2016年6月30日木曜日

朝ドラだけが平和主義

 NHK朝ドラだけが平和主義 は、あまりに有名な川柳だが、申し訳ないが作者のお名前を存じあげない。
   2014年の春頃の朝日新聞の投稿川柳らしいが、ご存知のお方は教えていただきたい。

   「とと姉ちゃん」もこの間から戦時中になって、嫌な雰囲気を上手に伝えている。
 隣組の組長が「家の中に花なぞ飾って不謹慎」と言ったことで、誰かに監視されていると4人は怯える。
 自公政権は、戦闘ゲームの感覚で「中国を懲らしめろ」的に発言し、緊急事態法(戒厳令)を内容とする憲法改悪を準備しているが、彼らの言辞よりも朝ドラの描く戦時下のシーンの方が真実に近い。

 
 さて、母の介護から帰ってきた妻が、「今日はめずらしく機嫌がよかった」と言った。
 どういう訳か突然、「〽此處は御國を何百里~」と小さな声で歌い出したらしい。
 義母自身は「離れて遠き満州の」ぐらいまでしか思い出さなかったが、周囲のお婆さん方が「赤い夕陽に照らされて」以降も延々と歌ったらしい。
 という話を聞いて、ここでも戦争が遠い昔の話でなかったことを思い知った。
 そういえば、とと姉ちゃんのモデルの大橋鎭子は大正9年生まれだから、この老人ホームの入所者の多くは朝ドラのあの場面の中にいた人々だ。

 なお、この「戦友」という軍歌は、厭戦的だということで歌うことが禁じられた軍歌として有名。
 つまり、それほど歌詞や旋律が兵や家族の心を打ったと言われている。
 昭和40年代、職場の宴会では必ずこれを唄う先輩がいた。
 私は「宴会で軍歌なんて」と思っていたが、私の想像の及ばない思い出と重なって歌っていたのだろう。
 そんな思い出を聞こうにも皆なあちらに行ってしまっている。


   6月30日追記
 今日の「とと姉ちゃん」では深川一帯が焼け野原になった。
 「ごちそうさん」の悠太郎は「焼夷弾が落ちたら逃げろ」と言ったので防空法違反で逮捕されていたが、今日の「とと姉ちゃん」では、「消せば消せる焼夷弾」や「逃げるな」という、昭和19年に実在したポスターが貼られていた。
 原発安全神話の原型はここにもあった。 ああ、日本という国は・・・・・・・・

2016年6月29日水曜日

アップで見ると

   クローズアップで見ると美しい花は多い。
 写真のこれも、エーデルワイスの趣がありはしないだろうか。
 前々回の記事の続きになるが、梅雨の季節の白い花には芳香を放つものが少なくない。
  この花もご多分に漏れず柑橘系の甘い匂いを放っている。
 当たり前である。これは金柑の花。
 この調子だと今度の冬は豊作だろうと夫婦で笑っている。

 金柑というと小さい頃はあまり美味しいと思わなかった。
 酸っぱいものが好きな孫の夏ちゃんも金柑はあまり好きではない。
 ところがこの歳になると、「金柑皮食て実い放かす」というが、種以外は実まで美味しいと思う。
 
 その上に喉にもいいというから重宝している。
 ただ「綺麗な花には棘がある」から、小さな庭のため横に伸びてくる枝は思いっきり剪定している。残念だ。

 いろんな蝶の青虫をつかんだときなどに蜜柑の匂いや山椒の匂いがすることがあるが、それは結局食べていた木の葉の匂いだったのだと気付いたのは結構歳をとってからのことであった。
 知ってからは、青虫の匂いも「臭い」とは形容しなくなった。

2016年6月28日火曜日

金融バブルの崩壊

 安倍首相は、消費税引上げの再延期が選挙に有利と目論んで、サミットを利用して「世界経済はリーマンショック前に似ている」との見解に各国の賛同を得ようと画策したが、サミットでは失笑を買うばかりで赤恥を書いた。
 そうすると今度は、「私はリーマンショック前・・」とは言っていないと発言をうやむやにしようとした。
 それだけでも結構恥ずかしい態度だと思っていたが、イギリスの国民投票結果が出ると、もう一度「言うてたとおり、経済危機が来た」と安倍側近が喜んでいる。
 馬鹿も休み休み言え! そんなに経済の見通しが精確なのだったら、何兆円という年金財源をどうしてパーにした。度し難い自公政権である。

 さて、国会内で一番厳しくアベノミクスを追及した大門みきし参議院議員(比例候補)がイギリスの国民投票結果を受けた経済問題について、要旨次のとおり指摘して演説している。

 『そもそもアベノミクスの中心は、異次元緩和といわれる金融政策で、海外で有り余っているお金(投機マネー)をわざわざ日本に呼び込み円安、株高をつくりだしたマネーゲームだ。
 それによる円安のおかげで大企業は為替差益で大儲け。
 大株主(大金持)も株高で大儲け。
 いっぽう庶民は賃金が上がらないのに消費税と物価だけが上がって実質賃金は下がった。
 中小企業も売り上げが伸びないのに原材料費だけ上がって円安倒産まで出た。
 結局、国民の大多数の勤労者や中小企業が苦しくなれば、消費が上向くわけがなく景気がよくなるわけがない。いまの景気の低迷は「アベノミクス不況」である。

 そこへイギリスのEU離脱の動きをきっかけに一気に円高、株安が始まった。
 日本に呼び込んだマネーの逆流が起きている。
 イギリスのEU脱退⇒ヨーロッパ経済の不安⇒ユーロが不安⇒いっせいにユーロを売って円を買う⇒急激な円高に⇒そうすると日本の輸出大企業の利益が減るだろう⇒株が下がるだろう⇒いっせいに日本株が売られる⇒株価暴落だ。
 アベノミクスで呼び込んだ海外マネーが一気に逆流~金融バブルの崩壊が始まっているのが昨日今日の事態だ。

 だとすると、いま、2つのことを言わなければならない。
 ①  大企業の利益減少、株暴落のしわ寄せを、巨額の内部留保があるにもかかわらず、またリーマンショック時のように、リストラ、賃下げ、派遣切りなどと、労働者にしわ寄せなど絶対にするな! 

 ②  もう、こういう金融バブル頼み、マネーゲーム経済はやめて、実体経済そのものをしっかり立て直すことで経済をよくする道に踏み出すべきだ。・・・・』

 この演説に私は心から同意している。
  
 こういう記事を書いていると「何がグローバルだ」とたちまち「愛国主義者」になる私だが、知人から来たメールの添付ファイルが開けない。で、電話をしたら「一太郎」〈国産ソフト〉だという。
 私も昔は「一太郎」を使っていた。
 日本人が作っただけあって日本語入力にはスムースであった。が、今ではマイクロソフトの軍門に下り、ワード中心で暮らしている。「一太郎」を購入する予定もない。
 「言うていることとやっていることが違うやないか」と恥じている。

2016年6月27日月曜日

くちなし腐し

   人が日々の生活を誠実に生きることと自然災害に遭遇することとは少なくない割合で関係がない。
 震度7が連続した彼の地を豪雨が襲うなんて不条理といえば不条理ではなかろうか。
 この列島に住んだご先祖はその不条理を実感していたから、中世の頃からその種の文学も生まれていたのだろう。
 それを一億総忘却したのが1970年以降の現代人だと私は思う。
 「自然を征服した」とか言って・・・

 哀しい豪雨のニュースも収まらない頃にこんなことを書くのもなんだが、雨もまた悪くはない。
 湿度が上がると忘れていたフジバカマの匂い袋が生き返る。
 去年の秋に作ったものだから、フジバカマの強靭さにはほんとうに頭が下がる。
 湿度が上がったのに爽快な気分になる。
 フジバカマはエライ!

