2019年9月30日月曜日

些末な九月尽

崇神天皇(すじんてんのう)は、日本書紀によると第10代天皇だが、御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)(天下を初めて治めた天皇)と呼ばれた。
つまり、3世紀ごろ、実在した可能性のある最初の天皇である。
 天皇は宮中に、天照大神と倭大国魂神を祀っていたが、即位5年、疫病が流行して人口の半ばが失われたので翌年に天照大神と倭大国魂神を宮中の外に出すことにした。
天照大神は豊鍬入姫命に託して倭の笠縫邑に祀らせた。
天照大神は次の垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代、さらにふさわしい宮処を求めて各地を転々とし、最終的に伊勢に落ち着いた。伊勢神宮の創始である。
その宮中の外で最初に天照大神が祀られた笠縫邑(元伊勢)の比定地については諸説があるが、一説によると現桜井市笠ともいわれている。
桜井市といっても天理市との境界で、大和神社、黒塚古墳、纏向遺跡、箸墓古墳等初期ヤマト政権の「大和・柳本古墳群」の奥の山といったところである。
以上前説(まえせつ)おわり。

   たまたま午前中半日が空いたので、「笠にでも行くか」と夫婦で出かけた。
竈の神様、『日本第一 笠山荒神社』のお札の更新もあるし、毎年薪竈で餅つきをしている身なれば「気は心」。
親がいた頃は元々台所には清荒神の布袋さんが祀られていたから、荒神さんには何となく親しみもある。
ちょうど秋季荒神大祭にぶつかって、ドンドンドンと花火の音で迎えられた。午後から用があったので神輿渡御まで残られなかったのは少し残念。
でもほどほどの賑わいが気分良かった。

目的のもう一つは荒神さん門前の『笠そば』で新そばを食べようということ。というか、実はこちらが本命だった。
   と言っても、普通のそばと新そばの違いも判らない程度のビギナーで、要するにミーハー。

農林省の肝いりで設立され、地元の皆さんが運営している『笠そば』は、普通新装開店当初は珍しいと賑わうが数年たつと寂れるものだが、続々とお客さんが絶えることなく、「この分だと今日だけで売り上げは〇〇〇を超えるな」と夫婦で下世話な話を話し合うほどの繁盛ぶりだった。

帰りに、荒神さんのお札と「そばドーナツ」を子供らの家に置いてきたが、わが夫婦の行楽のあまりのプチぶりにあきれられた。

  新そばや古代史の地の村祭り

2019年9月29日日曜日

地球環境?

9月27日撮影
   彼岸花はエライ! 酷暑の夏も、残暑の秋も、毎年変わりなく彼岸に開花する! と、このブログでも度々書いてきた。
 ところがところが、今年の様子は写真のとおりで、確か新聞にも同じような感想があった。ラジオでも多くの方々の同様の感想が報じられている。
 いよいよ温暖化も極まって来たかと心配している。

   少し離れた場所では次の写真のとおり咲いているから、上の写真の場所だけの特殊事情であってほしいが・・・。

   仲間を大量に引っこ抜いて捨てたから、抗議のサボタージュなら許せるかも。
   さて、一つ目の場所を28日に撮影したのが三つ目の写真で、1日違いでこのように変化していた。
 この早変わりも見事である。

 〽 赤い花なら曼殊沙華~。畏るべし。

2019年9月28日土曜日

原発マネーは電気料金

 高浜町の元助役から関電役員らに3億2000万円の金が渡っていた。
 元助役の死去によるものだろう、国税局がそれを指摘したのでその後返却したらしい。
 いうまでもなく一般的な裏金事件では、関電から地元の顔役に金が渡るものであるが、地元の顔役から関電に金が渡った。そんなあほな!と言ったところである。

 非常に常識的に推理すると、関電が裏金作りのために過剰な金額で発注し、受注した建設会社等が「大きな指示」に従って元助役に金を渡し、元助役から関電役員に還流させたということだろうか。
 もう少しおとなしい推理なら、大儲けをした建設業者たちが「さらに引き続きよろしく」と、元助役を通じて関電役員に賄賂を贈ったということか。
 いずれにしても背任か収賄の犯罪だろう。

 なお、現在のところ表に出た金額が3億2000万円であって、実際にはもっともっとひどい額かもしれない。
 実際、テレビ報道の範囲では、元助役は建設会社等から3億円ほど金を貰ったと言われているから、それだけだと2000万円は元助役が身銭を切ったことになる。そんなあほな。
 とまれ、3億2000万円の原資は私たちが支払った電気料金である。

 この国ではあまりにひどいルール違反が続出しているから、これぐらいのことではみんな驚かなくなっているかもしれない。
 福島原発事故で東電幹部が無罪となる司法に期待も持てないかも。
 となると、国民世論だけが最後の砦かもしれない。世論に向けてみんなが思いを発信したいものだ。

 私は、ノブレス・オブリージュという言葉をいま思い出している。イギリス貴族に関してよく言われる言葉だが、社会的地位にある人間は、より高い社会的責任と義務を負っているという西欧の常識的モラルである。
 
 結論を言おう。今回の事件が明らかにしたことは、関電という、ある意味地方自治体以上の公共性のある企業の役員たちが、電力という公共的な産業の未来を真剣に考えて原発を推進しているのではなく、大いなる惰性のごとき原子力村の持ちつ持たれつと私腹のために原発を推進しているのだということだ。

 一般的推理だが、3億2000万円どころでない桁違いの裏金が原子力村内で動き、関連する国会議員、地元の議員、各級の顔役に流れたに相違ないと私は想像する。

 最後に一言、高浜原発は、福井市よりも大津市、京都市に近く、京都、兵庫の日本海側は言うに及ばず、大阪府北部も福井市よりも近い場所にある。
 冬の北風の頃に事故が起こると、福井市よりも近畿各県の被害が深刻になる。
 それでも福井県は近畿でないと感じているなら、小学校の地図帳ぐらい見直してほしい。

2019年9月27日金曜日

小事件を忘れるな


 そんなもので、歴史家ではないが大阪で起こった歴史的小事件について書いておきたい。
 大阪の平和展示施設「ピースおおさか」のことである。

奉安殿
   ピースおおさかは、大阪府と大阪市が出資する財団が大阪城公園で運営する平和展示施設で、大阪大空襲の展示などのほか、旧日本軍の加害行為とされる内容も展示していた。
しかし大阪市長が橋下徹氏、大阪府知事が松井一郎氏と、大阪維新の会の2人に変わった後、展示が「自虐的だ」などとして見直しの作業が進められた。
この見直しの過程で、設置理念が骨抜きにされると懸念する市民らが、関連する公文書の情報公開を請求したが、「リニューアルに向けた業務に支障をきたす」などの理由で公開を拒否され、異議を申し立てたが、本来諮られるはずの審査会も開かれないままリニューアルされた。
 
