2015年7月28日火曜日

夏祭り

 25日に、義母がお世話になっている老人ホームの夏祭りがあった。
 家族会として夜店も出したので、昼の2時過ぎから集まって熱中症を心配しつつあれこれ準備をした。
 「入居者を観客ではなく主人公に!」という気持ちで、ヨーヨー釣りの出前をしたり車椅子で盆踊りを行った。
 義母はというと、炭坑節も河内音頭も江州音頭もみんな同じ手振りながら、曲のあるうちは終始盆踊りを堪能したようだ。
 何日ぶりだろうか、夕べのひと時、大いに笑いあった。笑い声が飛び交った。
 情けは人の為ならず、笑いは心の治療薬。私の方が癒された。

 孫の夏ちゃんも来てくれた。
 去年までは櫓の下で踊りまくっていたのが、今年は何度も恥ずかしがった。残念ながらこれが成長というものだろうか。
 平成27年の夏祭り、私にとっては忘れられない夏祭りになることだろう。

2015年7月26日日曜日

Intermission

 突然のインターミッションに、いろいろご心配のメールなどを頂きありがとうございます。
 非常に勇気を頂いています。
 ただ今、健康な精神回復に努めております。


2015年7月18日土曜日

この違和感

 衆議院本会議をインターネット中継で見たが、公明党遠山清彦議員の賛成討論から受けたこの違和感はいったい何だろう。
 彼のその論理の誤りを言いたいのではない。
 圧倒的な憲法学者が違憲だといい、すべての大手マスコミの世論調査が議論不十分だという、そういう動かしがたい事実を全く無視して、まるで街宣車の上から恫喝するかのような口調で演説する姿に、「いったい何を彼は怒っているのだろう」という違和感が広がった。
 ただ単に、誰かに絶対服従する彼の信仰がそうさせたのだろうか。
 そうではなく、やはりそこには理由がある筈で、各種世論調査で「公明支持層では反対が多数に逆転」という現実がそう(八つ当たり)させたのだろう。
 そして、つまり彼は国会の壇上から、戦争の危険性を心配する創価学会員に対して叱りつけていたに違いない。
 とすると、彼の異様な興奮ぶりは自公政権の脆弱さを暴露しているようなものであり、来年の参議院議員選挙を控えた参議院段階での反対運動の展望を示してくれているのではないだろうか。
 そんなことを考えていたら、大門みきし参議院議員のフェースブックがリアルな国会中継?をしてくれていた。

〈 戦争法案なのに 厭戦(えんせん)気分 〉
「いよいよ参議院だね」。廊下やエレベーターで与党議員と会うたび、同じことばが繰り返されます。
しかしどうも元気がない。戦争法案に国民の支持が得られていないのはわかっている様子。
自民党H議員( 大臣経験者 )は「 ほんとは正面突破( 憲法「改正」)すべき。このやり方はしんどいねえ」といい、 若手のK議員(一期目、官僚出身)は「もっと地元にほめられることをやりたいです」という。
公明党の中堅議員に「衆議院の特別委員会、自民党より公明党の理事が仕切っていた。賛成討論も異様。自民党よりタカ派に見えたよ」というと、「恥ずかしい。中からも色々いわれた。参議院はあんなのいない」と擁護もしない。
衆議院で強行採決までしたのに、与党に高揚感はまったくなく、むしろ厭戦(えんせん)気分が漂っています。戦争する法案を出しておいて厭戦気分におちいるとはどういうことか。
しかし、そんな彼らも、いざ法案審議が始まると、ロボットのようにコントロールされて押し通そうとしてくるでしょう。知性や理性を捨て妄信しなければやってられないのかもしれない。そうなれば、ロボット相手に怒るより、コントローラーそのものをつぶすしかありません。
いよいよ参議院。こちらは厭戦どころか闘志満々。世論と運動に押されてあせっているのは安倍政権の方です。

2015年7月17日金曜日

独り言

  昨日、衆議院本会議で戦争法案が可決された。
 採決時に抗議の退席をした民主、社民、生活、共産はすぐに合同の院内集会を開催した。(写真)
 私は、かつて重要法案の最終局面で総評・社会党に裏切られてきた数々の場面を思い起こしながら、現局面の素晴らしさを思った。
 通常は欠席戦術はとらない共産党も堂々と反対討論を行った後、民主、社民と同調して採決場面で退場した。それもよいと私は思った。
 一昨夜、大阪駅ヨドバシ前の集会で思想家の内田樹氏が「SEALDs(10代20代若者の自発的な運動)等々の自主的な運動の盛り上がりが民主党の方針を決めたのだ」と語ったと報じられているが、おおむね同感である。
 大層なことができなくても、「息をするように」語ったり行動したりする運動を広げることがポイントだと考える。
 先日旧い友人と会ったとき、「アイヒマン裁判を読んでるで」「凡庸という悪魔もアンナハーレントも読んでるところや」と意外な言葉をもらった。どちらも私がこのブログで感想を書いたものだった。
 また、季刊で発行している手作り新聞にも御礼のメールやハガキが届いた。
 何れも大層なものではないが、私心なく思うところを書いていけば、共鳴していただけると嬉しくなった。
 だから息長く、そして「息をするように」自然体で書いたり行動したりしていきたい。

2015年7月16日木曜日

北向きって?