 香りといえば、外に出るとクチナシが香っている。
 白い花というものはハクモクレンを筆頭に総じて早々に黄色く茶色く汚れてしまう。
 梅雨前の長雨を「卯の花腐し(うのはなくたし)」と呼ぶが、誰がつけたかその的確さに納得する。
 ただ「梔子(くちなし)腐し」という言葉はないようだ。
 少し前まで山法師が落下して玄関先が大変だった。

 雨と高温で胡瓜がいっぺんに大きくなった。
 「早くたくさん食べてや!」と妻から催促されている。

 元上司の先輩からお便りを頂いた。
 私のふとした弱音に対して、「人間万事塞翁が馬」との気構えを助言頂いた。
 梅雨真っ只中である。

2016年6月26日日曜日

イギリスの国民投票

 勉強不足の為、一般に報じられている情報にしか接していないが、対岸の火事ではすまないような気分にさせられている。
 イギリスの経済を論じる場合は、1980年代のサッチャーの構造改革路線を避けて通れないだろう。
 国営企業であった鉄道、エネルギー、電気通信等を民営化して、石炭等の産業を容赦なくスクラップして失業者が増大した(日本の話ではないのを念のため)。
 一方で「新自由主義」の名の下に「シティー」を象徴とする金融業をビルドして格差が拡大した(日本の話ではない)。
 そういう閉塞感という土壌の上にEUは、緊縮財政を各国に強制したのだから、ギリシャだけでなく、欧州労連等も緊縮反対の運動を強めている。
 日本と大きく異なるのは、さらにその上に東欧からの移民、中東からの移民・難民が大規模に雇用を奪い、労働条件を引き下げる働きをしていることである(その規模は普通の日本人の想像をはるかに超えているらしい。爆買いの道頓堀の様子が「住人という規模」で起っているようだ)。
 だとすると、グローバル化の名の下に各国家の主権を奪い、庶民の生活を顧みないEUにイギリス市民がNOを突き付けたのも故ないものとも思われない。

 となるとTPPに代表されるグローバル経済至上(絶対善)主義と国民経済主義の問題になる。
 戦後を代表するエコノミストの一人であった下村治氏は「国民経済とはこの日本列島で生活している1億2千万人がどうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するかである。それぞれの国がそう努力する。そこでいろんな摩擦が起きるのは当然。それをなんとか調整しながらやっていくのが国際経済なのである」と述べて、「アヘン戦争も自由貿易が発端である」とまで言ってグローバル経済至上主義に反対していた。
 私はこの方が現実的な論だと思っている。
  エゴだモンロー主義だとの批判は解った上でも。

 だがしかし、彼の地ではそのような論争がほんとうにあったのだろうか。明らかに大きな争点は感情的な移民・難民の制限・排斥になかったか。
 「移民が仕事を奪い、イギリスの社会保障を食いものにしている」的なアジテーションである。
 理性的な提案よりも品の悪い感情的なレッテル貼りの方が力強く少なくない人々を熱狂させるということを、大阪都構想以後私は感じているが、これは怖ろしいことである。
 あえて言うが、ヒットラーは「ドイツ国民の貧しさの原因はユダヤ人だ」と単純化した。
 心身障碍者を見せしめにして「彼らが税金(福祉)を無駄遣いしている」とキャンペーンを張った。
 それらは残念ながら功を奏した。
 「お前の隣の既得権益者がお前の幸せを分捕っているのだ」である。
 という流れの中で見て、ヨーロッパ各国のいわゆる極右政党が同じ論調で反EUの主張を行なっている事実と重ね合わせると、先に言った「イギリス市民」の選択を私は単純に頷けない。
 実際、移民、難民は何処へ行くのが正解なのか。

 最後に、イギリスの選択によって極東のこの国で歴史的規模の円高・株安が起っている。
 これは、世界経済というか日本経済が実体経済をはるかに超えた投機経済、マネーゲームで成り立っている危うさを明瞭にした。
 個人消費、家計支出に下支えされたしっかりした経済構造がほんとうに大切で、ほんとうの選挙の争点もそこにあろう。投機経済の際たるものがアベノミクスである。
 (年金財源が何兆円という単位で消えていっている)

 補足をすれば、ヨーロッパの困難を生み出した難民問題の出発点はアメリカやイギリスの始めたイラク戦争である。
 日本の首相と与党は「戦争のできる普通の国」に邁進しているが、その先が破滅の道であることを現在のこの状況は私たちに教えている。
 だから、冷静に考えて、理性的に対処しようとする「比例は共産党」「選挙区は野党統一候補」という選択を私は行いたい。

2016年6月25日土曜日

昨日の森青蛙

 24日は、雨の力を借りてオタマジャクシが卵塊から落ちてくるシーンが見られるのではないかと期待をして奈良公園の吉城園に出かけたが、1週間に数十分間出掛けただけでそんなうまいタイミングに出会えるとの期待は虫が好すぎるわけで、雨の中、幾つかの卵塊を凝視し続けたがオタマジャクシが動く気配は全くしなかった。

   その上に、毎週見えていた親蛙もケロケロケロと声はするのだが見つからなかった。
 雨でなかったら、ほんの少しの草木の動きで居る場所が判ることもあるが、あいにくの雨のため、アチコチで草木が揺れるものだからその場所を特定できなかった。(これ!青蛙が雨に隠れてどうする!)

 こんな日に外国人観光客が来たら案内もできないなと思っていたら東洋系の女性がやって来たので、「日本の方ですか」と尋ねると「そうです」というので、「さっきから声はするのに姿が見えないのです」と案内した。
 そうすると、「何処らあたりで鳴いていたのですか?」としつこく尋ねられ、「へ~、珍しく興味のある方だな」と思っていたら、後からカメラマンがやって来て、実はNHKのテレビクルーだということがわかった。

   で、感心したというか、少しルール違反スレスレだと思うのだが、彼女がスマホでモリアオガエルの鳴き声を再生し、それに反応するのを探し始め、思惑どおり、木の葉の中の奥の奥に一匹見つけ出した。
 私の感覚では約4センチぐらいと少し小さすぎるから、もしかしたら子蛙かもしれない。ただし詳しくは解らない。

 23日の朝日大和歌壇に次の歌があった。
   八ツ手の葉にモリアオガエル貼りついて園丁ふたり苔に水撒く(奈良)阪上 元

 先日書いたがモリアオガエルは奈良県の絶滅危惧Ⅰ種である。
 この大切な環境だけは守ってあげたい。
 だから私は絶対に立ち入り禁止の場所には入らない。

2016年6月24日金曜日

沖縄に思いを馳せる

   23日は、沖縄戦で組織的戦闘が終わったとされる日。追悼式には翁長知事のほか、安倍晋三首相や衆参両院議長、キャロライン・ケネディ駐日米国大使らが参列した。

 安倍首相は「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くして参ります」と述べたものの、辺野古移設には触れなかった。翁長知事の平和宣言の全文は以下の通り。

■翁長雄志知事の平和宣言全文

 70年目の623日を迎えました。私たちの郷土沖縄では、かつて史上稀に見る熾烈な地上戦が行われました。

 20万人あまりの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。それは私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。

 戦後、私たちはこの思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んで参りました。しかしながら国土面積の0.6%に過ぎない本県に日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73.8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与え続けています。

 米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合は0.7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。

 沖縄の米軍の基地問題は我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。特に普天間飛行場の辺野古移設については昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を作ることは困難であります。そもそも私たち県民の思いとは全く別に強制接収された「世界一危険」といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、その危険性除去のため「辺野古に移設する。嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは到底、県民には受け入れられるものではありません。国民の自由・平等・人権・民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。

 政府においては固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古に移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。一方、私たちを取り巻く世界情勢は地域紛争やテロ、差別や貧困が基となり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙されるなど、悲劇が今なお繰り返されています。このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かすさまざまな問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。

 戦後70年を迎えてアジアの国々を繋ぐ架け橋として活躍した先人たちの万国津梁(しんりょう)の精神を胸に刻み、これからも私たちはアジア太平洋地域の発展と平和の実現に向けて、努力して参ります。未来を担う子や孫のために誇りある豊かさをつくりあげ、時を超えていつまでも子供たちの笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。慰霊の日にあたり、戦没者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて全力で取り組んでいく決意を、ここに表明します。

