2017年8月31日木曜日

和道おっさんのコメント

   8月29日に書いた『親鸞と日本主義』について和道おっさんから、和道おっさんのブログ『今を仏教で生きる』http://wadou.seesaa.net/article/453072535.html を通じてコメントをいただいた。それ故、要旨を転載させていただいても許して貰えるだろうと勝手に解してここに転載する。
 ブログのタイトルのとおり、和道さんは浄土真宗(西本願寺)のお坊さんである。なので、和道おっさんの「おっさん」は「河内のおっさん」の「おっさん」ではなく、お坊さんの「おっさん」(「お」にアクセント)である。以下、和道おっさんのブログから要旨転載。

 長谷やんの「親鸞と日本主義」を読ませてもらった。中島岳志氏の同名書籍の書評である。
 ただこれほどの内容の書評を読者に理解できるようように更新記事で伝えるには、やはり紙面が不足しているように思った。その点をコメントしようと思ったが、とてもコメントで納まるものではなく、結局、私の記事でコメントに替えることにした。私が補強したい論点は次の二点である。

 「俗諦」による世俗権力への服従は真宗の教え
 一点目は、真宗でいわれる「真俗二諦(シンゾクニタイ)」論の内容とその役割を解説する必要があることである。真俗二諦とは、「真」(真宗教義)も「俗」(政治・道徳)もともに真実であるという意味で、蓮如が説いた「信心正因」・「王法為本」として説明される。
 それは今生では勤皇報国の忠義に励み、あの世では信心によって極楽往生を遂げよう、ということになる。そこで問題になるのは、俗諦(政治・道徳)は、真宗の根本経典である『大無量寿経(大経)』に論拠をもつことを宗祖親鸞も認めていることである。それは俗諦によって世俗的政治権力に絶対服従することは、教団における単なる取り決めではなく、真宗の教理そのものを意味することになる。
 中島氏もこの点を本書の中で「親鸞の思想そのものが、危険な要素を内包しているのではないか」と根本的な疑問をなげかけているのである。なお中島氏は中外日報(2015年11月4日付)のインタビュー記事の中で「親鸞思想が戦前の超国家主義に(真俗二諦論で)協力したという事実がある。これは非常に重い」と厳しく指摘している。

 自力の排除が共通項?牽強付会の論理
 二点目は、親鸞の思想がなぜ近代保守思想や、超国家主義思想と結びついたのか、という問題である。
 中島氏は中外日報(同前)のインタビュー記事の中で、中島氏が影響を受けた西部萬が、右翼の大川周明などの本を読み、並行して歎異抄を読み、人間には完全はないという「自力」への懐疑で、近代保守思想は親鸞に通じると確信した、と述べている。
 また中島氏は、強烈なファシスト団体を始めた三井甲之は、「帝大教授やマルキストたちは、自分たちの理論で世界をよくしようとする『計らい(自分の力を頼りにすること)』の思想である。それ(計らい)をすべて撤去し、絶対他力に任せることが重要だ。計らうな。全てを天皇陛下にお任せせよ」と説いていると、同じインタビュー記事で語っている。

 西部、三井の両氏に共通するのは、自力への懐疑又は排除である。
 よく知られているように、親鸞は自力修行への絶望を経て、阿弥陀如来の絶対他力による救いの道に入っている。自力を徹底して排する親鸞の姿勢に共通性をみて、その思想を取り込んだのであろうが、阿弥陀如来の絶対他力を天皇の大御心に振り替えるなど、私には牽強付会のそしりを免れない論理としか思えないのだが。(引用おわり)

 和道おっさんの深い分析にコメントできるような知識はない。
 また、指摘事項に違和感はなく、「そうそう」と共感するばかりだ。
 ただ各種一向一揆や石山合戦の歴史的事実からは、「真俗二諦」や「諦め」に通じるような教理の原則のようなものは感じられないので、これは特には歎異抄が公になって以後の理論問題なのだろうか。その辺りはよくは解らない。
 なお、この頃の私は理論を追求するのに大いに「ずぼら」になっており、人生観の根本のところでは絶対他力という謙虚な思想を押さえておき、その上で個々の生活の場面では自力というかそれなりの努力をするのは当然だろうと・・むにゃむにゃむにゃと丸めて自分を納得させている。
 だから、この本で親鸞主義に不信が起こったわけでもなく、記事でも書いたが、今後よく似たロジックが展開されたとき、この本から学んだ歴史の重さを思い出し、的確に批判したいものだと考えている。
 和道おっさん、ありがとうございました。

    久々の秋の夜長の人生論

2017年8月30日水曜日

安倍内閣は信用ならぬ

   右翼の論客西尾幹二が週刊誌や月刊誌で「私は単純に安倍首相の人間性に呆れ、失望しただけです」と、首相を右側から痛烈に批判している。

 「拉致のこの悲劇を徹底的に繰り返し利用してきた政治家は安倍晋三氏だった。(中略)主役がいい格好したいばかりに舞台にあがり、巧言令色、美辞麗句を並べ、俺がやってみせると言い、いいとこ取りをして自己宣伝し、拉致に政権維持の役割の一端を担わせ、しかし実際にはやらないし、やる気もない。政治家の虚言不実行がそれまで燃え上がっていた国民感情に水をかけ、やる気をなくさせ、運動をつぶしてしまった一例である」という指摘などは左右の立場を問わず正論だろうし、「保守系のメディアはまったく安倍批判を載せようとしない。干されるのを恐れているのか、評論家たちもおかしいと分かっていながら批判してこなかった」というのも、貴方が言うか!とは思うがそのとおりだろう。

 そういう中で8月29日に北朝鮮がミサイルを発射し、早朝のテレビは私の知る限りBSも含め総ての局でJアラートの内容をただただ繰り返した。

 そもそも、北朝鮮が、通告なしに日本列島の上空を飛び越えるミサイルを発射したことは極めて危険な行為で暴挙である。
 よって北朝鮮はこれ以上の軍事的な挑発をすべきでない。
 そして国際社会にも、経済制裁の厳格な実施・強化と一体に、対話による解決の道を粘り強く冷静に追求することを期待する。
 いやしくも、拉致問題ではないが感情的に扇動し瀬戸際外交をすべきではない。

 ところで安倍内閣とマスコミの態度はどうだった。
 着弾地点が襟裳岬の東1180kmの排他的経済水域でもないはるか公海上であることを正確に伝えていただろうか。ちなみに沖縄でオスプレイが墜落したのは領土も領土、民家から300m地点だった。
 日本上空を通過というが最高高度550kmでそこは領空(大気圏まで)でもなんでもないという事実はどうだ。飛んだのは宇宙ステーションより高い宇宙空間である。
 首相は「発射直後から完全に把握していた」というが、これは「フクシマ汚染水完全コントロール」ではないが西尾幹二流にいえば虚言だろう。事実、Jアラートは極めて大雑把に長野県から北海道までとコースを特定せずに繰り返し流し、官邸ツイッターに至っては25分間も更新がなかった。何が完全に把握していただ。
 
 今回のように宇宙空間など絶対に迎撃不能の迎撃システムに費消した金額は1兆5800億円、Jアラート92億円、先日来のTVCM(6/23~7/6)4億円。
 金正恩以上に笑っている奴らの声が後ろから聞こえてきそうだ。

 ボケとツッコミではないがトランプアメリカも金正恩を脅してみたりおだててみたり、なかなか役者である。
 それに比べて、大本営発表一色のこの政権はどうだ。
 一色に熱狂する社会は危険である。
 「落ち着け!」 今は、庶民が大きな声でそう叫ぶべきときではないだろうか。

 さて、今般のミサイル発射はほんとうに事前通告がなかったようだ。各新聞社も「平成10年8月のテポドン1号以来のことだ」と報じている。
 だが、はてな、7月28日に発射されたミサイルについての首相官邸のホームページを見てみると、はっきりと「何らかの事前の通報もなく」と書かれている。
 もちろん、国民に対して政府から事前に注意情報は一切なかった。
 ただ、翌日にはNHKが「カメラにとらえた」として放映したから、当時から「政府は知っていたのに、NHKには教えて国民には知らさなかったのではないか」との指摘はあった。
 韓国大統領も公式に情報を事前に「知っていた」と述べたし、韓国から直接、もしくはアメリカ経由で日本政府が知らなかったはずがないという指摘もあった。
 なので、このことで、7月28日のミサイルでは、政府は事前に通報を受けていた(情報を得ていた)のに国民には知らさなかったことが明らかになった。そして、官邸は堂々と「なんの通報もなく」と真っ赤な嘘をついていたことがはっきりした。
 これでもこの首相を信用して、軍備を拡大しようという扇動に乗せられていいのだろうか。
 「落ち着け!」が大事な合い言葉のような気がする。

    外灯の下の骸の秋の虫

2017年8月29日火曜日

親鸞と日本主義

 本を読んでいて高校生の時代を思い出した。
 人生について次から次へと疑問が湧いてきて、読んでも読んでも答に近づかない、あの時代の胸苦しさがよみがえってきた。
 佛教大学在学中であった先輩の勧めで『出家とその弟子』を読んだのもその頃だったが、今はそのタイトルと作者しか記憶に出てこない。私はほんとうに読んだのだろうかとすら混乱する。記憶に出てこないということは、息苦しいまでの私の悩みにその本は全く答えてくれなかったということだろう。
 もし私が、その本を通じて倉田百三に惹かれていたとしたら、もしかしたら私は行動右翼になっていたかもしれないということを今般教えてもらって背筋が少しだけ寒くなった。

   中島岳志著『親鸞と日本主義』(新潮選書)は事前広告の段階で私の心をとらえていた。「これは読んでみなければならない」
 だから発売日である8月24日の9時に書店に電話し、入荷を確認して保管してもらった。
 その第二章が『煩悶とファシズム――倉田百三の大乗的日本主義』で、その章を読みながら前述のような重苦しい感慨を抱いた次第である。

 序章では著者が「なぜこのテーマに惹かれたか」を書いているが、著者同様、私も戦前の超国家主義のイデオロギーでは主に日蓮主義が中心で、親鸞は対極というか、最も遠い位置にあったと思っていた。
 ところが歴史の事実を著者が丹念にひも解くと、あくまでも純粋に親鸞の他力本願を追求する中でファシズムに到達した人々や、マルキストの転向を促すロジックの中で親鸞の教えが果たした役割が明らかに大きく浮かび上がってきた。

 親鸞主義を徹底して追求する中で到達した理論問題と、真と俗の統一に悩んだいわゆる戦時教学の問題はいささか性格を異にする面があるが、歴史の結果は東西両本願寺も戦争に協力・加担したという冷厳な事実である。
 なお、両本願寺は戦後は真摯に反省したし、戦争に加担したのはほとんどの宗派の指導者も五十歩百歩ではなかっただろうか。

