2024年11月26日火曜日

プラタナス

    写真の一番手前のだいぶ葉が落ちたのがプラタナス。
 後ろのまだ落葉せず黄葉しているのは「なんとかカエデ」 。帰ってから色々調べると→ユリノキと思われる。
 葉の大きさや形はほとんど変わらないが幹の木肌が全く違う。よく見ると葉も違って→ユリノキは突起が4つ。

 プラタナスといえば私などは、はしだのりひことシューベルツの「風」とくるが、実際の葉は詩情よりもバッサバサの落ち葉でゴミの感じがする。

 プラタナスとスズカケの木は同じという文章もあるが、そこまで詳しくは知らない。
 スズカケの木といえば、兄の世代が、灰田勝彦の「鈴懸の径」を歌っていたので、なんとなく歌える。

 プラタナスとマロニエは同じという文章もあるが、パリを散策したこともないしマドモアゼルとデートしたこともないのでこれも正確には知らない。

 この散歩道でこの木を見上げ、綺麗な落ち葉を拾う度にそんなことを取り留めもなく考える。
 それにしても、「後ろのカエデの名前は何だったかなあ」昔は名札が立っていたのだ・・と。調べた結果→ユリノキだと思われる。

2024年11月25日月曜日

書道展

    孫の夏ちゃんが入賞している書道展に行ってきた。
 私は夏ちゃんの反面教師として大きく貢献した。
 『「謎解きは好きだが練習は嫌い」という祖父ちゃんの轍を踏んだらあかん』と教えてきたのを夏ちゃんはよく理解してきた。
 身贔屓だが立派な出来栄えだと思う。

 書のことについては全くの素人だが、私なりにピンとくる書は解らないわけではない。
 この孫が大きくなって一人前の作品をしたためたならば表装をしてやろうと夢を見ている。
 

2024年11月24日日曜日

ケヤキ

    わが家の前の遊歩道にはケヤキが街路樹として植えられている。
 ナンキンハゼに劣らぬ樹勢である。初夏にはタマムシが恋を求めて飛び回る。タマムシの次はクマゼミに主役が入れ替わる。
 「相」という字は木を見るということで、木を見ると人間は生きる力をもらうのだ。故に相という字には助けるという意味がある。主権者(戦前までは天皇)を助けるのが大臣だから、大臣のことを〇〇相という。
 窓の外のケヤキを眺めていると、そんな蘊蓄が実感として伝わってくる。

 問題は落葉である。写真のような木が5本ある。
 昔は毎日掃除をしたり、場合によっては一日に数回掃いたりしたが、正直なところ近年は音を上げて「剪定するなら落葉前にしてくれ」と自治体に要望し、それがここ何年かは続いてきた。
 それが今年は写真のような状態で、自治会のクリーン活動(町内清掃)だが手に負えない。
 掃いてる頭の上に落ちてくる。2mほど掃いて振り向いたら「いつ誰が掃いたの?」という景色に変わっている。

 ひしひしと感じるのだが街全体が見事に歳をとっていく。そういうことは若い頃は理屈では解っていたがそんな実感は持たなかった。
 地方都市では以前から語られていたのがようやくわが街にも及んできたのかもしれない。
 「タワマンが廃墟になるぞ」というのにも説得力を感じる。
 そんなことを、ケヤキに助けられながらいろいろ考えている。

2024年11月23日土曜日

火野正平 帽子

    20日に火野正平さんのことを書いたが少しだけ補足する。
 20日の記事の動画のとおり、「こころ旅」の火野正平さんはよく布切れの帽子を被っていた。
 この番組のファンでもあった妻は、クセ毛対策もあり「あれがいい」と言ったが「あんな帽子」の名前は知らない。ネットを繰ってもその名前は今もよく判らない。

 ところがネット社会は便利なもので「火野正平 帽子」と検索するとあの種の帽子がいっぱい登場し、ネットショッピングで2つほど購入した。
 掲載した写真のモデルは私だが、日常は妻が愛用している。
 そんなこともあり、なんとなく火野正平さんには勝手な親近感があった。

 それはそうと22日には雀々さんの訃報が報じられた。
 季節なのだろうか、舞い込む喪中はがきと併せて少しばかりへこむ。
 みなさん健康には気をつけよう。コロナとインフルエンザの予防注射は抜かりなく。何事につけ無理は禁物だが守りばかりでは人生つまらない。