  毎日新聞奈良版に寮美千子さんの「ならまち暮らし」というシリーズがあり、その7月8日付けのものが「やさしい呪文」というものだった。
 それは、奈良町の古老の言い伝えのようなものだったが、その中のひとつに『服をかけるときは服の前を北に向けてはあかんで』というものがあった。
 堅い言葉で言えば『禁忌』になるが、元々私にはなかった言い伝えであった。
 ただ、私が洗濯物を西向きに干したところ妻が「東向きに干して!」ということがあってから、従順な私はそのようにすることにしてきた。妻の言うのには「本来は南向きに干すのだが地形の都合で無理ならせめて東向きに!」ということだった。
 しかし、この禁忌、いったい何処から生まれてきたのだろう。
 以前に、新日本風土記かなんかで、死者の着物が送られてくるお寺があり、そこではその着物がずらーっと掛けられていたように放映されていた。そのように記憶している。ネットで検索してみると、死者の使っていた寝間着等の着物を数日(1日から49日ぐらい)北向きに干しておく習慣が一部の地域には残っているらしい。
 そういう葬送の形式と類似したことを嫌う気持ちは理解できるが、それなら何故それが北向きなのだろう。
 北枕はお釈迦様の涅槃の状況によるとの説もあるが、それを連想させるからというほど単純ではなかろうに。
 白川静氏の漢字学によると、「北」は、左右に横向きの人が背中合わせになっている形で「せなか」「そむく」の意味になる。南面した王の背中が北になるという。
 その上に「北風」「冬」「生命力の減退」を古人が連想し、マイナスイメージを持ったであろうことも想像できるが、考えようによっては南面した王は北にいたのだし、事実、妙見その他北にいる神仏もある。
 もっと単純に、大陸の中原に都した王朝にとって一番の脅威は北方の異民族(北荻)であったというトラウマが北に負のイメージを負荷したのだろうか。
 などなどと考えてみたが真相は判らない。「南向きに干して太陽の恩恵を受けようとしただけや」というあたりが案外正解かもしれない。
 ちなみに、洗濯物は夜干してはダメ!という禁忌もあるし、近頃では「夜に洗濯物が取り入れられていない高齢者の家は注意してあげましょう」という親切な話もある。
 こちらの方は、元々共稼ぎであった我が家では四の五の言っておられないので、今でも夜から干している。

2015年7月15日水曜日

タテマエとホンネ

 安倍首相の答弁がタテマエにもならないほど不誠実で的外れなことはこのブログで度々指摘してきた。
 それを「お仲間」のNHKや日テレが垂れ流す犯罪性についても書いてきた。
 事実、NHKは今日の特別委員会を国会中継せず与党の援護射撃に廻った筈だが、お昼のニュースの時間のライブ中に強行採決したものだから、「百聞は一見に如かず」という皮肉な報道になった。

  右の写真はネットで教えてもらった画像だが、日テレのニュースらしい。
 戦争法案採決に有頂天になったせいかどうかは知らないが、「首相周辺」の・・ということは首相のホンネをテロップにして流している。
 ただ、ここまで露骨にホンネを文字にされてしまうと、どういう訳か怒る気さえしなくなった。
 
 それにしても、この現実を可能にしたものが昨年の総選挙であったことを思うと、選挙の前に「選挙なんか行っても行かなくってもそんなに変わらない」だとか、挙句は「選挙に行かないことが正しい意思表示だ」と解説した「知識人」や「コメンテーター(芸人を含む)」などの果たした負の役割、それを増幅したマスコミの犯罪的責任は重い。

 と同時に、小選挙区制というものがこの国の民主主義をどれほど劣化させたかということも明らかになっている。
 忘れないでおこう。忘れないでおこう。忘れたら思う壺である。


山木枯槁

  昨日の記事に書いたとおり、澤地久枝さんが「国民一人一人が《アベ政治を許さない》と意思表示をしよう」と呼びかけておられる。
 簡単そうで簡単ではない提起であるが、積極的に受け止めたいと思う。
 ただ、澤地さんのいう18日ではちょっと遅くない?・・という気にもなったので、昨日奈良市内へ出かけるのに写真のプレートをつけて1日歩いた。
 私の経験からしても、他人の胸元のアピールをまじまじと読むのは気が引けるが、他人の背中を読むのは問題ない。駅で乗車位置に並んでいたら文句なしに読んでもらえた・・筈。

 私、基本的には「怪力乱神を語らず」をモットーに暮らしているが、春日権現験記によると、春日大社の神様は世の中が乱れて気に入らなくなると春日山の樹木を枯れさせ(これを山木枯槁という)、天の城に帰られるらしい。
 いま、数多くの山稜を包み込んで奈良の景観を守っている平城山丘陵(歴史的風土保存地区)で凄まじい「ナラ枯れ」が発生し、100年は越すであろう巨木が次々に赤茶けていっているのを見ると、神仏も安倍政治に相当お怒りではないかと想像する。

 15日中に委員会採決と報じられているが、全国各地の運動、とりわけ首都・東京での広範な階層の奮闘ぶりを読むと、仮に採決になっても敗北感はない。それに参議院段階の運動もある。
 それよりも昨夜の国会周辺の盛り上がりはすごい。
 今日も一日(よい意味で)大変なことになるだろう。