2016年6月23日木曜日

起請文

   先日、道路が少し変な渋滞をしていて「おかしいな」と思いながら運転していたら、道路の真ん中にアオサギの幼鳥が突っ立っていて、左右の自動車はそれを轢いてしまわないようノロノロ運転をしていたのだった。
 そのとき、すぐ道路わきの塀の上にカラスがいてそれを注視しているのが変に不気味だった。
 「もうすぐサギが跳ね飛ばされるぞ。そうしたら食べてやろう」という表情だと私は見た。
 カラスは嫌なやつである。
 だがカラスも可哀相なもので、嘘つきだらけの現代社会では、人間が嘘をつくたびにカラスが3羽死ぬという。

   息子ファミリーが熊野地方に遊びに行ってきたということで、熊野本宮大社の『熊野牛王神符』を土産だと言って私にくれた。
 落語の「三枚起請」のあの起請誓詞(別名おからすさん)である。
 この紙の裏面に書かれた起請文は真実の証で、もしこれを破るとすれば、熊野のカラスが3羽死に、本人は血を吐いて地獄に落ちる。

   安倍首相は「憲法改正は選挙の争点ではない」とおっしゃるが、国会では「自民党は憲法改正草案を決めている。次の国政選挙でお示しして行きたい」と答弁してきた。
 その改憲草案。9条2項を削除して「国防軍」を世界に派遣する。人権の各条項に「公益及び公の秩序」をかぶせて制約する。権力を縛る憲法を国民を縛る憲法に換骨奪胎するもの。
 憲法改正に着手しないなら安倍首相には起請文を入れてもらいたいものだ。
 反対に、私は神符に誓って言おう。自公やその追随勢力で3分の2をとったなら彼らは憲法改正に必ず動き出す。

 過去2回の国政選挙で安倍首相は、経済(アベノミクス)一本を争点だと言ってきた。
 しかし、2013年参院選挙後は秘密保護法、14年総選挙後は戦争法=安保法制を強行した。
 選挙の争点は安倍首相が決めるものではない。マスコミに決めてもらうものでもない。
 誓って言おう、参議院議員選挙の争点の大きな柱の一つは憲法を守るかどうかだ。

2016年6月22日水曜日

神去なあなあ夜話

   三浦しをん著「神去なあなあ日常」のことは2014年5月21日に書いた。
 その続編がこの「神去なあなあ夜話」で、文庫本になるのを待っていた。

 他愛もないといえば他愛もない青春小説である。
 刺激的なサスペンスや、それ以上にえげつない芸能人の私生活をあばくテレビ番組が目白押しの今日、こんな他愛もない小説を楽しんでいる私は世間からズレているのだろうか。

 そもそも小説の主人公が横浜からドロップアウトのように(正確には放りだされて)限界集落にやってきて林業に従事している(神去なあなあ日常)。この設定がズレているといえばズレているが、そんなことはどうでもよい。
 それが「神去なあなあ夜話」でようやく村にもなじみ、幾つかの村の夜話を教えてくれている。
 その中身は本を読んでもらうとして・・・。

 少し民俗学の本を読んでいるような気分になる。
 なによりも、『なにごともなく百年後が来るなんて、よく考えたらなんの保証もない』、でも『この村のひとたちは、百年後を見据えて山に木を植えつづけ、先祖が植えた木を切りつづけ』ている。
 今日植えたこの木を切るのは親方の息子である小学生の山太(名前)の子どもか孫だろう。
 この時間の単位がいい。

 地球の歴史、人類の歴史からいえば瞬きのような単位で原発やなんかが「安全だ」「想定外だった」というような現代社会の歪んだスピード感を少しだけ是正してくれる小説だと思う。
 そして自然に対して謙虚になれる。
 生きている樹を伐採するとき、先輩の方々がお酒をふり掛けてからチェンソーを入れるのを、「現代でもそんなことをするんだ!」と少し違和感をもって見ていたことがあるが、一つ間違えば命にかかわる世界では当たり前のことなのだろう。
 そんな精神の大切さを思い起こさせてくれる本である。

2016年6月21日火曜日

森青蛙のこと

 6月18日のモリアオガエルの記事に対して「ひげ親父」さんから次のようなコメントを戴いた。同記事のコメント欄と重複するが掲載する。

   『河内の子供にとって「モリアオガエル」は全く面識のない生き物でした。いちばん身近なカエルは「土ガエル」と呼んでいた褐色の小さいカエルでした。大きくなった姿を記憶してないので赤ガエルなのかどうかもわかりませんが家遊びの得意な私の遊び相手でした。棒切れに糸をくくり付けその先に綿を小さく丸めたものを付けてチョンチョンとカエルの顔の前に垂らすとすぐ食いついて来るのが面白くて日がな一日遊んでいたものです。誰の悪知恵か、祖母が吸っていた刻み煙草を水に浸し、その汁を綿に付けて釣ると食いついたカエルが口から舌を出し両手で扱き出すしぐさが面白くて何度もやったものでした。』(ひげ親父)

 私の返信コメント
 『大阪府(河内)どころか、私が観察している奈良県でもレッドリストの「絶滅寸前(絶滅危惧種Ⅰ類)」に指定されている天然記念物です。
 卵(卵塊・卵泡)を初めて知ったのは2~30年前の奈良公園・飛火野の奥の池でした。その年?に再度観察に行ったときには卵塊のオタマジャクシを蛇が襲っていたので一寸ショックでした。
 親蛙を初めて見たのは10年ほど前で春日大社参道・白藤茶屋の池でした。
 なお、飛火野の池は近年は干上がっています。
 白藤茶屋の池は近年は無茶苦茶に汚れています。(どうにかならんのか(怒))
 そして、奈良公園の吉城園で観察をし始めたのは5~6年前からです。
 これまでは池の上に張り出していた樹が倒れたとかで、あまり高くないところに産卵していましたが、今年は「これぞモリアオガエル」というような樹上に卵塊ができています。
 産卵の真っ最中も、体色変化も見ることができ、鳴き声も聞きました。
 孫のお陰です。』(長谷やん)

 次に20日付けの朝日歌壇と朝日俳壇から・・・モリアオガエルつながりで、
 聞き馴れぬ蛙語を聞く庭の隅モリアオガエルの卵塊があり(石川県)瀧上 裕幸
 森青蛙見つけに見つけ泡十五(大阪府島本町)池田 壽夫

 おまけで、同欄の「短歌時評(松村由利子)」の一部・・・歌壇・俳壇つながりで、
 『昨年9月と12月に開かれた二つの緊急シンポジウムの記録集「時代の危機と向き合う短歌」(青磁社)が刊行された。安全保障関連法が成立したことに危機感を抱く歌人らが、時代状況をうたう意味、短歌形式のもつ危うさも含めた表現の可能性について話し合った内容だ。来る参院選は、安保法廃止が争点の一つとなるだろう。この記録集を、時代と詩歌について考えるきっかけにしたい。シンポで永田和宏は、「政治的な動きの中で、言葉が危機的な状況に陥っている」と話し、戦前の言論弾圧が権力だけによるものでなく、個々人が委縮し互いに自主規制することで強まった事実を指摘した。…』

 以上のことから私が勝手に思うのだが、自然の豊かさ、そして、そういう自然とさらには言論の危機的状況が多くの人々に共有されているようだ。
 心ある人々がそれぞれの部署で危機的状況に異議申し立てを行なっている。
 悲観することはない。
 願わくは、社会の矛盾を語る人々が、自身の言葉で豊かな感情に載せて発言を強められることを。

2016年6月20日月曜日

信じた者は救われない

季節の写真(興福寺五重塔のイソヒヨドリ♀か幼鳥)
   「消費税を増税しないと社会保障が維持できない」という意見がある。
 私は、この意見を言う人には、何もかも知ったうえで嘘をついている人間と、知らずにそう思い込んでいる人がいると思っている。
 そこで、そういう意見がほんとうに正しいかどうかは、「ああ言えばこう言う」ような言葉を弄ぶのでなく、世の中の事実、歴史の事実で検証するのが一番大事ではないかと思っている。

