2024年5月31日金曜日

脱脂粉乳

   テレビやラジオで時々「給食では何が好きやった?」というような会話を耳にするが、話の中身が信じられないような豊かな内容であることに「ついていけない」ときがある。
 原因はそれぞれの語る時代の差であって当然なのだが、昭和33年以前というと脱脂粉乳の時代だった。
 それを実際には飲んだことのない世代が、現代のスキムミルクのようにテレビやラジオで語るのには違和感がある。
 先日『ピースおおさか 大阪国際平和センター』で「戦後の給食」の展示を見て、その違和感を思い出した。
 当時アメリカからララ物資と呼ばれ、救援?(購入?)された脱脂粉乳とは、バターなどの製造で大量に余った残滓で、普通には家畜の飼料であった。
 
 段ボール紙製のドラム缶に入ったそれが調理室の前の廊下にあったが、こっそり手ですくって食べると美味しい粉ミルクだった。・・が、それを大量の熱いお湯で溶いたものが「給食の脱脂粉乳」だった。
 つまり、ぬるい飲み物で、味は薄く、匂いもよくなかった。
 それに、パンはピース大阪展示のコッペパンみたいにツヤはなかったし、おかずはもやしやクジラが多かった。いやクジラはたまに出た上等なおかずだった。
 過ぎ去った思い出は郷愁によって味付けされるものだが、私の給食の思い出はいつまでも不味いままである。
 妻はまったく給食の経験がないというし、時代と場所によって大きく異なるだろうが、私は今でもあの脱脂粉乳を飲みたいとは思わない。

2024年5月30日木曜日

5月ですがJUNE

   縁遠い言葉だがジューンブライドという言葉がある。
 古くは西欧の神話に根差しているようだが、日本では梅雨時の需要低迷期を乗り切ろうとする商売っ気が鼻につく。という話はただのJUNEについての前説。

 本題はジューンベリー。それが今年は5月から豊作。しかも去年は少し水っぽかったのが今年はけっこう美味しい。(その違いは分からない)
 26日に孫の夏ちゃんがやってきて摘んで食べた。たしか去年は味が薄く「もうええ!」とあまり食べなかった。
 写真のネットは鳥に食べられないようにという小さな根性による。

   2枚目の写真は野蒜(ノビル)。
 「中学生なのだから大人の味も知りなさい」と妻がムリヤリ持って帰らせた。
 さらに夏ちゃんが栽培したいというのでキュウリとレタスの苗も持って帰らせた。

 「キュウリの苗をもっと持って帰らないか」というと、欲しくなったらキュウリの実そのものをわが家に取りに来ると‥。ナルホド。
 猫の額どころか、猫の額のホクロみたいな菜園だが、夏ちゃンファミリー、凜ちゃんファミリーと3家族の食には十分貢献している。土と水と太陽は偉い。



2024年5月29日水曜日

天に唾する

   退職者会の総会があった。
 レセプションの準備のために途中参加となったが、「郵送料の値上げで予算が厳しい」「会報の発行への影響をどうするか」というような議論の最中だった。
 という議論の流れなので当然だが「郵送は止めて会報はWEBで送信にしたらどうか」という積極?提案が出たので「スマホも持たない・使わない世話人多数という現実なのでご勘弁を」と発言した。
 提案者は口を開けたまま了解してくれた。

 となるとイキオイ「発行回数を減らせばどうか」という議論に流れかけたので、「高齢者が多い中、遠足などには参加できないが近況などの原稿なら提供してくれる会員も多くいる」「紙上での交流は読み手にも大いに好評である」「つまり会報発行は会のメーンの事業でないだろうか」と考えを述べて大方の納得を得たように思う。

 だがこの発言は「天に唾する」みたいなもので、それだけ力を入れて寄稿の依頼をして、読み応えのある編集に心掛けなければならないこととなった。(この発言をしないでもそうなのであるが)
 そしていま総会後数日経ち、「こんな感想を書いて見たゾ」という原稿の到来を待っているところだ。続々とは言わないが届き始めているのが嬉しい。

 起承転結の新聞記事はいらない。それよりも「印象を描写」「心がどう動かされたかを書く」とは近藤勝重さんの『文章入門』にあった言葉だ。
 そのためには「Wow!(わお!)」と感動、感嘆の声をあげることが大切で、それは人生経験によって生まれるとか。
 若い頃、先輩から「ボキャブラリーが貧困だ」とよくからかわれていた私がこんなことを書いている今が恥ずかしいが。 原稿、待ってま~す。

2024年5月28日火曜日

外京(げきょう)?

   「花だより」はいったん休憩して・・・、
 この本(奈良公園の案内書・極)を新刊紹介で知ったときは、旅行のガイドブックに毛の生えた程度のものだろうと一瞥していたが、「もちろん買う気でしょ」と妻も囃すので、結局購入したところ、結果は予想を覆す読み応えであった。
 それもそのはずで、執筆陣が一流の方々だったので、ナルホドと後で納得した。もちろん、千田稔監修であることは判っていたから、しっかりした内容だろうとは踏んではいたが。

 一箇所だけ紹介すると、平城京は南北九条、東西それぞれ四坊計八坊に、左京五条以北でさらに三坊分東に出ている。
 九条と八坊・・陰と陽の最大数で完璧な都城であるのになぜ東に五条と三坊張り出しているのか。そこが奈良公園である。

 この本はいう、明治の西洋的合理主義の学者たちにはそれは理解し難かったのでそこを「外京」と名づけたが、そこは春日の聖なる山々からのエネルギーを引き込む場であったし、何よりも藤原の都であったと。※
 この説全体を肯定するわけではないが、「外京」という言葉とイメージは払拭する必要がありそうだ。
 ・・というような問題提起もあり、ただのガイドブックではない、しっかりした書籍だと思う。

 ※ 正史である続日本紀には異常なほど藤原不比等の記述がない。当時の最高?権力者「不比等自身が削除させたのだろう」とは小笠原好彦先生の見解。千田稔先生が著書『平城京遷都』で「不比等は、名誉と権力のためならば、なりふりかまわないような人物であったのではないかと想像できる」と書かれている評価は辛すぎるかもしれないが、平城京は不比等の造った都ともいえる。その不比等が、「外京」などという意味不明の条坊を張り出したわけがない。今でも二月堂の舞台から西方を見ると明らかだが、この地(奈良公園)は大極殿さえ見下ろしている。「外京」などというチンケな名前でない相応しい名前を付けてほしいものだ。

2024年5月27日月曜日

長いは短い

   機関紙活動の鉄則のひとつに「長いは短い」というのがある。
 長い記事は一般に読者の読む気を削ぐから読んでくれる人は少なくなる。反対に、短い記事は読みやすいから多くの人が読んでくれる。
 その結果、(読まれた記事の分量×読んだ人の数)は短い記事の総量の方が、長い記事より長くなる。だから、「長いは短い」「短いは長い」となる。
 そんなもので、退職者会の会報に、近況報告のような記事の寄稿を会員に時々依頼するのだが、おおむね400字程度としてお願いしている。