2015年7月14日火曜日

殿(しんがり)は一番危険という常識

  政府・与党は戦争法案について「十分な審議時間が経過したから15日中にも委員会裁決をする」と言っているが、答弁不能や意味不明の「答弁」時間を含めて「審議を尽くした」と強弁するのは、大阪で橋下市長が「多数決が民主主義だ」「選挙で勝ったということは白紙委任を受けたと同じだ」と言い回ったことと同じで、民主主義とははるかに遠いもので許すことができない。
 写真の文字は俳人の金子兜太氏の筆になるもので、作家の澤地久枝さんが「18日の午後1時に一人ひとりがこれをかざして意思表示をしよう」と呼びかけている。

 「自衛隊が戦争に巻き込まれる」という質問に首相は「戦闘が起きればただちに一時中止、退避する」と答弁しているが、当の本人が百田尚樹氏との対談本「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」の中で「ここは戦闘地域になったので私たちは撤退しますと説明するとどの国のリーダーも大変驚かれます」と述べ、百田氏が「国際社会では通用しませんね」と言うと、「通用しません」と答えている。
 普通に理解力のある大人なら「本に書いてあることがホンネで、国会答弁が嘘」と理解するのが常識だろう。
 そう考えると、この国の民主主義が危機的状況にあるという指摘が全く大げさでないことが判るように思う。

アフガンの後方支援部隊
  アフガンで人道支援を続けるペシャワール会現地代表の中村哲医師は、「餓死線上100万人といわれた2000年当時でさえ治安は良好だったのが、アメリカと連合軍の軍事介入が国をぐちゃぐちゃにした・・・治安維持活動が治安を破壊した」「私たちは軍服を着た自衛隊員が目の前を歩き回ることがなかったので、信頼関係を辛うじて維持できた」「ドイツは国際治安支援部隊に参加して50人以上の兵士を亡くした上に敵を作った」と赤旗日曜版に語っているが、ここにこそ良識と真実が存在している。

 後方支援などと言うと安全であるかのようにイメージ操作されているが、これは兵站(へいたん)であり輜重隊(しちょうたい)である。そして、戦争になれば先ずここが狙われるというのが軍事の常識でもある。
 今は「自衛隊員のリスクの問題」と考える向きもあるが、複数の「戦死者」が生じた場合、「志願した自衛隊員だけが戦死するというのは悪平等だ」という、民主主義と平等のために「徴兵制を敷け」という「世論」が起こらないだろうか。欧米並みのテロの脅威と併せて・・・・、
 そしてそのときには、もう誰もが「ちょっと冷静に考え直そう」とは言えない空気が充満していることだろう。
 そう考えることが「歴史に学ぶ」ということだと私は思っている。

2015年7月13日月曜日

70年前の戦争を考古学で考える

 4月24日の記事に書いたことだが、東京大学史料編纂所編「日本史の森をゆく」(中公新書)の中の小宮木代良氏の「歴史資料と言説」で著者は、「過去の出来事(事件)について、その「事実」に関しての共通認識といえるものがその社会内で存続しうる条件は、事件後70年目あたりを境目に大きく変化するのでないか・・・当事者が一人もいなくなった瞬間から、様々な言説が大手を振って歩きだす可能性は大いに考えられる」と述べている。
 戦争法案を巡る首相の答弁のことではなく、近世前期の「陶祖・李参平」言説についての分析なのだが、あまりに現代の実感とぴったりと合うのが怖いくらいだ。
 
 
(上の写真は浜松市の日露戦争時の凱旋紀念門)
 
 さて、12日、奈良大学で「戦後70年 考古学から見た戦争遺跡」という講演会があった。
 4人の講師から主として太平洋戦争時の「地に足のついた(歩けオロジーの)報告」が4本あった。
 ① 「国民と戦争のかかわり ―各地の戦争遺跡から―」
 ② 「戦争遺跡からみた沖縄戦」
 ③ 「大地に刻まれた戦争遺跡の傷跡 ―大阪」
 ④ 「水中の戦争遺跡 ―米艦エモンズと特攻機―」
 で、どれも新鮮な話題ばかりだった。(講演内容の紹介は省略)
 さらに、これも2011.7.9に「松下飛行機と盾津飛行場」という記事に書いたことだが、私の父がその松下飛行機で働いていたので我が家のヒストリーを知っておきたいと国立国会図書館関西館で調べてもらったが「軍需工場の資料は全く残っていません」というものだった。ということで思い出したのが、生前父は「終戦時に驚くほどありとあらゆる資料を焼却した」と語っていたことだった。そういう役職であった。
 だから、この講演会のテーマにいう、「70年前のことが考古学の対象になる」との見解には大賛成である。
 70年前の為政者たちは負の歴史の抹殺を図ったのであるから、焼却したことをいいことに歴史を修正する動きがいま大手を振っている。考古学者の出番であろう。
 
 近頃では千田学長の「城郭」が超有名であるが、元々古代史に強い(と私が思っている)奈良大学が、こんなテーマの講演会を開催した精神には心から拍手を送りたい。
 そういえば、戦後1期というような考古学の先生方の書籍を読むと、けっこう現実政治等についても思いっきって発言している。歩けオロジー 頑張れ!