 なので、そもそも「社会保障のため」と言って導入された消費税導入後28年間で行われた事実を語ると、この間の消費税の税収が327兆円だったが、その一方で他の減税と不況で落ち込んだ税収が法人税△270兆円、所得税・住民税△261兆円であった。
 だからもし「消費税が社会保障のため」であったなら、この間に社会保障だけが充実して、他の分野は超緊縮財政になっていたはず。
 いうまでもないが事実はその反対で、例えば、安倍政権発足後4年で1兆3200億円の社会保障の自然増が削減され、国民一人当たり社会保障支出はOECD34カ国中17位まで低下した。
 327兆円は、社会保障のために使われたのではなく、大企業と富裕者減税や無駄な公共工事、軍事費増強に使われたのである。
 となると、この先も、消費税が増税されても社会保障が充実する保証は全くなく、政治のしくみ・・税制や財政の考え方の転換をしなければ問題は可決しない。

 つまり、不公平税制を改めて応能負担原則の税制に換えれば20兆円、大企業優遇税制を改めれば4兆円、その他税制に民主主義を徹底すれば、消費税に頼らない財源、「社会保障も経済も向上する」経済政策は可能だと考える。

 アメリでは大富豪が「我々に、もうちょっと税金を払わせてくれ」と言っている(著名な投資家ウォーレン・バフェット氏ら)そうだが、日本の大富豪からはそんな声は聞こえてこず、経済問題のネットニュース上には使い道に困ったバカ者の酒池肉林の噂が載っている。
 所得税や相続税等の大金持ち用の最高税率は、とりあえず「引き下げ前」に戻すべきだろう。
 証券税制はせめて欧米並みに課税すべきだろう。
 為替投機にも課税すべきだろう。
 タックスヘイブンを利用した「税逃れ」にきちんと負担してもらおう。
 こういう「消費税に頼らない財源」は全く可能だし、これと大企業の内部留保の一部を使えば、消費が伸び経済が成長し税収も安定するというものではないか。
 そういう落ち着いた議論がメディアからほとんど聞こえてこないところが現代の問題点だ。

 「消費税増税なくして社会保障充実はない」というような根拠のない「思い込み」「勘違い」は卒業したいものだ。

 「思い込み」「勘違い」と言えば、先日東大寺の西側の奈良県庁近くを歩いていたとき、後ろを歩いていたファミリーが、「やあ、トウダイジってあんな風にも書くのね」「へ~知らんかった」というように話していた。
 今しがた大仏殿に行ってきたのだろうからそんな大発見に感動しているようだった。
 で、水を差すのも悪かったが、「あれはトウダイジではなくノボリオオジ(登大路)です」と教えてあげたのだが、・・・・勘違いというのは、信じたその当事者には何も見えなくなるものだ。

2016年6月19日日曜日

ああ 宣伝

ネットにあった1951年の画像の1枚
   6月5日のサンデーモーニングで岸井成格氏が、安倍首相が「アベノミクスの是非が参院選の最大の争点」と述べていることについて、「3年前の参院選ではアベノミクスの3本の矢が争点と言いながら選挙が終わった途端に特定秘密保護法をやった。1年半前の総選挙では消費税増税の先送りを言い、終わったら安保法制だった。これが安倍内閣の基本的戦略だ」と的確に指摘していた。

 自民党は、低年金高齢者に30,000円をばら撒いて、生活防衛に必死になっている庶民に経済浮揚の幻想を訴え、公明党は「憲法は争点ではない」と異常なほどに言い訳し、汚い金で辞任した候補者を担いだお維はあいも変わらず「身を斬る改革」をひとつ憶えのように繰り返す。

 ところが、そんな低レベルの争点隠しが堂々とまかり通っているのが、今日のジャーナリズムというかマスコミの危険な現状で、その影響力は絶大であることを直視する必要があり、しばしば聞くのだが、「私たち国民はそんなにアホではない」ときれいごとを言って看過しておくことはできない。
 一見、非常に確信的にみえるそういう断定は結果として思考停止を生む。


 テレビコマーシャルを見るともなく見ていると、ビューティフルサンデーの軽快な歌が流れてきて、過ぎ去った時代時代の写真が1951年まで順にアルバムとして遡る。
 私などはその郷愁にうっとりとする。もっと言えば心臓をわしづかみにされるような気もする。
 ところがこのCM、非常に不真面目に原発再開をすすめる関西電力のコマーシャルなのである。
 宣伝の技術というものは怖ろしいものである。
 私たちはそういう時代に生きている。

 ならば、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく」と繰り返し述べていた井上ひさし氏の言葉を反芻し、庶民が自分の言葉で語る必要がある。
 SNSを持っている方は更新し、お持ちでない方は他の人のコメント欄を活用し、一歩足を出したら面白くなる。
 「そんなことの効果はどれくらいあるの」などと言う前に、面白そうなことをしてみようと私は思う。

2016年6月18日土曜日

モリアオガエルの体色変化

   ええ! お主、それでもモリアオガエルか?
 土色の地面と小さな木の枝から這い出して来た時には、それがどうしてもモリアオガエルとは信じられなかった。ほかの種類の蛙だと思った。
 ところが、その横のモミジの樹に跳び移り、その後じっとしたまま鳴いたりするのをのを辛抱強く見ていたら、ムッムッムッ、なんとなく徐々に色が変わってきたではないか。

   蛙もカメレオンみたいに体色変化するの??
 少なくとも私は知らなかった。
   吉城園の庭師の方に訊いても「そんなことは知らない」と・・・。
 そして、写真の1から4までは約20分が経過した。
 
 家族の病院送迎の合間に来たので、ここでタイムリミット。
 残念だがしょうがない。
 帰りしなに受付の方に写真を見せて話すと、「保護色で黒いモリアオガエルもいると聞いたことがあるが見たことはなかった」とのこと。

   帰宅後調べてみるとモリアオガエルは体色変化するとあった。やっぱり

 なお、その次に、体色変化は「目に入った光から」とか「皮膚で周りの色を感じて」とか書いてあったが、私の写真のとおり、そういう保護色論はこの瞬間では的を射ていない。
 写真の事実のとおり、緑に変わりつつある蛙は黒っぽい樹の幹にいる。

   とすると、モリアオガエルが意識しているか無意識かは解らないが、「あの緑滴る葉先に行って交尾(産卵)をするぞ」という脳内の意志?でもって体色変化すると考えるのが順当ではないか・・と考えてみたりしたのだが・・

 いやいや、モリアオガエルの本来の姿は綺麗な緑(5枚目の写真)。
スタンダードな
モリアオガエル
別の個体
   土色っぽく黒かったのは地面近くにいたときの仮の姿。
 そのときに保護色に変えていたのを元に戻す過程を私が見ていただけ?かも。
 であれば、やっぱり周りの色に合せて一刻変えていた保護色説が正しいのか?