 さて先日、「東の方」からSNSのメッセージで「万博について400字前後の原稿を送れ」と依頼があった。
 実のところは「書きたい!」というテーマではなかったが、「請われれば一差し舞え」との言葉もあるから、即書き上げて送信したが字数は600字前後になってしまった。テーマの割には削ぎ落したつもりだが、日頃「400字程度」でお願いしている身としては少し恥ずかしい。

 ただ、万博協会が時間外労働の規制の除外を求めたこと、今後も時間外労働隠しが懸念されること、爆発の可能性のあるメタンガスによって来場者にも働く労働者にも危険があること、地震や台風に弱く満足に避難できない会場であることなど、「いのち輝く」がブラックジョークであること、結局のところカジノのためのインフラ整備であることなどを、主に「労働者の安全」という切り口で書くと600字程度は許してもらいたいと居直ってまとめた。

 とはいえ、400字程度を守れなかった無念が残るので、今後のわが会の会報の原稿依頼も「600字程度」と改めようかと考えた。


 【23日の朝日新聞】
 上記の爆発事故について23日、朝日新聞が要旨次のとおり報じた。(記事のごく一部)
 🔳 爆発について万博協会が「事故」として公表したのは、発生翌日だった。被害は「床と床点検口の破損」と説明し、報道機関には写真1枚が提供されたが、破損個所が見切れていた。
 朝日新聞が大阪市に情報公開請求をしたところ、天井も損傷していることがわかった。複数の写真も出されたが大半は「黒塗り」にされていた。トイレ棟の現在の所有権は施工業者であるので「建物内の写真は無断で公表できない」と言った。🔳
 公金、しかも大金を使って進めている事業にこんなことが許されていいのだろうか。
 このこと一つをとっても「この事業は胡散臭い」というのが社会人の常識ではないだろうか。

2024年5月26日日曜日

水野晶子さんを今ごろ知った

   5月15日に近藤勝重さんの訃報を書き、私が近藤さんを知ったきっかけがMBSラジオ毎土曜朝5時から5時半の『川柳で生き方再発見・しあわせの五七五』だったことにも触れたが、この番組の近藤さんのもう一方の主役がアナウンサーの水野晶子さんだ。(このラジオ番組そのものはラジコやポッドキャストでも聴くことができる)

 私はテレビやラジオの出演者についてはとても疎いので「水野晶子さんてどんな番組に出ていたん」と呟いたところ、スマホの活用については私より格段に上級者である妻がサクサクと検索し、その内に「こんなのがあった」と読みあげてくれたのが、後ろのアドレスで出てくる『水野晶子さんのトークライブ「ヒセイキの風景」朗読と「私が正社員になるまで」』だ。

 それは私の現職時代の仕事や労働組合活動と大いにオーバーラップしたもので、同時代に「そんなことのあったことを知らなかった」自分を深く反省した。
 
 1981年に水野さんは毎日放送に非正規の契約アナウンサーとして入社。そして1985年成立の男女雇用機会均等法により?「新法により来年からは女性アナウンサーを正規採用するのであなたは来年はいりません」と解雇を通告された。
 虎に翼ではないが「はて」と思った水野さんは7年間の解雇撤回闘争を闘い、正社員として定年まで勤務。そして、今はフリーでMBS契約のアナウンサーをされている。

 均等法がそんな逆流を生んでいたことなど知らなかった。
 そして、その後労働者派遣法などが成立して日本の労働環境は悪化して、非正規が普通にさえ見える格差社会が生まれている。
 派遣法の際などは、当時の総評や社会党などが最後に寝返った時の悔しさは今でも覚えている。
 公務の職場でも「会計年度職員」とかいう非正規が正規雇用を上回っていたり、毎年ごとに雇い止めのナイフを突きつけられている。
 この国は間違った道に進んでいる。もう一度、雇用や労働の原点を取り戻そう。

 少し長いが、このライブの記録は、多くの方々に是非とも読んでもらいたい記録である。以下のアドレスを反転させて「移行」して読んでほしい。 

 https://kazemakase.jp/2023/06/%E9%9D%9E%E6%AD%A3%E8%A6%8F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E3%81%A8%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%B5%84%E5%90%88%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E2%91%A1%E3%80%80%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%8C%E6%AD%A3%E7%A4%BE%E5%93%A1/

2024年5月25日土曜日

パーティーは難しい

   前日に、担当者にアクシデント発生のため、急遽、企画と進行(二人の内の一人)を担当することになった。
 その、ある集いの二部である某レセプションが終了してホッとしている。

 企画といってもこういうものにはある種の定型があり、開会のあいさつ、主催者あいさつ、ご来賓あいさつ、乾杯の音頭、ご歓談、催し物、閉会のあいさつ という流れに普通はなるが、今回のレセプションでは、多くの参加者のスピーチを挟む必要があった。
 その参加者のスピーチというものがけっこう難しく、「聞かせる」スピーチでないと場は「もうひとつ」となるし、テーブル側で自由な交流が盛り上がると前方のスピーチが浮いてしまう。それを司会が「誘導」しようとするとヘンに雰囲気が堅くなる。
 また、「ご歓談」というのもけっこう難しく、会場狭しと交流できる人もおれば、自席に座ったままで下手をすると交流の輪から取り残される人もいる。
 さらには、スピーチが苦手で当てられると困る人もおれば、スピーチに当てられないのが不満な人もある。
 そういうことで毎回反省点が残るので、今回は思い切ってスピーチの重要度を下げ、ワイワイと賑やかなパーティーという性格を前面に押し出したが、それがよかったのかどうかは反省会議で皆で議論してもらおう。

 ということで今回は、主催者あいさつ、乾杯、くす玉 で幕を開け、しばしの歓談の後早々に世話人一同のカズーの大伴奏による合唱をいれて、いっぺんにパーティーモードに突入させ、会場全体が交流ムードの中でスピーチを入れていったが、賛否はあろう。
 そして、途中マジックが得意な参加者の技の披露も挟み、フィナーレに向けて、大合唱をかさね、閉会のあいさつへと進行させた。
 さてさて感想、印象はどうだっただろうか。

 私としては、高齢者だからといって思い出話や体調不良の話だけでなく、いつまでたっても新しいものに挑戦するゾ!としたカズーの大演奏に 「WOW!」(わお!) と言ってもらいたかったのだが・・・?
 人はどう思うか知らないが、私は 「どうだ!」 という気分。
 そして、「みんな大いに前向きでいこう」と元気をふるまえたかと自画自賛。
 なお、参加者のご住職が、「終活の最後はうちで面倒見る」というのがパーティーのオチだった???
 ご協力いただいた皆さんに感謝、感謝。ありがとう。

2024年5月24日金曜日

イタチの尻尾

   散歩道に全く地味な木が花を咲かせている。
 そんな地味な木をどうして注目したかというと、以前そこは毎冬、美しいルリビタキが来ていた茂みであったから。

 その地味な木が何の木かと考えた。スマホでパチリで答えの出るアプリは入れていないから、記憶を基にいろんな本をめくってみた。
 メジャーな木ではないようでなかなか見つからなく、勘としてはエンジュに近いのではないかと当たりをつけてさらに追跡して、それが『イタチハギ』別名クロバナエンジュであることを知った。