2024年11月22日金曜日

ナンキンハゼ

    19日は今季一番の冷え込みだった。カラカラカラカラと枯れ葉が道路を舞う音も寒々しかった。
 歳が行くと街路樹の後始末もお手上げだ。

 街路樹というと、勢い環境に強い樹が選ばれるので周辺にはナンキンハゼがよく見かけられる。
 奈良公園でも、多くの樹木は若木のうちに鹿に食べられるので、馬酔木のような鹿が食べない毒のある樹が増えている。ナンキンハゼはその代表で、野鳥がふんをすることで増殖し、今では奈良公園の紅葉というとモミジではなくナンキンハゼの方が場所によっては主流となりつつあり、ナンキンハゼは駆除、伐採の対象となっている。
 そもそもの出どころは奈良公園周辺の道路の街路樹として人間が植えたものだから間の抜けた話ではある。

 そこでわが街の話だが、少し離れた幹線道路の街路樹がナンキンハゼで、昔はその紅葉が綺麗であった。
 しかし、その紅葉の美しさに増して「落ち葉がかなわん」という声が大きくなったのだろうと想像するが、近頃は紅葉や落葉が始まる前に見事に坊主にされている。
 何もかもが人間のエゴかもしれない。そういう時代になってきたのだ。

2024年11月21日木曜日

〽 虹

 川柳に『懐メロが新しすぎて歌えない』というのがあったようななかったような。
 19日に発表された紅白歌合戦出場歌手一覧を見ながら、そんな川柳が頭をよぎった。

 先日、孫の凜ちゃんの施設の「お祭り」が5年ぶりにあったことを書いたが、そこでは不思議なことに知らないはずの歌が勝手に歌えた。
 妻も「知らないけれど聞いたことがあるような‥」と同様だった。
 メロディーラインが易しかったからかもしれないが、もしかしたら子ども(つまり凜ちゃんの母親)の保育園時代に聞いていたのかもしれない。
 あとで記憶を頼りに検索してみたら、30年以上前につくられた童謡?の『にじ』という曲だった。

 老人ホームの家族会をしていたとき、音楽療法士がよく童謡などを選曲するのに、「なんか幼児扱いされているようで不満。もっと歌謡曲なども入れてほしい」とお願いしたものだが、自分がその老人になった今では、こんな『にじ』みたいな童謡もいいもんだと思うようになった。

 もしかしたら何年か前、凜ちゃんが見ていた「おかあさんといっしょ」の中で、リバイバルみたいに歌われていたのかもしれない。
 それにしても、昨今の歌は全く歌詞など聞き取れない。現代人は何をそんなに急ぐのか。
 そういえば凜ちゃんが別の施設で習ったダンス曲は Bling-Bang-Bang-Born で、もうまったく手に負えない。
 このブログ記事、私たちが若い頃「ロカビリーは不良の音楽じゃ」と息巻いていた爺どもと同じだろうか。



2024年11月20日水曜日

『こころ旅』

 『にっぽん縦断こころ旅』が寂しい。 
 火野正平さん(75)の訃報があった。
 私の記憶はほとんどが『こころ旅』で、役者や歌手の火野正平さんはあまり知らないが、私より若い、それに驚異的な体力にいつも感心していただけに驚いた。
 『こころ旅』は珍しいものに出会うというよくある旅番組ではなく、視聴者からの「手紙」がいい。
 その多くは、今はおられない人々との思い出で、見どころは火野正平さんが上り坂でハアハア言っている場面だったが、近年は上り坂コースはほとんどなく、「人生下り坂サイコー」と叫びながら下るばかりで、それもまた愉快だった。
 合掌 ・・とまとめたかったが祭壇の写真には十字架が映っていた。




豆ごはんを想像して

    19日(火)の『わが家の菜園自慢』に投稿が掲載された。
 種まきをしていたウスイエンドウが発芽して伸びてきたので、一部をプランターから地植えに移植したという現状報告で、それだけでは話も面白くないし写真も地味なので、ウスイエンドウはいわゆるグリーンピースではないこと、豆ごはんにすると美味しいこと、孫の凜ちゃんが大好きなこと、冬の間はたいした農作業もしないが春の豆ごはんを想像しながら冬を越すということを書いた。

