その東大寺二月堂には有名な黒板があって折々の言葉やイラストが描かれているが、先日見たところ芭蕉の有名な『水とりや籠りの僧の沓の音』が描かれていた。
これは去年あたりにも書いたが、『籠りの僧』ではなく、最終的には『野ざらし紀行・芭蕉自筆本』のとおり『氷の僧』だろう。
事実、昔の黒板の写真がネット上にあったが、そこには『氷の僧』とある。
ただ『籠りの僧』は二月堂下の龍王の瀧のところの句碑にも彫られている。
過去にも書いたが、深沢眞二著『芭蕉のあそび』によると、芭蕉晩年のいわゆる「芭風」を基準にして若き芭蕉の俳諧を解釈するのは誤っているという。
私は雪のしんしんと降る中のお松明も見たことがあるから「新暦三月の行事に氷でもない」というような説は度外視するが、「行の凍りつくような厳しさ。魂を氷らせるような沓の音との解釈は穿ちすぎ」という説は理解できる。
結局、芭風以前の俳諧の「しゃれ」を遊ぶことが必要で、水取り=水鳥、氷。=鴛(おしどり)。=沓(の形)。・・を重ねて芭蕉はふふふと笑ったのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