 この花を「鼬(イタチ)の尻尾」と見ての命名だ。それが的確かどうかは分からないが、そう言われればだんだんそのように見えてくる。

 なかなか判明しなかったのは、丈夫さゆえに道路の側壁などに緑化植物として植えるため輸入されたものだったのだが、その丈夫さが仇となり、今では「侵略的外来種ワースト100」に含まれて、一部の県では「要注意外来生物」として駆除されているというから、人間というのはエエカゲンなものである。

 イタチハギには罪はない。冤罪事件で悪者にされ、イタチの尻尾と蔑まれ、果ては駆除されるというのだから、世の中の不条理を噛み締めていることだろう。

2024年5月23日木曜日

唐草紋

 
   スイカズラ(もちろん野生)が毎年毎年わが散歩道に増えていっている。理由は知らない。

 さて、考古学や古代史の中では瓦の紋様が大いに注目される。
 同じ版型だとか、元の版型を加工したものだとか、別種だとか。それによって年代が特定されたり、施主が天皇家かあるいはどの豪族かなども解ってくる。
 その軒瓦には「忍冬唐草紋」がよく出てくるが、その忍冬はこのスイカズラだと言われている。遠くペルシャあたりから来た紋様である。

 唐草紋様といえばサザエさんに出てくる泥棒が大きな唐草紋様の風呂敷を背負っている。
 「なぜ泥棒と言えば唐草紋様の風呂敷か?」というクイズがあったと妻が娘に話していた。

 泥棒はタンスを一番下から順に上へ開けていくのが鉄則で、まず最初に開ける一番下には唐草紋様の風呂敷に包まれた着物があるのが常識で、その上に各種金品を入れて背負っていくのだと語っていた。
 その真偽は知らないが、明治以降唐草紋様の風呂敷が大流行し、また風呂敷包みで物を持ち歩くのが普通であった頃の「一般常識」がサザエさんに反映しているのだろう。

 唐草紋様は互いに繋がっていて切れ目(終わり)のない目出度い紋様である。
 何となく分断と悪しき個人主義の現代、唐草紋様で「連帯」をアピールしてみようか。

2024年5月22日水曜日

夏は来ぬ

   音楽療法の場などでよく童謡が歌われることがあるが、何か高齢者等が嫌に子ども扱いされているようで違和感が残る。
 それでも、唱歌の中で好きな歌のひとつに『夏は来ぬ』がある。
 散歩道の卯の花はハコネウツギなどいくつかの種類があるが、あまり花らしい花は卯の花としては風情に欠ける。

 写真のは散歩道に出るまでのわが家の花だが、忘れてはしまったがサラサウツギだと思う。卯の花はこれぐらいの地味さがよいと感じている。

 『夏は来ぬ』のもう一方の主役のホトトギスは、20日に奈良市の佐保の地で聞いた。
 佐保は奈良時代の天皇や皇后の奥津城(墓域)であり、ホトトギスは多くの民話などで死出(冥途)の使いとされている。
 あまりにぴったりの取り合わせに情趣さえ覚えた。

   さて、『夏は来ぬ』の4番には楝(おうち)が出てくる。栴檀の花で、まるで草花のように可愛い。
 去年は楝の花が「豊作」だったから今年は少し少ないかもしれない。

 しかしこの歌詞は知っていても楝というのを知ったのはけっこう歳をとってからである。私が「もの知らず」であっただけなのだが。

 そういえば童謡や唱歌の中にも格調の高い文語の詩が少なくなく、小さい頃は訳など考えも理解もせず歌っていた。

 そして現代、歌のジャンルはハードロックかなんか知らないが、というかレゲエ、ラップ、ヒップホップなどの違いも知らないが、現代の歌はやたらにテンポが速くて歌詞など頭を素通りしてしまう。
 人はそういう愚痴を「年寄り」と笑うのだろうか。

2024年5月21日火曜日

苗代茱萸

   苗代茱萸(なわしろグミ)。
 その名前の的確なのに感心している。
 わが街周辺では田植えの準備が進み「水鏡」が生まれている。
 ただこの茱萸、、もしかしたら苗代とは別の夏茱萸かもしれないが、棘の鋭さや季節からいうと苗代茱萸のような気がしている。

 名前は別にして、ここ何日もゆっくりした散歩をしていなかったので、人の手の届くところはすっかり収穫されていた。残念。

 さてウクライナ民謡に『小さなグミの木』というのがある。ウクライナ独立前はロシア民謡とされていた。
 キーウ(キエフ)はロシアの古都、故郷のようなものだから、侵略は全く肯定しないが、少なからずロシアの民衆がプーチンを支持する感情の底にはそういうものがあるのかもしれない。

 ただそれをいうと、大陸の国家やその国境線についてはみんな言い分があるだろう。
 トルコだって、後漢から唐にかけてその(中華の)すぐ北にいた突厥が故地だと言えば収拾がつかなくなる。
 そういう意味で、イスラエルの現職の大臣が「ここは旧約聖書で明らかな国土である」と主張している論法は論外だと思う。
 しかしながら、この列島にいてはそういう機微がもうひとつ分からない(分からなすぎる)ことがある。

 ともあれ、ウクライナ民謡を足掛かりに彼の地に思いをはせて、「プーチンは侵略止めよ」の声を上げ続けようと思う。「微力ではあるが無力ではない」の言葉を信じながら。

2024年5月20日月曜日

シリーズ花だより(その一 竹とんぼ)

   今週は大きなニュースが飛び込んでこなければ、わが家周辺散歩道のお花などをシリーズで掲載していきたい。
 近藤勝重さんの遺言に忠実に、小さなことにWAO!(わお!)と言いながらのスマホで撮った写真展。

 第一日目は『モミジの竹とんぼ』。
 種族保存の法則と言ったのはダーウィンだが、突然変異でこんなに可愛いものが生まれるものだろうか。

 書店にはダーウィンの進化論を批判する題名の本がある。
 その内に買って読みたいと考えているが、店頭でパラパラとめくっては買わずに帰っている。
 ちょっと文字が埋まっていて視力が低下している今では二の足を踏んでいる。

2024年5月19日日曜日

塩抜きのこと

   一昨日は「食の保守性」を書いたが、もう少しだけ食に関わる話題を書く。 
 その1は若ごぼう(葉ごぼう)のことだが、妻が「You Tubeで葉ごぼうの料理を紹介している」と教えてくれたものだが、高知の主婦のそれは、わざわざ「若ごぼう」ではなく「葉ごぼう」と称しているのに葉っぱは全て廃棄して、茎と根っこだけの料理だった。出来栄えが美しいというのは認める。

 何が正しいとか間違いとかいうものではないが、わが家では葉っぱも一緒に料理する。
 よく似た食材でいうと、「山ふき」も葉っぱを捨てずに調理する。いずれも葉っぱがもったいないというよりも、葉っぱも美味しいからそうしている。
 スーパーでは「山ふき」など、最初から葉っぱをとってきれいに茎だけを束ねて売っていたりするから、そこからスタートした人なら「食べるのは茎」が大前提になるのかもしれないが、「葉っぱも美味しいのに」と思ってしまう。

