清朝末期から日中戦争前夜までの動乱の中国(主に北部)が舞台のため、日本の小説よりもスケールが大きくて楽しい。楽しすぎるので、途中時々、知って読むのを中断した。
作者の筆力のせいで、読者を西太后や張作霖贔屓にしてしまう。孫文なんかケチョンケチョンだが小説だから仕方がない。
実在の人物と創作した登場人物を自由自在に絡ませて書くことの許される小説家が羨ましい。
そうであるなら、上海の孫文が内山書店の内山完造と北四川路を散歩しながら未来を語る場面を入れて欲しかった。傍らの運河で日本人の少姐が無邪気に蟹釣りをしているというシチュエーションで。
この本を読みながら、同じ時代の思い出を語った実母の話とオーバーラップしたのだ。
およそ1世紀ほども前、上海日本尋常小学校から帰った母は、同年輩の女の子がいなかったので、小遣いで豚饅を食べた後、横浜橋の袂で日がな蟹釣りをしていたと懐かしんでいた。いわゆる日本租界(正式というか形式的には共同租界)でのこと。
母の父は大倉喜八郎にとりたてられ、大倉喜七郎と組んで進出していた。
その時代、母の母は清朝や軍閥のお偉方等とのダンスパーティー三昧だったらしい。すぐ後の没落?以前の浮世離れのした家族史の一こまである。
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