モニュメント
   この情報公開拒否の不当性を訴えた裁判の判決では、高裁では松井知事吉村市長が、そして2019524日最高裁で松井市長吉村知事が敗訴して確定した。
 橋下、松井、吉村各氏のとった不当性が天下に明らかになったのである。

 さはさりながら、展示はリニューアルされたままである。
 先日、入館して閲覧したが、ほんとうに骨抜きにされている。
 こんな戦争があった、あんな戦争があった、アメリカの兵器はすごかった、大阪は焼け野原になった、・・・これでいいのだろうか。

 愛知では表現の不自由展が中止させられた、東京都知事は関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定するかのようにふるまった。そして大阪の平和展示施設がこうである。
「凡ての大事件の前には必ず小事件が起こるものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る幣竇(へいとう:欠陥)である」と述べた漱石先生の言葉をもう一度噛み締めるべき刻だろう。

2019年9月25日水曜日

えぐくはないかい

 ここ数年の異常気象は、少し情緒的に言うと「地球が病んでいる」ことを想像させている。
 23日には国連本部で、地球温暖化防止の国際的枠組みである「パリ協定」の目標達成への「気候行動サミット」が開かれた。
 8月にスウェーデンの16歳の少女が行った「学校ストライキ」は世界中に広がった。
 日本の若者も、Fridays For Future(未来のための金曜日)というような運動を広げつつある。

 このように国連事務総長をはじめ世界が「気候非常事態宣言」を発して取り組んでいるのに、日本のメディアは韓国の悪口ばかりで何かが狂っている。
 日本のCO2削減目標もパリ協定と整合せず、特に石炭火力発電所の新設は世界中から非難されている。
 維新のトリチウム汚染水の海洋投棄など論外だ。

 国連では、ドイツ、フランス、イギリス、中国、インドなど60か国の首脳らが登壇して自国の目標や取り組みを発表する。
 そんな中、日本とアメリカは登壇もしない。
 日本は、6月のG20の議長国であったにもかかわらず、発言の機会を与えられなかった。
 マスコミは、小泉進次郎がステーキ店に行ったと大きく報じたが、こういう世界の動きと日本の特異な有様をほとんど報じない。
 地球の病よりも日本政府の病の方が深刻だ。

   さて、秋になってエゴノキがたくさん実をつけている。
 エゴノキの名前の由来はこの実がエグイからと言われている。
 エグイ実というものは一般的には有毒である。(エゴノキの毒性は弱いとされているが)

 ところで不思議なことは、こういう有毒のエグイ実を多くの野鳥は平気で食べる。好んで食べると言ってもいいように思う。

 わが家の窓のすぐそばにこのエゴノキはある。カーテンを引いてあるからシルエットにはなるが、ヤマガラが飛んできてせわしなく実をついばむ。
 そうして、カカカカと枝に打付けて中身を取り出して食べている。
 この可愛い来訪者を見ながら、私は「地球環境を守れ!」の声を大にしたいと思っている。

 次の動画も必見!
 https://twitter.com/i/status/1176065242595348481

2019年9月24日火曜日

精霊バッタ

   このバッタ、私は「キチキチバッタ」と覚えていたが「チキチキバッタ」と書いてある本に出くわして驚いた。まあ俗称だからどうでもよいか。

 いうまでもなく「キチキチバッタ」の名前の由来は飛ぶときにキチキチキチと鳴く(音を出す)からで、後ろ脚を持った時の動作から「米つきバッタ」ともいう。

 ただ、米つきをさせようといじっていると、口から茶色い液を出すのでご注意。(他のバッタ類も同じ)

 俗称でない実名は「ショウリョウバッタ」で、お盆(精霊会)の頃に出てくるからというのが由来らしいが、精霊船に似ているからという説もあるらしい。後者の説は知らなかったが、言われてみれば・・・という説得力もなくはない。

 よく似たバッタに「オンブバッタ」がいる。これなど全くの俗称だと思っていたが、正式の実名が「オンブバッタ」という。これも、へえ~である。
 わが菜園の紫蘇畑は「オンブバッタ」の天国だ。
 「ショウリョウバッタ」もそうだが圧倒的に大きいのが♀である。
 自然界ではこの方が自然かもしれない。ということは女性差別の残っている人間社会が歪んでいる?

今年は遅れている
さあどうだにょきっと顔出す彼岸花

2019年9月23日月曜日

天井の扉

   写真のバスは、けいはんな学研都市の中を通勤バスとして走っている奈良交通の連節バス。
 「鉄ちゃん」はレールがないから興味がないかもしれないが、路面電車よりも列車感がありはしないか。

 車で走っているときに街で度々見ていたが、追いかけて行って写真を撮るほどでもないと見過ごしていた。が、早朝にバスが待機しているのを見つけたので今回はスマホで撮影した。

 帰ってからほんの少し調べてみると、興味深いことが少しあった。
 定員は130名で、通常のバスは70~80名らしいから、2台が団子になって走るよりは渋滞解消効果があるらしい。う~む? 実際(ホンネ)は運転士不足?
 エンジンは後方の車両についていて前方の車両を押しているのだと。そのため連節を外すというようなことはなく2両で1台の車で、その結果当然「牽引」の免許も要らないというのは納得した。とはいうものの、2両目には一組の車輪しかなく、バックするときにはどういう操縦をするのだろう??? やはり牽引のように反対に切る?
 国内で運行中の連節バスはすべて外国製で、このバスもそうらしい。へえ~。意外!

