどという議論は逆立ちしているように思う。反対に、頻繁にPCR検査を行い、ワクチン接種の上に陰性が確認された濃厚接触者には待機期間を大幅に圧縮して各種の経済活動に復帰していただく方が社会のためにも良いだろう。
④ 蛇足ながら、PCR検査に要する費用は、米軍思いやり予算、政党助成金、官房機密費などなどいくらでも財源はある。
確かに、倒産や解雇はできる限り防ぎたいが、そこがネックならここにも思い切って補償や助成をすればよい。そこを不問に付して「コロナか経済か」と語るのはどこかに嘘がある。
そもそも小さな文字であるが、近くに寄って読んだとしても、そんな一瞬に読めるような文字数ではない。要は「説明は果たした」というアリバイ工作でしかないと私は思う。この国はいつからこんな詐欺まがいの手法が堂々とまかり通る国になったのだろう。
詐欺まがいの手法と言えば、安倍元総理の「ご飯論法」が有名であったが、岸田首相も「聞く力」というキャッチコピーだけで、実際の討論の場では「かわす力」でしかない。
ところで、東京が東京なら京都も京都で、私は京都府のホームページでPCR検査の会場を探し、10時開店の某薬局に9時過ぎから並んだが、なんと1日に3件しか対応できず、抗原検査も6件ぐらいで「終了」というものだった。これが「全国で希望者はPCR検査を受けられるようになった」という実態だ。
京都府の広報も、テレビに一瞬表示される説明書きみたいだと私は思った。誇大広告だ。もちろん受けられずに帰ってきた。「明日は早朝から一番前に並ぶぞ」というほどの気分ではない。(写真は関係ない。Winの更新をしたらネット上の写真をつかえなくなった)
国家(造東大寺司)により進められたこの工事は、予算も比較的少なくかつ短期間で仕上げられている。
故に、勞劇帳とは工人たちの激務(勞劇)手当のための勤怠帳なのだが、奈良時代の国家はなかなかやるなと私は思った。
昨年を考えると、コロナ禍でリモートワークだとか時差出勤だとか言われながらも、医療従事者や公務員や運送その他のエッセンシャルワーカーは感染の危険を抱えて通常以上の出退勤や対人業務を継続した。
賃金の影響力でいうとその存在が非常に大きい国家公務員に対する人事院勧告は、コロナ禍で一時金が減額された企業が多いとして、公務員の一時金削減の勧告を行い、政府は実施時期をずらしながらも基本的にそれを実行することを決めた。
そもそもは公務員と雖も憲法でいう労働者にほかならない以上労働基本権の制約は不当であるが、それを償う制度的担保たる「官民比較」は「平時」でこそ通用する理屈であろう。奈良時代なら一時金の減額ではなく「勞劇手当」の上乗せがあったことだろう。
エッセンシャルワーカーにはその過重労働と危険手当に相当する賃金を補償し、コロナ禍で支払い能力に困難が生じている企業、産業には然るべき手当を補償するのが筋ではないか。
現職の労働者は経験として実感がないかもしれないが、少し似かよった問題としては田中角栄内閣の当時、労働者はインフレ手当の要求を掲げ、ほとんどの産業、企業で、これまで制度として想定されていなかったインフレ手当を勝ち取った歴史がある。
エッセンシャルワーカーには勞劇(危険・激務)手当に相当する賃金を! コロナ禍による解雇及び減収を受けた労働者には国の責任で雇用と賃金の補償を!