 そこには大激論があり懊悩があった。もしその場に私がいたら、「日本主義」に仁王立ちで立ち向かっただろうかと思うとそれほどの自信もない。
 私も、他力本願の思想で戦争に向かう現状を日々肯定し、社会正義に立ち上がった人々を自力思想の迷いと批判しなかっただろうか。わからない。

 現代社会はイデオロギーの流行らない時代である。功利とファッションで「風」が起こっている。
 しかし、戦争は親しい者の死や相手の人殺しが不可避である。
 それが現実味を帯びてきた場合、必然的にそれを肯定する高度なイデオロギーが必要になるだろう。
 戦前が戦前のまま復活しないまでも、よく似たロジックが展開されるに相違ない。
 であれば、少なくない生真面目に悩みぬいた戦前の親鸞主義者がどうしてファシズムに協力、否、牽引していったかの分析・反省は大事なことだろう。
 非常に気分は重いが読みごたえのある一冊であった。ゆっくりと読み返したいと思っている。

    朝顔の落花に飛び去るセセリチョウ

2017年8月27日日曜日

関東大震災朝鮮人犠牲者と現代の差別主義

   彼の国ではアメリカファーストを掲げた白人至上主義者つまりは人種差別主義者が殺人を犯し、それを大統領が事実上かばう態度をとって、世論の大きな怒りを買っている。

 この国では、朝日新聞の記事によると、東京都の小池百合子知事が、9月1日に市民団体などが毎年催してきた関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に、今年は都知事名の追悼文を送らない方針を決めた。

   1923年の関東大震災時には「朝鮮人が暴動を起こした」といったデマ(流言蜚語)が広がり、多数の朝鮮人らが虐殺されたが、式典ではその犠牲になった人たちも追悼している。

 式典には例年、石原慎太郎元都知事ら歴代知事も知事名で追悼文を寄せてきた。小池氏も昨年、「多くの在日朝鮮人の方々が、言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見る、誠に痛ましい出来事」などとする追悼文を送っている。

 だが今年は、3月に、都議会で自民党古賀俊昭都議が虐殺の犠牲者数について、主催団体が案内文でも触れている「6千余名」とする説を根拠が希薄などとして問題視し、追悼文送付を見直す必要性を指摘したのに対し、知事は「今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁して見直しを示唆し、その結果今回の中止に至った。

 人数の根拠という枝葉末節にいちゃもんを付けて歴史的事実自身をなきものにしようとするのはヘイト団体(差別と憎悪扇動団体)の常套手段である。
 それに同調して、アメリカファーストならぬ都民ファーストを掲げた知事の今回の行為は見過ごすことができない。都ファの都民の中には「大災害時に再び同じようなことが起こらないか」と怯える在日朝鮮人は含まれていない。それでいいのか。白人至上主義者との相違は何処にあるか。

 関東大震災では、警察、軍隊、自警団によって数千人の朝鮮人が殺害された。他に中国人の犠牲者もいたと言われているが、統計数字などははっきりとは残っていない。
 亀戸警察では労働運動家川合義虎等10名が警察と軍によって殺害されたが、これもしばらくの間は秘密のままだった。

 こういう歴史の抹殺に向けての作業は昨日今日突然起こったものではない。
 2017年4月20日の『砂けぶり二』の記事に書いたとおり、「朝鮮人を殺せ」などと叫んでデモをするヘイト団体や日本会議周辺の右翼の組織的抗議行動と思われる運動によって、内閣府HPにあった関東大震災の記述を含んでいた「災害教訓の継承に関する専門調査会」の報告書が、「内容的に批判の声が多」かったので「削除した」という事件が既にあった。
 自民党古賀俊昭都議の要求はこの潮流の中で出されたものであろう。

 はっきり言おう。
 トランプが「どっちもどっち」と言って事実上人種差別団体を擁護したように、小池都知事は、歴史の修正を謀るヘイト団体の主張を肯定したのである。
 表向きは「都慰霊協会の追悼行事があるから皆慰霊してるではないか」というらしいが、天災事変の被災者と故なく虐殺された人々を「皆」で括るのは論理のすり替えである。

 とまれ、追悼式は墨田区の横網町公園でおこなわれるが、同じ時間に同公園内では、「朝鮮人虐殺」を否定する団体も独自の慰霊祭を予定している。
 その「真実の関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」なる集会を予定しているのは、過去に小池知事の講演会などを開催したこともある「そよ風」などの在特会関連グループである。極右である。
 
 歴史に誠実で差別に厳しくありたいと願う人々に問うが、出発したばかりの都政に「是々非々」というなら、民主主義を願う国民は今こそ大きな声で「非」というべきではないだろうか。
 多くの人々がSNSなどでそのことを発信しているが、コメントもせずに読み流していてよいのか。
 否、いつまで小池都政を「是々非々」などと言うつもりだろう。

 4月20日に書いたことだが、戦前から國學院大学で神道を教えていた折口信夫が関東大震災時の朝鮮人虐殺に対して、関東大震災の翌年大正13年に発表した詩「砂けぶり二」は次のとおり抗議している。長いので一部のみ紹介する。


  夜(ヨル)になったー。
 また 蝋燭と流言の夜(ヨル)だ  ・・と、詠い。
 かはゆい子どもがー
  大道で しばって居たっけ
  あの音ー
     帰順民のむくろのー。  ・・と、詠い。
  (初出では)
  おん身らは、誰を殺したと思ふ
  陛下のみ名においてー。
  おそろしい咒文だ。
  陛下万歳 ばあんざあい  ・・と告発していた。

 折口はこうも言っている。
 ・・・大正12年の地震の時、9月4日の夕方こゝを通って、私は下谷・根津の方へむかった。自警団と称する団体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり囲んだ。その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思ってゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切ってしまふ。あの時代に値(ア)つて以来といふものは、此国の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふやうな事が出来なくなってしまった。・・・

 現代人は、戦前の神道家の足元にも及ばないほど鈍感になっていないか。

    静けさや伊賀路の夏の正月堂
 東大寺二月堂の修二会(お水取り)を始めた実忠和尚が創建した国宝正月堂が伊賀にある。
 ここでは二月堂修二会と同様の法要(修正会)が正月(新暦2月)に行われる。

2017年8月26日土曜日

折口信夫と盆踊り

 全く今日明日の生活とは何の関係もないことながら、本を読んだりテレビを観ていて「そうか、なるほど!」と叫び出したいほど感激することがある。
 8月14日の「迎え火」の記事で私は、折口信夫(おりくちしのぶ)の説によると、お盆の行事は仏教の行事と古い神事(宮廷祭事から村のしきたりまで)が重なったものである、よって迎え火は神事でいう標山(しめやま)、依代(よりしろ)でもあると書いた。

 折口信夫の『盆踊りと祭屋台と』という論文は詳細かつけっこうな分量があるから要旨をまとめることが困難であるが、興味のある部分を大胆に我流でまとめてしまえば、・・先祖の魂でも八百万の神々でも、それらを招き入れるためには、高い柱のような目標を掲げる必要がある。
 それでも不十分かと不安な人々は、その柱の周りを踊って廻るのである。
 出雲の須佐神社の神事や摂津豊能郡多田の祭礼、住吉踊り、田楽能等々にその痕跡は残っている。
 伊勢の阪の下の踊りは、盆の月夜にも、音頭取りが雨傘を拡げて立つという。ちょっと考えてみると不思議なようであるが、すなわち、これ(雨傘)は花笠であり髯籠(ひげこ)であり、同時に田楽能の傘である・・といったところと理解した。

   大和・生駒谷・平群山中の古い盆踊りを義母から聞いたことは2011・7・16「盆踊りに神仏がいた頃」に書いたが、妻が右のイラストに描いたとおり、新盆の家の前庭に行燈付きの竹を立て、行燈は六角形で切紙を貼って、その周りを踊るというのが盆踊りだった。
 というように、切紙付きの行燈を付けた竹は折口の語る依代そのもののようだった。

 「迎え火」の記事の数日後、観るともなくBSの番組を観ていると、新日本風土記アーカイブスのような短い番組をやっていた。
 後で調べたことを含めて紹介すると、タイトル、サブタイトルは「国東半島のお盆」「江戸時代から続く初盆供養【庭入り】」で、場所は大分県豊後高田市小田原で2015年初放送の再放送だった。

   内容は、初盆の家は先祖の霊が宿るといわれる竹の葉を飾る。色とりどりの竹飾りは先祖が迷わず戻るための道しるべ。竹飾りの下、地区の人たちは老いも若きもひとつになって、初盆を迎える全ての家を一軒一軒めぐり朝まで踊り明かす・・というもので、この限りでは特段に驚く番組ではなかった(折口曰く、七夕の行事とお盆の行事も相当混交しているというのも興味があるが、ひとまず置く)。

   ところがどっこい、その画面をぼんやり観ていて私は驚いた。
 「伊勢の阪の下の盆踊りでは・・」と折口信夫が例に挙げたとおり、ナレーションでは一切触れられていなかったが、そこでは音頭取りが傘をさしていたではないか(乞う別掲写真凝視)。おお!
 折口が説くように、精霊を招くには高く掲げる何かが要ると古人は考えた・・そう解しない限り、これを合理的に解することは困難だろう。
 とりあえずは祖霊は竹飾りに帰ってくるが、さらに念には念で傘をさして迎えるのであろう。
 はたして、祖霊が降り下った傘を通して、そのとき音頭取りの音頭は、追善供養のお経に昇華するのではないだろうかと想像する。
 先に読んでいた折口の難解な論文が消化不良のまま頭の中を巡っていたが、このテレビを観て私は叫び出したいほど感激した。
 興味のないお方には「なんのこっちゃ」という話題で申し訳ない。
 江州音頭、河内音頭、炭坑節等々の盆踊り以前の念仏踊りのことである。

    冗談日記
      (堺市にて)堺市を大阪市みたいに繁栄させたい
      (大阪市にて)大阪市はどうにもならんから大阪都にする
                          維新松井代表

    夏休みもうあとがない地蔵盆

2017年8月25日金曜日

社会の木鐸

 『木鐸(ぼくたく)』を広辞苑で引くと、①木製の舌のある鈴。中国で、法令などを人民に示すとき鳴らしたもの。②世人を覚醒させ、教え導く人。とあるが、一般には「社会の木鐸」という使い方が圧倒的でその場合は新聞を指していう。
 新聞が社会、つまりは庶民を教え導くというのはおこがましいことだが、世に一足先に警告を発するものだと解すればジャーナリズムの精神としては大切なことである。
 「とっさの日本語便利帳」等によると、「鐸は法令を宣布する時に振って鳴らした大型の鈴ようのもの」というから、号外の配布、昔の学校、関西の豆腐の行商に使われていたようなものらしい。なお「文事には木の舌のもの(木鐸)、武事には金の舌のもの(金鐸)を用いた」とある。