 何れにしても、毎週の病院通いのお陰で、全く珍しい事実をまるで新発見したかのような気分にさせてもらえた。(2016,6,17記)


 おまけのお話しだが、日本人の英語はお米と蚤の区別がないと言われたりするが、この種の発音は脳の問題ではなく耳の問題だとつくづく思った。いや耳の問題ではなく脳の問題と言う方が正しいのか??
 というのは、私がモリアオガエルを観察している間に多くの外国人観光客がやって来たので暫し私が案内したのだが、私が オ・タ・マ・ジャ・ク・シ と教えても、オー、オタマジャクシね!という欧米人は全くおらず、オタマヤクシ!とかオヤマギャクスイ!とか聞き返す。
 こんな簡単な単語(日本語)を、しかも、ゆっくりと明瞭に私が発音したのにこうなのだから、耳がなれないということはこういうことなのだろう。
 ラジオで頻繁にコマーシャルをしているスピードラーニングってもしかして的を射てるのかも??と思ってみたり・・・・・。(この話は全くのおまけ) 

2016年6月17日金曜日

大高連の総会宣言

   6月11日に大阪高齢者運動連絡会第24回定期総会があったと、我が退職者会世話人会で報告を受けた。
 その総会宣言は次のとおりであった。

       総 会 宣 言
 私の名前は日本国憲法です。今年で69歳になりました。物心つく頃から「日本生まれではない」と批判する人がいました。それでも命は命。順風満帆とは言えないけれども、他人との争い事を極力避けて、穏やかな生活を営んできました。
 ところが最近、私に「治療しないと生命に危険が及ぶぞ」と恫喝まがいの忠告をする人が増えてきました。病気でもないのに、とりわけ心臓部に当たる9条に腫瘍があると言って治療を勧めたり、米国製のバイパスを付けた方がいいんじゃないかと言ったり、いらぬお世話をする人々がいます。
 バイパスなど付けてしまえば、穏やかな生活が崩れてしまうかもしれません。それなのに、専門知識もない輩が、騒ぎ立てるのは変です。
 先日、私は3人の専門医の検診を受けました。先生方は3人とも、バイパスを付けるのはおかしいと断言なさいました。本当に病気で手術が必要なら、きちんとした手続きを踏むべきだともおっしゃいました。
 素人は勝手な思い込みを捨て、専門家の意見に真摯に耳を傾ける姿勢を持つべきでしょう。
 いま日本は、とんでもない方向へと、まっしぐらに進んでいこうとしています。
 このままでは危ない国になってしまう、権力の暴力はごめんだ、と思った人が、国会前に集まっています。その中でひときわ輝いているのは、「SEALDs」という学生たちの集まりです。若者らしい素直な言葉が生きていて、真正面から各世代に届き、全国各地にひろがっています。
 ラップのリズムに合わせたシュプレヒコールは、ときにユーモラスで、思わずプッと噴き出してしまう。それはまるで側面から相手をギャフンと言わせる、粋のいいヤジのようです。
 自分たちの手で暮らしやすい社会をつくることを信じて、「野党を勝たせよう」「市民の力で政治を変えよう」「投票すれば未来は変わる」と訴えています。「必ず投票に行きましょう。変えるべきは憲法ではなく政治だ」と若者がスピーチしています。
 年を重ねるだけでは、人は老いません。理想を失う時に、初めて老いが来るのです。
 年齢は、あなたの皮膚に、しわを加えるかもしれませんが、熱意を放棄することはあなたの魂にしわをつくります。私たちが、理想に向かって努力する心を持ち続けるなら、何時でも青春だと思えるのです。魂のしわをつくらないように、日々、信念を持って生きていきたいものです。
 参院選で、安倍政権と与党にノーの審判を下すために、私たち高齢者も熱意と信念をもって奮闘することを宣言します。
    2016年6月11日
              大阪高齢者運動連絡会 第24回定期総会

 コメント不要で、私は非常に気に入った。
 残念なことは、この素晴らしい総会宣言がネット上で未だ「炎上?」していないことだ。あはははは。

2016年6月16日木曜日

皮膚感覚

 正直にいえば、自分で言うのもなんだが、私は結構ロジカルな男だと思う。
 なので社会で起っている出来事を情緒的に語るのは基本的に好きではない。
 だが、顔色ひとつ変えずに嘘を重ねる権力者を目の当たりにすると、彼らの土俵に乗って一つひとつ批判することも大切だが、「この男のいうことは胡散臭い」という皮膚感覚を広めることも大事ではないかと反省している。

   先日、安田真紀子氏の講義を聴いていて「なるほど」とガッテンしたことがある。
 〽ちはやふる神代もきかす龍田川からくれなゐに水くゝるとは  〽嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり  ・・の龍田川のことで、私は昔から龍田あたりの龍田川や三室あたりの龍田川を見ていて、正直「この程度のものなの?」と、どうしても納得し難い皮膚感覚を抱いていた(だからといって勉強しないのが欠点だが)。

 先生は、天保9年(1838)の安田相郎の「大和巡日記」に「此際に楓樹の並木有。是後に植たるものと見ゆ」とあるのを講義してくれた(天保の旅行者は「ここのもみぢは後で植えたもののようだ」と言っているのだ)。
 そして、「今の龍田川は古今集の時代には平群(へぐり)川と呼ばれていて、少し下流の大和川本流との合流地点から「亀の瀬」あたりまでの大和川が龍田川と呼ばれていたらしい」と教示してくれた。
 判る判る!平安のそのあたりを想像しろと言われれば私には皮膚感覚で納得できる。

 と、ここで言いたいことは、「何かおかしい」という皮膚感覚を研ぎ澄ますことも大事ではないかということで(私は「何かおかしい」で止まっていたが)、そのことが真実を射抜く力になったりすることもありはしないかということだ。

 安倍といい、橋下といい、顔色を変えずに嘘をつく。
 「数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う」とも言う。
 その一つ一つの検証や論争に逃げる気はないが、「この話(人間)は信用できぬ」という皮膚感覚も結構大事なような気がする。
 なお、それは男に限らない。自民やお維の女性候補者にはトンデモ候補者も少なくない。

2016年6月15日水曜日

難しくって気になる歌

   12日付け朝日歌壇にこういう歌があった・・・
 パセリとはみどりの羊息殺しサンドイッチが消えるのを待つ (神奈川県)九螺ささら
 この方の歌は朝日歌壇で度々お目にかかるが、いつも一種独特の風を感じる。極めて個性的でムッムッと引き付けられる。
 それにしても、それにしても今回の歌は難しい。

 パセリがみどりの羊に見えるのはいいとして(それでも結構な想像力だと思うが)、その上にお皿を牧場と見れば大岩のごとき邪魔者のサンドイッチの消えるのを羊が待っているのか、そういう風景が展開されるようにと食事をする作者が待っているのか。

 私などはパセリをムシャムシャと食べるのが好きだから、そして好きなものは最後に食べたいジョガベン派だから、羊のようなパセリを食べてやろうと、サンドイッチの消えるのを待っているのか。
 歌心など全くない夫婦でああでもないこうでもないと語りあった。

 それで結局、九螺ささら さんのブログを開けたら、(歌意説明)としてこうあった。
 『キリスト教的な発想では生け贄にされる羊が、サンドイッチのお皿の上では毎回生き残り、サンドイッチが死んでいく(ヒトに喰われる )のを息を殺して待っている、という、お皿の上の物語です』と。
 で私は、「ああ、この方には付いていけない」と大きくため息をついた。
 それにしても、こんなに深い感受性、現実と夢が絡み合う連想力、世の中にはそんな人がいて、それを感じて選んだ撰者がいる。
 人の世の奥は深い。

 今後はまるでパズルを楽しむようにこの方の歌とお付き合いをしていこうか。
 門外漢のため、ささらさんが全くどのようなお方か存じあげないが、次のパズルの出題を待つことにしよう。
 読者の皆さん、貴方はどのように思われましたか。この歌!