そのように前を向かないと、結局消費(購買力)が低迷してしまう。
しかし米軍由来のクラスターもこれあり、明らかに第6波の流行を知りながら外出するのは無知というか無責任かもしれないと考え直し、私はそこはグッと我慢をした。
さて、自粛生活による経済の停滞が種々語られているが、一方、売り上げが伸びたり流行ったものも少なくなく、その一つがソロキャンプ関連商品だと報じられている。
そのため「ソロキャンプ」はもう堂々たる現代用語になったが、二人で行うのはペアキャンプかツインキャンプかそれともデュオ? それとも二人以上は普通にキャンプだろうか。
・・というようなつまらぬことを考えながら、妻と二人で庭でデュオキャンプをした。ペアキャンプと称するのは少し恥ずかしい。ソロに対してデュオでどうだ。ただ、キャンプというがBBQそれもジンギスカンをしただけである。
北見地方など北海道の東部では極寒の冬季にジンギスカン祭があるらしいし、私の持論だがBBQをはじめとする焚き火料理は寒い季節がよい。
道路から丸見えのわが庭だし、煙と匂いに境界はないから通行の人々は少し驚き少し羨ましく覗いて行かれた。老夫婦が冬にBBQ? 既成概念の色眼鏡をはずせば何の不思議もないのだが。三密をさけた遊びは今年の私の課題である。
歳をとるまで自覚がなかったが、私は「末端冷え性」である。早い話が気温が下がるとシモヤケになる。特に耳は、小学校の低学年から丁度映画が流行ったため「ダンボ」とアダナされたこともあり、寒風に弱い。
そこで、妻が髪のセット対策のために被っていたボヘミアンズワッチキャップを被ってみると、これが驚異的な防寒能力であることがわかった。すばらしい。そんなもので今では屋内でも基本的に被っているし、近所への買い物でもこれで出かけている。ボヘミアンズワッチキャップという名前だが、これで解(あ)っているのかどうかも知らないが、NHK BSPの「こころ旅」の「火野正平の帽子」と検索したら出てきた。抗がん剤の副作用対応の医療用でもあるらしい。私は「末端冷え性」の医療用だと考えたが、もちろん保険の適用はない。
赤旗日曜版2022年正月号に『宇宙の謎に地下から迫る』という記事が掲載された。いよいよ「反物質」に来た。銀河の謎の前に「なぜ宇宙は物質でできているのか」が来た。
しかしここまで来るとお手上げだ。ニュートリノを地下深くで捕まえると種々の仮説のようだった理論が証明されていくらしいという理解以上にはなかなか進まない。タブロイド判見開きではカバー困難かも。
私には、神岡鉱山の地下に据えられた「反ニュートリノ検出器」が「カムランド禅」と名付けられているとか、探索の対象が「二重ベータ崩壊」ということぐらいしか頭に入らない。それでも、こんな壮大なテーマの解説記事を正月号に載せるなんて、やっぱり赤旗日曜版はすごい。
河内名所図会 |
誉田八幡宮の主祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)で応神天皇(誉田天皇ーほむだのすめらみこと)である。皇后の仲津姫は誉田真若王(ほんだまわかおう)の娘であるから入り婿であろう。
そういえば現職時代、この地出身の先輩に誉田さんとおっしゃる方がおられて、読み方は「ほんださん」だった。
誉田八幡宮は伝応神天皇陵である誉田御廟山古墳に接しており、明治維新以前は古墳の後円部頂上の六角堂(三昧堂)まで参道が通じていた(河内名所図会)。さらに、他の史料からも少なくとも11世紀には誉田別尊(ほんだわけのみこと)・応神天皇陵、そして八幡神という認識は広まっていたと白石太一郎氏は書かれている。
さて、日本書紀が第14代という仲哀天皇は熊襲征伐のため筑紫の橿日宮にいるとき「神の託宣を信じなかった」ので仲哀9年2月に急死したが、神功皇后は前年の9月に神の託宣で妊娠を告げられ、仲哀9年12月に誉田別を出産した。妊娠期間は1年2か月余り、仲哀死後10か月以上経っている。