 その2は塩サケのことである。
 元々日本列島の東や北と西日本とでは魚の好みに大きな違いがあるが、こんなに流通の状態が変わっても「変わらないなあ」と思うことのひとつが鮭(サケ)、大阪でいえば「シャケ」である。
 何を今さらと思われるかもしれないが、先日古代史の小笠原好彦先生の講座に参加していた折、話が少し脱線して、青森出身の先生はほゞ毎日塩サケを欠かさないとおっしゃったのには驚いた。
 さらに先生は、「関西では塩サケの塩抜きをしない人がいる」というのでさらに驚いた。
 つまりわが家では、塩サケはどうしようもない折の弁当のおかずにたまに買うだけだし、甘塩ぐらいにしていることもあり、わざわざサケを「塩抜き」をして料理をするという発想がなかったからである。

 昔の思い出になると、私の母などはニシンを人間の食材とは認めていなかった。
 そんなもので東京で、生のニシンの塩焼きを食べたときは不思議な気がした。希少な特産品ならそんなこともあるかもしれないが、日本列島の西と東では「他国」ほどの文化の違いがあるのを知った。

 で、この歳で初めて、塩サケを「あんな塩辛い物を食べて喜ぶ気が知れん」というのが大きな誤解であったことを知って反省しているところである。

2024年5月18日土曜日

鬼子母神さま

   東大寺の二月堂の下を散歩したとき、まるで垣根のように並んだ何本もの木に奇麗な花が咲いていた。
 見たことのある花だが咄嗟には名前が出てこなかった。(よく考えるとわが家の玄関の前の隣家からわが家に向かって咲いている花なのに・・・後で気がつく)

 前にいた女性が「スマホで撮ると花の名前が解るアプリ」を入れていたようで、如何にもそのように撮っていた。
 で、「名前は解りましたか?」と尋ねると、「アプリではザクロみたいです」と返事があった。

 「そうだ鬼子母神だ!」と私は叫んだ。
 目の前には東大寺の鬼子母神が祀られている。鬼子母神の前だ。だからザクロだ。
 私は鬼子母神さまにお尻を向けて、ただただ赤い花に見とれていたのだ。

 そも、お釈迦様が鬼子母神を諭した折、「それでも人間の子どもを食べたくなったら、人間と同じ味のするザクロを食べておきなさい」と言ったという俗説があるが、普通に如何にも種が多く見えるザクロは子孫繁栄、子どもの成長のシンボル(吉祥果)として鬼子母神と結びついたのだろう。しかし、こういうものは俗説の方が記憶に残る。

 鬼子母神は法華経の守護神でもあり、友人のお寺にも江戸時代以前からの鬼子母神像がある。念のため再確認したら、確かに一児を懐に抱きもう一方では吉祥果を持たれているという。

 そんなこんなで、先日は鬼子母神のお堂に向き直してお参りをした。
 近頃は神仏にお参りの際、小さい声ではあるが「孫の夏ちゃん、凜ちゃんがピンチの折はサポートしてやってください」と声に出してお参りすることにしている。
 言霊(ことだま)思想である。

2024年5月17日金曜日

食の保守性

   インバウンドの中国人がラーメン店に行列をなしていることは以前に書いたが、それは名前こそラーメンではあるが全く中華料理を飛び越えた、あえて言えば異国料理なのだろう。
 
 だいたい、もう大昔になるが、アベ地下で古潭のラーメンを初めて食べた日は私も驚いた。いわゆる札幌ラーメンは新ジャンルに思えた(だいぶ昔のことだが)。
 だから、「中国人がラーメン店とは」という言葉遊びはおもしろいが、この現象には納得している。

 ところが今日の本題。・・いわゆる本場風のカレー専門店の店の前に、如何にもインド大陸周辺と想像できる人々が並んでいるのには少し驚いた。
 「わざわざ海外旅行で日本にやってきてカレーですか?」と尋ねて見たかったが、きっと和食などでは物足りないのだろう。
 それにインド大陸は西ヨーロッパよりも広いのだから、インドだとかインド人と一括りにして考える我々の方が間違っているのかもしれない。

 それにしても、それほど食の嗜好というものは保守的なものなのかもしれない。
 私だって、奈良の中心街だからといって茶粥を食べるでなく、海なし県のど真ん中で日本海を売りにしているお鮨を食べて満足したりしている。

 昔フランスとイタリアの労働組合の代表を近畿一円の職場などに案内したことがある。
 夜には毎日その地の当方の組合員との交流会となったが、何日かして、フランスの代表は「ビールでなくワインを飲みたい」と言ったし、イタリアの代表は懇願するように「肉を食べたい」と言ったのを思い出した。

2024年5月16日木曜日

ツバメ

   5月5日の「雛を拾わないで」に書いたとおり、バードウイーク(野鳥の子育て)の真っ最中だ。
 写真は撮れていないが奈良公園にキビタキの美声が響いている。ほぼ毎年この時期に奈良公園に行くのは夏鳥をウオッチするためだ。

 土産物屋の軒先ではツバメが子育てをしていた。
 その写真をスマホで撮っていると、店のおばさんが、「スワロー、ベビー、ノーフラッシュ」と私に注意した。
 元々ノーフラッシュだから何ということはないが、今の奈良市周辺の基本語は英語らしいことに変な気持ちになった。

 そもそも私は中国人か韓国人に見えたのだろうか。それとも、日本人的な東洋人であったとしてもとりあえずは英語なのだろうか。まあ、それほど昨今の奈良の中心街では日本人が少ない(珍しい)ということだろう。
 なお、あえて記しておきたいが、その時のおばさんの目は東洋の外国人を見下したような目に見えた。私の勘違いなら良いが。

 それはさておき、東大寺の戒壇堂に行くと、歳いった職員二人が長い棒のハタキを振り回していた。
 「はて、今日は戒壇堂のお身拭いの日だったか」と思ったが、実は堂内に巣を作りに来た?2羽のツバメを追い出そうと悪戦苦闘中だった。で、私も「あっちへ行った」「こっちへ回った」と声で加勢したが、ツバメは外に出ず、結局二人の職員がヘロヘロになって作業中止となった。
 「ハタキで追うよりも網で捕まえて外に出したらどうですか」と言って外に出たが、こういう場合、自然保護(ツバメの子育て)を優先すべきか、文化財保存(古寺と仏像)を優先すべきか、何が正解かはわからない。
 〽ツバメはSDGsを歌っているというのだが。

2024年5月15日水曜日

近藤勝重さんに学んだ

   近藤勝重さんの訃報が伝えられた。毎日新聞客員編集委員 MBSラジオの「健康川柳(幸せの五七五)」の近藤師範。
 毎日新聞の購読者でもない私にはそれほど近い人ではなかったが、「健康川柳」のラジオで知った著書『60歳からの文章入門』を購入した一読者である。

 その本の文章の技術や文法についてはほとんど頭の中に残っていないが・・
 『当たり前のことに疑問を抱くことが「考える」ことのはじまり』だとか、
 『5W1Hでは足りない。6Wつまり、WOW!(ワオ‼)という、素直に驚き感動することが大事』という示唆は心に響いた。