   8月19日の朝日新聞大阪版に作家・中島京子さんの紙面批評が掲載され、安倍総理・官邸とお友達として有名な元TBSワシントン支局長山口敬之から性犯罪(強姦)の被害を受けたフリージャーナリスト詩織さんの事件を朝日新聞がほとんど無視(スルー)したことに大きな疑問を投げかけた。

 性犯罪の被害者は二次被害を受けやすいが、詩織さんも典型的な二次被害を受けている。
 例えば山口敬之はFBで「(アルコールに混入されたと思われる薬物らしきもので昏睡状態にあったというタクシー運転手やホテル従業員等複数の証言があるにもかかわらず)詩織さんがベッドに入って来た」と一方的に「反論」し、そのFBに安倍昭恵夫人が「いいね!」とコメントした二次被害の大きさは想像を超える。
 こういうことに、朝日新聞が一般論としては性犯罪の残酷さと被害者泣き寝入りの理不尽を訴えてきたのに、この件では異常にスルーした。異常である。

 週刊新潮によれば、所轄署は逮捕状をとっていたが、中村格警視庁刑事部長(その後警察庁長官も臨める総括審議官に大出世)の指示で直前に取りやめになった。中村格は「自分が指示した」と認めている。
 中島京子さんは「捜査のゆがみがあったかなかったかも、うやむやにできる問題とは思えない」と結んでいるが至極妥当である。

 国有地8億円値引き事件では安倍昭恵夫人の関与を隠すため、籠池夫妻を不当に長期拘留している。見せしめというか拷問というか・・、
 谷査恵子秘書はイタリア大使館一等書記官という破格の出世で口を封じた。
 佐川理財局長の国税庁長官への出世もあった。
 この国は後進国の独裁政権並みの腐臭を発している。
 「社会の木鐸」は中島京子さんの警鐘に耳を傾けるべきだろう。

    冗談日記
      首相がどんな悪いことしたかはよう知りまへん。
      テレビであの顔が映ったらチャンネル替えまんねん。
                        こんな人たち

    クーラーかけ冬眠のごと穴籠もる

2017年8月24日木曜日

負け惜しみ

   大層な話ではないが親の介護と孫の看護で夏休みなどという言葉を忘れた生活を送っている。
 別に世を恨むつもりもないし自分を悲劇の主人公にする気もない。
 否、お陰でというか、明日目が覚めたら何をしようかというような老人の悩みも侘しさもない。
 反って日々の日程が明確で負け惜しみではないがある種充実している。やっぱり負け惜しみか。

 そんなもので近頃は病院に行く機会が多いが、今更ながら世に病人、怪我人の多いのには驚かされる。なんと家族も含め辛い日々をすごしている方の多いことかと再認識。
 仏教の説く四苦八苦という言葉を思いだしたりする。
 孫の病気を知った友人から、実は私の家族にもこんなことがという話が聞かされたことも少なくない。
 世の中、誰もが一見幸せそうな顔を維持しながら歯を食いしばっている。
 少なくとも政治で対応できることについては、ほんとうに安心して暮らせる世の中にしたいものだ。

 障害者施設で悲惨な犯行があってからおよそ1年が経過した。テレビは老人施設で不審な死や怪我が連続したことを報じている。
 千葉県で維新から出馬を予定している長谷川豊は「金のない透析患者は死んだらよい」と発言した。
 こういうニュースを見ていると、少しも気分が萎えないと言えば嘘になる。

 大阪の維新のロジックも「貴方の不幸の一方に恵まれた福祉がある」というスピーチである。
 〇〇ファーストというキャッチコピーは、多かれ少なかれ誰もが持っている劣等感や我儘を焚きつけるコピーである。それだけに負のエネルギーは大きくその熱狂は、誠実だとか助け合いとかいう理性的で地味な感情を蹴散らかす。
 一言でいえば、政治や福祉を株式会社の論理で「効率」などと語る者は信用ならない。

 閑話休題、我が畑のオクラ生長した時は野菜売り場は無茶苦茶安い(福岡市)南川光司は8月21日の朝日歌壇の入選作でプッと笑った。

 道の駅に色も形も不揃いなマッカ(真桑瓜)があった。
 冷えたマッカの控え目な甘さは大人の味だ。

    真桑食い負け惜しみいふ残暑かな

2017年8月23日水曜日

秋の気配

   8月上旬には高原の方にいた赤とんぼが山から降りて帰ってきた。
 赤とんぼはどうして十字路が好きなのだろう。
 という疑問を持って昆虫の本を幾つも捲ってみたが、そんなどうでもいいことは何処にも書かれていなかった。
 ご存知の方はご教示ください。

 増えすぎて困るので植木鉢で育てている茗荷の花が咲いてきた。早く摘んで食べなければならない。旬を追うのも大変だ。この頃は庭の花として楽しんでいる。

 どういう訳か今年のわが家の胡瓜は豊作で、まだ一本も枯れずに順に実らせている。これまでは毎年7月中旬に終わっていたのに・・・。
 投入した腐葉土がよかったのか、買ってきた苗がよかったのか、剪定の結果風通しがよかったのか、大量の水撒きがよかったのか???
 今さらながら自然は不思議がいっぱいだ。

 庭仕事をしていると、道をゆく花や野菜が好きな人と会話になるときがある。「胡瓜はいっぱい水をやらなあきまへんが、トマトはほとんど水をやってはあきまへんな」というようなものであるが、そのうちに「夏の水やりは大変や」という話になり、「水はやっているから水道料(上水料)が上がるのは当然やが、同じ比率で下水道料金が上がるのは理不尽で腹が立つ」とご立腹に、「ほんまにそうでんな」と相槌を打つ度量の狭い自分がいて笑う。

   早朝、歩道の掃き掃除をしているとタマムシの死骸が落ちていた。綺麗なので折鶴バッジの入っていたケースに入れると、ちょっとしたものになった。
 早起きはなんとか・・である。

   妻が「バッジにしたら」とけしかけた。
 ネットでピンバッジの留め金や無地の缶バッジなど実現可能な諸材料の検索をすると、とりあえずは頭の中で安価に制作できる目途は立った。
 ただ、帽子につけるにしても上着につけるにしても、洗濯等のため何回も取り換えたり、少し乱雑な取扱いが想定されるから、それらに耐え得るほど頑丈に作る自信がないので実行せずにいる。
 俗信に「タマムシは箪笥に仕舞っておくと衣装が増える」というのでケースごと箪笥に仕舞ったが、よくよく考えると衣装が増えても着ていく機会と場所がない。

    冗談日記
      がん保険のCM解約
       保険のおかげでこんなに元気ってPRに使えませんか。
                         雨降り 宮迫 

    水撒きに向かいて遊ぶ赤とんぼ

2017年8月21日月曜日

ミサイルと主婦の友

左上には「アメリカ人
をぶち殺せ!」とある
   昨日の記事で、北朝鮮の異様な全体主義は72年前の日本の姿そのものであること、そして北朝鮮の悪口を重ねて危機を煽る安倍晋三や日本会議が、実は戦後民主主義を蛇笏の如く毛嫌いし、北朝鮮そっくりな72年前の戦前を称賛して復古を目指している事実(皮肉)を指摘した。

 さて、北朝鮮関連のTVニュースなどを見るといつも例の女性アナウンサーの独特な演説口調が耳につく。
 そして、ああいうニュースしか耳にできず、繰り返し繰り返しああいうニュースを畳み込まれると、面従腹背もあるだろうが、大局的には国民は相当洗脳されるだろうと想像する。

 ただ大切なことは、同じようなことが72年前の日本であり、少なくない日本人が戦争の勝利や神風を信じていたことを思い起こすことである(不破哲三少年も信じ切っていたと独白している)。
 さらに、8月4日の「灘中校長の卓見」の記事のとおり、同種の圧力が、遠い昔のことではなく今現在の日本で深く大規模に進行している事実を知ることである。

 「人の振り見て我が振り直せ」というが、北朝鮮の批判をするときには日本の現実も批判する必要がある。
 誤解のないように付け加えれば、北朝鮮の政治を擁護する気はさらさらない。ただ、金正恩の政治は批判されて当然だが、日本政府やマスコミの一方的な印象操作はかの「女性アナウンサー」の裏返しであるということにも注意すべきだということで、そうでないと、気が付いたときには「こんなはずではなかった」という同種の政治体制になっていないかということである。

 メディアを通じた戦前の洗脳の事例を一つだけ挙げておけば、「主婦の友」昭和19年12月号の記事は次のとおりだった。
 「これが敵だ!」の記事では、・・・血のしたゝる生の肉を喜んで食ふアメリカ人は、野球、拳闘、自動車競走などを殊に好み、死人や大怪我人が出ると、女はキイキイ声を張り上げて喜び、満場大喜びで騒然となる。
 ・・貪婪にも、己がより多くの肉を喰らい、よりよき着物を着、よりよき家に住み、より淫乱に耽けらんがために、・・非人道の限りを尽くして日本の首を絞め続けて・・と書き、
 「敵のほざく戦後日本処分案」の記事では、・・働ける男は(去勢されて)奴隷として全部ニューギニア、ボルネオ等の開拓に使ふのだ。女は黒人の妻にする。子供は去勢してしまふ。かくして日本人の血を絶やしてしまふ・・と恐怖と敵愾心をくり返し叩き込んだ。

 北のミサイルは許せないが、政府や右翼の扇動には乗せられないことが大切だ。

    冗談日記
      金正恩の無知に断固抗議する。
      広島と高知の間には愛媛があるぞ!
                 愛媛県知事
      何よりも酷い侮辱は「無視(スルー)」である。

    道の駅メダカ一瓶600円   

2017年8月20日日曜日

特攻兵器

 北朝鮮の軍事パレードを見て、ISの自爆テロを見て、「信じられない」という声を聞くが、ついこの間、72年前まではこの国・日本があの通りであった。
 ウーマンラッシュアワーの村本が朝生で山本一太から「みんな北朝鮮嫌いですよね」と振られたときに、日本が朝鮮半島を植民地にした歴史を踏まえないで拉致だけ問題にして憎悪を煽るのは都合が良すぎると答えたのには一理がある。

震洋
   ISの自爆テロだが、72年前の日本は特攻という名で国家ぐるみで自爆テロを行っていた。
 人間魚雷「回転」は外側から鍵をかけられたら内側から開錠できない仕組みだった。特攻の目的が実現出来ようが出来まいがその先には死しかなかった。