 一番感心したのは非常扉が天井に付いていることで、その理由として、非常扉が必要なケースの多くはバスが横転しているだろうから、その場合にバス側面の非常扉はあまり意味がなく、横転した場合の天井が合理的・・という設計思想らしい。
 
 ここは上下転覆したらどうかなどという意地悪質問は別において、いろんなことを侃々諤々議論したのだろうなあと感心し。
 私ならそんな発想をしただろうかと、己が頭の固さを反省。

 ちなみに、道路運送車両の保安基準では、非常扉は右側後方または後面となっている。とりあえずその意味は理解できる。では、この天井は別の例外規定があるのだろうか。きっとあるのだろう。
 衝突事故の場合、前方の扉が壊れて開かないケースが想定されるが、同じ意味では後面は”もう一つ”かもしれない。
 外国のバスで天井非常扉が多いのは窃盗団対策ともいう。これなどは私の想像の外だった。

 そういえば、日本の最新の列車の車両があまり輸出できていない理由は、軽くて性能はいいが弱いからだと聞いた。
 つまり、「列車は衝突事故を起こすものだ」という思想で頑丈に作るものだという外国の基準に合わないという。
 ところ変われば発想も文化も異なるものだ。よくよく交流して理解を広げるしかないし、相手の考えも理解に努めなければね。
  
   高鳴きはすれど贄は見つからず
   モズの高鳴きが聞こえてくるが、いっこうに早贄は見つからない。

2019年9月22日日曜日

朝鮮の近現代史

 私は、昨今の嫌韓ヘイトスピーチが非常に気になっている。
 半藤一利氏の本に「熱狂は一番危険だ」という警句があったが、ヘイトスピーチは、この国が一番踏んではいけない轍を踏んでいるように思うからである。
 多くのその種のヘイトスピーチが、実は組織されたアルバイト等によってなされているのではないか、その思考が極めて反知性的ではないかということは昨日書いた。
 そんなこともあり、このブログ記事を書く以上は、と、もう一度朝鮮の近現代史をいろいろと読み返した。

   家永三郎編『日本の歴史』は大判10巻で、現代に近づくほど紙数が多いという優れものだったし、そのほかにも・・・・、
 ただ、意外だったのは、日本史側でも、世界史側でも、書くことが多いせいか、その時代の朝鮮の歴史は私には少し物足りなかった。
 で結局、人には笑われるかもしれないが、岡百合子著『中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史』(平凡社ライブラリー)を読み返したのが一番自分としては良かった。
 この本は、私的には、実は近現代史ではなく、百済、新羅、高句麗の時代をトータルに理解したいがために購入したものだったが。
 さて、朝鮮の近現代史の、その膨大な内容をここに記すことはできないから、興味のあるお方はお買い求め願いたい。

 ところで考えてみると、近代の西欧列強の侵略はえげつない。それは間違いない。
 そして当時の日本を含むアジアの国々がその時に正しくどう対応できただろうかと考えると気が重い。
 長い歴史のスパンでいえば、それら西欧列強の罪状ももっと明らかにしていく必要はまだまだ残っている。
 だが話はその先だ、右翼の人々はそれが故に、その時代に明治政府等が行った侵略行為等も全て仕方がなかった、否、良かったといい、厚顔の者は侵略先で近代化と生活向上に力を尽くして喜ばれているなどと言っている。
 ヘイトスピーチの根底にはそういう認識(マニュアル?)が横たわっている。

   しかしその正解はいみじくもインドの故ネルー首相が次のように喝破されている。この一文で十分だろう。
 監獄で叙述したという、ネルー著(大山聰訳)『父が子に語る世界歴史』第3巻の118章の冒頭部分(日露戦争)から・・

 ■ 日本のロシアに対する勝利がどれほどアジアの諸国民を喜ばせ、小躍りさせたかということを我々は見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう1国を付け加えたというに過ぎなかった。
   その苦い結果を、まず最初になめたのは、朝鮮であった。日本の勃興は朝鮮の没落を意味した。
 (中略)日本はその帝国政策を遂行するにあたって、まったく恥を知らなかった。日本はヴェールで偽る用意もせずに、大っぴらで漁りまわった。
 1894年、中国戦争の開始直前に、日本人は朝鮮の首都ソウルの王宮に腕ずくで押し入って、日本の要求を聞き入れなかった女王(閔氏)を廃して、幽閉した。
 日露戦争後、1905年に朝鮮国王は、無理強いに朝鮮の独立の放棄を認めさせられ、日本の宗主権を受け入れた。しかしこれでも足らず、5年もたたぬうちに、この不幸な国王は廃され、朝鮮は日本帝国に合併された。これは1910年のことだった。
 3000年以上にわたる長い歴史を持つ独立国としての朝鮮は滅びた。(以下略)■

 ゲーム感覚の戦記物ではない、冷静な近代史を大いに語らないと、事実としての歴史が否定されたり歴史が修正されていく。
 この分野はあまり好きでもなく勉強不足であったのを大いに反省している。

   史書並みの貝になりたい名作あり
   「私は貝になりたい」。悲惨だ、不条理だ。それ以上の悲惨と不条理が戦争の向こうにあった。そこに想像の及ばない人がいる。

2019年9月21日土曜日

知性を否定する者

   精神科医の香山リカ氏がフェースブックで発言され、赤旗のインタビューでも訴えられている話が非常に示唆的だった。
 話の趣旨をかいつまんで言うと、ツイッターで『亡き父が釧路市で徴用工が虐待されているのを目撃し「あの人たちが怒るのも無理はない」と言っていた』と書いたところ、「嘘つき」という応答(リプライ)がすごい数あり、コメントも何万件もあったということで、要するにそれは「嘘だ」「証拠を見せろ」というものだということだった。

 亡き父の思い出話に証拠を出せというのもひどいが、徴用工の過酷な労働の実態は市史にも記載されているという。
 そして香山氏が、「証拠を出せ」と応答した人に本を紹介したところ、「本は証拠として弱い」「時間を有意義に使いたいから読まない」と返事があったということだ。

 私の実感からいうと、SNS上でのその種の発信は日曜日には極端に減少するから、少なからずアルバイトが担当しているように思っているが、それにしても先の「返事」は単に歴史の否定にとどまらず、知性の否定といってよいだろう。
 赤旗の見出しが『人としての最低条件は』であったのも大いにうなずける。

 そもそも敗戦時に軍部や関連する軍需工場などでは徹底して焼却、つまり証拠隠滅が行われたことは近現代史家半藤一利氏の各種の著作にも記されている。
 私自身、軍需工場の幹部社員だった父からも実際に聞いている。
 なので、戦前のこの種の問題で「証拠を出せ」というのは、組織的と思われるネトウヨ集団のマニュアルだろうと思われるとともに、歴史を俯瞰できない彼ら集団の知性の水準を露呈している。

 徴用工ではないが従軍慰安婦問題で私はこのブログyamashirodayoriを書く際には、できるだけこの目で確かめて書くように心がけてきた。
 2014年9月12日の『朝日対産経』は、国立国会図書館関西館に実際に行ってコピーをとってきた。
 2014年9月22日の『大勲位のご苦心』は、国立国会図書館東京館からコピーを購入した。
 そこには、元産経新聞社長や大勲位中曽根康弘氏が軍の幹部として、得々として慰安所を造ったことなどが語られていた。
 それに比べて、何が「時間を有意義に使いたいから読まない」だ。