そんな誉田別を押し立てて神功と武内宿禰が東征?してきたので、仲哀の子、麛坂王(かごさかおう)と忍熊王(おしくまおう)は当然に抵抗したが、神功側の計略に引っかかり最後は殺された。昨日のブログで私は初詣に奈良市押熊町に行ったことを書いたが、押熊町は忍熊王の地であった。万世一系的にいえば正統な麛坂王と忍熊王はこのように謀反人、反乱者となって殺されたが、押熊のムラの静かな林の中に二人はひっそりと祀られていた。立派な門松さえ立てられていたから、故郷というか地元の人たちはありがたいものであろう。
3日ということもあったのかもしれないが、わが夫婦以外に参拝者はなく、二人のために住職が重文級ともいえる十数体の仏像などを丁寧に説明してくださり、賑やかではないが寂しくもない、非常に充実した初詣であった。
御多分に漏れず、廃仏毀釈によって往時の姿は見る影もないようだが、この姿自体が諸行無常を教えてくれているようでもある。同時に、秘仏歓喜天に二股大根が備えられていて、実生活の豊穣の願いが具現化されているようで、ある意味で宗教が「生きている」感じがした。
村を一歩出ると、嘘のような住宅開発と大規模店の並ぶ幹線道路に取り囲まれており、いわゆる観光寺院でもないこのお寺がどのように存続されるだろうかと、いらぬ心配さえしたが、人新世の資本論の斎藤幸平氏ではないが、初詣というのもほんとうはこれでいいのだ。
昨年の総選挙の途中から、主に立民党に向けて野党共闘「口撃」が激しくなったが、リアルパワーを考えると、小選挙区での市民と野党の共闘の重要性は論を待たない。
私の住んでいる京都6区では野党統一候補は実現しなかったが、全国的レベルでの合意の精神で共産党は候補者を立てず、結果的に立民山井候補は自民、維新を抑えて当選した。妄想でもしない限り野党共闘の結果である。
自公の合計は減ったし、維新は希望とのすみ分け前に戻っただけだし、予想というか希望どおりには立民は伸びなかったが、絶望的な気分は不要だろう。
選挙後の「野党共闘失敗論」は、よく見れば体制維持の側から執拗に繰り返されているわけで、素直に判断すれば、それほど政権与党や「ゆ党」にとって脅威だったことになる。
そして、振り返れば、誰が「口撃」に動揺し、誰が約束(市民との協定)に誠実であったかということを示したが、そのことは腹にしまっておきたい。
ただ、情勢にふさわしい結果を残せなかったことも事実で、それらのことに関して東大本田由紀教授は、「平和、暮らし、ジェンダー、気候などの訴えが響かない人々、違うところに関心があったり、そういった訴えがきれいごとに思えるような層というのが、どっかり存在しているのは確かです」「野党は苦しい人たちには非常に優しいような政策を提言とかするけれども、そこまで苦しくはない自分たちに対して一体何をやってくれるんだみたいな声がありました」「野党側の政策は、理想としてはとても本当に素晴らしいのですが、表現の仕方、言葉遣いも含めて『守る』って言葉が多いのが気になりました」等々の見解を述べられている。2022年のお正月に宿題をいただいた気分でいる。
心機一転、怪我や病気に負けていられないので、旧冬、新しい薪ストーブ兼カマドを購入した。
火入れ式(のセレモニー)は孫の夏ちゃんがファイヤースターター(火打石)で見事に着火してくれた。12月25日に書いたとおり、以前のカマドは煙突がなく効率が悪かった。今般のはステンレス製で軽く、煙突もあり、実績も豊富な「時計型薪ストーブ」だから、暖房にも調理にも使用できる。もちろんお餅つきにも。
夏ちゃんには「どうしてガラス窓付きにしなかったのか」と叱られたのが反省点だが、もう買い替える機会は訪れないだろう。
年末にはファミリーだけでもお餅つきをしたいと夢見ている。年末とは、2022年の年末の夢である。年寄りは気が長いというか、いや、気が短いので元日に年末の夢を見ている。