2015年7月12日日曜日

ちょっと話題です

 You Tube の世界でちょっと話題。
 最初の動画は自民党佐藤参議院議員、渾身の主張。
 しかし二つ目の あかりちゃん の切り返しが愉快。
 乞う 拡散!




2015年7月11日土曜日

ギリシャの現実

 今日書く内容は私が調べたものでなく、YAHOOニュースの井上伸氏の記事の要約である。
 自分の責任逃れのためにそうことわるわけではなく、井上伸氏の調査と記事が素晴らしいのでそのことを明らかにしておきたい。
ピケティもEU側を批判している
  まず、日本のマスコミは、ギリシャの年金をはじめとする社会保障への公的支出が多過ぎたので財政危機になったというがそれは事実ではない。
 ギリシャ危機が始まる前の2007-2008年の『公的社会支出(対GDP比)』は21.9%で、フランスやドイツなど11か国よりも少ないし、その後2012-2013年は15位に後退している。
 その中でも特にマスコミで喧伝されている年金の対GDP比も、2009年ではイタリア、フランス、オーストリアよりも低く、特別に恵まれた水準とは到底言えない。
 それよりも、緊縮政策で失業が激増し賃金水準が低下することで年金収支が悪化し、それが現在の財政負担増となっている。
 『年金優遇→財政悪化→緊縮政策が必要』ではなく、『緊縮政策→年金収支悪化→財政悪化』というのが数字の示す事実である。
 次に、マスコミは「ギリシャ人は働かない」ともいうが、2013年のOECDの統計ではギリシャの年間労働時間はメキシコ、韓国についで長く、ヨーロッパでは最長となっている。
 第3に、逆にギリシャの財政で突出して異常なのが軍事費で、2000年から2014年までギリシャの軍事費はEU28か国中のトップで、ドイツの軍事費の2倍以上の税金を注いでいる。
 異常である。無茶苦茶異常である。
 これらはギリシャが望んだものではなく、ドイツやフランスなどEU各国が融資の見返りに戦闘機等の武器購入を押し付けたからである。
 ギリシャにおける汚職や脱税やの問題はあるにはあったが、この無茶苦茶な武器購入が抑制されていたならこんな危機にはなっていなかっただろう。
 「責任者出てこい!」と言ったらギリシャ側で甘い汁を吸った輩も出てくるだろうが、ドイツやフランスにこそそういう輩が潜んでいるのだ。
 4番目に、日本のマスコミは「ギリシャは公務員天国で人数も人件費も多くそれが財政赤字を招いた」と繰り返すが、OECDによる公的部門の人件費対GDP比をみると、国際問題化した2009年のギリシャは北欧やフランスより低く、デンマークの69%となっている。
 さらに、その人件費は緊縮政策で2012年には減っているのに債務は膨らんでいる。つまり、公務員の人件費と債務には何ら因果関係がない。
 全労働力人口に占める公的部門職員の割合も、2009年ではOECD平均だし、2013年にはOECD平均より2.2%も低くなり、ノルウェーの52%でしかない。
 以上、YAHOOニュースには全て根拠となる統計データが付けられている。
 私は、ギリシャ危機よりも日本のマスコミの危機の方がひどいと思うのだが如何だろう。

 ちなみに、日本の公務員の数や人件費はヨーロッパとは比較にならないほど低い水準だが、マスコミは根拠もなく(正確に言えば誤った統計数字を用いて)公務員が多く優遇されていると説いている。
 そして政府は、為替と株価操作のために際限なくお金を投げ入れギリシャと比べられないほど巨額の財政赤字を生みながら、不要のオスプレイ等の軍需品を米国内の相場さえ度外視して購入している。
 ギリシャの旧政権と日本の財政・経済問題を一緒だという気はないが、一握りの政財界の利権共同体が国民の血を吸っている構図はよく似ている。

 なお、「なぜGDP比か」ということを補足的に言えば、GDPはその国の経済力の目安であり、GDP比は経済の健全性の指標だからで、それ故OECDも各種統計に採用している。
 それでも「実感がわかない」なら、一般政府支出(中央政府、州政府、地方政府が管理している公的部門の総支出)で比較すると、ギリシャも日本もOECD平均の8割程度の「小さな政府」になるが、その「小さな政府」の支出の中で公的部門職員の人件費の占める割合はというと、ギリシャはOECD31か国中17位、日本は最下位となっている。

 小泉氏や橋下氏が選挙になると「政治の悪いのは公務員のせいだ」「公務員を減らせば社会は良くなる」と宣伝し、下種っぽく「あいつらは得している」という感情を煽ったが、それらが実体のない嘘であり、そういう口車に乗せられた結果が現在の政治・経済の息詰まりを招いたことは明らかになりつつある。
 いや、まだ十分に明らかにされていないところに現代の問題があるというべきなのだろう。

 マスコミの歪んだ報道は今後とも指摘していきたいが、その前に、マスコミや政権与党が言う判りやすい単純明快な解説には気を付けなければならない。
 国際政治は「借りた金は返せや」というほど単純ではない。
 マスコミの尻馬に乗ってそんなフレーズをいう者は同様に単純すぎる。

