2025年6月4日水曜日

僕は よし坊

    また買うてしもた。 この種の本はもうええわ!と思っていたのだが、ラジオで著者が、「この時期に出したんは万博の便乗商法です」とあっけらかんと言うのでその根性に魅かれて手を出してしまった。著者は金水敏阪大名誉教授。
 ところが、パッと見には万城目学著のようにも見える「帯」はぎりぎりセーフ??
 内容は、上方の古典落語に出てくるような「船場(せんば)言葉」というよりも、漫才ブーム、お笑いブーム以降の関西弁に焦点が当たっているが、それはそれでよい。
 言語学的分析というよりも、会話は意味が正確に伝わることと同時に面白い方がよい的な大阪文化論でもある。

 私は東京や全国的規模の集まりの中であえて大阪弁を使う大阪人は嫌いであったが、若い頃5年間東京にいたがごく普通に最後まで大阪弁で暮らしていた。
 東京にも普通に大阪弁話者がいっぱいいた。
 周りからは何故東京弁にひれ伏さないのだ!という疑問があったのだろうが、ひれ伏す方がおかしいと感じていた。
 だからこれは言語学を超えた文化論でもある。

2025年6月3日火曜日

10%年金引き下げ法案

    コメ不足は重要な問題ではあるが、古米だ古古米だというパフォーマンス大臣の手柄話(ほんとうは何の手柄話でもないのだが)ばかりがニュースになる中で、非常に大事な「年金10%引き下げ法案」(修正案)が
、予定よりも2か月も遅れて5月16日に国会に提出されたかと思うと、5月30日には自公と立民の談合による修正で衆院本会議で可決された。
 立民の悪口は言いたくはないが、民主主義をナント心得ているのだと言いたくなる。
 私たちの要求は明快だ。物価が上がっても年金は上げないというマクロ経済スライドを速やかに終了せよ。物価スライドは制度の大常識だ。
 人間らしい生活を下支えする「最低年金」を導入せよ。
 それらの財政基盤のためには、厚生年金保険料の上限を現行の年収1000万円から医療保険並みの年収2000万円に引き上げ、短時間労働者への適用拡大を行え。
 参議院の審議がある。あきらめずに主張していきたい。
 黙っていては真綿で首を絞められる。 

2025年6月2日月曜日

6月朔日

    【1】 6月になった。7月の参議院選挙も目前に迫ってきた。
 落ち着いて社会の動向を見てみれば、自公政権や野党の顔をしたゆ党の政治の危険性は解ると思うが、どういうわけか近頃は「ゆっくりと考える」ということが馬鹿にされ(みんな忙しすぎて疲れているのか?)、短い感情的な表現に真実味があるかのような風潮があるのは心配だ。
 そんな中、6月1日の昼に大阪天王寺で共産党の街頭演説会があった。MIO側の通路、高架橋、ハルカス側のベランダと大観衆?だった。
 こういうのはみごとなオールドファッションかもしれないが、こういうものこそ基本のスタイルでいいのではないか。さて、どれくらいSNSで広がることやら・・・・大切なのはここだろう。

    【2】 何日間か散歩をしないうちに桑の実の季節が通り過ぎていったようだ。
 道路上には「来るのが遅いわい」とあざ笑うように実の痕が残っていたが、手の届きそうなところにはもう見当たらなかった。
 〽山の畑の桑の実を 小籠につんだは まぼろしか は、三木露風が大正10年に書いた「赤とんぼ」だが、小籠につんだのは露風の「思い出」だから赤とんぼの飛ぶ季節とは関係ない。
 しかし桑のことなど何も知らなかった私は、勝手に、桑の実は赤とんぼの飛ぶ秋に実るのかと誤解していた頃があった。
 もっとひどいことでは、若い頃、上越線で群馬に行ったとき、「群馬県にはイチジク畑が多いですね」と言って笑われた。もちろんそれは桑畑だった。