 先日、堺の平和のための戦争展で紀伊半島の特攻基地の調査レポートが報告されていた。
 大阪湾の入口に当たる由良町には、人間魚雷「回転」の基地、そして、ベニヤ板製モーターボートの船首に爆薬を積んで特攻する「震洋」の基地、海底に潜って棒突き機雷で攻撃する「伏龍」の基地があったそうだ。

 ベニヤ板製「震洋」のレポートを見ていて私は父のことを思い出した。
 私の父は現東大阪市盾津にあった松下飛行機(株)にいて、ここで海軍の木製飛行機「明星」を造っていた。
 もしかしたら、父の作っていた木製飛行機も木製ボート「震洋」同様特攻機だったのだろうか。
 いくつかの本やネットの記事を見ると爆撃機とあるから特攻機ではなかったようで、変なところで一安心した(何が一安心か?)。

 それよりも、テスト飛行のとき、木製の円筒(つまり飛行機)が飛ぶと前面の穴が「尺八の歌口」となって巨大な尺八よろしく ♪ポ~ポ~と高らかに音をたてたので、これでは敵に見つかってしまうと慌てた話などは今読むと少し可笑しい話だった。

 要するに、72年前の日本はそうであったのであり、それらを忘れて、否、知らない顔をして、斬首作戦だ!、ミサイルは撃ち落とせだ!と叫ぶのには「少し待て」と言いたい。
 韓国も中国もロシアも北朝鮮もアメリカも、硬軟併せてしたたかに外交を展開している中、日本政府だけが街のチンピラみたいな言葉でカッコをつけている。
 それもまた、戦前の実責任な戦争突入時の時世とよく似ている。

    エサくれと人に媚び売る金魚かな


 以下は「マルレ」に関する朝日新聞デジタルからの参考記事

 太平洋戦争末期、飛行機だけでなく船による「特攻」が行われた。爆雷を積んだベニヤ板製の簡易なボート。訓練を重ね、死を覚悟していた若者たちは揺らいだ。「お国のため」に捧げる命とは何なのか、と。(岡本玄) 
 ◆全滅は「玉砕」、退却は「転進」…美辞が隠した地獄
 瀬戸内海に浮かぶ江田島(広島県江田島市)。海軍の兵学校があったことで知られるこの島は、かつて陸軍の「水上特攻隊」の秘密基地でもあった。島の最北端にいま、その歴史を伝える石碑が立つ。 
 《祖国の為(ため)とは言え 春秋に富む身を国に殉ぜし多数の若者の運命を想(おも)う時 誠に痛惜の念に堪えず》 
 米軍による本土侵攻に備え、この島で極秘の訓練を重ねた多くの若者たちが、沖縄やフィリピン、台湾へ送り込まれていった。 
 使われたボートの秘匿上の通称は「連絡艇」。頭文字から「マルレ」と呼ばれた。資材不足の中、速度を出すため、薄いベニヤ板と自動車のエンジンでつくり、船尾には250キロの爆雷を積んだ。 
 捨て身で敵艦に夜襲する作戦。元隊員たちがまとめた「マルレの戦史」によると、前線へ赴いた計30戦隊3125人のうち6割近い1793人が亡くなった。 
 「死へのパスポートのようでした」。元隊員の深沢敬次郎さん(91)=群馬県高崎市=は言う。沖縄・慶良間諸島に派遣されたが、上陸に備えた米軍の攻撃により、陸に隠していたボートが焼けた。作戦は実行されず、死を免れた。 
 派遣を控えた1944年8月のこと。上官から「マルレの存在は秘密だ。秘密を守る条件で休暇を与える」と言われ、群馬の実家に帰省した。家族や友人と「最後の別れ」をする機会だが、「隊のことは聞かれてもごまかしていた」。死ぬ覚悟はできていた。 
 だが、6歳の時に病死した母の墓前では、少し違った。正直に「特攻隊員として戦場に行き、国のために立派に戦ってきます」と報告すると、内心は揺らいだ。「同じ墓に葬られるかもしれないと想像すると、離れがたくなった」 
 大義のために死ぬなら悔いはない。笑って「神兵」になる――。そんな覚悟で入隊した横山小一さんも、慶良間諸島に派遣される前に休暇を与えられ、故郷の秋田から広島に両親を呼び寄せた。当時19歳。地元の米で握ってくれたおむすびを食べ、「川」の字になって寝た翌朝、告げた。 
 「上官から『日本の国のために死んでくれ。そうでないと日本は勝てない』と言われた。人は必ず1度は死ぬ。親孝行もせず申し訳ないが、あきらめてくれ」 
 小一さんは45年3月、沖縄で米軍から急襲され、亡くなった。両親とのやりとりは、小一さんの弟が両親から聞いた内容として記録に残していた。 
 《大君の/御盾となりて/捨つるみと/思へば軽き/我が命かな》 
 小一さんはこの歌とともに、恩賜(おんし)金を農業にあてることや、両親の長生きを願う遺言を残していた。 
 天皇の盾となり、捨てる命は重いのか、軽いのか。小一さんの弟は92年、これらを刻んだ石碑を実家の庭に立てた。「どんな時代になろうとも、多くの犠牲を忘れてはならない」との思いからだった。 
 「国を批判できない時代のぎりぎりの表現では」。遺言碑がある実家でいま暮らすのは、小一さんのおいにあたる和仁さん(60)だ。「負けると分かっていながら、上げた拳を下げられない大義とは何なのか。国のために捨てる自分の命とは何か。真剣に考えていたんだと思う」 
 小一さんは、ほかにも歌を書き残していた。 
 《大君に/捧げまつりし/命なれ/無駄に死するな/時代来るまで》 
 「特攻への出撃というよりは、戦争が終わった後の平和な時代を願っていたのではないでしょうか」と和仁さんは語る。  

 〈特攻〉 太平洋戦争末期に日本の陸海軍が編成し、敵に体当たりなどをした「特別攻撃隊」。略して「特攻隊」と呼ばれた。1944年10月、海軍が航空機による「神風(しんぷう)特別攻撃隊」を編成し、フィリピン沖で米艦隊に突入。以後、沖縄戦などに次々と送り出した。海軍のベニヤ板製ボート「震洋」や、人間魚雷「回天」などの特攻も行われた。特攻による戦没者数は諸説あるが、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」の調べによると、6千人を超えるという。

2017年8月19日土曜日

KKKのことなど

   KKK(クー・クラックス・クラン)のメンバーらしき者(犯人はオルトライト所属と報じられている)がKKKの行動に抗議する反対派に車を突入させて若い娘をひき殺したことについて、トランプは「どっちもどっち」的な発言をして事実上KKK派を擁護した。
 私は小学生の時に学習雑誌でKKKを知ったが、まさか現代アメリカ社会に生き残っていたとは思わなかった(正確には再興か)。

 Wikipediaによると、「白人至上主義団体」とされるが、正確には北方人種を至上とし(ノルディック・イデオロギーという)、主に黒人、アジア人、近年においてはヒスパニックなどの他の人種の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。

 プロテスタントのアングロ・サクソン人(WASP)などの北方系の白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持つ神による選ばれし民として、他の人種から優先され隔離されるべきであると主張している。(引用おわり)

 当然のようにその主張は写真の中の横断幕のとおり「アメリカファースト」と親和的になり、ネオナチとも親和的である。
 ちなみに昨今の日本の若い方々にお伝えしておけば、一般に日本人はアジア人であり、排斥されるべき人種である。

 日本会議に所属する安倍晋三という首相を得て、韓国人や中国人を侮辱・排斥しようとするヘイト団体の活動が活発になったように、アメリカでも同じことが起こっている。この種の「〇〇ファースト」や「ヘイトスピーチ」は見過ごすことができない危険性を含んでいる。

 ただ私は、KKKに加わった人々が、そういう主張とどこで琴線が触れたのだろうかと考え込む。
 ある種の没落傾向への不満、それ故の被害者意識と劣等感、それをカバーしたい自尊意識、夜郎自大、排他性、比較的弱い他者への攻撃性、・・・教科書的にいえばそういうことで、つまりは大人になりきれていない幼児性だろう。
 とここまで考えると、私は橋下徹の下で繰り広げられた大阪維新の熱狂との類似性を感じる。
 
 客観的に生活向上の展望のない政治経済の根本には手を付けず、一方で、自信満々に「仮想敵」を排斥する主張を煽って支持層を形成しようとする政治家。
 沈みゆく大国アメリカの分析は堤未果氏の一連の著作にあり、その負の政策が維新や自民党の政策にストレートに移入されていることは知っていたが、こうなると遠くない将来、KKKの日本版が大手を振って闊歩することだろう。

 8月はある意味で戦争を考える月である。
 戦争の実像を再認識するという意味では想像を絶する悲惨な体験談の再確認も大切だが、それに倍する加害責任を語らなければならないのではなかろうか。
 加害責任の反省に「自虐」などという悪罵を投げつける人々がいるが、事実に即して自身が反省することこそ理性であり大人の振舞いであろう。
 多くの人々がそういうことを語れば、KKK的な亡霊を呼び起こすこともないだろう。

    秋の空まだ盛りなり白胡瓜
 

2017年8月17日木曜日

送り火

   14日に『迎え火』という記事を書いた以上16日の『送り火』にも触れたい。
 先の記事で浄土真宗及び真宗(東西両本願寺)の教えは合理的で世間一般に信じられているような迷信を排してる旨書いたが、そのことを述べてみたい。
 と言っても、私ごときはそれらを述べられるほどの知識もないから、手元の瓜生 中氏の本から摘むだけである。

 ■盂蘭盆会
 「仏説盂蘭盆経」はインドではなく中国で作られたお経であり行事である。
 内容は、目連尊者が、母親が餓鬼道に堕ち苦しんでいるのを助けたいと釈迦に聞いたところ、安吾あけの修行僧に御馳走を振る舞うと先祖が救われる=追善供養すべしと教わったというものである。
 しかし親鸞は、それに対して、阿弥陀如来の本願を信ずるものは全て往生が約束され餓鬼道に堕ちるものはないのであるから、追善回向など全く不要と説く。

 ■霊魂
 釈迦は霊魂の存在について考えてはならない。確かめようのないものに惑わされ怯えるのは実に愚の骨頂だと言っている。そんなことを考える暇があったら、自分が如何に正しい生活や行いをすべきかをしっかり考え実行しなさいと言っている。
 親鸞も、そういう釈迦の教えに基づいて、「日の吉凶を重視し、神々を崇(あが)めて、占いによって事を決する」という世間の遅れた状況を嘆いている。

 ■法会
 以上のとおり、追善も占いも祈祷もしない両本願寺では、法会などの宗教行事は、阿弥陀如来の恩に報い功徳に感謝する『報恩謝徳』のためのものであり、念仏に親しんで先祖の恩に報いる場と説いている。