2015年7月10日金曜日

まぜるな 危険

  まぜるな 危険! という洗剤があるが、経済の新自由主義者(市場原理主義者)と歴史修正主義者(日本会議の右翼)を混ぜると危険極まりない。
 ある席で「安倍政権は徴兵制を導入するだろうか」との議論があった。
 今般の戦争法案で防衛大学校卒業生の任官拒否は増加しているらしい。
 法案が成立したら自衛隊員の除隊(離職)は増えるだろう。・・なら徴兵制か?という話である。
 で、貴方なら、つまり貴方が安倍政権の主要閣僚ならどうするか。
 第1に、徹底的に非正規雇用を増やし、正規雇用を高嶺の花とする。ここが新自由主義者の出番である。
 こうして、将来の夢が持てない青年にこう言おう、「君のように未来のある青年にぴったりの話があるんだ」と。
 「自衛隊に入れば、職業訓練は完璧だ。大学の費用も全部出そう。医療保険は家族にまで適用され、退役後も無料で治療が受けられる」。お察しのとおり、これはアメリカにおける軍人確保の現実である。
 絶望的な青年層の貧困は、労せずして軍人を補充しているという、これは、堤未果著『アメリカ弱者革命』(新潮文庫)に詳しい。
 第2に、それでも、親の収入でそこそこ生活のできている日本の青年はおいそれとは志願しないだろう。
 それでもいい、遅かれ早かれ戦地に派兵された自衛隊はトラブルに巻き込まれる。それは100%間違いない。
 そのとき、後藤さんのときのように、政府はただあえて静観して犠牲者の発生するのを待てばよい。
 そして、何人かが死亡したときが首相と会食を重ねたマスコミの出番である。
 国のために尊い命をささげた青年がいたと・・・、徹底的に賛美して・・・・、
 事実はどうでもよい。なぜならそれは『特定秘密』なのだから。
 比較的貧しい志願兵(自衛官)が何人も死んだ。その一方で、享楽にふけっている青年もいる。こんな不平等が正義だろうか・・と、新聞テレビは裁判長のように国民に語りかける。
 そうなれば、政府が強行しなくても、国民は平等に徴兵されるべきだという「世論」が(仕掛けられて)湧き起ってきはしないだろうか。
 こんな気分の悪い想定問答集を作ってみたが、読者の皆さんならどのようにお考えだろう。
 この話を何人かに語ってみたが、みんな「ありえない」と私の取り越し苦労を笑った。
 しかし根拠もなく「社会は進歩する」と楽観するのは、「神風が吹く」と信じた皇国神話と変わらないと思うのだが。

2015年7月9日木曜日

恭仁京の謎

  少し前に奈良女子大学の同窓会である佐保会が主催する講演会が、昭和3年建設の名建築の佐保会館であった。
 小笠原好彦先生の『日本の古代都市と複都政』という講演会で、どう見ても同窓会員でない、つまり男性もたくさん参加していて、椅子も資料も追加する盛況ぶりだった。
 その中で私が興味をを持ったのは『恭仁京』のことで、それまで私は、平城京からあんな田舎(すみません)の狭い土地に何故遷都したのか解らなかった。勉強もせずに巷間流布されている「聖武天皇のノイローゼによる逃避行」説などを何とはなく否定もせずにいた。
 今回講演を聞いて、そして改めて手持ちの書籍などを読み返して気がついたのは、恭仁京の中の恭仁宮の位置が東北隅であったことで、平城宮のイメージから中央の北端だとばかり思い込んでいたのがそもそも誤りだった。(そういえば恭仁宮の説明板などにはそう書いてあったように思うが、信じ込むというのは怖ろしいものだ)
 さらに左京と右京の間に丘陵地帯をはさみ、さらに京は木津川の南に大きく広がっていたことだった。(これもそのように読んだりしていたが、京であった時期が短かったこともあり、実際には北部の一部だけのように思い込んでいた)
 現代でさえこのあたりで木津川を越える橋は一つ二つしかないのだから、私の中の恭仁京のイメージが膨らまなかったことにも同情していただけると思う。
 それを小笠原先生は、『遣唐大使多治比真人広成が「唐には洛陽という複都がございます」と復命したのを受けて、洛陽を真似て造ったのが恭仁京だった』と縷々説明された。
 京の中央を東西に洛水(洛河)が横切っている洛陽の宮は西北隅だった。
 あえて木津川という大河の南北に京を造ったというのは驚きだったが非常に納得できる説明だった。

 さて、私の小さい頃は「家ごと丸々の宿替い(やどがい)」というのがあった。丸太のコロの上を家そのものを引いていくものだった。
 恭仁宮も平城宮の建物を、そこまでではないが、伊勢神宮の建物が各地の神社に払い下げられるように、丸々解体して移転している(だから恭仁宮の礎石から現在の平城宮大極殿が復元されている)。
 平城京のそれ以外の一般の建物は掘っ立て柱だから、そもそも平城京も建て替えの時期だったかもしれない。
 だとすると、恭仁京遷都も結構エコだったかもしれないので、このあたりの歴史も勉強してみる値打ちがありそうだ。
 何年か前、木津川市の馬場南遺跡の現地説明会に行ったとき、こんな(平城)京を外れた北の地にどうしてこんな立派な寺院が?と理解できなかったが、このあたりは離宮や豪族の邸宅もあったちょっとした土地であったようである。
 結局、聖武天皇の「彷徨」は合理的、合目的的であり、逃避行などでは決してなかったようだ。
 興味は尽きない。

