確かに、酒かす自体が広くいきわたった地域で生まれ広まったのだろうが、そう考えれば京阪神全部が発祥地と言えるのではないだろうか。
バラエティー番組のナレーションにいちいち引っかかるのも大人げないが、この番組は面白おかしくするためにけっこう事実を曲げてでも誇張することがある。
この場合も、「室町時代からの酒どころ伏見なればこそ・・」的に京都発祥説を根拠づけていたが、これは少し歴史に関わる問題なのでひとこと言っておきたい。
その1は、伏見は今でこそ京都市だが、そもそもは京都とは別の都市である。
京都を御所を中心とする公家の文化というならば、伏見は秀吉が造営した伏見城の城下町が発展した都市である。それを「雅な公家の文化都市京都」と一括りに括って歴史を語るのは正しくない。
その2は、伏見を「室町時代からの酒どころ」というのも大いに事実に反する。
酒どころ伏見は、室町時代どころか江戸時代でも大したことはなく、答は明治末なのである。このように、なんとはなく広がっている宣伝文句のような「常識」は怖ろしい。
ならば明治末に何が起こったか? 今も「師団街道」という名前が残っているとおり、この地が陸軍第16師団の本拠地として大きく展開されたからで、徴兵された兵士たちを饗応するために酒の需要が急増したからだった。(立命館大学木立雅朗教授論文)
公家たちの京文化などからは程遠い、近代の軍都伏見が作り出した景観こそがあの酒蔵群といえる。
歴史をロマンチックに語ることは楽しいけれど、あまり調子に乗って脚色しすぎるのは控えてもらいたい。
庶民の家庭料理というものはけっこう保守的であったり閉鎖的なものだから、だからこそこの番組も楽しいのだが、そういう意味では、関西一円に広まっている粕汁は、京阪神で近代に広まった料理だろう。奈良も滋賀も含めての京阪神。
わが家では、この冬、何回も粕汁は作っている。わが家の場合は、鮭のアラを入れている。
酒かすといえば、慶応生まれの実祖母が炬燵で焼いて、砂糖をくるんで美味しそうに食べていた。家族中で食べることもあったが小さい頃は美味しいとは思わなかった。そのように美味しいとも思わなかった酒かすをこのごろ食べたくなっているのは、郷愁という味付けのお陰だろう。
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