 古い友人からは「読んだよ」と懐かしい電話がかかってきた。メールをくれた友人も少なくない。
 別の古い友人からは「久しぶりの菜園自慢だな」とメールが来たが、それは図星で、この夏の「沸騰」ぶりには恐れをなして、ただただ自然農法・・つまりは放ったらかしできたから、これといった「自慢」ができないでいた。
 というか、夏野菜にしても、このエンドウにしても、作業は100%妻の手になるものだった。
 だから私はファーマーではなくレポーターにすぎない。



黄蝶の食草

    石蕗(つわぶき)の黄色い花に黄蝶。
 あまりに黄色が合っているのでスマホで撮影した。
 「キチョウはシロチョウ科」というのも可哀相な気がするがそれはさておき、昔は最もスタンダードな蝶といえばモンシロチョウだったが近頃は、少なくともわが家周辺ではキチョウの方が断然目立っている。

 モンシロチョウの食草であるキャベツ畑などアブラナ科はあまり見なくなったから当然だろうし、もしキャベツ畑があっても完全に農薬でバリアが張られているだろう。

 一方キチョウだが、食草はマメ科だという。というのでわが家周辺を考えてみると、クズ、クローバー(ツメ草)、カラスノエンドウなどが普通に茂っている。ナルホドと言える。
 子どもの頃は網を振り回しても、モンシロチョウにはがっかりしてキチョウは嬉しかったものだが、ほんとうに近頃はモンシロチョウが嬉しく思えてきた。

2024年11月19日火曜日

負うた孫に

    「負うた子に教えられ」というが、妻は孫の夏ちゃんにスマホの疑問を手取り足取り教えてもらった。
 妻の質問は「検索した記事の画面をスクリーンショットしたものを送信したのちに戻ると画面が動かないのはなぜか」というもので、この辺りは妻は私よりも格段にスマホを使いこなしている。(私はスクリーンショットなどしていない)
 夏ちゃんは、祖母ちゃんの判りにくい質問を辛抱強く聞いてあげたうえで、「それはそんなもんや」と判決し、「スクリーンショットよりも元のものを共有で送った方が良い」と説明した。

 その後、私が「パソコンのメールアドレスを変更したが、スマホから写真をパソコンに転送(共有)するのに新しく登録したアドレスがスマホに瞬時に出るようにしたいが」と尋ねたが、これは良くは解らず、「新しいアドレスを何回も使ううちに変わるだろう」ということであった。(どうかな?)

 いずれも、負うた孫に教えられてウンウンとただ頷くだけの爺婆であった。

    わが家を後にした夏ちゃんは国立奈良博物館の仏像館に行き、撮影可の仏像(十二神将の内の波夷羅(はいら)大将(辰))の写真を祖父ちゃんに送信してくれた。
 う~ん、スマホの写真機能はすごい。

 私の中学1年生の頃は懸賞かなにかで手に入れた白黒のフィルムカメラで、写真屋(DPE)の親父さんに「格子戸の影を撮っているのはセンスがある」と褒められて気を好くしていた。

2024年11月18日月曜日

民主主義者に問われているもの

    劇場型選挙だとか〇〇劇場などと言われてから久しいが、それを苦々しく「政治には理性が必要だ」などと批判してきた民主主義者が学習を怠っているうちに、SNS選挙は、失職した兵庫県前知事を復活させた。
 PRプロデューサー殿村美樹氏が『ブームをつくる』という本(集英社新書)を出版されたのは2016年1月で、ブームをつくるのも「科学」であることを説いていた。例えば氏は、予算のない香川県庁が「うどん県」をPRするのに、従来の記者発表ではなく、インターネット界のカリスマ・ブロガーたちを招いて大成功させている。30年以上前のことである。

 選挙でいえば、7月の都知事選挙で石丸氏が蓮舫氏を上回ったことに私は驚いたが、その原因は短い動画配信であった。告示から1週間で石丸氏のユーチューブは1億2千万回視聴されていた。
 10月にこの戦術を取り入れたのが国民民主党で、そして今回の兵庫県知事選の斎藤陣営であった。それはN党の応援という新戦術まで生み出した。
 ネットは悪い意味でも野放しのところがあるからフェイクニュースも多い。
 だから同様の汚い手を民主主義者も使うべきだなどとは全く思っていないが、今どきの若い有権者の少なくない人々は、新聞をとっていない。テレビ(ニュース)もあまり見ていない。ニュース(情報)はスマホつまりネットで得ている。
 マスメディアのエースとも思える東京新聞望月衣塑子記者が新聞やテレビを「オールドメディア」と語っているのにも驚いたが、そういうことだ。