   以上、あまりに簡単すぎるが、親鸞の教えはこういうものであり「迷信を排した合理的な思考だ」と私が書いた所以である。
 だとすると、追善回向しなければならないような霊、ましてや『迎え火』がなければ道に迷って帰って来れないような惨めな霊などないのであるから、迎え火も送り火もナンセンスなのである。

 といいながら、私が14日や今日のこんな記事を書いている(そういう行事をしている)というのは、解ってはいるが何か形式を踏まないことには日常に流されてしまう凡夫としては、アスリートの「ルーティンワーク」のように、迎え火・送り火のような「陳腐な」作業(動作)を通じて仏の教えを思い出し、そして接近したいと考えるからである。
 もしそれが全てナンセンスというのなら、仏教行事において、およそ凡夫に通じぬ古典の中国語のお経を読むなども問題外になってしまうと私は感じている。
 こうして私は、親鸞の研ぎ澄まされた哲学を称賛しながら、土俗の民俗行事を種々なぞって喜んでいるのである。
 と、偉そうな事を書いたが、実際には夫婦して「お祖母ちゃん!凜ちゃんを見守ってや!」と送り火に向かって呟いている凡夫中の凡夫である。

    辛かったと言わずに逝った敗戦忌

2017年8月16日水曜日

黄金の滴 流星群

ネットから
   ギリシャ神話については無知なので手元の本から引用させていただく。
 カオスの世界に最初に登場するのが全能の神ガイア、次にエロスが生まれ、ガイアはウラノスと交わりクロノスなど様々な神が生まれた。

 さて、アルゴスの街に住むアクリシアス王にはダナエというひとり娘がいたが、息子の誕生を願う王がデルポイの神に伺いを立てると「ダナエが男子を生むであろうがその子はやがてお前を殺すことになろう」と告げられた。
 神託を恐れた王はどんな男も近づけないようダナエを青銅を張り巡らせた地下室に幽閉する。
 しかし、その嘆きの声に恋をしたゼウスは黄金の雨の滴に身を変えて隙間から侵入し、ダナエは男子ペルセウスを身籠る。
 将来を恐れた王はダナエとその子ペルセウスを木箱に閉じ込めて海に流したが、セリポスの漁師に救われペルセウスは立派な若者へと成長する。以下省略。

 そのペルセウスは今(8月13日朝4時前)私の頭の上にいて、剣を振りかざして怪物メドゥサの首を持っている(14日15日と日付を優先したい記事があったので本記事のアップが遅れて今日になった)。
 そして、黄金の雨とはこのことかと連想させるように流れ星が飛ぶ。
 ペルセウス流星群というもので、毎年この時期にピークを迎える。
 それは過去に彗星がまき散らした砂ぼこりのようなものらしいが、素直に私を感動させる。砂ぼこりではない、黄金の滴(しずく)に違いない。
 あっ、飛んだ! あっ、飛んだ! とワクワクしているうちに願いごとをすることさえ忘れる。
 「暦の上では秋」とはよく言ったもので、朝4時の東の空にはもう冬を代表する星座オリオンがしっかりと控えている。
 時の経つのは早いものである。

    流星の一瞬を待つ痛い首

2017年8月15日火曜日

敗戦記念日

 先日NHKが『昭和の選択「ポツダム宣言受諾 外相東郷茂徳・和平への苦闘」』という番組を放送したが、その中で東郷が(日本への)ソ連の参戦を望んで画策していたことを知った。これは目から鱗だった。
 自民党などの常套句に「日ソ中立条約を信じていた日本に対してソ連は一方的にそれを破った」というのがあったからである。東郷の証拠はそうではなかったことを物語っている。
 結局、東郷の思惑は外れ、後に彼は「迂闊(であった)」と手帳に記していた。

 言い古されてきたことだが、昭和20年4月にナチスドイツが崩壊し、日本の指導部も1月頃からは敗戦必至と考えていたが、有名な「一撃してから講和」という方針をとったため、沖縄の悲劇、広島の悲劇、長崎の悲劇を招いてしまった。
 この一点だけでも日本指導者の国民に対する戦争責任は大きいし、アメリカとの講和を有利にするためにと実は日本へのソ連の参戦さえ画策していた罪は重い。

 昨今、トランプと金正恩の瀬戸際外交のため、国を守るために軍事力が必要との宣伝が政府から展開されている。
 しかし歴史はどうだったのか。軍は国民を守ったか。冷静に歴史を振り返ってみよう。

 沖縄では、軍が沖縄県民に徹底抗戦、はては自決まで強要し、沖縄県民の実に4人に1人が亡くなった。
 満州では、民間人を放置したまま軍部関係者だけが撤退し、従軍看護婦の橋本ナツミさんの証言によると、足手まといになるからと居留民の乗った貨車を日本軍が爆破した。
 沖縄でも満州でも「敵に見つかるから赤子を泣かすな」と母親に赤子を殺させた。

 軍自身で言っても、「日本軍の戦没者230万人のうち半数以上が餓死だった」とは陸軍軍人としてあの戦争を体験した歴史学者藤原彰氏の『飢死した英霊たち』にある記録である。つまり過半数の軍人も「敵に殺された」のではなく日本軍に殺されたのである。
 これが「国を守る軍隊」の実像だった。

   しかし、やはり8月15日に日本人が最も振り返らなければならないのは、主にアジア諸国に対する加害責任であろう。
 「南京大虐殺はなかった」と安倍晋三や百田尚樹は言いふらしているが、旧陸軍将校と元自衛隊幹部の親睦団体「偕行社」の機関誌『偕行』が1984~85に「虚妄の批難に対し具体的に反証・・」するために投稿を呼びかけたところ、実は大虐殺を認める証言が多く、ついに執筆責任者の加登川幸太郎氏は「(死者数の)膨大な数字を前にして暗然たらざるを得ない・・・この大量の不法処理には弁解の言葉はない」「中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった」と述べている。

 13日に放映されたNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」では生きた民間人をマルタと呼んで生体実験を行い、国際法違反の細菌兵器を中国・満州で使用したという証言テープが次々と流された。

 民間人の虐殺、強姦、食料強奪、家屋放火、果ては乳児を銃剣で突き刺して掲げたり、妊婦の腹を裂いて胎児を殺したり、どうして温厚な日本の農民(庶民)がこのような残虐行為ができたのかというのが日本軍と戦争の姿だった。
 よって、インドのネルーは著書で「日本は恥知らず」と怒り、シンガポールのリー・クアンユーは回顧録で「英国よりも残忍で常軌を逸し・・・同じアジア人として我々は日本人に幻滅した」と記録した。

 安倍晋三や日本会議の面々は、侵略や虐殺や強制連行の証拠がないなどというが、8億円国有地値引き問題や加計学園問題で彼等の証拠隠滅体質は白日の下に明らかになっている。彼等の言う「証拠がない」とはあんなことである。
 私の父は民間会社ではあるが軍需産業に勤めていて、敗戦時には軍関係のありとあらゆる証拠を焼却した。そういう焼却=証拠隠滅は海外の前線を含め全国で行われた(7月11日付け朝日新聞「天声人語」)。

 それでも個人が残した従軍日誌などに悲惨な加害行為が残されたのだ。現代日本人は、こういう真実を読み返す必要があるだろう。

 今日は8月15日、「自虐」などという汚い悪罵に惑わされず、日本という国の加害責任を冷静に振り返る日にしたい。
 そうでないと、再び「邦人のため」「邦人企業のため」に戦争をしでかす馬鹿が出る。

 蛇足ながら、冒頭のNHK『昭和の選択・・』の番組では、最終的に昭和天皇がポツダム宣言受諾を決した理由は、広島・長崎の原爆をみて本土決戦では日本国そのものがなくなると判断したからであるとのナレーションがあったが、これは事実に反する。

 昭和天皇独白録によると、例えば7月25日、「もし本土決戦となれば・・・皇祖皇宗よりお預りしている三種の神器も奪われることも予想される。それでは皇室も国体も護持しえないことになる。もはや難を忍んで和を講ずるよりほかはないのではないか」と述べ、8月9日深夜の最高戦争指導者会議、いわゆるご聖断のあった会議の折りの独白では、「敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った」と語っている事実を指摘しておきたい。

    8月は時代劇でなし敗戦忌

2017年8月14日月曜日

迎え火

 暇な時には折口信夫(おりくち しのぶ)の民俗学の本を気楽に読むのがいい。河童の話、鬼の話、盆踊りの話、信太妻の話などなど、今日明日の生活には全く関係なさそうな話は気楽で楽しい。

迎え火
   折口は言う、仏教など外来の文化が定着する(した)ときとは、元々日本列島にあった考えやしきたりと上手く融合したときだと。
 例えば古く信じられていたところでは、神や魂は、通常は山の奥や海の彼方にいるが、季節の区切りなど人々が必要な時にはそれを呼び、また、用が済んだらできるだけ早々に帰ってもらおうと古人は考えたという。
 仏教のお盆の行事が定着したのは、そういう古い考えと上手く重なったからという理由もあると。
 そして、神や魂に正しく来てもらうには、依代(よりしろ)、標山(しめやま)が必要で、迎え火はそういう標山の一種だというのが折口説である。

 同時に、往々にして、来てもらいたい神や魂と一緒に悪い神、悪い魂が紛れ込んでくることが多いから、それらを阻止する「行事」もいろいろ必要だと考え、お盆の行事が完成していったという。

和菓子のうちわ
   小さい頃、祖母は「お盆に昆虫採集をしたらあかん」とよく言った。
 それは、仏教の不殺生戒の戒めであるとともに、先祖の霊が昆虫(特にトンボ)の姿で帰ってくるので、捕まえたトンボは実はお祖父ちゃんかも知れんという話だった。
 私の育ってきた浄土真宗の環境では、迷信を排した合理的な思考であったからそんなことは微塵も信じなかったが、そういう素朴な信心も私は嫌いではない。
 今年は白蒸しを食べ、仏前には例によって私の好きな団扇の和菓子を供えた。実母も好きだった。

 それに、・・・来ては貰ったが、神や魂は少々迷惑なものだから、接待をして早々に機嫌よく帰ってもらうという折口説はなんと人間臭い解釈だろう。
 なので写真のとおり迎え火を焚いたが、16日には送り火に乗って早々にお帰り頂こうと私も考えている。

 なお、この折口の説は再度文献を当らずに私の記憶で適当に書いているので、「折口信夫はこう説いている」と孫引きしないでもらいたい。
 寝苦しい夜に思いついた駄論である。

    盆の内翅(はね)伸ばすかな秋津洲(あきつしま)