2015年7月7日火曜日

老碩学の声

 7月6日の朝日歌壇のうち永田和宏選の最初の三つ
 特攻は命じた者は安全で命じられたる者だけが死ぬ (奈良市)直木孝次郎
 学問と言論にまだ自由あり自民の推した学者が違憲と (西海市)前田一揆
 大学が職務訓練の場と化してどこへ行ったかリベラル・アーツ (さいたま市)伊達裕子
 それに対する撰者の〔評〕
 直木氏、至極当然の認識。だがこの老碩学にかく悲痛直截な歌を作らせるまでに状況は危うい。前田氏、あの違憲発言を快挙と思いたくなるほどに我々は暗い時代を予感していないか。伊達さん、現在の大学を巡る状況に同感。
 
  さて、直木孝次郎著『万葉集と古代史』(吉川弘文館)は私の愛読書のひとつである。
 万葉集を文学としてだけでなく、「古代史のかけがえのない史料の宝庫」と教えてくれた書である。
 しかも、薄っぺらい史料ではなく、その時代の人々の心の襞にまで分け入って分析されている。
 その著者が、こう歌ったのであり、
 そのことを思うと、この歌よりも撰者の評に大いに共鳴した。
 
 伊達さんの歌について、学のない私は正確に確かめたいと「アーツ」を安直に検索したところ、トップに「リベラルアーツ」が出てきたので、きっと私と同じように朝日歌壇を確かめたいと思った読者がいっぱいいたのだと少し可笑しくなった。

 なお、老碩学は若草山モノレール計画にいち早く憤りのコメントを寄せられた。

2015年7月6日月曜日

抑止力について

  『戦争あかんで!相楽ネット!』発足の集いがあり、京都第一法律事務所尾﨑弁護士の講演があったが、私が興味を抱いたのは次のようなフロアからの参加者の声だった。
 曰く、『自分の子どもに戦争立法の話をしたが「そしたら日本が攻め込まれたときにどうするの?」と尋ねられて上手く返事ができなかった』というもので、非常に世の中の現状を反映しているように私は思った。
 そういえば、その集い自身が圧倒的に元気な高齢者で埋まっていて、若い人々の参加は少ないものだったから、高齢者の「正しい主張」が若い人々に思うようには広がっていない事実があることを軽視できない。
 確かに、政府与党の情報操作もあるにはあるが、同時に、北朝鮮による核開発、ミサイル実験、そして拉致問題があり、中国による尖閣諸島周辺の示威行動や南沙諸島での実力行使があるから、そういう疑問があって当然だし、一概に「理解が浅い」というものではないように思う。だから、私ならどう答えるだろうかと思うと偉そうに答えられる自信もない。
 さて、それについては講師も返答されたが、ほんとうに侵略が起こったならば結果的に反撃したとしても相当大量の日本人が死ぬことになるだろう。
 私などは若狭の原発銀座周辺にミサイルが1発落とされれば淀川水系の関西は壊滅すると思っている。
 戦争になったら・・・・・、勝っても負けても、その時に私が生きているかどうかは判らない。
 だとすれば、どんなことがあっても戦争にさせないことが最重要課題で、政府与党のいうような法制度も含めた重武装化が有効な抑止力になると考えるかどうかが焦点であろう。結論を言えば私はそうは思わない。
 比喩で言えば、いくら武術の高段者であっても理性的な人を他人は無闇に恐れないと思う。
 それよりも、感情が直ぐにキレるチンピラの方が何をしでかすかわからないから世間では怖い存在である。この比喩は常識的に納得していただけると思う。
 だから、『日本は戦争しないが抑止力として軍備を増強している』分には誰も怖がらないので、ほんとうに抑止力を効かせようとするなら、米国のように時々キレる必要がある。
 この話は相手も同じことになるから際限のないゲームになる。
 かつて冷戦時代に唱えられた「瀬戸際作戦」である。
 抑止力論とは畢竟、軍備増強による瀬戸際作戦となり、それはつまらぬ行き違いで戦争を誘発する道であろう。戦後アメリカによる数々の戦争がそうであった。
 結論を言えば、安倍内閣の外交力落第、軍事一本槍の姿勢こそが一番の日本の危険要因である。重ねて言うが『戦争はしないが法制度を含めて軍備を増強して戦争を抑止する』という論は現実社会では成り立たない。
 次に、NHKの討論番組で自公の代表は「戦争立法によっても自衛官のリスクは増えない」と発言したが、それが詭弁であることはすぐに明らかになった。そしたら「自衛官のリスクは増えてもそのことで国民のリスクは減る」と減らず口を叩いたがそうだろうか。
 解りやすく中東をイメージすれば現在の戦争は誰が兵士で誰が非戦闘員であるか分かちがたい戦争であろう。つまり、非戦闘員である一般庶民の犠牲が避けられないし、そのことが次のテロを生む温床になっているのが現実だろう。
 つまり、例えば中東で「積極的平和主義」のキャッチフレーズで行う戦争は、日本国内でのテロのリスクを格段に高めるだろうと私は思う。国外の邦人のリスクの高まりはいうまでもない。
 そのNHKの討論番組で共産党の志位委員長が、「ASEANが東南アジア友好協力条約を結んで、主張の違いは外交で解決しようと約束したように、外交の力で北東アジア平和友好条約を締結しよう」と訴えた方向こそほんとうに理性的で現実的な日本の選択肢だと私は考えるが如何だろう。
 読者の皆さんなら、最初の子どもたちの質問にどう答えられるだろうか。ご教示いただければ幸いである。

