先月末に平城宮跡の「整備」を考えるシンポジウムがあった。
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大極殿の上を乱舞するツバメたち(一昨年) |
国交省の大規模舗装工事に危機感を抱いた方々が集まっていた。
その危機感は的外れではないと私は思う。
国宝級の木簡が静かに眠っていて「地下の正倉院」と呼ばれる平城宮跡の「整備」を、文化庁ではなく国交省が行うことの方が的外れだと思う。(大規模舗装で地下水位が低下すると千数百年間冬眠していた木簡は朽ち果てるのだ。)
私が想像するに、・・・ここで復元された首里城が思い起こされるのだが、私は率直に言うと首里城は安物のテーマパークのような印象だった。あれと同じことがここで起こるに違いないと直感している。
さて、私が書きたいことは、そのシンポジウムで各氏が「史跡保存の実際の難しさ」を率直に語られていたことだ。
つまり、中国やヨーロッパと違い、基本が木造建築である我が国の史跡の展示方法である。
その昔は発掘時に写真を撮って埋め戻してお終いだったが、「それではチョッと」というので柱穴跡に柘植の木を植えたり、コンクリート製の背の低い円柱を立てたりしていた。あとはその上の建物を「各自が想像しなさい」という感じだった。
しかし「それではなあ」というので、この地でいえば、大極殿、朱雀門、東院庭園などが復元された。
正直に言えば、素人の私などはこの復元は良かったと思っている。イメージがはっきりした。だから私は復元や整備を全否定するものではない。
ところが研究者は警鐘を鳴らすのである。
「例えば大極殿は、厳密に言えば入母屋か寄棟か、単層か重層か、基壇の高さも、屋根の勾配も不明なんだ」と、それを原寸復元してしまうと、「この通りと独り歩きしてしまう」と。
だから、「原寸復元はランドマーク的なものに絞り、後は、模型やCGやジオラマや映像等で補強すればよい。」「先だって奈良大学が大仏殿で行ったように、端末機をかざすと甦るようなバーチャルリアリティーの活用も有効だ。」と。・・・・これは傾聴に値する。
平城宮については、これまでの研究成果をもっとしっかりと展示した方が良いというのは発表者に共通している。
そのうえで各氏の復元に関する「許容度」が微妙に違っているのも誠実さの表れと感じられた。全体としてこれらの議論は、私には非常に冷静で学術的と思われた。
蛇足ながら、国交省は大極殿周囲に高さおよそ8mの築地塀も復元するという。となると、「築地塀があった」という歴史には忠実かもしれないが、現在の平城宮跡が持っている、東に若草山や春日の山々、南に葛城や吉野・大峰の連山を遠望という、ある意味、古都にふさわしいイメージや開放感が閉ざされることになる。はてさて、それが古都を訪れた観光客のニーズに応えることになるのかどうか。問題は次々に生まれている。
結論を急げば、「学術的正確さと、一般観光客のニーズとのバランスのとれた「整備」を市民も含めたオープンな場で協議を深めよう」という議論の方向であった。私は賛成する。
その前に問答無用で強行しようとする国交省の「整備計画」には反対だ。
蛇足の蛇足を言えば、ツバメが日本語を話せないことをよいことに、国交省は問答無用で、本当に問答無用で・・・、近畿で2番目の規模といわれる燕の塒(ねぐら)の葦原(湿地帯)をもう破壊した。ツバメに代わって代理訴訟をしたいくらいだ。
奈良は「日本国」発祥の地である。歴史と文化こそ財産でないか。
それを、「儲かる」「儲ける」を最高の価値観として破壊していって良いのだろうか。
一緒に呟きませんか。「本当のことは眼には見えないんだよ」って。
蛇足の蛇足の蛇足。GWに行われた平城京天平祭で鷹狩が披露されたとき、鷹がカラスに追われて大極殿の窓ガラス(?????)に激突して行方不明になったという。
鷹匠もショックだし、2週間以内に鷹が見つからない場合鷹の生存が難しいらしいが、「足に革紐や鈴がついているので見つけたら連絡を」という大切な記事をマスコミ(奈良版)は全く報じない。
ここに書いたとおりの微妙な話題の的である平城宮跡で行ったイベント主義が引き起こした不祥事ということで、奈良県が恥じていることが不掲載の圧力になっているのだろう。下種の勘繰りと批判を受けたいが、県庁と記者クラブの実情から結構的を射ていると私は想像する。
これを
凶事と言わずしてなんとしよう。よって、「平成」改め「護憲」と
災異改元を提案したい。