2017年8月13日日曜日

下世話な話

本文と関係ない。オクラの花
   下世話な話で申し訳ない。
 今井絵理子という自民党の参議院議員がいる。
 妻子ある自民党の神戸市議とホテルに泊まったりしたが一線は越えていないと言った。
 選挙への立候補時の半同棲相手は、風営法・児童福祉法違反容疑の逮捕歴があった。
 FBには、そういう過去に盗み撮りされたものかどうか知らないが、猥褻なプライベート写真と思われるものが出ている。下世話な話で申し訳ない。
 私は盗撮などプライバシーの侵害は絶対に許せないと思う。そこははっきりしておきたい。その限りでは彼女は被害者であろう。

 それにしても、今井議員については、はたして参議院議員としてふさわしい人なのだろうかと大きな疑問を感じる。
 立候補時には新聞社の政策アンケートに全項目無回答という信じられない対応だった。
 当選時には池上彰氏のインタビューに、沖縄の出身ということだが「沖縄の現状は知らない」「これから考える」と回答した。
 障害ある子供を育てるシングルマザーらしいが、週刊誌では選挙時には美談として取り上げられていたが今は実は育児放棄と書かれている。

 ところがこの人が国政選挙で当選しているのである。
 先日、何人かで食事をしたときに「安倍内閣改造でどうして支持率が上がったんだろう」という話になった。
 冷静に考えると、新大臣も全て共謀罪に賛成した者ばかりである。
 今井議員も内閣支持率も何かよく似た気配がする。
 つまり、残念ながら世論という奴は、ワイドショーと週刊誌に大いに影響されているようだ。
 そして少なくない民主運動のリーダーたちは、そういうワイドショーや週刊誌を軽蔑?して、真面目な人に向かって真面目に語っている。
 答えはないが、この行き違いがモラルハザードの政治を支えている。
 「愛の反対は無関心である」という言葉はなかなか届いていない。

 答えは一つではないだろう。一人一人が得意な分野で(できる分野で)得意なこと(できること)をすれば良いと思う。
 ただ、上述したような社会状況をリアルに直視し、それを改革する創造的な努力が大切だと思う。
 端から新しいことに挑戦するのを鬱陶しいがってはならないように思う。

    黒豆やただひっそりと実りおり

2017年8月12日土曜日

秋立ちぬ

 お盆前に立秋というと昼は「うっそー」という感じだが、夜には秋の虫(カワラスズ?)の声がして、確かに秋が立ったと感じられる。

   7月に大手術をしてICUから一般病棟に出た孫の凜ちゃんは、一旦は表札の色が青色になったのだが、また赤色に戻ってしまい、少し長期戦になるかも知れない。

 建替え移転計画のある大学病院は、新設当時に友人の見舞いに行ってその立派さに驚いたものだが、現在の目で見ると明らかに老朽化しているし、配慮の届いていないところも多々見受けられる。
 特に小児科の入院には多くの場合母親が付き添うのだが、付き添う母親への環境整備は大いに遅れていて親が倒れないかと心配する。

   先日あるイベントで「缶バッジを作ろう」というのがあったので、ニコニコマークの缶バッジを作った。
 ピンが危ないので持って帰ったが、凜ちゃんは表面を指でなでたりして喜んでくれた。
 早く皆でこのように笑いたいが、焦りは禁物、ドクターに頼る以外にない。

    秋茄子や千に一つの仇もなし

2017年8月11日金曜日

ヒヨドリの母性愛

 台風の前のことだが、1階にいると、ヒヨドリがやたらに窓の上の方でバタついているのが観察された。
 オーニングテントの戸袋に雀が巣をつくったことがあるから、巣作りの下見だろうかとあまり気にせずにいた。
 後で考えると、巣立ちのときに親鳥が雛を叱咤する独特の鳴き声であったが、ヒヨドリの巣立ちがわが庭で予行演習されるのもよくあることなので、無視をしていた。

   そうすると台風の翌日、2階のベランダの片隅に雛がいた。
 そうだったのか。それにしても、台風の強風に飛ばされてきたのだろうか。いや、そういえば台風の2~3日まえから先に書いたようなことがあった。
 そうして思い起こせば、私がベランダで水撒きをしていたときに、親鳥が私に向かうように異常に飛んできたこともあった。
 後で妻が、置いてあるベンチの下にたくさんの糞を見つけた。

 ということは、雛が巣立ちの途中で失敗をしてベランダに落ち、ベランダの塀を越えることができなかったらしい。
 そして親鳥は、ベランダの塀を乗り越えよと叱咤しつつ、餌を運んでいたようだ。
   こうして、私が塀の上に雛を乗せると、どこからともなく親鳥が飛んできて、雛は半分落ちるように、親子で庭の木に飛んでいった。

 その後も、盛んにヒヨドリの声がする。
 子育て中独特の騒がしい声である。
 無事に育っているようだ。

    大嵐雛呼ぶ声は鬼子母神

2017年8月10日木曜日

食わず嫌いだった

   実につまらん些末な話だが食わず嫌いだったかもしれない。
 くるぶし丈の短いソックスの話である。
 この記事を書くために確認するとショートソックスというらしい。
 息子などは相当以前から使用していたが、それを見ていて、感覚的にけったいなソックスだと感じ、履こうとなんか思いもよらなかった。
 が、夏のソックスを買いに出かけたところ、見た目涼しそうなそのソックスが目についた。

 そこで、「人には添うてみよ」という言葉もある、人(息子)が使用しているにはそれなりの利点もあるのだろうと考えて一度試してみようと購入した。
 気にいらなければ息子にやればいい。

 ところが、これが非常に気に入った。
 第一に涼しい。第二にずれたりしない。年寄りの食わず嫌いであった。
 一寸見には石田純一の真似かと誤解されるのは不本意だが、私はけっこう合理主義者である。少々だがチャレンジャーでもある。
 3足何円かの安物だが、既存の夏用ソックスを追いやって専らこのソックスを履いている。

 実母がいた頃、私が新しい情報などを説くと「老いては子に従えやな」とよく言われたものだが、このショートソックスを履く度に、私は頭の中で「老いては子に従えや」と繰り返している。

    秋立ちぬ台風一過の蝉時雨

2017年8月9日水曜日

ナガサキの先輩

大村海軍病院10日~11日
   親しくお付き合いさせていただいた先輩にナガサキのヒバクシャのFさんがいる。
 歴史のいたずらというような言葉があるがそれはFさんのことかも知れない。Fさんはナガサキの爆心地の近くに住んでいた。
 それが生き残った理由のひとつは8月9日の2日前に疎開していたからである。

 しかし、疎開していたからと言ってナガサキを離れていたわけでなく、当日は爆心地に一番近い旧制中学校である県立瓊浦(けいほ)中学校にいた。
 空襲警報で防空壕に逃げた後、警報解除で浦上駅にたまたま来た列車に乗り、少し離れた長与駅の列車の中にいた時に原爆は爆発した。

 もし2日前に疎開していなかったら、警報解除で下校していなかったなら、浦上駅に列車が来ていなかったら、長与駅で列車の外に出ていたら、Fさんは亡くなられていた可能性が高い。

 長与駅で爆心地方向から押し寄せるヒバクシャの姿は見ていられなかったという。
 さらに翌日には、実家の様子を見に市内に入ったのだが、そこで見た惨状は言葉にならないという。
 そういう話をされているF先輩は、証人がいないということで今も被爆者手帳をもらえていない。
 決して「戦後」は終わっていないのだ。

 核兵器のことや天皇と政府と軍部のこと、アメリカの戦争法違反のことなど書きたいことはいろいろあるが、近頃の南スーダン日報問題や北朝鮮のミサイル問題に触れて以下に一言だけ書いてみる。
 日本政府は昨今、ミサイルが発射されたなら◆できる限り頑丈な建物や地下に避難する。◆物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守る。◆窓から離れるか、窓のない部屋に移動する。・・・ようにとテレビ等で繰り返している。

 さて当時、ヒロシマ被爆の翌日、朝日新聞は中部軍管司令部赤塚中佐の談話を掲載し「従来の戦訓を徹底励行し、地下に潜ることに徹すれば何時怖がるべきものではない」と報じた。
 9日のナガサキでは、大本営は投下の事実さえ発表せず、西部軍管司令部は「新型爆弾らしきもの」「被害は比較的僅少なる見込み」と発表。朝日新聞は3日後、わずか7行の付属記事だった。

 多くの識者が今の政治状況を「戦前」と捉えて警鐘を鳴らしているが、昭和前史を学ぶことがほんとうに大切になっているということをFさんの思い出を書きながら再確認した次第。
 4日に転載した「灘中校長の所信」も非常に参考になる。

    顔熔けしマリア悲しき炎暑かな

2017年8月8日火曜日

愛の反対は無関心

エリ・ヴィーゼル
   「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉がある。
 一般にはマザー・テレサの言葉とされているが、千葉県立中央図書館提供のレファレンス事例詳細では、ノーベル平和賞受賞のアメリカのユダヤ人作家エリ・ヴィーゼルの言葉らしい。
 ただ、マザーテレサの発言記録の中には同趣旨の言葉もあるようだ。
 そして私は、最初に誰が発した言葉であるかどうかの詮索よりも、その指摘している内容が素晴らしいと感じ入っている。

 8月4日に灘中学校・高等学校和田校長の所信を転載したが、「学び舎・中学歴史教科書」を採用したことに対する日本会議周辺の自民党の衆議院議員、同県会議員、産経新聞、will、日本文化チャンネル桜、明るい日本を実現するプロジェクト、日本みつばち隊等の圧力が淡々と報告されている。
 そして、歴史家保坂正康氏の『昭和史のかたち』(岩波新書)第二章「昭和史と正方形ー日本型ファシズ ムの原型ー」の記述と重ねてその差し迫った社会の危うさを指摘されている。

 社会の危うさは官邸や国会だけでなく、このようにあらゆる場面で「草の根」的に広がっている。
 保阪氏の指摘ではないが、それはファシズムに向かう相当進んだ段階と言われている。
 だとすると、「愛の反対は憎しみではなく無関心です」の言葉の持つ意味は大きい。
 ファシズムは、悪い奴らが強引に完成させるのではなく、多くの「無関心」がサポートして仕上がるのだろう。

 偉そうなことは言えない。「無関心」でやり過ごしたいときがないわけではない。
 そう思い、私はSNSを読み、良い情報、良い意見と思われるものには出来るだけシェアしたりコメントしたりするように努めている。
 せめて、「私は無関心で見逃さない」という最低限の意思表示をしようと思う。
 些末なことではあるが、ショートメールなどで情報をいただいた場合は必ず返信しようと思う。けっこう大切なことだと思っている。