2025年6月1日日曜日

ウオッチドッグ・ジャーナリズム

    ウオッチドッグ・ジャーナリズムという聞きなれない言葉を知った。
 
 日本のメディアの印象では、犬や番犬というと、金持ちや権力者に尻尾を振るポチや、権力側が意図的に流す情報操作の手足を買って出る番犬というイメージがするが、ウオッチドッグ・ジャーナリズムとは、『調査報道で権力を監視する(市民の)番犬たるジャーナリズム』のことらしい。
 こんな言葉を知ったのは、記者会見などで時々お目にかかる、公益社団法人・日本外国特派員協会が、いわゆる裏金報道などを通じて「しんぶん赤旗」を2025年報道の自由賞・日本賞に選び、「民主主義におけるウオッチドッグ・ジャーナリズムの重要な役割を果たした」と称えたからだった。
 贔屓目ではなく、森友や桜を見る会以降も続いた赤旗のスクープは日本の民主主義の宝物だと言える。
 昨今、スマホには勝手にニュースの要約が届けられる。しかし少なくないフェイクニュースとも玉石混交だ。スマホのニュースで世界がわかったように考えるのも正しくない。
 だんだん文字を読むのが辛くはなってきているが、活字を手放すと長いものに誘導される。
 在日外国メディアのジャーナリスト並みの常識を踏み外していないかと常に反省しておきたい。
 写真は記事と直接関係はないが、真実の報道が夜明けを準備するという気持ちを込めて、わが街の夜明けを早朝散歩で撮ったもの。

2025年5月31日土曜日

デパコレでチョイス

    いわゆる「お返し」にカタログギフトの「デパコレ」が送られてきた。 
 もともとが少額のものであったので、今さら!!というものばかりで選択はお菓子にしようかと思ったが、なんと「こしひかり」が目についた。スーパーの棚にはなかってもこんなところには隠れていたのだ。
 そんなもので、半分話題のためにこれをチョイスした。

 さて近頃話題の古米だが、昔から老舗の寿司屋ではあえて古米を特注していた。 
 実際には家庭で料理によって新米と古米を使い分けるのは無理な話だが、豆知識としては、寿司やカレーライスには古米がよく新米はよくない。

 さて古米はないが、月曜日は孫の凜ちゃんのために私がキーマカレーを作ることになっている。ネットで紹介されているレシピ以上のものを作ってやろうと思っている。
 妻は「毎日作る(考える)身になってみたら」と言うのでギャフンというしかないが、担当した料理に凜ちゃんが思わず「美味い!」と言ってくれると次も頑張ろうと思う。

2025年5月30日金曜日

ワンイシューでいいの?

    ワンイシュー(単一争点選挙)が流行っているように見える。
 
 テレビの「英雄たちの選択」風に「総理の心の内に分け入ってみよう」とすると、東京都議選、参議院選が終わるまではコメ単一のワンイシューで行こう、進次郎のパフォーマンスをテレビやSNSでばら撒き、古米、古古米を2,000円台にして乗り切ろうという策略に見える。基本の普通の新米がどうなるかは分からないし‥
 たしかにコメは毎日の基本の食糧だから米価の高騰や品薄が抑制されるのは良い。しかし、コメの増産、農家の所得保障、備蓄米の補填など根本的な問題は何も解決していない。
 そもそもが結論ありきのような随意契約は正しいのか。
 ワンイシューというと大阪では大阪都構想という虚言もあったが、それ以前には進次郎の父親の郵政改革選挙が典型だった。当時の郵政事業は黒字だったから国庫に何の迷惑もかけていなかった。迷惑と感じていたのは簡保にとって代わりたいアメリカや日本の保険業界だけだった。
 それを選挙が始まるや、「郵便局員がなぜ国家公務員でなければならないんだ」ときた。(だいたいが当時の三公社五現業は、非現業の(ごく普通の)国家公務員とは別物であった)
 そして、郵政事業が世の中のマイナスの諸問題の典型だから、郵政事業を民営化したらこの世(社会)はバラ色に発展すると叫び続けた。さて、それでどうなった。
 郵便も簡保もサービスは大幅に悪くなった。国の赤字・国債は増え続けた。年金も社会保障の水準も低下した。
 とまれ、いっときの古古米に喜んで郵政民営化の轍を踏んではならない。
 「貧すりゃ鈍する」という言葉がある。経済ひいては時間に貧すれば、卑しい考えに流されるという。
 ちょっと待て! ゆっくり話をしよう。
 裏金も学問(学術会議)の自由も、古米、古古米,古古古米の値段で「解決?」しそうな国に我々はいま棲んでいる。