2016年6月14日火曜日

千に一つも仇はない

   「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」は、今はいない義父の口癖だった。
 時代の急速な変化の中で、自分の育った世界や価値観と大きく異なる子どもたち(私など)に対するまどろっこしさが口癖になったのだろう。
 「親孝行したいときには・・」ではないが、もっといろいろ話を聴いておけばよかったと、後で気が付く何とやらである。
 戦時中の話、軍隊生活の話、・・・そんな過去を振り返って貰っても生産的でないと、前ばっかり向いてきたような気がするが、私より若い為政者が「美しい日本」などと呼ばわるのを聞くと、何と惜しいことをしてきたものかと悲しくなる。
 
 さて、六車由実著『驚きの介護民俗学』という本がある。
 テーマは介護現場での「回想法ではない聴き取り」である。
 決して、コンセプトは昭和史でも社会問題でもないが、その中に、大正8年生まれの入所者の語った体験談が書いてあった。

 ジャワ島でのことだ。戻ったら捕虜が何人も後ろ手に縛られていた。上官は、やつらの背中を銃剣で突けと命令した。ワラ人形相手に何度も練習してきたが、誰も突くことができなかった。上官はそれじゃあ機関銃で撃てと命令した。一斉に撃った。次の瞬間捕虜たちがバタバタと膝が折れて倒れた。今でもその姿が目に焼きついている。

 先日のこのブログの記事で「真実は細部に宿る」というようなことを書いたが、ここには教科書にない真実がある。
 私たちの世代の多くは、そういう真実を心に留めないまま親を亡くしている。
 親が健在の方々は、この轍を踏まないように願いたい。

   さてさて(☚黒柳徹子のモノマネ)茄子の栽培だがこれがけっこう難しい。
 狭い庭に詰めて植えるものだから、お互いに傷をつけあって皮が固くなったりする。
 また、水茄子は泉州以外の地ではなかなかあのようにみずみずしくはならない。
 それでも、無農薬茄子は気分がいい。
 
 ふたつ目の写真は、私の好きな「黒イボ白胡瓜」。
 少し大きめに育てると中に水と種ができる。
 スーパーには絶対置かれない「欠陥品」なのだろうが、私はそういう白胡瓜が大好きだ。
 夏野菜の季節が始まった。

2016年6月13日月曜日

ツバメの子育て


 昨日(12日)の『読者の広場』にこの『すなっぷ』が掲載された。
 ブログへの先行掲載(二重投稿)はルール違反なので、気に入った写真だったがこれまで発表せずにいた。
 目にした友人から「いつもカメラを持ち歩いているのか?」とメールがあったので記憶を手繰ると・・・・、6月4日に田植え風景をブログに掲載したが、そのとき(3日)・・あまりに典型的で絵に描いたような農村風景だったのでいったん家に帰ってからカメラをもって再度出かけたのだった。
 ちょうどお昼になったので、田植え風景は自分としては少し不満なすなっぷになったが、その代わりこんな楽しいすなっぷがとれたという次第。

 写真技術を誉めていただいたメールもあったが、正直に言って、これはただただグッドタイミングに巡り合っただけ。
 鳥や虫の撮影では、1枚の写真の裏に撮り損ねた屍が累々と言った感じとなっている。
 まあ、そういったところなので、タイミングの合ったときには嬉しく素直に喜んでいる。

 そこでツバメのことだが、巣の中の子ツバメがチーチー鳴くのに親ツバメがせっせと餌を運ぶのは当たり前の知識だったが、巣立ち後もこんなふうに子育てをするところを目の当たりにしたことはなかった。
 しかも写真のとおり、けっこうな幹線道路(京都府道・奈良県道751号線〈歌姫街道〉)わきのフェンスである。
 なので「ほんとうに子育てなのか?」と半信半疑で日本野鳥の会編の本を開くと、「巣立ち後2週間くらいは子育て(給餌)をする」とあった。
 ウンウンなるほどと、この歳になって初めて実感した知識。

 友人からスマホに、「鳥も人も大きな子供にエサをやる」と川柳みたいなメッセージが入った。
 不安定な社会である。子どもが幾つになっても子育ての悩みがあるようだ。

2016年6月12日日曜日

塀越しのジャカランダ

   (1) ジャカランダは世界三大花木に数えられているそうだ。
 以前の記事にも書いたが、アルゼンチンなどでは街中がこの花で文字どおり埋め尽くされるらしい。
 日本の桜以上だとも言われている。
 それはテレビかラジオで妻が仕入れた情報。

 ところが私の狭い狭い経験からすると、大阪ではお寺でこの花をよく見る。
 写真の花も、たまたま通った大阪市内のお寺の塀越しに見えたもので、あまりに美しいのでスマホでパチリ。
 で、この樹がどうしてお寺に植えられたのかは知らないが、静寂なイメージのお寺にしては派手であるし、インドや中国に関連しているようでもないし、どうしてだろうと首をひねっている。
 しかし、紫が鮮やかな紫陽花がお寺にいっぱい咲いていたとしたら私は違和感を抱かないだろうから、ただただ珍しい景色に戸惑っているだけかも知れない。

 ジャカランダがノウゼンカズラ科 キリモドキ属というのは何の説明もいらない。なるほどと納得している。

 (2) さて、昨日の記事の確認書の3には「天皇制」をどう考えるかという見解があった。
 天皇制に関わってはサンデー毎日紙上で不破哲三氏がインタビューアーの倉重篤郎氏の問いに答えてこう述べている。
  主観条件はどう整えたのか? 2004年の不破議長時の綱領変更で、天皇制と自衛隊を容認したことが大きい、といわれる。
  「憲法の天皇条項は君主制条項ではないとの解釈を明確にした。国政への権能を持たない君主はありえない。それを保障された英国に比べ、天皇は象徴だからその権能がない」
  昭和天皇時代とは違う?
  「だいぶ違う。昭和天皇は憲法を守ってない。講和・安保問題では米政府に何度もメッセージを送り、交渉に直接介入し、政府に交渉経過の『内奏』も要求した」
  それに比べて現天皇は?
  「節度を持っている。今の憲法とその精神を心得ているご夫妻だと思う」
 ・・・・・こうして、共産党も変わったし社会も変わって、良心的な保守の立場の人を含めて、オール沖縄の方向を向いた野党共闘が全国各地で生まれていると理解が深まった。
 お寺のジャカランダぐらいで驚いていてはいけない。

2016年6月11日土曜日

香川県の確認書

   参議院議員選挙では、全国の一人区である32選挙区すべてで、民進党、共産党、生活と山本太郎、社民党の野党4党で選挙協力が実現し、それぞれ一人の野党統一候補の勝利を目指すことになった。

 マスコミは官邸に気兼ねしてあえてスルーする姿勢だが、考えてみれば日本の政治史上初めての歴史的なシーンを私たちは見ていることになる。

 そんな中、香川県では共産党の候補者が野党統一候補となった。
 衆議院選挙の沖縄1区に次ぐ画期的なものだと思う。

 その協議の中で香川県の共産党と民進党との間で交わされた確認書が別掲のものである。

 内容は民進党側の疑問に候補を出す共産党側が答えたようなものだと思うが、考えてみれば、その中身は未だに広く日本共産党に抱かれている世の中の偏見や誤解に応えるものでもあるように思う。
 公党間の確認事項だからその意味は非常に重い。
 いわゆる無党派の方々も素直にその内容とこの確認書が交わされた意味を理解してほしい気分でいる。

2016年6月10日金曜日

コラムニストはすごい

   「甘利にひどい」という言葉が流行っているようだが、この東京新聞のコラムはあまりに私の思いとフィットしたので丸まる掲載した。

 テレビのニュースの中の「街の声」というのはテレビ局の報道姿勢そのものだと思うのだが、例えば消費税増税の再延期について、「当然だと思う」というようなインタビューに続けて、「保育園の充実が遠のくので困ります」と流す。
 それで「中立でしょう」と言って権力に媚びを売っているのがそもそもおかしいし、そもそも消費税の増税がなければどうして待機児童問題は解消できないのか。

 安倍首相らが舛添ばりの豪華な外遊をしても「財源はどうした」ともいわないし、米軍思いやり予算を増額してもそんな話はない。
 沖縄の辺野古周辺の自治会に、行政組織を跳び越えて札束をばら撒くと言っても同じだし、そもそもオリンピックにまつわるルーズな金もそうである。

 なのに、福祉、社会保障に限ってだけは「消費税の増税がなければまかなえない」という。
 きっぱり言おう、社会保障と消費税は関係ない。
 自公政権がそうしたいだけだ。(消費税増税再延期分だけ社会保障を減額すると・・)
 大企業減税を元に戻し、タックスヘイブン等の「脱税」分に普通に課税し、富裕層への応能負担原則の税を課し、オスプレイ等の無駄を省けば福祉は充実する。
 大きな声で言おう、「消費税がなくても福祉は充実できる」。