 退職と同時に親の介護に突入したとき、「このままでは人生が終わってしまう」という感覚をどうにか乗り越えようとブログを始めたが、親の介護(結果として実母と義母の長期間)の日々は単調で、ある意味同じことの繰り返しのため「書くことがない」という気分になったこともあったし、それは介護の終わった今もあるが、そんなとき・・
 「WOW!と感動する心が疲れ切っている」「ほんとうはいっぱいある疑問が見えなくなっている」と自身にイエローカードを振り上げるようにしている。近年のそれは近藤勝重さんのお陰である。

 残念ながら川柳は捻ることができないでいるが、近藤さんからの「ジャンルは何でもいいから、書くことで人生が前向きになる」「書き続けることが、生きた証になる」との言葉を日々噛み締めてブログを更新し続けている。

 享年79歳、若すぎる。

2024年5月14日火曜日

匂蕃茉莉

    庭にニオイバンマツリ(匂蕃茉莉)が咲いてきた。   
 名前の由来は、匂い(香る)蕃(外国からの)茉莉(ジャスミン)という。その名のとおり芳香がするのが特徴。
 わが庭のこの木の年齢はもう忘れたほど古いのだがそれほど大きくはない。
 その理由は、寒さに弱く特に雪や霜を被ると大打撃を受けるからである。

 「人間には失敗はつきものだが、同じ失敗を繰り返すのは馬鹿だ」と先輩に諭されたことがあるが、毎年毎年「雪が来る前に雪対策をしなければ」と思いつつ先延ばしにしたりしていて、結局、木の大半が凍傷のようになって半ば枯らしてしまってきた。
 「もう完全に枯れてしまった」と何回も思ったが、根の一部が残っていて今日がある。丁寧に対策をしていれば今ごろは大木とまでは言わないがけっこうな木になっていただろう。

 その木が、今年は思いのほか花をつけてくれた。
 この冬わが街ではほとんど積雪がなく、さらに、周りのベニカナメの中に隠すように育てたのがよかったのかもしれない。
 また、かかりつけの医院でも咲いているし、FBでも写真が載っていたから、今年は開花も早いかもしれない。それらをひっくるめると、地球温暖化のせいかもしれないので、ちょっと心は複雑でもある。

 花は紫色から白色に変化していく。それが風情だと書いてある文章も少なくないが、私には色あせていくというマイナスイメージが勝って風情というのはどうかなあとは思っている。
 地球温暖化のことは日を改めて書かねばならないが、今日に限ってはそれを忘れて、久々のニオイバンマツリの満開を楽しもう。

 蛇足ながら、ジャスミンやエゴノキや栗の花などの過ぎたる香りは少しお許し願いたい。

2024年5月13日月曜日

壮大な無駄か

 
   後期高齢の爺さんがここ何十日もああでもないこうでもないと悩んでいたのだ。
 それは、天下国家とは全くと言ってよいほど関係のない問題。ただ「クス玉」をどうするかで悩んでいたのだ。
 こんなことで限られた(人生の)時間を費やしていてもよいものだろうかと気が滅入りそうになるのを我慢して考えてきた。

 課題(問題)は単純で、『壁際にしか支点(吊るす器具)がない会場でどのようにしてクス玉を吊るすか』である。ただし、支点(吊り看板の一部)はかかる力によって歪に前方に動く可能性がある。
 それに、会場自体にフックなどの打ち込みはできない。
 会場に持ち込み、持ち帰りするので仕掛けは組立式かなんかで軽量でコンパクトな仕掛けでなければならない。
 と同時に、中には錘(おもり)も入っているし、何人もの人で下に引っ張るのだから頑丈である必要もある。
 そして費用はかけられない。 

 ということで、今回は別にホームセンターに行くでもなく、ただただ回らない頭の中でいろんなパターンを考えては捨て、考えては捨ててきた。
 木製でいくか、針金の太いヤツでいくか、軽さと強度の兼ね合いは・・などなど。
 それがようやく出来上がった。
 軽量の組み立て式で、費用はわが家の廃材などで済ませて0円で収まった。

 「方法がないならクス玉は中止しよう」という声もあったし、今もほんとうに何人かで引っ張る力に耐えられるかどうかということもあるにはある。そして成功しても皆は「あっ、そうか」できっと終わるだろう。
 そのために費やした時間と気力を「壮大な無駄」と思うかどうかはどうでもよい。
 そんな爺さんも一人ぐらいはいてもよいではないか・・と、自分自身を慰めている。
 (仕掛けは写真のさらに上にある)

2024年5月12日日曜日

祝園弾薬庫

   11日に『祝園(ほうその)ミサイル弾薬庫問題大学習会』があった。 近頃では珍しいほどの大人数だった。
 「世界中がきな臭いからやむを得ないのでないか」という世論?以上に、「世界中がきな臭いからリアルに危険でないか」という「常識」が広がっているようだ。

 祝園弾薬庫は大阪、奈良にも接している。周囲は学術研究都市で国立国会図書館関西館をはじめ各社の研究施設や大学が並んでおり、その間には大規模なニュータウンと呼ばれる住宅街が広がっている。
 ここを国内最大規模の弾薬庫に拡充しようというのだから、岸田内閣の気が知れない。

 「日本列島はアメリカの不沈空母だ」と言ったのは中曽根康弘だったが、ズバリ、アメリカの兵器を爆買いさせ、アメリカ兵に代わって最前戦に日本人を並べようというもののように思う。ウクライナがそうなっている。

 イスラエルの戦争ではロケット弾が目立っている。
 「敵基地攻撃論」は相手側からすれば弾薬庫破壊が有効ということになる。つまり一般住民(非戦闘員)が死ぬということだ。

 こんな政治を日本国憲法は許していないはず。
 先ずは下記の近畿中部防衛局に住民説明会を求めるオンライン署名にご協力を!
 https://chng.it/FBtqhgJkmQ

2024年5月11日土曜日

続地方自治法改定案

   一昨日の続きだが、この改定案の岸田内閣の「言い分」のひとつは、能登半島の地震をあげて「大規模災害に効果的に対処する」 と一見合理的に見えるが、これも実態を分析して語る必要がある。

 正月に書いたとおり、1月1日、息子の家族は石川県にいた。その息子ファミリーの報告では、翌日、クルマで関西に帰る高速道路の反対車線は各県(自治体)の救助隊の車両がひっきりなしに走っていたという。それはテレビのニュースでもご存知のとおりのことだが、私がここで言いたいことは、各自治体間では相互の支援体制が元々議論されており、あえて言えば「お国のご指示」がなくとも、広域体制で迅速に対応されていたというはっきりした事実を指摘しておきたい。

 それでも水道事業等の復旧が遅れているのは、公務員の人員削減を最優先に推し進めてきた国の政策による予算と人員の絶対的不足、疲弊こそが一番の問題であろう。
 内閣自身が「大臣の現地入りは控えろ」と言ったような、あえて言えば「復旧しても採算の取れない田舎は見捨てておけ」とでも理解されるような国の姿勢こそが問われなければならない。