2025年5月29日木曜日

消費税は社会保障の財源?

    消費税減税の議論を聞いていると、与党の反論は約めて言えば「社会保障が低下してもよいのか」という脅し文句のように見える。
 そしてどうしてか立憲の野田党首なども「消費税は社会保障の財源」論を暗黙の前提にしているように聞こえる。だが、果たしてそうか。
 まずは、ならば消費税導入以前には社会保障費はなかったのか。もちろんそんなことはない。
 そこで実際には、消費税で税収そのものを増税し、その分、法人税率や所得税の最高税率を引き下げ続けたのだから、金持ちの減税の肩代わりを庶民に押し付けたことになる。
 一番肝心なことは消費税は使途を特定する「目的税」ではなく「普通税」ということだから、結局税収に色はついていない。もちろん、社会保障に他の税収が充てられるのが法的に禁止されているわけではない。
 税金は「応能負担」が大原則。社会というか国の大原則もそこにある。本来負担すべき富裕層や大企業の払うべき税額は22年度予算をもとに試算すると58兆円とも言われている。
 消費税を減税しても世界一の福祉大国にできるのだ。

2025年5月28日水曜日

夏は来ぬ

    先日まで黒かった田んぼに水が入って輝いている。
 待ってましたと田植えも進んでいる。瑞穂の国の風景だ。
 早朝、ベランダに出ると時鳥(ホトトギス)の声が聞こえてきた。
 楝(おうち)の花は大半が道に落ちた。
 卯の花も道を真っ白に染めている。
 『夏は来ぬ』明治29年(1896)佐佐木信綱の詞は季節が正確だ。

 『夏は来ぬ』
 1 卯の花のにおう垣根に
   時鳥 早もきなきて
   忍音もらす 夏は来ぬ
 4 楝ちる川辺の宿の
   門遠く水鶏(クイナ)声して
   夕月すずしき 夏は来ぬ

ジューンベリー化ける

    juneberry ・ 6月のベリー。いわゆるブルーベリーとどう違うのかは知らないが、何年か前に庭に植えた。その木が6月を待たずに熟してきた。
 これまでは、もう一つ甘味や酸味に欠けて気に入らなかったが、どういうわけか今年の実は甘くておいしい。不思議だ。木が化けた。
 木自身が成熟したためかこの春が暖かかったためか旨い理由は知らない。
 こうなると、これまではおおらかに野鳥が啄ばむのを許してきたが、にわかにケチンボ根性が沸き上がってネットをかぶせようと思う。申し訳ない。よそをあたってくれ。

2025年5月27日火曜日

走る姿

    撮鉄(とりてつ)ちゃんのことはよくは知らないが、やはり走っている姿に魅了されているのではないか。
 先日の北斎ではないが、数字の上の月日でなく、常に何かに挑戦している(走っている)人の姿は美しい。 
 今年退職者を送りだした労働組合の宮風委員長がそうだった。
 ネットの時代、ちょっとググれば送辞の見本ぐらい簡単に出てくる昨今、今年の委員長の送辞は「送別の詩」ポエムだった。
 そこでは「はたらく者に必要な能力とは」と問いかけ、「隣の同僚に元気がなければ声をかけ、自分に元気がなければ声をかけてもらい・・そんな職場を作る力のことでしょうか」と思いを巡らせ、「だいたい40年、だいたい1261440000秒の、職業人生を全うされた先輩方に、感謝の言葉を贈ります」と結ばれていた。
 いいぞ現職組。わが会員も常に新しい挑戦を目指し、今年はカズーの大大合唱(合奏)で新しい退職者を歓迎した。
 例年少し大人しい気味だった現職組も、今年は大いに前に出てくれた。
 情熱のない引退からは代替わりも進まない。走ることだ。