2015年7月5日日曜日

モリアオガエルその後

  奈良公園・吉城園の定点観測に行ってきた。
 定点観測などと言ってはみたものの大層なものではなく、クルマでなら我が家からそう遠くないし、県庁東駐車場は平日は2時間までは無料だし、吉城園は65歳以上入園無料である。
 モリアオガエルの最初の産卵は6月初めのことだったから、上手くいけば池の周りにモリアオガエルの子蛙がいっぱいいないかと期待し、あるいは既に森へ帰ってしまっていないかと心配しながら行ってみた。
 で、今回の7月頭段階の状況を言うと・・・、
 子蛙は見つからず、相変わらず足も生えていないオタマジャクシがいただけだった。それも数が減っていた。
  庭師の方に聞いてみると、初期の卵の分はもう子蛙になっていてもおかしくない時期だが、この間から蛇がいっぱい来てオタマジャクシを食べたという。
 庭師の方は蛇を見つけたら捕まえるらしいのだが、蛇も心得たもので木に登ってあかんべーをするらしい。
  モリアオガエルを被害者として蛇を加害者とするのは人間の勝手で、それも自然の摂理かと思うが、やはり蛇が憎らしい。
 今回は少しだけ高い杉の枝に新しい卵がついていた。そして、近くで親蛙が無事誕生を見守っているようだった。
 自然の摂理というと庭師の方が、茶室の茅葺屋根を指して「ムササビとカラスが荒らしますねん」と溜息をついていた。
 
 庭師と語っていると、雰囲気ではイタリア人らしい家族がやって来たので、池の中を指して「オタマジャクシ」と教えると家族で「オタマジャクシ」と言いあって喜んでくれた。そして親蛙を指して「マンマ」と言ったら子供が楽しそうに写真を撮った。そして、「アリガトウ」「サヨウナラ」と言って去って行った。

  定点観測ではないが、長男ファミリーから「奈良公園でイノシシに出会った」と速報があった。
 奈良公園では夜間にイノシシが動き回っていることは、ミミズなどの餌を求めて掘り返した土の状況から有名なことだった。
 何年か前には、夏の未明と言ってよいような早朝に若草山に登る途中、私のすぐ横で威嚇するような息遣いを感じたこともあった。
 しかしそれらは夜のことで、昼間にイノシシを見ることはなかった。
 それが最近、昼間に見かけたという情報があり、私も注意していたが見ることはなかった。
 それを長男ファミリーが偶然出くわしてムービーに収めて私に見せてくれた。
 ムービーのかぎりでは鹿と同様のんびりとしていたが、そのうちに人間に被害が出て問題にならなければよいがと思っている。
 春日原生林にはルーミスシジミという天然記念物の蝶がいるといわれている(絶滅したのではないかという話もある)。
 猪も鹿も蝶ものんびり眺められる状況が続けばよいのだが。

2015年7月4日土曜日

国会に対局時計を

  いわゆる戦争法案について、国会では自民党が既に75時間超議論したと主張して、審議時間80時間さえ超えれば「議論は丁寧に出尽くした」として裁決・・幕引きをする予定だと報じられている。 
 そういう形式主義が民主主義に馴染まないことは言うまでもないが、それはさておいても気になるのは実に不真面目な政府答弁の時間がその中に含まれていることである。
 6月17日の党首討論では日本共産党の持ち時間はたったの7分だったが、首相のだらだら答弁でそれが浪費されていた。それでも、「武力行使と一体でない後方支援という国際法上の概念は存在しない」と認めさせたのだから値打ちがあるが、それにしても時間が少なすぎる。
 (なお、過去11年間は議席数が少ないというので党首討論に出ることもできなかったのだから、衆参の選挙での一票一票の持つ意義は大きい)
 だから、せめて囲碁、将棋で使う『対局時計』を国会でも使用してもらいたいと思うのは私だけではないだろう。その上で議論の内容を正当にマスコミが報道すれば、世論はもっと正しく形成されるはずである。(対局時計とは対局者それぞれの持ち時間=消費時間を表示するものである)

 『懲らしめられた』マスコミは不真面目な政府答弁を問題にせず、「深まらない議論」というような上っ面だけの報道に終始するものだから、世論はいつまでも「内容が解らない」ままで、それは結局政権与党を利している。 
 さて、自民党勉強会の「言論統制」発言はオウンゴールのように見えるが、確か「なでしこジャパン」で関係者は攻めの積み重ねが相手のオウンゴールを生んだのだと語っていた。なるほど。
 橋下氏率いる維新の党はカッコだけの対案を出し与党の単独採決をカモフラージュしようとしている。
 自民、公明、維新のオウンゴールはこれからも続くだろう。それは世論次第だし、私たち次第だろう。
 内閣支持率を激減させれば世の中は変わる。
 それを作るのは一人ひとりの発言であるし行動だろう。
 いま、非常に広範な分野の著名人も声を上げ始めている。