 事実、予算が天井知らずに膨れ上がっている万博や、敵基地攻撃能力のためのミサイル配備など、さらにはアメリカの武器購入の約束など、災害復旧の邪魔をしているのが岸田内閣と言わなければならない。

 そもそもこの政策の議論の元となった第33次地方制度調査会では、「非平時」に着目した地方制度の在り方が議論されていた。
 「非平時」が「戦時」の言いかえだと推測するのは常識に属することだろう。
 この問題をわざわざ2回もブログに書いた問題意識はここにある。
 憲法改正議論の中で自民党など改憲勢力は、「非常事にあっては法律の効力停止」という非常事態宣言条項の新設を声高に主張している。
 「非平時」には地方自治体を上から国が指示するという地方自治法改定案は、実質的にそれの先取りとなる。よって大きな声で反対の声をあげていきたい。

2024年5月10日金曜日

ノダフジは右巻き左巻き

   先月、野田ふじ巡りの遠足に行ったことは以前に書いたが、その日、ガイド担当のUさんが立派なテキストを作ってきてくれて、その中で「牧野富太郎は、蔓(つる)が右巻きを「ノダフジ」、左巻きを「ヤマフジ」と決めた」と教えてくれた。
 
 ところが私は、折角の機会にそれを実際に確かめもせずに帰ってきて、後日Uさんと語らうと、牧野説の右巻き、左巻きの言葉の定義には多くの異論があり、最新の文部省の説では左右が反対になっているとのことであった。

 そんなことで、わが家の朝顔(西洋朝顔)を確かめてみた。それは写真のとおり、私の見た正面では左から右に伸び、支柱に対しては左に回り込み、根のほうから見れば時計回り(右巻き)で螺旋状に伸びていき、それを上から見れば反時計回り(左巻き)にも見える。この場合、問題はどこから(視点)見るかであろう。
 そして私は「朝顔は左巻き」と昔から信じていたが・・・。
 同時に、普通のネジは起点(頭)から見て右回りで進むから右巻き、「人は右」の交通ルールも起点から進行方向に向かって右、河川も源流から向かって右岸、左岸、・・で、ならば、これは右巻きではないか。(昔は「朝顔は上から見て左巻き」だった)

 ただ、北半球の台風の風は見えない上空から見たとして左巻き、さらには運動場(トラック)は見ていて左から右に走るのが左回り、・・・え~い、日本語、しっかりせい。これは植物学の問題ではなく国語の問題らしい。

 結論的には、写真の朝顔は、私の正面でいえば左から右へ右肩上がりで成長しているから、普通のネジが下から上へと進むのと同じで答は「右巻き」。あえて言えば「左回り(トラックを想起)の右巻き」だろう。重ねて言うと朝顔は「右巻き」。

 それでいうと牧野説は答が反対になっているからノダフジは「左巻き」となるが、遠足では昼食の準備のことなどを考えて勉強もせず未確認のまま帰ってきた。後で気がつくナントカである。Uさん、これで許してください。

2024年5月9日木曜日

地方自治法改定案

   岸田内閣は、感染症対策や大規模災害対応などを理由として、国が自治体に「必要な指示」ができるよう、地方自治法の一部改定を狙っている。
 
 それを知って私は先ず、コロナ当初の騒動を思い出した。連日テレビが「医療崩壊が起こるから37.5度以上の発熱が4日以上続くまでは医院に行くな」とアナウンスしていたことである。
 そういう報道の結果、重症になった人、自宅で亡くなった人が出てくると、日本医師会釜萢副会長がテレビ番組で「4日も続けば医院に行けという趣旨であって4日以内は行くなとは言っていない」と説明した。
 あの当時のテレビの世論へのリードを客観的に見ると、釜萢氏の発言は事実に反する。もっと言えば自分たちがリードしてきた結果責任を避けるために、言い換え、さらにいえば嘘を言っていると私は感じた。
 もしテレビ局がミスリードしていたというならば、テレビにいくらでも登場可能な専門家として、後に語ったようなことを種々の方法でそれ以前に指摘すべきであった。
 感染症を持ち出しての地方自治法改定の話は、以上の私の記憶からも「非常に胡散臭い」と感じている。

 そもそもの2020年2月のダイヤモンド・プリンセス号にしても、自治労連が編集した「証言」によると、2月4日午後10時ごろ厚労省から自治体へ「陽性患者10名をこれから搬送をお願いしたい」とあり、職員が残業で対応している11時ごろ「下船のリスクが高いことから搬送中止」と連絡があり、職員がいったん帰宅すると、一転して「5日早朝に下船させるので入院先を調整依頼」との連絡があり、職員は一睡もできないまま午前5時に県庁に集合して対応にあたった。
 その結果、横浜市や神奈川県の要請を受けて各自治体も受け入れ、もちろん、対応を拒否した自治体も全くなかった。

 総務省の強い人員削減の指示でマンパワーが不足していた自治体は、多くの情報不足の下でも懸命に仕事をしてきたわけで、反対に方針そのものが迷走していたのは国である。
 その国が、感染症対策には自治体に強い指示(地方自治法改定)というのは全く正反対で、先に私が感想を述べた釜萢発言の再放送を見る思いでいる。
 結局「敵は本能寺」で、沖縄県の辺野古基地問題のような地方自治を強権で押しつぶしたいのだろうから、この地方自治法改定は許してはならないものだろう。
 ※ 余談ながらネットを見ると、日本医師連盟は釜萢氏を次の参院選に擁立し、自民党に公認申請したそうだ。(この記事は、赤旗の『ゆがめられた立法事実』を参考にした)

2024年5月8日水曜日

わが家は雑木林

   友人のUさんから時々LINEで写真が送られてくる。
 行動派のUさんらしく、近畿一円の野山の花やキノコなどの美しい写真が多く、出不精の私は羨ましく感心して眺めている。そこで、今日は私から1頭の蝶の写真をお返しに掲載する。

 5月6日、珍しいタテハチョウを見つけたのでスマホでパチリとしたもの。名前が解らないので子供用の図鑑を引っ張り出した。
 答はサトキマダラヒカゲ(里黄斑日陰蝶)。図鑑の説明では、① 都会では見られない ② ササ、タケの多い雑木林でよく見られる ③ 早朝と夕方によく飛ぶ ④ 花の密は吸わず樹木の樹液を吸う ⑤ 樹木の太い幹に羽根を立ててとまる とあった。・・説明文に全く疑問はない。
 ただそれだけで、知らなかった蝶の名前が一つ増えただけの話でおしまい。

告朔の餼羊

   先輩のスノウさんから教わったことを書くと。・・孔子先生は次のようにおっしゃった。「子貢(しこう)、告朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜(し)や、爾(なんじ)は其の羊を愛(おし)む。我はその礼を愛む」と。

 これを高橋源一郎訳から摘むと、・・「神様とか祭りとか祈りというのは・・峻厳(しゅんげん)なもので、そのことを理解するためにどうしても犠牲を必要とする。そのことを含めて礼というのだから、私(孔子)はそういう礼の考え方をとても大切に思う」。