2025年5月26日月曜日

ヤミ金心中事件

    524日にNHKの【新プロジェクトX】「ヤミ金融を撲滅せよ・八尾心中事件と雑草弁護士の闘い」を見た。
 2003年にJR大和路線の八尾の踏切で、3人の男女が電車に飛び込み自殺した。
 亡くなったのは、69歳の主婦とその夫(61歳)、そして主婦の兄(81歳)の3人で、夫と兄には障害があった。
 きっかけは、主婦が親族の医療費の支払いのために借りた15000円だったが、そのほんのわずかな金額に毎週15000円という異常に高い利息を求められ、借金は雪だるま式にすぐに30万円に膨らみ、しかも完済させてもらえなかった。
 そうなるとすぐに取り立ての電話や訪問が始まり、自宅に何度も電話がかかってきただけでなく職場にも執拗に連絡が入り、さらには友人宅や親戚にまで電話がかかってきて近所の住民にまで訪問や連絡が及び、主婦が残した遺書には、「逃げ場がない」「もう誰にも迷惑をかけられない」という言葉が記されていた。
 被害者は高齢だったこともあり、体力的にも精神的にも限界だったし、金融業者からの脅しや侮辱的な言葉を受けていたと遺書に書かれていた。
 そういう社会的信用の崩壊に耐えられなかったという要因が重なり、3人は最後に命を絶つという道を選んだ。
 番組はこれらに立ち向かった雑草のような弁護士の努力の物語になるのだがそれは略す。
 たしかに「どうしてヤミ金なんかに手を出したの」というお説教はできるかもしれないが、それでも人の命まで奪ってよいことはない。
 そしてその時代、ヤミ金ではないサラ金や商工ローンというのも五十歩百歩のことをしていた。「腎臓売ってこんかい」という脅しなどに差はなかったようだ。
 私は、サラ金や商工ローンの顧問弁護士をしていた大阪府の元知事や現知事の顔を思い浮かべた。
 
 片棒を 担いだ男は 笑ってる

2025年5月25日日曜日

「食べる」とは

    「動的平衡」の続きだが、先の著書では「消化とは食べ物を細かくして栄養を取り込みやすくする作業ではない」というのも面白かった。
 
 食べ物は、動物性でも植物性でもそもそもは他の生物の一部。そこには元の持ち主の遺伝情報がしっかりと書き込まれている。遺伝情報はたんぱく質のアミノ酸配列。アミノ酸はアルファベット、たんぱく質は文章にあたる。
 その他人の文章(たんぱく質)がいきなり私の身体に入ってくると、情報が衝突し、アレルギー反応や拒絶反応を起こす。
 だから元の文章をバラバラのアルファベットに分解し自分の身体で再構築する。この解体こそが消化の本質だ・・・と。
 ・・こういう話は解っているようでも新鮮だった。
 著者は、「コラーゲンを食べればお肌がつやつやになると思っている人はちょっとご注意あれ。それは、他人の毛を食べれば髪が増えると思うに等しい」と断言している。
 でもね・・・焼き肉をガッツリ食べると顔がテカテカになる気がしますがね???