 少し違う角度で話をすれば、本物のやくざが人を脅す場合、「お嬢さんはいつも何時ごろにお帰りですね」などと言うというのは常識だ。言外に「断れば家族に被害が及ぶぞ」である。これに近い話は多くの公務員が体験したことだ。
 もしそれを、文字面だけで「やくざは世間話をしただけだ」と言うならば、やはりそれは「知性の欠陥」「社会に対する読解力の欠如」と言わなければならない。
 ネトウヨ(主にネット社会上の右翼)の前述の「返事」はこういう水準のものである。

   真東の日の出に向かって走りつつ火口に飛び込む眩暈を覚ゆ
   早早朝ポスティングの際、怖かった

2019年9月20日金曜日

お礼のカード

   老人ホームでも半自治体立的なところでは一切の贈答を拒否されているし、義母の入居していた「そうではないホーム」でもいわゆる贈答は拒否されているが、社会常識の儀礼の範囲内はそうではなく受け取ってもらえている。

 そんなもので、退居に当たって本当に形ばかりの御礼をお世話になった皆さん方にお渡ししてきた。
 『金魚すくい』という名のキャンディーの小さな袋で、小学生でも喜ばない程度のプチギフトだが、お礼のカードを手作りで付けたところ、義母の写真入りにしたため、皆さん方から大いに喜んでもらった。

 この顔を見て、何人かが「こんなこともあったなあ」と笑ってくれれば、義母に対してもこれ以上の供養はなかろうと勝手に解釈している。
 残っていた布団等も引き上げ、お金も清算し、ホッとしたというか、帰りの秋の日がまぶしかった。

 そんな清々しい秋だというのに、先日から突然の熱発で体調が無茶苦茶崩れてしまっていた。
 このブログは記事のストックがあったので続けられたが、3日間ほど、正に鬼の霍乱だと妻が笑った。
 確かに体調が弱ると思考も弱気になる。この先こんなことが増えそうな気がする。
 おいおいおい、しっかりせえ! と自分を叱咤している。

   破顔一笑代わって出したお礼状

2019年9月19日木曜日

木槿が咲いている

   木槿(ムクゲ)の花は美しい。
 日本の花はというと普通サクラというように、ムクゲは韓国の花である。(ちなみに日本の国花の法的規定はない)

 人間同士は離縁、別居、家出が可能だが、隣国は地勢上目をつぶろうが逆立ちしようがどうやっても隣国である。
 故に、意見が違おうが気になろうが、外交と文化交流以外に道はないというのが当たり前すぎるほど当たり前の道理である。

 そんな道理を忘れたようなヘイトスピーチがどうして巷に溢れているのかは、そのスピーカーの言葉がいみじくも語っている。
 「文大統領は内政の批判を反日でそらせている」と・・・。

 『蟹は甲羅に似せて穴を掘る』という言葉を思い出す。いみじくも、自分がそうだから他人もきっとそうだろうとしか想像が及ばないのだ。
 それが嫌韓ヘイトスピーチの本質だろう。

 「いや、国と国の論争だ」というなら、欠陥爆撃機を押し売りし、売れ残りトウモロコシを押し売るアメリカにどうして同じように怒らない。
 全千島列島を不法占拠したままのロシアにどうして怒らない。
 その差は、戦前の朝鮮蔑視、アジア蔑視のメンタリティーを抱えたままの差別意識以外の何ものでもないと思う。

   咲く土地に国境などなし隣国の花美し

2019年9月18日水曜日

漢帝国

   著者の渡邉義浩氏の中国古典に対する知識の深さと論の緻密さにはかねがね敬意を払っている。
 そんなこともあり『漢帝国』(中公新書)はあまり迷わずに購入した。
 が、予想どおり、読み終えるまでに時間を要した。

 秦を滅亡させ、項羽を破った劉邦が紀元前202年に建てた漢は、途中王莽の簒奪を挟み紀元後220年に魏に滅ぼされるまで、計400年余り続いた大帝国である。
 有名な『項羽と劉邦』の本もあったし、十八史略等々から何となくあらすじの知っていた時代だが、この本は通俗小説ではないので、1ページ読むのに時間がかかり、おまけに後半を読んでいる頃には前半の大事なところを忘れているから、読むのに骨が折れた。

 そんな本だから、読んでいるうちに眠気を催し、そのためますます頭に入らず、読書が進まなかった。
 
 で、読書感想文を書くほど頭の整理もできていない。
 ただ、黄老の思想を乗り越え、隋時代等の仏教を乗り越え、中国を規定し続けた「儒教国家」の恐れに似たパワーを再認識させられた。

 ヨーロッパに「全ての道はローマに通ず」という言葉があるように、東アジアのすべての道は漢に通じているような気がする。
 文字の国というか、イデオロギーの国だった。
 購入しておいて損のない本だと思う。

   故郷の表示なき沢蟹店頭に

2019年9月17日火曜日

菜園自慢

   こんなことを菜園自慢などというと叱られそうだが、いま我が菜園で一番元気なのはツルムラサキだ。
 これは、まったく何もせずに昨年のこぼれ種から勝手に自生してきたもので、一部の苗は知人にあげて、その他は夏野菜の邪魔にならないように抜いて捨てたものだ。残った2~3株が元気に茂っている。

 ツルムラサキは、モロヘイヤみたいなネバネバ野菜で、栄養価はホウレンソウ以上の優良児である。
 少々癖があるがそれが味わいだし、「いや、どうも」というならば炒め物にすれば癖もなく万人向けになる。
   摘んでも摘んでも「えっ、どこを摘んだの」というほど元気がよく、2株もあれば長谷やんファミリーには十分だ。

 「冷蔵庫が空みたいやからツルムラサキでも炒めておくか」と言って、冷凍室の非常食である馬刺しと冷蔵室の黒ニンニクとその他少々で夕食にしたが、夏バテが逃げていったような気がする。

 美味しくてお酒も進んだせいか、洗い物のときに気に入っていた写真の鉢を割ってしまった。
 みんなツルムラサキのせいである。

   みな美味し馬肥ゆる秋の怖ろしさ

2019年9月16日月曜日

ウラジーミルの返歌

9月5日、ロシア極東ウラジオストクで開催された国際会議「東方経済フォーラム」に出席した安倍首相はプーチン大統領の前で次のように演説(詩の朗読?)をした。
「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。歴史に対する責任を、互いに果たしてまいりましょう。平和条約を結び、両国国民が持つ無限の可能性を、一気に解き放ちましょう。そのほとんど次の刹那、日本とロシアの連結は、地域を変える。世界を、大きく変え始めるでしょう」