2016年6月9日木曜日

娘婿は雨男

   娘婿はいわゆる雨男である。少し行事めいた日には決まって雨になる。
 「やっぱりなあ」と私が言い、みんなで笑う。

 だがしかし、この話、考えてみれば雨の日の有意性がそんなに厳密に実証されたものでもないし、雨男・雨女の存在の論理性などある筈もない。

 左巻健男氏の著書によると、こういうのを「認知バイアス」の中の「確証バイアス」というらしい。
 早い話が雨の降らなかったときには何の注意もひかなかったが、雨の降ったときにだけ「そういえばこの間も・・」と思い出す。
 人間は、自分の信じていることと矛盾する証拠を無視したり、曲解する傾向が普通にあり、自分の信じていることを裏付ける証拠や議論ばかりに目を向け、認知する心的傾向があるらしい。
 だから、多くの人々がニセ科学を信じてしまうのは、科学知識の不足、理科教育(科学教育)の弱さだけでもないという。

 ということを分かったうえで、洒落で雨男を笑うのはいいけれど、高額の健康食品や器具の理由づけになるような話はいただけない。
 先週、北海道で小学生が行方不明になった。
 そのとき私はテレビに向かって叫んでいた。
 これまでテレビに出たことのある「占い師」「霊能者」「超能力者」のみなさん、すぐに透視をして子どもの居場所を教えてください・・と。
 
 熊本地震の予知しかり、フクシマ原発事故の現状分析しかり、ほんとうに大事な局面では皆さん方は出てこない。

   元に戻って、選挙になると自公は耳触りのよいこと(この言葉は誤用であるが)をいう。
 庶民は、半分以上眉に唾をつけてそんなものだと思いつつも、そうなって欲しいという自分の願望に沿うように理解しようとする。「今回はそうなるかも知れない」と。認知バイアスだ。

 21世紀の私たちは、それを知ったうえで自分を客観視できるセンスが必要だ。
 自分を客観視するというのは、決して幽体離脱の話ではない。

2016年6月8日水曜日

雨もいい 森青蛙

   6月7日奈良公園内の吉城園。
 頭上3メートルほどのモミジの樹にモリアオガエルを発見した。
 乱交パーティー気味に卵を産んでいる真っ最中で、手元の本で調べてみると、このように一匹の雌に数匹の雄が群がることが多々あるらしい。

   下の池はほんとうに小さな池だが、その産卵場所は正確に池の真上だった。
 その測量技術はお見事だ。
 そうでなければ厳しい自然界で生き残れないだろうとはいうもののお見事だ。

   この後、この泡の中でオタマジャクシになり、晴天の間は表面が固く乾いて内部を守り、雨が降ったらポタリポタリと池に落ちるというのも不思議といえば不思議。

 少し離れて静かにしていたら、他の婚活中の若者がケロケロケロと鳴き出し、トトトトと応じる雌?もいた。
 樹の下ではカップルになりそうなのもいた。

 庭師の方のいうのには「この間からNHKや奈良テレビが来ているがなかなか良い絵が撮れなかった」とか。

 私だって、何回も通ってようやくこんなシーンに出くわした。
 なので少し興奮して写真を撮った。
 下の写真の蛙はその後もっともっと高いところへ登って行った。

 BGMとしてキビタキが終始さらにその上で歌っていた。

2016年6月7日火曜日

知らぬは庶民ばかりなり

   国境なき記者団が毎年「報道の自由度ランキング」を発表しているが、2016の日本国は180か国中72位である。
 問題は、72位ということよりも、日本国民が72位という現実を感じていないことの方かもしれない。
 少なくとも香港の市民は中国の176位を認識していると思う。

 半藤一利さんの昭和史の本にソ連侵攻後の満州のことが書いてある。
 滿洲では100万人を超える棄民があった。
 軍は、「関東軍の任務は戦闘であり、治安の不良は責任ではない」と言って自分たちだけ撤退した・・・と。
 そして、内地へ帰りたいという人が殺到するのを避け、列車をわざと駅へ着けないで離れた場所の引き込み線で何時でも発車できるようにしておいて、関係者だけに暗号のように知らせたことを、半藤氏は組織的犯罪であったと記述している。
 さらには、関東軍総司令官の夫人が平壌から重爆撃機に乗って帰国したことに関して、実は他の関東軍要人の夫人や財宝も多く搭載していた。なので、知った地上員が怒って撃墜すべく発砲した・・・とも。
 こんな重要な史実も国民にはほとんど知らされてこなかった。

 さてさて、私は以前、航空自衛隊の幹部のお方と近所づきあいをしていたことがあるが、その折に一杯飲みながら聞いた話。
 1976年(昭和51年)、冷戦下のソ連からミグ戦闘機に乗った軍人が函館空港に亡命してきた事件がある。
 米日にとっては亡命軍人よりもミグ戦闘機が貴重だった時代。
 ソ連がミグ戦闘機を取り返しに来る、あるいは機密保全のために機体の破壊に来ると考えられた。
 そして、青森の三沢基地に居られた航空自衛隊の幹部たちは、その方を含めて、即家族を関西等それぞれの実家に帰されたそうである。
 実はそうだったんだと背に汗を感じながら話を聴いた。
 そのとき、自分たち自衛隊の家族は避難させたが、北方の基地周辺の国民は見捨てられていた・・というのが事実で真実。
 
 この国では、一貫して「由らしむべし知らしむべからず」なのだと再確認した次第。
 芸能人の私生活が微に入り細に渡り報じられたとしても、否、そうだからこそ真実は隠されているに違いないと考える感性こそが大事だろう。
 安倍政権は、選挙に際しては景気や社会保障をいうが、ほんとうに準備しているのは憲法改悪、9条廃止である。

2016年6月6日月曜日

ホンネは細部に宿る

   Amazonという世界最大のネット通販がある。本などを買おうとすると「今なら無料で翌日配達(無料体験を使う)」というのが出る。
 「無料体験なら一度試してみるか」と使用すると、忘れた頃に「年会費3900円」が引き落とされている。
 つまり、「その後使用しなくても解約しない限りプライム会員」に自動的になる。
 問題は「解約しない限り自動的に年会費が発生する」旨の標示であるが、ほとんどの人が見落とすような最後の部分に小さく表示されている。だから、詐欺的ではあるが違法ではない。
 私の場合はすぐに解約して返金されたが、解約手続きが遅れてしぶしぶ有料会員になった人、少なくとも1年分は支払わされた人は多い。

   さて自民党の選挙の公約である。
 ■可能な限り社会保障を充実、■軽減税率を導入、■国内総生産増加、■最低賃金1,000円を目指す。等々等々等々の旨い話が並んだ末尾に、■憲法改正を目指す、とある。
 で、これは「Amazonと一緒でないか」と私は連想した。
 マスコミ論調は消費税増税再延期を強調し、ちょっと聞いただけなら、「無茶苦茶な嘘を理由にしてでも増税延期の自公か」「それを批判する野党か」というような誘導が感じられる。
 前の記事のコメントでそれは「争点ズラシ」だとの指摘を受けた。

 写真のとおり、朝日6月2日付けは「首相は改憲発言を抑制」と報じている。
 同4日付けでは「首相は憲法改正を街頭で言及せず」とも。
 先の選挙で自公は「アベノミクス、この道しかない」と、景気浮揚(失敗に終わったが)が最大争点のように言い続けたが、選挙が終わった後に強行したのは安保法制(戦争法案)だった。

 「ホンネは細部に宿る」。
 あれも目指す、これも検討する、というような美辞麗句に騙されず、細部に宿る悪魔を許してはならない。
 断言する。安倍晋三が一番したいことは旧帝国憲法的な憲法改正である。間違いない。

2016年6月5日日曜日

高齢者向け臨時福祉給付金

 非課税の65歳以上の年金受給者に臨時福祉給付金30,000円がバラ撒かれている。
 自民党、公明党による参議院選挙前の買収行為だと私は思う。
 低所得者になにがしかの給付がなされることは悪いことではないが、やっていることが姑息である。
 姑息といえば、これは元々2017年4月以降月5,000円上乗せされる予定の年金生活者支援給付金の6か月分を前倒しするだけのもので、後でマイナスされてチャラにされるもの。
 元々貰えるものを選挙前に見せられて喜ばせているだけで、朝三暮四で喜んだ猿以下の話でないか。・・ということをマスコミはほとんど報道していない。