 さて、これはきっと正解なのだろうが、どうも現代の課題についてはしっくりこない。
 なので曲解といわれるかも知れないが、これを私(長谷やん)は、「古くから伝えられている行事などは、害が明らかでない限り、できるだけ大切にしよう」と理解している。

   ということから、5月5日の端午の節句では、菖蒲湯からあがる際に菖蒲を1本抜いて鉢巻きをして邪気を払うのがわが家の慣わしである。
 これは商業主義(金儲け)や権力におもねる行事とは思えない。
 もちろん、邪気などというのは科学的ではないが、反対に、歴史を学び理解するためには「慣わし」など年中行事を、現代の常識でばっさり斬って捨ててしまったのではその神髄に迫ることができないとも考える。
 なので私は、菖蒲の鉢巻きをして歴史に思いをはせるのである。

2024年5月7日火曜日

どこか懐かしい

   『物語 江南の歴史』を読み終えた。「江」は「長江・揚子江」。
 
 中国の歴史というと北の中原を巡る攻防が多く、どちらかというと、さらに北や西の遊牧民族と漢民族の対立、あるいは遊牧民族が中原に覇を制して後自身が漢民族化していく歴史が多かったが、・・それはそれで面白かったが、・・今回、もうひとつ主流になり切れなかった江南の歴史も読んでみて面白かった。

 日本列島だって北から南までそれぞれ独特の文化があるが、中国のそれはやはり桁が違う。中国に限らず、それが大陸の国家なのだろう。

 個人の感想だが、中国の政治は北方、文化は南方。「南船北馬」は旅の話では終わらない。
 その南方、江南は日本と同じモンスーン気候の色合いが強いせいか、私にはどこか懐かしい香りがした。

 これまで、少しユーラシア大陸に注目して本を読んだりしてきたが、この読後、少しバランスを正しく振り戻せた感じがした。

2024年5月6日月曜日

5月5日は敬老の日

    2日前に孫の夏ちゃんから「5日にBBQをしてほしい」と注文が入った。
 そのため4日に、近所で評判の精肉店に出かけた。
 連休の中間でもあるからそれほど混んではいないだろうと朝一で出かけたが、BBQ用の精肉を求めるご同輩たちで既に40分待ちという状況だった。
 昔はどういう訳か「BBQは夏」というような雰囲気があって5月の連休にBBQをするのは少数派だったが・・・・・。時代は正しく変化している。

 それからは、半年間ほどほったらかしにしていたBBQテーブルのメンテナンスなどもして、夏ちゃんの期待を裏切らないレベルのBBQ大会と相成った。
 写真の中のカンテキ(七輪)に乗っているのは鞘ごとのソラマメ。これも大好評。

 ということで、5月5日は楽しい敬老の日となった。

2024年5月5日日曜日

雛を拾わないで

 5月5日は立夏。10日からは愛鳥週間で、季節の話題。   
 カラスの子育て中は気をつけろと言われるが、昔、東京に出張したときに、繁華な飯田橋の交差点でカラスが低空飛行をしてきて威嚇されたことがある。近くの電柱に巣を作っていたのに、私が巣に向かう感じで陸橋を登っていたからで、ここのカラスはテレビのニュースにもなった。 

 さて、5月4日は家の近くで朝からカラスが異常にガーガー騒いでいたが気にも留めずに買い物に出かけた。そして帰ってくると、隣家の玄関先に小振りのカラスがいて、アレッと見ると電線に2羽のカラスが異常に騒いでいた。
 ああ、十分飛べない雛にこちらに飛び立つよう促しているのだなと思ったが、見ると親ガラスは明らかに私に向かっていた。
 異常にガーガー鳴くと同時に、電線を、これも異常にドラミングして音を立てて、さらには何回か私の頭上を騒ぎながら旋回し、さらにさらに、私が移動すると追いかけるようにやってきた。
 明らかに、雛に手を出すな! 変なことをすると許さないぞ! と私を威嚇している。カラス天狗の面容だ。あのクチバシで突かれたら大怪我まちがいない。

 私は、怖いからというよりも、愛鳥週間(バードウイーク5/10~5/16)の頃は雛が巣から落ちることがあり、その場合、「雛は拾わないで!」が鉄則だから、私は素知らぬ顔で移動した。
 その内に、大騒ぎの声は他所へ移ったから、雛は少しずつ移動したようだ。

 ヒッチコックの映画「鳥」でもない、たった1羽のカラスの雛騒ぎだが、子を思う母というか、カラスも人間に対して面と向かってくるのはけっこう恐ろしい。
 重ねて言うがこれからバードウイーク前後、「雛は拾わないで!」が正しいらしい。
 万が一拾ってしまうと人間の匂いがついて親鳥は子育てを止めるという。
 「猫に食われたらどうする」という反論もあるかもしれないが、「それも自然だ」というのが野鳥の会などの見解である。 

2024年5月4日土曜日

晴れた5月ながら

   5月3日の朝に、退職者会のパーティー会場に電話をして「設備の確認に寄せてもらいたい」と少々強引にアポをとって大阪市内の会館に出かけて会場に行ってみたが、私の大ポカで、宴会場ではない会議室の方のアポだった。宴会場は全部クローズのため誰もおらず、フロントでは開錠も不可能だった。
 自分のミスでもあったから、精神的にドッと疲れが出た。
 もちろん、私の確認したい設備のことはフロントでは何もわからなかった。・・・で、ココロの疲労回復のため外で小ジョッキを一杯服用した。

 午後からは「総がかり」の憲法集会とパレードに参加した。
 こちらの方はメーデーの悪天候とは打って変わっての快晴で、途中で眼がハレーションをおこして(近頃はしばしばこういうことがある)クラクラして日陰に一時避難したが、パレード(デモ行進)も最後まで完歩した。
 写真の『ポスター』は、地下鉄扇町の後方から会場に来た人には全く配付されなかった。私の周囲でも持っていない人が多数いた。もしかしたら、主催者の見込んでいた人数よりも多数の参加者があったということ? もしそうなら嬉しいことだが。
 集会とパレードは、精神にはダメージはなかったが、体の方は疲労困憊。ヨタヨタとわが家に辿り着いた。

 疲労困憊の自分自身を褒めてやりたいと、唯一の「成果」を確認すべく体重計に乗ってみたが、kg単位でいえば全く減量にもなっておらず、再び精神的疲労が湧いてきたので、柏餅をほおばった。24年5月3日。ふ~。

2024年5月3日金曜日

今春も七十五日

   4月30日に我々ファミリーは七十五日寿命が伸びた。「初物七十五日」は真理だと信じている。
 だから、常々旬の初物を大事にしている我々は、もう不老不死に近づいている。

 さて、孫の凜ちゃんに「ご飯は何が好き?」と尋ねると「豆ごはん」と返ってくるので『ウスイエンドウ』は家庭菜園で育て甲斐がある。 
   ほんとうはもう少し待って実らせた方が良いのだが、待ちきれずに一部収穫して、お初の「豆ごはん」を炊いたのが4月30日。もちろん、凜ちゃんが「ボーノー!」と言ったことはいうまでもない。

 このウスイエンドウ、元々は羽曳野市のウスイ地区が原産で、現在の主たる産地は和歌山県であり、東京では馴染みが薄いらしい。
 だから見た目から「グリーンピースの炊き込み」みたいに誤解されていて、こういう「豆ごはん」は美味しい料理として知られていないという。
 こんな美味しいものを不思議なものだが、全国に認知されると値上がりしたりするから、こっそり関西だけで楽しんでおきたい。

 サンマもこっそり日本人だけで楽しんでおけばよかったものを・・というのは穿ちすぎか?