2025年5月24日土曜日

どうして私が

【無作法ごめん】

前大臣「どうして私が・・・」

総理「ほんとうのことを言ったからだよ」

自殺プログラム

    先日、福岡伸一氏の「動的平衡」についてほんの少しだけ触れたが、氏の論について私が目から鱗だったのは「生命の大原則は分解だ」という点であった。
 例えば「うんち」と氏は述べ、「うんちは食べかすが排泄されているようにみえるが、その主成分は自分自身の消化管の細胞の残骸である。それが日々捨てられている」という。
 生命に降り注ぐ矢を放置すれば、例えば細胞膜の酸化、老廃物の蓄積、たんぱく質の変性、遺伝子の変異をもたらし、放置すれば生命という秩序は崩壊する。
 それに対して生命側は「丈夫で長持ち、堅牢で強固」という対応をするのでなく、常に傷つく前に、十分正常なままの自分自身を分解し、壊し、捨て、その代わり新しい細胞が日々新生されるという方法で更新し続けている。この絶え間ない分解と更新の流れを氏は「動的平衡」と呼んでいる。
 中世、鴨長明は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」と、「かつ消え」という分解を「かつ結て」という合成に先んじて詠んでいるイメージが「動的平衡」と氏は語る。
 新陳代謝ではない。細胞自身も、アポトーシスという自殺プログラムによって新しいものでも積極的に破壊することに意味がある。そうして我々は生きている。

2025年5月23日金曜日

いのち輝く

    朝日新聞には「かたえくぼ」という短文の投稿コラム欄がある。かたえくぼというのは苦笑した顔という意味だろう。赤旗では「ふれだいこ」と銘打っている。
 昨年からときどき川柳を考えたりし始めたが、川柳よりもカタチが自由で楽かもしれない。
 いろんなコラム名を考えたが「休むに似たり」、とりあえず仮題「無作法ごめん」として思いついたときに書いてみることにする。その第1号!


 【無作法ごめん】
 万博会場でユスリカ大群舞
 —ほんとうだ、いのち輝いている―
            昔昆虫少年

段取り八分

    私にくす玉制作の依頼のあったパーティー(本番)が
先日あった。
 雨の夜、帰宅すると、「くす玉はパカ~ンと上手く開いたの?」と妻が早速質問を浴びせた。
 今年の制作(改造)は大きなところでは垂れ幕の背景の飾りをモールからリボンに変更したのだが、結局それが以前よりももつれて綺麗に垂れ下らなかった。
 家でのテストでも時々失敗していたのだが、正常性バイアスというか希望的観測バイアスというか、「篭の中に丁寧にしまい込んでいけば最後は上手くいくだろう」と勝手に思い込んでいた。何が段取り八分だ!と自身に怒。
 それ以外にも製作者としてはいろいろ改善の余地の大きいところが目について反省しきり!

 それはさておき、反対に、何年も使い慣れた大きなパーティー会場だけあって、会館職員の方が上手く取り付けていただいたことには心から感謝。(この取り付けはけっこう難しく、下手をすると垂れ幕が裏返ってしまう)・・結果、垂れ幕は正面を向いてくれてホッ。
 物価高騰の折から料理を含む会場費(つまりは会費)を抑えたいという願いもあるが、このように使い慣れた会場のありがたさには代えがたい。

 くす玉というと進水式が思い浮かぶ。退職者だけでなく、われわれはいつも新しい日々に船出するのだ。

2025年5月22日木曜日

天道虫

    空豆(ソラマメ)を収穫した。
 
 ご存知のとおり、ソラマメは実(莢)が空(ソラ・上)に向かって屹立している。
 何となく自然に逆らって頑固に主張しているみたいでエネルギーを感じる。
 私などは「お多福豆」とも呼び習わしてきた。

 周りのエンドウ豆と違ってソラマメにはアブラムシがびっしりやってくる。
 どこから来たのか、なぜエンドウでなくソラマメなのか、自然界を覗き込めば不思議だらけだ。
 アブラムシと言えばアリとの共生が有名だが、その天敵がテントウムシ(食物連鎖)というのもまた有名。
 収穫するソラマメにもそれは居た。
 ネットをググるとテントウムシが売られているのを発見して驚いた。
 「天敵農法」って本当にあるのだ!!
 西欧では幸せを運ぶ虫というらしい。ナルホド!