 次におかしなことは、前倒しとはいえ30,000円×1,130万人=3,390億円が国の財政から支出されるわけで、その理由はシバシバ「消費税の再引き上げの影響を緩和するため」と説明されてきたのではなかったか。

 しかし安倍首相は少なくともこの期の引上げを再延期した。
 つまり、この制度は制度の大前提が消えた(再延期)のに、なのに財政から支出していいの?
 私は消費税の引揚げには反対だがそれとこれは論理が別。
 結果的には支出理由(根拠)がなくなったお金が不当に支払われたことにならないの。
 会計の原則から言えば不当に支出した3,390億円を安倍首相は国に弁済すべきである。
 筋でいえば、安倍氏が支払い済みの高齢者を回って詫びたうえで回収すべきだろう。
 そんなことは会計検査の常識に属する。
 道義的には自民党、公明党の議員にも倫理的責任がある。

 以上、なにしろ官邸から何回も酒席に呼ばれ、電波取り上げで脅かされて、今や大政翼賛会報道部となってしまったマスコミが全く報道しないものだから、このあまりに支離滅裂な無責任内閣について告発したい。

 一人区の野党統一候補を当選させ、複数区と比例区で共産党を躍進させなければ、この国は無秩序な三流の独裁国家になってしまう。
 大宅壮一が予言した「一億総白痴化」は現実のものとなる。

2016年6月4日土曜日

水無月

   旧暦では6月4日は未だ4月だからこれをいうのは早すぎるし、これから梅雨が始まろうかというのに「水無し」もないものだが、普通に言って6月は水無月である。
 その言葉の語感はいい。
  そして一番上の写真のような風景がよく似合う。
 我が街周辺では田植えの最盛期である。

  さて、寄り道ながら、古いだけが取り柄の本を開くと、水無月の名前の由来には、■農作業の大本の作業が皆し盡した月、■田に水がいっぱいの水有月=水月、■雷(かみなり)月、■年の前半(陽)の尽きる月、■稲の実()の生()る月、等々の諸説がある。
 それぞれ、新暦7月を「水無し」と決めつけている「定説」よりも説得力がありそうな気もしないではない。

   そんなことを考えていると、他の和菓子に比べて素朴すぎるが、やっぱり和菓子の水無月を食べたくなった。
 コープに申し込んであったのが届いたら「ういろう」と表示されていて少し興ざめだったが、そんなことにいちいち腹を立てていては暮らしていけない。
 「それでも京都生協か」と言いたくなったがぐっと堪えた。

 これは元々は水無月の祓え(夏越しの大祓)の行事食で、小豆は邪鬼払いの意味を持っている。(小豆の僻邪の意味については2016.3.7等に度々書いてきたので割愛する)
 孫の凜ちゃんはまだ離乳食で無理だが、食べる真似だけさせてみた。
 ホームの義母には少しだけ持って行こうと思っている。
 まだ半年は迎えていないが、まあまあの半年だったと思っておこう。不満を言って恨んでみたところで何も解決するものでもない。

   ガクアジサイも咲き始めた。花の色が変化するので「七変化」ともいう。
 しかし、安倍晋三氏や橋下徹氏の食言の数々に比べればアジサイも形無しである。
 嘘をつくことを今後この国では「新しい判断」と言うらしい。

 いかにも『全滅を玉砕』と言った時代を「取り戻したい」お人らしいが笑っていられない。
 参議院選挙では、どんなきれいごとを並べても、人間として信用できない男を信任するかどうかが問われる。つまりは日本国民の常識というか教養の程度が問われるように思う。

2016年6月3日金曜日

肉詰めピーマンの蒸し煮

   普段あまりこんなことはしないのだが、6月1日のNHKテレビの「あさいち」という番組の料理コーナーで「肉詰めピーマンの蒸し煮」というのをやっていて、観ていた妻が「これは美味しそうや」「やってみよう」と相槌を打った。
 我が家では、ピーマンの肉詰めの「くわ焼き」はたまに作ることがあるが、それに比べると格段に簡単そうだというのが妻のホンネのようだった。

出番の一つ減ったコテ
   で、約20個ほどの大粒のピーマンに、(ミンチ+タマネギ)を主とした具を詰めて、ミニトマトで蓋をして、(醤油+ケチャップ)を主とした出汁で煮た。(全て妻がした)
 正直なところくわ焼きよりもおいしく出来上がり、私も、家に来ていた娘も4つ5つをペロッとたいらげた。
 ロールキャベツに似ているが、キャベツよりもピーマンの方が美味しいと私は思う。

 NHKあさいちのHPのレシピよりは相当手抜きをしたが、それでも結構美味しく出来上がった。
 ああ、これで私の自慢の調理道具=くわ焼き用のコテの出番がまた一つ少なくなった。寂しい。
 このコテは、温めておいて鉄板上の具材を押し付ける重しである。生穴子をくわ焼きにするときには必需品で重宝しているが、それ以外にはググッと出番が少なくなっていたのに。

2016年6月2日木曜日

春鹿のグラス

 「あのグラスは手作りらしいで」と妻が言った。
 清酒 春鹿(はるしか)の今西清兵衛商店で利き酒をしたときに、利き酒代替わりとして購入したグラスのことで、妻が薬の錠剤を一時入れておく器などとして使っている。
 「テレビでやっていたが、手作りのオリジナルグラスらしいで」という。
 そして「底に鹿がいるらしい」とも。

   なので、引っ張り出してお酒を注いだらほんとうに鹿が浮かんできた。知らなかった。
 粗末に扱っていて申し訳ない気になった。
 今夏の冷酒の折りにはこの鹿を愛でることにしよう。

 なら町の今西清兵衛商店で、このグラスを500円で買うといろんなお酒の利き酒ができる。
 暑い日には発泡純米酒「ときめき」も良い。

 ・・先日喧噪から少し離れたところに一頭だけの雌鹿を見た。写真では分かりにくく写っているが、何となくお腹が大きいような気がした。
 

2016年6月1日水曜日

どくだみの季節

   街から離れていよいよ山道、ハイキングコースに入ったなと私が感じるのは、靴が蹴とばしたドクダミから漂うあの独特の臭いを感じた時だと思う。
 (世間に倣って「臭気」と呼ぶが)あの臭気は、空気の汚れた都会から清潔な自然界に入った証のように私は感じる。嫌いでない。

 一般に臭いと言われてドクダミという名で毛嫌いされている草だが、語感ではなくその由来を検討すると、一説には「毒矯め・毒痛め」で解毒や痛み止めの意ともいわれている。
 別の名は十薬(じゅうやく)、こうなれば薬草の王者の風格さえある。
 これほど評価の幅の大きな草も少なくない。

 そして写真のとおり、この時期のドクダミの花も結構清楚で美しいのだが、気安く庭に植えたら際限なく広がるのでたまらないと言えばたまらない。
 そういう意味で雑草といえば雑草だ。

 種類は微妙に違うのかもしれないが、ベトナムでは立派な香草としてサラダのように食べられるらしい。ただし私は未体験である。
 その昔、庭のドクダミとユキノシタを天ぷらにしたことがある。これはほんとうに美味しかった。
 というか、野趣がとんでしまって愛想がないくらい「普通の料理」だった。

 つい最近知ったのだが、どくだみは清楚な花ぞ名を変えよ 市田志ん という句が心に響いた。
 それが市田共産党副委員長のお母様の句だというのでさらに驚いた。

  追伸  
 昨日は五月尽、ほとゝぎす平安城を筋違(すじかい)に 蕪村 の句そっくりに、ほとゝぎすが鳴きながら私の頭の上を筋違に飛んでいった。
 ただそれだけで気分がよくなった。