   その”ポエム”に対してプーチン大統領は次のとおりロシア文学風の”返歌”を返した。翌6日、ウラジオストク市民との交流会で・・・、
「第2次世界大戦終結時の状況からすればロシアの領有権に疑問の余地はない」という発言に対して、「それ(第2次世界大戦の結果)に依拠しよう。スターリンがすべてを手に入れた。議論は終わりだ」と。

 さすがにこれには、日頃「嫌韓発言」に忙しい日本会議や神道政治連盟の自民党や右翼の皆さんも抗議したと思いきや・・・、
ネットの言葉を借りれば、「プーチン発言に反論したのは自民党でなく志位和夫だった!」。

 ネットの文章・・・■ 例えば、自民党には衆参合わせて397人もの国会議員がいる。ところが北方領土についてのプーチン発言について誰一人として反論しなかった。典型的な内弁慶ばかり。情けない自民党議員!
 これに対し日本共産党の委員長、志位和夫が即座にツイートした。
 『相手がこう居直っている以上、スターリンが千島を奪う「根拠」とした「ヤルタ協定」が、「領土不拡大」という戦後処理の大原則に背くものだったことを正面から批判し、是正を求める立場に立たねば一歩も進まない。「ウラジーミル」といくら叫んでも無駄だ』■

 議論の要は、全千島列島(全体)が、平和裏に結ばれた明治8年樺太千島交換条約に基づいた日本領土であること。
 故に、ヤルタ協定は領土不拡大の大原則に背き、それを前提にしたサンフランシスコ条約も誤っていること。
 だから、日本政府はロシアと交渉し平和条約を結び、全千島の返還を実現すべきである。

 そうであるにもかかわらず、サンフランシスコ条約やヤルタ協定の批判をせず、「南千島は(サ条約で放棄した)千島でない」などという珍論を展開し、挙句はこの間までの4島返還をすらズルズルと2島返還に後退させたのが歴代自民党政権と安倍政権だ。
 何もしないが「している感」の演出だけはする安倍政権。でも朗読劇は拍手もなく幕を閉じた。
 昨日の記事の最後の言葉を繰り返させていただこう。
 安倍政権支持者に愛国心はないのか。

2019年9月15日日曜日

人災でないか

   千葉県下の大規模停電で老人施設の入居者が亡くなったというニュースに胸が痛む。
 台風は天災かもしれないが、その後の停電やその対応は人災の側面が多い気がする。
 特に、内閣改造だと嬉々として顧みなかった政府の責任はインフラ手抜きの東電同様罪が重い。

 以前に読売テレビの好きでもない番組に共産党の小池書記局長が出ていた時の場面を思い出した。
 確か大企業は応分の税負担をすべきだという小池氏の話に、いわゆる右翼の論客として有名な多くの出席者が、「そんなことをいうと大企業は海外に出ていく」と一斉に非難したが、小池氏は右翼の皆さんに向かって一言こう反論した。「大企業経営者に愛国心はないのか」と。
 右翼の人々は苦笑いするしか反論できなかった。

 今般の台風被害は千葉県以外でも深刻らしいが、当の千葉を含めてあまり報道されていない。
 メディアも政府も、いったい国の主人公は誰なのか。
 電力や鉄道や公共的な大企業が「社会的責任」を投げ捨てている。
 政府の進める「官から民へ」の方針も実は「公共から儲けへ」である。
 小池さんではないがインフラの手を抜く面々に言いたい。「君らに愛国心はないのか」。

2019年9月14日土曜日

お月見

   9月13日は太陰暦の8月15日、つまり仲秋の名月であった。(満月は9月14日というのも興味深いが)
 わが国で月の女神というとすぐに思いつくのはかぐや姫だが、古い中国の神話では月の女神は嫦娥(じょうが)である。
   この間から度々ニュースに登場した香港の行政長官は林鄭月娥(りんていげつが)女史だから、きっと親は月の女神のようになってほしいと名付けたのだろう。
 ただ嫦娥は、夫が西王母からもらい受けた不死身の薬を盗んで飲んで月に逃げたため、挙句ヒキガエルにされてしまったのだから、親はそこのところをどう考えて付けたのだろう。(現在の香港問題とは関係ないが)
 我々が月で兎が餅をついているとみるように、中国では月には大きなヒキガエルにされた嫦娥が見えるという。

 月見団子を買い求めに奈良の有名な和菓子屋に行ったが、写真のような月見団子よりも真ん丸の月見団子の方がよく売れているように見えた。
 東京の文化が関西をはじめとする土地土地の文化を駆逐していっている。
 私は意地でも関西風の月見団子である。
 これは一般に「里芋の形」だと言われているが、私の母は「月に叢雲」だと言っていた。
 よく解らなくてもこういうものは継承することに意味がある。
 イオンあたりで売っているものとは違って本当に美味しかった。

 先日からいつもの散歩道脇の空き地でススキを見つけておいたから、それを数本刈りに行ったが全くなかった。歩き回っても同じだった。
 わが街周辺に風流なご同輩がおられるならうれしいことだが、その徹底ぶりからすると、商売のために根こそぎ刈り取ったのかもしれない。(邪推かもしれないが)
 ススキは月の女神の依代だからこれは絶対に必要だ。で、少し離れたところまで行って刈ってきた。

   月見団子こし餡は叢雲と聞いた

2019年9月13日金曜日

憲法改悪反対

   ひねりも何もないタイトルで誠に恥ずかしいが、第4次安倍内閣の発足に当たって絶対に言っておきたいことがこれだ。
 なにが「党一丸で改憲」だ。
 国民の願いでも選挙結果でもない。

 思うに、自民党の改憲案は戦時体制を作る案だと言える。
 戦時体制というと遠い世界のように感じるかもしれないが、マスメディアが報じないうちに民主主義がどしどしむしばまれている今日、気がついた時には身動きができなくなっているだろう。大げさだと思わないでほしい。

 私の孫は重いハンディを背負っているから彼ら流に言えば生産性が劣ることになる。もっと有体に言えば国の邪魔だと言われかねない。
 「現にある自衛隊を書き込むだけで何も変わらない」というような詐欺師の言葉を信じてよいわけがない。
 自民党はかつての保守党でも何でもない。
 極右思想のカルト集団と変わらなくなっている。