 となれば、「ネットの情報を鵜吞みにするな」という情報もまたネットで拡散しないと何の意味もない。
 歳をとると前頭葉が劣化し、結果として新しいことに挑戦できなくなるという。
 だから少なくとも、民主主義者はネットに触れないことを自慢したりしてはいけない。
 また、私はあえて言うがオールドメディアもミニコミも大事だと思うから、そういうツールでもまた新しい挑戦を端から拒絶してはいけないと思う。
 そんな気持ちで今はミニコミ紙正月号に向き合おうかと思っている。

大阪の街道を歩く

    【小西進著『大阪の街道を歩く』日本機関紙出版センター】を楽しく眺めている。読んでいるというよりも眺めて楽しんでいるという方が何となく合っている。
 
 本は8章からなっていて、西国街道、京街道、熊野街道、暗越奈良街道、東高野街道、西高野街道、竹内街道、大阪市内の諸街道 を歩いてガイドしている。
 この本のトピックスは追々書くとして、今日は私が若い頃住んでいた堺市の中心部のことを書いてみる。先ずは熊野街道のことである。

 熊野詣のために京から乗ってきた船を降りたのが大阪は天満橋近くの八軒家浜。あとは南の紀伊に向かって99の「王子」を辿っていく。大阪市を越えると堺市に入る。
 そういう歴史などには興味がなかった子供(私)は、熊野街道イコール小栗街道イコール府道(13号線)だと漠然と理解していた。
 (ちなみに、説教節や浄瑠璃の小栗判官のことや、ほんとうは府道30号線なのに堺の人はなぜ13号線と呼ぶかについては、今日は割愛。以前に書いてもいる)。
 しかし現在では堺中心部の街道は特定しがたくなっているようで、例の府道や南海高野線よりも東側の田出井町(刑務所西)に境王子碑があり、私の理解していたよりも東側にあったようである。(他の説もある)

 中世よりも昔(古代)は難波の宮(現大阪城の南)からまっすぐ南に向かって難波大道(なにわだいどう)が引かれていて、堺で直角に飛鳥、奈良への街道と交わっていたから、難波大道や飛鳥への交差路は旧堺の環濠都市よりは東になる。

 そして考えれば堺は古く中世からの都市であったから、旅人も一本道の街道に限らず往来していたのではないだろうか。例えば、住吉を巡ったのち、今の阪堺(路面)電車の通っている堺の大道筋などの利用も想像できる。
 私なら熊野詣という一大イベントのついでなら、ここは、かの有名な堺の繁栄を覗いてみたいと思っただろう。
 それにしても、江戸時代の参勤交代に使われた他の街道との違い、つまり今では特定しがたいところがあるという特徴がここにはある。 

 その堺の大道筋は、一般に紀州街道であったが、この本ではあまり取り上げられていないのが少し寂しい。
 阪堺線でいえば北は綾ノ町から南は御陵前までが大道筋で、御陵前でぐいと西斜めに折れて南下する。
 〽 てんてん 手ん毬 てん 手毬・・紀州の殿様 お国入り・・ の紀州街道で、このあと海沿いを南下して泉佐野で再び熊野街道と合流する。

 熊野街道は、堺市のホームページでも御陵前の少し東の山之口橋から大鳥大社へのルートが載っている。大道筋の発展?に伴って元は堺の東の方を通っていた熊野街道が堺中心部を見物できる新ルートに変わった気がする。(想像の域を超えていない=勉強不足)
 
 このように、自分の知っている土地が出てきたり、実は勘違いしていたようなことが出てきたり、この本を眺めながら楽しんでいる。
 大阪周辺の皆さんにはお勧めする一冊である。