 (話は逸れるが、「サンマが美味しいということを海外にまで知れ渡るようにアナウンスしすぎたから中国や韓国が大量に捕獲して日本の漁獲量が激減した」という上記の私の文章はほんとうのジョークである。そして、こういう風にマイナスイメージの話に「穿ちすぎ」と例えるのは国語の「誤用」で、穿つというのは、深い観点から本質を言い表すという風にプラスイメージで使用すべきだという正しい指摘がある。一方、言葉も日々生きていて、こういう「誤用」が今や「正解」にもなりつつもあるという指摘もあるのがおもしろい。・・これは日本語のはなし) 

2024年5月2日木曜日

5月3日というと

   1946年11月3日に公布された日本国憲法が施行されたのが1947年5月3日。この5月3日は日本国憲法の喜寿のお祝いの日だが主人公は近年満身創痍の感がある。
 それらについては多くの人々が語るだろうから、今年私は少し角度を変えて「赤報隊事件」について書く。
 書くと言っても微妙な問題でもあるので、小林よしのり、有田芳生 共著『統一協会問題の闇』(扶桑社新書)第3章 教団の武装化路線と権力中枢への侵略 で有田氏が語られている(と記述されている)ことの紹介(つまり引用)である。よって、後は各自で考えていただきたい。

 🔳 今から37年前の1987年5月3日憲法記念日の夜、朝日新聞阪神支局が襲われ、小尻記者が散弾銃で殺害され、犬飼記者が重傷を負った。
 5月6日、共同通信と時事通信に「赤報隊一同」と名乗る犯行声明が届き、1月に朝日新聞東京本社を銃撃したことを明らかにするとともに、「すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」と宣告した。
 9月24日には朝日新聞名古屋本社の単身者寮が散弾銃で銃撃され、「反日朝日は50年前にかえれ」と記されていた。
 その後も、朝日新聞静岡支局に爆発物を仕掛けるなど、赤報隊事件は1990年まで続いたが、犯人は検挙されず2003年までに一連のすべての事件の公訴時効が成立した。
 
 犯行声明に着目した警察は、犯人を右翼、あるいは新右翼と見て捜査していたが、実は同時に別の「線」も見ていた。それが統一協会と国際勝共連合だった。

 1987年当時、朝日新聞や朝日ジャーナルは霊感商法を追及するキャンペーンを張り、教団側は朝日新聞を批判する大量のビラを駅前で撒いたり、すでに戦争状態に突入していた。

 阪神支局が襲撃された3日後の5月6日午前、朝日新聞東京本社に散弾銃の使用済みの薬莢2個と脅迫状が同封された封筒が届き、脅迫状には「とういつきょうかいの わるくちをいうやつは みなごろしだ」と書かれていた。
 同封されていた薬莢は阪神支局銃撃で使われたものと同じレミントン社製で、口径も散弾の大きさも同じものだった。実際の犯行に使用された銃弾は米国製で、脅迫状に同封されていたのは日本国内でライセンス生産されたものだった。

 重要なことは、銃撃に使用されたものがレミントン社製と報道されるより前にこの脅迫状は投函されていた。また消印は統一協会本部のある場所である渋谷局だった。

 有田氏が持っている警視庁公安部の赤報隊事件の捜査資料には、統一教会の信者52人の名簿があり、本籍、現住所、勤務先などが記載され、何人かには、「勝共」「非合法」「軍事組織」と書いてあった。
 さらには、「元自衛隊員」「統一協会軍事組織」とか、「統一協会軍事組織所属」「山の中で射撃訓練」とまで書いてあった。

 有田氏は、彼らは輸入された空気散弾銃を所持しているか、禁輸後も輸入され続けた単発の空気銃を所持しているのではないかと睨んでいる。🔳

 別のページの空気銃については以下の記述がある。

 🔳 実は、統一協会(韓国?)はオウム真理教と同じように「武器」を製造していた。
 「統一グループ」のなかに「鋭和散弾銃」という製造部門を持ち、後に「統一重工業」に社名を変えた。さらに1968年にはこの会社の製造した「鋭和BBB(ビースリー)」という空気散弾銃を、日本の勝共連合と密接な関係にある「幸世物産」が2500丁輸入していた。🔳

 この件での後藤田正晴警察庁長官の国会答弁(国会議事録)

 🔳 幸世物産と勝共連合というのは極めて密接な関係がございます。・・2500丁の空気散弾銃が輸入をせられた。・・・問題は、こういう銃砲刀剣類所持等取締法の対象になる銃砲というものは、狩猟の用具にするとか、・・競技の用とか、それぞれ目的が決まっているわけですね。その目的に照らしてこの空気銃が果たして適正なものかという点に私どもは疑問を抱いたわけでございます。・・・したがって、第2回目以降は輸入を禁止するということで処置をしたわけでございます。
 ところが今度は、輸入業者のほうは、猟具で駄目なら、それじゃ競技用でどうだ、こういうことを私のほうに言ってきた。・・しかし空気散弾銃の競技というものはどこにもないじゃないかということで、・・この空気散弾銃を認める意思はございません。🔳

 有田氏 🔳 ところが今度は、統一協会の銃器メーカー「鋭和散弾銃」は、単発の空気銃を製造し、名前を「鋭和BBB」から「鋭和3B」に変えて、1970年から1975年にかけて1万5700丁輸入された。幸世物産は統一産業に名前を変えていた。

 これは、一般的な空気銃の3倍以上の威力(殺傷能力)があり、・・全国に直営店をつくり、信者向けに販売されていた。🔳

 本日の記事はこれで終る。
 ニュースが「大量消費」される時代だが、忘れてはならないこと、現在に通じている事柄はいろいろある。
 裏金問題などで統一協会問題が薄れていくようだが、根っこは濃厚に繋がっているように思う。

2024年5月1日水曜日

日曜日の朝

   才能なしの私自身はどうしても理屈っぽい散文になってしまうのだが、まずは4月28日(日曜日)の朝日歌壇でう~んと唸った2首を紹介

 一つ目は永田和宏選・馬場あき子選

 「お」と打てば「お世話になっております」と出てくるあわれ職場パソコン(西条市)村上敏之

 二つ目は高野公彦選

 新人は三月(みつき)経(た)たずに腰痛め急募途切れぬ介護の現場(酒田市)朝岡剛

 次いで同じ日の朝日俳壇で気分が良くなった1句

 大串章選

 山寺に酒豪姉妹や山笑ふ(戸田市)蜂巣厚子

 こういうのを見つけると1週間が嬉しくなる。皆さんの感受性に乾杯!