 第4次安倍内閣発足に当たってもう一度言う。
 憲法改悪反対。
 凜ちゃん! お祖父ちゃんは本気だ。
 読者の皆さん、どうか力を貸してください。

2019年9月12日木曜日

水遊びごっこ

   去年の今頃、孫の凜ちゃんは大学病院に入院していたが、実は今年も、曾祖母ちゃんを送った日の夜、熱発と夏風邪の症状がひどくなり大学病院に受診しに行った。(近くの病院ではよくならないし土曜日の夜だった)(親は去年のように即入院の可能性もあると準備していった)

 原因はRSウィルスかもしれないが、今年は入院するまでもないだろうというので帰ってきた。ただ症状はまだ続いている。
 そんなもので、水遊びもできないが水遊びごっこだけはした。

 祖父ちゃんの作った”だし巻き卵”をパクパク食べてくれるから遠からず軽快するだろう。

   来た来たと雷鳴を待つ残暑かな

2019年9月11日水曜日

猫の親ばか

   猫を10匹近く飼っているK2さんからメールをいただいた。
 この夏に『あさご芸術の森美術館』の『はしもとみお氏の木彫りの動物たち』を見てきたらしい。

 はるかに木彫りの水準を超えた作品に驚いたが、実は観覧中にNHKのインタビューを受けてそれが放送されたそうだ。

 5分近く語った内容が十数秒にまとめられて?放送されたらしい。
 それでも、語った本意とそう違わなかったらしいから、これはこれで楽しい思い出だろうが、結局、放送にはある種のシナリオがあって、それを修飾する『絵』を撮っているのだろう。
 私が古墳の現地説明会でインタビューを受けたときもそんな風だった。

 彫刻や古墳の場合はそれでもいいが、選挙時などはやたらに「誰がなっても一緒と違うん」というような「街の声」を繰り返し、選挙が終われば「低投票率が問題だ」的にお説教するのはいただけない。

 そういうマスメディアが日本の政権の腐敗には全く触れもせず、隣国の悪口ばかりを繰り返している。
 マスコミ論調を信じるというのは自ら「教養を欠いている」と言っているようなものではないだろうか。
 
 それらに飲み込まれないためには、権力に媚びず無縁な赤旗などを読むことが重要だが、同時に心あるリベラリストはミニコミやSNSでもっともっと思いを発信することが大切だと思う。

2019年9月10日火曜日

歪む言霊

   朝日新聞に半藤一利さんの『歴史探偵おぼえ書き』が先日掲載された。
 中見出しは『強いスローガンの恐ろしさ』で、写真(漫画)は大阪朝日新聞の「日露戦争の講和条件を批判するもの」。そして、記事の内容は写真のとおりである。(写真上でクリックすると拡大されて容易く読めると思う)

 私はかねがね、明治38年のポーツマス条約を弱腰外交と批判した新聞(例えば:万朝報(よろずちょうほう)「わが国民は小村(寿太郎)を迎えるに弔旗をもってせよ」と主張)の登場から戦前のこの国の進路は誤ったと考えていて、上記の記事に全く同意する。

 半藤氏は別の著作で次のようにも述べられている。
 ■ 朝日新聞は自社の70年史で書いています。
 「昭和6年以前と以後の朝日新聞には木に竹をついだような矛盾を感じるであろうが、柳条溝の爆発で一挙に準戦時状況に入るとともに、新聞社はすべて沈黙を余儀なくされた」とお書きになっていますけれど、違いますね。
 沈黙を余儀なくされたのではなく、商売のために軍部と一緒になって走ったんですよ。
 つまり、ジャーナリズムというのは、基本的にはそういうものでね。歴史を本当には学んでいないんですよ。
 こう言っちゃ身も蓋もないけれど、いまのマスコミだって、売れるから叩く、売れるから持ち上げる、そんなところだと思いますよ。(そして、メディアは日本を戦争に導いた)■

 半藤氏は文芸春秋や週刊文春の編集長も歴任されたされた方で、いわゆる左翼の方ではないが、まじめに近現代史を見てこられた結果がこういう言葉になっている。現在の氏の勇気ある発言の数々には敬意を感じている。
 現代人は、氏の指摘を深く噛み締めながらテレビや新聞に対面することが重要な気がしている。

   勇ましい言霊の国は過去の国

2019年9月9日月曜日

雑文、雑詠

 (1)こういう場面で思うのだが、諸行は無常だが児の声は未来の保証だ。
 大人たちがいくらカッコをつけても、児の元気な声以上の送る言葉は出てこない。
 ちなみに追悼歌は万葉集の時代は挽歌と言われていた?らしいが、その語源は柩を挽く際に詠われたからという。

 たいくつと折り紙で作ったバラの花 ひい祖母ちゃんの上に飾りぬ

 (2)長い職業生活ではふと”そんな目”で周りを見てしまうことがある。
 ”そんな目”で、義母と別れてから頭に思い浮かんだ実につまらぬことがある。
 こういう思考回路は職業病と言えないだろうか。実につまらぬことなのだが。

 目前の炉の建設工事は3506 労災保険率適用細目

 (3)老人ホームでお世話になった方々全員にお礼を言いたいが、交代制のためそれは不可能。
 で、ほんとうに形ばかりのお菓子にメッセージを付けてお配りしたいが、いったい何がいいだろうか。主はメッセージ。
 「どこそこのクッキーは評判がいい」などと娘と言い合っていたが、念のためとネットを開けると、あるはあるはプチギフト。
 およそ人の考えそうなことはほとんど商業ベースで捕獲されていて、その抜け目のなさにただただ感心。こちらが遅れていただけ。
 ここは一応「さすが便利だ」と誉めておこう、ネットショップのプチギフト。

 人の考えは把握済み ネットショップは何でもござれ

2019年9月8日日曜日

勝手に会場係

    白寿であった。故にもう怖いものは何もない。
 なので私は勝手に会場係になって、白寿にふさわしい会場にしようといろんな写真を展示した。
 習い性となるの言葉もある。
 皆は住職の背中よりも写真を見て、楽しく過去を噛み締めてくれた。お坊さん、ごめんなさい。

 そして、その光景を追悼歌にしてこれも掲示した。
 追悼歌は式の中でも紹介してもらった。
 きっと義母も写真のとおり大笑いしてくれたことだろう。
 出席した皆も、この心のこもった光景が思い出になったと思う。

 追悼歌は次のとおり。
   満面の笑み飾られし秋の日は
    お祭り娘の名をほしいまま

 義母は日頃はおとなしかったが、老人ホームのイベントの時はいつも茶目っ気たっぷりに応じて、スタッフや同僚の皆さんを楽しませてくれた。
 故に「お祭り娘」の名を独り占めと詠んでみた。

 そんな行事の時は、缶ビールやノンアルも美味しそうに飲んでいた。
 献杯!  