2015年7月2日木曜日

祓えないもの

  昨日「水無月の夏越しの祓」を報告?したが、その中に「人形(ひとがた)を耳に当てて半年間に耳に届いた穢れた言葉を祓いましょう」というのがあった。
 聞き捨てならぬ政治がらみの「穢れた言葉」の数々は心底「祓給へ清給へ」と思っているが、問題を「人形」と神々に全てお任せするのは無責任になるだろう。
 そういえば朝日新聞に週一度掲載される「朝日歌壇、朝日俳壇」に、戦争になぜ反対をしなかったそう賢(さか)しげに我らいったはず(大和市・春原正彦)というのもあった。
 そう、祓えないもの、流してはいけないものがある。

 安倍首相らの不誠実な国会答弁には、絶対にないといふけど私には十三の夏の日がよみがへる(香取市・鎌形てる)が的確な返歌になっている。
 俳句では、兄吹きし草笛いつも海行かば(神戸市・日下徳一)が静かに甦りつつあるあの時代を告発しているように思え、派兵てふ怖い話や囮鮎(おとりあゆ)(野洲市・深田清志)は眼前の課題を厳しくえぐっている。
 私は決してその紙面の熱心な読者ではないが、朝日歌壇、朝日俳壇に届く民の声には人間味があるように思う。
 だからこそ、与党自民党と政府は、「マスコミを懲らしめたい」と考え、国立大学の文系学部を廃止せよと考えているのだろう。
 こういうのを時代の先取りと言っていいのか、さいたま市の公民館では、梅雨空に九条守れの女性デモ という俳句が公民館月報に政治的との理由で掲載を拒否されている。

 私は戦争そのものを体験してはいないが妹尾河童著「少年H」等々でモノ言えぬ時代の怖さを知っているつもりだ。
 また若い頃関西一円で起った部落解放同盟による暴力的糾弾行動などに、一切のマスコミが屈し沈黙ないしは加担した酷さは実体験している。
 今日、こんな酷い権力の暴走を目のあたりにして、それでも声をあげることに躊躇している人々の心の中には、あの糾弾闘争なる時代の酷さ、そして不正義とマスコミが一体化したときの怖さが深層にあるからではないか。
 そうだとしたら、再びそのようにならないように今こそ声をあげるべき時ではないだろうか。
 多くの人々が告発しているので私が今更繰り返す必要もないが、言論の自由は命と同じぐらい大事だろう。
 戦時体制はそれを拒否する自由を与えないものだ。
 「度胸をつけるため」に庶民を殺せといい、「敵に見つからないよう」赤児の殺害を命じるのが戦争のリアルだ。
 もう一度、大和市・春原正彦氏の短歌を読み返してみよう。
 戦争になぜ反対をしなかったそう賢(さか)しげに我らいったはず

2015年7月1日水曜日

千歳の命延ぶといふなり

烈布
  昨日は6月30日、昨年の印象がよかったので今年も式内社 往馬大社(いこま大社)へ行ってきた。
 古典の中では格式の高い神社だが、あまりに有名寺院の多い奈良県にあっては少々影の薄い存在だろうか。
 夏越大祓(なごしのおおはらえ)式が行われた。
 初穂料3000円ではあるが結構な授与品もあり、何よりも昇殿の上で名前も神前に読み上げられ、要するに単なる見物人ではなくその式に正式参加できるのがいい。
人形
  参加といっても、圧倒的には神官の修祓(しゅばつ)等に合せて頭を下げたり拍手をしたりだが、布を引き裂く烈布(れっぷ)があったり、人形(ひとがた)に息吹(いぶき)をしたり、「ああ、古代人はこのようにお祓いをしたのか」と実感させられるひと時だった。
 私は事前に「祓詞(はらえことば)」や「大祓詞(おおはらへのことば)」を持参したから、式の内容も理解が進んだ。
〽水無月の~
  式の最後は「茅の輪くぐり」で、これを古歌を歌いながら神官に付いて8の字でくぐるのだが、結果として孫は来なかったのだが孫が来たとき用にこれもプリントして持参していたので、〽水無月の~夏越しの祓する人は~ 千歳の命 延ぶといふなり~~ と唱和した。
 妻のプリントを見て「見せてください」という方に「どうぞ」とプリントをあげたところ、自信を持って唱和をされ、大いに喜んで帰り際にまでお礼を言われた。

 仏教と比較すると神社神道には経典もなく、それ故原始的、土俗的宗教と見られたりする。
 夏越しの大祓も茅の輪も初期の道教の考えとも言われている。
各自が家庭用の茅の輪を作り
  だいたい、半年間の諸々の罪穢れ(つみけがれ)を人形に移して水に流すというのもあまりに安直な発想だと私も思っていた。
 しかし、一呼吸おいて考えてみると、我々人間は100%清廉潔白に生きられるわけもなく、少なくとも半年分の日々を胸に手を当てて反省し、プラマイ、アウトかセーフかというとどうにかセーフの方で過ごせたことを感謝する宗教的行事って、結構ものごとの本質に迫っているのではないかとこの頃は思っている。
これを玄関に飾る