    夏の果て迷走嵐の遅さかな

2017年8月7日月曜日

吉丁虫

   新潮日本語漢字辞典を開くと、吉丁虫と書いてタマムシと読む。
 英語では Jewel Beetle 。何れも美しく目出度い名前である。
 わが家の窓の外のケヤキに毎日のようにやってくる。5~6匹が乱舞する様はこの世のものとも思えない妖しさで、『魂虫』ではないかと想像の翼が広がる。
 「あれは魂虫だ」、そういう風に論じている方は何処かに居ないかとネットを検索すると、2015・8・7 yamashirodarori に「魂虫」が出てきた。あはははは。

 そのネットで得た別の情報では、藤枝市に「玉虫研究所」というのを造った方がいて、人工繁殖にも成功していて静岡県では有名だという。芦澤七郎氏らしい。
 そして、そこで知った情報では・・・、
 奈良の法隆寺に1300年以上前の飛鳥時代に作られた国宝「玉虫厨子(たまむしのずし)」があり、4800匹の玉虫の羽が使われているが、韓国の1500年前の古墳からも、ヤマトタマムシの羽を使った立派な馬具(鞍)が出土している。
 玉虫厨子と韓国の馬具の共通点は、日本の玉虫の羽根を使い、金メッキの透かし銅板で羽根を抑え、透かしの間からタマムシの羽根が見えるような造りになっていること。
 韓国では古墳から出たこの玉虫馬具の複製が平成18年に完成し国立博物館に展示。複製過程が全国でテレビ放映され、国内での反響が大きかったという。
 韓国は日本より気温が低い関係かヤマトタマムシがほとんど生息せず、1500年前は寒冷期で今よりさらに気温が低かったので、日本産のヤマトタマムシが韓国で使われたものと考えられている。

 さらに、静岡新聞に玉虫研究所の記事が掲載されたことから、韓国・ウルサン市のテレビ局、ウルサン文化放送から電話があり、玉虫装飾馬具を複製するにあたり、玉虫の羽根が必要だが、韓国には玉虫が殆どおらず、日本でいたるところ探していたが、400匹しか集まらなかった。目標は3000匹なので協力して欲しいとの依頼で、3000匹は無理だがと、之まで貯めていた羽根を無償で提供したらしい。
 馬具は日本の玉虫厨子と同じ技法で作られている。しかも玉虫厨子より製作が早い。新羅・百済の時代、盛んな交易を背景に半島から日本に渡った人々が玉虫を持ち帰ってみごとな工芸品を作り、後に技術を日本に伝えたのであろうか? 
 提供した玉虫の羽根を使った馬具は韓国の人間国宝(崔光雄さん)の手で複製され、国立慶州博物館で2006年4月に披露され、招待された芦澤七郎氏は、博物館長や崔氏らと除幕式の幕を引く栄誉に預かり「玉虫博士」と紹介された。(要旨引用おわり)

   以上は私の知らなかった情報で、しかも素晴らしい国際親善の話だ。
 タマムシはやはり魂虫である。

 孫の夏ちゃんがやってきたので「早く2階においで」「タマムシが素晴らしいやろ」と見せてあげたが、「幼稚園の帰りにも見た」とそっけなかった。ああ。
 その翌日、タマムシを捕ったので持っていってあげた。
 やはり、その美しさに感激してくれた。
 「死んだらタンスに入れておくと服が増えるよ」と教えてあげた。

    玉虫の乱舞妖しき油照り

2017年8月6日日曜日

ヒロシマであった地獄

   ヒロシマに原爆が投下されてから72年が経った。その3日後にはナガサキに投下された。実際の戦争で原爆により人が殺されヒバクシャが生み出されたのは人類史上この2回だけだが、その生き証人たるヒバクシャは自然の摂理のために減少している。

 「踏まれた者の痛みは踏まれた者しか判らない」という人もいるが、それはあまりに人の理性を信じない立場ではないか。
 戦後生まれの私たちはヒバクシャにはなることができないが、ヒバクシャの訴えを理解し共感し伴に並走することはできる。少なくとも私が知ったヒバクシャの話を語り伝えることはできる。「自惚れるな!」とのお叱りもあるだろうがそう信じたい。きっとヒバクシャの苦労の何万分の一も解っていないだろうが。

   私の労働組合活動の大先輩にヒロシマ(と中国地協)のヒバクシャのYさんがいた。
 仕事の上でも広島の幹部であったし「Yさん天皇」と言われるぐらい恰幅のある堂々たる人だった。
 組合活動の中ではそれまで原爆の話はあまりされては来なかったが、日本からニューヨークの国連その他に核兵器禁止を訴えに行く大きな運動があったとき、わが組合から代表で送ることになった。そしてアメリカのテレビに出演するなど活躍をして帰ってこられた。

 そのときのことである。
 労働組合の大きな会議でYさんが訪米活動の報告をし、その夜、私はYさんと同じ部屋で寝た。すると・・・、
 夜中に「ウォー!!」という、文字では言い表せない悲鳴が聞こえた。Yさんが心臓発作でも起こしたかとびっくりしたがそうでもなく、ただその悲鳴は何回も続いた。
 怖ろしい悲鳴であった。怖ろしい地獄のような一夜であった。

 翌朝Yさんが「長谷やん、わし夕べ大声を出さんかったか?」「心配させたのと違うか」と言ってきた。
 「昼に原爆に触れた話をすると必ず夜中にうなされるんじゃ」「うなされるのが怖いから昼でも原爆の話はしとうないんじゃ」とも。
 後に私は業務としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)やフラッシュバックについての事案を何件も担当する機会があったが、その度にこの夜のことが思い出され、その辛さを想像することができた。これは余談。

 Yさんが労働組合の幹部であるにもかかわらず平和運動にも取り組むわが組合活動の中で、なかなか嫌がって原爆の話をしてこなかったのはこういうことだったのか。
 「ヒバクシャの苦しみは他所のもんには判るか」というので黙っていたのではなかったのだ。そういう気持ちが少しはあったかもしれないが・・。
 その時初めて、知識としてのヒロシマとヒバクシャの苦しみを私は心に刻むことができたような気がする。
 そして、この話を語り続けるのが戦後生まれの私の役割だと思うことにした。

 なので、どこかでその話は聞いたぞと言う方がおられても、何回も語り続けようと思う。
 高邁な話を1回語ると世の中が変わるならこんなに簡単なことはない。何回でも何十回でも機会があれば思い出して自分の言葉で語ることが大切だろうと自分に言い聞かせている。

 なお、国連が採択した核兵器禁止条約の記事(2017.7.22)は下記のとおり。併せてお読みいただければ幸いだ。日本政府は核兵器禁止条約を批准せよ! 
 http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2017/07/blog-post_22.html

    折鶴のバッジに朝陽やヒロシマ忌

2017年8月5日土曜日

大和なまくら精進日記

 先日酒席で『「やまと尼寺精進日記」(Eテレ)で奈良漬を手作りしているのを見て、奈良漬って手間暇をかけているものだと感心した』という話をしたら、「わしも見た」「見た」という話になって、結構な人気番組なんだと見直した。
 朝日新聞で島﨑今日子さんは「現代では望んでも手に入らないスローライフだ」「秋には宿坊に泊まりたい」と絶賛されている。

 で、本題は「わが家の菜園自慢」である。
 大和文化圏のわが菜園でも、部分的にはよく似た「なまくら精進日記」で暮らしている。

   その1、わが菜園には『ツルムラサキ』が自生している。去年の種が勝手に落ちて芽吹いたものである。
 どういう訳かわが家の土と相性が良いようで嫌というほど芽が出てきた。
 これをそのまま栽培すると商売しなければならないほど生い茂るし、何よりも限られた一坪菜園を占領してしまう。
 そこで今年とった対策はトマトの足下に植替えて、その名のとおりの「蔓(つる)」を出さないうちに若葉を摘んでは食べ摘んでは食べるという方法だ。これが当った。
 トマトの生育には害を与えないし、いつも若葉なので美味しくいただけた。
 自生した「ツルを伸ばさせないツルムラサキ」の栽培法って、ちょっとしたコペルニクス的発想の転換ではないかと自画自賛している。

   その2、前記同様、去年の「ササゲマメ」が芽を出した。
 こちらは豆を収穫する以上伸ばさない訳にはいかないので、多くの芽の中から3本だけ伸ばしてあとは引っこ抜いた。
 結果、この程度の方が風通しもいいからだろうか、もっと植えていた毎年よりも成績は好い。
 夏の間は莢ごと煮て食べている。秋にはアズキに似たササゲマメが収穫でき、これはそのまま保管しておいて、お祝い事の赤飯に使っている。
 総収穫量は例年よりも減るかもしれないが、農作業としてはこれくらい(3本くらい)が丁度良い。

   その3、わが家では昔から毎年「アオジソ」がめったやたらと発芽する。
 今年は一角だけにそのまま生やして紫蘇畑にした。手入れは何もしていない。
 畑の外の方はオンブバッタに喰われたりするが、次々に生まれてくるきれいな若葉を順に摘んでいる。
 それに、少々バッタに喰われた葉っぱでもきれいに料理はできるから問題はない。
 お刺身のケンにしたり、大量に摘んでは炊けたご飯に少量の塩と混ぜ込んで紫蘇ご飯にしている。「ゆかり」の青紫蘇版だと想像してもらえばよい。
 アオジソの栽培で気を付けなければならないのは、近くに赤紫蘇を植えないことである。
 アオジソよりも硬い葉っぱのハーフになる。

 以上、すべて種も苗も0円のほんとうの0円食堂で、オーガニックなものだから食べると元気が湧いてくる。と御託を並べながらクーラーの部屋で夏の過ぎ去るのを待っている。

    南方の台風からの夏の風

2017年8月4日金曜日

灘中校長の卓見

 私の母校でも何でもないが、灘中学校・灘高校の校長の所信が素晴らしいので転載したい。私はちょっと感動をさえ覚えた。


 ★「謂れのない圧力の中で
     ~ある教科書の選定について~」(校長 和田孫博)