2019年9月7日土曜日

大馬鹿爺い

 臨時ニュースが飛び込んできて予定していた放送が吹っ飛んだというのがテレビではよくあるが、それに似た事態でこの記事のアップが遅れていた。夏ちゃんごめん。

 孫の夏ちゃん(小二)が夏休みの自由研究とやらで「漫画を描く」と言っていたのは7月27日のこのブログに書いた。
   その後夏休みに何回かわが家にやってきたが、その続きを書いているような様子は一つもなく、てっきり他のことに気が移って漫画はやめたのだとばかり思っていた。

 ところが新学期になって夏ちゃんのお母さんから「夏休みの作品が展示されているのでよかったら見てやって」とメールが入ったので、孫の小学校に行ってきた。

 祖父母が見に来たとわかると照れて嫌がるだろうと思って少しゆっくり目に行ったつもりだが、どういうわけか教室には数人が残っていて、その中に夏ちゃんはいた。案の定「それは見るな」と抵抗したので、じっくりは見なかったが、四コマ漫画のようなものが10数件描かれていた。

 私は予想外の出来栄えに感心した。
 もっと手を抜いたものが1~2件程度のものだと予想していたから。

 見渡すと、「夏休みの自由研究」というような参考資料に沿って仕上げたのではないかと思われるような大作がいくつもあった。
 それに比べると、まったく幼稚でしかもいささか乱雑だが、正味自分で考えて自分だけで仕上げたのが丸わかりの代物だ。
 祖父ちゃんはそこに感心した。
 犬も食わない、大爺ばか日誌である。

   夏風の留まっている廊下かな

2019年9月6日金曜日

玄関から送られる

   「老人ホームへ親を入所させるなんて」という意見を聞くことがある。
 感覚というか人生観は人それぞれだから否定する気もない。
 ただ私の子供たちが生まれた頃だって、「保育園に預けるなんて」という白い目はあった。
 朝ドラの夏ちゃんにしても同じようなセリフというか悩みが語られて、そういう(夏ちゃんのモデルのような)先輩たちの努力の結果、今があるのである。

 さて、老人ホームの話に戻ると、義母の入居した施設の母体はカトリック教会だった。
 そんなもので信徒さんの入居者も少なくはなかったが、圧倒的な数の入居者も、あるいはスタッフの多くも宗教、宗派とは無関係だった。
 それでも基本的な精神のような部分に優しい宗教心のようなものが流れていて、利用者である私たちも感謝することが多かった。

 昨日の記事で義母がターミナルに到着したことを書いた。
 一夜明けて、義母は可能な限りの大勢の入居者とスタッフに見送られた。
 部屋のスタッフの心のこもった言葉があり、聖書が読まれ、賛美歌が歌われた。
 もちろんメーンの玄関ホールでそれは行われ、最後はドアの外まで車いすの方々が出てこられて、車が見えなくなるまで送ってくれた。

 裏口などでは全くなく、正面玄関からこのように送ってくれる精神は宗教心ではないかと私は感心している。
 もし、家庭での老々介護に疲れておられる方で、この記事を読んでそんな施設もあるのかと思われた方がおられたら、一度施設介護の可能性を検討されてはいかがだろう。
 写真は以前の餅つき大会の際の写真である。薪竈も羽釜も蒸し器も義母が使っていたものである。

2019年9月5日木曜日

天使の時間

   義母がいよいよターミナルケアというときに、さらに念押しのための相談が医師と施設からあり、妻は痛み等の緩和剤以外の延命治療は一切望みませんと言い切った。

 そんなこともあり、夏祭りの頃にスタッフが義母に「一番食べたいもの」を聞いてくれたら「ソーメンを食べたい」と答えたので、それならと調理スタッフが全く義母にだけ特別にソーメンを作ってくれた。
 それを、その前からの落ち込んでいた症状が嘘のように、満面の笑顔で食べているのを動画に撮ってくれていて、それを昨日、ファミリーで大笑いしながら見せてもらった。

 「たしかこんなのを天使の時間と言うらしいで」と私は言った。
 どこかでそんなことを読んだことがある。
 ターミナル(終着駅)の少し前に、そんな天使の時間があるらしい。
 延命治療の拒否は、わが義母の場合は全く正解だったと思う。
 施設には感謝しかない。

2019年9月4日水曜日

ギンヤンマはトンボの王様

   孫の童謡のCDに 〽オニヤンマはトンボの王様~というのがあるが、まあここはギンヤンマと読み替えてもらいたい。
 先日から何回か撮影に挑戦したが、シャッタースピードが標準ならブレてしまうし、それを早くしたら深度が浅くなってピンボケになってしまう。
 飛んでいるギンヤンマを撮影するのはほんとうに難しい。

   写真の1番目はようやく撮れた、飛んでいるギンヤンマ。ピント(フォーカス)はまだだいぶ甘い。
   写真の2番目はシャッターチャンスに恵まれたケースだが、つかの間止まった交尾中。失礼。

 トンボといっても、いろんなトンボがいるが、昔少年はヤンマという言葉を聞くとなぜか心が躍ってくる。
   やはり飛ぶスピードだろう。
 子供は、スポーツカーや列車や飛行機が好きなのだ。

 それに昔少年にとってはヤンマはリスペクトすべきライバルだ。
 昔はギンヤンマは、街の十字路から十字路を縄張り宣言しながら周回していた。
 捕虫網で失敗してもまた帰ってくる。それが解っていても網の上や横をするりと抜けていく。悔しい!
 そのトラウマ?がこの歳になっても心を騒がせるのだ。

 写真の3番目はショウジョウトンボ(猩々蜻蛉)。
 ナツアカネが赤くなってきた!と一瞬思ったが、ナツアカネだと周りにいるはずの同類は全くおらず、1匹で縄張りを主張するショウジョウトンボだと同定。

 それにしても総じてトンボが少なくなった。
 水辺が不自然に汚れたからだろうか。あるいは綺麗すぎてボウフラや蚊が少なくなったからだろうか。

   戦闘機は無用ヤンマがかっこいい

2019年9月3日火曜日

近江が呼んでいる

   来年の朝ドラは信楽が舞台らしい。大河は明智光秀で坂本城をはじめとする近江のシーンが少なくないだろう。
 そんなこともあるのでOB会の秋の遠足は近江にしたと言うと「結構ミーハーやね」と妻に笑われた。
 