2024年11月17日日曜日

ワクチン接種

    友人からLINEが届いたら「入院中だ」というので驚いた。
 数日前に「熱が出た」「のどが痛い」とあったが結局「新型コロナ肺炎」と診断され、重症ではないが、心臓や腎臓に弱点があるので症状急変に備えての入院というので少しは安心した。

 さて、私は一般的なマスクをあんまり信用していない。ほんとうに効果があるのなら統計的(疫学的)に日本の患者数は他国に比べて目に見えて少ないはずである。マスクをするなら医療用のマスクでなければ医学的には防げないだろうと考えている。
 それに、マスクはしていても電車に乗ればつり革や手すりを持ったりしているのだから話は一貫していない。

 ということでマスクよりも私はワクチン接種の方を信じている。
 ネット上には「ワクチン陰謀論」が跋扈しているが、「あらゆる薬はいわば毒である」という論には組しない。
 医学のことだから軽々には語れないが、平均的な人ならワクチン接種はデメリットよりもメリットの方が多いように思う。
 「コロナ」は、いわゆる5類へ完全移行したのでわが自治体では接種費用は2000円だったが、若い人が任意で受けると15000円ほどかかる。5類移行はどうだったのだろう。検証が必要になる時が来るだろう。

 私はインフルエンザの予防接種と合わせて済んでいるが、友人たちの中には「これから」という人もいる。
 妻が妻の姉に私の友人の入院のことも話して接種を勧めたところ、「なんとなく様子見をしていた」「背中を押されるのを待っていた」と述べ、早速接種に行くことになった。

 一般論だが我々の生活の周辺には膨大な細菌やウィルスが存在しており我々は日々それに浴びるように接触している。多くの場合それでも発症しないのは体の側に抵抗力(免疫力)があるからだ。
 新型コロナウイルスはそういう中でも強敵らしいが、日頃の健康が大事であることはいうまでもない。注意して暮らしたい。

2024年11月16日土曜日

万博アンバサダー

    大阪・関西万博アンバサダーである松本人志氏が自ら提訴した裁判を取り下げた。
 週刊文春側に「事実無根だ」と5億5千万円という莫大な損害賠償を求めてきた裁判であった。それを自分側から取り下げた。

 松本人志氏側のコメントは、
 「(前略)松本が訴えている内容等に関し、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。そのうえで、裁判を進めることで、これ以上、多くの方々にご負担・ご迷惑をお掛けすることは避けたいと考え、訴えを取り下げることといたしました。松本において、かつて女性らが参加する会合に出席しておりました。参加された女性の中で不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。尚、相手方との間において、金銭の授受は一切ありませんし、それ以外の方々との間においても同様です(以降略)」というものだ。

 現役時代、法律に関わって仕事をし、その関係で訴訟にも「代理人」として参加した経験に基づくと、こういう文書(コメント)には何が書かれているかよりも「何が書かれていないか」が重要で、私は松本人志氏の全面的な負けだと考える。そう読めませんか。どこが「事実無根」だ。

 昨日は、玉木代表はそのままで相手の観光大使がクビになったことを「不公平だ」と書いたが、これまで多くの芸人がマスコミから追放された諸事実を思い起こすとき、松本氏が遠からず復帰しそうな風向きに違和感が積もる。もちろん、万博アンバサダーの肩書も残っている。念のためだが、万博アンバサダーは半ば公人の肩書だろう。
 メディアとプロダクションが癒着した結果の恐ろしさはジャニーズ問題でも明らかでなかったか。
 吉本興業はメディアどころか政界、行政とも結びついている。これは良くない。
 大きな声で言いたい。「ケジメをつけろ」。
 写真はネットに上がっていたものである。

2024年11月15日金曜日

川柳で一矢

    15日付け赤旗3面に「むしろ旗川柳」の優秀句が載っていた。
 東京で行われたイベントで紹介されたものらしい。
    これまでなら読み飛ばしていたかも知れない記事だが、先日来「ニュースの新年号は川柳で元気に行こう」と話していて、言い出しっぺの責任上あれこれ考えていたものだから、「もしかして、時代と波長が合ってきたのかも」と嬉しくなった。
 イベントは「年金一揆&フェスタ」というから、作者はほゞ高齢者だろう。
 その高齢者が、ただの愚痴や恨み節で終わらせずに、笑い飛ばして政治に一矢というのだから、未来は決して暗くない。