   本校では、本年4月より使用する中学校の歴史教科書に新規参入の「学び舎」による『ともに学ぶ人間の歴史』を採択した。本校での教科書の採択は、検定教科書の中から担当教科の教員たちが相談して候補を絞り、最終的には校長を責任者とする採択委員会で決定するが、今回の歴史教科書も同じ手続きを踏んで採択を決めており、教育委員会には採択理由として「本校の教育に適している」と付記して届けている。
 ところが、昨年末にある会合で、自民党の一県会議員から「なぜあの教科書を採用したのか」と詰問された。こちらとしては寝耳に水の抗議でまともに取り合わなかったのだが、年が明けて、本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、「政府筋からの問い合わせなのだが」と断った上で同様の質問を投げかけてきた。今回は少し心の準備ができていたので、「検定教科書の中から選択しているのになぜ文句が出るのか分かりません。もし教科書に問題があるとすれば文科省にお話し下さい」と答えた。「確かにそうですな」でその場は収まった。
 しかし、2月の中頃から、今度は匿名の葉書が次々と届きだした。そのほとんどが南京陥落後の難民区の市民が日本軍を歓迎したり日本軍から医療や食料を受けたりしている写真葉書で、当時の『朝日画報』や『支那事変画報』などから転用した写真を使い、「プロデュース・水間政憲」とある。それに「何処の国の教科書か」とか「共産党の宣伝か」とか、ひどいのはOBを名乗って「こんな母校には一切寄付しない」などの添え書きがある。この写真葉書が約50枚届いた。それが収まりかけたころ、今度は差出人の住所氏名は書かれているものの文面が全く同一の、おそらくある機関が印刷して(表書きの宛先まで印刷してある) 、賛同者に配布して送らせたと思える葉書が全国各地から届きだした。文面を要約すると、
「学び舎」の歴史教科書は「反日極左」の教科書であり、将来の日本を担っていく若者を養成するエリート校がなぜ採択したのか? こんな教科書で学んだ生徒が将来日本の指導層になるのを黙って見過ごせない。即刻採用を中止せよ。
というものである。この葉書は未だに散発的に届いており、総数200にも上る。届く度に同じ仮面をかぶった人たちが群れる姿が脳裏に浮かび、うすら寒さを覚えた。
 担当教員たちの話では、この教科書を編集したのは現役の教員やOBで、既存の教科書が高校受験を意識して要約に走りすぎたり重要語句を強調して覚えやすくしたりしているのに対し、歴史の基本である読んで考えることに主眼を置いた教科書、写真や絵画や地図などを見ることで疑問や親しみが持てる教科書を作ろうと新規参入したとのことであった。これからの教育のキーワードともなっている「アクティブ・ラーニング」は、学習者が主体的に問題を発見し、思考し、他の学習者と協働してより深い学習に達することを目指すものであるが、そういう意味ではこの教科書はまさにアクティブ・ラーニングに向いていると言えよう。逆に高校入試に向けた受験勉強には向いていないので、採択校のほとんどが、私立や国立の中高一貫校や大学附属の中学校であった。それもあって、先ほどの葉書のように「エリート校が採択」という思い込みを持たれたのかもしれない。
 3月19日の産経新聞の一面で「慰安婦記述30校超採択~学び舎教科書 灘中など理由非公表」という見出しの記事が載った。さすがに大新聞の記事であるから、 「共産党の教科書」とか「反日極左」というような表現は使われていないが、この教科書が申請当初は慰安婦の強制連行を強くにじませた内容だったが検定で不合格となり、大幅に修正し再申請して合格したことが紹介され、本年度採用校として本校を含め7校が名指しになっていた。本校教頭は電話取材に対し、「検定を通っている教科書であり、貴社に採択理由をお答えする筋合いはない」と返事をしたのだが、それを「理由非公表」と記事にされたわけである。尤も、産経新聞がこのことを記事にしたのには、思想的な背景以外に別の理由もありそうだ。フジサンケイグループの子会社の「育鵬社」が『新しい日本の歴史』という教科書を出している。新規参入の「学び舎」の教科書が予想以上に多くの学校で、しかも「最難関校と呼ばれる」(産経新聞の表現)私学や国立大付属の中学校で採択されたことに、親会社として危機感を持ったのかもしれない。
 しかしこれが口火となって、月刊誌『Will』の6月号に、近現代史研究家を名乗る水間政憲氏(先ほどの南京陥落写真葉書のプロデューサー)が、「エリート校~麻布・慶應・灘が採用したトンデモ歴史教科書」という20頁にも及ぶ大論文を掲載した。また、水間政憲氏がCSテレビの「日本文化チャンネル桜」に登場し、同様の内容を講義したという情報も入ってきた。そこで、この水間政憲氏のサイトを覗いてみた。すると「水間条項」というブログページがあって、記事一覧リストに「緊急拡散希望《麻布・慶應・灘の中学生が反日極左の歴史教科書の餌食にされる;南京歴史戦ポストカードで対抗しましょう》」という項目があり、そこを開いてみると次のような呼びかけが載っていた。
 私学の歴史教科書の採択は、少数の歴史担当者が「恣意的」に採択しているのであり、OBが「今後の寄付金に応じない」とか「いつから社会主義の学校になったのか」などの抗議によって、後輩の健全な教育を護れるのであり、一斉に声を挙げるべきなのです。 理事長や校長、そして「地歴公民科主任殿」宛に「OB」が抗議をすると有効です。
 そして抗議の文例として「インターネットで知ったのですが、OBとして情けなくなりました」と か「将来性ある若者に反日教育をする目的はなんですか。共産党系教科書を採用しているかぎり、OBとして募金に一切応じないようにします」が挙げられ、その後に採択校の学校名、学校住所、理事長名、校長名、電話番号が列挙されている。本校の場合はご丁寧に「講道館柔道を創立した柔道の神様嘉納治五郎が、文武両道に長けたエリート養成のため創設した学校ですが、中韓に媚びることがエリート養成になるような学校に変質したようです。嘉納治五郎が泣いていますね……」という文例が付記されている。あらためて本校に送られてきた絵葉書の文面を見ると、そのほとんどがこれらの文例そのままか少しアレンジしているだけであった。どうやらここが発信源のようだ。
 この水間氏はブログの中で「明るい日本を実現するプロジェクト」なるものを展開しているが、今回のもそのプロジェクトの一環であるようだ。ブログ中に「1000名(日本みつばち隊)の同志に呼び掛け一気呵成に、 『明るい日本を実現するプロジェクト』を推進する」とあり、いろいろな草の根運動を発案し、全国にいる同志に行動を起こすよう呼びかけていると思われる。また氏は、安倍政権の後ろ盾組織として最近よく話題に出てくる日本会議関係の研修などでしばしば講師を務めているし、東日本大震災の折には日本会議からの依頼を受けて民主党批判をブログ上で拡散したこともあるようだが、日本会議の活動は「草の根運動」が基本にあると言われており(菅野完著『日本会議の研究』扶桑社)、上述の「日本みつばち隊」もこの草の根運動員の一部なのかもしれない。
 このように、検定教科書の選定に対する謂れのない投書に関しては経緯がほぼ解明できたので、後は無視するのが一番だと思っているが、事の発端になる自民党の県会議員や衆議院議員からの問い合わせが気になる。現自民党政権が日本会議を後ろ盾としているとすれば、そちらを通しての圧力と考えられるからだ。ちなみに、県の私学教育課や教育委員会義務教育課、さらには文科省の知り合いに相談したところ、「検定教科書の中から選定委員会で決められているのですから何の問題もありません」とのことであった。そうするとやはり、行政ではなく政治的圧力だと感じざるを得ない。
 そんなこんなで心を煩わせていた頃、歴史家の保坂正康氏の『昭和史のかた ち』(岩波新書)を読んだ。その第二章は「昭和史と正方形ー日本型ファシズ ムの原型ー」というタイトルで、要約すると次のようなことである。
 ファシズムの権力構造はこの正方形の枠内に、国民をなんとしても閉じこめてここから出さないように試みる。そして国家は四つの各辺に、「情報の一元化」「教育の国家主義化」「弾圧立法の制定と拡大解釈」「官民挙げての暴力」を置いて固めていく。そうすると国民は檻に入ったような状態になる。国家は四辺をさらに小さくして、その正方形の面積をより狭くしていこうと試み
るのである。
 保坂氏は、満州事変以降の帝国憲法下の日本では、「陸軍省新聞課による情報の一元化と報道統制」「国定教科書のファシズム化と教授法の強制」「治安維持法の制定と特高警察による監視」「血盟団や五・一五事件など」がその四辺に当たるという。
 では、現在に当てはめるとどうなるのだろうか。第一辺については、政府による新聞やテレビ放送への圧力が顕在的な問題となっている。第二辺については、政治主導の教育改革が強引に進められている中、今回のように学校教育に対して有形無形の圧力がかかっている。第三辺については、安保法制に関する憲法の拡大解釈が行われるとともに緊急事態法という治安維持法にも似た法律が取り沙汰されている。第四辺に関しては流石に官民挙げてとまではいかないだろうが、ヘイトスピーチを振りかざす民間団体が幅を利かせている。そして日本会議との関係が深い水間氏のブログからはこれらの団体との近さがにじみ出ている。もちろん現憲法下において戦前のような軍国主義やファシズムが復活するとは考えられないが、多様性を否定し一つの考え方しか許されないような閉塞感の強い社会という意味での「正方形」は間もなく完成する、いやひょっとすると既に完成しているのかもしれない。

2017年8月3日木曜日

正距方位図

   フジテレビが普通の世界地図であるミラー図法(メルカトル図法のようなもの)の地図で北朝鮮のミサイルの到達距離を図表化して嘲笑を浴びたことがある。(上の写真)

 距離や方位がより正確に近い正距方位図法で見るとその次の図(写真)のようになる。
 赤い線は私が引いたが、北朝鮮からアメリカ大陸北部に向けてミサイルが飛ぶ場合のコースである。もちろん本来は下図に沿った曲線であるが、イメージとしてはほゞこうなる。
 昔、アメリカ行きの旅客機の飛行距離が十分でなかったころ、アラスカのアンカレッジ空港に寄港していたことを思い起こせば誰でも納得できるだろう。

正距方位図
   そこで、アメリカの主要都市を狙った北朝鮮のミサイルを、アメリカの僕(しもべ)である日本が迎撃しようとすれば絶対にロシア上空へ迎撃ミサイルを飛ばさなければならない。
 ひとつ間違えば世界大戦かもしれないが、安倍さん、気は確かですか。

   こんな技術的な議論をいくらしても生産的ではないが、なんとなく北朝鮮のミサイルがアメリカを狙った場合には日本上空を通過するというような、メルカトル世界地図的誤解はけっこうあるように思う。
 としたら、日本のJアラートや避難行動のCMを、日常生活をしている韓国国民が笑って見ているというのも肯ける。フジテレビも笑われていることだろう。

 政府のミサイル避難行動のCM関連費用は4億円といわれているから、実は、広告メディア業界に対して「政府批判の矛先を違えてね」という賄賂の性格かと勘繰りたくもなる。

 日本人は世界の中で飛びぬけて新聞テレビを信じているという統計がある。
 私は今でも思い出すが松本サリン事件のとき、私も河野さんを犯人かと信じたときがある。オーム真理教についても、同教団が盛んにサリンガスについて語っていることも知っていたにもかかわらずである(平均的庶民よりは知っていたと思う)。
 マスコミのいうことは自分の頭で考えなおせ! これが私の学んだことである。
 少なくともメルカトル図法の世界地図には瞬時におかしい!と判るぐらいの一般教養は要る。う~む。なかなかついては行けていない。

    炎天や蝉ひよどりに喰われけり