 そんな中近くのショッピングモールで『近江フェア』が行われていた。
 そういう催しにはあまり飛びつかない我が家だが「鮒ずしを買おう」というのは文句なく夫婦で意見が一致した。
 いうまでもなく、わが国で一番古式を残している馴れずしの一つで、原則として飯は食べないが、購入したものはこれも現代風に改良?されていて飯まで美味しかった。

 おまけに、それまで少し冷たいものを飲みすぎてお腹の具合がもひとつだったのまでが改善された。
 琵琶湖のニゴロブナの激減と数年にわたる手間暇からすると仕方がないかもしれないが、もう少し廉価になれば言うことはない。
 このままだと、一握りのマニア向けの珍味になってしまわないか。
 エヘン、鮒ずしは大人の食べ物である。
 豊かな人生を積み上げてきた者がこの味に魅了されるのだ。(少し偏見)

   秋めいて酒と女房と鮒ずしと

2019年9月2日月曜日

嫌韓キャンペンーンと上皇のお言葉

 先日何人かで酒を飲んだとき、非常にまじめな先輩が「韓国は無理難題を言う」「アメリカも怒っている」というマスコミ論調そのもので話をしたので些かショックだったが、冷ややかに考えると普通にテレビを見ている人はそう思うだろうなあと思う。
 マスコミは政府の言葉を垂れ流し、それ以上に煽っている。これは途上国の独裁政権、あるいは戦前の時代と瓜二つである。
 ただ、現代起こっている徴用工問題の韓国大法院判決やトリエンナーレの慰安婦の少女像については不十分ながらこのブログで書いてきたので今回は重複を避ける。

 そこで少し角度を変えて冷静な議論のために一つの資料を提供する。
 それは平成13年の『天皇陛下お誕生日に際し』ての記者会見の内容である。
 ここの天皇はもちろん現上皇のことであり、文章は宮内庁のホームページのものそのままである。

 ■ 問3  世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年,日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ,両国の市民レベルの交流も活発化していますが,歴史的,地理的にも近い国である韓国に対し,陛下が持っておられる関心,思いなどをお聞かせください。

 ■ 天皇陛下
 日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。
 宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。
 こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。
 私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。 
 しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。

 以上、私はこのような上皇(平成の天皇)の理性的な見解に非常に感銘を受けている。
 そして、反韓国のいわゆるヘイトスピーチを繰り返している右翼の人々はこれらの見解をどう受け止めているのかと不思議に思う。
 冷静になれ、大人になれが今一番大切なキーワードではないだろうか。


■おまけ■ 内田樹氏が次のようにツイートされている。
   この時期に日韓関係について、何を語るのかは、その人の知的誠実さと市民的成熟についての決定的な指標だと思います。僕がもともと「なんか胡散臭いな」と思っていた連中はだいたいがうち揃って「嫌韓コーラス」に参加しているようです。なんてわかりやすい人たちなんだろう。

   丸木舟倭人の故地は西の方

2019年9月1日日曜日

関東大震災の砂けぶり

 大正12年(192391日、私の母は堺でも「揺れた」と生前に語っていた。
 私は「まさか」と思っていたが東北地震の経験の後それを信じるようになった。

 その、96年前の関東大震災の中、朝鮮人や中国人が、住民の「自警団」や軍、警察によって殺害された。
その追悼式に、小池百合子・東京都知事は今年も追悼文を送らないと表明した。
 その式典には歴代知事がメッセージを寄せてきたし、小池知事も就任直後の2016年には前例にならったが、翌年から取りやめた。
 きっかけは、追悼碑の説明文にある「六千余名」という犠牲者数は過大だという自民都議の質問だった。自警団の行動は震災に乗じて凶悪事件を起こした朝鮮人らへの自衛措置だったとも。
 それを受けて小池知事は、虐殺について「様々な見方がある」「歴史家がひもとくもの」とあいまいな言い方で追認した。
 しかし、流言蜚語によって民族的な差別意識を増幅させた市民が、何の罪もない人々を殺傷したというのが、事件の本質である。

 そしてこういう日本の負の歴史について、研究の蓄積を無視した主張を言い募り、あるいは一部に疑問を投げかけて、諸説があるかのような空気をつくり出し、公的な場から消し去ろうとする「歴史修正主義」の動きが近年相次ぐ。
 東京では来年、あらゆる差別を禁じる憲章の下、五輪・パラリンピックが開かれる。
その都市のトップが、ヘイトクライムの過去に真摯(しんし)に向き合おうとしない。日本のみならず世界の心ある人々が知れば、幻滅し、その資質を疑うだろう。
以上は829日付け朝日新聞の社説の要旨であり、私はその主張に同意する。

 ここで2017420日にこのブログに書いたことの一部を再録する。
敗戦時、その存続が危ぶまれた大学が二つあった。神道を教学の柱としていた伊勢の神宮皇学館大学と国学院大学である。
 その危急存亡の秋に国学院大学の宗教研究室の主任教授になったのが折口信夫(おりくち しのぶ)で、学者であるとともに歌人でもあり詩人でもあった。
 はたして、日本会議周辺の神社本庁や神道政治連盟の人々はこの大先達のことをお知りだろうか。
 そして、関東大震災の翌年に折口が発表した詩「砂けぶり二」をご存知なのだろうか。

 少しく長いので一部のみ紹介すると、折口は、
  夜(ヨル)になったー。
 また 蝋燭と流言の夜(ヨル)だ  ・・と、詠い。
 かはゆい子どもがー
  大道で しばって居たっけ
  あの音ー
     帰順民のむくろのー。   ・・と、詠い。
  (初出では)
  おん身らは、誰を殺したと思ふ
  陛下のみ名においてー。
  おそろしい咒文だ。
  陛下万歳 ばあんざあい  ・・と関東大震災時の朝鮮人等虐殺を告発していた。

 関連して折口はこうも言っていた。
 ・・・大正12年の地震の時、9月4日の夕方ここを通って、私は下谷・根津の方へむかった。自警団と称する団体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり囲んだ。その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思ってゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切ってしまふ。あの時代に値(ア)つて以来といふものは、此国の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふやうな事が出来なくなってしまったと。

『吾輩は猫である』のなかで漱石は、「凡ての大事件の前には必ず小事件が起こるものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る幣竇(へいとう:欠陥)である」と語っている。
慰安婦、徴用工、南京虐殺、そして関東大震災時の虐殺。
松井大阪市長、河村名古屋市長、小池東京都知事らの発言を見過ごしていては、モノ言えぬようになったときの大事件の折に悔やんでも仕方がない。

  秋雨や線上降水帯と名を変えて