  11日に書いたが、和田秀樹医師は「新しい物事に挑戦しないと前頭葉が委縮する」と忠告されている。
 日本川柳協会顧問であった故近藤勝重毎日新聞客員編集委員は「書くことで人生は変わる」とも。
 
 ☆ 言い出しっぺ夢で川柳ひねってる ☆

これには笑った

    いわゆる「不倫問題」については詳しくないから深く掘り下げる気はないが、写真の新聞記事には笑った。
 国民民主党玉木雄一郎代表自身の過去のブログである。曰く・・
 ■(政党は)一定の資格試験をクリアーすることを条件にするというよりも、「絶対に不正をしない」「絶対に不倫をしない」などというように、そもそも政治家として有権者(の)信頼に耐えうる集団で・・あるべきだ。■

 ということは、(私は)信頼できる政治家・政党ではないとおっしゃっていることになる。

 あるいは、内田樹氏流に言えば、噓つきか、健忘か、政治家の言うことは誰も信じてないだろうという虚無主義者ということになる。
 「脇が甘い」という言葉があるが、ハニートラップは例外ではない。注意、注意。
 観光大使はクビになったそうだが、なんとも不公平な感じがする。

 また、大学教授流に言えば、国民民主党2020年9月結党から23年までの3年余りの組織活動費(原資は税金)中のホテル代は111万円強。
 まさかここで不倫の一夜など・・・、考えたくもないが気分は良くない。

2024年11月14日木曜日

労基法はセーフティーネットに

    厚労省が『労働基準関係法制研究会』の議論をまとめた「たたき台」を公表した。
 「労使の自治」という綺麗な言葉で、最低労働基準というセーフティーネットの底を抜き、長時間過密労働を引き下げず、副業の場合の通算する割増賃金算定を「通算しない」と改悪するなどを打ち出している。
 日本の場合、会社側の労働組合や労働組合活動への介入、攻撃が野放しで、事実上会社の労務部的な御用組合が育成されている下では、「労使自治」という麗句に安易に乗ることは危険だ。
 その上に、労働組合がないところでは、使用者が指名する者や親睦会の代表が「知らないうちに」「過半数代表者」となっている現実もある。
 今後、勤務時間インターバル導入促進などの改善策と抱き合わせで推進してくるだろうから、内容の分析と宣伝が重要になってくるだろう。 
 それにしても、私は大阪総評の事実上の最後の大会で共同修正案を提案し、壇上から「総評解体、労働戦線の右翼的再編の誤りは歴史が裁くであろう」と発言したが、その後の実質賃金の低下、過労死・過労自殺等の増加等の現実は、指摘の正しさを証明して余りある。
 今般の労基法改正問題を受け、原点に返って「労働組合」を大いに議論してもらいたいものだ。

2024年11月13日水曜日

古寺巡礼はるか

    11月12日に奈良公園を歩いた。
 日本人の中にはコートを着ている人もいたが、少なくない西洋人は短パンでTシャツだった。
 Tシャツどころかノースリーブ、ランニングシャツ、いやタンクトップという人もいた。それらは日本人らしき人では皆無だったが・・・
    それに女性は気温よりもデザインというかお洒落なのだろうが、胸はバストの半分ぐらいまで出していて、寒くはないのだろうかと余計な心配をしてしまう。いやらしい目で見つめていたわけではない。

 奈良公園は前日まで正倉院展であったから、日本人も含めて相当な混雑だっただろうと想像した。
    なんとなれば、鼻先まで鹿せんべいをもっていっているのにピクリと食べようともしない鹿がいっぱいいた。
 鹿も「人間だらけ」には辟易して、道路の中央分離帯へ避難しているモノもいた。のっそりのっそりと道路を横断し、クルマはそれを待っている。奈良はいい街だ。

    また、せっかくの日本旅行だろうからと、手向山八幡宮で外国 人に「菅公腰掛石に座って写真を撮りなさい」と勧めたが、それ以上の和歌の説明語学能力はない。すると、外国人が手にしたスマホで句碑を撮影して「オウ、スガワラノミチザネ・・」と言い始めた。即座に翻訳して文字化できていた。
 技術は進んでいるというか、世界は狭くなっていると感心するばかりだった。私が時代に取り残されているだけかもしれないが。

 古寺巡礼の世界はもはや遠い。